天地燃ゆ   作:越路遼介

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秀吉立つ

「二条城の織田信孝様が羽柴勢に討ち取られました!」

「な…!」

 織田信孝も頑強に抵抗したが、城は落とされ自刃に追い詰められた。辞世の句は

『昔より 主を討つ身の 京なれば 報いを待てや 羽柴筑前』

 京の町は松永弾正や明智光秀が主人を討った場所であるが、またも京でそんな事が繰り返された。信孝の秀吉への憎悪がうかがい知れる辞世である。皮肉にも信孝は兄の信忠と同じ城で最期を迎えたのだった。父の信長と兄の信忠と同じく首を取られる事を恥として城に火を放ったが、それも虚しく首を取られたと云う。

 

「羽柴勢は二条城を占拠し、安土に進軍中との事! 兵数六万!」

「ろ、六万だと! バカなちゃんと調べたのか!」

 さすがに冷静な奥村助右衛門もにわかには信じられない兵数だった。

「京に行くには摂津を通る。摂津の大名や丹後の細川は何をしていたのだ?」

 白に訊ねる隆広。

「細川は羽柴につきました」

「…やはりな」

 そう、細川家は羽柴家についた。そして隆広はそれを予想できた。こういう経緯があったのだ。今から二ヶ月前、細川親子が二条城の信孝に謁見し丹後の統治状況を報告に来た時、信孝は痛恨の失言をする。目の前に来た細川親子に

『裏切り者日向のご同輩か』

 と述べたのである。幽斎は堪えたが忠興はもうガマンできなかった。その場は肩を怒らせただけで黙って帰ったが、信孝はたった一言で細川家の離反を生んだ。

 これを伝え聞いた秀吉は歓喜して味方につくよう要望した。相変わらずの人たらしで、秀吉は供数名で宮津城に訪れ忠興を口説き落とし細川家を味方につけたのだった。しかし父の幽斎は病と称して合わなかった。息子忠興が『羽柴につく』と述べた時、隠居していた先代の幽斎は『好きにせよ』とだけ返したと云う。

「そうか、細川は敵となったか…」

「殿、どうされた?」

「私事ゆえ言わなかったが…忠興殿の妻の玉殿…」

「確か日向殿の息女…。その玉殿が何か?」

「いや、何でもない。で、池田家は?」

「羽柴の大軍の前に降伏しました。信孝様と恒興殿はあまりうまくいっていませんでしたので…そこを付け込まれ調略された由」

 清洲会議では柴田に付いた池田恒興。恒興はそのまま伊丹城を任され石高も増やされた。それは隣接する播磨の秀吉に備えてである。一度秀吉についたのだから家のため勝家に信頼回復へ務めるつもりだった。

 しかし中国大返しのおり恒興は秀吉に付き、かつ信孝でなく秀吉を総大将に、と述べた事から信孝には嫌われていたのである。信孝に嫌われている、と云うだけで去就を決める恒興ではないが、長男興元(史実の之助)と次男照政(後の輝政)がすでに秀吉寄りとなっており、かつ秀吉は大軍であり、伊丹城がいかに堅城でもどうしようもなかった。やむなく恒興は家の存続を保つため降伏に至ったのである。

「摂津の中川清秀殿と高山右近殿は?」

「同じく明智討伐の頓挫後は羽柴から離れて信孝様の配下大名とはなりましたが、羽柴勢の大軍の前にあえなく降伏の由。池田、中川、高山の三将は二条攻めの先陣を勤めたと聞いています」

 戦国時代、『義』は無論大事だが、それ以上に家の存続、家族と家臣の安寧は大事である。高山右近と中川清秀は一度秀吉についた自分たちを勝家が快く思っていない事も知っている。信孝も自分を無視して秀吉を総大将とした二人を快くは思っていない。

 隆広は清洲会議での論功行賞で『中川と高山にここで加増し、織田家ではなく柴田家の寄騎大名とするのが良策と』と述べたが、勝家はそれに同意しなかった。中川と高山は現状維持で十分と隆広の懸案を退けたのである。

 しかし現状維持でも中川と高山は勝家に感謝していた。信長死んだ後、実質織田は羽柴と柴田に分かれた。地理的条件があったとはいえ勝家と不仲の秀吉に付いたのだから。このうえは織田信孝の配下大名として家に繁栄をと思っていたが、突如西から秀吉が大軍で攻めてきた。秀吉の合戦上手を知る彼らは抵抗らしい抵抗もできず降伏を余儀なくされた。

 信孝を討つと言われても選択の余地はない。たとえ主殺しとなろうとも、秀吉の味方をしなければ、その場で家は滅亡なのだ。秀吉は中国大返しの時と同じ三将を武威で味方につけて安土に迫った。

 隆広と勝家が清洲会議にて行った論功行賞は今でも評価が高い絶妙な人事ではあったものの、誤算は秀吉のあまりの大軍だった。五万六万の軍勢の前には多少の武士の節義など吹っ飛んでしまう。誰だって自分の家は大事なのである。

「そうか…。いよいよ羽柴様は立ったか…」

「しかし六万とは…」

「最初は五万にちょい欠ける数の出陣であったかもしれないが、細川と先の三将の軍を入れてその数になったのであろう。しかし、にわかには信じがたいが羽柴様なら動員可能だ。清洲会議から丸一年、沈黙を守ってきたのはそれか…! 羽柴様には小西行長殿や増田長盛殿のような当家の吉村に比肩する商才と計数に長けた将がいるので、うなるほどに金がある。それで伊賀の乱や、浅井、朝倉、六角、松永、波多野の残党を雇ったのだろう。また越前の雪は溶け出しているが越後はまだ雪の中、上杉の援軍が無理なのも分かっているだろう。とにかく柴田を討てば何とかなるからな」

「確かに…」

「しかし…オレの忍びも殿の忍びは姫路を張らせていた。それさえも欺くとは…」

「佐吉でしょうか」

「だろうな、すでに侵入済みと云うのも知っていたはずだ。兵の徴用、おそらく播磨の国内ではやってはいまい…」

 隆広の見た通りである。石田三成と大谷吉継は兵の徴用を播磨国内では一切やっていない。かつ三成は秀吉に表では兵の徴用を他の武将に担当させる事を願い出て、その徴兵があまりはかどっていない事を内外に示させていた。

 羽柴家の真の徴兵は石田三成と大谷吉継が増田長盛や小西行長らの助力も得て実行していたのである。丹波、摂津、和泉で実施した。かつ余りある金を使い織田家に滅ぼされた雑賀党の残党や大名の浪人に使いを出して集めた。主君秀吉も人たらしと呼ばれ、何より三成が徴兵の際に言った言葉が効いた。

『羽柴筑前守様は元百姓である。だから民の苦しみを知っている! 一年の田畑への汗が戦一つで台無しになる悲しみを知っている! だから羽柴筑前守様が天下を取らなければならない! 誰よりも民の苦しみを知る者が天下様にならなければならない! ともに織田の天下を乗っ取った柴田を討つべし! そして戦のない太平の世を共に築くのだ!』

 この言葉で続々と羽柴軍に身を投じる者は数え切れなかった。秀吉は絶対に勝家を討たなくてはならない。そのためにまずは軍勢である。それにしても石田三成さすがである。秀吉に付いたからには徹底している。そして兵の集合場所にしたのは淡路島。播磨国内では軍事的な動きはほとんどなく、三成はまんまと旧主隆広を出し抜いた。

「指揮する将は黒田官兵衛殿や蜂須賀正勝殿や一流揃い。寄集めとは云え強力な軍団に化けような。しかも六万…」

「敵に回したら、これほど恐ろしい男だったのか佐吉は」

「しかも当家にもたらされた第一報が信孝様の討ち死にだ。恐ろしいほどの神速で攻め入っている。だが参ったな…。安土の兵はオレの直属兵のみだから二千四百…。まともにやったら到底勝ち目はない。すぐに軍議を始める。白、舞と六郎と共に羽柴勢の動向をさぐれ。そして柴舟に北ノ庄に赴かせ、羽柴軍安土に迫ると殿に知らせて援軍を請うよう伝えよ」

「はっ」

 白は姿を消した。

「助右衛門」

「はっ」

「当家の女子供すべて城に入れ、この普請のために雇った人足や領民に賃金を渡して大至急この城から退去させよ」

「ははっ」

 城代と云うより隆広はこの安土の普請を勝家から任されていた。羽柴に備えるための重要な拠点となると見越し、かつ本城とするために勝家が隆広を総奉行にして命じた。

 だから隆広の直属兵とその家族たちは、合戦を想定した兵としてではなく、隆広と共に普請作業をするために安土に入城したのである。主君信長を討った光秀を討ち、柴田家は錦旗を手に入れたも同じ。

 しかし突如の激震は播磨からやってきた。当主となった織田信孝は本能寺の変の余波で撤退を余儀なくされた甲斐と信濃の奪回は放棄し、軍事行動せず信長が死んで混乱期にある濃尾、畿内、北陸と云った織田領の統治を重視せよと命令を出した。間違っていない指示だろう。しかしその指示が完全に裏目になったとしか言いようがない。

 隆広にはある程度は想定内の事でもあった。秀吉は主人勝家よりも先に動くと。信孝と勝家の連合軍が到来するまで座して待っているはずがない。だから安土城を出来うる限りの堅城に作り変えた。ただ一つの誤算は六万と云う大軍である。

「さすがだな、佐吉」

 今は敵となった友の手腕を隆広はフッと笑い称えた。その三成は秀吉の本陣にいた。

 

「親父様、どうやら安土にも羽柴挙兵の知らせが届いたようです。にわかに慌しくなってきたとの事」

「うむ」

「安土には美濃殿直属兵二千四百のみですが鉄砲弾薬も十分で、新規に召抱えた投石部隊は精強。かつ兵糧と水も豊富で、琵琶湖側の山肌や湖畔には多くの田も作り、城の一階の一部は琵琶湖に浮き、魚の調達も容易にして孤立無援でも自給自足が可能な安土の城。チカラ攻めは論外、そして兵糧攻めも相当の時間を要するでございましょう」

 隆広は城代として入城すると共に、豊富な兵糧と武器を城内に入れていた。秀吉を迎え撃つ事をある程度予想していたからである。

「そうか、いかにも美濃らしい実用的な築城だな」

 羽柴勢の数万に及ぶ大軍の動員を実現させるに、もっとも働いたのが三成であった。三成はあまりある羽柴の金を使い、滅亡した諸大名の生き残りを大量に自軍に引き入れる事に成功していた。また商人のほとんどが柴田に靡くなか、羽柴に味方する役得を説いて鉄砲を買い揃えたのも三成であった。そして進軍中の兵糧においても十分に確保したのも彼である。味方にいればこんなに頼もしい能吏はいないが、敵にすればもっとも恐ろしい男でもある。

「ふん、今まで仕えた主君を殺すと云うのに熱心な事だな。まあどうせキサマは後ろでゼニを数えているだけだからな」

「……」

 本陣の軍机に座る福島正則が三成に嫌味を言った。

「水沢家で会得した交渉能力で鉄砲を多く揃えた事は認めてやるが、算盤しか能のないお前は荷駄隊だけ指示してりゃいい。引っ込んでいろ」

 次は加藤清正が言ってきた。元々三成は隆広に仕える前からこの二人とは仲が悪かった。

「よさ…」

 秀吉が『よさんか』と言おうとした時だった。

 

 バァンッッ!

 

 大谷吉継が軍机を思い切り叩いた。

「虎(清正)、市松(正則)、軍勢にはそれぞれ役割を担う者がいる。お前たちは槍働き、佐吉は兵站(後方支援)。オレもその担い手だ。お前らはオレが誇りに思っている仕事を軽んじた。お前ら腹が減って戦が出来るのか?」

「い、いや…別に我々は平馬(吉継)の仕事を軽んじているわけでは…なあ市松」

「兵站が大事だと云う事は分かっている…。すまなかった」

「それに、今まで主君だった美濃殿と戦う事に一番苦悩しているのは佐吉だ。今度つまらん事を言ってみろ。オレがタダじゃおかん」

「わ、分かったよ。オレたちが悪かったよ」

 と、素直に謝る加藤清正。普段は温和な吉継だが目の前で親友を侮辱され激怒した。さすがの猛将加藤清正、福島正則も圧倒されてしまった。秀吉はフッと笑った。

「ははは、さしもの虎と市松も怒る平馬にタジタジじゃな」

 大谷吉継は石田三成と共にこの合戦では兵站を担っていた。彼は戦場の猛将であると同時に奉行としての才能もあったのである。今回の合戦にも三成と軍備を整える事に当たっている。

「では作戦を説明する」

 軍机に広がる琶湖周辺の地形図に扇子を指す秀吉。黒田官兵衛、仙石秀久、羽柴秀長、羽柴秀次、蜂須賀小六、大谷吉継、加藤清正、福島正則、山内一豊ら、そうそうたる将帥が軍机を囲んでいた。

 

 安土城でも軍議が開かれていた。しかし二千四百対六万である。しかも相手は城取りの名手と呼ばれる秀吉で、また隆広は篭城戦の守備側の指揮は初めてであった。

「殿」

 投石部隊の将、川口主水がやってきた。

「さっそくお役に立てる機会にございます」

「無論だ。用いる石と道具の点検を怠るな。それと念のため聞いておくが」

「何でござろう」

「夜間でも的に当てる事は可能か」

「できない者は一人もおりませぬ」

「よし、いつでも出陣できる用意をしておけ」

「承知!」

 佐久間甚九郎がやってきた。

「殿」

「おう甚九郎」

「ご紹介したき者が」

「誰か」

「それがし、明智日向守家臣で堀辺半助と申します」

「おお確か、安土に来た時は半死人だった…。で、堀辺とはもしや堀辺兵太殿の…」

「はい、孫にございます」

 堀辺兵太とは、まだ光秀が十万石の大将であったころに一千石で召抱えた豪傑で、その後も光秀の期待に大きく応え武功を立てた。

 しかし丹波攻めのおり、波多野氏の裏切りで明智勢が敗走した時に殿軍に立ち光秀を逃がして討ち死にした。光秀はその兵太の嫡子辰巳を父と同じ禄で厚遇した。その辰巳の嫡子が半助である。父の辰巳は教養人ではあったが祖父と違い病弱であったので、半助はわずか九歳で家督を継ぐ事になった。光秀自身が彼の堀辺家家督相続の儀に立ち会っていたが、わずか九歳の半助を見て彼の父の辰巳に

『そなたには悪いが、兵太の血は孫の半助に継がれたようだな。あれはものになる』

 と述べ、辰巳は苦笑しながらも感涙していたと云う。そして十五歳の時に主家の四女英について津田家に随行した。その後に本能寺の変が起こり、半助の父の辰巳は光秀を追い自害して果てた。半助は大溝城落城の時は命がけで英を守り重傷を負っていたが、今はすっかり回復している。当年十八歳。

「敵味方となったとはいえ美濃守様は主君光秀の戦友にございます。巷では逆臣の汚名を被る明智が家臣を丁重に庇護されて下された美濃守様に、今こそ報いる時と我ら感奮しております。何とぞ陣場の末席に加えて下さりませ」

「ありがたい! 頼むぞ甚九郎、半助!」

「「は!」」

「とはいえ、明智勢は二十六人…。備えとしては無理だ。前田慶次隊につけるゆえオレの出撃命令を待て。当分先だが士気を落とすでないぞ!」

「「はっ」」

「ちょうどいい。主水、甚九郎、半助、このまま評定に加われ」

 この隆広の言葉に驚いた三人。

「あの、新参の我らが…よろしいので?」

「なに言っている主水、新参も古参もあるものか。ともに作戦を練りオレを助けてくれ」

「「しょ、承知しました!」」

 甚九郎と半助はすそで涙を拭いた。人は『頼られている』『必要とされている』と思った時ほど感奮する時はない。裏切り者の家臣と呼ばれた主水と半助、無能者の子と揶揄された甚九郎、篭城戦とは云え再び戦国の世に立つ事ができた事が嬉しくてならない。

 

「すでに北ノ庄城と他の柴田寄りの畿内諸将に援軍を請う使者を出した。援軍到着まで水沢隊は突出せずに、この城に篭る。幸いに水と食料の心配はない。だが相手は秀吉殿である。何をしてくるか分からない。みな心しておけ」

「「ハッ」」

「基本方針は戦わずに羽柴勢の出方を見て、臨機応変に対応を取り、越前からの援軍を待つ」

「「ハッ」」

 水沢軍に幸いだったのは、まだ城下町の再興にまで工事を着手していなかった点だろう。町づくりを始めていて領民が住み始めていたら今回の羽柴の攻撃でアッと云う間に蹂躙されてしまう。

 信長権勢時の安土城は数万の領民がいた城下町であったが、本能寺の変後に城は全焼し、城下町はその飛び火で大火に襲われた。今はただ町の痕跡の残る新地である。勝家入城後に城下町を作ろうと思っていた隆広。虫の知らせだったか、城下町を作っていなかった事はいらぬ犠牲を払わずに済んだと云う事である。あるのは隆広の工夫が随所に仕込まれた中世最大の城塞『安土城』だけである。

「申し上げます」

 使い番が来た。

「人足たちが目通り願っております」

「なに? 助右衛門、退去させよと申し渡したではないか」

「その通りにございます。今までの労に報い手当も渡したというに何故」

「とにかく通せ」

「は!」

「「殿様!」」

 人足たちを代表する職人がやってきた。

「何をしている。ここからはオレたちの仕事だ。急ぎ城から離れよ」

「そうはまいりやせん。今から城を攻められると云うに! オイラたちが丹精込めて作った城が攻められると云うに! それで逃げ出しちゃあ男がすたるってモンです!」

「え?」

「戦わせてくれ殿様! 百姓だってやる時はやるだ! みんな同じ気持ちずらよ!」

「お前たち…。分かっているのか? 相手は六万の大軍なんだぞ」

 一瞬腰が引けた人足たち。しかし

「それを聞いたら、なおの事この城から逃げ出せねえずら!」

 闘志を奮い立たせる人足たち。自分たちで作ったものを壊されたくない気持ちに武士も一領民も変わらない。

「お前たち…。手先はあれだけ器用なのに頭の中は不器用モンだな」

「「殿様に言われたくねえだ!」」

「ちがいねえ」

 慶次が豪快に笑うと安土の評定の間は笑いに包まれた。

「徳兵衛!」

「へい!」

「竹八!」

「へい!」

 隆広は評定の間に来た人足の名前すべて呼び上げた。隆広は人足全員の名前を覚えていたのである。

「オレと一緒に戦おうぞ!」

「「へい!」」

 この時に安土築城に加わった人足のほとんどが隆広への加勢を希望したが、人足たちは自分たちで話し合い、実戦経験のない者、独り身で家に親がいる者などは帰した。二千五百人以上いた人足だが、残ったのは八百人である。

 この八百人の人足たちは思えば妙な縁だった。近江の領民たちは織田家がそこを治めるまでは浅井、六角などの合戦によくかり出された。越前の出稼ぎたち人足たちも柴田家が越前入りする前は朝倉家の戦いにかり出された。この八百人の中の近江人は観音寺城の戦い、野良田合戦、姉川合戦を潜り抜けた猛者たちで、越前からの出稼ぎ人足たちは、あの刀禰坂の戦いを潜り抜けた猛者たちである。かつて織田や柴田とも敵として戦った兵たちが隆広についたのだ。

「助右衛門、この者たちに鎧と陣笠、槍を与えよ」

「承知しました!」

(この人望…。まさに天賦のものよ…!)

 隆広の正規兵二千四百、これに八百の人足がついた。これで三千二百となった。

 

 篭城戦の準備に追われる水沢軍。そしていよいよその日がやってきた。羽柴対水沢の日が。評定の間に白がやってきた。

「羽柴勢の姿が見えました」

「来たか。みな六万の軍勢などそう見られない。この城からじっくり見てやろうじゃないか」

 家臣たちの緊張を払うかのように、隆広は気楽な事を言った。隆広は窓に歩み寄った。

「六万か、どれどれそれがしも」

 慶次も隆広の隣で羽柴勢の姿を追った。

「お、見えてきたぞ慶次。羽柴勢の馬印の千成瓢箪」

 松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂らの若い幹部たちはゴクリとツバを飲んだ。こんなに高い安土山に築かれた安土城から眺めていても行軍の終わりが見えない。

「どうした、臆しておるのか!」

 工兵隊長の辰五郎が矩久の尻を叩いた。

「お、臆してなんぞいるかよ!」

 隆広の横で羽柴勢を見る大野貫一郎。ゴクリとツバを飲む。彼はまだ戦場に出た事がない。

「怖いか貫一郎」

 と、隆広。

「こ、怖くなど!」

「怖くて良いんだ貫一郎。怖さを知っている者が戦場で生き残れる」

「殿…」

「戦場が怖くない、などと云う人間は退く事を知らず、猪のように前に進み、そして結局死ぬ事になる。まあ慶次のような例外もいるがな。あっははは!」

「あっははは、それがしもさすがに初陣は臆しましたぞ。だがな貫一郎、いくさ場では怯えて腰が退けている者が真っ先に討たれる。そうならないためには、まず臆している自分と戦わなくてはならない。これが中々に厄介な敵でな」

「臆している自分を倒すにはどうすれば…」

「強くなるしかない。しかし、その細腕では無理だ。殿のように智で万を相手にする術をどんどん学べ。それがお前の強さとなり、やがて臆病も消えよう」

「あ、ありがとうございます前田様!」

「えらそうにまあ…」

 と、奥村助右衛門が慶次に突っ込むと評定の間は笑いに包まれた。

 

「見よ官兵衛、あれが新たな安土の城のようじゃ」

「御意」

 進軍する羽柴勢、先頭を行く秀吉とその参謀黒田官兵衛が隆広の築城した安土城を見る。

「どう見る」

「とても二十歳そこそこの若者が築いたものとは思えぬ城にござる。三成の申すとおり、とうていチカラ攻めでは落とせますまい」

「ワシもそう見る」

 竹棒の采配を安土城に指す官兵衛。

「大殿が築いた時は五箇所あった入り口が今は一箇所、しかも城郭に築かれた二つの出丸は甲州流の丸馬出し、一箇所のみの入り口に銃眼の照準が合わされております。石垣、城壁、堀も往時の姿が見えますがより堅固に改修してしまったようです。琵琶湖と云う天然な堀、安土山の天嶮、大殿は天下の政庁として安土を築きましたが美濃殿は山の利点を生かした極めて厄介な城塞に作り変えてしまいましたな」

「ふむ、当初の予定通り安土攻めは放棄する。進軍を続ける。後尾の秀長に伝えよ」

「はっ」

 

「妙だな…」

「それがしもそう思います」

 羽柴勢はとうに安土城の前に来ているのに進軍が止まる様子がない。隆広と助右衛門は妙と感じた。

「まさか、我々が秀満殿をおびき寄せた手口を使うのでは?」

「いや違う、オレがそんな誘いに乗らない事は分かっているはずだ」

 小一時間が経ち、進軍はまだ止まらない。さすがに行軍の尻が見えてきた。

「そういう事か…」

「殿?」

「羽柴軍は安土を攻めない。越前にいる殿の首と岐阜城にいる三法師様を真っ先に狙う気だ。なるほど今回の挙兵の大義名分は織田正当継承者である三法師様の君側の奸排除と云う事だ。岐阜を取り三法師様を旗印とし、北上して越前加賀に入るつもりだ!」

「我らを無視する気にござるか!」

「助右衛門、越前にいる兵数は?」

「およそ四万五千かと。しかしその兵も府中や丸岡、そして加賀にも分散しておりますれば…」

「殿ならすぐに集められるだろう。しかしそれでも羽柴勢が多勢だ。先に北ノ庄へ出した安土への援軍を請う旨を取り消す使者を出せ! こっちに援軍を出したら手薄の越前加賀が取られるぞ!」

「ほ、本城の援軍無しで戦うつもりにございますか!」

 真っ青になる助右衛門。篭城戦は古来援軍をアテにしての戦法である。しかし隆広は本国へ援軍は求められない事を悟った。

「北でなく南に請うた畿内諸将の援軍に賭けるしかない。とにかく殿へ援軍は頼めない」

「では急ぎ長浜の勝豊様と連絡を取り」

 と助右衛門が言った時だった。隆広の顔から血の気が引いた。

「殿?」

(そうか、そういう事か!)

 総大将が少しでも慌てた言動を言えば全軍の士気に影響する。ゆえに隆広はクチに出さないが助右衛門と慶次はその隆広の変化に気づいた。

「どうされた殿?」

「いや何でもない…」

(何と言う事だ…。清洲会議で羽柴様が勝豊様に長浜をと言った理由はこれか! 勝豊様は…すでに羽柴に寝返っている!)

 

 その通りだった。柴田勝豊は長浜城を勝家から与えられた。その時から秀吉の調略は始まり、勝家を倒した後には近江一国与えると誘われて勝豊は羽柴に寝返った。

 隆広びいきの勝家に勝豊は嫌気が指していた。実際最近勝家と勝豊はうまくいっていなかった。そして知った事実。実は隆広は勝家の実子という事。跡継ぎはもはや隆広に決定しているようなもの。また隆広とずっと冷戦状態だった自分が隆広に冷遇されるのは分かりきっている。

 羽柴につかずに柴田家に属していれば冷や飯を食べさせられるとしても長浜十五万石の大名でいる事ができる。しかしそれは勝家が存命であるうち。何かと冷たく当たった自分を当主となった隆広は許さないだろう。領内の失政などと理由をつけて長浜を召し上げたうえ自分は殺される。戦ったとしても間違いなく隆広には勝てない事も勝豊は分かっていた。謀反人明智光秀を討ったと云う錦旗を思えば柴田家の方が有利である事も分かっている。

 だが長浜においては全く別の事情がある。つい最近まで長浜の地は羽柴領だった。今でも羽柴を慕う領民は多く、いざ羽柴勢と合戦になっても領民はまず柴田の味方はしない。

 考えに考えた勝豊は決断した。養父勝家と、その子の隆広を殺し、柴田家を乗っ取ってやると。柴田勝豊はついに水沢隆広と云う人物を最後まで理解できなかった。立場が逆転したとしても報復など考える男ではないと云う事が分からなかった。いや分かりたくなかったのかもしれない。

「筑前は安土に到着したか…。ならばそろそろ支度せねばな」

 

「殿、いくらなんでも城の前を黙って通過させては示しがつきませんぞ。討って出るべきかと存ずる」

 と、前田慶次。

「だめだ、三方ヶ原の徳川軍、先の秀満軍はどうなった?」

「それは分かっておりますが、目の前を通過されて指をくわえて見ていたら末代までの恥にございますぞ」

「笑いたい者は笑わせておけばいい。面子より味方将兵の家族の笑顔こそ誇れ」

「はっ…」

  納得していない慶次に隆広は微笑み

「心配無用だ。敵さんはオレにそんなラクをさせてくれないようだ。見よ慶次」

 軍勢残り二万ほどが安土に差し掛かったとき、その二万は行軍速度を落とした。

「やはりやる気でございますな羽柴は殿と」

「そのようだ。見てみろ、およそ二万と云うところか」

 羽柴軍二万は進軍から外れて安土城に進路を変えた。そして

「安土城を包囲せよ!」

 二万の大軍が安土城を囲んだ。先頭に四騎の騎馬武者が進み出て安土を見上げた。

「あれから六年か…。よもやこんな形で会おうとはな…」

 その言葉が聞こえるはずがない隆広であるが、どこの誰かを悟った。

「酒を酌み交わす前に…敵同士で会ってしまいましたな…」

 窓から離れる隆広。

「白」

「はい」

「越前方面軍の総大将は羽柴様ご自身だろうが、こっちの方の主なる大将は誰か探ってまいれ」

「はい!」

 白はただちに羽柴陣に向かった。

「助右衛門、羽柴様の魂胆は読めた。今オレたちの目の前にいる軍勢は包囲はするが攻めては来ない。この巨大な山城に篭られてはオレがどんなに凡庸な将でも十倍の兵力さえにも対する事はできる。そしてチカラ攻めしたらどんなに被害を受けるかも知っている。今の羽柴様は時間が勝負。時間のかかる安土城攻めは当初放棄し、オレをここで足止めして岐阜を落として三法師様を得て越前に向かい、殿を討った後に降伏を迫るか、引き返してきた全軍で落とすつもりだ」

「確かに…」

「こちらには羽柴様得意の持久戦、殿には中国から電撃的に引き返してきた神速を持って対する気だ」

「しかしこちらに二万と云う事は、越前に攻め入る兵は四万、五分の兵数の勝負ならば勝家様に…」

「いや」

「は?」

「長浜勢が味方につく。まだ軍勢は膨れ上がるぞ」

「な、長浜は伊賀殿(柴田勝豊)が城ですぞ!」

「残念だが、勝豊様はすでに寝返っている」

「まさか! 勝家様の甥御でご養子でございますぞ!」

「今になって清洲会議で羽柴様が長浜譲渡の条件に勝豊様を指名した理由が分かった。最近勝豊様と殿の間がうまくいっていないと知っていたのだろう。味方につけば越前一国くれてやるとでも言い寝返らせたんだ。調略は羽柴様の十八番だ。また四万もの大軍じゃ長浜の手前の佐和山城も防ぎきれない。丹羽様もたぶん羽柴につくだろう。加えて信雄様も清洲会議で殿に恨みを感じていようから信雄様も羽柴につく。越前に着く頃には途方もない大軍となっているだろうな」

「なんと云う事だ…」

 隆広の危惧は当たり、長浜勢が羽柴に合流した。そして佐和山城の丹羽長秀は戦わずに降伏。羽柴の尖兵となり、また織田信雄も秀吉に付いた。その数安土城包囲軍を差し引いても七万の軍勢となった。

 

 白が報告に戻ってきた。

「申し上げます。敵の備えの将が分かりました」

「ご苦労であった。して誰か?」

「総大将は羽柴秀長殿、備大将に羽柴秀次殿、加えて中村一氏殿、浅野長政殿にございます」

「佐吉はいないのか?」

「はっ、探りましたところ羽柴本隊にあるとの事」

 すでに石田三成は秀吉本隊と秀長の部隊いずれにも十分な兵糧を確保しており、事実上攻め落とした摂津と山城の地にも兵糧庫と輸送の部隊を置き、輸送の経路も確保していた。三成自身が前線に行ったと云う事は彼自身が右往左往する必要もないほど兵糧の量と輸送が確立されている事の証である。まさに羽柴軍にもう一人の水沢隆広がいるかのごとくの働きだった。

「佐吉、やるわ」

 フッと隆広は笑った。

「分かった。これからそなたと六郎、舞に話があるゆえ、三人ともここに控えよ」

 

 さて、隆広篭る安土城を攻める総大将の羽柴秀長。この安土城で隆広と親しく話したのは今から六年前になろうか。まさか秀長は城攻めの総大将として隆広と対するとはあの頃に想像もしていなかった。備大将の秀次は秀吉の姉の子で甥にあたる。他の備大将は二名、中村一氏と浅野長政である。いかに秀吉が水沢隆広と云う男を恐れていたか分かる。柴田勝家と戦う事が分かっていて、この場にこれだけの将を配置したのである。

「秀長殿に中村一氏、浅野長政か…。すべて一筋縄ではいかぬ将ばかりにございますな」

 と助右衛門。

「城を囲むだけの任務にそれだけの将を配置するとは…。大した用心深さにございますな」

 と慶次も添えた。助右衛門が続ける。

「殿、越前の方も気にはなりますが、我らもこの困難を打開せねばなりますまい。羽柴四万、いや丹羽と伊賀殿、信雄様の軍勢合わせればまた六万以上にもなりましょう。越前は領内に四万五千。数の上では劣勢でございますが、勝家様とて鬼権六と呼ばれる猛将。信ずるほかございませぬ。殿はこのいくさのみ集中下され」

 と、助右衛門は言うが隆広は胸騒ぎがしてならない。隆広の考える理想的な展開は、今城を囲んでいる二万の大軍を撃破して、畿内の諸将に味方を呼びかけ、大軍を率いて大急ぎに北上して羽柴勢の後背か横腹を突く事である。主君勝家も戦上手であるが、それは秀吉も同じである。勝家が死に、越前と加賀が落とされた後に安土城だけが無事でも意味がない。

「殿、藤林の忍び、参りました」

「よし、作戦を説明する」

 奥村助右衛門、前田慶次、川口主水、堀辺半助、佐久間甚九郎、そして忍び三名が隆広に寄った。

「いいか…」

 

 羽柴勢来襲の報は勝家の耳にも届いた。

「信孝様をサルめが討っただと!」

 まさか秀吉が光秀と同じ事をしてくるとは想像もしていなかった勝家。秀吉は信長の子らにも献身的に尽くしてきた男なのである。三七こと信孝にも貢物などをしていたが、秀吉はあっさりその信孝を殺してしまった。そして安土城が包囲された報も届けられた。

「おのれサルめが…! 急ぎ安土に向かわねばならぬ。軍議じゃ!」

 大急ぎで前田利家、佐々成政、不破光治、佐久間盛政らが招集された。柴田軍には一つ難題があった。雪である。秀吉もそれを狙っていたのだろう。柴田は和議をした上杉の援軍も望めない。

「伯父上、雪解けまでは待ってはおれませぬ! 急ぎ南下して長浜の伊賀、安土の美濃と合流してサルめを叩きましょう!」

 と、佐久間盛政。

「その通りじゃ、美濃に安土の築城を任せていたこの一年、サルとの戦いを考えて軍備を整えていた柴田、雪があるとは云え、むしろこれは好機よ。琵琶湖を羽柴勢の血で染めてくれるわ!」

「申し上げます!」

 北ノ庄城評定の間に使い番が来た。

「なんじゃ」

「美濃守様より使いにございます!」

「通せ」

 柴舟が来た。

「ふむ、美濃の忍びであったな。安土はどうか」

「はっ、主君美濃は安土に篭城の構えにございます。羽柴は安土に羽柴秀長を大将に二万、岐阜城に蜂須賀正勝を大将に同じく二万を向けました」

「岐阜?」

「あくまで主人のカンにございますが、三法師君を奪うつもりであるかと」

「なにィ!?」

 岐阜城を守るのは織田信包である。織田信秀の四男(六男とも)で、織田信長の弟である。三法師の養育と後見を勝家から要望されたうえ岐阜城を預けられた。(史実では秀吉につき、信孝や勝家とは敵対)

「主人は岐阜城を落とし、三法師君と云う神輿を持ち越前に攻め入るつもりであろうと申しております」

「おのれサルめが!」

「また、柴田勝豊様が羽柴勢に降伏! 長浜の城ごと羽柴の手に落ちました!」

「な、なんじゃとォッ!?」

「羽柴の兵力は安土に二万、岐阜に二万を残したとは云え、摂津勢、丹羽勢と信雄様の軍勢、ご養子の勝豊様の軍勢も合わさり、越前に北上する羽柴勢は五万!」

「か、勝豊がサルに寝返っただと! 確かなのか!」

「拙者、この目でしかと勝豊様ご自身と同家臣である木下半右衛門、大鐘藤八郎の旗印を確認いたしてございます!」

「何たる事…!」

 北ノ庄城主の間は騒然となった。

「よって主人は安土への援軍は無用との事! 大殿は羽柴本隊と戦う事に全力を尽くされたしとの言伝です。安土は必ず守り通すとの仰せでした!」

 勝家は立ち上がり、将兵に号令した。

「サルめを向かい討つ! 全軍出陣じゃ―ッ!!」

「「オオオッッ!!」」


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