天地燃ゆ   作:越路遼介

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ここから、隆広が柴田家に仕官する話に時間が戻ります。そして、ついに我らがヒロイン、さえが登場です。


父の死

 織田信長は琵琶湖の南のほとり、壮大な巨城を作った。その名は安土城。華麗な絵画装飾を施した五層七重の天守、いや天主を頂く安土城。戦国期における最大の城と言っていいだろう。まさに戦国の覇者である信長に相応しい城である。

 その安土の城から北、北近江を越えた越前の国、ここに織田軍最強の軍団長である柴田勝家の居城『北ノ庄城』があった。

 北ノ庄城は先年の天正二年、越前一向一揆を平定した柴田勝家が許されて築きあげた城である。越前八郡五十万石と織田家でも最大の知行を得て、かつ浅井長政の死後に未亡人となっていた主君信長の妹の『お市の方』を妻にもらうなど実力者に相応しい城と城下町に形成されつつあった。

 足羽(あすわ)川を天然の外濠として築城された北ノ庄城は、数年後には九層と云う大天守閣を持ち二の丸、三の丸も配置された巨大城郭ともなるが、今はまだ城も城下町も創造期にあった。

 

「ここが北ノ庄ですか、父上」

「ああ、ようやく着いたな」

 一人の若侍と、僧侶の男が北ノ庄の城下町を歩いていた。若侍は元服を終えたばかりと思える幼さが残るが、城下町を歩く若い娘たちがポッと顔を赤らめるほどの美男であった。もっとも本人はそんなことに全然気づいてはいないが。

 そして一緒に歩く僧侶の男。剃髪して丸坊主であり、体躯は六尺はある大男で法名は長庵と号していた。元は名のある武将である。武人の威厳と貫禄は僧門に入っても衰えず、微笑みながら歩いていても威圧感は十分であった。城下町を歩く博徒やならず者が道を開けるほどである。

 だが子供や女には安心を与えるような、そんな雰囲気を持っていた。鞠で遊んでいた女童が誤って長庵の足元に鞠を転がしてしまったが、彼は女童の視線に腰を落とし、優しく微笑んで鞠を返した。

 

「隆広、おぬし北ノ庄を今見てどう思った?」

「はい、正直に申し上げますと織田家筆頭家老である柴田様のご領地としては、あまり賑わってはいない感じを受けます」

「ふむ、よく見ているな。わしもそう思う。そなたと諸国漫遊して良かったのう」

「はい!」

 若侍の名前は、水沢隆広。この日、彼は養父長庵に連れられ北ノ庄にやってきた。

 

 長庵は、あの斉藤道三と織田信長が会見したと云われている正徳寺の僧侶である。名僧と知られているが、元は斉藤家に仕え、織田家にもその名を轟かせ、そして震え上がらせた名将でもあった。武士名は水沢隆家と云う。

『美濃の蝮』と呼ばれた斉藤道三と竹馬の友であり、あの道三が一介の浪人から下剋上で美濃の当主と成りえたのは水沢隆家の補佐あっての事だった。

 軍略を極めた道三と隆家あって先の美濃の守護大名土岐氏も打ち破り、ついに美濃の国主ともなった斉藤道三。斉藤家は精強を誇り、あの織田信長さえ幾度も敗戦を余儀なくされた。

 梟雄道三と共に下剋上を成し遂げた彼は、美濃領内の内政を道三から任されると、主君の悪名を領民から払拭するのを願うかのように仁政をひいた。

一般にあまり知られていないが、この日本で初めて『税金なしでどこでも自由に露店が開けるようにする法令』つまり『楽市楽座』を実行したのは隆家である。

 これにより美濃の町は商業的に大きく発展していくことになり、美濃当主となって数年で領民が道三に抱く恐れは無くなっていったという。

 梟雄道三の右腕でありながらも、隆家は当時としては馬鹿がつくほどに清廉潔白な人柄で賄賂一つ受け取らなかった人物だった。ゆえに道三や安藤守就、稲葉一鉄らの幹部たちからの信任も厚く、後に今孔明と呼ばれる竹中半兵衛も心酔し、心の師と尊敬していた人物でもあった。

 

 だが道三、次代義龍が死に、三代龍興の時代には斉藤家は徐々に衰退していくが、それでも織田家にとり水沢隆家の軍才は脅威であった。ついには信長に『隆家と戦わずに美濃を落とすしかない』と言わしめ、調略により斉藤家の内部分裂を促し、直接隆家とは戦わずに美濃の稲葉山城を落としたのだった。

 信長は隆家の軍才を惜しみ登用を試みるが隆家はそれを固辞し出家して長庵を名乗り、美濃正徳寺の僧侶となった。

 

 このころ、彼には養子がいた。稲葉山落城の数年前、ある女が生まれたばかりの赤子を連れて隆家の屋敷に訪れ、そして赤子の養育を必死に願った。隆家は心動かし、それを引き受けた。隆家はその男子に自分の幼名『竜之介』の名を与え、厳しくも温かく育てていった。

 長庵は養子の竜之介が十二歳になると、共に諸国漫遊の旅に出た。本当は息子一人に旅をさせたかったのだろうが、十二歳の少年にそれは無理な話である。だから一緒に旅をした。

 彼が息子と諸国漫遊をしようと決めたのは、あの史記の作者である司馬遷の父、司馬談が息子に命じた旅にならっての事である。司馬遷のように一人だけの旅とはいかなかったが親子は時に路銀を稼ぎながら旅をして、関東、東海、畿内を見てまわった。後に名将と呼ばれる水沢隆広の資質の一つにはこの旅で培われたものもあるかもしれない。

 旅を終えて美濃に戻った竜之介は見違えるほどにたくましくなっていた。まだ十五歳になったばかりだが、父の薫陶や旅での経験が、彼の姿をそうさせた。

 そして長庵は竜之介の元服を認めて、自分が武士だったころの名前である『隆家』から一字を与え、かつ広く大きな男となれと云う意味を込めて『隆広』と云う名前を与えた。

 そして、父より『水沢隆広』の名を与えられた数日後、父の長庵は

「越前に行くから一緒に来い」

 と言ってきた。軽い旅装を整えていると、

「お前はもう美濃に戻らぬ。書や茶器も、そして武具も残らず持って来い」

 と言った。長い漫遊の旅から帰って来たと思えば、今度は生まれ故郷に戻らぬ越前への旅。父の意図が分からなかったものの、隆広は黙って旅装を整え、父と共に越前、北ノ庄にやってきた。

 

「ではなぜ、織田家筆頭家老の領地に活気がないのと見るか?」

「はい、おそらくは一向宗門徒の影響かと。この越前の隣国加賀の国は一向宗門徒が守護職の富樫氏から乗っ取った国。城も小松城、尾山城、鳥越城と石山本願寺の支城がございますれば、この地に教徒は多いことは察せられます。柴田殿はその鎮圧に頭を悩ませ、内政にまでチカラが及ばないのでしょう。軍備もかさみますから、領民に高い税を強いるしかないと思います」

「ふむ、あとは?」

「柴田殿の部下の性質もあるやもしれません。前田利家様、佐々成政様、佐久間盛政様、可児才蔵様は戦場の陣頭に立つ猛将としては一流かもしれませぬが、内政に長けていると聞き及んだことはございません。領内の治安と発展を要所高所から見る人材に不足しているのでは?」

「お前ならば、どう解決する?」

「敦賀港が領地内にあるのですから、私なら流通、交易にて富の上昇を考えます。年貢による搾取を減らせば、民は豊かになり、国も富みます。それで軍備を整えれば、一向宗門徒も攻め込むに二の足を踏むかと」

「そうか」

 前を歩く父はそれ以上言わなかった。今の自分の答えが合格なのか隆広には分からない。

「父上ならば?」

「ん? お前と同じだ」

 父は笑ってそう答えた。

「そんなぁ、教えて下さい!」

「本当にお前と同意見だよ。はっははははは」

 隆広が言った事は、別に感嘆するような内容ではない。すでにやっているものがいるのである。織田家の当主の信長がやっていることなのであるから。琵琶湖の水上流通で信長が得た富ははかりしれない。隆広はその信長のやっていることを、そのまま言っただけである。

 北ノ庄城の城下町は、滅ぼした朝倉氏の各城下町の民家や寺院を移転させて始まった町である。まだ新領主勝家に対する拒否反応もあったかもしれない。それも城下の活気の無さの要因の一つだろう。

 後にこの北ノ庄城の城下は道路と橋の整備も行き届き、特定地域の楽市楽座も導入され、治安もよく、北陸屈指の一大商業の町とも発展するのであるが、それに到達するには後に現れる優れた若き行政官の登場を待つしかなかったのである。

 

「おそらくは柴田殿も、安土城と同じように自国の領土を発展させたいと考えているはずだ」

「はい」

「隆広」

「はい」

「我々が向かうのはあそこだ」

「え?」

 それは城下町の向こうに堂々と立つ城だった。

「北ノ庄城?」

「そうだ」

「父上、北ノ庄城に何を?」

「わしじゃない、お前だ」

「それがしが?」

 と、隆広が言ったときである。兵士が数人城下町を駆けてきた。

 

「道を開けよ―ッ!」

「道を開けよ―ッ 殿の出陣じゃあ―ッッ!」

 

「噂をすれば…どうやら一向宗門徒の鎮圧に行くようだな」

「一向宗はあまりに大きくなりすぎました。過激信者の中から『独立して一向宗の国を作ろう』と云う動きが出始め、そしてとうとう加賀の国を乗っ取ってしまった。この上、越前まで」

「越前は、朝倉の時代にも三十万の門徒に攻められている。一向宗に限らず、敵に対して一番の良策は戦わずに味方につけることなのだが、それは永遠に不可能とも思える」

 しばらくして柴田勝家率いる軍勢が北ノ庄の城下町を駆けてきた。領主の出陣である。領民たちは道の端で平伏した。隆広と長庵もまた平伏した。

 自分の前を騎馬隊が堂々と走りすぎていく。そして勝家本隊がやってきた。勝家様だと周りの領民が言っていたので、隆広は顔を上げた。勝家は隆広の視線に気づかず、そのまま通り過ぎていった。

「あれが柴田勝家様か…」

「どうだ?」

「え?」

「柴田勝家をどう見た?」

「そうですね。まさに戦場の猛将と云う印象を受けました。全身から威圧と貫禄を感じます」

「そうか」

 そして柴田勝家隊が、北ノ庄城から出ようとした時だった。

 

 ダーンッ! ダーンッッ!

 

 北ノ庄の城下町に一向宗門徒が潜み、柴田勢の陣列に鉄砲で攻撃を開始したのである!

 

 ダーンッッ! ダーンッッ!

 

「勝家を狙え―ッッ!」

「越前も我ら一向宗のものとするのじゃあ!」

 突如に襲われ、柴田勢は大混乱である。鉄砲を撃つ者は、北ノ庄の領民たちもいた。門徒たちにそそのかされ、敵である門徒を城下町にいれ、そして領主にキバを剥いたのである。

 領内の村で一向一揆が発生したならば、勝家は出陣するしかない。それを狙われたのである。勝家が率いていた軍勢は八千ほどであるが、その伸びた隊列の横腹を衝かれた形となった。このように、一向一揆はどこで起きるか分からない。昨日まで善良だった民が、宗教と云う魔物に魅せられ、そして牙を剥いてくるのである。突如に門徒の襲撃が城下町で発生して大混乱となった。逃げ惑う領民たち。長庵と隆広も身を守っていた。

 しかし、さきほど長庵に鞠を返してもらった女童が人込みに押されて倒れた。幼い体に容赦なく逃げ惑う人々の足が踏みつけられる。

「痛い、痛いよ!」

 と泣き叫ぶ声に長庵は気付いて急ぎ駆け寄り、抱き上げた。

「もう大丈夫だぞ」

「おじちゃん…」

「おう、可愛そうに、こんなめんこい顔が傷だらけだ」

 長庵は手拭で女童の顔を拭った、その時だった。

 

 ダーンッッ!

 

「ぐあッッ!」

「父上!」

「おじちゃん!」

「ぐうう…」

「ち、父上――ッッ!」

「な、流れ弾に当たったか! ワシとしたことが!」

 弾丸は左胸を貫通し、血を噴出させている。

 

「父上! 父上!」

「よ、よいか隆広」

「しゃべってはなりません!」

「いいから聞け! 良いか。この書状を柴田勝家殿に渡すのじゃ」

「柴田様に?」

「そして、もう一つ。いつでもいい、美濃の藤林山に木こりとして暮らす銅蔵と云う男に会い、わしの死を伝えよ。分かったな」

「藤林山の銅蔵殿ですね! 分かりました!」

「隆広…」

「はい…ッ!」

「わしは若くして妻を失い…後添えももらわなかったので子もおらなかったが…お前と云う素晴らしい息子を委ねられて本当に幸せじゃった。辛い修行ばかり課すわしを憎んだ事もあったろう…許せ…」

「憎んだ事などありませぬ! 父上!」

「さらばだ…我が誇り…水沢隆広…む…すこ…よ」

 長庵こと、元美濃斉藤家の名将、水沢隆家は静かに目を閉じた。

「父上――ッッ!」

「おじちゃん、おじちゃん!」

 隆広と女童は長庵に亡骸にすがって泣いた。そこに一人の少女が駆けてきた。

「お気の毒に…」

「…近くに寺はありますか?」

「ええ、ここから西へ行くとすぐに」

「そうですか、すいません。しばらく父の遺骸をお願いできますか?」

「え?」

「おにいちゃん、なにするの…?」

 隆広は長庵が助けた女童の頭を優しく撫でて言った。

「敵討ちさ」

 隆広は刀の鯉口を切った。

「あ、あなたまさか!」

「お頼みします!」

 隆広は疾風のごとく駆けた。

「許さんぞ! 門徒ども!」

 

 諸国を漫遊し、鍛え上げた足腰。そして剣の腕は免許皆伝に至らずとも、剣聖の上泉信綱直伝。かつ旅の途中何度か夜盗にも襲われたこともあり、隆広には人を斬った経験はあった。

 

 ズバズバズバッッ!

 

「ぐあああッッ!」

「なんだこのガキ!」

「仏敵め! 我ら一向宗門徒に歯向かう気か!」

 

「だまれ! 罪なき一僧侶の我が父をキサマらよくも殺してくれたな!」

 今まで身につけた教養すべてが吹き飛んだ。それほどに隆広は激怒していた。しかし…

 

「仏敵―ッッ!」

 と鉄砲を向けられた時であった。隆広は一足飛びで敵に迫り、刀で鉄砲を叩き飛ばした。そして斬ろうとした瞬間、我に返った。そこには隆広に怯える娘が立っていただけだったからだ。

(たとえ敵でも、親の仇ほどに憎くても女子を殺してはならぬ。女子は国の根本。愛しみ、守るのが武士の務めであるのだ)

 父の言葉が脳裏をよぎった。女に対して人一倍不器用だった父が残した言葉ゆえに重みがあった。その父もまた名もない女童を助けて、たった今逝ったばかり。隆広は刀を持ったまま、立ち尽くした。

 娘が隆広から逃げようとした次の瞬間!

 

 ドスッッ!

 

「あぐッ!」

「な…ッ!?」

「…ふん」

 背中から槍で一突きされ、そして娘は絶命した。

「なんてことを! もはや抵抗もせぬ娘を後ろから突き殺すとは!」

「せっかくの新陰流が泣く。甘い男だ」

「なに…?」

「そう、お前の言うとおり、女子は殺すのではなく愛でるもの。だが覚えておくのだな。一向宗門徒に対しては女子供もない。やらなければやられるのだ、ヤツラ自らその信仰を捨てない限り、たとえ戦いに敗れようと国が滅びようと、ヤツラが屈服することは絶対にありえぬのだ! だから駆逐せねばならぬ! 分かったな、新陰流の小僧!」

「小僧じゃない! オレには水沢隆広と云う父からもらった大切な名がある!」

「水沢…隆…?」

 隆広の前に現れた武将は隆広の刀さばきで、上泉信綱より習った『新陰流』と見抜くほどの武に長けた武将。そして隆広の言った『水沢姓』にも覚えがあるようだった。

「そうか、オレは可児才蔵だ」

「あ、あなたが可児才蔵様?」

「『様』なんてガラじゃない。それよりキサマ、いや水沢であったな。何があって一向宗門徒に斬り込んだかは知らぬが、旅の剣客が首を突っ込む事ではない。邪魔だ」

「そうはいきません、父はヤツラに殺されたのだから」

「なに…?」

「父はこいつらの鉄砲の流れ弾で!」

「…そうか、惜しいお方を…」

「…え?」

「…なんでもない。そんなことよりお前、その父上の亡骸を置いて戦っているのか? それこそ子として不孝。誰が鉄砲を撃ったのかも分からない状況で、やみくもに門徒を斬って報復するのは愚の骨頂である。そんなことより弔いのほうが先決であろう」

 才蔵の言葉に少し頭も冷えてきた隆広。刀をサヤに納めた。

「分かりました、ご武運を」

 

 隆広は自分の目の前で殺された娘を抱きかかえて、その場を去った。共に弔うつもりなのだろう。

「何にも分かっておらぬではないか」

 才蔵は苦笑し、再び一向宗門徒たちに槍をもって突撃していく。数刻後に一向宗門徒は北ノ庄より敗走していった。こんな小競り合いを何度続けなければならないのか、才蔵は戦いに勝っても、胸中には虚しさがよぎった。

 

 さきほどに父の遺骸を預けた娘は、隆広を待たずに町の者と協力して長庵の遺骸を寺に運んで行った。

「ありがとうございます。見ず知らずの方にここまでしていただけるとは、お礼の言葉もありません」

「よいのです。困ったときはお互い様ですもの、で、その娘は?」

「門徒でしたが…ゆえあって私の目の前で突き殺されました。野ざらしも哀れと思い…」

「そうですか…あなたはお優しい方なのですね」

 少女は娘の衣服を整え、手を合わせた。隆広も合掌した。少女は片目を開けて隆広をチラと見る。美男の顔立ちであるが、それ以上に隆広の面構えに少女の胸が少しときめいた。

 幼い頃から名将と呼ばれた父の薫陶を叩き込まれ、三年に及ぶ諸国の旅に武道の修行。隆広の顔は美男と言っても年齢以上に雰囲気と貫禄を持った面構えをしていたのだった。

(何と立派な顔立ち…)

 

 長庵に助けられた女童と、その母親が隆広に歩み寄り、隆広に平伏した。

「事情は娘から聞きました。何とお詫びすれば良いのか…」

「いえ、それには及びません。お顔をあげて下さい」

「お武家さま…」

「父は女子を大切にする人でした。ご息女を助けたことを後悔しているはずがございません」

「おにいちゃん…」

「まだ踏まれた傷が残っているね。じっくり治すんだよ」

「うん…」

 

 寺の僧侶の読経を隆広と女童とその母親は合掌しながら静かに聴いた。

「父上、今までお育てして下さり、ありがとうございます。ご恩は一生忘れません」

 亡父を弔う隆広の背を、少女は飽きることなく見つめていた。読経が終わり、僧侶がお堂から出てきた。

「この寺にて、責任をもって埋葬させていただきます」

「ありがとうございます」

「親の死は、何より辛いもの。だがその悲しみを引きずるのは親の本意にあらず。前を向いていきなされ」

「お言葉、ありがたく頂戴します」

 隆広は父の位牌だけ僧侶から受け取った。少女はまだそこにいた。

「立派なお父様だったのですね」

「え?」

「あなたを見れば分かります」

「ありがとう、父も貴方の言葉を聞いて喜んでおります。あ、失礼しました。それがしの名前は水沢隆広と申します。後ほどお礼に伺いたいので、よければお名前を」

「いえお礼なんて」

「いや、そういうわけには」

「私の名前は、さえ。さえと申します。ではこれで!」

「あ、さえ殿!」

 さえは隆広の前から走り去った。

「さえ殿か、いい名前だ。美しいし、何より心が優しい。男と生まれたからには彼女のような女子を妻にしたいものだ…」


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