「城内の兵士から内応に答える返書が矢文で届いた。今日にでも兵糧庫を焼くと言っている」
「「おおお~」」
織田信忠の手元には、松永方の兵士から密書が届いていた。内容は先日に射た矢文の返事だった。兵士たちも最初は久秀様のために戦おうと考えていた。久秀は裏切りも平気でやるし、他に悪逆の限りも尽くしている。だが部下はついていった。
しかし今回織田方が投じた一石、『味方の将兵より茶器の方を惜しんだ』と云う話は末端の兵士たちを深刻なまでに落胆させた。
さらに一つ追い討ちをかける事があった。松永弾正久秀は若年の頃から心がけている事がある。それは『夜に女を抱かない』事だった。いつ刺客に襲われるか分からない時勢であり、かつ自分が多くの人間に恨まれている事を知っていた久秀は、刺客が人を襲う時間帯とも云える夜に女を抱かなかったのである。だから彼は常に真っ昼間に女を抱いていた。しかしそんな熟慮を末端の兵まで知るよしもない。
そしてここに水沢隆広の恐るべき謀略が出た。隆広は兵にあてた文面に“ウソだと思うならば昼間に殿様を訪ねてみるが良い”と記しておいたのである。弾正が昼に女を抱く習慣を隆広は前もって知っていたのである。
兵の代表たちは、その昼に茶器をどうしてそこまで惜しむのか聞きに来た事がある。だが尋ねた兵たちが見た光景は女の上に乗っている久秀だった。
自分たち兵は禁欲生活も同然なのに、肝心の大将が女と戯れている。こういう間の悪い事も重なり、兵の心は久秀から離れていった。
「と、云う具合で兵たちの心はすっかり弾正から離れてしまったようだな。愚かな事だ、城を包囲されている時に、しかも真っ昼間から女を抱いているなんてな」
信忠は笑いながら、松永方の兵の返書を軍机に放った。
「動きが近いうちにありそうだ。諸将の意見を聞きたい」
「されば話はそんなに難しい事ではございますまい。もう我々はただ包囲していれば良いかと」
「ふむ隆広、発案者のお前としては今の光秀の意見はどうか」
「はい、それがしも明智様の意見に賛成です」
「そうだな、ならば各諸将は兵士の士気を下げぬままの包囲陣を継続せよ」
「「ハッ!」」
その夜、隆広は本陣の陣屋で横になっていた。
「うう、さえに会いたいよう…」
隆広が合戦において、もっとも苦痛だったのは妻のさえと会えない事だった。包囲陣とはいえ隆広や将兵にも色々と軍務はあるので、みな疲れて寝ているものの、隆広は文机に座り筆を動かす軍務が多いので肉体的にあまり疲れがない。だから妻の肌が恋しくなる。頭からさえの美しい肢体が離れない。体が熱くなってきてたまらない。
「自分でしちゃおうかな…」
と、思った時だった。
「た・か・ひ・ろ様」
「…?」
「私」
「舞?」
「陣屋に入っていいですか?」
「だ、だめだ! 主従のケジメというものがあるだろ!」
「そんな事言って…。だいぶ溜まっているのでしょ?」
ボッと隆広の顔が赤くなった。舞は隆広の許可をもらわぬまま、スッと隆広の枕元に立った。
「さすがくノ一…」
「ほら、隆広様のきれいな顔にちょっとニキビが。そんな悶々としていてはいい采配は執れませんよ」
「そ、そんな事言ったって…」
「大丈夫、これも主取りしたくノ一の一つの務めですから」
(まあ、好みの問題もあるのだけれどね)
かつて武田信玄の側室に『あかね』なるスゴ腕のくノ一がいたと云う話がある。その他、姫武将や女武者とか色々と武将に仕えた女衆も歴史に見えるが、だいたい上司である大将の愛人や側室であった。織田信長も女小姓を作り、陣中や行軍中には伽を命じていたと云う。ゆえにくノ一もその例外ではない。舞もすずも、上司の柴舟には無論、頭領の銅蔵にも求められたら応じよと暗に命じられている。
だが隆広は求めない。バカ正直に『主従のケジメ』と考えているからである。ましてさえにバレたらどんな事になるか分からない。となると女の方から歩んでいくしかない。世話がやけると思いつつも、舞はまんざらでもない。隆広は美男でもあるし、体躯も筋肉質で整っている。何より武将としての資質も申し分ない。非処女である舞自身、男との閨を楽しむ術も知っている。
舞が鮮やかな裸体を見せると、若い隆広はもうたまらない。ままよ…ッ! と隆広は舞を抱いた。藤林のくノ一はある程度の年齢になると閨房の技も先輩くノ一から教わる。つまり、舞はさえが持っていない『男を悦ばせる技』を心得ているのである。舞にとっても久しぶりの閨事だったので、彼女自身も楽しんだようだった。
「ふう、ありがとう舞、何か今日はよく眠れそうだよ」
「それは私も同じ。ずっと男に化けていますから、ずいぶん欲求不満だったのです」
「そうか」
「でも…毎夜は応じられませんよ。他の将兵も女日照りで陣にいるのですから」
「分かっている。オレだけこんないい思いを…」
タタタタタッ
隆広の陣屋に人の駆けてくる音が聞こえた。
「不粋ね!」
舞は苦笑して、スッと姿を消した。隆広も急ぎ寝巻きを着た。
「申し上げます!」
「入れ!」
「ハッ」
男装しているすずが報告に来た。
「何事か」
「は! 信貴山城に火の手が上がりました!」
「動いたか! よし、すぐに参る!」
「は!」
すずは一旦戸を閉めた。
「もういいぞ舞」
スッと舞は天井から降りてきた。もう服も着て、いつもの男装に戻っていた。
「さすがくノ一だな…」
「うふ♪」
「松永弾正殿の兵が動いた。水沢隊も備える」
「は!」
「ありがとう、甘美な時間だった。だがそれに溺れて失望させないよう務めるよ」
「その言葉、しかと承ります。さ、早く鎧と具足を!」
「うん」
隆広はすぐに武装を整えて陣屋を出た。すずが待っていた。
「奥村様、前田様、可児様もすでに兵を整えてお待ち…」
「どうした?」
すずの鼻がヒクヒク動いている。
「…女の匂い」
「え!?」
「…舞と?」
「な、何をいきなり!?」
「…隆広様は奥方一筋と思っていたのに…すずは失望しました」
プイと拗ねるようにすずは隆広から顔を背けた。
「…いや、あの…」
「心配無用です。奥方様の耳に入れるようなマネはいたしませんから」
丁寧すぎるすずの言葉が隆広の耳に痛かった。
「さあ、お早く! みなさん大将を待っているのですから!」
「は、はい!」
隆広は将兵が集まっている場所へ駆けた。
陣屋の中をすずが振り返ると、たった今に閨を過ごした蒲団を舞が畳んでいた。
「……」
「そんなに睨む事ないでしょう? 主君への伽だってアタシたちの任務にあるんだから」
「そんな事で舞は殿方と寝られるの?」
「はあ?」
「『任務』だから! そんな理由で妻もいる殿方と簡単に寝ちゃうのアンタ!」
「どうしたのよお? アンタらしくもなくそんな感情的になって。『任務』すなわちアタシたち忍びの掟でしょう? 掟はアタシたち忍びの基盤、アンタの口癖じゃない。アンタだって隆広様から求められたら断れないのよ」
「隆広様から求めたの!?」
「いいえ、アタシから迫ったわ。最近溜まっていて辛そうだったし。それにしても顔に似合わずご立派な…しかもすごい精力。あれじゃ奥方様も大変でしょうね。うふふ♪」
「最低…! 舞なんて大っきらい!」
「なにを怒っているのよ」
「私は任務や掟であの方に抱かれたくない…! もっと…ちゃんとした…」
「『ちゃんとした』って何よ?」
「うるさい! 舞の顔なんて見たくない!」
すずはうっすら涙も浮かべて走り去っていった。
「難しい年頃なのね…」
舞は頭を掻いて苦笑した。
隆広は将兵の待っている場所に来た。
「可児様!」
「遅いぞ!」
「申し訳ございません。で、状況は!」
「見ての通りだ。最初は城の西から火の手が上がり、延焼が拡大している」
「こちらはどう動くのか…。よし、本陣に行ってみよう」
隆広は奥村助右衛門と前田慶次を連れて本陣に赴いた。
「信忠様!」
「おう来たか」
羽柴秀吉や明智光秀、細川藤孝も本陣に来ていた。
「今、竹中半兵衛と斉藤利三の隊が大手門に向かっている。攻撃命令は出していないがな」
「なるほど」
「さて、松永ダヌキ、どう動く事やら」
「これで信貴山城の焼け跡から平蜘蛛が見つかれば万々歳なのじゃがのォ」
と、秀吉。
「羽柴様、大殿はそんなに平蜘蛛を欲しているのですか? それがしは話しに聞いただけぐらいなのですが」
隆広が分かりきった事をあえて聞いてきた。
「ええ、あれは天下に二つとない茶器でしてな。差し出せば許すと云う大殿の気持ちにウソはないと思いますぞ」
「うーん、城に火が迫った今ならば…弾正殿も少し気が変わってくれるかもしれませんねえ…」
「そうじゃ若殿! もう一度使者を送り今からでも遅くはないから平蜘蛛を差し出し降伏せよと申してみては? そうすれば弾正も城兵も助命すると!」
「そうだな、あんがい今なら弱気になり降伏を受けるかもしれぬ。父上の平蜘蛛への執着も軽視できまい」
隆広は微笑を浮かべた。あえて自分から使者を送ろうと言わずに、秀吉から言わせた。先日の慶次の諫言が効いているようだ。慶次も隆広の後ろでフッと笑った。
今回は隆広が使者でなく、大手門で待機していた斎藤利三が使者で向かった。だが…
「追い返せ」
城主の間で久秀は冷徹に言った。
「しかし殿、悪い条件ではないですぞ」
「いいから追い返せ!」
部下の忠言も退けて久秀は怒鳴った。斉藤利三は門前払いとなってしまった。
「やれやれ…茶器ごときがそんなに大事か、弾正は」
利三は呆れたようにため息をついた。
「仕方ない、本陣に交渉決裂と伝えよ」
「ハッ」
利三の部下は本陣に駆けて行った。そしてこのあと織田勢が城の中に突入を開始した。
「のう久通」
「なんですか父上」
「してやられたのお、あの美童に」
「水沢殿に?」
「ふむ、あやつはワシに平蜘蛛譲渡を『否』と言わせたかったのじゃ。それが兵に伝わるのを待ち、矢文を入れた」
久秀は笑ってその矢文を放った。息子の松永久通は読んだ。
「なるほど…『茶器と兵の命を天秤にかけた』ですか…。当たっているだけにキツいですな」
久通は笑った。
「しかも“昼間に殿様を訪ねてみろ”との念の入れようじゃ。で、その矢文を真に受けて反乱を企てようとした兵は殺した。だがそれがより兵の離反を生んだ。ワシが丹精込めて作ったこの城も…内部から攻められては終わりじゃ。もはやこれまでじゃな」
「父上は、信長が平蜘蛛を差し出せといった時点で敵方の執る作戦を看破したのではないですか?」
「ん?」
「“兵の命と茶器を天秤に図った”と織田方が矢文を射るのを…」
松永久秀は息子の顔を見てフッと笑った。
「よう見た久通、その通りよ。だがな」
「はい」
「信長は“平蜘蛛をよこせ”としか言ってはいまい。それを城攻めの策に利用しようと考えたのはあの美童よ」
「防ぎようはなかったのでござろうか…」
「ワシが兵の叛意を防げば防ぐほどに内部分裂は加速する。打つ手なしだったわ」
「いつぞやの高札…。父上覚えておいでですか?」
「ああ、覚えておる。やはり現実になったな」
久通の述べた高札とは久秀が多聞山城を築城して、ありとあらゆる財物を城に豊富に蓄えた後に立てた高札である。久秀はこう書いた。
“松永弾正はこの城のために才覚の限りを尽くした。この城に不足なものがあると思う者は誰でも申し出るか添え札を立てるが良い。褒美を与えよう”
するとすぐに領民の代表が次のような添え札を立てた。
“長年にわたって民からむさぼり取ったので、財物には何も不足がないように見える。ただし松永家に事欠くものが一つある。それは『運命』である。運命の不足はいったい誰からむさぼり取るのか。よくよく思案されよ松永弾正殿”
これを読んだ久秀は激怒して領民を虐げたと云う。だがこの予言は的中した。
「図星を指されたから激怒したのだろうのォ。そして見事にそれは当たったわ」
久秀は傍らに置いてある平蜘蛛を取った。
「後の人は何と云うかの…。梟雄久秀、茶器一つを惜しんで自滅したと」
「何とでも言わせれば良いではないですか。よしんば平蜘蛛を渡していても…我ら松永家はそのまま織田の走狗となり、天下と云う狡兎を捕らえたら粛清される運命にあったと思います。まだ反乱者として散ったほうが、我らの子孫も喜びましょう」
「すまぬな、久通。今回の蜂起で織田に預けたそなたの子を死なせてしまった…。恨んでいような…」
「それも戦国の世の運命でしょう。もし生まれ変わる事などありましたら、今度は孫を愛しむ優しいジジイとおなり下さい」
「フッ…。そうしよう」
「父上、腹を召すならそろそろかと…」
「いや、その前に日課を済ませんと」
「日課?」
「灸じゃ。中風の治療じゃ」
「ああ、そういえばそんな時間でございましたね。どれ、いつもやってくれている侍女はもう逃がしてしまいましたから、それがしが据えましょう」
久秀は頭頂部の百会と云うツボに灸を据えた。
「う~ん、効くのォ…」
これから間もなく死ぬ運命にある松永久秀が灸とは変な話であるが、久秀は持病の中風の症状が自決の時に出て、自決ができなくなる恥を恐れ頭の中央に灸をしたのだという。『その名を惜しむ勇士は、かく有るべき』と松永久秀の態度に『備前老人物語』は伝えている。
父の灸を据え終えると、松永久通は
「では父上…。お先に」
「ふむ」
久通は切腹した。享年三十九歳であった。
「見事じゃ。ワシをいい息子を持った」
主なる家臣たちも消火活動をしているため、城主の間にはもう久秀しかいない。そして火の手はどんどん迫ってきていた。久秀はゆっくりと立ちあがり、天守閣に歩いた。そこは火薬庫も兼ねている。
「信長…信貴山城を渡しても、この平蜘蛛は渡さぬぞ…!」
天守閣の床にドカリと座り、平蜘蛛の茶器に火薬を詰めていく久秀。そして火薬をこれでもかと詰めた平蜘蛛を体に結びつけた。
「ワシも悪党であったが、信長そなたも悪党ぞ。じゃがそなたの悪はしょせん『醜』じゃ。ワシの悪は『美』よ! ふっははははッッ!!」
火のついた松明を掲げる松永弾正久秀。
「信長…一足先に行って待っているぞ!」
ドゴォォォォンッッ!
松永久秀は名茶器『古天明平蜘蛛』と共に爆死して果てた。享年六十七歳と言われている。
報告を聞いて織田信忠はただ一言だけ言った。
「そうか、平蜘蛛ごと爆死とはな。梟雄の松永ダヌキらしい最期だ」
水沢隆広と前田慶次も炎上する信貴山城を陣地から見つめていた。
「なあ慶次…」
「はっ」
「弾正殿は知っていたよ。矢文を使っての内部不和の策」
「は?」
「立ち去る直前、オレと弾正殿がしばらく見合っただろう。あの時、それが分かった…」
「ではもはや避けられぬ死と…受け入れられたのですな」
「“良い眼をしている”と…おっしゃってくれた。オレ…殿に褒められるぐらい嬉しかった」
「認めてもらえたと云う事にござりましょう。誇りに思ってよろしいと」
「うん。弾正殿…。ご貴殿と会い、言葉を交わした事。隆広一生の誇りにございます」
「ところで隆広様、上杉謙信殿が亡くなったそうにござる」
「なに…!?」
「卒中と云う話です。謙信公は酒好きで、肴はいつも梅干、塩、味噌だったとか。それが祟ったのでございましょう…」
「そうか…謙信公、弾正殿、そして信玄公や毛利元就殿といった戦国の世を駆けた将星たちが次々と死んでいくな」
「これからは若い我々の時代でございます。先人たちに笑われぬ戦、政事をしていきましょう。隆広様」
「そうだな!」
翌日、軽い論功行賞が行われた。勲功一位は平蜘蛛に伴う献策を出した隆広となった。各将たちも息子ほどの年齢の武者に嫉妬心は湧かなかったのか、手放しで褒め称えた。隆広は年長者に好かれる特技を持っているのかもしれない。無論、ごく一部は蛇蝎のごとく嫌ってはいるが。
そして、ここで織田軍は解散となった。各諸将は国許、もしくは任地に引き返しだした。
「水沢殿、こたびの勲功一位、おめでとうございまする」
「いえ、運が良かっただけにございます山中様」
「謙遜あるな、あの城をほとんど味方の血を流さずに取るなど中々できませんぞ。さながら謀聖と称された尼子経久様を見るような思いであった」
「ほ、褒めすぎです」
「今しばらく水沢殿と語り合いたいところでございますが、それがし羽柴殿と播磨攻略に行かなければなりませぬ。お別れでございますな」
松永久秀謀反には黒田官兵衛の元主君である小寺政職も呼応していたため、信長に討伐され死んでいる。政職が領有していた播磨の置塩城と御着(姫路)城は秀吉に預けられ、秀吉はそのまま大和の地から長浜に戻らず御着城を本拠地として、残る播磨の領地を占領し、さらにその播磨を根拠地にして、宇喜多と毛利の討伐に向かう事を任命されていた。その攻略戦に鹿介も共に行く事になった。
「また、お会いできるでしょうか」
「尼子は織田の庇護を受けし大名、柴田家に属する水沢殿と、これからいかようにも会える機会はございましょう」
水沢隆広と山中鹿介は手を握り合った。
「尼子家の再興、心より願っております」
「かたじけない!」
晴れて隆広は松永攻め一番手柄を土産に北ノ庄城に凱旋した。信忠からもらった褒美は碁石金と銭三千貫であった。織田家から戦目付けから柴田軍の軍忠も勝家に報告され、褒美も届いている。水沢隆広と可児才蔵は柴田勝家より信忠からの褒美を賜った。
「弾正の最期の様子は聞いた。爆死とは壮烈であったな」
「はい」
「あと…大殿が『平蜘蛛』を差し出せば許すと云う使者が到着する前に、そなたがそれを若殿に具申したと聞くが…まことか?」
「本当にございます。今は出すぎた事を申したと反省しています。よもや大殿の名を無断で使う策を起草してしまうなんて」
「ふむ…まあその策を入れたのは若殿ご自身じゃから良いが…」
隆広は主君勝家から前田慶次より受けた戒めと似た事を諭された。
「ワシかお前が総大将の時の合戦。つまり北陸部隊のみの合戦ならば軍議にてどんどん意見を言ってよい。だが軍団長が連合して若殿や大殿の指揮で戦う場合は一歩二歩退いて軍議に臨め。優れた意見がいつも歓迎されるとは思わぬ事だ」
「はっ、水沢隆広、肝に銘じておきます」
「それと才蔵」
「はっ」
「残りし松永勢の掃討に明智の斉藤、羽柴の仙石らと共に見事な働きだったと聞いておる」
「恐れ入ります」
可児才蔵は勝家から感状と褒美を受けた。
「だが才蔵言いにくいが」
「はっ」
「しばらく、娶った妻の仔細については公表するな。隆広も心得ておけ。肩身の狭い思いをさせてすまんが、そなたの新妻の身を守るためでもある。よいな」
「才蔵、心得ました」
「ふむ、両名松永攻め大儀であった! 下がって休むがいい」
水沢隆広と可児才蔵は北ノ庄城を出た。
「良うございましたね可児様、最初報告を聞いたとき殿は激怒したというから気をもんでおりました」
「実はオレもだ」
「で、祝言はいつに?」
「そんなもんいらん」
「ダ、ダメですよそんな! 柴田家部将の可児家当主が嫁もらったのに祝言なしなんて!」
「ほう、じゃお前に媒酌人頼もうか。こたびの縁はオレがお前の副将にすえられたが縁だからな」
「ええ? だってそれがし可児様より六つも若輩に…」
「年など関係ない。前そう教えたろうが」
「は、はあ…」
可児才蔵が娶った妻は、なんと松永弾正の娘(史実では落城時に自決)である。美貌で知られていたが、梟雄久秀の娘だけあって気が強く、豪傑の可児才蔵が唯一頭の上がらない存在となる。
なりそめであるが、城に侵入した才蔵は自決しようとしていた娘を発見し、小刀を取り上げた。そしてその娘を見た時、“我が士道に女は不要”と口癖のように言っていた彼の理念が吹っ飛んでしまった。今まで勝家や同僚が嫁を世話しようとしても見向きもしなかった彼が一目惚れをして、半ば有無を言わさず連れ帰ったのである。当時二十歳であったが、美貌であっても誰もが“梟雄久秀の娘では”と物騒がり嫁にしようとは思わなかったと言われている。
心ならずも生き延びた娘、名は皐月姫。余計な真似して自分を助けた男が嫁になれと言ってきたので、これもなるようになった結果かと開き直り、その日のうちに求婚を受けたと伝えられる。
「では引き受けたからには段取り任せていただきます」
「頼む、さあ今日はこの辺でよかろう。お前も家に帰って愛しい嫁さんに早く会いに行け」
「はい!」
隆広は才蔵と別れると、すぐに自宅へと駆けた。さえに会いたい、さえに会いたい、たとえくノ一の舞と一線を越えても、やはり愛妻が一番恋しい。
自宅から炊煙が上がっている。そして玄関には愛妻さえが立っていた。
「さえ―ッ!」
「お前さま―ッッ!」
そしてギュウと抱き合う二人。『ぶちゅう』と聞こえてきそうな熱い口づけをして、それを満足させるとやっと家に入っていく。侍女の八重や、家令の監物も、さすがにもう間の取り方も分かってきて、口づけが終わるころ、玄関先に迎えに来た。
「お帰りなさいませ、殿様」
「うん、ただいま!」
「殿様、大和からの帰路、お疲れ様でした。湯が沸いておりますよ!」
「よし、さえ一緒に入ろう!」
「んもう…。夜まで待てないのですか?」
と、言いながらさえもまんざらではない。
「待てないよ!」
と、八重と監物が苦笑する中、隆広は両手でさえを抱きかかえて風呂場に駆けていった。