天地燃ゆ   作:越路遼介

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海賊

 信貴山城攻めが終えてから、しばらく隆広には平穏な日々が続いた。時にはのんびり釣りなどもできる日もあり、取り組みたかった仕事と余暇を交互に行える、彼にとっては恵まれた日々であった。妻さえとイチャイチャできる充実した毎日だから、仕事も身が入る。

 くノ一の舞と一線を越えてしまったものの、幸いクチの固いのがくノ一。さえにバレずに済んでいた。しかし隆広は平時に舞を求めようとはしなかった。舞も迫らない。隆広と舞との間に “戦場でのみ肌を合わせる”と云うのが暗黙の了解となっていた。大胆かつ陽気な舞であるが、わきまえる所はわきまえていた。隆広の言う“主従のケジメ”を舞もちゃんと心得ていたのである。

 

 この時期に隆広は勝家の命令で北ノ庄城の増築を手がけていた。一向宗門徒に備えてである。完成すれば北陸最大の平城となるだろう。隆広は石田三成を右腕に城作りの指揮を執る毎日だった。

「よーし! 今日はこれまで! 佐吉、終了の太鼓を叩け」

「ハッ」

 

 ドーンッ! ドーンッ!

 

 その太鼓の音が響くと、本日の仕事が終わりの合図である。そして隆広から日当をもらうのである。

「みんな、お疲れ様。明日も頼むぞ」

「「へい!」」

 工事の人手は工兵隊を含む、隆広の兵。そして職人や人足などの領民たちである。隆広が効率よい工事の指揮を行うのは有名であり、無論『割普請』で、この城の増築も行われている。その日の工事が終わると三成と辰五郎から隆広に班ごとの成績が報告され、それに沿って全員給料を隆広から手渡しで直接もらっている。

 隆広は雇った人足の名前すべて覚えていたと云うが、彼は給金を手渡すと同時に名を呼び、労いの言葉を送っている事が当時の作業日誌に記されている。雇われた領民たちの感激たるや察するに容易である。

 もはや『割普請』の本家である羽柴秀吉よりも堂に入った割普請を使う隆広。工事現場は毎日戦場のようであった。各班が作業をよく研究し、かつ段取りが良い。総奉行の隆広や三成がほとんどクチを挟む必要もない。

 休息も食事も十分に与えるので怠ける者もいない。しかも夕刻でキッチリ終わらせてしまう。領民を奴隷のように酷使する領主が多い中、当時としては信じられないほどの暖かい用い方で、人の気持ちを理解した絶妙な人使いである。後に築城の名手とも呼ばれる隆広であるが、それも多くの人々に支えられてこそ。彼はそれを分かっていたから自分の元で働く者を手厚く遇したのであろう。彼が名内政家と呼ばれるのもこんな所以と云える。

「三ヶ月を見込んでいたが…二ヶ月で終わりそうだな、佐吉」

「そのようでございますね。さ、後始末はそれがしと辰五郎殿で済ませておきますので、勝家様に本日の報告を」

「うん、頼む」

 

 隆広は主君勝家に会いに北ノ庄城城主の間にやってきた。だが先客がいた。隆広の家臣の吉村直賢であった。

「おお、隆広。ちょうどよかった。今呼びに行かせようと思っていた。座るがいい」

「はい」

 隆広が座ると、直賢は座る場所を移して隆広の後ろに座った。

「本日の普請を終えたのだな?」

「はい、本日に西の丸の外郭増築はおおよそメドがつきました」

「ん! 早い! さすがだ」

「恐悦に存じます」

「資金は足りておるか?」

「はい、人手も資材も現状で十分ですし、完成後に改めて人足や兵たちを労うための給金をいただければと」

「分かった。で、直賢を呼んでいた理由であるが…直賢、述べるが良い」

「はっ」

 隆広は後ろの直賢の方に向いた。

 

「殿、今まで海路交易の守りに勝家様本隊の兵を貸していただいておりましたが、先日に丹後沖で大陸の賊に襲われましてございます」

「聞いている」

「日本の賊徒は織田と柴田の旗が船に掲げてあればたいてい襲ってきませんが、大陸の賊は織田も柴田も知りませぬゆえ襲ってまいりました。向こうは船戦に慣れており、あわやせっかく作った安宅船(大型船)も積荷も奪われかけましたが…」

「うん」

「ある水軍が助けてくれたのです」

「ある水軍?」

「はい、若狭を根拠地にしている水軍です。彼らも船戦に長けていまして、大陸の賊徒を見事追い払ってくれました」

「そうか…。しかし若狭水軍といえば、山名氏や尼子氏を支持していたと聞くが、どうして織田家に?」

「水軍、まあ平たく言えば海賊ですが略奪だけで食っていけるほど甘いものではないらしいです。堺や博多の商人衆も今や大名の御用商人となり、その後ろ盾に合わせて強力な用心棒を雇っておりますし、ニセの交易情報を流したりしていますから、略奪目的で水軍砦を出ても何の成果もない事もしばしばのようです。

 また航路の縄張り争いは陸の大名の領土争いと同じく海賊間で熾烈なようです。先代の頭領はおっしゃる通り中国地方の大名である山名と尼子を支持していましたが、もはや両家の没落は明らか。現頭領である松浪庄三なる男が、他の水夫衆を味方につけて時勢を読めない先代を追い落としたと聞いています」

「なんだ、北畠氏を捨てて織田家についた九鬼水軍とまったく同じじゃないか」

「そのとおりです」

「しかしなるほど、それで柴田家に恩義を売りつけて近づき、支持大名にしようと」

「はい、大殿にはすでに九鬼水軍がおりますので、それで家臣とはいえ大名である北陸部隊総帥の勝家様に」

「なるほど…」

「隆広、その水軍の頭領が北ノ庄の城下町に来ているそうだ」

 と、勝家。

「ここに?」

「『ぜひ柴田家を当水軍の支持大名としたく、若狭水軍の代表として勝家殿と話したい』と言ってまいった。小なりとはいえ、あちらも一個の勢力。会わねば非礼になるゆえ明日に会う事にはした。しかしその前に柴田の交易船を助けてくれた礼を済ませておきたい。明日の会談でそれをいちいち恩に着せられてはかなわぬでな。そなたワシの名代として礼品を渡してまいれ。そして若狭水軍の頭領の器量を見極めてこい」

「かしこまりました」

 

 その頭目の男は、吉村直賢が北ノ庄城下で預かる本陣にいた。商売の力量が柴田勝家にも認められた直賢は敦賀の町と共に、柴田家本拠地の北ノ庄にも本陣が与えられていた。

「殿、礼品揃いましてございます。銭五百貫、糧食五千石用意しました」

「ありがとう直賢。では行こうか」

「御意」

 頭領の男は松浪庄三と云う名前だった。彼は柴田勝家との仲介を水沢隆広家臣の吉村直賢に要望した。助けたのは直賢直属の部下たちと勝家本隊の兵であるし、何より庄三は直賢と知己であった。敦賀の町にある吉村直賢の本陣に松浪庄三はやってきた。庄三の顔を見た瞬間、直賢は眼が飛び出るほどに驚いた。

「貴公…!」

「久しぶりですな」

「生きておいで…」

 庄三は口に人差し指を立てた。それは言わないでくれとの要望である。そしてそのまま庄三は頼んだ。柴田勝家との対面を仲介してほしいと。勝家にとっては家臣の家臣である吉村直賢であるが、その商才をもって国庫に銭を入れる直賢を重く見ている事は、すでに庄三は調査済みだった。

 直賢はそれを引き受けた。直属の水軍にするもしないも勝家が判断する事。会わせる事ぐらいは直賢の権限でも足りた。そして勝家もそれを受け入れた。

 だが要談の前に船を助けてくれた礼を済ませるために直賢の直属上司である水沢隆広がやってきた。そして松浪庄三は間接的ではあるが、水沢隆広と云う男を知っていたのである。

 北ノ庄城城下町、吉村直賢の本陣で水沢隆広と松浪庄三は会った。

 

「若狭水軍頭領、松浪庄三にございます」

「柴田家部将水沢隆広です。こたびは当家の交易船をお助けくださり感謝しています」

「さしもの鬼柴田の軍勢も海の上では役立たずでございましたな」

 隆広の頬がピクリと揺れた。

「庄三殿!」

 直賢が青くなって叱った。

「いやいや、これは失礼。ところで水沢様は、あの美濃斉藤家の名将である水沢隆家殿のご養子君とか?」

「いかにもそうです」

「いや~名将と呼ばれる方も存外目が見えぬものなのですな。ご養子君の方は仕えるべき主君を知っておりましたが養父殿は盲目のようですな。あんな暗君龍興に仕えるとは」

 直賢は絶句してしまった。これは完全に隆広にケンカを売っている言い草である。

「あっはははは、どうやら庄三殿はそれがしを怒らせたいらしいですね。怒らせて器量を見るのならば我が殿勝家様に対して行えばよろしい。それがしの器量など値踏みしても仕方ありますまい」

 しかし隆広はそんな挑発には乗らずに流した。庄三はかまわず続けた。

「そんな深い考えはございませぬよ。ただそれがしにはどうして隆家殿ほどの武将が暗愚な龍興に仕えたか、それが前々から不思議でございましてな」

「それは簡単です」

「は?」

「斉藤龍興様が英主だからです」

 庄三は吹き出した。

「冗談はおやめ下さい! 竹中半兵衛率いる十六騎に城を落とされ、安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全ら重臣にも見捨てられ、あげく墨俣に一夜城を作られて稲葉山を落とされてしまった。落ちる時も城を枕に討ち死にを選ばず女だけを率いて逃げた。どうヒイキ目に見ても暗愚ですが?」

「龍興様の父の義龍様が亡くなられたのは、龍興様がまだ十四のころ。残念ながら重臣たちは主君が若く頼りないと云うだけで、後に迫る大殿の脅威に負けて寝返った。養父隆家が言うには、龍興様は才あったが運がなかったと。当時尾張美濃で最たる天才三人、大殿、羽柴様、そして我が義兄竹中半兵衛が敵に回ったのです。だれが城と国を守れると云うのですか。一度の敗戦で人格すべてを否定するのは軽率と云うものです」

「それは…養父殿を思うばかりに水沢様が龍興を偶像化しているのでござろう」

「龍興様は城から出る際に、大殿に兵の命を保証させる約束を取り付けていますし、女衆を連れて城を出たのは血に飢えた織田の雑兵に自分に仕えてくれた女たちを陵辱されるのが哀れであったからにございます。龍興様は兵を見捨てて女と逃げたと云う汚名をあえて受けなされた」

「……」

「それに考えてみて下さい。龍興様は堺、三好三人衆、長島一向宗、朝倉に受け入れられ、そして大殿に立ち向かった。それらの勢力が世間で言われているような愚鈍な将にチカラを貸すとお思いか? いずれの勢力も大殿が手を焼くほどのもの。甘いはずがない。それが龍興様の味方についたのです」

「……」

 庄三は黙ってしまった。

「かのルイス・フロイス殿は京の町で龍興様と出会いこう評しています。『非常に有能で思慮深い』と。『彼はキリシタンになる事を望み、世界の創造やその他の事も聴聞して書きとめ、翌日には流暢に暗唱していたので人々は驚嘆した』と。これが無能者にできますか。龍興様は才能も器量もあったが、ただ一つ運がなかっただけ。

 歴史は勝者のみがつむぐ金糸。それゆえに勝者となった織田側から無能扱いされて龍興様は語られているのです。そんな有能な士が時節に恵まれず二十七と云う若さで逝ってしまった。これは天下の損失と見るべきなのです」

「……」

「得心していただけましたか」

「…軽率に隆家殿の主君を論じ、申し訳ありませんでした。いかにも…水沢様の申すとおりです」

「分かっていただければ良いのです。では本題ですが…」

 

 庄三は隆広から改めて謝礼の品を受け取った。

「ありがたく頂戴いたします」

「して庄三殿」

「なんでござろうか」

「若狭水軍の兵力は?」

「関船(中世の海賊衆が海上の要所に関所を設け、通行する船から通行税を取っていた事からこの名がついた)百二十で、小早(小型の関船)二百、兵力は二千です」

「ふむ…」

「ははは、正直に『少ないな』と申して下さってかまいません。日本海最弱の水軍ですから」

「確かに…九鬼水軍や村上水軍の四分の一以下ですね…。大型船を作る技術は?」

「技術も造船資金もございません。鉄砲も少ないのが現状です。しかし柴田家を当水軍の支持大名とすれば敦賀の船大工の協力も得られますし、柴田の海路交易には護衛につきますので報酬も得られます。すべてはそれからです」

「なるほど…」

「頼りないとお思いか?」

「いや、実際に大陸の海賊を蹴散らしているのですから、そうは思いません。主人がどう判断するかは分かりませんが、それがし個人の見解で言うのならば最初から大勢力の水軍衆と手を組むより、共に発達繁栄していくのが理想と思えます。現に九鬼水軍がそうでしたから」

「同感です。しかしそれはそれがしと水沢様の見解。柴田勝家様が数をもって不足と申されたなら、違う大名を探すつもりです」

「いや、水軍は主人も欲しているはず。それがしからも取り成すつもりです」

「それはありがたい!」

「では明日、城主の間でお待ち申し上げます」

 隆広は直賢の本陣を立ち去った。

 

「ふう…あまり驚かせないでもらいたい。主君隆広を挑発するような事を申されるとは」

 吉村直賢は苦笑して額ににじんだ汗を拭いた。

「いや申し訳ない」

 松浪庄三の目に少しの涙があった。

「まさか…あれほどに知っていたとはな…」

「え?」

「斉藤龍興のことを」

「…きっと養父殿に聞かされていたのでしょうな」

 隆広の養父長庵は自分の武功は息子にほとんど語らなかったが、斉藤道三、義龍、龍興三代のことはよく話してくれた。この時ばかりは寡黙な養父も饒舌になったものだった。だから隆広は斉藤龍興の事を誰よりも知っていたのである。

「士は己を知る者のために死す…と云う。だがそれは臣下が主人に抱くだけの心ではない。逆もありうると今日知ったわ。隆家はオレを知っていた。その息子も…!」

「…庄三殿、いや…」

「よい若武者を育てたものよ…隆家は」

「龍興殿…」

「いや、その名で呼ばれますな。もはや斉藤龍興は死んだ名前。今のそれがしは松浪庄三にございますよ」

 若狭水軍頭領、松浪庄三の正体。それは美濃斉藤家最後の君主である斉藤龍興当人であった。

 

 松浪庄三こと斉藤龍興はふと昔を思い出した。織田信長に稲葉山城と美濃を取られて、龍興一行はやっとの思いで京の町まで逃げのびた。それもこれも龍興がもっとも信用する将の水沢隆家の働きによるものだった。

 龍興は京の町郊外に廃寺を修復した屋敷を譲られ、そこで共に落ち延びた家臣や女衆と住んだ。引越しも片付き、明日から龍興は美濃国主返り咲きのために京を中心として畿内を動く。その夜に老臣の水沢隆家を呼んだ。

「隆家、斉藤家再起のために投資してくれる京と堺の豪商数人を確保できた。また山城(京)の地に屋敷も何とか得られた。長かったな…伊勢長島に落ち延び、そしてこの京の都に流れ着いたが、やっと本拠地を得られた。オレは美濃国主に返り咲くのをあきらめない」

「龍興様…」

「だが隆家、そなたはオレとここでお別れだ。約束していたものな、オレが本拠地を得たら、武士をやめて僧侶になると」

「は…歳のせいか、いささか鎧も重くなりました。もう龍興様はご自分の才覚で縦横に動けるはずでございます。ワシは残る余生を今まで殺してきた敵将兵の供養に費やしたいと思います」

「養子をもらっていると聞いたが、もしオレが大名となれたならば重く用いよう」

「それには及びません。息子が元服したら、さる方にお返しする約束ゆえ」

「ほう、誰か?」

「申し訳ございません。固く口止めされております」

「そうか、ならば聞くまい」

 隆家は数年前、ある女から子を託されている。妻に先立たれ、後添いももらわず子もいなかった彼は、その男子の父親となれたのは天の導きと思い、優しくも厳しく育てている。隆家はこの養子を無上に愛した。この男児が後の水沢隆広である。当時は竜之介と云う名前だった。これからは美濃正徳寺で本格的な修行をさせるつもりだ。

「正徳寺、確か祖父と信長の対面の寺であったな」

「はい、そこで息子をひとかどの武将にすべく養育いたします」

「名前は確か…」

 

 

「水沢竜之介にございます」

「いつか会えると良いな。そなたのすべてを継承した若武者に」

「はい」

「隆家」

「はっ」

「いたらぬ主君であったが…今までよう尽くしてくれた。礼を申すぞ」

「龍興様、これを」

「ん?」

「金にございます。それがしは僧侶になりますゆえ、もう金はいりませぬ。先代、先々代に仕えて得られました禄と、褒美に頂いた品すべてを金に替えました。お受け取り下さい。龍興様にこれから金は必要でございましょう」

 差し出された箱は五つ。すべてに銭が詰まっていた。

「すごいな、三万貫はある」

「はい」

「だが受け取れぬ」

「いえ龍興様。龍興様がいらなくても部下や女衆を食べさせていくのに必要でございましょう」

 事実だった。龍興にとってもノドから手が出るほどに欲しい金である。

「では二万いただく。あとの一万、そなたが持っていけ。僧侶とてメシを食べるし、子の養育にも金は必要だ」

「龍興様…」

「さ、この話はもう良いだろう。明日の朝が今生の別れ。飲み明かそう隆家!」

「はは!」

 次の朝、斉藤龍興と水沢隆家は別れた。今生の別れだった。その後に美濃に戻った隆家は正徳寺の僧侶となり、号を『長庵』とした。

 

 一方龍興は、三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通の三人を指す)らと織田信長の上洛に抵抗するも果たせず、越前朝倉氏の元へ逃れた。そこで当時朝倉家で勘定方をしていた吉村直賢と知己を得た。もはや美濃から連れてきた家臣や女衆とも離れ離れになってしまっていた。

 そして最期は越前刀禰坂における織田軍との戦いにて戦死する。享年二十七歳と言われている。だが龍興は生き延びていた。その後に丹後に行き、名を欺き若狭水軍に潜り込んだ。必死に海の技と戦い方を学び、徐々に頭角を出し、やがて頭領よりも人望を得て、取って代わった。

 だがすでに龍興には美濃国主に返り咲くと云う野望はなかった。彼は水軍の仲間たちが好きになった。そして娘も生まれた。もはや畿内を制圧している織田に勝ち目はない。ならばいっそ協力し、水軍衆として重用されればいい。そうすれば自分たち水軍の暮らしも楽になる。

 そして目をつけたのは柴田家であった。北陸部隊で、かつ織田家中筆頭家老だからではない。柴田勝家の部下に、龍興はもっとも信頼した部下の名を継ぐ若者を知ったからだった。主従逆転となる結果であるが、もはや動乱を生き延びた彼にそんな気負いはない。水沢隆家の名を継ぎ、そして資質も養父に劣らぬものであるのなら、龍興は本心から犬馬の労を取ろうとした。松浪庄三として。

 

 そして翌日、柴田勝家は松浪庄三と会った。勝家は稲葉山城の戦いに参加しているが龍興と面識はない。龍興と知らぬまま勝家は庄三と語らい、中々の人物と見込み、柴田の水軍にする事を了承した。無論、隆広の取り計らいもあったのだが。

 庄三は柴田家の足軽大将の身分として登用された。破格の登用である。いかに柴田勝家が庄三を見込んだか知れるものである。

 

 隆広が目通りを終えた庄三を送った。

「これからはお仲間ですね、庄三殿」

「隆広殿の方が上将でございます。庄三と呼んでいただいてかまいませぬぞ」

「いえいえ、庄三殿はそれがし同様に主君勝家の直臣で、それがしより年長。呼び捨てするほどそれがしは礼儀知らずではありません」

「ははは、しかし当分我々は合戦では出番がなさそうですね」

「そうなります。しかし交易ではもう明日から働いていただかぬと」

「は?」

「明日にあらためて指示書が届くでしょう。蝦夷(北海道)の宇須岸(函館の旧名)にメノウと云う玉石が産出されるようになったとか。直賢はそれに目をつけて畿内では敦賀が最初に輸入するつもりにございます。玉石が交易品ならば運搬する金も多大になります。その護衛が初仕事です」

「蝦夷ですか…!」

「行ったことは?」

「一度ございますが宇須岸には立ち寄っていないですな」

「直賢は牡蠣の販路取り付けのため一度行っていて、その時にメノウの輸入の話はつけてあるそうにございます。越前にとって蝦夷の宇須岸との交易は多大な利益をもたらす大事なもの。よろしく頼みますよ!」

「承知しました」

「ではそれがしはこれで」

 庄三は隆広に頭を垂れた。隆広も頭を垂れてその場を立ち去った。

「いきなり蝦夷か…。忙しくなりそうだ、早く砦に戻り準備しなければ!」

「父上―ッ!」

「おお、那美か」

 那美は庄三、つまり斉藤龍興の娘である。当年十三歳。美濃斉藤家が滅んでいなければ斉藤家のお姫様だったかもしれない少女である。北ノ庄城の外で待たされていたが庄三が出てきたので駆け寄ってきた。

「ねえねえねえねえねえねえ父上! 今のが水沢隆広様?」

「そうだ」

「美男子~ッ! ウチの砦にいる塩辛い男たちとは世界が違う!」

 那美は隆広の立ち去った方向を見てウットリしていた。そんな娘の横顔を見て庄三は困った笑いを浮かべた。

 

 そして隆広。彼は庄三と別れた後に源吾郎の家に向かっていた。舞に会うためではない。源吾郎は北ノ庄城の城下町に設けられた楽市の責任者であるので、週に一度ほど収支の報告を彼から受けるのである。そのために向かった。

「ごめん」

 すると奥から源吾郎が血相を変えて出てきた。

「おお! やっとおいで下さりましたか! お探しするより待っていた方が良いと思いましたが気をもみました!」

「は?」

「大変にございます水沢様! 奥方様が倒れられたそうです!」

「え、えええッッ!!」

 隆広は血相を変えて自宅へと走っていった。


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