天地燃ゆ   作:越路遼介

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墓前の再会

 石田三成の祝言から数日が経った。今日は隆広の養父水沢隆家の祥月命日。隆広とさえは隆家の墓前にいた。墓参が終わると、その隣のさえの父、朝倉景鏡の墓の番である。

 水沢隆家の墓は他の柴田家中の者も訪れるが、やはり景鏡の墓参をする者はいない。さえにとっては素晴らしい父でも、やはり彼は裏切り者とされているのである。また、この墓が朝倉景鏡のものであると知っている者もあまりいない。

 だが、この日は少し違った。隆広とさえ以外に献花し、線香を上げた者がいたのである。

「誰だろう…」

「どなたでもいいです。父上の墓に墓参して下さった方がいるだけで、さえは満足です」

 と、さえはいつものように墓を清めて花を手向けた。その時だった。

 

「…姫?」

 さえは自分の事だとは思っていなかったので振り向かなかったが、隆広は振り向いた。それは農夫の老人だった。そしてさえに向かって歩いてくる。

「あなたは?」

 隆広の問いが聞こえなかったのか、それほど老人はさえの後ろ姿を凝視していた。

「さえ姫様では?」

(…え?)

 さえはやっと振り向いた。

「お、おお…! 姫!」

(姫? もしやこの御仁…朝倉の?)

 隆広がさえを見ると、さえもまた驚いて老人を見た。

「まさか…監物?」

「はい!」

 監物とさえに呼ばれた老人は涙を流してさえに平伏した。その監物の手を握るさえ。

「生きていたのですね…!」

「はい…!」

「どうしてここに…」

「はい、殿の旧領の大野郡にて帰農して百姓として暮らしておりましたが、こんな話を聞いたのです。北ノ庄の侍が殿の遺骨と遺品を回収し持ち帰ったと…! もしやと思いまして、北ノ庄中の墓地を見てまわったのです…! そしてここに殿の墓が!」

「そうだったの…よく生きていてくれましたね。でも直信は…」

「弟は姫を守れて死ねたのですから本望でございましたでしょう…! ああ、それにしても姫こそよく生きていて下さいました! さぞやあの後はお辛い目に…。う、うう」

 同じく涙を流しているさえに隆広は手拭を渡した。

「さえ、このお方は?」

「はい…父の景鏡に仕えていた老将、吉村監物にございます」

「…この方が吉村監物殿か。聞いた事がある。景鏡殿の家老で、景鏡殿の謀反を頑強に反対したと聞く。土橋信鏡と名を変えた景鏡殿からは疎まれて遠ざけられてしまったというが平泉寺の凶変のおりは命を賭けて主君の景鏡殿を守り戦ったと…。気骨ある老将として父から聞いた」

「もったいない仰せにございます。それでは貴方が…大野郡で殿の遺骨を持ち帰ったという侍ですね」

「はい、貴方が大事に思う姫の夫です。水沢隆広と申します」

「貴方が…! 水沢隆広様でございますか!」

「はい」

「なんと…! 我が殿の地を開墾して下された水沢様の奥方に…! 姫が!」

「さえ、とにかくここではなんだ。屋敷にお招きしよう。さえの知らない景鏡殿のご最期も監物殿ならご存知のはず。ゆっくり聞かせてもらってはどうだ?」

「はい、さあ監物。我が家に来て」

「ありがたき仰せにございます」

「ところで伯母上は?」

「家内なら元気にございます」

「良かった…」

 監物の妻は八重という名で、朝倉景鏡の姉である。だからさえにとっては伯母に当たる。さえの母は、彼女が幼いころに死んでしまったので、伯母の八重が母親代わりに育ててくれた。さえにとっては母親も同じである。

 よる年波と、かつての戦の古傷か、監物の歩き方は見栄えが悪かった。そしてさえはさっきに監物の手を握ったとき、あまりに手荒れがひどいのにも気付いていた。

 

「さあ着いたわ監物。あ、私はもう朝倉家宿老の姫じゃないのだから年長者に呼び捨ては失礼ね。さあ監物殿、こちらに」

「ゴホゴホッ いえいえ、そのお気持ちだけで十分です。そのまま監物とお呼び下さい。主家が滅ぼうと、監物は姫に仕えし老臣ゆえ」

「でも…」

「さえ、風呂の支度と夕餉の準備を」

「あ、はい!」

 さえは屋敷の中に入っていった。

「『わが姫を女中扱いしおって…』とお思いか? 監物殿」

「と、とんでもない!」

「顔に書いてありますよ、監物殿」

「たっははは、かないませぬな」

「さ、まずはお座りください」

 隆広は玄関の上がり場に監物を座らせ、草鞋を脱がせた。

「そ、そんなもったいない。自分でやりまするゆえ」

「『老将を尊ぶべし』、父の教えでございます。それにさえがあれほどに再会を喜んでいた。きっと幼き日のさえに優しくしてくれた方なのでしょう。それがしはさえに惚れぬいておりますので…このくらいさせていただかぬと」

「水沢の名で浮かびましたが、やはり水沢様は斉藤家の水沢隆家殿のご子息に?」

「養子でございます」

「左様でございましたか。ご立派な養父を持たれましたな。朝倉にも隆家殿の名は轟いておりました。かの朝倉宗滴公は斉藤家と共に織田信秀殿を攻めましたが、宗滴公はその際に隆家殿と会い、“楠木正成公を見た思いである”と申された。その後に主家の斉藤家が滅んだ後、朝倉家は何とか隆家殿を家臣にしたく、何度も隆家殿のおられる寺に赴いたと聞いております」

「そうだったのですか…」

「ご存知なかったのですか?」

「はい、父は昔の事はほとんど口にしませんでしたから」

「なるほど…しかし不思議な縁です。水沢様がもう十年早く生まれていたら…それがしは朝倉の将として、水沢様は織田の将として、姉川合戦を敵味方で戦っていたかもしれませぬな…」

「ですが、十年遅く生まれたおかげで、それがしはさえと夫婦になれました」

「姫も十年早く生まれていたらどうなっていた事か…。大殿の朝倉義景様は好色な方でしたから、家臣の娘に美女がいれば必ず召しだして伽を命じていましたからのう…。姫は九歳の時にはじめて大殿に目通りしましたが、『成長したらさぞや美人になるだろう』と言っておった。主君景鏡は憤慨しておりました」

「まさかそれが謀反の…?」

「ええ…ひとつの要因になったのは確かでございましょう…。殿は姫を溺愛しておいででしたから。小少将殿の事はご存知でございまするか?」

「ええ、義景殿最後の妾で当時十四歳、紫式部の千人万首に出てくる小少将のごとき美しさからそう名づけられ、義景殿はその若い肢体に溺れたと聞いています」

「そう小少将殿も元は家臣の娘、しかし大殿は姫にも目をつけておられた。ワシに『さえが十三歳になったらワシに献上するよう景鏡に伝えよ』と申す有様で…今にして思えば朝倉家は滅ぶべきして滅んだのかもしれませぬ」

 しばらくすると、さえがタライに水をはってもってきた。

「さあ監物殿、子供のころの私にしてくれたように、足を洗ってあげるからね!」

「と、と、とんでもござらぬ!」

「監物殿、さえの好きなようにさせて下さりませんか?」

「水沢様…」

 さえは監物の足を洗った。おせじにもキレイとも言えない足を。

 朝倉景鏡は周囲から主殺し、裏切り者、売国奴と罵られ続け、酒に溺れたあげくに発狂してしまった。

 娘のさえにも暴力的な態度をとりだすが、そのたびに監物がかばった。怯えるさえをギュッと抱きしめて、優しい言葉をかけてくれた老臣。それが監物だった。監物にとっては当然の忠節と思っていたのだろうが、幼い日のもっとも悲しい時に常にかばってくれた優しさを、さえが忘れるはずもない。

「さ、きれいになりました。では監物殿、我が家にお上がりください」

「ありがとうございまする…。今日の誉れ、監物生涯忘れませぬ…」

「お、大げさです。さ、湯も沸いていますよ」

 

 隆広夫婦は監物をもてなした。今はただの百姓にすぎない自分をもてなしてくれるのが監物には嬉しくてたまらなかった。そして愛する姫君が素晴らしい男児と夫婦になっていたことも嬉しかった。

 監物も隆広の噂は聞いた事があった。彼の住む越前大野も隆広は開墾したのだから当然でもあるが、村の農民たちが口々に開墾を指揮する若侍の隆広を『民を大切にしてくれるお方』と褒めていたのである。

 そして今日、彼自身がその水沢隆広に会い、噂がウソでない事を知った。二千の兵を従える大将が一農民の草鞋を脱がせてやるなど六十余年生きた彼とて聞いた事がない。姫の男を見る目は間違いなかったと心から思った。

 

 そして、今までさえも知らなかった父朝倉景鏡の最期が明らかになった。一向宗門徒勢の攻撃に彼は平泉寺に立て篭もったが、防ぎきれないと分かっていた。

 彼は愛娘さえを監物の弟である吉村直信に預けて逃がし、その翌日に一向宗門徒勢の猛攻に運命を悟り切腹したと。おおむね、さえが想像していたとおりであったが、見てきたものから聞くのとでは大違いである。景鏡は切腹し、監物が介錯した。平泉寺には火が放たれていたが、幸い景鏡の遺体に燃え移らなかった。後にその景鏡の陣羽織や鎧兜が隆広の私宅に丁重に飾られているのが証拠である。

 監物は首をもって逃げたが、武運つたなく捕らえられた。体ところどころ斬られたあげくに、主君景鏡の首も取られてしまった。

 彼は門徒と共に平泉寺を攻めていた旧朝倉領の一揆衆に命を助けられていた。彼らは景鏡の治めていた大野郡の民ではなく、朝倉本家の一乗谷周辺の民であったが、吉村監物は民に優しい武将だったので本家の領民にも人望があった。一揆衆は門徒たちに監物を討ったと虚偽の報告をして、そのまま手負いの監物を運んで平泉寺から立ち去り、大野郡の集落で匿われていた彼の妻の元に連れて行った。回復した彼は切腹をしようとするが妻に『せめて姫のご無事なところを見るまでは』と止められ、以後は帰農した。

 しかし生活は貧しかった。朝倉氏のあとに越前入りした柴田勝家は一向宗門徒との戦いに追われ、内政に割く資金も時間も、そして全面的に内政を委ねるに足る臣下がいなかった。

 朝倉景鏡の元領地である大野郡もその例外ではなく、加えて凶作も続いたので監物と妻の八重の暮らしは困窮を極めた。彼らには息子もいたが、彼は景鏡ではなく、本家の朝倉義景に仕えており、あの織田の猛攻である『刀禰坂の戦い』で左腕を失い、また左足の指は全部なで斬りにされ、大事な腱を切られてしまい歩行にも支障がある。生活のほとんど父母に頼りきりの自分に嫌気がさして酒に溺れた。監物は妻子と苦しい生活を送っていた。

 そんなある日に優秀な行政官が越前大野の地にやってきた。水沢隆広である。彼の陣頭指揮とその部下の兵たちにより、大野郡の開墾が進められた。

 暮らしが楽になるかもしれぬと、監物も割り当てられた仕事に全力を注いでいた。そしてふと聞いた。開墾の現場に来ていた北ノ庄の侍が、旧領主の景鏡の遺品を捜していたと。無論、監物は何も持っていない。だが他の景鏡を慕う領民が平泉寺から戦の後に持ち去っており、それをその侍に献上したと聞いた。

 監物はいてもたってもいられずに、不自由な体で北ノ庄にやってきた。そして見つけた。主君の墓を。そしてきれいに掃き清められ、献花もされている事とに感激した。誰が…と思い、ずっと墓地で主君の墓を墓参する者を待ち続けた。待つこと二日、彼は見つけたのである。大切な姫を。

「そうだったのですか…」

 監物の長い話が終わった。さえはずっと聞き入っていた。無論、隆広も。

「はい…そして今日、姫が素晴らしい婿殿と巡り合い、幸せに暮らしているのを見ることができて…もはやそれがしごときが心配する必要もございませぬ。景鏡様も喜んでおいででしょう…」

 話し疲れたか、監物はさえと隆広の前でウトウトとし、そのまま眠ってしまった。

「お疲れだったようだ。さえ、寝具の用意はできているか?」

「はい」

「よし、お運びしよう」

 隆広が監物を抱き上げて、別室にしいてあった蒲団に寝かせた。満足そうに眠る旧臣を見つめ、さえは蒲団をかぶせ、灯を消して部屋を出た。

 

「さて、さえ。オレは少し仕事があるから書斎に行く。今日は先に寝ていなさい」

「あ、はい」

「おやすみ…(チュッ)」

 口付けをして、二人は廊下で別れた。

 

 先日に源吾郎に依頼した柴田家軍資金調達係の長の人選。後に『商人司』と云う名称の機関になるが、その長となりうる力量の持ち主数人を源吾郎は候補にあげ、一人一人の能力と経歴を細かく記して隆広に提出した。

 長の候補だけではなくその手足となって働ける者たちの分まで調べて提出したから、相当量での報告書である。隆広は書斎でそれを細かく読み、それに伴う資料に眼を通していた。

「う~ん、源吾郎殿の見込みでは三十人から四十人は必要か…。となると給金は…」

 と、算盤をパチパチと隆広は弾いていた。で、その時。

「お前さま…」

 書斎の外でさえが呼んだ。

「なんだ? 先に寝ていろと…」

「お話があるのです。お仕事中申し訳ありませんが入ってよいですか?」

「…さえに閉じる戸をオレは持っていないよ。お入り」

「はい」

 さえが入ってきた。隆広は算盤と帳面を置いた。

「なんだ?」

「はい…あの…」

「…何も言わなくてもいい。分かっている」

「…え?」

「『監物殿を召抱えて欲しい』だろ?」

「え…!」

 なんで分かったんだろう。さえは驚いた。

「そのかわいい顔に書いてある。分かりやすいなァ、さえは」

「んもう! からかわないで下さい。さえは真剣なのですから!」

「ははは、悪い悪い。だけど監物殿を召抱えるのは、愛しいさえのためだけじゃない。オレのためでもある。言うまでもないがオレはまだ越前に来てから短い。まだこの土地で知らない事が多すぎる。この越前の気候や風土、慣例、風俗、伝承、歴史など知らぬ事だらけだ。監物殿ならばすべて知っていると思うが…どうか?」

「はい、子供のころ、よく越前の昔話を聞かせてもらいましたもの」

「だろう? それに名将である朝倉宗滴公の事もよく存じているようだ。宗滴公の話をぜひ伺いたい」

「お前さま…」

「だが…あのお体と年齢では戦場や開墾や普請の現場には連れて行けない。それは理解してくれるか?」

「はい、我が家の家令(忠実で賢い下僕)として…召抱えて下さいますれば」

「だったら奥さんにも来てもらわないとな」

「い、いいんですか?」

「さえの母上みたいな人だったのだろう? ならばオレにも母上と同じだ」

「お前さま…大好き…!」

 泣き虫がまた爆発してしまった。

「分かっている」

「んもう!」

「それじゃ明日にでも二人でそれを監物殿に言うとしよう」

「はい」

「ところで一つ質問だが…」

「なんです?」

「朝倉本家には名勘定方と言われた吉村直賢(なおまさ)と云う人物がいた。同じ吉村姓、もしや…」

「はい、監物の息子です。しかし…」

「うむ…『刀禰坂の戦い』の戦いで左腕が斬られ、左足の自由もなくなったと言っていたな。織田を恨んでいるだろうな…」

「おそらく…。伯母上は召出しに応じてくれるでしょうが、直賢殿は無理と…」

「ふむ…」

 隆広はさっきまで見ていた源吾郎の報告書をさえに見せた。

「よろしいのですか?」

「うん、読んでみるがいい」

「はい」

 そこには、吉村直賢の人物と能力、そして今の生活の現状が書かれていた。監物の言葉と一致している。

「前に話したな。柴田家中に商人集団を作りたいと。民からの搾取だけで国費を賄う時代は終わらせて、柴田家自らが軍資金を稼がなくてはならないと」

「はい、聞きました」

「オレは…その長に直賢殿を考えている。他の長の候補は越前育ちではない。他国だから雇わぬと云うわけではないが、さっきも言ったようにその土地に明るいものが長になってくれれば頼りになるからな…」

「ですがお前さま…直賢殿は現在ほとんどヤケになっている毎日と…」

「そんなものは働き場所とやりがいを得ればなくなる。思慮に欠けた言い草かもしれないが、オレが必要なのは名勘定方と呼ばれた直賢殿の持つ算術技能だ。左腕がなく、左足が不自由でも任務遂行は可能だ。源吾郎殿の報告では彼は敦賀港流通もやっていたとの事。弁舌に長けているそうだし、かつ主君義景殿の浪費に毅然と諫言を言ったほどに胆力もあると評している。今は時勢に乗り遅れてヤケになっているだけ。よみがえらせれば大化けするかもしれないぞ」

「織田を恨んでいる、と云う点はどうなさいます…?」

「問題はそれだ。だが説得する自信はある。明日に監物殿を大野にお送りして、会ってみるつもりだ。さえも来るか?」

「はい!」

「よし、ではそろそろ寝るか。明日は忙しいぞ。でもその前に」

「その前に?」

「子作りしよう」

「んもう…先に寝てろと言っといて…(ポッ)」

 

 翌日、隆広とさえは大野郡に向かった。無論、監物を連れてである。隆広の愛馬の上で監物は畏まっていた。

「一農民が水沢様の馬に乗り、かつクツワを取らせているなんて…」

「一農民ではありませんよ監物。貴方は我が家の大切な家令ではないですか」

「姫様…う、ううう…」

 監物は水沢家の家令になることを承諾した。最初はとまどったが、やはり主君の側で仕えたいと云う気持ちはあり、そして監物は隆広を若いながらも将器を持つと見込んだ。そんな彼に仕えられるのは老将として誉れでもあった。

「まあ、これからこき使う事になるのだから、そんなに恐縮する事はないよ。案外さえは人使い荒いかもしれないぞ」

「んもう、お前さまったら」

「たっははは、かないませぬな。だが、喜んでこき使われますぞ、殿様、奥方様」

「さえを筆頭の女衆の補佐は無論、ウチの家に番兵として交代で来る連中は、オレと年の変わらない若い兵士ばかりだから彼らの監督も任せるよ。小言口兵衛(口うるさい年長者)となり、せいぜい煙たがれてくれ」

「分かりました。全力を出してイヤなガンコ親父となりましょう。無論、殿様に対しても」

「たっははは、かないませぬな」

「クスッ…お前さま、全然似ていませんよ」

「そうかァ? あははは」

 

「しかし…殿様の使う忍びは相当な情報収集力を持っておいでです。よもや世捨て人同然のセガレにまで手が及ぶなんて…」

「ああ、養父隆家が鍛え上げた忍者衆だからなァ。で…そんなにヤケッパチな日々を?」

「はい。妻にも去られてしまい、加えて不自由な体でございます。ワシも家内も無理はないと…」

「細君はどこの方で?」

「萩原宗俊殿の姫御で、絹と云います」

「萩原宗俊殿といえば、主君宗滴公の話をまとめた『朝倉宗滴話記』を書いた人物…。その娘さんが奥さんだったのか…。現在の居場所は?」

「分かりませぬ…。農民の暮らしになったにも関わらず、グチ一つこぼさずセガレに連れ添ってくれた優しい娘だったのに、ヤケになったセガレは絹を罵倒したり殴ったりしました。ワシと家内が止めても聞く耳もたず…。そしてとうとう堪えきれず家を出て…ぐすっ」

「そうか…」

「辛い話ね…。でもお前さま、昔はそんな方じゃなかった。お前さまのように決してワイロも受け取ろうとしなかった潔白な人物で、煙たがりながらも義景様の信認は厚かったと聞いています。時勢がそうさせたのでしょう…」

「ちがうな、さえ」

「え?」

「そんなものは言い訳に過ぎない。世の中体が不自由でも立派な人物はいくらでもいる。大友家の名将、戸次鑑連(立花道雪)殿など、落雷により下半身不随となったのに、その用兵ぶりは達人で、九州の大名を震え上がらせている。家臣の使い方も上手く戦場で部下たちは嬉々として主君の乗る輿を担ぐという。このように体が不自由でも敵には畏怖を、味方には信頼と尊敬を得る方もいるのだ。直賢殿の所業は卑怯者だ」

「お、お前さま言い過ぎです!」

「いえ姫、殿様の申すとおりです。セガレは卑怯者です」

「監物…」

「だが…」

 隆広はニッと笑った。

「だからこそ、さえ。化けさせがいがあるってものさ」

「ありがとうございます…殿様」

 

 やがて一行は監物の家に到着した。監物の妻の八重が戸口に出てきた。そして夫と共にいる少女を見て驚き、そして泣いた。

「ひ、姫様!」

「ああ! 伯母上! おなつかしゅう!」

 さえと八重は抱き合った。

「よくぞご無事で…!」

「伯母上も…!」

 

 そんな感動の再会の場面に涙ぐむ隆広の耳に、監物の怒号が轟いた。家の奥で怒鳴っているようだ。

「キサマッ! また昼間から酒を飲んでおるな!」

「うるさいな」

 ヤケクソじみた小さい反論も聞こえた。

「ああ、なんと情けない! こんな晴れの日に!」

「晴れェ? 何云っている。曇りじゃねえか。とうとうボケたか?」

 武家の男が父親に対して信じられない言動である。

「天気のことではないわ! 我が主君、景鏡様の姫が婿と共に来て下されたのだぞ!」

「あっははは、そうか、裏切り者の娘が食うに困って旧臣を訪ねてきたのかァ? しかも亭主を連れてとはなァ。あっはははは」

 その言葉はさえにも届いた。

「……」

 感動の対面から、父の悪口で一気に悲しくなったさえ。

「弥吉(直賢の幼名)! 姫になんてこと言うの! あやまりなさい!」

 母の八重は激怒して、息子を叩いた。

「はいはい、ごめんなさい」

 ドンブリに酒を注いで、一気にグイと飲む直賢。

「ああ…! なんて情けない! そんな弱い子に育てた覚えはないわよ!」

 母の叱咤もどこ吹く風でヘラヘラ笑う直賢。

「おぬしはどうやら酒の飲み方を知らぬらしいな」

「なんだおめえは?」

「人に名前を尋ねるなら、まず自分から名乗れ。そんな礼儀を知らぬヤツが金庫番をしていたから朝倉は滅んだんだ」

「ああそうかもな」

 怒りさえ忘れたか…隆広はなかば呆れたが、ますますやる気を出してきた。

「まあいい、オレから名乗ろう。柴田家侍大将、水沢隆広だ」

「ああそう」

「なんだ、てっきり織田の家臣と聞いて噛み付いてくると思ったがな。どうやらそんな気概もなくしたか」

「ふん…」

「用件だけ言おう、お前の父母は今日からオレに仕える。お前ごとき穀潰しの面倒を見るよりはるかに充実した日々を提供する。異存ないな」

「勝手にさらせ」

 

「お前さま、姫の夫に仕えるとは…?」

「ああ、今朝に姫から申し出てくれて…勝手ですまないがお話をお受けした。姫は母も同然だったお前もと望み…今こうして自ら迎えに来て下されたのじゃ…」

「そうでしたか…」

「伯母上…お願いします。私と一緒に…」

「お話は嬉しいのですが…あんな状態の弥吉を…」

「行けばいいだろ。オレはここで飢え死にして死ぬよ」

「弥吉! なにその言い方は!」

「ふん、さすがは裏切り者景鏡の姉夫婦だ。越前を攻め滅ぼした織田に尻尾をふるか。親が親なら娘も娘だな。朝倉家宿老の姫の誇りも捨てて、信長の家来の家来の女房になりやがった。あっはははははッ!」

「ひ、ひどい…!」

 

 ドンッ

 

 その刹那、隆広は直賢のアゴを掴み、そのまま壁に叩き付けた。

「…ぐっ」

「元朝倉の家臣。織田への恨みは骨髄まで至っているだろう。だからオレの事は無論、大殿や殿の悪口を言っても我慢するつもりでいた。だが…!」

 隆広は脇差を抜いた。

「妻を…さえを景鏡殿の名をもって侮辱するヤツは許さない!」

「なら斬れ! こんなオレ生きていたって仕方ねえ!」

「そうか…なら斬る前に伝えておこう。お前の女房だった絹、それは監物殿より先に召抱えた」

 

「…?」

「姫様?」

 八重がさえを見た。さえは知らないと首を振った。

「静かに…! 殿様には何か考えがあるようじゃ」

(そういう事か…)

 隆広は監物に直賢の妻の事を少し詳しく聞いてきた。その理由が今分かった。

「絹を…!?」

「ああ、オレはさえのような同年代の女も好きだが、脂の乗った年上の女も好きなんだ。侍女として雇ったが、中々いい肢体だ。側室にしたぞ」

「…ふ、ふざけるな…!」

「何を怒っている? 追い出したのはお前だろうが? 絹は閨が終わると言っていたぞ。前の亭主は腑抜けだったとな」

「うそだ!」

「ウソじゃない、腑抜けが!」

「キ、キッサマァァ―ッッ!」

 直賢は右手で思い切り隆広を殴った。そして体が自由になると、立てかけてあったクワを持ち隆広にかかっていった。

「ブッ殺す!」

「面白い! かかってこい!」

 隆広は脇差を置き、直賢の振り下ろしたクワの柄を掴んで取り上げた。そして

 

 ゴンッ

 

 直賢の顔面を思い切り殴打した。たまらず直賢は吹っ飛んだが、すぐに立ち上がり隆広に殴りかかった。

「こういう事だったのね…」

 さえは感心したように笑った。

「はい、セガレを怒らせるために…」

「怒る弥吉を見るなんて…何年ぶりか…」

 八重は涙ぐんだ。

 

 だがここ数年の酒びたりがたたり、すぐに直賢は息を切らせた。ふるった拳も弱弱しい。

「ハアハア…」

 ポリポリ、直賢のゲンコツが当たったアゴを隆広はくすぐったそうに掻いていた。

「若僧が…」

「水沢隆広だ」

「ふん…」

 直賢はあぐらをかいて座った。

「吉村直賢である」

 直賢はやっと名乗った。そして何かスッキリしたような顔だった。




今さらですが、我らがヒロインさえが朝倉景鏡の娘と云うのは本作のオリジナル設定です。原作ゲームでは、まったく氏素性不明ですが、我ながら景鏡さんの娘としたのはよい思いつきと思っていたりします。

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