天地燃ゆ   作:越路遼介

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疑惑の光秀

  武田攻め、加賀攻めも終わり、柴田家中は少しの平穏を取り戻した。水沢隆広は柴田勝家からの主命で柴田の新たな領地である加賀の国の検地、治水、新田開発を行うため、加賀の国に入った。

 加賀の国、かつて百姓の持ちたる国と呼ばれ、一向宗門徒の国であった加賀。朝倉の時代から越前の民たちは門徒たちに苦しめられてきた。だが加賀一向宗門徒は滅び、脅威から払拭された。ついに加賀は柴田勝家の領地となった。

 柴田勝家は加賀の国にあった門徒たちの本殿『金沢御殿』を『金沢城』と改名し、それを甥の佐久間盛政に与えた。さすがに加賀一国と云うわけではないが、晴れて一国一城の主である。

 しかし佐久間家には武断派は多いが政治の実務能力に長けた行政官がいない。だから勝家は新領地の内政を水沢隆広に下命した。かつての敵地を占領して領地にしたのなら、新領主はすぐに内政に取り掛かり民心を掌握しなければならない。それに成果を出せるものが佐久間家にはいなかったのである。それを知る盛政は不愉快ながらも隆広が内政を実施するのを認めるしかなかった。

 

 長期、かつ大変な作業となるため、直轄城としていた加賀鳥越城が一時期隆広に与えられ、それが本陣となった。水沢隊は隆広が大掛かりな内政主命を受けると将兵は無論、その家族も現地に移動する。こんな方法を執っていたのは当時の武将で水沢隆広だけである。なぜ隆広はこんな方法をわざわざ用いたかと云うと答えは簡単、自分を含めた水沢家の若者たちに妻子と離れさせたくなかったからである。

 無論、戦場ではそうはいかないが水沢隊は大将隆広が二十歳の若者ゆえに、兵も若者が多い。新婚が多いし、何より妻と離れた任地での労働。性欲などの問題も生じてくる。ゆえに隆広は、妻は無論、妾にいたるまで呼んでも良いぞとまで言っている。隆広は長期の内政主命を円滑かつ効率良く成し遂げるために、出費もかさむであろう妻子連れの現地移動をあえて行ったと後世の歴史家は賞賛しているが、実際は隆広自身が妻二人と息子と離れたくなかったからと云うのが現実で、戦場ならともかく土木工事で離れたくないと云うのが本当のところだったらしい。大将の自分だけ妻子を連れては示しがつかない。だからみんな一緒にと考えたのだろう。

 しかし理由はどうあれ、これは将兵とその家族は大喜びだった。無論さえとすず、竜之介も。

 

 新たに得た新領地、加賀の国の検地、治水、新田開発と云った民心掌握を兼ねての内政主命は水沢隆広の兵や現地領民、越前からの出稼ぎの人足総動員の作業であるが、隆広と三成の指揮で並の者なら二年はかかる作業が半年強でメドがつきはじめた。柴田家商人司の吉村直賢の稼いだ金銀を給金にあてて、兵や領民たちも労働にあった賃金を得ている。みなが嬉々として働いていた。

 加賀の鳥越城は柴田家が落とす前はただの砦であったが、今は簡素な平城に改修されて城下には隆広家臣団とその家族が生活を営み、ちょっとした町になっており商売をする者も出てきたほどだ。鳥越城はすっかり水沢隊の家となってしまった。そして隆広の内政主命の任期満了を待たずに加賀の検地、新田開発、治水工事が完了した。

 

 カーン、カーン

 

 鳥越城から夕刻の作業止めの鐘が鳴った。その鐘の音は伝達され、方々で作業に当たっている者たちにも音は届く。手ぬぐいで汗を拭き、田植えで曲げていた腰をやれやれと直す者。田縁によっこいしょと腰を下ろすもの、いずれの者たちも一つの仕事をやり遂げたと云う良い笑顔だった。

 夕陽が落ちる中、鳥越城の櫓から妻子と共にそれを見る隆広。嫡子の竜之介を肩車していた。その隆広にさえとすずが寄り添う。竜之介もそろそろ二歳、片言の言葉は話せた。最初に覚えた言葉は『母上』、次に覚えたのが

「ちちうえ~」

 と、父の隆広の肩で無邪気に二番目に覚えた言葉を発する竜之介。その竜之介に母のさえが言った。

「竜之介、父上の仕事をよく見ておくのですよ。今にあなただってやる仕事なのだから!」

「おいおい、まだ二歳にもならない子に言うなよ」

「いいえ、お前さま。この子は水沢家の世継ぎです。このくらいからもう心得ておかないと!」

「ははは、結構さえはしつけに厳しい母上となりそうだな」

 そして鳥越城の台所を任されていた八重が櫓に走ってきた。

「殿様! あと半刻ほどで酒宴準備整います」

「よし、みんな引き上げてきているし我らも城へ入ろう。二人ともこの半年の遠征中、家中の女たちをうまくまとめてくれた。感謝している」

「「はい!」」

「さあ、オレたちもメシにしようか」

「「はい」」

 竜之介をさえに渡して

「さ、すず」

 腰をおろして、すずを背負う姿勢を執った。櫓から降りるのは杖で歩行を支えるすずには困難であるからだ。

「申し訳ございません」

「ほらまた! おんぶのたびに詫びるなと言ったろ!」

「あ、申し訳ございません。…あ!」

 また謝ってしまった。クスッとさえも微笑んだ。四人が櫓を降りると工兵隊の辰五郎が歩いてきた。

「殿、本日にてすべての工程が終了いたしました」

「お疲れさん。すべて辰五郎のチカラあってこそだ。礼を申すぞ」

 すずを背負いながらペコリと頭を下げる隆広。隆広の内政指示も職人に恵まれなければ話にならない。図上の隆広の指示を実際の形に出せる辰五郎の働きは、今回の内政主命では勲功一番である。

「もったいのうございます」

「さ、辰五郎さんもおフロに入って汗を流したら宴です。辰五郎さんの好きな旨酒を越前から運ばせましたから」

「これは嬉しいですな奥方様!」

 辰五郎のノドが歓喜に震えた。

 加賀の民は一向宗七万を虐殺した柴田勝家の幕僚である佐久間盛政と水沢隆広を鬼や獣のように恐れていたが、盛政は民を大切にし、隆広は加賀の国を豊かにした。いつしか恐れから思慕となっていった。加賀の国は柴田家の統治になって生まれ変わったのだった。

 

 その日、鳥越城では盛大な宴が催された。加賀の国は佐久間盛政が入ったが、その土地の生産の基盤を作ったのは水沢隆広である。さすがの盛政も気が進まないものの、使者を出して酒と料理を届けさせた。その使者と云うのは盛政の妻の秋鶴であり、領主の妻として隆広に感謝の意を示した。使者の口上を終えると、秋鶴は連れてきた佐久間家の者たちと宴に交じった。彼女はお祭り好きなのである。しかし隆広に酒を注ぎながら秋鶴は詫びた。

「申し訳ございませぬ。本来ならば佐久間が来て水沢様を労うべきですのに」

「いや、気になさらないで下さい。届けて下された酒と料理は一級のもの。会って話さずとも佐久間様がそれがしを褒めて下されている事は分かります」

 と、隆広は言っているが続々と盛政の耳に寄せられる隆広による内政の高い成果。盛政の幕僚や妻は喜んだが、それを聞くたびに盛政は不機嫌になった。

 妻の秋鶴は『せめて領主として労いの品と感状くらいは出すべきです』と述べたが盛政は聞く耳を持たなかった。『そんなものは伯父上から出るから必要ない』と返すが、道義上佐久間家が水沢家に何もしなければ、佐久間家は礼儀も知らないのかと笑われるだけである。だから妻の秋鶴がやってきたのである。他の事では柔軟な考えも示し、かつ民も慈しむ盛政なのだが、隆広の事となると意固地になる。何度か秋鶴が『水沢家に労いと褒賞の使者を』と述べて、やっと盛政はそれを調達する金銭だけ出し『先輩ヅラのオレが行ってもヤツにとっちゃ迷惑なだけだろう! お前が行ってこい!』と取り付くシマもなかった。

「どうされた秋鶴殿?」

「い、いえ何でも。しかし水沢様にそう言っていただくと佐久間家としても助かります。まったく殿の部下たちは水沢様に好意的なのに、どうして殿はああなのか…。妻としても理解に苦しみます」

「あははは、昔に仲が悪くて、後に刎頚の友となった例もあります。まだこれからいくらでも佐久間様と融和の機会はあります。それより秋鶴殿も一献」

「いただきます」

 

 と、隆広と秋鶴が会話をしていると隆広の座る場に白い布が飾られた針が天井から降りて刺さった。

「と、失礼」

 立つと同時に一つ咳払いをした。同じく宴席にいた奥村助右衛門、前田慶次、石田三成への合図だった。隆広はさえに佐久間家の接待を任せ、助右衛門たちと別室に歩いた。そこには一人の忍びが待っていた。

「お待ちしておりました」

「六郎、役目お疲れ様」

 それは身障者になってしまったすずに代わり、隆広付きの忍びとなった六郎だった。元は武田家の忍びであるが、仲間に私刑を受けて木に吊るされていたのを藤林忍軍に助けられていた。私刑を受けていたのだから大した技量もない忍びと思われていたが、回復後意外にも智勇備えた忍びと分かり、彼自身が主君勝頼に武人の情けを示してくれた隆広に仕える事を切望していた事も手伝い、隆広付きの忍びに抜擢されたのである。歳は隆広より二つ年長であるが、年下の主君に心より忠義をもって仕えていた。

 

 隆広はその六郎に密命を与えていたのである。それはこういう理由だった。今年の安土大評定。隆広は加賀内政を一旦石田三成に任せて昨年同様に主君勝家と共に安土へと向かった。

 昨年に加賀攻め、武田攻めを成し遂げていた信長は上機嫌であり、昨年の安土大評定とは違い滞りなく終わった。隆広が少しの疑惑を感じたのは、大評定の後に彼が明智邸にて催される茶会に招待された時だった。

 明智光秀は茶会の席で度々上の空となったのである。隆広や配下の斉藤利三、明智秀満もいる席だったが、茶会後の食事の時には箸を落としても気付かないほどに上の空となった。いや上の空と云うよりも何かを考えていると云う感じであった。

『何か重大な事を考えているのでは…』と隆広は直感で思ったのである。

 

 なぜ、この考えに至ったか。それは水沢家の家令である吉村監物から、たまたま聞いていた話があったのだ。彼は朝倉景鏡の筆頭家老を務めていた。

景鏡が主君朝倉義景に反旗を翻す前、家臣や愛娘のさえが話しかけてもそれに気付かず押し黙って考え込んでいたと云う。監物は

『いま思うと、あの時の殿はすでに義景様を討つことを考えていたのでござろう。重大事を考えている時、人は周りのことなど気付かず黙っているものでござれば』

 茶会の時に見た光秀がまさにそれであったのだ。隆広は考えすぎ、そう思おうとしたが、どうにも気になって仕方がなかった。

 また以前に安土城内で食事をしていた光秀を森蘭丸がふと見かけた事がある。その時も光秀はたまに箸を置いて何かを考えていた。蘭丸も隆広と同じように、光秀が何か重大な事を考えていると読み取り、それを信長に報告したが信長は蘭丸の報告を『考えすぎだ』と笑い取り合わなかった。

 その後に、もし森蘭丸と水沢隆広がこのわずかに抱いた疑惑について話し合えば、歴史は違った展開を見せたかもしれない。しかし軍団長級の武将に対しての疑惑を、いかに親友とはいえそう簡単に話せるものではない。もし光秀が潔白ならばとんだ讒言になる。森蘭丸と水沢隆広は光秀に疑惑を抱きながらも、その解決へ共に動く事は出来なかったのである。

 以降森蘭丸が信長へこの疑惑を述べる事はなかったが隆広は動いていた。“因果な性格、恩人に疑惑を抱くなんて”と隆広は考えすぎだと願いつつも自分の忍びに明智光秀を内偵させたのである。白と六郎がその任に当たった。

 

 “考えすぎだ”と一笑に付した織田信長は果たして忘れていたのだろうか。かつて丹波攻略において光秀は当時の丹波領主である波多野氏に和議のため母親を人質として差し出した。それにより波多野秀治、秀尚兄弟は光秀を信じ、その後に安土城に織田信長との和議交渉へ赴いた。だが信長は問答無用で波多野兄弟を斬った。光秀が波多野氏に母親を人質に出していると知った上である。光秀の母は磔に縛られ、怒り狂った波多野家の兵たちに惨殺されてしまった。

 また信長は四国土佐の長宗我部氏と和を図り、光秀を使者にした。当主元親の妻が光秀の筆頭家臣斉藤利三の妹である事を見てみると、明智と長宗我部の縁は浅くないと思えるが、信長はその和議を破棄して三男の織田信孝と丹羽長秀らに四国討伐を命じている。これでは光秀の面目は丸つぶれである。

 以上の事を考えても、光秀が自分を憎んでいると推察するのは難しくないが信長は光秀に容赦はなかった。五つ年上の彼を満座の前で辱める事も少なくはなかったのである。

 

 しばらくして、光秀は主家の同盟者である徳川家康の饗応を命じられた。安土城下に家康一行の宿泊所を作り、その日の料理や能などの出し物についても豪華絢爛に趣向を凝らさなくてはならない。しかもすべて出費は明智家が出すのである。

 だが家康のために作った宿泊所は信長に不合格を出され、一から作り直された。ようやく二度目に合格をもらえ、その宿泊所に家康を招く事になった。

 そして家康から今回の接待のお礼にと、信長宛に進物が贈られたが、その目録を見て信長は受け取った光秀に激怒した。家康とて財政は火の車。それなのに信長に対して黄金や宝刀などの豪勢な進物を贈ったからである。それを率直に受け取った光秀に対して、気の利かないヤツと信長は怒鳴り散らした。

 

 六郎はその様子を細かく隆広に報告した。

「それではもはやイジメではないか…」

「はい、私と白は明智様に使われる小者として潜り込みましたが…明智家中の方々も、もはや堪忍袋の緒が切れる寸前にございました…」

「隆広様、どうして大殿は明智様を嫌うのでしょうか。あれほど織田家に貢献されている方であるのに」

 と三成。

「明智様は羽柴様と違い、大殿の機嫌を取るようなマネはしない…。正しい事を常に大殿に述べる明智様。それが気に入らないのかもしれぬ」

 かつて織田信長は森蘭丸だけにこう漏らした事がある。

「正しい事を言う光秀が憎くなり、ずる賢いと分かっている秀吉が可愛く思える。人間とは分からぬわ」

 この言葉から信長は内心光秀を高く評価し認めている事も分かる。そうでなければ丹波五十万石など与えない。だがこんな信長の心中など光秀やその家臣たちに伝わるはずもない。

 

 六郎が報告を続ける。

「そして家康殿を安土天主の間に通しての能楽が始まり、その時に出されたご馳走でまた…」

 信長は出された魚を見て激怒した。においのきつい鮮魚料理を腐っていると信長は激怒して家康やその家臣、同じ織田家臣のいる満座の前で光秀を打擲したのである。家康が『やりすぎですぞ』と述べると『こやつは最近調子に乗っておるのだ』と聞く耳を持たなかった。そしてこの場で家康の饗応役を解かれてしまった。

 接待のための出費も、この役目を成功させて家康に対して信長の面目を保ち、そして明智家の覚えも良くしてもらおうと云う気持ちがあればこそ出せた。しかしすべて無駄になった。同じく能楽の席にいた斉藤利三、明智秀満、溝尾庄兵衛は悔しさに涙を流したが、光秀に静かに制されどうしようもなく、歯軋りしながら天主の間を去ったのである。

 

「そうか…」

 隆広はため息を出した。同じく助右衛門も。

「それでは明智様がガマンしても家臣たちの腹が収まるまい」

「そうだな…。オレとて殿が目の前でかような仕打ちを受けたら…」

「受けたら…?」

 慶次が続きを促す。

「大殿を斬るかもしれない…」

 少しの静寂が流れた。

「六郎」

「ハッ」

「引き続き、白と共に明智様の小者として潜り込んでいてくれ」

「承知しました。それと隆広様」

「なんだ」

「明日にでも、北ノ庄から使いが来るかと」

「使い?」

「はい、勝家様は上杉との戦いを決断されました。隆広様はこのまま鳥越城に留まり、兵をまとめて合戦の準備をされるようにと」

「いよいよか」

「上杉と戦か! ウデが鳴るな!」

 左手をコブシで叩いて意気をあげる慶次。それをよそに三成が不安そうに隆広に訊ねた。

「しかし隆広様、明智様の事は…」

「殿が上杉との戦いを決断されたなら、もはや我々はそれに集中するしかない。だが…」

「だが?」

「近う」

 隆広は助右衛門、慶次、三成、そして六郎に耳を貸すように言い、そして話す。

「…というわけだ。上杉への戦陣に向かうのはオレと助右衛門、慶次、そして矩久たちでいい。また北ノ庄で待機している柴舟と舞もこの際動いてもらう。佐吉と柴舟、舞、白、六郎は…」

「…承知しました」

 密命を受けた三成はゴクリとツバを飲む。

「徒労に終わってくれると良いのだが…」

 隆広は本心からそれを願った。

「ではそのように」

 と、六郎が去ろうとしたとき

「あ、六郎」

 隆広が呼び止めた。

「はい」

「まこと、そなたの諜報見事。柴舟が抜擢しただけはある。さすがは武田に仕えし硬骨の忍び。頼りにしている。今後も頼むぞ」

「はっ!」

「それと…」

「は?」

「途中、藤林山に寄り、銅蔵殿にすずが懐妊したと知らせてやってくれ」

「承知しました!」

 

 六郎の言うとおり、翌日に勝家から隆広に使者が来た。使者は勝家の老臣の中村文荷斎だった。

「まさか文荷斎様自らが…」

「ははは、さすがにこの歳になると長い時間馬に乗っていると疲れるわい」

 隆広の妻のさえが文荷斎に冷たい水を出した。

「どうぞ」

「おお、ありがたい」

 文荷斎は水を飲むと同時に、隆広の居室やその前に広がる庭を見た。

「ここに通される前に、ざっと城を見渡したが見事に破壊された鳥越城を改修したのォ。ホントに隆広は城作りの名人じゃ」

「兵や領民たち、人足たちが働き者ばかりでしたので」

 褒め言葉に照れ笑いを浮かべる隆広。

「すでに目付けからそなたの働きは殿に届いておる。たいそう喜んでおった。これが手柄と褒美の目録を記した感状じゃ」

 勝家からの書、隆広とさえは平伏し、両手で感状を丁寧に受け取った。

 

「ところで本題に入るが…」

 さえは会釈して居室から立ち去った。

「御館の乱、知っておるな?」

「上杉景勝殿、景虎殿が戦った跡目争いでございますね」

「そうだ。兄の景勝が勝ったそうであるが今だ上杉の家中は不安定な状態である。今こそ好機と殿は判断された」

「それがしもそう考えます。春日山まで至る事は無理でも能登と越中は取れると思います」

「うむ、殿は今日より三日後に北ノ庄を進発して上杉領を目指す。そなたも合流せよとの事じゃ」

「承知しました!」

 

 いよいよ手取川合戦以来の柴田対上杉と合戦が始まる。隆広は急ぎ合戦の準備を始め、石田三成に命じて鳥越城にいた水沢家の女子供と出稼ぎに来ていた越前の民たちを帰還させた。

 翌日に北陸街道を東進する柴田勢に合流する事を決めて、その軍議が終わると隆広は鳥越城の櫓に登り、一人考えた。見つめている先は丹波亀山城、明智光秀の居城の方角だった。

「見つめている方向が違いますぞ隆広様」

「慶次…」

 前田慶次も櫓に上がってきた。

「上杉との戦いに集中されよ。雑念あって勝てる相手ではございませぬ」

「そうだな」

「今宵は満月にござるな。どうでござろう」

 酒の瓶を二つの杯が慶次の手にあった。

「いただこう」

「月見酒とまいりましょう」

 

 丹波亀山城の庭、池に映る満月を見つめる明智光秀。水面の揺れが静まり、映る満月が徐々に丸くなろうとしたとき、一匹の大きい鯉が跳ねて、また水面の満月は四散した。それを見てフッと笑う光秀。

「織田信長の天下布武…。しょせんは水面に映る満月のようなもの…」


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