天地燃ゆ   作:越路遼介

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父となった日

 安土大評定も終えて、勝家主従は北ノ庄城に到着した。途中、府中城に戻る前田利家と別れる時、

「隆広、初めての子が生まれる日だけは家にいてやれ。仕事だ何だであろうとも、やっと生んだのに亭主がいないと女はガッカリするもんだ。女房の出産に亭主など何の役にも立たないが、せめて家にいるようにはしろよ。その日に留守だと女は一生忘れんぞ」

 と、暖かい忠告を受けた。利家も妻のまつの初産(まつ何と当時十三歳)の時、陣地を抜け出して幼な妻の元に戻っていったと云う話がある。

「はい! さえに嫌われるのは首を刎ねられるよりイヤですので」

「ようヌケヌケと言うわ、あっはははは!」

 前田利家とも別れ、柴田勝家と水沢隆広は北ノ庄城に帰ってきた。出迎える家臣団たち。

「さて、隆広」

「はい」

「供、大儀であった」

「はっ!」

「ふむ、ワシの家もそなたの家も今日が正月と云うものだ。さえも寂しがっていよう。下がってよいぞ」

「はい!」

 

 身重の愛妻の元に、隆広は急いで駆けた。

「ただいま―ッ!」

 いつも隆広が帰城すると、帰宅の時間を見計らい門まで出迎えに来てくれるさえの姿がなかった。変わりにさえの侍女の八重が出迎えた。

「殿様、安土からの旅路、お疲れ様でした」

「八重も留守をありがとう。さえの容態は?」

「それが…ここのところ食欲もなく…」

「なんだって?」

「おそらく…殿様が側にいてくれなくて寂しいのかと」

 務めだから仕方ない…。さえはそう思い留守がちの夫を責めないが、本心はやはり寂しがっているのである。八重が代弁してくれた事を隆広は感謝した。

「すまん」

「さ、お早く姫の元に!」

「うん」

 廊下の足音でさえは目覚めた。

「あの人が…」

「おお、姫様、寝ておらぬと…」

「監物、あの人が帰ってきたのね?」

「左様です!」

「ああ…早くここに…」

「さえ!」

 さえが横になっている部屋の襖が開いた。

「お前さま…!」

「さえ…会いたかった!」

「私も…!」

 まるで何年も離れていたような夫婦再会の言葉だが、実際は十日ほどしか離れ離れになっていない。二人がお互いを恋しがる気持ちがうかがい知れる。監物や他の侍女たちも気を利かせて部屋から出た。

 すでに出産間近なので、さすがに抱く事はできないが、さえは夫の口付けと優しい愛撫に満足すると横になった。

「お前さまの顔を見たら安心して…お腹が空いてきました」

「そうかそうか!」

 時間を見計らい、八重が葱を入れた粥を持ってきた。美味しそうな匂いにさえは起き上がった。

「美味しそうな匂い…」

「これは美味そうだな、どれ」

 隆広が熱い粥を小さじですくい、フーフーと息を吹きかけて少し冷まし、さえのクチに運んだ。

「ほら、アーン」

「アーン」

 スルリと粥はさえのクチに入った。

「アツツ!」

「あはは、ほらゆっくり食べろよ」

「うん」

 

 粥を食べ終わると、洗濯したての手拭でさえの口を拭った。

「ごめんな、さえ。身重で…しかも初めての出産で不安も大きいだろうに…ロクに側にいてやれなくて」

「そんな…」

 さえは隆広の顔を見て、この時は理解ある妻をやめた。少し責められた方が夫はらくになると思ったからだった。

「…まったくです。あなたの子を産むのですよ。そんな妻を放っておいたらバチ当たります」

「そうだなァ…」

 さえのお腹を愛しく撫でる隆広。でも現実、隆広はこれから忙しくなる事はあっても、ヒマになる事はない。

「でも…ごめん、ごめんな。働かなくちゃオレ」

 申し訳なさそうにさえに詫びる隆広。

「うん、今ので気が済んだから、もうワガママ言いません。お前さまはさえ一人のものではないですもの」

「だから、こうして二人になれた時は離さない…。このお腹にいる子にだって、邪魔はさせないぞ」

「んもう、お前さまったら」

「さえ、今日は安土から帰って来て少し疲れたよ。このままここで眠っていいかな?」

「うん、一緒に寝ましょう、お前さま」

「……」

 隆広はそのままさえの横に体をくずし、すぐに眠ってしまった。

「疲れておいでだったのね…。それなのに私にお粥を…」

 隆広を起こさないよう、さえは静かに甲冑を脱がせた。頑是無い子猫のような寝顔を見て信長が夫をネコと呼ぶのが少し分かる気がしたさえ。夫が帰って来てさえも安心したのか、そのまま彼女も眠りについた。

 

 そして数日後、いよいよその日がやってきた。朝から城へ出仕していた隆広だが気持ちがソワソワしていて仕事にならない。

「…隆広様、花押(サイン)を二度書いておりますよ」

「…え?」

 城下の産業、養蚕や紅花の栽培の業者へ出す指示書、それに二度花押を書いてしまった。

「あ、ああスマン佐吉」

「今日はもう早退されては…? 勝家様も本日の出仕は良いと言われていたので…」

「いや、ダメだ。いかに妻の出産が間近であろうとオレは城下産業の責任者なんだから。せっかく軌道に乗りつつある養蚕と紅花作り。指示書の一日の後れとて…あ!」

 次の書類にも花押を二度書いてしまった。

「隆広様、祐筆たちが迷惑しますので…」

 二度花押を書かれてしまっては勝家から決裁はもらえず、その書類は最初から書き直しである。近くにいた柴田家の祐筆たちはうらめしい顔で隆広を見つめていた。

「も、申し訳ない…」

 と、隆広が小さくなっていた時だった。使い番が来た。

 

「水沢様、ご自宅から使いの方がお越しにございます」

「なに!」

「奥方が産気づかれたとの事です!」

「わ、わ、分かった!」

「さ、隆広様。ここはそれがしが済ませておくので」

「すまん佐吉、花押はそなたのものでいいから後は…」

「心得ております、さあ早くご自宅に! 奥方様の合戦に主人が近くにおらぬでは士気に関わりますぞ!」

「ありがとう! じゃ帰る!」

 大急ぎで隆広は部屋から出て行った。祐筆の一人が

「やれやれ、柴田家の若き知恵袋も奥方の事になると形無しでございますな三成殿」

 と苦笑して述べた。

「ははは、しかし明日は我が身にござる。手前の妻の腹も膨れてきましたからな。それがしはもっと足が地につかんかもしれませぬ」

「三成殿は花押を名の通り三度くらい書いてしまいそうですな」

 ドッと笑う三成と祐筆たち。

「ははは、さて仕事を片付けてしまいましょう」

「はっ!」

「あっと、その前に…」

 

 全速力で家に駆け戻った隆広。離れの部屋からはさえの苦悶の叫びが聞こえてきた。

「殿!」

「監物、さえのいくさが始まったのだな!」

「御意に!」

 家に戻ってきたのはいいが、特にする事は何も無い事に気づいた隆広。家令の監物と共に居間にいて愛妻が無事に大いくさをやり遂げるのを待つしかない。居間で落ち着いて座る事もできずウロウロしている隆広。

「殿、落ち着いて…」

 監物の言葉も右から左。

「オレには何にもできないのか、さえは苦しんでいると云うのに…」

「男と云う物はこういう時は何の役にも立たぬ物にございますよ」

「だけど…。ああさえ…」

 そして、待望の第一声が水沢邸に轟いた。

 

「おぎゃあ、おぎゃあ」

 

 祈るようにこの声を待っていた隆広と監物。この泣き声を聞いた瞬間、思わず抱き合った。監物は床の間に飾られている主君朝倉景鏡の鎧兜と陣羽織に平伏して報告した。

「殿! お孫さまの誕生でござるぞ!」

「やった…」

 隆広は全身のチカラが抜けたように、ペタンと座り込んで柱にもたれた。急ぎ八重が廊下を駆けてきた。

「殿様! 母子共に、ご健やかにございます!」

「そうか!」

「若君にございますよ!」

「男子か!」

「はい! お手柄にございます!」

「うん! 行こう監物!」

「は!」

 父の水沢隆広と共に、激動の乱世を行きぬく運命を背負う武将の誕生だった。

 

「さえ―ッ!」

 隆広はさえがいる部屋へと駆けた。そして、愛妻の横でスヤスヤと眠る赤子を見つけた。

「お前さま…」

「さえ…お疲れ様。もうそなたを褒める言葉も見つからないよ…。大手柄だ」

「はい…」

「これが…オレたちの子か」

「はい…」

「男子だが…顔はそなたに似ているな。さぞや美男になるだろうな」

「どんなに美男に成長しても…この日の本では二番目の美男子です」

「一番は誰なんだ?」

「んもう…分かっているくせにぃ…」

 赤子を取り上げた産婆も、場の空気を持て余し、いそいそと部屋から出て行った。監物も一目赤子を見て、部屋の外で八重と共に待った。

「今頃…殿も冥府で喜んでいよう…。初孫じゃ」

「そうですね…。弟景鏡の分まで可愛がってあげなきゃ…」

「しかし、女の子なら名付け親になれたワシらなのにのォ。少し残念じゃ」

「何を申しますか、さえ姫様はまだ十九歳です。いくらでも子は出来ます」

「そうじゃな、あははは」

 

「け、監物殿―ッ!」

 侍女が慌しく廊下を駆けてきた。

「これこれ! 静かにせねば若君が起きて…」

「か、か、か!」

「『か』では分からんだろうが」

「勝家様がお越しです!」

「な、なぬ! 八重、急ぎ出向かえじゃ!」

 隆広の元にもそれが知らされた。

「殿様!」

「どうした八重?」

「ご主君、勝家様がお越しにございます!」

「え!」

「お前さま、早くお出迎えを」

「分かった、さえは寝ているがいい」

「はい」

 

 勝家は石田三成から、さえが産気づいたと聞き仕事を大急ぎで片付けてやってきた。隆広とさえの子を少しでも早く見たかったのか…

「かまわんかまわん! 出迎えなどいらん!」

 と、隆広がさえの元から玄関へ行く前に、隆広たちの元にやってきてしまった。

「おお!」

「と、殿?」

 さえは産後のだるさがあったが、勝家の前で寝ているわけにもいかず起き上がろうとするが

「よいよい! 寝ておれ!」

 生まれた赤子の元に嬉々として走る勝家。スヤスヤと眠る赤子を見て閻魔勝家の顔が優しく笑った。

「おおッ! 大手柄じゃぞ、さえ!」

「は、はい」

「本当に大手柄ですよ、さえ!」

「お、奥方様!?」

 なんと、お市まで隆広の屋敷にやってきていた。またさえは起き上がろうとするが、お市に静かに制された。

「おお、どう抱いたら良いのじゃ、お市よ教えてくれ!」

「こうですよ」

 赤子はお市に抱かれた。

「ああ…なんとかわいらしい」

 監物と八重、いや隆広とさえもポカンとしていた。家臣の子の誕生に城から大急ぎでやってきて、しかも勝家だけならまだしも、お市まで来て嬉々として赤子を抱いている。明らかに家臣の子の誕生にしては異常な喜びようである。

「どうなっとるのじゃ…八重?」

「いや…私も…」

「まるで初孫の誕生を喜ぶかのようじゃ…」

 

「隆広、名は決めてあるのか?」

「は、はい。それがしと養父の幼名である『竜之介』と…」

「竜之介か! よい名じゃ!」

 お市は隆広と勝家の会話など聞こえないかのように、愛しく竜之介の頬に頬擦りしていた。

「奥方様…」

「あ、ごめんね、さえ。母親から取り上げちゃうなんて」

 お市はさえの横に竜之介を優しく寝かせた。

「隆広」

「はい」

「丈夫に育てよ」

「はい!」

「守り刀を与える」

 勝家は自分の腰に差していた刀を隆広に与えた。かつて伊丹城の戦いで隆広が勝家に借りた刀である。

「『貞宗』…! これを竜之介に!?」

「うむ」

「あ、ありがとうございます!」

「こらこら、お前にやるのではない。竜之介にやるのだぞ」

「はい! 必ず丈夫に育て! 元服の折に授けます!」

「うむ」

 勝家はさえの横に眠る竜之介をもう一度ゆっくり見つめた。鬼と呼ばれる勝家と思えない優しい横顔だった。市も微笑み、勝家と一緒に竜之介を見つめる。まるで祖父と祖母である。

「体を厭えよさえ、隆広に思い切り甘えるが良い」

「はい…!」

「ん、では帰るぞお市」

「はい」

 勝家とお市は隆広の家を後にした。

「ふうビックリした。まさか殿があそこまでオレたちの子の誕生を喜んでくれるなんて」

「ほんとです」

「しかし…オレも今日から父親か」

 改めて竜之介の顔をしみじみ眺める隆広。

「私も今日から母親です」

「そうだな。オレたち、いい父上と母上になろうな」

「はい、お前さま」

「さ、疲れただろう。今日のところはゆっくり眠るがいいよ」

「うん…」

 さえは隆広の言葉に安心すると静かに眠りについた。そのさえの横でスヤスヤと眠る我が子竜之介。その日は一日中、産後の疲れでぐっすり眠る愛妻の寝顔と、眠る我が子の顔を飽きる事なく見ていた隆広。

「この寝顔を…オレは一生守る…!」

 

 翌日、まだ産後の疲れが残るさえに気遣いながらも水沢家では宴が開かれた。途中からほとんど隆広の女房自慢とノロケになってしまったが、もう家臣たちやその妻たち、忍びたちも慣れっこだったか、適当にノロケ話を流しつつ主君の若君誕生を喜び、その美酒に酔った。

 水沢隆広に男子が生まれたと聞いた織田信忠、明智光秀は赤子のオシメや着物などを祝いで届けた。高価な祝いの品では隆広が返礼に困る。心得た祝いの品であった。

 他にも黒田官兵衛、仙石秀久、山内一豊、斉藤利三、明智秀満、溝尾庄兵衛らからもオシメと着物が届いた。前田利家、不破光治からも同様の品々が届いたので、水沢家は若君竜之介のためにオシメと着物を買う必要がなかったそうな。

 隆広を警戒し出している羽柴秀吉もめでたい事はめでたいと、松の木の苗木を隆広へ贈った。隆広はそれを庭に植えて秀吉に感謝の気持ちを込めると共に我が子の成長を願った。この松の木は現在も北ノ庄城址公園にあり、福井県の重要文化財となっている。

 

 さえも産後に体調を崩す事も無く、乳の出もいい。それを幸せそうに見つめる隆広に苦笑しつつさえは訊ねた。

「さえの乳を見ているのですか、それとも竜之介?」

「ん? 両方」

 笑いあう二人。この仲の良い夫婦の愛情を受けし嫡子竜之介。彼にはどんな人生が待っているのだろうか。

 

 主君隆広に若君が生まれた事を、吉村直賢は宇須岸(函館)への交易中に聞いた。それを記した書を嬉しそうに読んだ。

「これはめでたい。男子とはな!」

 その直賢の傍らにいた若狭水軍頭領の松浪庄三。柴田交易船の護衛をしていたので彼の耳にも隆広に男子が生まれたと云う事は知らされた。

「隆家も冥府で喜んでいような。水沢の名を継ぐ孫の誕生だ」

「確かに。殿の奥方へのノロケが倍増しそうなのが家臣としては頭痛の種にございますが」

 苦笑して直賢は若君誕生が記されている書をフトコロにしまった。

「それと…庄三殿」

「なんでござろう」

「竹中半兵衛殿が病に倒れたそうにございます」

「…? 何故それをそれがしに聞かせまするか?」

「ご貴殿の元家臣にござろう?」

「…半兵衛はそう思ってはおるまい」

 庄三はフッと笑って海を見つめた。

「どうでしょうかな。ご貴殿が斉藤家滅亡後に畿内中心に反織田勢力を味方につけて大殿へ立ち向かった事は半兵衛殿なら聞いているでしょう」

「……」

「そんなマネは才なくして出来ない事。なぜ自分は斉藤家にいたころにそれを見抜けなかったかと…結構悔やんでいるかもしれませんな」

「直賢殿…。半兵衛は間違ってはおらぬ。あの当時のオレは確かに愚かだった。楽毅を使いこなせなかった恵王と同じよ」

 楽毅とは中国春秋時代の燕国の名将である。先君昭王に重用されて縦横無尽の活躍をしたか次代の恵王と不仲になり、ついに恵王は楽毅を戦場から呼び戻し殺害を謀るが楽毅はそれを察し他国へ亡命してしまった。

 楽毅は国を捨てたが人々に非難はされず、名将楽毅を使いこなせなかった恵王の方が小人とあざ笑われた。庄三は自分がその恵王であると述べたのだった。

 

 やがて直賢の交易船は敦賀に帰港して、若狭水軍も自分の砦に戻って行った。そして直賢は改めて隆広の屋敷へ祝辞を述べに訪れた。用件は祝辞だけではなかったのだが。

「殿、若君の誕生、おめでとうございまする」

「ありがとう直賢! 見てくれ竜之介を!」

 さえの腕の中に抱かれる若君竜之介。

「おお、丸々太って! 丈夫な証拠にござるな!」

「うん!」

 しかし竜之介は空腹のためぐずり出した。

「あらあら! お前さま、直賢殿、申し訳ございません。そろそろお乳の時間なので」

「いえいえ、それがしにおかまいなく」

 さえは竜之介を連れて部屋から出て行った。

「いや殿、本当におめでとうございます。二十歳で嫡子を得るとはまことにめでたい。水沢家は安泰にございまするな」

「うん、夫婦になり四年とちょっとか。やっと授かった。まだまださえには生んでもらいたいな」

「さえ姫様は十九、まだまだにございます。手前の妻の絹など三十二でまた身篭りましたからな。あははは」

「あははは、ところで直賢、宇須岸交易の成果はスゴいな。蝦夷の物産がどんどん入ってきていて殿は大喜びだ。この調子なら来年にまた減税が可能かもしれないな」

「お褒め恐悦に存じます。して…殿、本日まかり越しましたるは一つの販路開拓に殿の助勢を願いたく、それをお頼みにまいりました」

「んー、殿に城下産業の推進の主命を受けているから、そんなに時間は取れないのだが…」

「いえいえ、かように時間は取らせませぬ。一日ほど手前にお付き合いして下されれば」

「それぐらいなら何とか時間を作れるな。で、どこに販路を開拓する?」

「長浜にございます」

「長浜? しかし長浜は…」

「はい、琵琶湖流通において敦賀と長浜は勝家様と羽柴様の不仲さゆえ、今まで実現はしておりませんでした。しかしながら殿、こたび長浜城の城主に山内一豊殿が拝命されたとの事にござる」

「一豊殿が!?」(史実では一豊が最初に拝領する城は若狭高浜城二万石で、かつ小牧の役の後。長浜城二万石になるのは秀吉関白就任後であるが、本作ではこの時点とする)

 つい先日まで馬一つ買えなかった山内一豊であるが、長年の働きを認められて二万石で長浜城に入った。

 吉村直賢が宇須岸から帰ると、部下からの報告書の一つに山内一豊が長浜城主になった事が記されていた。秀吉は現在、播磨の姫路城を本拠としているので、後方に置いたかつての居城を信頼おける部下に預けたかったのだろう。

「はい、羽柴様が本拠地を播磨に移したため、長浜城は今まで羽柴家の代官が居座っていただけでしたが、正式に城主が入ったそうにございます」

「しかし…一豊殿も今は毛利攻めに出陣して留守であろう」

「ところが毛利攻めは包囲戦術中心のため戦の機会はなく、一豊殿は一時羽柴様より長浜に帰されたそうです」

「包囲中で戦の機会がないとは申せ帰城を?」

「部下の報告によりますと、一豊殿に城主を委ねると同時に長浜で兵農分離をさせて、来る毛利本隊との戦いに備え、兵と物資の補充をさせるつもりのご様子」

 さすがは情報が飯のタネ、かつ勝利の源とも云える商将。忍びとは違う商人を経ての情報源という物を直賢は持っている。そしてこのように知りえた事は隆広に口頭か書状ですべて報告している。だから直賢は隆広に深く信頼されている。

「ふむ…。そういう主命を帯びているとはいえ、一豊殿は城にいると云う事か」

「はい、長浜は肥沃な地、名産も多うございます。さすがに宇須岸ほどの利は望めませんが近距離で危険も少なく、よき販路となる見込みにございます。今までは無理でしたが山内殿が城主になった今、販路を結ぶ事は可能かと存じます。二万石とはいえ山内殿は大名、他の商人と異なりそれがしでは目通りかないますまい。ぜひ殿の助力を請いたいと存じます」

「よし分かった、長浜へ行こう。近日中に訊ねし事を一豊殿に書状で伝えてくれ」

「恐悦に存じます!」


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