天地燃ゆ   作:越路遼介

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明智の姫と退き佐久間

 焼けた安土城であったが、城の土台である石垣、周囲を囲む城壁は焦げ付いてはいるもののほとんど無傷であった。

 当時の安土城は城の外周南西部から真東にかけて琵琶湖に面しており、真北には港を置いてあった。真東から南西部には二重の城壁を築き、その外には堀を敷いてある。水は今でも満々にひたしてあった。要は城壁内の将兵の住居と城そのものが焼け落ちたのみで、石垣、城壁、堀は信長の築城当時のままであった。焼けたとはいえ城の基礎はしっかりと残っている。隆広はそれを元に美濃流、甲州流、そして近代築城の織田流の技術も組み入れて強固な城作りに励んでいた。

 安土城の築城費は勝家と吉村直賢から多額に支給されたので隆広は木材や石材も存分に調達し、そして現地の民を積極的に雇い、かつ越前と加賀からの出稼ぎも多いに奨励した。

 隆広はまず城壁から内側に将兵や人足の家を作った。家が出来ると城壁と石垣、堀縁の補修、その後に城作りに入ったのである。兵と現地領民、越前加賀からの出稼ぎ、一日およそ五千人以上の男たちが水沢隆広指揮の元、新たな安土城の築城に励んだ。休息、食事も十分に取らせ、手当ても厚い。嬉々として男たちは働き、女たちも給仕に励んだ。

「はい、御代わりです。たんと食べてくださいませ」

 さえやすずも現場に出て人足たちに飯と味噌汁を給仕した。

「へい、いやあ奥方様のナメコの味噌汁は絶品にございますな!」

「ホントに? じゃあもっと入れて上げます」

「いやあ悪いですなあ」

「皆さーん、琵琶湖の幸も焼きあがっています。どんどん食べてください!」

 すずが炭火で大量の魚を一気に焼いている。

「こりゃあ美味そうだ、奥方様、こりゃなんて魚です?」

「サバです」

 人足たちは笑顔のまま顔を引きつらせた。魚は明らかにサバではなく、また琵琶湖にサバがいるわけないのに笑顔一杯に、かつ自信たっぷりにすずが言うので突っ込むに突っ込めなかったが、空気を読めなかった一人の職人が

「あっははは、奥方様、琵琶湖にサバが…いたっ!」

 まわりにいた人足たちが一斉にその男の足を踏んだ。いらんこと言うなと。そして人足たちはすずに調子を合わせ

「いやあサバでございますか! あはははは! ご馳走になります!」

 

「こりゃ美味いですな」

 隆広も食事をしていたが、月姫が小山田家秘伝の大根の漬物を持ってきた。

「はい、母から習いました秘伝です」

「飯が進みます。今度それがしの家内にも教えて…」

「殿―ッ!」

「ん?」

 門番を務める兵が隆広のいる普請現場まで走ってきた。

「どうした?」

「はい、息も絶え絶えの男が殿に会いたいと」

 隆広は家臣たちに『自分を訪ねて来る者はどんな身形の者でも丁重に持て成すように』と伝えている。たいていの門番なら息も絶え絶えのような者は即座に追い出すが水沢家は別である。

「そしてこの木簡を」

 男の身分を証明する木簡を出した。それを見る隆広。

「…殿、知り人で?」

 訊ねる門番。

「丁重にお連れせよ」

「はっ」

 隆広は急ぎ昼食を済ませ、最後にまた大根の漬物を二切れ食べた。

「美味しゅうございました」

「お粗末さまです」

 月姫は去っていった。隆広は食事をしていた陣屋から出た。しばらくすると男が門番に支えられてやってきた。疲れきっていた様子だった。

「貫一郎、この方に塩と砂糖を入れた白湯とぬるめの粥をお出しせよ」

「はっ」

 男は白湯を入れた椀を渡されると一口ずつ口に含みながら飲み、粥もゆっくりゆっくりと食べた。

「い、生き返り申した…かたじけない…」

「お久しぶりにございます。佐久間信盛様」

「なっ…」

 なんと隆広の前に現れたのは、かつて織田信長に織田家を追放された佐久間信盛だった。隆広の後ろにいた大野貫一郎は彼が…?と驚きの声をあげた。目の前にいる男は白髪を乱し、疲れきった哀れな男でしかない。

(佐久間信盛は史実において本能寺の変の前に死去しており、彼の嫡子である甚九郎が織田家に帰参が許されている。しかし本作では現時点でも存命とする)

 

 佐久間信盛は追放後に一時甥の盛政のツテを頼り、柴田家の仕官を望むがかなわず、わびしく去っていった事がある。その際、隆広も盛政と同じ席ではないものの信盛の仕官を勝家に取り成した事があった。

『養父隆家の受け売りでございますが、三方ヶ原における佐久間勢の退却は誤りではないと思います。一人も死者を出していないことを大殿は折檻状で責めているとのことですが、信玄公相手の退却戦で一兵も死者を出していない、その退却の妙こそ評価されるべきかと思います』

 佐久間信盛は後世の評価は低いが、隆広の養父の水沢隆家は何度か信盛率いる軍勢とも戦っていて信盛の才幹を分かっていた。信盛は一度も隆家に勝ってはいないが、『退き佐久間』と呼ばれる犠牲少なく巧妙に撤退する信盛の用兵を水沢隆家は高く評価していた。

「『進むより退く方が難しい、右衛門尉殿の退き方は手本とすべきだ』と養父隆家に教わりました。勇猛の柴田に右衛門尉殿の用兵加われば鬼に金棒かと」

 しかし勝家は隆広の意見をもっともと思いつつも黙殺した。信盛を召抱えて信長の不興を買いたくなかったのである。

 だがその席にいた信盛は隆広の言葉が嬉しかった。涙が出るほどに嬉しかった。息子甚九郎より若い隆広の言葉が、若き日に何度挑んでも勝てなかった水沢隆家の言葉に聞こえた。斉藤の戦神と呼ばれた男が自分をそれほど評価してくれていた事に胸が震えた。その教えを信じ『誤りではない』と言った隆広の気持ちが嬉しかった。しかし隆広の取りなしは通じず信盛は北ノ庄から去っていった。

「あれから三年近く経ちます。ご無事で良かった…」

「あの後、名前を変えて津田信澄様にお仕えしました」

「信澄様に?」

「はっ、しかし上手くいかぬもの。ようやく親子共々働き場所を得たと思えば五郎佐と信孝めに城を取られ…! う、ううう…」

「……」

「乞食も同然のところを信澄様に拾っていただきました。信長と勘十郎信勝様(信澄の父)が争った時、信長についたそれがしなのに…。その恩義を返すべく信澄様の居城の大溝城を守っていましたがそれも虚しく…」

「さようでございましたか…。今宵はごゆるりと休まれるが良いでしょう。城はなく陣屋だけの仮城でございますが、風呂もござりますゆえ。それがしはまだ普請の指揮がござればここはこれにて、今宵ゆるりと話を…」

「お、お待ちを!」

「え?」

「手前、我が身の庇護を頼みに来たのではございませぬ。主君の奥方と残りし明智の遺臣の庇護をお頼みするため参りました」

「明智…。英殿が生きておられるのでございますか!?」

 英とは明智光秀の四女で、津田信澄の正室で、玉の妹でもある。明智遺臣とは英の津田家輿入れの時に明智家から同行してきた者たちを指す。

「はっ、何とか…」

「津田の生き残りはどうされました?」

「光秀が謀反を怒り、落ち延び先への同行も拒否…。若殿とも引き離され申した。しかし、それがしは倅と共に主君信澄がもっとも大切にしていたお方様の一行と行動を共にいたしました…。親の罪は子には関係ないと言うに…光秀が罪をお方様と遺臣に責める津田の家臣たちがどうしても許せず…」

「今…英殿はどこにおられるのですか」

「もう近くまで…」

「…驚きましたな、それがしが庇護を断ったらどうする気だったのでございますか」

「お方様は…美濃殿なら必ず助けてくれると…」

 そして信盛は英の書を隆広に渡した。そこには父の光秀を落ち武者狩りから救い、武人として介錯をしてくれた事と母の熙子を何度も助けようとしてくれた事に礼を述べる言葉と、そして自分たち一行を庇護してくれるよう哀願する内容だった。

 明智家からは津田家に英が嫁ぐ時に百二十人以上の家臣と侍女が英に随行している。その生き残り七十名を庇護して下さいと英は述べていた。大半が女と子供である。隆広が庇護を断れば生き残る術なし。全員自決して果てる決意だった。信盛の様子から英一行がどれだけ疲弊しきっているか察するのは容易だった。隆広としては放ってはおけない。

「相分かり申した、庇護いたし厚遇を約束いたすと伝え、連れて参られよ」

「は、ははーッ!」

 信盛は嬉々として去って行こうとする。

「待たれよ。もはや歩く事も容易でない一行と察しまする。貫一郎」

「はっ!」

「矩久に信盛殿と同行させ、丁重に英殿一行をお連れするよう伝えよ」

「承知しました!」

 しばらくすると、英一行が息も絶え絶えにやってきた。彼らは本能寺の変の後に丹羽長秀と織田信孝に居城の大溝城を攻められ、命からがら脱出したが、それからはみじめだった。

 津田の生き残りには光秀の謀反を責められ同行を断られ、英は息子とも引き離された。津田家も追い出された英一行はあてもなく廃寺に住み着き、田畑より作物を盗み、時には物乞いもした。もう明智遺臣が行けるところはなかった。

 英の姉たちの嫁ぎ先である細川家と筒井家も庇護を拒否するのは明白。光秀の子の光慶も亀山城で自害した。全員で自決しようと英が考えた時、水沢隆広が安土築城のため、安土城跡地に入った事を知った。英は父の光秀から隆広の慈悲深い人となりを聞いた事があり、かつ明智家に対する武人の情けも伝え聞いていた。頼るべきは水沢隆広しかないと思い、一行を連れて安土へと向かった。彼らの落ちた廃寺から安土城がそんなに離れた場所でなかったのは幸いだったろう。また隆広が越前にいたままだったら庇護は望めず死を選ぶしかなかった。隆広は普請現場に通された英一行に会った。

「美濃守様…にございますか」

「いかにも美濃にございます」

 一行はやっとの思いで平伏した。総七十名ほどで全員やせ細っていた。

「よう参られた。後は任せられよ。英殿たち一行の身の安全と生活は美濃が保証いたします」

(ああ…)

 英はその言葉を聞くと同時に全身のチカラが抜けて気を失いその場に倒れた。

「お方様!」

 隆広が地に這う英を抱き上げた。

「何とも軽い…。つらい目に遭われたのですな…」

 

 それから英一行は水沢軍の手厚い看護で回復した。しかし佐久間信盛は

「父上…!」

「甚九郎…。美濃殿に忠誠を誓え。美濃殿は名将の中の名将となりうる方ぞ。粉骨砕身仕えよ。美濃殿のために命を惜しんではならぬ。良いな…」

(隆家殿…。貴殿の子息のお役に立ちたかったが叶わずお許し下され…)

 戦場で一度だけ水沢隆家と佐久間信盛が言葉を交わした事がある。隆家の攻撃を上手く退けて足並み乱す事なく整然と退く佐久間隊。その殿軍にいた信盛に対して

『憎き働きをしよる! その退きよう、敵ながら見事じゃ!』

 と隆家が言った。まだ若かった信盛は敵将の思わぬ称賛に驚いた。

『その“退き”の妙、さらに磨きをかけよ! さすればおぬしは稀代の名将となろう。佐久間信盛と云う名、隆家忘れぬぞ!』

 敵将から受ける称賛ほど嬉しいものは無い。ましてや発した人物は戦神と呼ばれる水沢隆家である。若き信盛は感激した。

『そのお言葉! 右衛門尉一生の誇りにいたしまする!』

 水沢隆家はその言葉に微笑み、兵を退いたのだった。“水沢隆家に褒められた。認められた”それは彼の一生の誇りであった。松永攻めの時、養子隆広を初めて見た時、その軍略にさすがはあの方の養子と思ったものだった。

 織田家を追放されてからと大溝城落城からの放浪生活はやはり彼の体を蝕んでいた。英と息子甚九郎の回復を見て緊張が解けたか、息子と英に看取られ佐久間信盛は静かに息を引き取った。

 織田家の重臣たちを評した唄に『木綿藤吉、米五郎佐、かかれ柴田に退き佐久間』そう称えられるほどに佐久間信盛は退却戦を得意とした。これは信盛が隆家の言葉に感激し、“退き”の妙を研鑽し続けたゆえかもしれない。信盛は隆家の養子隆広に一度でいいからそれを披露したかったに違いない。しかしそれは叶わなかった。

 知らせを聞いて急ぎ信盛の陣屋に訪れた隆広。だがすでに遅し、信盛の顔には白布が乗っていた。

「なんて事だ…! これからと云う時に身罷れるとは…!」

 隆広は信盛の顔に乗る白布を取る隆広。信盛は笑って死んでいた。

「北ノ庄で召抱えられてさえいれば…かように早く天に召される事もなかったろうに…。“退き”の妙、伝授していただきたかった…」

 甚九郎は隆広が泣くのを見た。父の死に泣いてくれている…。佐久間甚九郎はこの時、父の遺命に従い、この若い主君に命をも投げ打ち仕える覚悟を決めた。

(甚九郎、史実の佐久間信栄である。史実では父信盛の死後に織田家に帰参が許され、織田信忠、豊臣秀吉、徳川秀忠に仕えた。本作では信栄と云う名前ではなく通称の甚九郎と云う名を主に使って登場させます)

「父ほどではございませぬが、この甚九郎も身近でそれを学んでおります。いざと云う時は迷わずそれがしを殿軍に使って下さいませ。当家のお家芸を披露いたしますゆえに」

「甚九郎殿…」

「父の分まで粉骨砕身、殿にお仕えいたします」

 

 さて明智遺臣もすっかり回復し、隆広の行っている安土の城普請を積極的に手伝い始めた。英も現場で給仕などをしている。英は隆広より二歳年下で美しい。

 英は自分を慕い付いてきた明智遺臣を召抱える事を約束してくれた隆広に

「私が差し上げられるものはこの身しかございません。お好きになさって下さいませ」

 と伽を務める事を申し出てきた。しかし隆広は

「かような理由で英殿を抱いたら、それがし冥府の光秀様と熙子様に合わす顔がございません」

 と断った。加えて

「召抱えると云っても高禄でもない。それでこき使っているそれがし、礼を述べなきゃならないのはこちらでございますよ」

 と、女の命と云うべき体を差し出そうとしている英を気遣った。実際、英に連れてこられた明智遺臣は禄などどうでも良かった。働き場所にメシと寝る場所、家族といられる場所があれば満足だった。

 しかし、主君としては無禄というわけにはいかない。勝家から倍増された禄も小山田遺臣たちを召抱えて終わりである。しかもそれさえ不足している。それに加えて明智遺臣たち。どうしたものかと悩む隆広を見て奥村助右衛門が商人司の吉村直賢に知らせて『殿がすべて自分の禄で召抱えられる日まで商人司で給金を工面してくれないか』と要望した。

 直賢は快諾。直賢は柴田家商人司だが隆広の直臣でもある。主人のただの小遣いならビタ一文出す気はないが、水沢家の充実のためなら金を惜しむ気はない。不足なら出すのが自分の当然の務めと元から思っていて隆広宛に大金を届けたうえ『なぜ真っ先にそれがしに相談しないのですか。小山田、明智遺臣たちの禄はお任せあれ』と書も合わせて送ったのだ。

 直賢のいる敦賀へ手を合わせて感謝する隆広。ふと目の前には琵琶湖。この時に隆広に妙案が浮かんだ。

 

 ある日、隆広は将兵すべて集めた。閥を認めぬ隆広は今まで自分に仕えてくれている将兵、そして小山田遺臣、明智遺臣たちと自軍の融和を図るために画期的な事を行った。安土山のふもと琵琶湖のほとりに全員集まってきた。

「いいか、今からオレと同じ事を琵琶湖に言え」

「「はあ?」」

 隆広は琵琶湖に手を合わせてこう述べた。

「琵琶湖に伝わる龍神様」

「「?…?…?」」

「ほら一緒に!」

「「は、はい!」」

 水沢将兵たちは仕方なく隆広と同じ事をした。手を合わせて隆広の言葉に続く。

「「琵琶湖に伝わる龍神様」」

(助右衛門、琵琶湖に龍神伝説なんてあったか?)

 と、小声の前田慶次。彼も律儀に琵琶湖に手を合わせている。

(そんなもんはない)

(そうだよなァ。大なまずの話ならよく聞くが…)

(まあ見ていろ。何か考えのあっての事だろう)

 同じく律儀に琵琶湖に手を合わせている奥村助右衛門。石田三成や大野貫一郎もまた同じ事をしている。貫一郎は

(何をする気だろう…)

 と、手を合わせながら隆広を見ていた。

 

「我ら慎んで龍神様に誓います」

「「我ら慎んで龍神様に誓います」」

 さえとすず、そして月姫や英も調子を合わせるが意図する事が分からなかった。

「これから我らは家中の融和を図るため討論会を行います」

「「…!? こ、これから我らは家中の融和を図るため討論会を行います」」

「この討論会には男女、新参古参、年齢の上下、士分の上下もございません。無論それがしも同じにございます」

「「この討論会には男女、新参古参、年齢の上下、士分の上下もございません。無論それがしも同じにございます」」

「我らは腹蔵なく意見を述べる事を誓い、そして絶対に腹を立てない事を誓います」

「「我らは腹蔵なく意見を述べる事を誓い、そして絶対に腹を立てない事を誓います」」

「また多勢で個人をつるし上げる事をいたさない事を誓います」

「「また多勢で個人をつるし上げる事をいたさない事を誓います」」

「以上」

「「以上」」

 誓いの言葉を終えると、隆広は将兵に向いた。

「良いか、当家に小山田家の投石部隊、そして明智遺臣が加わった。今まで二千の我らに四百名近い将兵が加わる。オレが閥を許さない人間である事は存じておろうが人間だからどうしても好き嫌いはある。それを解消するために討論会を開く事にした。内容は今龍神様に誓ったとおりだ」

「「は、はあ…」」

「先の誓いを武士の誇りにかけても守る事だけが条件だ。遠慮なく日ごろの腹に溜めている意見を戦わせるのだ。ただしダラダラと行っても仕方ない。一刻(二時間)で終了の太鼓をならす」

 だんだん将兵も隆広の意図が分かってきた。遠慮なく討論しあう事で融和を図り、かつその意見の中で水沢家に役立つ事もあるかもしれない。

 一人二人三人と、討論を開始するとそれは壮大な討論会となっていきだした。新参の小山田、明智の遺臣たちも古参の水沢将兵と意見を戦わせた。水沢将兵には小山田、明智遺臣を少なからず『裏切り者の遺臣たち』と思うところもある。そういう気持ちを吹っ飛ばして、新たに『水沢軍』として生まれ変わるには腹蔵なく意見を戦わせるしかない。まさに画期的な試みだったと言えるだろう。

 当然隆広にも意見する者はいた。耳の痛い事もたくさん聞かされた。しかし隆広はけして腹をたてずその意見を受けた。下っ端の若者の意見を聞く大将などいない。何でも話せと家臣に云うくせに諫言を聞くや遠ざける呆れた君主もいた時世である。最初は遠慮していた将兵も隆広の“誓い”が本物である事を確信し意見を述べた。

 水沢家のためにと意見を隆広に述べた小山田の若者もいるが、大した内容ではない。それでも隆広はウンウンと耳をかたむけ真剣に聞いた。奥村助右衛門、前田慶次、石田三成幹部も兵たちに意見を言われた。だが彼らも隆広の誓いを尊重し腹は立てずに真剣に聞いた。

「ああもう、殿にここぞとばかり言いたい事あるのに~!」

 さえは隆広の近くでやきもきするが、夫は兵たちに取られてしまっている。

「何を言いたいのですか、さえ様」

 いつも言いたい事言っているじゃないかと思っていたすず。

「そりゃもう、“もっとさえといる時間を増やして欲しい”です」

「奇遇ですね。私も同じ事言おうとしていました…」

 

「いいですか姫様、我らの仕官も成った事ですし、そろそろ然るべき婿殿を迎えてお世継ぎを」

 そらきた! と月姫は思った。いつもこの言葉を聞かされると逃げていた月姫であるが今回はそうもいかない。家老の川口主水の言葉に根気強く付き合うしかない。

 その言葉に付き合いながら、月姫は小山田遺臣たちが徐々に水沢将兵と解けこんでいる事が分かった。投石の仕方を偉そうに講釈する小山田の年寄り。それに目を輝かせて聞き入る水沢の若者。遠くにいる水沢隆広を見て月姫は

「すごい…。我らや明智殿の遺臣たち新参をアッと云う間に解けこませてしまった…」

「姫! 聞いているのでござるか!」

「主水…」

「は?」

「殿の側室になれないかしら…」

「は…?」

「あの方の子を生み、小山田の次期当主にする事ができれば…」

「い、いやあの、殿のご主君である勝家様が側室を持たれていないのに、家老の殿が側室二人と云うのは色々まずかろうと…」

「ならば子種をいただくだけでも…」

「とんでもない! 姫は小山田家の総領娘にござるぞ! いかに殿とはいえ姫を一夜の慰み者にされてはたまりませぬ!」

「そうよねやっぱり…」

「そうにござる!」

 

 英も見た。明智遺臣が『水沢軍』へと変わっていく事を。無論、英に付き従っていた明智遺臣は明智全軍の一割にも満たないが、もしかすると父の光秀に仕えていた遺臣たちすべてにこれができるのではないかとも感じた英。父の光秀が『隆広殿は次代の織田を背負って立つ男となろう』と言っていたのが事実である事を悟った英。

「父上の申すとおりの方だった…。今は無理でも明智の…父上の家臣たちをあの『歩』の旗の元に集めてみせる」

 そして思う。

「玉姉さん…。美濃殿を憎悪しているらしいけれども、それは大変な間違いです。私たち明智の娘は美濃殿に感謝こそすれ怨むのは絶対に違います。私が何とかしなければ…」

 

 ドンドン

 

 終了の太鼓が鳴った。白熱した討論会は終了した。

「みな、良い顔をしているな。ただの思いつきでやったのが実際のところなんだが、上手くいったようだ」

「「ハハッ!」」

「またオレへの意見も参考になる事が多々あった。つまりオレは味をしめた」

「「…?」」

「今後水沢家では、月に一度、この討論会は実施する。良いか!」

「「ハハッ!」」

 この討論会は隆広が没した後も続けられていったと云う。そして隆広がデッチあげた龍神伝説は後世に本物の伝説であると信じられてしまい、現在の琵琶湖に龍神を祭った大社があるのだから世の中単なる思い付きがどうなっていくか分からないものである。

 また隆広はこの討論会だけではなく、城の骨組みが完成したのを祝して祭りを開いた。同じく琵琶湖のほとりにかがり火を何箇所も焚き、中央に祭壇を築き、前田慶次が越中一丁のいなせな姿で大太鼓を叩く。締太鼓と笛が調子を取りそれは見事な祭囃子であった。人々はその祭壇を囲んで踊り、子供たちには無料で菓子が与えられ、美酒も振舞われた。これは地元領民との親睦をふかめ、かつ小山田、明智の女子供と水沢の女子供の融和を図る狙いがあった。隆広は奥村助右衛門にこんな事を言っている。

「頼りになる家臣を召抱えるのは大切かもしれないが、大将たるものは召抱えた後に家中にどんな事が生じるかも考えなくてはならない。家全体を見て人材は登用しなければならない」

 隆広も最初に考えていた三十名だけの登用ならば、討論会も祭りも行わなかったろう。しかし兵やその家族を含めれば、新たに水沢家に千名以上の者が加入するのである。大将の隆広としては最初に融和を図るのが当然といえよう。

 

 討論会と祭りがよいきっかけとなった。新旧に軋轢はほとんど生じず、チカラを合わせて城作りに励んだ。思えば新たに水沢家に加わった小山田信茂と明智光秀の遺臣たち。すべて戦国時代で裏切り者と呼ばれている者の一族である。たいていの将ならば裏切りをうった一族など召抱えない。父親や主君の汚名はそのまま子孫や家臣に継承されていくものなのである。

 しかしそんなもの眼中にない隆広は召し抱え厚遇し、そしてそれを自分に強固な忠誠心を持つ精鋭に変えてしまう。戦国時代、最大の人たらしは羽柴秀吉ではなく水沢隆広なのかもしれない。隆広ほど人材再生の達者はいなかった。

 

 隆広は勝家宛に書状を送り、工事の進み具合を報告し、そして明智遺臣を召抱えた事は一応伏せたものの、小山田信茂の投石部隊を召抱えたと書に添えた。勝家はこれを読み大いに喜んだと云う。

 そして新たに召抱えた面々が主家滅亡の日から再び戦国の檜舞台に立つのは、これよりそう遠くはなかったのである。


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