天地燃ゆ   作:越路遼介

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側室騒動

 武田攻めを終えて水沢勢は無事に北ノ庄城に到着した。論功行賞を翌日ここ錬兵場で行う事を述べ、そして隊を解散させた。隆広は奥村助右衛門、前田慶次、石田三成を伴い柴田勝家に報告すべく登城した。

「殿、水沢隆広戻りましてございます」

「ん、近う」

「は!」

 勝家の前に平伏し隆広は

「殿、加賀攻めの大勝利、祝着に存じます」

 と、加賀攻め勝利の祝辞を述べた。

「ふむ、そなたも武田攻めご苦労であった。勝頼の最期を看取ったのはそなたらしいな」

「はい」

「ワシもそういう武人としての礼節を好むところじゃ。ようやった」

「恐悦に存じます」

「軍忠帳も大殿と若殿からの褒美も届いている。つかわす」

「「ハハッ!」」

 隆広と助右衛門、慶次、三成にも勝家から褒美が渡された。若殿の織田信忠をよく補佐した点が評価され、それは多額の恩賞金だった。勝家の小姓が重そうに隆広の前に銭箱を積む。そして山積みの銭箱と共に金銭以外の褒賞もある。その褒賞の目録を勝家から大事に受け取る隆広。目録を懐にしまい、改めて平伏して隆広は述べた。

「殿にお詫びしなければならない事ございます」

「なんじゃ?」

「それがしとさえが婚礼の日に頂戴しました陣羽織。戦場にて紛失しました」

 高遠城の城攻めの時、味方雑兵に陵辱されかけていた仁科盛信の妻の百合を救い、肌をさらせてしまっている彼女に陣羽織を着せた。亡骸になっても肌はさらしたくない女心を汲み、隆広は自害して息を引き取った百合から陣羽織を剥がそうとはしなかったのである。

「ふむ…。ま、命が無事なら良い。してその新しい陣羽織じゃがずいぶん派手じゃな。慶次の傾いた陣羽織顔負けじゃ」

 背中に不動明王の姿が刺繍されている陣羽織。しかも高級な布地で赤一色。たしかに派手だった。

「これは…勝頼様が自刃される直前にそれがしに賜り下さいました」

「ほう、大殿は何も申さなかったのか?」

「はい、大殿はこれが勝頼様のものと気付いたようにございますが、特には」

「なるほどな、では報告書をこれに」

 勝家は隆広の出す報告書を受け取った。

「岩村、鳥居峠、高遠、津笠山、岩殿か…。ずいぶんと戦ったものだ」

「はい」

「勝頼は優れた将であるが…運がなかったのォ」

「それがしもそう思いまする」

「ふむ、軍忠帳とそなたの報告書を読み、後日あらためてワシからの褒美も与える。楽しみにしておれ」

「ハッ!」

「さて…褒めるのはこのへんにしておく。隆広」

 勝家の顔が険しくなった。

「…また大殿に口答えしたらしいな。しかも三度」

「はい」

「一度目と二度目は良い。一度降伏を受け入れた者、しかもお艶様をあんな残酷な手段で処刑しようと云うのは、ワシがその場にいても同じくお諌めしていたじゃろう。また二度目の大殿が勝頼と信勝の首を蹴りツバを吐きかけた事はワシも聞いた。憤怒するそなたの気持ちは分かるゆえこれも咎めぬ。その後に大殿の下命に背き、勝頼と信勝の首を丁重に弔ったのも咎めぬ。だが大殿に殴打された光秀を庇った事については申し渡す事がある」

「はい」

「隆広よ、いい機会だから言っておく。お前のそういう優しさは長所であり短所である。光秀はお前に庇われて嬉しいと感じると思うか?」

「え…?」

「光秀の歳は五十四、お前は二十。光秀はお前が生まれる前から武将として生きていた。光秀から見ればお前などクチバシの黄色いヒナ鳥同然。そんな者から庇われて嬉しい道理があるか?」

 隆広は反論できなかった。自分の不用意な同情が返って明智光秀をみじめにしたのかと。

「時に見ないふり、聞こえぬふりもまた情けと知れ。常に相手を自分に置き換えて判断せよ。分かったな」

「はい、隆広一生の教訓といたします」

 奥村助右衛門は不思議だった。『大殿に口答えした』と云う事を叱らず、不心得な情けで光秀を辱めた方を叱った。信長に一陪臣が口答えすれば、当然上司の勝家が叱責される。主君隆広、そして側にいた自分もどれだけ強烈な叱りを受けるかと助右衛門は覚悟していた。しかし勝家は叱らず、教訓を言い渡したのである。

(ご寵愛しているのは分かっていたが…勝家様の隆広様への接し方は、まるで慈父のごときだ…)

 信長に伽を命じられたと云う事を隆広は伏せた。主家織田家と柴田家にいらぬ亀裂を入れたくはないと考える隆広の配慮だった。助右衛門と慶次もそれに同意した。もし隆広が信長に手篭めにされたとしたら、おそらく勝家は激怒し織田家に叛意を抱きかねない。あえて主君勝家に波風立てるような報告はすまいと考えたのである。だが…

「隆広、まだ報告し忘れている事があるだろう」

「…え? いえ、以上で終わりですが」

「…大殿に伽を命じられたと云うのがあるだろう」

「い…!」

「こんな事を隠し通せるワケなかろう。とっくに耳に入ってきておる」

 武田攻めに出た水沢軍には勝家の戦目付けが同行し、大将の隆広の動向や言動は無論、兵卒に至るまで監視される。いかに隆広とて彼らに対して口止めを求める事は許されない。それゆえ公平で水沢軍が手柄を立てれば正確に報告もする。

「た、確かに伽を命じられました。ですが森蘭丸殿が機転を利かせてそれがしを虎口から脱してくれました。断じてそれがし恥辱を受けるに至っておりません。本当です!」

「そうか。もしそなたが手篭めにされておったら柴田は織田に叛旗を翻したかもしれん。部下にかような仕打ちをされて下向いているほどワシはお人よしではない」

「殿…」

 あとで分かった話であるが、この知らせを聞いた時に勝家は激怒し、“もし隆広を手篭めにしていたら大殿とて斬る!”と言ったと伝えられている。

 しかしその隆広は無事に帰って来て、本人が言うように恥辱を受けるまでは至っていない。もし帰還した隆広が心身傷ついていたのなら、勝家は本気で織田家に叛旗を翻したかもしれないのである。

「まあ無事で何よりじゃ、早く帰ってさえを安心させてやれ」

「と、殿が聞いていると云う事は…さえも…?」

「心配いたすな。お前の家族には伝わらぬよう差配したゆえな」

「あ、ありがとうございます!」

「礼には及ばん、はっははは」

 

 加賀の一向宗門徒は全滅に近いほどに掃討され、武田家も滅亡した。そしてとうとう織田家と本願寺が和睦に至る。頼みにしていた毛利の村上水軍が九鬼水軍に蹴散らされ、もはや毛利の援軍が望めなくなってしまった。さらに信長は本願寺を支持する勢力を駆逐。雑賀鉄砲衆も信長に敗れ、かの雑賀孫市も斬刑に処せられた。

 備前の宇喜多家を寝返らせ、播磨の別所も潰して反信長派を圧倒していったが、その一方では朝廷に働きかけ、勅命の形で本願寺に講和を説得させる工作も行っている。

 こうした情勢を見た本願寺の法主本願寺光佐は、これ以上の抵抗を続けるのは難しいと考え、実質は降伏と変わらない講和に応ずる事とした。本願寺がこうした形で屈伏したのは、諸国の反信長派が次々と滅んでしまい、最後の望みである毛利家の来援も期待できなくなったので降伏したのである。ついに一向宗門徒は織田信長に屈した。石山本願寺から光佐が退去する時は、信長は光佐の乗る輿を馬上から見下ろし、光佐は輿の戸を開けて信長を睨んだと云われている。

 本願寺光佐は石山を去ったが、その息子の教如は、開城に反対して父と衝突し、そのまま居座っていた。これは父子で共謀しての事だったという説もあるが、真相は明らかではない。その教如も四ヵ月後には退城せざるをえなくなり、およそ十年におよんだ信長の対本願寺作戦も信長の勝利で終了した。もはや信長の天下布武は留まるところを知らない。

 

 武田攻めから無事に帰還した翌日の早朝。水沢隊の論功行賞が行われた。城では手狭だから錬兵場で行われた。隆広の手元には銭一万八千貫、新米五万石、駿馬十二頭、名物茶器十点、名刀十振りと云う褒美が織田家から届いていた。隆広はそれを惜しげもなく部下に与えた。彼の手元に残ったのは言っていた通りさえとすずに綺麗な着物を一着二着買ってあげられる程度の金額だった。

「以上で論功行賞を終わる。みなご苦労であった」

「「ハハッ!」」

「殿より我らに配属された将兵たちもよくやってくれた。いつかまた同じ陣場で戦う時は頼むぞ!」

「「ハハーッ!」」

「さあ水沢隊は明日からまた土木屋だ。殿から加賀の検地に民心掌握、それに開墾と治水、鳥越城の改修を下命されたからな! 水沢隊は準備出来次第に本陣とする鳥越城に出発するが今日は休みとする。明日から水沢隊は鳥越行きの準備を始めるが今日はゆっくりと休んでくれ。女房子供とゆっくり過ごすがいい」

「「ハハッ!」」

「だから今日オレの家に来てさえとの時間を邪魔するなよ!」

「誰がイチャイチャしてんの見せ付けられると分かっていて行くかー」

 と、声が上がると錬兵場は笑いに包まれた。

「ははは、みんなも恋女房と楽しい休日を過ごしてくれ。以上解散!」

「「ハッ!」」

 手厚い恩賞を得られた隆広の部下たちは嬉々として帰っていった。石田三成も妻の伊呂波と出かける約束があるのでいそいそと帰っていくが

「佐吉」

 隆広に呼び止められた。用件は分かっていた。だからいそいそと帰ろうとしたが捕まってしまった。

「何か名案は浮かんだか?」

 それはさえをまったく傷つけずに、というよりさえを怒らせる事なくすずを側室として迎える事を認めてもらう事であった。

「だから何度も申し上げているではないですか。奥方を傷つけず怒らせず…。そんな虫のいい事が出来るのなら、それがしの方こそお教え願いたいくらいです」

「助右衛門も慶次も同じ事を言う…。佐吉、そなたは水沢家が誇る天才能吏ではないか…」

「正直に申し上げるしかございません。真実を話す事が一番説得力あるのでござるから」

(武田攻めの陣中で舞殿を何度も抱いているくせに…ようまあこんな図々しい事言える)

「でもなぁ…」

「ならば、侍女頭の八重殿と家令の監物殿を抱きこんでみては? 将を射るなら何とやらでしょう」

「そりゃ名案だ! いやぁさすがは佐吉! 礼を言うぞ!」

 そう言うと隆広は錬兵場から走って出て行った。

「それでも結果は変わらないと思いますよ隆広様」

 三成は苦笑して自宅へと歩いていった。そう、隆広には一つ難問があった。さえに側室を持つ事を許してもらう事だった。

 

 三成の言葉どおり将を射よとするならば何とやらで、隆広は八重と監物を味方につけた。二人は最初難色を示したが、事情を聞いて得心した。

 そして三人でどうやってさえを納得させるか思案したが、さっぱり名案は浮かばず、隆広自身が正直に話すと云う結果に落ち着いた。だが隆広はさえが怖くて言い出せなかった。

 すずは今のところ源吾郎の屋敷で養生のかたわら、歩行訓練に励んでいた。あの方の側室になれる。その思いだけがすずを辛い訓練に駆り立てていた。水沢隊が加賀鳥越城に向かうのは数日後、水沢隊は大将隆広が大掛かりな内政主命を受けて遠征する時には兵は無論、その家族に至るまで現地に赴く体勢を執っている。当然側室となるすずも赴く事を指示されていた。それまで何とか杖があれば歩けるほどになりたいすずだった。

 隆広も、八重も監物も源吾郎の屋敷に出向き、修練に付き合ったりしていたが、そんな生活をしていてさえにバレないワケがない。後の歴史家も“智将の水沢隆広が何を根拠にバレないと思えたのか不思議でならない”とまで言っている。そしてそんなある日のことだった。

「お前さま、伯母上、監物」

 朝食中に静かに三人を呼ぶさえ。

「なんださえ」

 と、隆広が飯をほお張りながらさえを見ると不気味な静けさの笑みを浮かべていた。

「ブホッ」

 監物は白湯を思わず吹きだした。『バレている』直感で思った。

「三人とも私に隠している事あるわね?」

 

 ポトッ

 

 箸を落とした隆広。どんなに夫に言いたい事があっても朝に出仕する時は笑顔で見送らなくてはならないのが武士の妻。だからさえは今まで様子がおかしいと思いつつも黙っていた。しかし本日の隆広は休みである。ゆっくり事情を聞こうと思っていた。

「三人して、源吾郎殿の屋敷に何しに行っているの?」

「あ、いや、あらあら! 若君が何かグズッていますよ! 姫、そろそろお乳の時間…」

 ジーと八重を見るさえ。ごまかしきれないと八重は悟った。

「殿、もう正直に申されては…」

「う、うん」

 椀を膳に置く隆広。

「じ、実はなさえ」

「はい」

「怒らずに聞いてくれ」

「保証できません」

「…や、やっぱり後日に」

「お前さま!」

「は、はい!」

「何を隠しているのです?」

「実は…側室を持つ事にした」

 蚊の鳴くような声で述べる隆広。

「はい?」

「いやだから側室を持つ事に…」

「ちゃんと私の目を見て! 大きい声で申してください!」

「だから側室を持つ事にした!」

 言ってしまった。監物と八重は竜之介を連れて、その場から逃げだしてしまった。

(は、薄情者…!)

「お前さま、今なんと?」

「だから! 側室を持つ事にしたんだ!」

 

 ギュッ

 

 両の手で隆広の頬をつねるさえ。顔で笑って心は激怒の京女ならぬ越前女さえ。

「なんですって…?」

「ひゃ、ひゃから、ひょくひふほほふほほひ(だ、だから側室を持つ事に)…」

「側室ですって!」

 顔も激怒に変わった。

「ひゃひ(はい)」

「なんで! さえに飽きたのですか!」

 つねったまま隆広の顔を振り回すさえ。隆広は痛くて涙が出てきた。

「ひょんにゃんにゃにゃい! ひゃえほはひふほひんへんやよお!(そんなんじゃない! さえとはいつも新鮮だよお!)」

「さえは! さえはお前さまだけはどんなに偉くなってもさえだけ見てくれると信じていました! ひどい!」

 つねる手を離して両手で顔をおおって泣き出すさえ。痛む頬を撫でながら弱り果てる隆広。

「泣かないでくれよう、そなたに泣かれるのが一番つらい…」

「泣かせているのは誰ですか!」

「いやそうだけど…」

 キッと隆広を睨んで

「その女は源吾郎殿の屋敷にいるのですね?」

 と、すごむさえ。

「あ、ああまあ…」

 

 ダンッ

 

 さえは怒気をたっぷり含んだ足を畳に叩きつけて立ち上がり部屋を飛び出した。

「ど、どこ行くんだよ! 竜之介に乳をやってから出かけ…!」

 

 バコォッ!

 

 さえが部屋を飛び出すとき、戸を勢いよく閉めたために追いかけようとした隆広の顔面がその戸に直撃した。

「アイタタタ…」

 顔を押さえ、ヨロヨロとしながら廊下に出るが、すでにさえは屋敷から飛び出していた。

「さえ~」

 弱弱しく妻を呼ぶ隆広の声が屋敷に虚しく響いた。

 

 さえは一目散に源吾郎の屋敷へと駆けた。店先にいた源吾郎は駆けてくるさえを見て(ああ、とうとうバレたか)と悟った。

「こ、これは奥方様、何か入用で?」

「ウチの主人に色目使った女はどこ!」

「は、はあ?」

「ここにいるのでしょ! 会わせて下さい!」

 すると店の後方で

「ほら、すず、もうちょっとよ!」

「う、うん…」

 と、女二人の声が聞こえた。

「失礼します!」

 さえが声のほうに走った。

「あ、奥方様!」

 奥の戸を開けて、さえが見たものは…

「よいしょ、よいしょ!」

 それは不自由な体を叱咤して、歩行訓練しているすずの姿だった。

「え…?」

 汗だくで、舞のいる方へ歩き、白がそれを補助している。庭にすずの歩行訓練用に作った手すり、それに掴まりすずは一歩一歩懸命に歩いた。舞と白はさえが来た事に気付いたが、すずは気付かない。それほど集中していた。

「こ、これは奥方様」

 舞と白がかしずいた。

「まさか…」

 やっとすずが気付いた。

「奥方様…あっ」

 すずはそのまま尻餅をついた。そして自力で起き上がれない。

「すず!」

 舞が補助をして、すずをさえの前に来させた。

「すずさん…」

「源蔵殿の時以来に、お久しぶりです」

「え、ええ…」

 呼吸荒く汗だくのすずを見かねたさえは、すずの額の汗を拭った。

「ありがとうございます」

「まさか…すずさんが?」

「え?」

「主人の側室に…?」

「…はい、もったいなくも…そう望まれて下さいました」

 さえはすずの体の事情を知らなかった。白が説明した。

「では、主人を鉄砲の弾から庇って?」

「はい、それで隆広様は責任を感じられ…」

「そうだったのですか…。あの人もこういう事情なら隠す事もないのに…」

「そりゃあ奥方様が怖くて…イタッ!」

 余計な事を言う白の尻を舞がつねっていた。

「申し訳ございません、奥方様」

「何を謝るのですか? 私こそすずさんにどれだけ感謝してよいか…!」

「奥方様…」

「古来、正室と側室は仲が悪いものですが、私とすずさんならそんな風習が打破できると思います。主人の側室としてだけではなく、私と友となって下さいますか?」

「は、はい!」

 以後、すずの歩行訓練に付き合うさえの姿も見えたと云う。その後にすずの父母の銅蔵とお清も娘が隆広の側室になる事を喜んで受け入れ、すずは正式に側室として迎えられた。

 隆広の屋敷にはすずの部屋も増築し、すべての場所に歩行を助ける手すりもつけた。忍び衣装ではない美々しい武家の着物に身を包み、八重の補助で歩いて輿入れしたとき、隆広の部下たちは、すずのその美しさに惚けたと伝えられている。

 その輿入れのとき、源吾郎は無論、父母の銅蔵とお清もお忍びでそれを見ていた。

「なんともまあ、すずがあんなに美しいとは知らなかった。のう清」

「ホントです、歩けなくなったと聞いた時は隆広殿をお恨みしたものですが…」

「あはははは、今では感謝しようではないか。しかしすずが隆広殿の側室になったのでは、肝心のお側三忍が欠けるな」

 一つの任務は班長一人、班員三名で行われるのが藤林忍びの鉄則だった。当然隆広へ常に付き従う忍びもそれで務めなくてはならない。

「おおせの通りです。今まですずが、いやいやお方様の担当していた責務を誰かに継いでもらわないと」

「ふむ柴舟、誰が適任と思う?」

「六郎がよろしかろうと」

「あやつを? つい先日まで武田の忍びであったのに?」

 武田の忍びの中に武田勝頼一行を落ち武者狩りで殺そうとしている者たちがいたが、それは藤林忍軍に瞬殺されてしまった。だがその落ち武者狩りの陣中に最後まで主君勝頼を討つ事に反対して仲間の忍びを一人で止めに来た男がいた。それが六郎である。だが一人では説得は無理で、逆に私刑を受けて木につるされていた。

 その有様で事情を悟った藤林忍軍が彼を助けていた。六郎は敵将の水沢隆広が勝頼親子と妻と酒を酌み交わし、自刃後は丁重に弔ったと聞き、回復後は隆広のために働きたいと切望し藤林の食客となっていた。

「そういう経緯があればこそ、六郎は懸命に働くかと」

「ふむ、一理ある。よし六郎を明日にでも北ノ庄に派遣する。使ってやるがいい」

「はっ!」

 

 しばらくして、北ノ庄城下の源吾郎の屋敷に一人の若者がやってきた。行商人の姿をしている六郎であった。

 藤林の忍びは化ける商人としても本物でなくてはならない。商人としてはこれから修行であるが忍びの腕前はすでに里で一目置かれていた。

「上忍様、六郎にございます」

「ふむ、城下では今後金次郎と名乗るがいい」

「はっ」

「さっそく任務がおぬしに与えられた。これが隆広様からの命令書である」

「はい」

 六郎は上忍柴舟から封書を渡された。

「ご主君はいま加賀の国、鳥越城にて加賀の内政をしておられる。その主命の報告は鳥越城に届けるように」

「承知しました。ではさっそく」

 六郎はすぐに任地へと向かった。源吾郎の屋敷の奥から舞が出てきた。現在隆広は内政主命中なので、舞は北ノ庄の源吾郎の元で待機していた。

「上忍様、あのヒトが今度我々と隆広様つきの忍びに?」

「そうだ、お前は天目山であやつを見ておろうが」

「そうだけれど…。あの時は仲間から私刑を受けてズタボロだったから」

「うむ、ゆえに私も大した忍びではないと思っていたのだが、中々の腕前と聞いている」

「いい男じゃない…」

「なにぃ?」

「い、いえ何でも! さーて店の明日の仕入れはと!」

 いそいそと舞は奥に戻っていった。

「まったく最近のくノ一は…」

 源吾郎は苦笑していた。


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