隆広の自宅、居間の床の間に朝倉景鏡の鎧兜と陣羽織がデンと飾られた。今まで隆広の鎧兜と陣羽織が置いてあったが、それは隆広自室の床の間に置かれた。破れていた父の陣羽織をさえは繕い、鎧兜もせっせと修繕し、今はピカピカに磨かれて床の間に飾られていた。南蛮絹の小母衣がより彩を添えて、堂々とした鎧兜であった。
「しかし何だなあ、こう義父上の鎧が飾られていると、居間でさえとイチャイチャしずらいなあ」
「そんなことはありません。仲良くしているところを見ると父上も喜んでくれます」
意を得たりと、隆広はニコニコしてさえを見た。
「そうか、ならばイチャイチャしよう」
「そ、そんなずるい! さえからイチャイチャする口実を言わせるなんて!」
「いいじゃないか、ほらヒザ枕をしてくれよ」
「んもう…」
さえのひざに頭を置く隆広。
「ああ、気持ちいい」
さえもまんざらでもなく、隆広の髪と額を優しく撫でる。そしてついでにさえのお尻を撫でようとしていた隆広の手をつねった。
「イタタ」
「うふ♪」
「ごめん」
門に客が来た。
「あ、お前さま残念でした。お客様です」
さえは自分のひざの上にある隆広の頭を退かし、クスクスと笑いながら玄関に駆けていった。
「…ふむう、あの声は源吾郎殿か。まったく間が悪いなあ」
源吾郎は居間に通された。
「水沢様にあってはご機嫌うるわしゅう」
「源吾郎殿も。さえ、お茶を」
「はい」
「…ほう立派な鎧兜と陣羽織ですね。水沢様のですか?」
床の間にある景鏡の鎧を源吾郎が見た。
「いや、それがしのではございません。妻ゆかりの人物の鎧なのです」
「左様でございますか。所々を修繕しておいでですが、とても丁寧な仕事。奥方様がその人を思う心が伺えますね」
源吾郎はそれ以上聞かなかった。鎧の状態から纏っていた者はすでに亡くなっていると察するのは容易であるし、何より陣羽織と鎧兜の様式を見ると、身分の高い武将の物と思えたからである。きっと浅井か朝倉ゆかりの武将と源吾郎は思った。
「粗茶ですが」
さえが源吾郎に茶を出した。
「恐悦に存じます」
「それでは私は別室に控えていますので、ご用がありましたら」
さえは二人にかしずき、部屋から出て行った。
「隆広様、『流行つくり』でございますが」
「はい」
「お喜び下さいませ。大成功です。敦賀港と北ノ庄に京や堺から越前カニ、甘エビ、越前蕎麦に注文や問い合わせが殺到しておりますぞ」
「そうですか!」
「しかも、あの三人は京の『茶』と堺の『硫黄』を越前に定期入荷することにも成功しました。いやはや私などより優れた商人に化けてしまいました」
「ははは! それはすごい! 京の『茶』や堺の『硫黄』と言えば、有名ではないですか」
「はい、売るだけではなく仕入れもやってくるとは予想もしていませんでした」
「三人にはたんまりと恩賞で報いなければならないですね」
「とんでもない! 一つの任務のたびに恩賞など渡していたらクセになりますぞ。賃金は定期的に私から」
「いやいや、成果が普通ならそれでいいですが多大な成果なら恩賞で報いなければなりません。先に殿からお預かりした資金の一部を恩賞として渡します」
と、隆広と源吾郎が用談していると…
ドン、ドン、ドン
北ノ庄城の方から太鼓の音が聞こえた。
「ん?」
「隆広様、あれは臨時の評定の合図では?」
「そのようです。では源吾郎殿、『流行つくり』についての細かい報告は後日それがしから伺い聞きます」
「かしこまりました」
「さえ、出かけるぞ!」
「はい!」
隆広は急ぎ、城へ向かった。
「何かあったのかな…」
評定の間に隆広は到着した。府中三人衆の前田利家、佐々成政、不破光治、丸岡城を預かる柴田勝豊、加賀大聖寺城を預かる毛受(めんじゅ)勝照には柴田勝家からの命令書を持つ使者が出ていた。急な評定だったので柴田家に仕える城持ち武将たちは顔を出していない。
城の評定の間には北ノ庄に居を持つ家臣団が集まった。佐久間盛政、徳山則秀、拝郷家嘉、中村文荷斎、可児才蔵、金森長近、そして水沢隆広である。彼の側近である前田慶次、奥村助右衛門、石田佐吉は別室で待機していた。
「みな揃ったな」
柴田勝家が城主の席に座った。
「「ハッ!」」
「ふむ、大殿から小松城攻略の主命を受けた」
「いよいよ加賀攻めでございまするか!」
いきり立つ佐久間盛政は手に拳を当てた。
「いや本格的な加賀攻めではない。加賀大聖寺城はすでに我らの手にあるし、小松城を落とせば残る加賀の城でめぼしい城は金沢御殿と鳥越城のみとなる。今の我らの兵力では残る二つの城までは落とせない。ならば最初に小松を落とし、そこを加賀攻めの総仕上げの前線拠点とするのだろう。現在、ワシの忍びが小松城を内偵中だがじきには兵力のほどが分かる。
また小松の西にある加賀御殿、加賀門徒の総本山だが、現在上杉と小競り合いを起こしているゆえ、そちらからの援軍はない。加賀御殿の支城小松を落とし、いずれ鳥越、加賀御殿と落とすつもりである。本格的な加賀攻めに至る大事な合戦だ」
「なるほど」
「隆広」
「はっ」
「小松城で何か知っていることがあったら述べてみよ」
「はっ、では僭越ですが…小松城は南加賀一向衆の豪族、若林長門殿が笹薮を払って、朝倉氏との戦いのために築いた城砦で、小松平地を蛇行する悌川(かけはしがわ)と、前川の合流点西方に位置し、沼地を活用した平城でございます」
「大した勉強家だな。今聞くと伊丹城と似た地形だが、また水攻めでも具申するのか?」
佐久間盛政が嫌味まじりに言った。
「…梯川は大きい河川ですから水量は問題ありません。しかし伊丹の時は山間の川で水は止められましたが、梯川流域は平地ゆえに堰が作れません。不可能です」
(なんでそんなに嫌味タップリに聞くのですか…!)
「ふむ、よう分かった。出陣は明後日の明朝、府中勢と大聖寺城勢も組み入れ、計一万六千で小松城に進発する。先鋒隊は一陣佐久間盛政、二陣佐々成政、三陣前田利家、四陣毛受勝照、五陣不破光治。後方隊の一陣は水沢隆広、二陣可児才蔵、三陣徳山則秀、四陣金森長近、そして総大将のワシだ。柴田勝豊と拝郷家嘉には越前の留守居を命じる。また水沢隆広隊には兵糧奉行を兼務させる。以上だ。各将、出陣に備えよ。」
「「ハハッ!」」
別室で待機している助右衛門たちの元に行った。
「隆広様、軍議は?」
「ああ、小松城を攻めると決まった。明後日の朝に出陣だ。慶次と助右衛門は準備を頼む。また我が隊は兵糧奉行も兼務する、佐吉、オレより一足先に穀蔵庫へ行って兵糧を確保してくれ。勘定方に三千貫取り付けておいたから頼むぞ」
「「ハッ!」」
助右衛門、慶次は急いで錬兵場に向かい、佐吉は穀蔵庫に走った。
(出陣か…。今度は寄騎ではなく軍団長で出陣だ)
「ふん、偉くなったものだな。部下に出兵の準備を一任か」
「佐久間様…」
「せいぜい『歩』の旗に恥じない戦いをすることだな」
「言われなくても…!」
「ふん」
盛政は立ち去った。隆広は床をチカラ任せに蹴った。
「人の顔見れば嫌味ばかり!」
「これこれ、殿の居城を蹴るとは何事か」
「あ、文荷斎様! す、すみません、つい」
「まあ見なかったことにしよう。実はいつも留守居であったワシであるが、今回の戦いでは隆広の軍監を務める事と相成った。よろしくな」
「本当ですか! 文荷斎様が!」
「まあ軍監とはいえ、そなたの戦いぶりにアレコレ言う気はないのでな。そう構える事もないぞ」
「はい!」
「さ、そなたも錬兵場に赴くがいい。大将がいるいないでは士気の上がりも違う」
隆広も錬兵場に向かった。各軍団があわただしく合戦の準備をしていた。明後日の出陣とはいえやることはたくさんある。弓隊、鉄砲隊、槍隊等の兵役の分割。軍馬の確認、各装備の点検、その他軍事物資の調達などめまぐるしい。助右衛門はそういった軍務能力に長けていたので、それは円滑に進んでいた。
「おお、御大将だ!」
「いよいよ水沢隊の本格的な初陣でございますね!」
歩み寄ってきた隆広に兵士が気合を込めて挨拶をしてきた。
「オレにかまわず、助右衛門の命に従い準備をしてくれ」
「「ハッ」」
「隆広様」
「助右衛門、軍馬と鉄砲はどれだけ確保できた?」
「はい、軍馬三百、鉄砲二百にございます」
「そうか、槍による歩兵隊と弓隊が中心になりそうだな」
「御意」
「兵役(槍隊、弓隊、騎馬隊、鉄砲隊と分ける事)は終わったのか?」
「はい、すでに今までの訓練で各兵の長所は分かってございますれば、すぐに終わりました。しかし問題は兵糧の運搬です。我らだけでは全軍の兵糧は運べませんぞ」
「そうだな…問題はそれだよな…」
「隆広様―ッ!」
慶次が走ってきた。
「おい慶次! 人にばかり仕事押し付けてドコ行っていた!」
「そう言うな助右衛門、ああいう軍務はお前の方が長けているではないか」
「まったく…で、どうした?」
「隆広様、さっき助右衛門と兵糧運搬について話したのですが、どう考えても我らだけでは手に余ります。ない袖は振れませんから他の隊から運搬兵だけ借りてまいりました」
「それはありがたい!」
慶次の手を両手で握る隆広。
「驚いたな、お前がそういう交渉事済ませてくるなんて」
「なんだァ助右衛門、そういう言い方だとオレが槍働きしか出来ない猪武者に聞こえるぞ」
「い、いや、そういう意味ではないのだが。で、どの隊から何人ほどだ?」
「佐久間隊はダメでした。『隆広に兵を貸せるか!』で、終わり」
「まあ…そうだろうな」
ショボンとする隆広。
「まあまあ、でも金森隊から五百、徳山隊から三百借りる事が出来ました。計八百です。これならば」
「ああ、十分だ」
「隆広様―ッッ!」
「お、佐吉だ」
「ハアハア、兵糧五万石、確保してきました」
「お疲れさん、五万と云うと柴田勢一万六千の兵、およそ三月分か。足りるかな」
「しかし、それ以上だと肝心の城の蓄えが」
「確かにな…小松が三月で落ちなければ負けだな」
「隆広様、心配ならば勝家様に一度報告しては?」
「そうだな、よしちょっと行ってくる。慶次と助右衛門は軍務を続けてくれ。佐吉は運搬の荷駄とそれを運ぶ馬の確保を頼む!」
「「ハッ」」
隆広は城へ向かい、勝家に報告した。勝家の傍らには隆広の軍監となった中村文荷斎もいた。
「三月か」
「はい、それ以上は北ノ庄から持っていけません。留守隊にも十分な米を残しておかなければ」
「分かった、何とか三月以内に落とそう。あとワシの忍びから報告が入った。小松の兵力であるが五千だそうだ」
「五千…こちらは一万六千とはいえ城に篭られたら手こずりそうですね…」
「また兵糧は潤っているとある。加えて加賀御殿の門徒が小松を助けるため兵を割いて出向いてくる可能性もなきにしもあらずだ。モタモタした城攻めはできん。三月と言わず短期決戦だな、お前ならどう攻めるか?」
「小松城を直接見ていないので何とも言えませんが、やはり小松を見て城の造りや周りの地形を観察して防御の薄い箇所を見出したうえの総攻めとなるでしょう。しかしそれだとこちらの犠牲も甚大です」
「ふむ…」
隆広と勝家は腕を組んで考えた。傍らの文荷斎も何とかいい智恵を出そうと思うが中々浮かばない。
「殿、それがしが以前に安土に赴いた時に大殿からいただいた言葉ですが…」
「『女子供一人でも生かしておいたら、城を落としても認めぬ』と云うアレか?」
「御意、こちらがそういう攻め気と云うのは城を守る側にも伝わるはずです。敵も当然必死に抵抗します。城攻めは本来城側が降伏してくれば許して受け入れるのが暗黙の了解となっていますのに、門徒相手ではそれは出来ない事。古来、篭城戦守備側は物資と兵糧の備えあれば十倍の敵とも互角に戦えると云われていますし、いつ加賀御殿の門徒が背後から来るとも限りません。敵に援軍が来る可能性があるうえ、我らは敵の三倍にすぎません。即座に落とす必要がございます。いささか下策ですがこういうのはどうでしょう」
「申してみよ」
「はい、一向宗門徒は上は富んでいますが、下は貧しい。だから加賀の町で米を高値で買い占めます。そして隣の能登や越中では米は安いと噂を流します。そうすると、売った金で越中や能登の米を買い、その差額で利益を得ようとするでしょう。念を押して小松城の台所番にその米ころがしで大金を得たと吹聴すれば、必ずや台所番は米を売るはずです。手に入れた金で隣国から米を買わぬうちに我が軍が包囲。兵糧はカラの状態。士気は激減。空腹で敵兵のチカラ衰えるのを数日待って、それから総攻めいたします。買占めにて失った金も城を落とせば戻りますので兵も財も我が軍は失いませぬ」
老臣の中村文荷斎は隆広の懸案にあぜんとした。
「…いい考えだが、それは却下だ」
「…やはり下策にすぎますか」
「言いたくはないがそうだ。隆広、勝つにも形がある。相手は篭城とはいえ五千、しかも武士ではない門徒だぞ。こちらは織田の精鋭で数は三倍の一万六千。それなのに何の攻撃もせずに兵糧攻めなどをしたら今後に強敵と戦う時に何とする。他の大名たちは織田北陸部隊の我らを侮り、この越前に押し寄せてこよう」
「は…」
「中々の策であるのは認める。伊丹の時のように、お前が総大将の時は使ってみるがいい。だが今回の戦の指揮官はワシである。今お前の申した策を用いれば小松を落とせるだろうが、ワシはそういう戦は好かぬ。心得ておけ」
「はい!」
「とはいえ、攻める作戦も小松を実際に見ない事にはな。だが我が軍の時間は三月しかない事はよう分かった。何とか短期で落とすよう現地で作戦を練らねばなるまい。もうよいぞ、下がれ」
「は!」
隆広が勝家の部屋を出ると、中村文荷斎が追いかけてきた。
「隆広よ」
「文荷斎様」
「気を落とすでない。本当に名案であったぞ、ワシが勝家様なら入れていた案じゃ」
「ありがとうございます」
「しかし、勝家様はああいうお人じゃ。だから人がついてくる」
「はい、立場上考えを進言しましたが、それがしもああいう殿が大好きです」
「ん、何とか柴田の戦ぶりで小松を落とそう」
「はい!」
この水沢隆広の兵糧攻めの方法を伝え聞き、実際に使ったのが羽柴秀吉である。隆広は数日の間だけ兵糧攻めにし空腹で相手のチカラを削いだうえで総攻めと考案したが、秀吉のやりようはさらに苛烈で、織田に叛旗を翻した別所長治の三木城、毛利攻めにて鳥取城を攻めた時、敵兵が死肉を食べるまで追い詰めるという残酷なものだった。
『ワシは人を殺すのは好かん』と公言している秀吉であったが、敵側にとってはむしろ鉄砲か弓矢で死んだほうがマシであったろう。『羽柴筑前は鬼みたいなヤツだ』と兵糧攻めの生還者は述懐していると云う。
しかし柴田勝家はこういう戦法は好まない。合戦前の調略等の根回しも好まない勝家。根っからの武人の勝家には戦場で戦って勝つ事こそが武士道なのである。一部の歴史家が『それが勝家の限界』とも辛らつに述べているが、そんな勝家だからこそ裏表の無い優れた者が惚れてくる。水沢隆広もその一人である。
しかし、この小松城の戦いは隆広にとってつらい事が待ち受けていたのである。