天地燃ゆ   作:越路遼介

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ついに武田攻めが始まります。


血涙、岩村城

 近江長浜で遭遇した江北地震の負傷を癒した水沢隆広が北ノ庄城に戻ったころ、織田信長から柴田勝家へ使者が訪れた。村井貞勝と云う男であり、内政官と言う面と同時に信長から軍団長への使者としても多々用いられている。村井貞勝は勝家に信長の命令を伝えに来ていた。

「…という事でございます。柴田様にはいよいよ加賀を攻められたしと大殿の仰せです」

「心得た。もう準備は整っておる。加賀の門徒どもめ、根絶やしにしてくれるわ!」

「なお、池田恒興様、蜂屋頼隆様、堀秀政様、蒲生氏郷様、筒井順慶様、氏家行広様、高山右近様の軍勢が応援部隊に組み込まれます」

「おお、これは心強いのう。織田の加賀併呑も時間の問題じゃ」

「ただし」

「ん?」

「水沢隆広殿を武田攻めに借用したいと若殿からの仰せです」

「隆広を武田攻めに?」

「はい、武田攻めの総大将は若殿。その若殿たってのご要望ですが…」

「若殿の…」

(ふむ…隆広を己の右腕にしたい気持ちはまだ失せておらぬか。若殿に深く信認される事は隆広にも柴田家にも悪い事ではない…。断りたいところだが、ここは飲もう)

「あい分かった。隆広を若殿にお貸しいたす」

「そのむね、大殿と若殿に伝えておきます」

「ふむ、ワシも隆広にすぐ出陣の準備をさせる。信忠様が総大将と云う事は岐阜城に赴かせれば良いのだな?」

「御意にございます」

「うむ、すぐに出立させる」

 

 勝家はこの命令に少し安心もした。これから加賀で繰り広げられる戦いは凄惨を極める事になると勝家は予見していた。そしてそれは現実となり日本内戦史上、もっとも多くの死者を出す事となる。

 加賀一向一揆の門徒たちを根絶やしにするため、老若男女皆殺しである。性格が優しい隆広には少し荷が重い合戦となる。小松城での戦いでは、あえて合戦のむごさを教えるために隆広に試練を課した勝家だが、別に人を殺す事に対して平気になってもらいたいからではない。『戦に負ければ、自分たちの国がこうなる。だから戦には勝たなくてはならない』と云う事を鮮烈なまでに教えたかったからである。

 そのためには、敵に対しては時にとことん残酷にならなければならない事もある。特に今回のような宗教に狂った者たちにはそうしなければならない。殲滅しなければ殲滅させられてしまうのだ。隆広もそれは分かっているだろう。

 しかし勝家から見て、隆広がその冷酷に徹しきれるとは思えない。聞けば養父隆家に隆広は『女を殺すな』と教えられている。幼いころに父親に叩き込まれた理念というものは、そう簡単には変えられるものではない。

 加賀攻めに隆広が出陣した場合、自分の出来る範囲で女子供を逃がす事も考えられる。それは軍律違反を犯す事になる。勝家としても看過できない。だからいっそ加賀攻めから外れて、武田攻めに配置換えを余儀なくされて、むしろ勝家はホッとしたのである。村井貞勝が去り勝家は隆広を呼び出した。

 

「お召しによりまいりました」

「ん、近う」

「はっ」

「今さっき、大殿から使者が来て、我ら越前柴田家の悲願、加賀の総攻めが決定した」

「いよいよ加賀を柴田の手で!」

「うむ、だが隆広、そなたは加賀攻めより外す」

「は!?」

 一瞬言っている意味が分からなかった隆広であるが、意味を把握すると一気に悲しくなった。

「そ、そんな! 柴田家の悲願である加賀討伐にそれがしをお外しに? ワ、ワケを聞かせて下さい!」

「ああ、すまんすまん。言い方が悪かったな。そなたは違う戦陣に赴いてもらう」

「違う戦陣に?」

「若殿が総大将になる武田攻めだ。そなたを用いたいと若殿たっての依頼だそうじゃ」

「武田攻め!」

「そうじゃ。加賀の地と武田軍、今回織田は二面作戦を執る。加賀はワシが総大将、武田は若殿信忠様が総大将と云うわけじゃ。大殿も軍勢を率いて若殿の後詰をするらしく、安土で隊を編成中じゃ。そして若殿はすでに岐阜城で軍備を整え、此度のいくさで寄騎武将となる滝川一益とそなたの到着を待っているらしい」

「では柴田家からはそれがしだけが?」

「ふむ、加賀はワシが総大将となり門徒たちを殲滅する。そなたは岐阜城に赴き、若殿の采配に従え」

「しかし殿、それがしは柴田の臣。さきの松永攻めのようにそう何度も一部隊だけ離れて織田本隊の戦陣に赴いて良いものでしょうか…」

「確かに本来はあまりない用いられ方だな。普通の主君は家臣が自分より上位の者に連結する事は好まない。隆広とてそうじゃろう。助右衛門がそなたを飛び越してワシと連結したら不愉快であろう」

「はい」

「おぬしが信忠様に用いられると云うのはそういう事だ。しかし信忠様はすでに自分が織田家当主になった後の展望があるのだろう。大殿の天下布武を継承するには、そなたの補佐が欲しいと考えている。大殿に仕えている武将たちは曲者ぞろい。彼らの忠誠を得られるかが心配でもある。よって年下で将才もあり、かつ自分に従順な性格のそなたをどうしても今のうちから右腕にしたいと考えている」

「しかしそれではそれがしは殿の家臣ではなく、信忠様の家臣と相成ってしまいます」

「なに、そなたが大名の道さえかなぐり捨ててワシの家臣であろうとしたのを信忠様も見ているのじゃ。完全に当家から引き抜く事は無理と知っているだろう。じゃが陪臣の身とて主家の若殿の信頼は大事にせねばならん。そなたには無論、当家にも大切な事である。今は信忠様の采配の元、武田を倒す事だけ念頭に置け。他陣に赴こうと、そなたは柴田の忠臣である事は誰もが分かっておる」

「承知しました。それがし岐阜に赴きます」

「うむ、なお今回は才蔵のような副将はつけてやれぬが、五千の兵をつけてやる。そなたの正規兵合わせれば七千、柴田家としても面目の立つ兵力だろう」

「はっ!」

「隆広、いかにかつての勢いはなくても相手は武田! けして油断するでないぞ。若殿を勝たせ、かつ手柄を立てて帰って来い。加賀の戦の事は考えず、武田を倒す事だけ考えるのじゃ。良いな!」

「ハハッ!」

 

 織田信長の武田攻めの予兆はこうである。長篠合戦以後、武田勝頼は商人を家臣に取り立てると云う画期的な人事で一度は財政の建て直しに成功する。

 そして信長を討つべく北条氏政の妹である相模姫を妻に迎え、北条家と同盟を結ぶが、これが裏目に出てしまった。上杉謙信亡き後に上杉景勝と上杉景虎の間に勃発した御館の乱。

 勝頼は北条氏政の実弟である景虎を助けるべく出陣するが、その隙を突いて徳川家康が武田家の勢力下であった駿河に侵攻を開始した。やむをえず勝頼は兵を引き上げる事になるが、この際に景勝の謀将直江兼続が勝頼に多大な金も送ったとも云われている。武田の援軍がなくなった景虎は敗れ、景勝勢に殺された。これに激怒した北条氏政は武田との同盟を破棄。逆に徳川と結んでしまった。武田は織田、徳川、北条と包囲されてしまったのである。

 

 そして徳川家康は武田の高天神城を包囲した。支城が攻撃を受けたら援軍を出すのが本城の務めであるが勝頼にはすでに援軍を出すほどに兵の分散は出来なかった。

 そしてこの高天神城を見捨てた事が武田崩壊に繋がるのである。信長は包囲していた徳川家康に高天神城の降伏を受けてはならないと厳命していた。当時、城側が降伏を申し出てきたら受け入れるのが当然であったが、信長は勝頼が高天神城を見捨てて、武田君臣の結束が瓦解する事を図ったのである。

 高天神城は武田の勇将、岡部元信が守っていた。家康は元信の将才を鑑み、チカラ攻めはせず兵糧攻めにした。兵糧尽き餓死者も出た高天神城は最後の突撃を徳川軍に敢行して全滅したのである。

 理由はどうあれ武田勝頼は家臣を見捨てた形となり、武田の家臣たちは勝頼を見限りだした。

 

 勝頼は窮地を打開するために、武田家の本拠である甲斐に新府城を築城して防備を固めるとともに、武田軍団の再編成を目指した。

 しかしそのために膨大な軍資金を系列の国人衆に要求する事になり、逆に国人衆の造反を招く結果となった。翌年には武田信玄の娘婿である木曾義昌が織田・徳川側に寝返るという結果を招く事になり、織田家に弟の上松義豊を人質として差し出し寝返ったのである。

 勝頼は一族の重鎮である義昌の反逆に激怒し、人質にしていた義昌の側室と子を処刑して、義昌討伐の出陣令を出した。総数一万五千の大軍である。

 木曽義昌の反逆。機の熟したのを見た織田信長はついに武田征伐を決定し動員令を発した。息子の織田信忠を総大将に岐阜城を進発し、信長はその後詰にまわった。さらに同盟者の徳川家康が駿河から、すでに武田とは疎遠状態になっていた北条氏政(妹は勝頼の夫人)を相模から進軍させる事も決定した。

 織田信忠に付けられた有力武将は二人。滝川一益、水沢隆広である。彼ら二名は信長から『信忠を補佐せよ』と厳命された。一陪臣である隆広が織田本隊の大事な合戦に軍団長として抜擢されたのである。信長と信忠親子がいかに水沢隆広と云う武将を高く評価していたか、これで容易に察する事ができる。

 

 急ぎ奥村助右衛門、前田慶次、石田三成が隆広に呼ばれ、出陣の用意にかかった。松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂ら新米幹部たちも慌しく準備に追われ、相手が武田家という事で、隆広貴下の忍びである藤林忍軍も召集された。隆広が自宅に戻ったのはもう深夜にかかったころである。

 

 ガチャガチャ

 

 甲冑の音を鳴らして、さえの待つ部屋に行った。

「起きていたのか」

「はい、出陣前夜の夫を寝姿でお送りはできませんから」

 とはいえ無理に起きていたのかずいぶん眠そうである。その傍らでは嫡男の竜之介がスヤスヤと眠っていた。

「武田家を攻めるそうですね」

「ああ」

 さえの前に隆広はゆっくりと腰を下ろした。

「油断する気はないが、長篠合戦以降から武田の没落は明らかだ。勝てる見込みは十分あるが正直気の進まない合戦だ」

「お前さまは武田家の兵法を学んでいましたものね…。手取川の合戦では信玄公に化けてまで謙信公に突撃をして…」

「それもあるが…高遠の仁科盛信殿に仕える将の中に、オレに槍術を教えてくれた方がいる」

「お前さま、剣術だけでなく槍術も?」

「養父隆家と諸国漫遊をしている時、甲斐にも立ち寄った。その時、数ヶ月手ほどきを受けたんだ。槍の基本的な使い方を教えてくれた」

「そうだったのですか…。槍の先生が敵に…」

「うん…できれば高遠城を攻めたくないが、そうもいかないだろう。理想論かもしれないが…オレが大殿なら勝頼殿を降伏させ、改めて甲信を与えて統治させる。今後の合戦で大いに活躍してくれるだろうに残念だ。また恵林寺の快川和尚は…」

「……」

「…ん?」

 さえは眠ってしまっていた。寝姿で明日出陣の夫の帰りを待つわけにもいかない。無理して起きていた。

 起こさない様に抱き上げて、隆広は愛妻を蒲団に入れた。竜之介もすぐ横に置いた。スウスウと眠る愛妻と我が子の寝顔を隆広は飽きる事なく、しばらく見つめていた。

 ようやくそれに満足して、甲冑を脱いで風呂に入った。風呂場の窓から月を眺める隆広。

(松姫様…)

 ふと一人の少女を思い出した。

(信忠様もつらかろうな…。しかし織田家の家臣となりいつかは…とは思っていたけれども、とうとう武田家と…。恩知らずと呼ばれるであろうな…)

 松姫とは、武田信玄の六女で、かつて織田と武田が和議を結んだ時に信忠と婚約関係になった姫の事である。歳は信忠より三つ年下で隆広とは同年である。しかしその婚約関係はあの三方ヶ原の戦いで崩壊する。武田が徳川家康を攻めた時に織田が援軍でやってきたからである。

 信忠はその後に違う妻を父の信長から娶わされ今日にある。しかし幼い頃から婚約関係にあった松姫を信忠はずっと思慕していた。そしてそれは松姫も同じだったのである。その松姫のいる武田家に信忠は総大将として攻めなくてはならないのである。

 

 風呂から出て寝所に向かい、横になる隆広。彼も疲れていたのですぐに眠りに陥ろうとすると…。

「オギャア、オギャア」

 竜之介が夜泣きしだした。隆広の方が先に起きた。

「おお、どうした竜之介。よしよし」

 下半身を触れてみると湿っている。

「小便か、よしよし」

 枕元に置いてあるオシメを取る隆広。さえが起きると、夫が鼻歌交じりに竜之介のオシメを交換していた。手際もいい。

「済んだぞ。湿った手拭で尿も拭き取ったから大事無い」

 ポカンとしているさえ。一軍の将帥の夫が息子のオシメを交換している。現代では不思議のない光景だが、当時では考えられない事だった。

「そなたは一日中竜之介と戦をしているのだから、いる時くらいはオレがやるよ」

 さえは表にこそ出さなかったが、隆広の気持ちは涙が出そうなほど嬉しかった。

「ずいぶんオシメを替える手際が良いです」

「寺の坊主をしていた時、近隣の子らの子守も修行の一つだった。つくづく養父が課して下された修行は何一つ無駄がなく実用向きだと思う。あははは」

 そう言いながら隆広は寝巻きのはだけたさえの胸元と足をチラチラ見ている。

「コホン、竜之介もまた眠りだしたし、我らも寝よう」

「…目が覚めてしまいました」

「ん?」

「出陣前の血のたぎり。鎮めて差し上げとうございます」

「疲れていないか…?」

「大丈夫です。お前様、さえを…」

「うん、たっぷり堪能させていただく」

「んもう…助平な言い方しないで下さい」

 

 朝、勝家から兵を増強された水沢軍は七千で北ノ庄城を出発し、数日後に岐阜城へ到着した。

 まず織田信忠軍が落とすのは、信濃との国境にある美濃岩村城である。岩村城は源頼朝の家臣、遠山氏が築城したもので、戦国時代には斉藤氏に付いた。水沢隆広の養父隆家の妻は遠山家の出である。現城主、秋山信友の妻お艶の方、その前夫の遠山景任の妹が水沢隆家の妻である。隆広は養父の妻と会った事はない。隆広が隆家の養子になった頃には亡くなっていたのである。養父隆家が隆広に妻を語った事は一度もない。しかしながら養父の妻ならば母も同じ。隆広にはつらい戦いであった。

 岩村城は秋山家と遠山家の者が和を成し、武田信玄が生きている間には平和に暮らしていた。しかし信玄の脅威が失せた今、織田信長がその平和を打ち壊す。城主秋山信友の妻のお艶は織田信長の年下の叔母にあたり、信忠にとっては大叔母とも云える。そして秋山信友は信忠と信玄の娘の松姫との婚約の時には信玄の名代として信長に会ってもいる。敵将夫妻は信忠にとり縁がある人物であったのだ。

 

 なぜ織田信長の叔母であるお艶が武田家の勇将秋山信友の妻になったか。それはこういう経緯である。一度は和議となった武田と織田であるが、武田は事実上それを無視して西進の途についた。徳川との合戦により織田家が徳川の援軍に来て和議は破棄され交戦状態となった。

 その三方ヶ原の合戦時に美濃攻略を信玄に任されていたのが秋山信友である。信濃と美濃のほぼ国境に位置する岩村城。すでに病没していた岩村城主遠山景任に代わり、篭城の指揮を執っていたお艶。しかし信長の援軍が来られない事を知ると、自分の命と引き換えに兵の命をと信友に懇願。信友はそれを受け入れ、そして美貌のお艶を妻にして無血開城となった。

 信長はこれを聞いて激怒したが、まだ信玄存命中の武田軍は強大で放っておくしかなかった。だが今や信玄は没しており、武田の家中は四分五裂。ついに信長はかつて妹のように愛しんでいたお艶のいる城へと攻撃の手を向けた。

 

 また岩村城は武田氏と織田氏の侵攻に備えて水沢隆広の養父である水沢隆家が大幅に改修した城である。皮肉にも隆広は養父が改修した城に攻める事となった。

 養父隆家の城普請の達者を知る隆広はチカラ攻めを断固否定し、最初から持久戦に持ち込んだ。周囲を信忠軍が包囲し、兵糧の運搬を不可能にしたのである。岩村城は霧ヶ城と呼ばれるほどに水が豊富であるが、食糧はおのずと限界がある。武田勝頼の援軍は来られないと知っている秋山信友は降伏を決断した。こんな話がある。

 

 忍びから、岩村城内が飢餓状態に入った知らせを聞いた隆広は信忠に『兵糧を送るべし』と具申した。驚いた信忠と滝川一益は意図を尋ねた。

「かつて武田と織田の和議の使者に立ったのは秋山殿であり、またその妻は信忠様の大叔母にござる。敵とは云え、相手は縁ある者。送りし兵糧は、降伏をせよと呼びかける何よりの重き言葉になりましょう」

 羽柴秀吉と同じく水沢隆広も城攻めは兵糧攻めを得意としたが、秀吉と隆広の兵糧攻めで似ているところは、こうした心理作戦を多々駆使して城方の降伏を早める工夫があった点である。しかし一つ違う点は、隆広は城方が極端な飢餓状態に陥る前に実行しているところである。

“敵が餓死に至るところまで兵糧攻めをするのは武士の所業にあらず。水沢の兵糧攻めは敵の士気を落とす事を狙いとしている。士気が落ちたところで敵に兵糧を送るのだ。さすれば敵はおのずと降る”

 この隆広の論は弱肉強食の戦国時代では甘いとも受け取れる。しかし隆広の城取りの結果を見てみれば、すべて隆広の言葉どおりになっているのである。

“心を攻めし柴田のネコ”徳川家康の隆広評と伝えられている。

 

 岩村勢は信忠が送った兵糧を見て、武人の情けを知り、やがて信友は降伏を決めたのだった。自分一人の切腹で城兵やその家族は助命して欲しいとの事だった。信忠は了承した。

 織田信忠指揮の岩村城攻め。城主秋山信友が降伏して自分が切腹する代わりに兵とその家族の助命を信忠に願い、信忠はそれを受けた。後詰で岐阜城にいた織田信長はこれを聞いてすぐに信忠本陣へと駆けた。織田信忠、滝川一益、水沢隆広が出迎えた。本陣の床几に座り岩村城を見る信長。

 

「ふむ、秋山信友と云えば武田の猛将。よう落とした。褒めて取らすぞ信忠」

「はっ」

「今ごろ秋山信友、艶は城明け渡しの準備をしているころか」

「はっ、腹を召すのは城主の秋山信友のみと云う事で降伏を受けました」

「…ネコ」

「はっ」

「逆さの磔台を二つ用意せよ」

「…は?」

「同じ事を言わせるな。信友と艶の分の逆さ磔台、至急用意せよ」

 隆広もだが、信忠もあぜんとした。

「ち、父上、大叔母上まで何故!?」

「あの女は織田を裏切り、武田にマタを開いた。もはや織田一門にあらず」

「お、お待ちください! 一度降伏を受け入れた者をかように処刑したら!」

「…またワシが唐土の項羽と同じ道を辿るとでも言いたいのか…? ネコ」

「叔母とは申せ、大殿とお艶の方様はご兄妹のように仲睦まじかったとネコは聞き及んでいます! かような女子を何故大殿は!」

「分からなければ分からんでいい。キサマとはこの点においては百年討論しようと理解しえぬわ。さあ磔台を用意せよ!」

「解せませぬ、それがし大殿が以前に山中(美濃と近江の国境にある集落)の宿にて物乞いの男に救いの手を差し伸べた話を聞き及びました! かような面もお持ちと云うのに、どうして実の叔母に対してそんな冷酷無比になれるのでございまするか!」

「簡単な事だ、余を裏切った者は許さん」

 

 織田信長と云えば冷酷非情で残忍な武将と知られているが、こんな話も伝わっている。美濃と近江の国境に山中と云う集落があり、そこに体の不自由な者が雨に打たれ乞食をしていた。信長は京都への往還の道中でたびたびこの乞食を目にしており、常々その様子を哀れと思っていた。ある時この乞食について

「乞食という者は住所も定まらず流れ歩くものである。しかるにこの者だけはいつ見ても変わらずこの場にいる。これはいかなる仔細によるものか」

 と不審に思い村の者に尋ねた。すると村人は

「この者は山中の猿と申しまして、こやつの祖先はこの山中で常磐御前を殺しました。その報いで子孫は代々障害を持って生まれ、あのように乞食をしております」

 と答えた。そのまま信長は上洛の途に着いたが、その乞食猿の事が頭から離れず信長は供の荷物の中から木綿二十反を持ち、山中の宿に戻り

「当宿の者は男女を問わず集まれ。申し付けたき事がある」

 と呼び出した。土地の者たちは何事を申し付けられるのかと緊張の面持ちで集まってきた。信長は集まった者たちを前に手にした木綿二十反を土地の者に受け取らせ、

「この反物のうち半分をもって近くの家に小屋をこしらえ、この者が飢え死せぬよう、よく情をかけて入れ置いてやれ」

 と言葉を添えた。重ねて信長は

「近郷の者たちは、毎年麦ができれば麦を一度、また秋には米を一度、あわせて年二度ずつこの者に施しを与えてやってくれれば、余にとってこれほど祝着な事はない」

 とも述べた。あまりの慈悲深さに当の乞食猿は言うに及ばず、山中宿中の者たちも落涙し、信長の供をしていた者たちもみな感涙にむせんだと云う。(史実です)

 

 しかし、目の前にいる織田信長はそんな慈悲深い事をした者と同一人物と思えないほどの冷酷さである。民には仏、敵には魔王。それが織田信長なのであろうか。しかし若い隆広には、その信長の冷酷さが理解できなかった。

「何をしている。磔台を二つ作ってここへ持ってこい!」

 拳を握り、怒りに震える隆広。

「隆広様、言うとおりになされよ!」

 傍らの奥村助右衛門が諭した。

(くそッ…!)

 隆広は陣を出た。

「父上…。それがしも隆広と同じ意見で」

「だまれ」

「……」

「ワシを裏切り、武田の将にマタを開き…そればかりかこの城を無血でくれてやったあの女…! 八つ裂きにしても足らぬわ!」

 

 隆広は部下たちに磔台を作れと言わず、そのまま自分の陣屋に入ってしまったので奥村助右衛門が変わりに磔台を作らせた。そして岩村城主の秋山信友、その妻であるお艶が城から出てきた。

「久しぶりじゃのう、お艶」

「信長様…」

「秋山信友にござる。手前の命で部下たちの助命かないたるや…」

「何の話だ?」

「なに…!?」

 信長が手をあげると陣幕が開いた。そこには逆さ磔台が二つあった。

「……!」

「切腹だと? そんな上等な死をこの信長がくれてやると思っておるか!」

「の、信長様…! それはあまりに!」

「敵将にマタを広げた売女が! 死ぬがいいわ!」

 信友とお艶は兵士に取り押さえられた。

「おのれ信長ァァッ!!」

 秋山信友の無念の叫びか響く。

「我れ…! 女の弱さのためにかくなりしも…! 自らの叔母をかかる非道の処置をなす信長…! かならずや因果の報いを受けん!」

 お艶は髪を振り乱して呪詛を叫んだ。信友、お艶夫婦は逆さ磔にされた。そして…

 

 ドスドスドスドスッッ!

 

「ぐあああッ」

「の、信友さまーッ! アグッ!」

 

 ドスドスッ!

 

「む、無念…ッ! 信長…! 祟ってくれよう…ぞ!」

 秋山信友とお艶は全身を槍で貫かれ息絶えた。その光景から信忠は眼を背けた。隆広は陣屋に篭ったまま出てこなかった。お艶の断末魔の叫びは隆広の陣屋にも届くほどに怨嗟と無念に満ちていた。隆広は両手で耳を塞いだ。

「ふっはははははッッ! 余に逆らう者はこうなるのだ! ふっはははははッッ!」

 

 信長から信忠の軍はそのまま信濃に向かうべく指示され、織田信忠は滝川一益、水沢隆広を引き連れて信濃に入った。向かう城は高遠城。そして行軍中に岩村城でその後に信友の将兵は無論、女子供に至るまで信長に虐殺されたと云う報告を聞いた。

「なあ隆広…」

「はい」

 信忠が語りかけた。

「オレには最近…父が分からなくなった…」

「信忠様…」

「いや、よそうこんな話は。それより敵地信濃に入った。戦はまだまだこれからだ。頼りにしているぞ一益、隆広!」

「「ははっ!」」

 

 信忠の横で馬を進める隆広。進軍の後ろから走ってきて、隆広の愛馬ト金のくつわを取った若者がいた。

(白か)

(御意)

 二人は小声で話した。

(首尾は?)

(成功にございます。遠山景任が孫の遠山千寿丸、無事に美濃正徳寺に逃がしました)

(分かった、下がって休むがいい)

(ハッ)

 白はくつわを離して去っていった。隆広は信忠勢が信濃に進発した後に、信長が岩村城の者を皆殺しにする事を読んでいた。もはや止められないのなら、せめて養父隆家の妻の一族から嫡流の者を助けたかったのである。それを忍びに指示して信濃に出発した隆広。

 この遠山千寿丸は後に遠山景輝を名乗り、水沢隆広に召抱えられて源頼朝の時代からの名門遠山家は再興される。この血族から後年に遠山金四郎景元が誕生するが、それはまた別の話。

 

 つらい結末に終わった岩村城攻め。隆広の耳にはお艶の無念の叫びが耳から離れなかった。だが進軍は止まらない。そして武田家の滅亡ももはや秒読み段階に入っていた。




岩村城は史跡巡りで行ったことありますが『女城主』と云う言葉を町のアチコチで見かけた覚えがあります。やはり現地の人たちには誇りにされているのでしょうね。通説通り本作でも死なせちゃって、すみません。

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