岩村城でのつらい戦いを終えて、織田信忠軍三万は信濃を進軍した。信濃の国の城や砦は戦わずして落ちた。織田軍の武威の前に降伏や城を捨てての逃走が相次ぎ、はては道案内まで勤めた武田家臣もいた。抵抗らしい抵抗も受けず織田信忠の軍勢は進む。めざすは高遠城。
織田の軍勢の先頭には織田信忠、滝川一益、そして水沢隆広が騎馬を進めていた。総大将の信忠が隆広に訊ねた。
「隆広、抜け目のないそちの事、高遠について知っている事を言ってみよ」
「では僭越ながら…」
信忠自身もすでに高遠城の情報を詳しく押さえてはいるだろう。だが改めて情報を聞く事によって、現地についてから作戦を立てるにも円滑に進む。
「高遠城は、別名兜山城ともいい、武田信玄公が天文十六年に大改修し、その縄張りは山本勘介殿が行いました。月誉山の西丘陵を利用して築かれた平山城で、本の丸を中心に二の丸・南曲輪・勘介曲輪・法幢院曲輪・笹曲輪などの曲輪が段階的に配置されており、虎口の城門部分にわずかに石垣を築いておりますが、大部分が芝土居となっていて、空堀は結構深いと伺っています」
流暢に信忠の質問に答えた隆広に滝川一益は舌を巻いた。
「ほほう、さすがは柴田家秘蔵の智恵袋よな。ではついでにワシからも訊ねるが城主の仁科盛信とはどんな男か」
「歳は二十六歳、当主勝頼殿の異母弟で、信玄公の死後は自領を守る事ばかりを考え、頼りにならない親類衆が多い中で勝頼殿が一番頼りにしている将でしょう。かつて勝頼殿が住んでいた高遠城の守りを任されている事から、いかに勝頼殿の信頼が厚いかが分かります」
「うむ…よう分かった」
と、信忠。しかし彼はここ数日眠れないのか、眼が赤かった。
「信忠様…。僭越ながら申し上げますが…」
「ん?」
隆広は信忠に近づき、滝川一益に聞こえないように言った。
「仁科盛信殿と同腹の妹である松姫様はもしかしたら高遠城に…」
信忠は隆広をあぜんとして見た。だが振り払うように怒鳴る。
「出過ぎた事を申すな!」
「いえ申し上げさせて下さい。松姫様が高遠城にいる可能性はかなり高いと思われます。お救いしたいのではないのですか!」
「……進軍を止める。一益、兵に食事を取らせよ」
「ハハッ」
「隆広、まいれ」
「はっ」
信忠と隆広は休息させている兵馬から離れて、二人で話した。
「そなた、お松殿と会った事があるのか?」
「はい、まだ竜之介と云う名前のころ、養父と共に甲斐にしばらくいた事がございます。その時に」
「そうか…。美人であったろうな」
「はい、信玄公の息女は美女揃いと有名でございますが、松姫様はその中でも白眉との事。その噂は本当にございます」
「そうか…。そうか!」
「松殿は信忠様の絵姿を、それは大事にしておられました。そして信忠様から送られた折鶴も…」
「…隆広」
「はい」
「そなたを信じて本心を話す」
「はい」
「オレはお松殿を救いたい。妻にしたい。だがそれをやれば織田家に戻れない。だからオレはお松殿を助けたならばいずこへと姿を消す」
「信忠様…!」
信忠も松の絵姿を後生大事にしている。送られた彼女のクシもそれは大切に持っているのである。織田信忠と松姫、二人の愛は戦国時代における悲恋と言っていいだろう。信長が息子へ新たに娶わせた幸姫(後の徳寿院)との間に子(三法師)も成したが、信忠の気持ちはいつも松姫にあったのである。
心ならずも愛している女がいる城へ攻めなければならなくなった織田信忠。隆広はそれをくみとり信忠に“助けたいのではないか”と述べたのである。
「手を貸してくれるか隆広。首尾よくお松殿を助け出せても…その時にはもうオレは織田の若殿ではない。何の褒美もやれぬ。それどころかオレの出奔の助力をしたと父の信長の怒りを買う事さえありうる…! それでもオレとお松殿を助けてくれるか…?」
「この世、広しと云えど、信忠様と松姫様双方の知遇と信を得ているのはそれがしのみ。及ばずながら」
「すまぬ…!」
かしずく隆広の手を感涙して握る信忠。そして二人は休息中の兵馬に戻り食事を済ませ、再び高遠城に進軍した。信忠の傍らで騎馬を進める隆広は思った。
(…思えば、惚れた娘と結ばれたオレは幸せなのだな。だが信忠様はその惚れた娘のいる城に攻めなくてはならない…。オレで例えるならさえがいる城に攻めるようなものだ。オレなら気が狂いかねない城攻めだ…)
さらに信忠軍に森長可が合流し、三万五千の軍勢となった。これに後詰の織田信長軍本隊を合わせれば六万の大軍である。
やがて織田方についた木曽義昌と合流し、武田勝頼と対陣した。鳥居峠の合戦である。この時の織田軍は長篠の戦いとは違い、馬防柵も鉄砲三段構えの陣も執っていない。しかし織田軍は三万五千。それに対して勝頼は一万五千である。
だが数に頼って信忠は油断しなかった。相手は武田である。隆広が立案した挟撃策を用いて武田勝頼軍を挟撃し撃破した。別働隊の指揮を執ったのは水沢隆広と森長可だった。勝頼は何とか戦場を離脱して新府城に引き上げた。もはや武田は立ち直れないほどに叩きのめされたのである。この合戦後にこんな話が残っている。
強力な援軍を得て武田勝頼を撃破した木曽義昌は織田本陣を訪れ、挟撃策の見事さを称え、それを立案した隆広に
「さすがは斉藤家の戦神、水沢隆家殿のご養子君だ。勝頼も戦う相手を間違えましたな」
と述べた。この言葉に隆広は激怒し
「貴殿ごときが勝頼殿を侮辱する資格などない! 信玄公の息女(真理姫)を娶りながら主家に裏切りを打つような者などそれがしは信じませぬ。とても旭将軍木曽義仲公の末裔とは思えませぬ! 顔も見とうござらん! 立ち去られよ!」
と、一喝した。他の織田諸将も取り成しはせず、義昌を睨んだままだったと云う。小領主としてやむを得なかったとは云え、保身のために主家を裏切った木曽義昌。以後彼が戦国の歴史の表舞台に立つ事はない。
隆広自身、この木曽義昌への怒りは矛盾を感じていた。何故なら彼の妻さえの父は義昌と同じく主人を裏切った朝倉景鏡。その彼を義父として自分は敬っている。だが隆広には勝頼を裏切った義昌がどうしても許せなかった。それは勝頼に対しての彼個人の思いがあったからだろう。たとえ敵として戦った相手だとしても。
織田信忠は鳥居峠合戦の翌日には平谷の地に陣を進め、さらに翌日には飯田まで侵攻した。同日、飯田城城主、保科正直は城を捨てて逃亡。飯田城放棄を聞いた武田信廉(信玄の弟)らは抗戦を不可能と判断し大島城から逃亡した。まさに滅亡への連鎖としか言いようがない。
余談だが、保科正直はこの後に徳川家に仕える事になる。しかし彼の息子の保科正光は早々に城を放棄した父と袂を別ち野に下り、その後に隆広に仕える事となる。彼は隆広の孫である幸松丸の養育を務め、やがて養嗣子として迎える事になるのだが、それが治世の名君として名高い保科正之である。
高遠城。城主の仁科盛信の元には信濃の武田の支城ことごとく織田軍に降伏したという知らせが入っていた。そして鳥居峠の合戦で武田勝頼本隊が敗れた事も。
「これが…戦国最強と呼ばれた武田の姿なのか…」
「殿…」
「だが勝右衛門…。高遠は違うぞ。オレの眼の黒いうちは断じて織田に屈するものか!」
「それがしも身命を賭して戦う所存」
「うむ…。兵糧と武器弾薬の残数を再確認し、報告してくれ」
「承知いたしました」
仁科盛信の側近、諏訪勝右衛門は城主の間を後にした。廊下を歩き、ふと窓から外を眺めた。
「竜之介…。よもやこんな事になろうとはの…」
“勝右衛門先生―ッ!”
昔、無邪気に自分を師と呼んだ少年の声を思い出した。
「戦場のならい、遠慮はせんぞ竜之介、いや水沢隆広よ!」
その勝右衛門と入れ替わりに、盛信の部屋に二人の女が入っていった。
「殿」
「百合、それに松か。どうした二人して」
仁科盛信の正室、百合の方と実妹松姫であった。
「殿、徹底抗戦と決断されたそうですね」
「そうだ…。だが皮肉だな松…。敵の総大将は信忠殿だ」
「伺っております…」
「今でも好いているか」
「はい…」
「松殿!」
「よせ百合、良いのだ。オレとて木石にあらず。妹の恋心…。よう分かる」
「ですが兄上、松は武田の娘。たとえ思慕する信忠様でも戦うつもりです」
「申し上げます!」
使い番が来た。
「なにか」
「織田軍より使者にございます!」
「誰か?」
「信忠寄騎、水沢隆広殿にございます」
「なに? 水沢隆広自ら来たと言うのか?」
「はっ」
「会おう。通せ」
「はっ」
使い番が去った。
「松」
「は、はい…」
「水沢隆広とは…いつか兄上(勝頼)が言っていた竜之介の事だな」
「おそらく…。水沢の姓と『隆』の字を継がれている方は竜之介殿以外には…」
「オレは初めて会う。だが興味がある男だ。父信玄のいでたちをして…謙信の本陣に突撃をした男だからな」
高遠城に水沢隆広は信忠の使者として訪れた。供には奥村助右衛門と石田三成が随行していた。正装し、信忠の書状を預かっていた。
「殿が会われる。ついてこられよ」
「…!」
隆広一行を出迎えたのは諏訪勝右衛門だった。
「せ…」
隆広は『先生』と云う言葉を飲み込んだ。
「かたじけない」
「なお、供の方は遠慮していただく」
「何を言われる! 主君を単身で敵城に入らせるなど承服できもうさん!」
奥村助右衛門はゆずらないが、諏訪勝右衛門もゆずらない。
「おイヤなら帰られよ」
「ご貴殿も家臣の身ならお分かりになるはず! 主君をそんな虎口に一人向かわせるわけには…!」
「言うとおりにせよ、助右衛門、佐吉」
「しかし…!」
かつ隆広は刀の大小を助右衛門に渡した。
「バカな! せめて刀はお持ちに!」
「必要ない。では諏訪殿、先導を願います」
「承知いたした。こちらに」
こうして隆広は単身高遠城に入った。丸腰だった。
「大きくなったな…」
先を歩く勝右衛門が静かに言った。
「はい、先生もお元気そうで」
「うむ…。一つ言っておく」
「はい」
「殿は気性の激しいお方だ。言葉に気をつけて説くがいい」
「承知しました」
「殿、織田中将殿が使者、水沢隆広殿がお越しにございまする」
「通せ」
城主の間に隆広は入った。盛信の家臣団が敵意を込めて隆広を見る。隆広は静かに盛信の前に歩み、そして平伏した。
「織田中将信忠が使者、柴田家部将、水沢隆広にございます」
「仁科五郎盛信である。顔を上げられよ」
「はっ」
隆広の鎮座する姿を見る盛信。歳は自分より若いが堂々としたもの。何より丸腰である事に胆力を感じた。なるほど不敗の上杉謙信に唯一土をつけただけの事はあると盛信は見た。
織田の武威をカサにきて高慢な態度を執るようなら殺すつもりであった盛信。しかしその気持ちは失せた。武人の礼節を持って使者に対した。
「信忠殿からの書状、拝見いたそう」
「はっ」
隆広は諏訪勝右衛門に書状を渡し、勝右衛門が盛信に渡した。書状の内容は、織田家に降伏すれば、これまでどおり高遠城を任せ南信濃も与え、織田家での地位も約束する旨が記されていた。
「ほう…破格の条件を出してきたな。この手で我らの支城を調略して落としたか」
「いえ、他の城はそんな小細工をする前に落ちました」
「はっははは、ハッキリ云うヤツだな。だが我らは他の連中と違う」
「もう一つ、信忠様より言伝がございます」
「なにか」
「『それがしと盛信殿は縁があらば義兄弟にもなられた間柄。時勢からその縁は破却され敵味方になったとはいえ戦う事は本意にあらず。織田一門に加わり、仁科家の安泰をお考えあれ。そして…』」
「そして…?」
「『妹御のお松殿を妻に迎えたい』」
隣室にいた松姫はその言葉に身を震わせた。
(信忠様…)
「異な事を申される。中将殿にはご正室がおられるではないか。男子もいると聞くぞ」
「大殿の命で仕方なく添い遂げたのでございます。仲睦まじいご夫妻ではございますが、しかし今だ信忠様の心はいまだ松姫様にあります」
「ならば中将殿に伝えよ」
「はっ」
「妹の松が欲しくばチカラで奪い取れと! この盛信、身の安全のために妹を敵将にくれてやるほど腰が抜けておらぬわ!」
「それは…降伏を受けないと云う答えでござろうか」
「いかにも、さっさと帰って戦支度を整えよ!」
隆広はチラと松のいる隣室の襖を見た。襖の向こうに松がいる事を察していた。そして武家の娘である松も襖越しに隆広の視線を感じ、襖を開けた。
「竜之介殿…」
「松姫様」
「お久しぶりですね…」
「はい」
「こんな形で再会しようとは残念です…」
「は…」
「信忠様にお伝え下さい。松は武田の娘。信忠様とは戦うさだめにあると」
「どうあっても…信忠様と戦うと」
「はい、信忠様の婚約者として恥ずかしくない戦をする所存」
「…承知しました」
「使者がお帰りだ! 勝右衛門、城外までお送りいたせ!」
「はっ」
再び、城内を勝右衛門と歩く隆広。
「先生」
「なんだ?」
「奥様はお元気にござろうか」
「花か? ああ元気だぞ」
「そうですか…」
「会いたいのか?」
「いえ…未練です」
城門で隆広の安否をやきもきしていた奥村助右衛門と石田三成の前に隆広が姿を現した。
「隆広様! ご無事で!」
「当たり前だろう。たとえ戦時でも使者は丁重に遇するのが作法と云うものだ。さ、帰ろう」
「「ハハッ」」
隆広はト金に乗る前、送り出してきた勝右衛門を見て、深々と頭を下げた。勝右衛門も応えて頭を垂れた。次に会う時は敵同士。もはや師弟として会う事はないとお互いが分かっていた。
織田本陣に引き返した隆広、降伏の使者不履行の知らせを信忠に届けた。信忠は人払いして隆広に会った。
「そうか…」
「申し訳ございません」
「そなたの責任ではない。オレの考えが甘かったのだ」
「松姫様に会いました」
「どうだった?」
「『私は武田の娘、信忠様と戦うさだめ』と」
「さすが…お松殿だ」
「はい、変わっておりません…」
「隆広」
「はい」
「お松殿とそなたはどんな縁があるのだ?」
「は…あれはそれがしが十二歳、松姫様も十二歳の時でございました」
「そなたが十二歳…。では信玄が死んだ年だな?」
「左様にございます。つまり信忠様と松姫様の婚約が破棄された年でもあります。それがしはその年、父と共に甲斐におりました」
「その時にお松殿と?」
「はい、ご承知のとおり次の当主となった勝頼様は織田との断絶を述べ、信忠様と松姫様の婚儀も破棄しました。しかし松姫様は…」
時は遡り、ここは武田信玄の館、躑躅ヶ崎館。戦国の巨獣と呼ばれた武田信玄は上洛途中に病に倒れた。家臣たちは上洛を中止し甲斐への帰途に着き、そして駒場の地で信玄は息絶えた。享年五十一歳。
今その亡骸は躑躅ヶ崎館に戻ってきた。信玄の六女の松姫は父の顔にある白布を取った。
「父上…」
「松」
「勝頼兄様」
「織田家との婚儀は手切れとする」
「え…!」
「上洛の途中、徳川家康と戦いが起こり、信長は徳川に援軍を送った。以上から手切れと」
「そんな! 松は信忠様と!」
「松!」
「盛信兄様…」
同腹の兄、仁科盛信をすがるように見つめる松。
「わがままを言うな」
「イヤです! 松は信忠様の妻になる事を夢見て今まで…!」
「忘れろ松、今にオレと兄上(勝頼)で信忠殿より良き婿を」
「兄様たちなんて大きらい!」
松は泣きながら部屋を出た。松の走る音と泣き声が勝頼と盛信の耳に残る。
「…武田はそれどころではないわ」
勝頼は父の亡骸を見つめ、そうつぶやいた。だが信忠をあきらめきれない松はその日の夜に館を飛び出した。
「松がおらぬだと!」
武田の侍女が勝頼に松の置手紙を渡した。
“信忠様のいる岐阜にまいります”
「バカな! 女童の足で岐阜にたどり着くか! しかも夜盗野伏りが溢れる夜道と云うに! すぐに連れ戻せ!」
勝頼の指示で松姫の捜索が始まった。しかし中々見つからなかった。それもそのはず、松はすぐに夜道で人買いに捕らえられてしまったのである。暗い夜道を走っていると、夜盗風の男に見つかり捕らえられた。抵抗するが一つ二つ叩かれて気を失い、縛られた。
「こりゃ上玉だ、高く売れるぜ」
(うー! うーっ!)
猿ぐつわをされて声も発せない松。
(信忠様…助けて…!)
と、松を担いで自分の隠れ家に帰ろうとした時だった。
「何をしているか」
その夜道を通りかかった二人の者。一人は僧侶の男だった。身の丈六尺(百八十㌢)はある丈夫。傍らに松と同年ほどの少年がいた。
「父上、こいつ人さらいだ」
「そのようだな」
「チッ」
夜盗は僧侶の男の強さを読み取り、逃げ去ろうとした。だが少年が追いかけて、持っていた竹やりで足をかけた。
「うあッ」
放られた松を抱きとめる少年。そして倒れた夜盗に僧侶の一撃が入った。
「ぐほっ」
夜盗はあっけなく気を失った。少年は松を縛る綱をほどき、猿ぐつわを取った。
「ぷはっ」
「大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございます」
「ん…?」
僧侶は松が持っていた守り刀を見た。その鞘にある家紋。
「武田菱…。かような物を持っていると云う事はそなた武田の姫か?」
「……」
松は警戒して身分を明かさない。
「何にせよ、ほってはおけぬ。ワシは旅の僧侶長庵、心配いらぬ」
「オレは竜之介! 女子が一人で夜道は危ないよ」
「でも私…どうしても岐阜に行かなければならないのです…」
「岐阜?」
「は、はい…」
長庵と竜之介は顔を見合わせた。
「道筋は誤っておらぬが、そなたここから岐阜までいかほどあるか知っておるのか?」
「……」
「女子の一人旅では無理だよ。家に帰ったほうがいいよ」
竜之介が諭すが松は聞かない。
「でも私どうしても岐阜のお城に行きたいのです!」
「どういう理由で岐阜に赴きたいかは知らぬが、せがれの言うとおり女童の足では無理じゃ。今のような男は街道筋にいくらでもいる。このまま行かせるわけにもいかぬ。我らは恵林寺に向かっている旅の者だ。とにかくそこへお連れしよう」
パチパチ…
織田信忠の本陣。かがり火の音が響く、心地よい静けさの中で信忠は隆広の言葉に耳を傾けていた。
「それで…あとで事情を聞けばその方は武田の松姫で、岐阜城にいる織田信忠様に会いに行くつもりだったとの事…」
「そうか…オレに会うために…単身で甲斐を出ようとしたのか」
「はい」
「どうして…そんな娘と敵味方となり戦わねばならないのだ!」
軍机に拳を叩きつける信忠。
「このうえは攻城中に侵入し、松姫様を連れ去るしか方法がございませぬ。ですが…」
「ですが…なんだ?」
「武田の姫として戦うと申された以上、信忠様は松姫様にとりもはや敵!」
「……」
「信忠様と共に生きる事を今さら望むでしょうか」
「…ならば一度でいい」
「え?」
「会いたいのだ…!」
「信忠様…」
「分かってくれ。総大将失格の言とは分かっている。だが会いたいのだ! 一度でいい。目の前にいてオレの名を呼んでもらいたい。彼女の名を呼びたいのだ! たとえその次の瞬間にお松殿に刺し殺されようともオレはかまわぬ!」
「……」
「そなたにしか頼めぬ。隆広よ…!」
「承知いたしました」
松姫様の存在を初めて知ったのは、あのTVドラマの『おんな風林火山』でございます。好きだったんですよね、あのドラマ。