天地燃ゆ   作:越路遼介

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夜明けの祝杯

 翌日、隆広が雇った職人たちは北ノ庄城東側の補修箇所にやってきた。隆広はまだ到着していなかったが、昨夜の楽しく美味しい酒の義理か、職人たちは率先して取り組みだした。

 また市場の商人で土木工事の経験のある者は、この仕事を手伝いだした。町で店を出すより、こっちに参加したほうが稼ぎになると思ったからである。当の隆広は、遠目から現場を見ていた。さえも横にいる。実は到着していたのである。

「うん、職人と商人さん合わせて、ちょうど百人と云うところだな。これなら割普請ができるぞ」

「では隆広様、参りましょうか」

「ええ、では荷台の後ろを押してください」

「はい」

 本当に隆広が叱咤せずとも、昨日に隆広と酒を酌み交わした職人や商人たちは自発的にやってきた。

 職人の長の辰五郎は面食らった事が一つあった。それは隆広の『酒が飲めない』が見事なまでの大ウソだったことだった。『飲めないから捨てる』と言われて、目の前で大好きな旨酒が捨てられるのに耐え切れず、つい引き受けてしまったこの仕事。してやられたと笑うしかなかった。

 そして隆広は職人や商人からの杯をすべて受け、最後まで酩酊状態にならず、独特の調子を取る語り口調で、この城壁を直す大切さを説いたのである。

 

『蹴散らしても蹴散らしても、雲霞のごとく現れる一向宗門徒!』

 

 タンタンッ!

 

 酒樽のフタに、扇子を叩いて調子を取る。

『隣国の加賀はすでに門徒の手にある!』

 

 タンタンッッ!

 

『次なる目的地はこの越前であるのは明らかである!』

 

 タンタンッッ!

 

(いい声していやがるな…)

 辰五郎はそう感じながら、耳を傾けていた。

 

『かつて越前は一向衆三十万に攻められた! だが! それを一万三千の寡兵で撃破した勇者がいたーッ!』

 

「「オオオオオ―ッ!」」

 巧みな弁に、その場にいた者はだんだん隆広の語りをワクワクしながら聞いていた。

 

『それが! そーれが! あの名将の中の名将! 朝倉宗滴公である!』

 

「「オオオオオオ―ッッ!」」

 

『一乗谷のお城は稀代の堅城! ゆえに! 宗滴公の神算鬼謀の用兵と相まって門徒を退けることができた! しかるに! 今この城の現状はどうか!三十万が来襲したらひとたまりもないではないか!』

 

「「そうだそうだ!」」

「「いいぞーあんちゃん!」」

 

 顔を桜色にして、さえは隆広の弁に聞き入っていた。

(ホントにいい声…。しかも宗滴公の武勇を雄々しく語る織田の武将なんて隆広様くらいね…)

 市場の女が、すっかり酔ったさえに心配して声をかけた。

「ほら若奥さん、大丈夫かい?」

「わ、若奥さん!? いやーん、もーッ! 飲んで飲んで!」

「な、なに? 私ヘンな事言った?」

 

『ゆえに! 再び一向宗門徒を退けるためにも! この城壁をみなの手により直し! 北ノ庄の人々を守るのだ! 子があるものは後にここに来て城壁をさして言え! 独り者はここで愛しい娘に自慢せよ! この城壁はオレが作ったと!』

 

 タンタンタンッッ!

 

『子供は父を尊敬し! 愛しい娘はイチコロだ! そして同時にみなが行う補修工事は歴史に燦然と輝く大仕事なのだ―ッッ!』

 

 タンタンタンタンッッ!

 

「「オオオオオオオ――ッッ!」」

 

 辰五郎、そしてこの地の商人の実情を話した源吾郎も、思わず興奮して隆広の弁に酔った。

 そしてこの光景を終始見つめ、そして柄にもなく隆広の弁に興奮した三人の武将がいた。前田利家、不破光治、可児才蔵である。人は笑い声に惹きこまれるもの。とはいえオレも入れろといえばあの宴の主宰である隆広の顔をつぶすので、遠くから見ていた。そして聞いた。隆広の名調子の語りを。

「たいしたガキだ…。あいつ、北ノ庄の職人と商人を味方につけやがった…」

 めったに人を褒めない才蔵が手放しで褒めちぎった。利家も同じだった。

「越前の民たちには、いまだ朝倉氏への思慕もあろう。その英雄の宗滴公をこれ以上はない形で隆広は賞賛した。朝倉寄りの者たちまで隆広は味方につけよった…すごい小僧だ」

「利家殿…」

「なんだ才蔵?」

「近い将来、我ら二人はあのガキの采配で戦場を駆けることになるかもしれぬな」

「まあ、勝家様がゆくゆくは養子とするつもりと言っていることだしな。それも仕方あるまいて」

「どうでござるか? あやつの弁で飲みたくなってきた。それがしの家で一献?」

「おお、馳走になろう、光治もどうだ?」

「ああ、わしも行く。しかし、本当に隆家殿はいい若武者を育てよったわ。嬉しくてならぬ」

 

 そして翌日、補修の工事をしている作業場に隆広とさえがきた。

「おう! 水沢のダンナおはよう!」

「昨日はご馳走さん!」

 一人一人が隆広に親しみのこもった挨拶をしていた。隆広も笑顔で返す。荷台を後ろで押すさえは

(すごい…五十貫の出費でこれだけの人々の心を掴んでしまった…)

 と、主人隆広の明敏さに感嘆していた。また、飛び入りの形となった商人を宴会の輪に入れたのも、隆広には一つの狙いがあった。城下の商人にツテを持ち、今回の工事に伴う資材の調達に協力してもらうことだった。石垣の礎石や他の石材は破壊された現場そのものに転がっているので再利用できるが、城壁の瓦や木材に、新たな資材を調達しなければならない。その他足場の木材や綱と考えたら、どうしても職人以外に商売に長けた者の助力が必要になる。さえに市場の者が運んでくれると言った点にはこういう狙いもあったのだった。事は何事も一石二鳥にせよ、養父隆家の教えだった。市場の長、源吾郎は隆広への協力を約束し隆広の望むものを揃えてくれた。この際に源吾郎に支払ったのは千二百貫であるが、まだ二百五十貫ある。百人の人足を使うには十分な費用だった。

「辰五郎殿、よろしいか」

「おう、なんでえ。もう『酒は飲めない』のウソにゃだまされねえぞ」

「いえいえ、ここからは仕事のお話です。作業の主なる職長を集めてもらえませんか」

「ん? わかった、ちょっと待っていてくれ」

 一旦、作業を停止し、隆広とさえの前に作業の主なる各分担の職長が集められた。

「みなさん、割普請をご存知か?」

「『わりぶしん』? なんですか、それは?」

 後の世には羽柴秀吉が清洲城で行った痛快な城普請の話は伝わっているが、当時においては一部の武士が知っているだけで、現場の職人は知らない事であった。

 またその作業方法は職人と云う下々の気持ちを汲んでのものである。気位の高い武士は、その方法を毛嫌いしていて、知っていても使わない事が多かった。特に織田家中では『サル秀吉の真似などするか』と云う気持ちもあって、こんなに便利な作業方法なのに、秀吉が清洲城でやって以来、誰も使ってはいなかった。だが隆広は良いものは良いと柔軟に思い、何のためらいもなく真似る。

「つまり、こういうことです」

 隆広は荷台のムシロを剥ぎ取った。そこには銭が山盛りにデンと置かれていた。

「うげ!」

「すげえ大金!」

「これが皆さんへの全報酬です。だけど! すべて平等には分配はいたしません。今からここにいる百人を十人づつの十の班に分けます。そして、どの班が一番早く、かつ十分な仕事が行き届いているかを競争してもらいます。一番早く、そして出来栄えがよければもっとも報酬は多く、最後なら一番少ない、というわけです」

「て、ことは水沢のダンナ! 一番早くて上手なら報酬がドンと多くもらえるってことですかい?」

「そうです。多額の報酬を得て、もう女遊びもお酒もやりたい放題。恋女房にきれいな着物も買って上げられますよ!」

「「うおおおお――ッッ!」」

「「やってやるぜ―ッッ!」」

 今まで味わった事もない気持ちの高揚が辰五郎の全身を駆けた。そして隆広と云うわずか十五歳の少年に彼は『朝倉宗滴』を見た思いだった。若き日、兵として借り出された時に見た名将朝倉宗滴。辰五郎はどんなに憧れた事だろう。そしてその姿と隆広が重なって見えたのだった。

「辰五郎殿」

「あ、はい!」

「十箇所の分配と、班分けをお願いします。能力も均等に。範囲も一律に。みんなが同じ条件で競わないと意味がないですからね」

「かしこまりました」

 辰五郎は隆広にペコリと頭を下げて、指示通り班分けに当たった。

「なんだ? 辰五郎殿、急にオレに丁寧な言葉を使って」

「うふ、きっと隆広様にホレたのですよ」

「そうかな? あはははは」

 さえの言葉に照れ笑いを浮かべる隆広。そしてその目の前では現場の空気が一変していた。どんどん城壁が直っていくのが、手に取るように分かった。

(この調子ならば、思ったとおりの時間までできるかな。あとは…)

 

 隆広は約束どおり、その日の一番の班に高給を与えた。最後の班は涙を流して悔しがった。辰五郎がその班に叱りつけた。

「バカヤロウ泣くんじゃねえ! 明日がある。その悔しさを忘れるんじゃねえぞ、明日に一番になればいいんだ! 立派な仕事をしてあの若いのの期待に応えてみろ!」

 しかし辰五郎は部下の職人が仕事に負け、悔しくて泣くのを初めて見た。改めて隆広の人の使い方に感嘆する辰五郎。この日も現場に居座ったまま隆広の用意してくれた夕食と酒で疲れを癒す職人たち。夕食といっても各々の班は遅くまで明日の作業の計画を練りに練っていたので、もう日付も変わり深夜だった。疲れもあるのか、昨日と一変して静かな夕食だった。

 そこに隆広がやってきた。

「みんな、お疲れ様」

「これは水沢さ…!」

 と辰五郎が隆広に姿勢を正した時だった。職人たちは眼が飛び出るほどに驚いた。なんと隆広は勝家を連れていたのである。その場にいた職人たちは慌てて平伏した。

「見て下さい、殿。彼らは今この時間に夕食を取っています。城壁を直すために寝る間も食事の時間すら惜しんでくれて、この北ノ庄のために働いてくれています。彼らこそ北ノ庄の、越前の宝と思いませんか」

「うむ」

 平伏しながら、職人たちは隆広の言葉に涙をポロポロと落としていた。武士に比べれば軽視されている自分たち。それを『越前の宝』と隆広は言ったのだ。

「殿、お褒めの言葉を」

「うむ、みなの者。面をあげよ」

 勝家は見た。顔をあげた職人たちが顔を涙と鼻水でグショグショに濡らしているのを。

「嬉しく思うぞ。この仕事が終われば改めて隆広にそなたたちを労わせる。いつ一向宗門徒が攻めてくるか分からぬ。頼りにしているぞ!」

「「ハハ――ッッ!」」

 再び職人たちは勝家に平伏した。肩を涙で震わす辰五郎に隆広が言った。

「辰五郎殿、もう夜も更けた。今日の鋭気を養うため、もう休まれた方がよいですよ」

「ハッ…!」

 もう顔を上げられない。それほどに職人たちは感涙にむせっていた。隆広はそのまま勝家とその場を去った。

 

「ああいうことだったのか、隆広」

「はい、お休み中に申し訳ありませんでした」

「よい、約束だ。しかし秀吉のやった割普請に主君の労いの言葉まで加えるとはな」

「いいえ」

「ん?」

「これも秀吉殿の真似です。あまり一般に知られてはいませんが、秀吉殿も今回と同じく主君、つまり大殿を深夜に起こして職人を労わせたのです」

「本当か? 大殿を深夜に起こした上に使うとはな…。恐れを知らぬというか…」

「これは見習うべき普請法だと父に習いました。今回はそれを実行したのです。秀吉殿は農民出。職人たちのような下々の者たちがどれだけ雲の上にいるお殿様の言葉を欲しているか知っていたのでしょう」

「なるほどな…」

 柴田家と羽柴家はあまり仲がよくない。だから秀吉の真似などしたくはない。すべからく勝家もそう思っている。しかし良いものは良いもの。堂々と真似すべきなのだと云う隆広の考えも理解できた。嫌いな人間の方法だから使わない。それでは国主失格である、勝家は隆広が今回行った仕事で一つ学んだ気がした。

「しかし、本当に今日の朝まで完成しているのか?」

「はい、私もこれから彼らに朝まで付き合うつもりです。もう今ごろは作業に入っているでしょう。何故なら殿は彼らの心を動かしましたから」

「世辞を言うな。だが朝までに出来ていたら何か褒美を取らせないとな。長くかかっていれば千五百貫では済まなかったのだからのう。二日で完成ならば、その浮いた分の金子を割いて報いてやらねば。隆広、完成の暁には、あと二百貫つかわす。職人たちを労ってやれ」

「ハッ!」

 

 そして朝、さえが隆広の部屋に来た。

「隆広様、朝餉のお支度ができました」

 返事がない。障子をあけると隆広はいない。蒲団も乱れていないから帰宅もしていない。

「まあ! 朝帰り?」

 すると市場の女が隆広の屋敷に来た。

「若奥さーん!」

「あ、おはようございます」

(だから若奥さんじゃないって…嬉しいけど)

「城壁に行ってごらんよ!」

「え?」

「いいからいいから!」

 云われるとおり、さえは補修作業の場所に行ってみた。その時にさえが見たものは

「完成だ―ッ!」

「やったぁ―ッ!」

「一向宗門徒め! 今度はてめえらごときに壊せる城壁じゃねえぞ―ッッ!」

 完成を喜び、新たに市場から贈られた酒で祝杯をあげ、職人たちにもみくちゃにされながら喜びを共にしている隆広がいた。隆広も途中で手伝ったのか泥だらけである。だが顔は笑顔で輝いていた。並の普請奉行ならば一ヶ月はかかる普請を隆広は二日で成し遂げたのである。この時の隆広はまだ十五歳。名将の片鱗を始めて歴史に記した瞬間であっただろう。

 この普請に関わった職人たちは、後に辰五郎を長として隆広直属の工兵隊になっている。戦国後期最強の軍団と言われた水沢隆広隊の縁の下のチカラ持ちとなり、文字通りに隆広を支えていくことになる。

 そして、後に大切な部下たちとなる者たちと共に泣いて喜ぶ姿を見て、さえは同い年の主人の快挙に泣いた。

「おめでとうございます! 隆広様!」


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