天地燃ゆ   作:越路遼介

77 / 176
琵琶湖大返し

 羽柴の包囲が解けた水沢軍には新たな情報が入ってきた。羽柴秀長敗走と同時に水沢隆広は岐阜と賤ヶ岳の情報収集を大急ぎで藤林忍軍全員に命じたのだ。秀長への追撃は援軍部隊に任せ、もう視線は賤ヶ岳に向いていたのであった。そして入ってきた知らせ。実は岐阜城はもう何日も前に落ちていたと云うのである。秀長はつい先日に『そろそろ落ちそうだ』と陣中で密偵の蝉丸に述べていたが、安土から岐阜は距離があるので、その時にはまだ正確な情報が秀長に伝わっていなかったのだろう。

 隆広は岐阜がまだ無事ならば攻める蜂須賀勢の後背を衝いて、先に三法師を奪還する事を考えていたが、それは頓挫した。三法師生母の徳寿院はそのまま岐阜城で丁重な庇護を受けているものの三法師自身は蜂須賀の手で、すでに賤ヶ岳に連れ出されていたのであった。

 最悪だ…。そう隆広が思うのも無理ないが朗報が続いた。滝川一益が立ったのである。病もお家騒動もすべて狂言であった滝川家。一益は信長亡き今に甲斐と信濃に侵攻を開始した家康を警戒し、清洲を動くに動けなかった。羽柴秀長率いる安土包囲軍が安土を落として尾張に侵攻してくるかもしれない。秀吉に付く事などは論外だった。だから一益は恥を忍び仮病を装い周囲が呆れるようなお家騒動を仕立て油断させた。秀長が尾張に攻めてきたら迎え撃つためである。

 だが安土の包囲軍は動かない。一益から見て安土城の水沢勢は劣勢、そして賤ヶ岳の柴田と羽柴の戦いも長期戦となっているが、どうにも柴田は機先を制されたゆえか旗色が悪いと云う。このままでは柴田勝家は滅び、安土は落ちる。そうなったらもう秀吉にはかなわない。秀長が安土から動かない事を見た一益はついに立ったのである。

 徳川は甲信を手に入れるべく動き、尾張には兵は向けられない。何より織田家と戦う大義名分がない。後顧の憂いはないと見た一益は清洲城を出陣した。岐阜城を奪回して、秀吉の後背を衝く構えを執る気だった。そしてその滝川勢に森長可が合流した。

 長可は当時、新領の信濃を捨てて東美濃にある金山城に戻り、近隣の城を奪い東美濃を平定したばかりであった。しかし彼の義父の池田恒興は羽柴についている。池田恒興から味方せよと望まれたが、結果長可は一益についた。何故なら彼の弟の仙千代(後の忠政)は織田信孝を経て柴田家に人質となっていたのである。重臣たちは旗色から羽柴へと進言したが、長可は

「もうオレの弟は仙しか残っておらぬ。見捨てられぬ」

 と返し、滝川勢に味方を表明した。滝川・森連合軍はすぐに岐阜城を奪還。すぐに秀吉の背後を衝くべく備えた。

 

 ここまでが現時点で水沢軍が掴んだ情報である。それに伴い、柴田陣にいる柴舟から書が届いた。

『両軍睨み合いのまま、動かない状態が続いております。柴田勢は賤ヶ岳の内中尾山を本陣としてその南に砦を築き将兵を配置いたしております。第一線、別所山に前田利家様、橡谷山に徳山則秀様と金森長近様、林谷山に佐々成政様、第二線、行市山に佐久間盛政が配備しています。

 一方羽柴勢の留守部隊は蜂須賀正勝を大将として、第一線、左福山に堀秀政、北国街道に小川祐忠、堂木山に山路正国、神明山に木村重茲。左福山と堂木山の間には壕を掘り、堤を築き、棚を設けて各備えの連絡を密にし、第二線は田上山に稲田大炊、岩崎山に高山右近、大岩山に中川清秀、賤ヶ岳に桑山重晴を備えております。

 降伏した丹羽長秀を琵琶湖北方の防備に当たらせ、塩津から海津方面に七千人を率いて駐屯させております。そして嫡子の長重に三千人を率らせ敦賀方面の監視を命じております。海には細川忠興に命じて水軍をもって越前の海岸に配置しております。

 また水面下では柴田から調略がはいり、山路正国が柴田に寝返りました。そして彼のクチから『羽柴筑前は岐阜城の滝川と森を討つべく本隊を率いて南下』『大岩山を奇襲攻撃すれば落ちる』の情報が入り、佐久間盛政様が大岩山を攻撃。中川清秀殿は討ち死にし佐久間殿は砦を占拠いたし、着陣の由』

 軍議にいる諸将すべてが柴舟の書に目を通した。目の前には賤ヶ岳の布陣図。以前に柴舟が届けてくれたものだ。

「中入か…」

 頭を掻く隆広。中入、それは対陣中に兵の一部を分けて敵の後方をかく乱する戦法である。島左近が布陣図の行市山を指す。佐久間盛政が本来守っている砦だ。

「美濃殿、この行市山を守ってこそ柴田陣は機能いたしまする。玄蕃(盛政)殿が大岩山から戻らないままでは、柴田陣は蓋が開いたままの瓶も同じにございますぞ」

「仰せの通りにございます。うーん…」

 腕を組んで天井を見る隆広。この場でどんな名案が浮かぼうとも前線には何ら影響のない事。安土から賤ヶ岳の距離が悔しい。

 

「申し上げます!」

 白が来た。

「なんだ?」

「羽柴筑前! 岐阜城に寄せるも大雨で氾濫した揖斐川に阻まれ大垣城に陣を張っているとの事!」

「大垣だと!?」

 思わず隆広は立ち上がった。安土から大垣は東に一直線である。距離も賤ヶ岳より近い。

「殿! 大垣はさほどの防備が固い城ではございませぬ! 大垣にいる羽柴を!」

「慌てるな助右衛門。白、大垣から賤ヶ岳までの距離は?」

「およそ十三里(五十二㌔)にございます」

 ふう、と隆広は溜息をついて座った。

「殿! 急ぎ大垣を! 羽柴本隊は二万、我らは一万七千にございますが、岐阜の滝川と森がくれば勝てまする!」

「だめだ間に合わん」

「ま、間に合わ…?」

 道は一直線であるが、その間には羽柴に付いた丹羽長秀の居城である佐和山城がある。無視して通過するのは容易いが、大垣の羽柴勢と挟撃されたらたまったものではない。大垣に至るまでは佐和山城を落とす必要はある。慎重な性格の丹羽長秀、留守部隊もそれなりの数を配置しているだろう。

「今から我らが大垣に向かったとして途中の佐和山を落とす事を考慮すると、とうてい間に合わん。羽柴勢は賤ヶ岳に向かった後だ。明日の子の刻(0時)には着いているぞ」

「まさか…!?」

「いや奥村殿、それがしも美濃殿と同意見だ。本能寺の後、羽柴は柴田に一歩遅れたが、備中高松から摂津富田まで七日で大返ししている。それほどの神速さを羽柴勢は持っている。この中入の隙を逃すはずがない。今一度大返しと云わんばかり、怒涛の進軍で賤ヶ岳に向かっているだろう」

 と、蒲生氏郷。

「では殿、我らが賤ヶ岳に着く頃には戦は羽柴勝利で終わっていますぞ」

 前田慶次が言った。静まる軍議。

「…北ノ庄で討つしかない。北ノ庄は堅城、たとえ城の兵が千を切っていてもしばらくは守りきれる。北ノ庄を囲む羽柴勢を討つ」

「それしかないようですな。今度は秀吉本隊が敵城を背にして戦う番となりましょう」

 筒井順慶が言うと、九鬼嘉隆もうなずいた。この状況になっても蒲生、九鬼、筒井は隆広と行動を共にするつもりである。

「助右衛門、岐阜城に使者を出せ。『すでに筑前は岐阜攻めを放棄、賤ヶ岳に帰った。水沢軍は北上し、敵地に侵入せし羽柴勢を北ノ庄にて後背を衝く。合流を請う』と」

「承知しました」

「では全員、少しの仮眠をとった後、食事を取り北上する」

「「ハハッ!」」

「申し上げます!」

 今度は六郎が来た。

「なんだ?」

「若狭水軍! 到着にございます!」

 今さら水軍が来て何になるかと思う諸将。しかし隆広は

「やった!」

 と叫んだのである。

 

 安土城に到着した若狭水軍。頭首の松浪庄三が船から降りてきた。

「美濃殿! 若狭水軍到着しました!」

「庄三殿!」

 しかし海の水軍である若狭水軍なのに、やけに船の数が多い。

「美濃殿、かの者たちが加勢を約束してくれ申した」

 続いて船を下りてきた男。庄三の横に立ち、軽く会釈した。

「私は堅田衆の頭領、堅田十郎と申す」

「か、堅田衆!」

 堅田衆とは琵琶湖の湖賊である。信長包囲網では朝倉につき、織田政権下では明智についていた。松浪庄三から堅田衆の説得を要望された吉村直賢は、堅田の砦に行き頭領の十郎と会った。

「水沢につけと?」

「いかにも」

 人は親切ではチカラを貸さない。直賢は貢ぎ金三千貫を持ち堅田の砦に訪れた。

「勘違いされては困る。我らは商売の利から吉村殿と手を結び、琵琶湖交易をしているのではないか。柴田と水沢は商売相手であり、家来になったつもりはない」

「…それは困りましたな。この三千貫では堅田の報酬に不足でございますか」

「そうではござらぬ。この時世味方に付くものを間違えたら滅ぶ。羽柴が勝ったら堅田は滅ぶ」

「このまま堅田が動かなければ柴田は負け、逆に堅田が柴田に付けば当方の勝ちにございます」

「なぜそう言い切れる!」

「この局面、畿内の反秀吉の織田諸将が主人美濃に加勢してましょう。安土で殿の一団を拾い北上いたしまする。まさか琵琶湖から援軍に来るとは秀吉も考えてはおりますまい」

 反秀吉の織田諸将が水沢隆広に加勢、これは直賢のハッタリだった。

「畿内の反秀吉の織田諸将が主人美濃に加勢…と申しましたな。もしそうでなかったらどうする。三千の兵そこらで羽柴五万の後背を衝いたとて勝てぬぞ」

「すでにそれがしが琵琶湖の漁師や商人衆から船をかき集めてございます。それがし敦賀の船大工に命じて最新の大型安宅船を建造し湖西に停泊させてあり申す。以上で五千から七千の兵は運べましょう。

 しかし他の援軍の兵までは乗せられない。ゆえに堅田の助勢が必要なのでございます。主人が自分の兵しか持っておらず、安土包囲軍に手を焼いており、かつ味方する諸将がいなければ、そのまま帰られればよろしい。しかしいた場合は堅田の船が必要なのでございます」

「…あい分かり申した。水沢隆広が本当に畿内の諸将を味方につけていたのならば喜んで助勢つかまつろう。しかしそうでない場合は勝機なしと見込み帰らせていただく。それで宜しいな」

「ありがたい十郎殿!」

「礼なら助勢を決めた後にしなされ。オイ!」

 十郎は部下を呼んだ。

「ヘイ!」

「安土に全船で向かう! 支度だ!」

「ヘイッ!」

「賭け時を誤られますな、十郎殿」

 と、直賢。十郎も水沢隆広と云う男は知っている。彼自身も傑物と見ている武将である。見込みがなければ最初から直賢の申し出に聞く耳は持たない。“賭け時”直賢から聞くとフッと笑った。

「殿(光秀)を討った男が三流のはずがない。賭け時、しかと見極めてくれるわ」

 そして安土に向かっている途中に知らせが入った。水沢隆広は蒲生氏郷、九鬼嘉隆、筒井順慶を味方につけて、見事に安土城包囲軍を壊滅させたと。十郎は直賢に言った。

「直賢殿、貴殿の勝ちだ。堅田は水沢隆広と云う駿馬に賭ける!」

「十郎殿!」

「さあ忙しゅうなるな! みな、久しぶりに陸(おか)で戦う事になりそうだ。気合入れろ!」

「「ヘイッ!」」

 

 そして隆広と対面した堅田十郎。隆広とは初めて会う。十郎は膝を屈した。

「我ら、美濃守殿に加勢いたしまする」

「ありがたい! すぐに船は出せまするか」

「無論です」

 船団の到着が嬉しくてたまらない隆広。何故ならすぐに出陣できる。軍議も休息も、そして食事も船上でできるからである。

「日向守(光秀)殿を討ったそれがしに…よくぞ…」

「殿を討ちし美濃殿、一度見とうございました。利三様と秀満様の遺児をお引き取りあそばされ、また英姫様を庇護して下された美濃殿、明智遺臣の一団の長としてお礼申し上げます。この上は美濃守様を新たな主君と見て、誠心誠意お尽くしいたす所存!」

「十郎殿!」

「十郎とお呼び下さいませ」

「うん、十郎頼む!」

「はっ!」

「助右衛門」

「はっ」

「先の滝川と森の加勢要請は内容を変える。『我らは若狭水軍、堅田衆の助勢を得て琵琶湖を船で北上する。琵琶湖北側に接岸の予定。合流は無理ゆえ、留守部隊しかいない大垣、長浜、佐和山を落としていただきたい』と」

「承知しました」

「美濃殿、船が来て戦場に向かえる事には相成ったが、滝川と森は間に合わぬ。敵は我らの倍以上、やはり北ノ庄城で挟撃が良いのではないか。そして滝川と森の合流を待って討って出る」

 と、九鬼嘉隆。

「まだ賤ヶ岳の戦況をこの目で見ておりませぬゆえ何とも申せませぬが…状況を見て北ノ庄での戦いに持ち込めば有利と見ればそうしましょう。しかし…戦場に到着しながら羽柴の好きなように柴田将兵が殺されるのを黙って見ているワケにはいきませぬ」

「ふむ…」

「相手は我らの倍以上、平野部で野戦が不利なのは承知です。ですが羽柴は柴田との戦いや岐阜からの大返しで疲れております。そこに奇襲する我ら。十分に戦いようはあり申す」

「ほう、具体的には?」

「それは船内にてお話いたします。今は時が惜しい、全軍乗船の準備だ」

「「ハッ」」

 

「それにしても庄三殿、よくそれがしの心中読み取って下さいました。陸路から北上するしかないと思っていましたが、到着時には合戦は終わっている。北ノ庄を囲む羽柴と戦うつもりでしたが、これで十分賤ヶ岳に間に合います」

 庄三率いる若狭水軍は越前を牽制する細川水軍との衝突は避けて若狭の地に上陸。そして急ぎ琵琶湖に向かった。琵琶湖の北側は丹羽勢が張っているため、西側から琵琶湖に入り直賢に注文して建造してもらっていた安宅船に乗り込んだ。直賢が琵琶湖中からかき集めた漁船も商船も共に安土に向かい、そして堅田衆と合流。そして急ぎ水沢軍の援軍に駆けつけたのである。庄三は柴田勝家ではなく、水沢隆広の援軍に来た。それにはちゃんと狙いがあった。

「ありがたき仰せに。美濃殿ならきっと包囲軍を殲滅させた後に賤ヶ岳に向かうと思っておりました」

「まったく…最初にそれを庄三殿に聞かされた時は半信半疑でしたが…」

「直賢もよくやってくれた! この多くの漁船と商船を調達し、そして堅田衆を味方につけられたのは、そなたの日頃の交易や商売が清廉で信望厚いに他ならない。礼を申すぞ!」

「もったいなき仰せに!」

 そう、庄三は隆広と共に柴田の援軍に向かうつもりであったのだ。いかに柴田家を支持する若狭水軍とはいえ、千にも満たない自分たちが柴田の援軍に行っても知れている。隆広と安土で合流して、そして北上するのが庄三の狙いだった。公式発表はないものの、畿内の将たち大半は隆広が勝家の実の息子と伝え聞いている。彼なら近隣大名の援軍も望める。まさに先の先を読んで隆広の元に船を運んだのだった。頭を垂れる庄三の元に歩み、隆広は腰を下ろして静かにつぶやいた。

「ありがとうございまする…。龍興様」

「……ッ!」

 隣にいた吉村直賢もあぜんとした。庄三の正体は直賢しか知らない事であるのだから。

「家臣の子にここまで尽力して下されて…礼の言葉もございませぬ」

「な、何の話でございまするか? 私にはとんと…」

「それがしの独り言…聞き流して下されてかまいませぬ。だがこれだけは言わせて下さい。それがしにここまでして下さると云う事は、いかに龍興様が父の隆家を重く見て信任なさっていたかがよく分かります。たとえ血の繋がらない子のそれがしとは言え、感謝にたえませぬ。ありがとうございます」

「……」

「父に聞いたとおり、龍興様は稀有な軍才を持つ武将でございます。父が存命ならばこう申したでしょう」

「……」

「『殿、お見事にございます』と」

「ワシを褒めるか…!」

 龍興は肩を震わせて感涙にむせていた。そして水沢隆広の顔に水沢隆家の顔が重なって見えた。

 しかしこの天佑とも思える隆広の運気は何なのだろうか。わずか三千の兵しか持っていない柴田の一武将の元へ百戦練磨の将三名と隆広の機知を読み取り琵琶湖に水軍衆が集結した。

 かつて隆広を刺客の手から救った源蔵こと加藤段蔵の手記に、

『“水隆(隆広の事)は源蔵と名乗りし身形卑しい自分を背負い、食と湯と床を施され、かつ拙の話を嬉々として聞くにいたる。本来拙は刺客として訪れたのに、水隆の心根に惹かれ、逆に他の刺客よりお助けした。拙がかような気になり刺客から転じて守りに向けさせたのは何であろうか。あの夜、拙が水隆の屋敷にいた事、これすべて何の巡り合わせか。神仏や天佑が水隆を生かそうとしていると拙は感じたのである”』

 と、あるように運以上の何かが隆広を生かそうとしているとしか思えないほどの『安土集結』である。戦国の世を見かねた神仏が、それを治める者として選んだ人物、それが水沢隆広なのだろうか。

 

 静かに龍興から離れた隆広は、全兵士に鼓舞を始めた。

「では全軍琵琶湖を北上する! よいか! 羽柴勢は賤ヶ岳に明日の子の刻に到着している。おそらく大岩山の佐久間勢から殿の陣形は崩れ、殿のいる内中尾山にも雪崩れ込もう。羽柴の出撃には間に合わぬが、柴田勢と戦っている真っ最中の羽柴勢の後背は衝ける! 一同腹を括るのだ! 柴田の命運、この一戦にあり! これぞ我らが桶狭間ぞおッ!!」

「「オオッ!」」

「羽柴筑前の後背を衝く! 出陣だ――ッッ!」

「「オオオオッッ!」」

 世に有名な水沢隆広の『琵琶湖大返し』である。

 

 話は少し遡る。水沢隆広が安土城で羽柴二万と対峙しているころ、勝家の陣の方では

「山路正国殿がこちらの味方につきました」

 と佐久間盛政から朗報が入っていた。秀吉軍第一線の堂木山の砦を守っていた山路正国に勝家は丸岡十二万石を与える約束をしたのである。

 元々彼は長浜城主の柴田勝豊の部下で勝豊降伏と共に羽柴軍にいた柴田家の武将であった。彼は手土産に木村重茲を陣に招き殺して、その首をもって柴田軍に帰参するつもりであったが、それは木村重茲に露見していた。やむなく正国は重茲の首をあきらめて柴田陣へと出奔した。この一連の動きがこう着状態の戦場を動かす事となる。

 

「秀吉がおらぬ!?」

 内中尾山、柴田勝家本陣。柴田軍に戻ってきた山路正国からの敵情報告を受けた佐久間盛政は勝家のもとへやってきた。

「いかにも、滝川一益と森長可が岐阜城を奪い取り申した。背後を憂いた筑前はその攻略に向かい申した。さらにそれがしの放ち草(密偵)からも逐次同じ報告が届いており申す。また三法師様は蜂須賀の陣に置かれているとの事」

 静まり返る柴田本陣。

「伯父上!」

「動いてはならん」

「確かにかようなこう着状態なら先に動いたが負けは必定! しかし先に動いたのは筑前にござろう! この機に乗じて一気に攻め入りましょうぞ!」

「玄蕃、ワナであったら何とするか。秀吉は我らに一歩後れはしたが中国より電撃的な早さで大返ししている。あいつをナメてはならん」

 と、前田利家。

「じれったき事を! あれが危ない、これが危ないで戦になるか! 筑前が動いたは確実なのだ! 今こそ三法師様を奪回し、決戦を挑む時ぞ!」

 柴田勢にとって、秀吉が信長の嫡孫の三法師を擁した事は痛手であったが、秀吉が傀儡としようとしていたのは明白であったため、『弓を引く事はできない』と思うほどに深刻ではなかった。今回の合戦は秀吉を倒すのは無論、三法師の奪回も必要不可欠のものであった。

「申し上げます!」

 使い番が来た。

「岐阜城に羽柴勢侵攻中! 明日にも岐阜城に到着の見込み! 総勢二万、羽柴秀吉率いる本隊にございます!」

 ついに秀吉の岐阜後退が本物である事を掴んだ柴田軍。そうと分かれば勝家の決断は早い。

「盛政!」

「はっ!」

「その方、橡谷山の徳山則秀、材谷山の不破光治、中谷山の原彦次郎を連れて敵の先陣の中川清秀を叩け。そなたの軍勢は一万五千ほどになろう。中川は千三百ほど必ず勝てる」

「無論にございます」

「じゃが問題はその後、これは『中入』じゃ。戦果を上げたらすぐに戻るが妙法。筑前は岐阜にいるとは云え、備中から姫路に七日で帰って来たほどの神速さを持っているゆえ油断はできぬ。勝ったらすぐに行市山の己が陣地に戻り守りを固めよ」

「承知つかまつった」

「そなたが元の陣に戻り、開いた大岩山に対して秀吉のいない羽柴勢がどう動くか見て、三法師様の奪回と決戦を考える。良いか、中川を蹴散らしたら必ず戻るのだぞ。目的は大岩山の占拠にあらずと心得よ」

「はっ!」

「よし、では早速戻って支度にかかれ」

 

 一方、秀吉。目の前には豪雨により氾濫した揖斐川がある。雨の中で秀吉は

「何をしているかあッ! 岐阜城は目の前だぞ、渡河を敢行する! イカダを組め!」

「ここで無理に渡河をすれば兵の半数は失いますぞ親父様!」

「だまれ佐吉! 時間がないのじゃ! 岐阜城の一益と長可をすぐに蹴散らし賤ヶ岳に戻らなくてはならぬ! イカダを組まんか!」

「どうしても渡河をするなら! この佐吉を斬ってからになされよ!」

「ええいッ!」

 秀吉は忌々しそうに地を蹴った。

「もうよい! 大垣に行き陣を張るぞ!」

「「ハハッ!」」

「ほ…」

 馬に乗り大垣城に向かう秀吉の背を見て安堵する石田三成。その肩をポンと叩く大谷吉継。

「思い切ったな、オレを斬ってから行け、か。佐吉」

「平馬…。いや無我夢中だったからついクチから出た」

「かつて美濃殿も手取川の合戦の時に、強引に氾濫した湊川(手取川)を渡ろうとした主君修理亮殿(勝家)殿に同じ事を言ったと聞く」

「ああ、オレもその場にいたが…結局修理亮様は渡河して窮地に陥る事になったからな。あの教訓を生かさなければならぬ」

「その教訓を与えた者が今は敵とは皮肉だがな」

「それを言うな。さ、大垣に向かおう」

「ああ」

 

 秀吉は大垣城に入城し、城主の間で座った。

「ふう…伊右衛門(山内一豊)」

「はっ」

「賤ヶ岳への草をもっと増やせ。そして権六に動きあらばすぐに知らせよ、とな」

「承知しました」

「それと権兵衛(仙石秀久)」

「はっ」

「安土城の戦局を調べさせよ」

「承知しました」

「ワシは寝る」

 濡れた甲冑と着物を脱ぎ、乾いた着物を着ると横になり、すぐにイビキをかきだす秀吉。苦笑する黒田官兵衛。

「やはり相当お疲れだ…」

 官兵衛は蒲団をかぶせた。そして起こさぬように部屋を出て安土城の方向を見る官兵衛。官兵衛も割り切ってはいるが隆広と戦う事は避けたかった。彼にとって隆広は命の恩人である。

(短慮を起こされるなよ美濃殿、貴殿なら羽柴の武将になっても活躍の場は十分にある…。一緒に秀吉様の元で、戦のない世を作っていこうではないか…)

 

 しばらくして睡魔を満足させた秀吉は食事を取っていた。そこに仙石秀久が報告に来た。

「殿、安土城の様子が入りました」

「ふむ」

「いまだ包囲戦中にございます。ですが妙な話を聞きました」

「なんじゃ?」

「美濃殿が酒色に溺れていると云うのです」

「なに?」

 同じく部屋にいた石田三成、黒田官兵衛、山内一豊はギョッとして秀久を見た。

「酒色に溺れている? 美濃がか?」

「はい、羽柴陣にその噂が流布しておるとの事」

 秀吉は箸を床に叩き付けた。

「バカな! よもや小一郎(秀長)はそれを鵜呑みにしていまいな! 絶対にありえんぞ! 美濃は信長様にも楯突き、上杉謙信を寡兵で退けた男! 窮地を酒色で逃げる腑抜けのはずがないわ!」

「無論、小一郎様も信じておらぬとの事。このまま包囲して越前で修理亮殿を討った兄者を待つ、と申されたとの由」

「そうか、なら安心じゃ。しかしさしもの美濃も焦っておるの。こちらが苦しければ敵も苦しい…」

 

 大岩山の中川清秀は左に賤ヶ岳、右に岩崎山、前方は神明山と、味方の砦に囲まれている中で、よもや奇襲を受けるとは思わず、急いで迎撃態勢をとって佐久間隊に対した。賤ヶ岳の守将の桑山重晴と、岩崎山の高山右近の備えには勝家軍の睨みが利いて持ち場を空けるわけにもいかず、退却せよと便を送ったが中川清秀はこれを入れず孤軍奮闘で戦った。もはや救援も得られず、全滅を悟った清秀の家臣は

「陣屋に行き、腹を召されよ!」

 と言った。しかし清秀は首を縦に降ろさなかった。だが結局多勢に無勢、中川清秀は壮絶な討ち死にを遂げた。

 ここで盛政が勝家の指示通りに行市山に引き返せば何の憂いもなかった。しかし盛政は大岩山に陣場を築いてしまい後退しなかった。共に中川勢を攻撃した徳山則秀、不破光治、原彦次郎と大岩山に留まり、かつ賤ヶ岳を守る桑山重晴に使者を出し降伏を勧告した。

『大岩山、岩崎山の砦はすでに落ち、賤ヶ岳の砦はもはや包囲の中にある。無用の戦いをやめてすぐに降伏いたされよ』

 桑山重晴は丹羽長秀の寄騎をしていたが、この合戦には秀吉の配下にあった。彼にはすでに戦意はなく、

『抵抗はせぬが、武士の面目もあり日没まで待っていただきたい。必ず賤ヶ岳の砦を明け渡し申す』

 と返した。その返事に安心した佐久間盛政だった。賤ヶ岳はもはや手中にある。無理して攻めて犠牲を出すより、休息をとって夜を待つが得策と考えたのであった。

 盛政をこうして油断させたもの、それは秀吉の本隊が岐阜にあるという事であった。今ごろは岐阜城の滝川一益と森長可を攻め始めたので、そう容易くこちらに戻っては来られないと考えていたのである。勝家は引き上げてくるように指示を出したが盛政は聞かなかった。

 

「盛政はまだ大岩山に居座っているのか!」

「は、はい! 今宵はそこで夜営をすると!」

 使い番の言葉に激怒する勝家。

「バカな! あれほど出陣前に言い聞かせたのに何を聞いておったか! 早く引き返せと伝えろ!」

 柴田勝家の布陣は秀吉が攻めようにも攻められない布陣である。無論のこと盛政もその布陣に組み込まれた一隊である。小手調べ程度の奇襲の勝利におごり、その布陣にほころびを生じさせれば大敗に繋がる恐れがあった。

 大岩山が落ちると岩崎山の高山右近は木之本で布陣をしている蜂須賀正勝の陣に向かい合流した。盛政は大岩山に留まり、行市山に戻って陣を固めよと云う勝家の指示に従わなかったのである。

「やれやれ、伯父上もモウロクされたもの。筑前がまだ布陣しないうちに手に入れたこの要地を何で手放せるか」

 勝家の使い番は

「しかし木之本には蜂須賀正勝や稲田大炊、前野将右衛門が布陣しています。まだ動くべきではないと殿は」

 と反論するが

 「ここをむざむざ敵に渡したら、鬼玄蕃の武門が立たぬ。伯父上の言葉は聞けぬ」

「ですが、秀吉本隊がこの場に到着してしまったら、味方の行き場がなくなります!」

「だまれ! 筑前は岐阜にいるのだ! 考えてみよ、今日ヤツの耳に報告が届いたとて、ヤツの本隊は二万だぞ。どう考えてもここに来るまで三日はかかるわ! なぜ我らがそれまで手をこまねいてなければならぬ!」

「佐久間様…」

「オレはその間に木之本の蜂須賀と稲田、前野を蹴散らし長浜城を手に入れて、それ以北の地を厳重に固める所存じゃ。伯父上にオレは断じて引き上げぬと伝えい!」

「はっ」

 それを聞くや勝家は床几を蹴飛ばして激怒した。

「何と云う愚かな…! 盛政…ワシにシワ腹を切らせる気か!」

 

 その知らせは大垣城の秀吉に届いた。

「申し上げます!」

「うむ」

「柴田勢、ついに動きました! 大岩山の中川清秀様を討ち取り! そのまま敵将の佐久間玄蕃、不破光治、徳山則秀、原彦次郎が居座っております!」

 秀吉はそれを聞くや立ち上がり

「われ勝てり! 柴田権六が命わが掌中にあり!!」

「やりましたな殿!」

「うむ官兵衛、堀尾茂助と集めておいた健脚自慢の者たちを城門に呼べい!」

「ハハッ!」

 秀吉が城門に駆ける。そして着いた時には羽柴軍の健脚自慢が並んでいた。

「その方たち、大垣から賤ヶ岳の間の道に住む領民たちに兵糧と馬糧と灯を用意させよ。金に糸目をつけるな」

「はっ」

「堀尾茂助」

「はっ」

「そなたは五千の兵でこの大垣城に残り、いまだ羽柴勢二万がここにいると言いふらせ。わしが木之本に向かったと知れば、追撃してくるなりしてこよう」

「はっ」

「よし、では茶とするか」

 秀吉は夕方まで大垣城でのんびりしていた。敵の密偵に動かないと思わせるためであった。そして夕方、秀吉は動いた。

「では参るぞ! 賤ヶ岳まで大返しじゃ!」

「「オオオッ!!」」

 羽柴軍は賤ヶ岳に向かって走り出した。到着時間は今から約二刻半(五時間)後を目安としていた。一万五千の大軍を二刻半で十三里(約五十二㌔)移動させようと云うのだから、もはや当時の常識では考えられない事であった。

 その先にあるのは栄光か、それとも破滅か…。この時の秀吉には想像もしていなかったろう。安土包囲軍は全滅し、そして一人の天才が自分を討つべくすでに動いていようとは。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。