天地燃ゆ   作:越路遼介

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柴田と上杉

 紅蓮の炎に包まれる坂本城、そして崩れ落ちる。将兵はすべて討ち死に、もしくは自刃して果てた。女子供は逃がすと告げた隆広ではあるが、斉藤利三の妻のように城と共に死す事を選ぶ女も多かった。壮烈な明智家の滅亡だった。崩れて炎に包まれている坂本城。水沢陣から涙を流してそれを見る福。

「お城が…。福のお城が…燃えてる」

 本陣の床几に座り、同じく坂本城の炎上を見つめる水沢隆広をキッと睨む福。

(許すもんか!)

 

 一方、安土城。安土城は明智秀満が退去して間もなく信長の次男である織田信雄が入城していた。資金も兵糧も明智の手に渡ってしまい何も残っていないが、安土の城そのものはまだ無事であった。

 変事の際、信雄は伊勢松島の居城にいた。変報を受け、すぐに出陣したが天正伊賀の乱で伊賀攻めの総大将だった信雄に対して、伊賀の国衆が不穏な動きを見せたため、うかつに京方面に軍を進ませる事ができなかった。その信雄に柴田勝家から書状が来た。書面には安土城を押さえておくように要望されていた。

 勝家は織田家に忠誠心はあったが正直次男信雄を評価していなかった。だが信雄には軍勢がある。いかに信雄が暗愚でも軍勢は軍勢である。それに信長次男の存在を家臣として無視するわけにもいかない。近江佐和山で合流を信雄に伝えるべく使者を出そうとしたが、それに待ったをかけたのが水沢隆広だった。

 越前から京に向かう進軍中、北陸軍は小谷山ふもとで野営をしたが、そのおり部下の諸将に『織田の世継ぎは三男の信孝様を押そうと考えている』と漏らしていた。信孝は羽柴秀吉と陣場を共にしていたが、地理的に近かった事と利害の一致ゆえで共闘となった。秀吉にとっては光秀を討つ良い御輿であるが、信孝は秀吉の傀儡となったワケではない。事が済めば秀吉はあくまで家臣なのだ。

 柴田勝家は織田信孝が元服の際に加冠の役を務めたと云う経緯があり、また信孝は後世の評価は低いが、父の信長が四国討伐の総大将を任命している点と、またルイス・フロイスが『思慮あり、諸人に対して礼儀正しく、また大なる勇士である』と評している点から、勝家も信孝を評価しており、家臣一同が支えれば織田の版図は保てると考えたのだろう。隆広個人が信孝では頼りないと思いつつも主君勝家の意向ならば仕方ない。だから隆広は

『信孝様を織田の次代当主に据えるつもりであるのでしたら、この戦で信雄様に活躍させてはなりませぬ。信孝様は今、羽柴軍と陣場を同じゅうしてございますゆえ、我らが明智殿を打てば信孝様に活躍の場はございませぬ。ここで信雄様に手柄を立てさせては信雄様にお世継ぎが決まってしまいます』

 と勝家に進言した。すでに柴田軍は信雄の軍勢なくても三万以上となっていた。明智軍の二倍の兵力である事は分かっていた。信雄の軍勢は欲しいが合流してしまうと北陸軍は信雄の指揮下に入るしかない。

 勝家は隆広の進言を入れて安土城を押さえる事だけを要望する使者を信雄に送った。『光秀の始末は我らにお任せし、信雄様は安土のお城を取り戻されて下さいませ。安土の次の城主は信雄様にございます』と記してあり気を良くした信雄は柴田軍に合流せず、安土城に入った。

 

 しかし織田信雄が入城してほどなく、安土城は謎の大火により焼失してしまったのである。

 信雄や部下の将兵たちは避難するので精一杯だったと云う。この大火の原因は今もって理由が明らかになっていないが、放火とするなら犯人は水沢隆広だと云う説もある。信雄を殺すか、それとも安土城を大火で焼失と云う体たらくをしでかした信長の息子と云う烙印を押すつもりであったのか。この時点の水沢隆広には主君勝家の構想のため、立派に動機があったと云うのが理由であるが、それは後世の創作で真実ではないだろう。この時点の隆広にそこまでの所為が可能とは思えず、現在では略奪による放火が定説となっている。

 信雄はすでに安土城の焼け跡にはおらず、そのまま軍勢をまとめて伊勢に引き返してしまった。三隊に分かれていた柴田軍は城攻めを終えたら安土城で合流と取り決めてあり、亀山城を落とした前田利家軍、坂本城を落とした水沢隆広軍、そして勝家本隊が再び安土城へとやってきたころには、ただの焼け野原だった。勝家と隆広も見るも無残な安土の城に唖然とした。勝家は作った陣営でくつろかず、陣の前に立って、焼けた安土城をしみじみ眺めていた。隆広も横にいる。

「国敗れて山河あり、城春にして草木深し…。大殿の作られた絢爛豪華な安土城も哀れなものよ…」

「御意」

「まるで大殿の死に、そのまま安土城もついて行ったかのようじゃのォ…」

「殿…」

「しかし…ワシとていつ光秀になっていたか分からぬ。ワシは武将としてのチカラは大殿に認めてもらえていたが、ワシの愚直で武骨な性格を大殿は内心嫌っていた。一つでも失政や敗戦でもしでかせば越前は取り上げられていただろう。そして追い詰められたワシは大殿に叛旗を翻すしかない。たまたま光秀が先にやっただけかもしれぬな…」

「……」

「隆広、そなたは光秀や利三、秀満と仲が良かったな。こたびの戦、つらかったであろう」

「…はい」

「だが、そのつらさを越えてワシを勝たせてくれた。嬉しく思うぞ」

「もったいなき仰せにございます」

「そして…秀満のふるまい見事じゃ。落城前に家宝を敵将に委ねるとはな。光秀の謀反は後世に悪しく罵られるであろうが、かような器量を持つ家臣がいた事も世に伝えねばならぬ」

「はい」

 隆広は秀満より贈られた明智の家宝に指一本触れず勝家に献上した。勝家は秀満の行いを賞賛し、合戦の様子を記録していた祐筆にそれを書きとめておくよう命令した。これが今日でも謀反人の家臣でありながら明智秀満の評価が高い事に繋がるのである。

「あと…子を二人養子にしたと聞くが…」

「はい」

「誰の子であるかは聞かなかった事にいたす。しかし女子は良いが、男子はしばらくどこか遠くに預けよ。よいな」

「…承知しました」

「もろうた娘…すこやかに育てるがよい」

「はい!」

「さて、本日はここで夜営して、明日は越前への帰途じゃ。そなたももう休め」

「ハッ!」

 柴田勝家の明智討伐は畿内の領民に喝采を受けた。隆広が進軍中に撒いた噂により、それはより倍増していた。一方、光秀の領地丹波では勝家賞賛の声などは出ていないが、隆広の明智の女子供を逃がした計らいで、柴田勝家憎しの声はさほど上がらなかったと云われている。

 

 だが本拠地越前に戻る帰路中、驚愕すべく報告がもたらされた。越前に進む柴田軍に伝令兵が慌てて馬を駆けてきた。

「も、申し上げます!」

「何じゃ?」

「越前! 上杉景勝の軍勢が占領!」

「な…!」

 柴田軍に戦慄が走った。各将兵の士気は明智軍との戦いの勝利で上がっていたのに、それが急降下してきた。一向宗門徒の生き残りが先の加賀攻めの報復で勝家の留守を狙う可能性もあった。それゆえ勝家は留守部隊を残しておいたが、相手が上杉家ならその留守部隊では勝負にならない。

 加賀に入れば完全に柴田領。それを縦断して上杉は勝家の本拠地である越前にまでなだれ込んできていたのである。これは勝家にも予想外だった。上杉の本拠地である越後は越前より冬入りが早い。そろそろ越後は雪が降り出す時期に入るため、ここまでの行軍をしてくるとは思わなかったのである。実際に先代の謙信はこの時期に合戦へ赴く事はなかった。何故なら他領を取ったとて肝心の本拠地に帰れなくなるからだった。

「なんとした事じゃ…! 皆のもの、すぐに越前に戻り上杉から越前を奪取する!」

 伝令兵に隆広が問う。

「上杉軍は北ノ庄に入城したのですか?」

「いえ、北近江と越前の国境に本陣を構えているだけでございます。北ノ庄は元より、府中らの支城、加えて直轄の金ヶ崎、一乗谷の町も押さえていません。北ノ庄に残しておいた留守部隊とも交戦状態には至っていません」

「やはり…」

「どういう事じゃ隆広」

「殿、上杉はこちらと戦うつもりはないようです」

「何故そう言い切れる」

「上杉景勝殿が謙信公の薫陶を受けたお方であり…かつ、そろそろ越後は雪が降ります。急いで帰る必要があるはず。我らと戦う時間などないでしょう」

「じゃあ何故国境に陣を構えているのじゃ」

「我らに何か言いたいのではないでしょうか。それで我らの帰りを待っているかと。攻め込むつもりならば、とうに越前と加賀は上杉のものとなっていたのですから」

「ふむ…」

「『落ちている城などいらぬ』、謙信公のお言葉です。明智との戦いのため根拠地をカラ同然にして義戦に挑んだ我らの所領を奪う事を潔しとしなかったのでしょう」

「ふむ…」

「我らと戦うどころか…上杉はカラ同然の越前が一向宗門徒の残党に襲われない様に目を光らせてくれたやもしれません」

「なるほどのう」

「ともあれ、国境に向かいましょう」

「ふむ…しかし、もしそなたの申すとおりだったら…」

「御意、先日の合戦で得た能登と越中は正式に返さねばならないでしょう」

「そうよな、仕方あるまい」

 

 柴田軍は北近江と越前の国境に到着した。上杉の毘沙門天の旗が風に揺られていた。さっそく上杉陣から使者が来た。

「柴田勝家様であらせられるな。それがし上杉家家老、千坂景親と申す」

「柴田勝家でござる」

「主君、上杉景勝の言上を述べます。『謀反人明智日向を討ち取った事、祝着に存ずる。上杉は謙信公が信玄亡き後の甲斐信濃に侵略しなかったように、敵の弱みに付け込む事を潔しとしておらぬ。よってここまでそなたたちを追撃してきたが、追わぬ事を決め、かつ暇つぶしに越前にまだくすぶっていた門徒の残党から治安を維持いたしもうした。落ちている領地などいらぬゆえ、我らは越後に戻る。以上』」

“敵の弱味につけこまぬ”上杉景勝と景虎義兄弟のお家騒動後の混乱を見て上杉領に攻め入った勝家には耳が痛かった。

「では、千坂殿、ワシの言上を景勝殿に伝えてくだされ。『もはや越中と能登を取れと命じた主君はおりませぬゆえ、越中と能登は上杉に謹んでお返しいたす』と」

「承知いたしました。それと水沢殿…」

「は?」

「魚津、富山の両城でそなたの行われた事。上杉一門感服いたしてございます。いつか上杉と柴田が敵同士でなくなったのなら、是非春日山で越後の酒を馳走したいと主君景勝以下、家臣一同願っております」

「承知いたした。それがしも楽しみにしております!」

「ははは、それでは柴田殿、それがしはこれにて失礼いたします」

 千坂景親は柴田軍から去っていった。

 

 越前に到着しても、柴田の城に一切入ろうとせず、かつ領内にまだ潜伏していた一向宗門徒残党に睨みを効かせ、時には蹴散らした上杉軍。これは直江兼続が進言したものである。

『こちらが水沢殿の礼に打たれて追撃をやめたのなら、こちらも礼をもって主君の仇を奉ずため本拠地をガラ空きにした柴田軍の領内を守るのです。柴田は新領の能登越中を放棄して京に向かいましたゆえ、いわば空白地である能登越中はたやすく奪い返せますが、それでは上杉は落ちている国を拾った形と相成ります。

 上杉が元へ能登と越中を戻すには勝家殿へ公式に『返す』と言わせる必要がございます。これから織田の内規を引き締めなければならない勝家殿にとり、つい先日まで上杉領だった新領地は逆に足枷になるものです。こちらが武人の礼示せば勝家殿の性格なら返すと申すでしょう。戦わずして失った二国が戻りまする』

 景勝は兼続のこの進言をいれて追撃を越中と加賀の国境付近で留め、柴田の領内を逆に守ったのである。かくして勝家は上杉勢の心意気に感じ、越中と能登を公式に返したのである。

 上杉の武人の礼を見せ景勝を謙信の後継者に恥じない男と内外に認めさせたうえに、逸した領地も取り戻したと云う直江兼続の智恵の勝利といえるだろう。直江兼続は遠くに見える『歩』の旗を見て微笑み、馬を返した。

(数多くの上杉の将兵が死んだが…それは我らが弱かっただけの事、怨みはすまい。だが、それでも我らはお前たちから領土を奪い返したぞ。しかも戦わずにな。またこの戦いで分裂しかけた上杉が再び一つになった。悪い事ばかりでもない。とにかく今は主君信長の仇を討てた事を祝福しよう。おめでとう竜之介)

 

 その後、柴田勝家と上杉景勝が北近江と越前の国境で会い、領地返還の儀式を交わした。そして上杉軍は越後に引き返していった。その後に勝家は隆広に訊ねた。

「おい隆広、空城計の時、何をしたのだ?」

「はい、計が含まれているとはいえ城をお返しするわけですから城の破損を改修して、かつ清掃して戦没者を弔ってから城を後にしたのです」

「…そうか、敵兵の亡骸は野晒しが常。それをお前は丁重に弔ったのか。それはワシからも礼を言うぞ」

「もったいなき仰せに」

「さ、それでは北ノ庄に帰るぞ!」

 柴田軍は上杉軍を見送り、そして居城の北ノ庄に帰っていった。謀反人を見事討ち果たしたとあって、柴田軍は歓呼の声で領民に迎えられた。すでに蒲生、九鬼の軍勢も居城に戻ったが、やはり同様に領民から喝采を受けたと云う。隆広が事前にやった柴田賛美の噂の効果も相まって、柴田への民心は大いに上がったのだ。越前に入り、府中三人衆も居城に帰っていったが、やはり同様であった。謀反人を討ちし大忠臣の軍団と領民は柴田軍を褒め称えたのであった。

 全軍は城の連兵場へと行き、そして勝家から明日に論功行賞を行う事が述べられた後、軍団は解散となった。ここで隆広の明智討伐は終わった。いつもなら妻さえにすぐに会いたく連兵場をとっとと出て行く隆広だが今日は違った。

「福、帰るぞ」

「…」

 まだ隆広を見ようとしない福。養女にしてすでに十数日、福は隆広を警戒し許してもいない。しかし隆広は優しく微笑み、福の視線に合わせて腰を下ろした。

「なあ福、オレはお前より十四しか年長でしかない。妻もそうだ。だから利三殿や安(利三正室)殿に比べて頼りないかもしれない。だけど我ら夫婦、一生懸命に福の良き父と母になるよう努力する。だってオレはもう福がとても愛しいから」

「…」

 父の利三がくれた鞠なのだろうか、福はそれを大事に両手で持っている。

「ずっと大切に持っていたな。その鞠…父上がくれた鞠か」

「…はい」

 やっとしゃべった福。

「さ、帰ろう。お腹すいているだろう」

「…はい」

 隆広は福の手を握った。

「はな…ッ!」

 離して、と福は言いたかったのだが優しく握る隆広の手は暖かかった。

「…」

 福は隆広に手を繋がれ、そしてこれから自分の家になる水沢家へと向かっていった。

 

 隆広の妻さえは前もって夫からの書状で養女をもらったと聞いていた。いきなり養女をもらったと言ってきた夫に驚いた。しかし書状には福を養女にするまでの詳しい経緯が書かれてあり、それを一読すると得心し、さえも福の母親になる事を決めたのだった。

 さえ自身も朝倉景鏡の娘で、父を『裏切り者』『主殺し』『卑怯者』と、さんざんに罵られたつらい少女期があった。斉藤利三もまた心無い者たちから『謀反人の家来』と早や言われだしている。そして家族も住む家を無くしてしまったのも同じ。さえには福と自分が重なったのだろう。実の子の竜之介と分け隔てなく育てる事を誓うのだった。そして福を伴い帰ってきた隆広。玄関先で出迎えたさえとすずと竜之介、そして監物と八重ら侍女や使用人たち。

「「おかえりなさいませ」」

「うん、帰った」

 本当は今すぐ抱き合いたい隆広とさえだが、さすがにこの場は堪えた。隆広と手を繋いでいる少女は不安そうに隆広の家族たちを見る。それを察したさえは福に歩み、腰を落として福の視線に合わせニコリと笑い

「私が今日から福の母となるさえです」

「…は、はい」

「さあ疲れたでしょう。湯が用意してあるから入りなさい」

 そう言うと、さえは福をつれて屋敷に入っていった。その様子を見てホッとする隆広。子供を安心させ、そして癒すに男は女に遠く及ぶものではない。すぐにさえの手を握った福に安心した。そして隆広は竜之介を抱き上げながら侍女と使用人たちに要望した。

「みな、あの女童は斉藤利三殿の一人娘福。遺児を託された以上、一人前の女に育て、しかるべき男に嫁がせなければならない。それまでは当家で厳しくも暖かく育てる。みなも協力してくれ」

「「ハハッ」」

 屋敷に入ってしまったさえに代わり隆広を丁重に迎えるすず。

「さ、隆広様、本日はご馳走を用意してあります」

「うん、すずのお腹も大きくなってきたな。滋養のつくものは食べているか?」

「はい」

「良かった。大事にしてくれ。生まれ来る子も大事だが、そなたの身もオレには大切なんだから」

「はい…(ポッ)」

 福は坂本から北ノ庄までの旅が疲れたか、風呂に入り、メシをたらふく食べるとすぐに寝てしまった。さえや侍女たちが暖かく福に対し、福も安心したようだった。坂本から北ノ庄までの夜営中には見られなかった安らかな寝顔だった。その寝顔を見て、隆広はさえとようやく二人の時間に入った。

「かわいい子です」

 と、さえ。

「うん、だが福はオレを許してはいない」

「お前さま…」

「福は幼いが、さすがは利三殿の一人娘だけあり気の強い子だ。さえも手を焼くであろうが…」

「気長に対し、いっぱい愛し、福の心が開くのを待つつもりです」

 隆広の言葉は、逆にさえの母性本能に火を着けたようだった。

「ありがとう、それと…柴田の名声が高まる一方で明智の名前は畿内でひどい言われようとなっている。人のクチに戸板は立てられない。利三殿の悪評は福にも届く事があろう。父の悪評を聞くつらさを誰よりもさえは分かっているはずだ。支えてやってくれ」

「分かりました」

 唐土の故事に『遺児を託す』と云う言葉がある。それは託す者から深い信頼を得ている他ならない。斉藤利三は敵将の水沢隆広を信頼し遺児を託した。それに応えるのは武士の本懐であり人の道。その気持ちは妻のさえにも十分伝わるものだった。

「さえ、腹に触れてよいか?」

「はい」

 さえもすずと同じく隆広の子をお腹に宿している。嫡子竜之介が生まれる前のように、隆広は愛妻の膝を枕として、妻のお腹に耳をつけた。

「…さすがにまだ何も聞こえないな」

「まだ膨れていませんから…」

「ははは、そうだな」

「だからまだ伽は務められます」

 珍しく大胆な事を述べるさえ。顔は真っ赤であるが。

「今日は明るい部屋が良いな」

「いやです。恥ずかしいですから」

 

 翌日、明智討伐の論功行賞が行われた。勲功一位は水沢隆広であった。そして齢二十一歳で家老に昇格し多額の報奨金を与えられ、禄の加増が申し渡された。隆広は家老職に就くのを今まで三度固辞したが、さすがにもうその辞令を断れず拝命した。

 しかし相変わらず住む屋敷も武家屋敷の一角である。多額の金銭で勝家に召抱えられている隆広は家老であっても領地も城もない。君主の右腕として北ノ庄城にあり勝家の側にいなくてはならない。織田信長没しても、この特殊な遇し方は継続された。ちなみに隆広はこのおりに朝廷から官位を拝命している。

『従五位下美濃守』

 この時から水沢隆広は水沢美濃守隆広と云う名になった。奇しくも生まれ故郷の地名である美濃の名を拝命したのである。この時代、一般的には本名より通称や官位名で呼ぶ事が多い。奥村助右衛門の『助右衛門』も通称で、山内一豊は『伊右衛門』、前田利家は『又佐』、佐久間盛政は『玄蕃』と、これも通称であるが隆広には通称らしきものが今までなかった。幼名と本名だけであったがこの日より『美濃』『濃州』『美濃殿』『濃州殿』と呼ばれ、かつ『仏の美濃』『智慧美濃』と呼ばれる事になるのである。

 

 論功行賞後の評定で、勝家は清洲城にて信長の次男の信雄、三男信孝立会いの元、主なる諸将と今後の織田家の行く末を会議する事を決めた。その会議の段取りは前田利家が当たる事になった。それと同時に

「美濃(隆広)」

「はっ」

「そなた上杉との和議の使者になれ」

「承知しました」

「上杉将兵に『敵ながら見事』と言わしめた、そなたにこそ適任じゃ。頼むぞ」

「はっ!」

 翌日に隆広は前田慶次と少しの手勢を伴い、上杉景勝の居城である春日山城に向かった。

「ははは、『いつか上杉と柴田が敵同士でなくなったのなら、是非春日山で越後の酒を馳走したい』と景勝殿が千坂景親殿を使者に立てて述べていましたが、よもやこうも早く訪れるとは」

「そうだな。あんまり飲みすぎるなよ慶次」

「そりゃあ酒次第でございますよ。あははは」

 護衛の兵と上杉への和議のための進物を持つ人足、総五十名の隆広主従は雪の越後を目指した。北陸街道はすでに上杉行軍のあとだったからすでに除雪はされていた。加えて、今回の上杉との和睦は隆広が勝家に進言した事であった。

『この織田の混乱の中、外敵がいる中で乗り切るのは難しいと考えます。羽柴様は毛利と和睦し、北条は現時点では徳川様が押さえ、長宗我部氏とは停戦状態。残るは上杉ですが先日の縁もある事ですし、同盟とまではいかなくても和睦をすべきでしょう』

 勝家は最初難色を示したが、少し考えてその進言を入れたのであった。そしてその使者に選ばれたのが隆広と云うわけである。

 

 北ノ庄を出て五日、隆広主従は春日山に到着した。隆広と慶次は馬に乗ったまま、しばらく春日山城を見ていた。

「なんと美しい城だ…。雪に映えるその姿は芸術とさえ思えてくるぞ」

「まこと、さすが軍神謙信公の居城だった事はありまするな…!」

 隆広と慶次は感嘆して城の美に見とれた。

「ははは、我が殿の城を褒めていただき嬉しゅうござる」

 隆広と慶次に歩み寄る一人の武士がいた。隆広はその男を知っていた。

「な…! 与六じゃないか!」

「久しぶりだな竜之介」

「知っている御仁でござるか殿」

 隆広が官位を得てから、慶次たち隆広三傑と呼ばれる者たちは『隆広様』から『殿』へと呼び方を変えていた。

「ああ! 短い間だったが共に上泉信綱先生の下で剣術を習った同門の友だ!」

 馬から下りて与六に歩み手を取った。

「久しぶりだなあ! 与六お前上杉に仕えていたのか!」

「ああ、今は直江兼続と云う」

 隆広は驚いた。

「お、お前が直江兼続殿だったのか!?」

「そうだ。なんだそんなに意外か?」

「直江兼続殿といえば景勝殿の軍師じゃないか! あのヨゴレのお前が…」

「お前も当時はハナタレ坊主のヨゴレだったろうが! ったく会うなりヨゴレはないだろう。しかし薄情なヤツだな。オレは手取川合戦当時にはお前が柴田殿に仕えていたのは知っていたのに」

「あ、いや…スマン」

「ははは、とにかくお前も前田殿も城に来てくれ。景勝様も首を長くしてお待ちだ」

 

 隆広と慶次は兼続に案内され、景勝の待つ城主の間へと歩いた。

「殿、水沢美濃守殿、前田慶次殿がお越しにございます」

「そうか、通せ!」

「はっ」

 城主の間には、上杉のそうそうたる家臣たちがズラリと並んでいた。隆広と慶次は景勝の前に歩み、平伏した。

「柴田家家老、水沢隆広にございます」

「同じく足軽大将前田慶次にございます」

「ふむ、余が上杉景勝だ。遠路ご苦労であった。面を上げられよ」

「はっ」

「前口上は良い、柴田殿の用件を述べられよ」

「はい、我が主勝家は、上杉との和議を望んでおられます。先日の上杉勢の越前での義に溢れた行為に主人は感嘆いたしておりまする。大殿亡き今、すでに柴田には上杉と戦う理由がなく、二度矛を交えたとはいえ先代謙信公と当代景勝殿に敬意こそあれど敵意はございませぬ。過去の経緯は水に流し、ぜひ当家と和議と思し召したい」

「和議の条件は?」

「献上金三千貫、領地の国境は越中加賀。そして直江津と敦賀の流通の開始にございます」

「ふむ…」

 これは上杉にも悪くない話でもあった。景勝は謙信の後を継いで間もなく、領内にまだ混乱が生じていた。今外敵に侵略されたくないのは上杉側にも同じだったのである。それに今では日本海屈指の貿易港となっている敦賀との流通も魅力的である。後にこの和議は強固な同盟にも発展するが、それは柴田家当主が勝家の時代には実現せず、次代当主になってから実現に至っている。

「あい分かった、勝家殿の申し入れを受けよう」

「恐悦に存じます」

「殿、ようございましたな」

「ああ、大役を果たせた!」

 景勝と隆広の間に白紙と筆を乗せた盆が置かれた。

「かたじけない」

 隆広は改めて和議の約定を書き、花押(サイン)を付記して間に座っていた直江兼続に渡した。

「ほう、字ィ上手くなったな。ガキの頃は激痛に悶えるミミズみたいな字だったのに」

「大きなお世話だ」

 景勝は隆広と兼続の会話を聞き苦笑し、そして盆を受け取り、書に花押を書いた。同じものをもう一枚作り、一方は景勝。もう一方は隆広が受け取った。

「確かに。主君勝家の喜ぶ顔が浮かぶようにございます」

「ははは、では堅苦しい話はこのくらいでいいだろう。これ!」

「はっ」

「歓待の宴じゃ」

 上杉景勝は隆広主従をもてなした。戦国武将とは時に奇異な面を持っている。狭量凡庸な味方の者より、強大かつ優れた敵将を愛する性格を持っている。隆広が手取川合戦で上杉謙信率いる三万の大軍をわずか二千で退けたのは上杉家の人間なら誰でも知っている。

 そして越中荒川の合戦では上杉の奇襲を看破して蹴散らしたのも隆広である。また富山城と魚津城を空城計で明け渡すときも、隆広は壊れた箇所を修復して戦死者を手厚く弔ってから撤退している。この行為は上杉将兵の心を動かした。

 上杉家は言わば隆広に一度も勝っていないのであるが、隆広は上杉将兵から敬意を受けていた。この時の歓待は心より隆広と慶次をもてなす酒宴であった。

 そしてこの日、一つ出会いもあった。一人の女が宴の場へやってきて、隆広に平伏した。

「上杉景勝が室、菊にございます」

「水沢隆広です。お初に御意を得ます」

「この日が来るのを待っていました。是非お礼を申し上げたく」

「礼ですと?」

「はい、兄の勝頼、義妹相模、甥の信勝を丁重に弔ってくださり、妹の松をお助けいただいた事を」

「その事ですか…」

 菊姫は武田信玄の五女であり、側室油川夫人との間に生まれた松姫の同腹の姉である。

「武田一門の女として言葉に尽くせぬほどに感謝しております」

「いえ、それがし勝頼様の肝煎りで快川和尚様より惜しみなく武田の技能を学べました。その御恩を少しお返ししただけにございます。で、松姫様は…?」

「妹は武州恩方(東京都八王子市)にて信松尼と名乗り、中将(信忠)殿を弔っている由…」

「そうですか…」

「畿内に中将殿の墓は?」

「これから京か安土に作らせていただく予定にございます」

「いつか、そこに妹をお連れ下さいませぬか」

「しかと、お約束いたします」

 柴田勝家は勝竜寺城から安土へと引き上げる途中に、信長の最期の地である本能寺と信忠最期の地である二条城に立ち寄り、信長と信忠の遺品を回収している。その中に信忠の焼け焦げた脇差があった。勝家はそれを隆広に与えていたが、後にそれは隆広から松姫の手に渡されたと云う。

 

 上杉と柴田の和議は成った。隆広と慶次は景勝が春日山に泊まっていってはどうかと薦めたが隆広と慶次は丁重に断り春日山を後にした。日帰りだったと伝えられている。宴の後に景勝は側近の直江兼続を呼んだ。

「与六(兼続)」

「はい」

「気づいていたか。美濃殿と前田殿、二人が一滴も酒を飲まなかったのを」

「はい、おそらくは着物の中に皮袋でも仕込んであったのでしょう。着物の裾で上手く隠し飲むふりをして酒をその袋へと入れていました」

「随員してきた小者や従者までもそうしておった。何と云う用心深さよ。なるほどここは敵陣も同じ。たとえワシやそなたに毒酒を盛る気はなくても、越中能登で美濃殿の采配で我らは苦しめられた。怨みに持つ者もおろうからな」

「はい」

「日帰りで帰ったのも、城内で就寝中に襲われる事を危惧してか。武将たるもの、それほどの用心深さ、我らも見習うべきであるな」

 

「あーあ、もったいない。毒酒の危険性ありとはいえ、無害ならば越後の美酒、そうオレたちが飲めるものじゃないのに~」

 隆広と慶次についてきた水沢家臣たちは泣く泣く懐の皮袋に入っている酒を捨てた。

「ははは、まあそう言うな、命には替えられないだろう」

「そうですが殿様~」

「心配いたすな。春日山城下で柴田と悟られないように越後の美酒は買っておいた。今日の宿で好きなだけ飲むがいい」

「「やったあ!」」

「「さすが殿だ!」」

「しかし殿、景勝殿と兼続殿はいい男にございますな。いつか共に美酒を心行くまで飲みたいものにござる」

「そうよな慶次、きっと美味い酒になるぞ」

 後年、直江兼続は隆広の家臣たちとも親密な間柄となり、前田慶次と石田三成とは肝胆相照らす仲となる。

 

 時を同じ頃、前田利家も清洲城で催す会議のために奔走していた。世に云う『清洲会議』まで、あと数日。


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