天地燃ゆ   作:越路遼介

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決戦、賤ヶ岳(前編)

 話は少し遡る。佐久間盛政は大岩山の陣で横になっていた。そして先日に聞いた話を思い出した。水沢隆広は柴田勝家の実の息子だと云う事を。勝家が正式に公表しなくても清洲会議でお市が満座で言ったのだから、当然に盛政の耳にも入る。

「そういう事だったのか…。それなら伯父上の隆広びいきも頷ける。離れて育った我が子があれだけの智将になって帰参いたさば、さしもの鬼権六も盲愛しような…。もはや隆広が次期柴田家の当主であるのは明らかじゃ…。勝豊が筑前に付いたのもそんな理由じゃろう。俺と成政、勝豊は隆広と仲が悪い。隆広は何度も我らと融和を図っていたが…俺たちは受け入れられなかった。とはいえ俺の生きる場所は柴田家を置いてない。隆広の性格なら過去の経緯を忘れてそのままオレや成政を重用するかもしれぬが…それが辛い」

 叔父の佐久間信盛を看取った隆広、以前に叔父信盛が柴田家への仕官を望んだ時、自分とは別に信盛の仕官を勝家に取り成していたのも知っている。そして信盛の遺児甚九郎を召抱えたのも聞いた。盛政は隆広に内心感謝しても礼は言わなかった。すべて知らぬふりをした。今さら前田利家や可児才蔵のように隆広と親しい同僚になどなれない。何て意地っ張りで不器用なのかと自分で可笑しくなる。

「伯父上はもはや六十二の高齢、この合戦後に隆広へ家督を譲ろうな…。隆広は柴田をどう動かしていくのであろうか…。織田から独立して天下の覇権を狙うか…それとも三法師様を立て、あくまで柴田は織田政権の中で生きていくか…」

 そう考え事をしている時だった。ザワザワと兵士の騒ぐ声が聞こえてきた。

「…? なんだ?」

 

 盛政は寝床を離れて兵の様子を見に行った。すると眼下の木之本街道におびただしい松明が見えたのだ。それに兵は戸惑い出したのだ。

「ふん、あれは留守居の蜂須賀のいたずらじゃ。松明の数など近くの領民を動員すればいくらでも増やせるわ。その方たちは眠れ」

 そう言って佐久間盛政は陣屋に戻り、眠りに入った。それからほどなく

「殿!」

「う~ん、なんじゃ」

「賤ヶ岳が動き出しました!」

「それは桑山隊が我らに下るために山を降りたのじゃ。いいからそなたらも眠れ」

「そ、それが…蜂須賀と丹羽の旗が…」

「なに?」

 盛政は飛び起き、陣中の見張り台に走った。

「ふん、面白い。蜂須賀めが持ち場を離れ本陣を移し、我らとの決戦に踏み切りおったか!」

 見張り台から賤ヶ岳を見る佐久間盛政。

「ようし、敵は秀吉の執った布陣を崩し、秀吉本隊抜きで決戦に出てきおったわ! この中入と俺の滞陣、こうも上手く行くとはのう! 蜂須賀がここに出張ってきたと云う事は木之本の羽柴本陣は手薄じゃ、一気に南下して長浜を取ってやる! 使い番!」

「はっ!」

「この戦、もらったわ!ただちに伯父上に全軍出撃の伝令に向かえ!」

 

「も、申し上げます!」

 賤ヶ岳への斥候兵が来た。

「なんじゃ」

「し、賤ヶ岳に陣する大軍は蜂須賀正勝なるも!木之本には敵の主力である秀吉自ら率いる本隊が布陣してございます!」

「なんじゃと!」

「馬鹿な!ちゃんと敵勢を確認したのか!」

 と、不破光治。

「木之本あたりに人馬多く、物見を入れて探らせたところ、確かに秀吉の着陣を確認いたしました!」

「そんな馬鹿な…!天魔にせよ鳥にせよ!まだこの場に来られるはずがない!」

 佐久間盛政はこの時になって初めて背筋に寒さを感じた。

「し、しかしどうやってこの時間に岐阜からたどり着く…。羽柴は空でも飛んできたとでも言うのか!」

 困惑する徳山則秀。

 

「盛政の馬鹿者があッ!あれほど強く引き返せと申したに!」

 秀吉本隊到着を聞いた勝家。

「ただちに撤退せいと伝えい!勝家の厳命じゃあッ!」

「ハッ!」

 大岩山の佐久間盛政軍を見つめる秀吉。

「ふっははは、あの揖斐川の洪水は天佑じゃったのぉ。佐吉、ようあん時に儂を身を挺して止めたの。褒めてとらす」

「ありがたき仰せに」

「揖斐川を渡り、一益と長可と交戦状態に至っていれば、こう早くは引き返せなんだわ」

「殿」

「おお、官兵衛、各備えへの伝令を終えたか」

「御意」

「ふむ、では佐久間盛政が動いたと同時に攻撃を開始する」

 石田三成も騎馬にまたがり佐久間陣を見る。

(ふん…。あんなに殿(隆広)を忌み嫌っていたくせに、いなければそのザマでございますか佐久間殿。何が鬼玄蕃、笑わせる)

 秀吉、いや軍師の黒田官兵衛が立案した総攻撃の作戦はこうである。攻め手は三つ、右翼は堀秀政、中央は秀吉本隊、そして左翼は蜂須賀正勝。右翼の堀秀政に柴田本陣を牽制させて中央は内尾中山から狐塚の地に布陣している柴田本陣に前進、左翼は撤退する佐久間勢を撃破。そしてそのまま敵主力を包み込む。

 行市山に佐久間隊が布陣していなければ、その攻勢を防ぐ事はできない。それどころか佐久間隊が総崩れする事により、そのまま他の砦も済崩しに崩壊していく。そして作戦開始は佐久間勢の突出か後退をもってである。まさに軍師官兵衛の鬼謀である。突出してきても、佐久間勢は孤立無援で戦う事になる。昨日の中川清秀と同じ立場になってしまい、勝家がそれに痺れを切らして狐塚の陣から出れば、もうしめたもの。柴田本隊は得意とする山岳戦ではなく平野部で備えを固めている羽柴全軍と衝突する。つまり盛政は動けない。補給路も断たれているため、大岩山で日干しになるしかない。選択の余地はない。後退である。急ぎ行市山に戻るしかない。

 

 一方、大岩山。

「佐久間殿! このままここにおりますと我が軍は羽柴に包囲殲滅に遭いますぞ!」

 と、原彦次郎。

「そんな事言われなくても分かっているわ!引き上げだ!」

 ようやく盛政は引き上げを開始した。だが遅かった。一斉に羽柴勢が攻撃を開始した。加藤清正、福島正則らの秀吉子飼いの将校たちに今まで抜け駆けを禁じていた秀吉だったが、この時は功名手柄は勝手次第と言われていたので、その士気たるやすさまじいものがあった。

 丹羽長秀も好機と見て軍勢を繰り出した。兄の佐久間盛政を助けようと茂山から降りた柴田勝政も丹羽勢から側面攻撃を受けて壊滅となった。大混乱に陥り、一方的に敗れたのであった。命からがら佐久間盛政は権現坂近くに落ち、前田利家の援軍を待った。もはや周りにいるのはわずかな兵である。

「も、申し上げます」

「なんだ…」

「前田隊、戦線離脱いたしました」

「な、なんだと!」

 前田利家は青年時代に秀吉と無二の親友で『藤吉郎』『犬千代』と呼び合った仲である。織田家から利家が追放された時も、秀吉は付き合いを変えず生活費の面倒を見て利家の帰参を叶えるべく奔走した。勝家も同じく利家の織田家帰参に尽力をしてくれた。だが利家は秀吉との友情を思うと今回の戦いに、勝家の寄騎として参加していても秀吉と戦いたくなかったのである。

 この時、利家の嫡子の前田利長は兄とも慕う水沢隆広を裏切るにしのびず、懸命に父の利家に戦場に留まり戦うように進言したが受け入れられず、しまいには単騎でも残ろうとしたが家臣たちに無理やり連れ帰られされたと云う。利家とて息子の気持ちは痛いほどに分かる。若き日は親父様と慕っていた勝家を見捨てるのであるのだから。しかし前田家のため利家は苦渋の決断をしたのだった。悪夢であるかのように、呆然と前田勢の戦場離脱を見る盛政。

「ついに利家殿が我ら柴田を見捨てたか…」

 フッと笑う盛政。

「これじゃあ本陣の備えもメチャメチャになるのう…。すべて終わった…」

「も、申し上げます…!」

「……」

「金森長近隊…。戦場を離脱…!」

 金森隊はまだ無傷の軍勢であった。それが離脱した。長近は秀吉からの調略を受けていたのだった。

「負ける時はみじめなものじゃな…」

 佐久間盛政は死を覚悟した。部下たちに

「この失態、俺が伯父上の言葉に従わなかったためだ。俺はここまでだ。潔く羽柴陣に突撃して斬り死にする。お前たちはもう自由にするがいい」

 と言い残し、羽柴勢に突撃をかけるべく馬に乗った。数名の部下がそれに従った。柴田軍はほぼ総崩れとなった。勝家の宿将の徳山則秀は討ち死にし、佐々成政はさすがに奮戦したが、四方から攻められ撤退を余儀なくされた。拝郷家嘉は加藤清正に、山路正国は福島正則に討ち取られた。不破光治は必死に戦ったが重傷を負った。家老の不破助之丞は討ち死にし、重傷の光治を助之丞の子で隆広の義弟不破角之丞光重が背負い敗走した。

 

 柴田勝家本陣。自軍の敗走を見る勝家。各砦はすべて羽柴軍に奪われてしまった。

「盛政め、勝てる戦を勝てなくしてしまったわ…」

「勝家様…」

「ふふ、今にそんな事を言ってもグチになろう」

「まだ隆広が安土におられます!」

「ふふ…。一部隊が生き延び、本隊が先に滅ぶとは皮肉よな。才蔵、今ここにいる兵はいかほどか」

「千五百にございます」

 およそ四万で布陣した柴田軍。しかし前田利家と金森長近の戦線離脱、不破軍、佐々軍の敗退。徳山則秀、拝郷家嘉ら将たちの討ち死にも相次ぎ、逃亡者が続出、各要所においた砦は空となり、もはや勝家は陣形さえ維持できなくなった。敗北を悟った勝家は『戦う気のない者、命の惜しい者は落ちよ』と下命した。そして最後まで落ちずに残ったのが千五百の兵である。ここに残った者はみな死ぬ気の覚悟を持っている。

「千五百か、よし、それだけいれば十分じゃ。鬼権六の最後見せてくれる」

「なりませぬ!まだ隆広の安否もわからぬままですぞ。ここは生きて北ノ庄にお戻りあれ!」

「才蔵、それは未練と云うものじゃ。儂はいい、あやつさえ生き延びれば柴田に再起もある」

「殿―ッ!」

 毛受勝照と山崎俊永が来た。

「早くお引きを、ここはそれがしが殿軍に立ちますゆえ!」

「ならん、儂も鬼権六と呼ばれた者、サルに背を向けるか!」

「どうしても戦うと云うのであれば、この毛受勝照をお斬りくだされ!」

「なんじゃと!」

「ここで戦って殿が討ち死にしたら、筑前はこう言うでしょう。『甥も思慮のないタワケであったが、伯父もこれまたタワケ』と!若き日の怨嗟も手伝い、筑前は殿の首を足蹴にして愉快そうに言うでしょう! その仕儀、臣下として我慢なりませぬ。どうせ死ぬのなら北ノ庄に戻り、城と共に自決して果てられよ!それが大身柴田勝家の最期と云うもの!」

 血を吐くようにして勝家に訴える毛受勝照。生死を賭けて諌める家臣の言葉に勝家は一言もなく黙った。

「何よりまだ安土の隆広が無事にございます!北ノ庄にて踏ん張れば援軍に来る事もありえまする!最後までおあきらめなさいますな!」

「勝照…」

「新参者とはいえ、この山崎俊永も同じ考えにございます!」

「殿、北ノ庄までの道のり、この才蔵が護衛いたし、その後に殿と共に果てまする!」

「殿を頼むぞ才蔵!」

「承知した勝照殿!」

「少し時間を稼ぎたく思います。殿の甲冑と旗をお貸し下さい!」

「何をする気か勝照」

「それがし、柴田勝家となり筑前の陣に突撃します!」

「馬鹿な! 死ぬ気か!」

「そうです!」

「勝照…!」

「俊永殿、才蔵、時間がない!」

「「承知!」」

 俊永と才蔵は急ぎ勝家の甲冑を脱がせた。

「何をするか!この勝家、家臣を身代わりに殺させて生きながらえようとは思わん!」

「早いか遅いかの違いしかござらぬ。殿、勝照先に参ります」

 毛受勝照は柴田勝家の甲冑を身につけ、馬に乗った。

「勝照!」

「勝照殿、それがし山崎俊永も付き合いますぞ」

「おう、心強い!」

「俊永!」

「殿、織田家に追放された身を重用されて下された恩、今お返し申す!」

「馬鹿者が…!」

「さあ、殿!ここで我らグズグズしていては勝照殿、俊永殿の気持ちが無駄になります!」

「すまぬ才蔵…!」

 

 毛受勝照は残る兵を集めた。毛受勝照隊五百、山崎俊永隊四百、そして柴田本隊の残存兵千五百。柴田勝家の甲冑を着た毛受勝照を見て兵士たちは勝照の覚悟を見た。そして勝照は兵士を鼓舞した。

「皆の者、ここで殿の首級を筑前にくれてやるわけにはいかぬ。戦場で主君の首をあげられたら我ら家臣団は末代までの笑い者じゃ! 殿には北ノ庄へ戻っていただく。殿は丹精込めて造られた北ノ庄の城と共に自決して果てられるおつもりじゃ。我らは先んじてここで華々しく死に、殿の死出への道の先導しようではないか!」

「「オオオオオッッ!」」

「筑前に、柴田の軍勢の恐ろしさを見せ付けて死のうぞ!」

「「オオオオオッッ!」」

 毛受勝照、山崎俊永の柴田殿軍が突撃してきた。だが羽柴勢の攻勢は止まらない。秀吉も自ら走り将兵に激を飛ばして攻撃を展開させている。だがさすがに疲れだし、

「ふう、もう勝ったであろう。佐吉ここに床几場を作れ」

「はっ」

 昨日まで勝家の陣場であった狐塚の地で床几場を構えた。敗走する柴田勢を見る秀吉。

「ふははは、光秀の首を取りそこない、清洲の会議ではいいようにしてやられたが、智慧美濃がついていなければ権六などこんなものよ。あんな玉砕の突撃などすぐに粉砕してくれる」

 羽柴本陣から、突入してくる敵勢を見る石田三成。義父山崎俊永の旗があった。

「舅殿…」

「あとの問題は美濃じゃが、何とか戦わずに我が家臣にしたいものじゃ。佐吉口説き落とせるか?」

「殿、美濃殿は修理亮(勝家)殿の嫡男です。それでも召抱えると!?」

「官兵衛、軍師と云う立場上とは云え心にもない事を申すな。美濃はそなたの命の恩人。儂が処刑すると申しても、そなたこたびの戦の武勲すべて返上して助命を願う気であったろう」

「ご推察の通りに…。しかし肝腎の美濃殿が羽柴に投降しましょうか」

「権六亡き後に自刃する可能性もあるが、部下思いのあやつの事、一時の恥をしのぼう。あやつは切れ者じゃが根はマジメな人間。一度降伏させ、とことん礼遇すれば叛意など抱かずワシのために働くわ。この戦に勝ったとて、まだ羽柴の情勢は苦しい。ぜひ半兵衛譲りの将才を持つ美濃を家臣にしたいのじゃ」

「さすがにございます殿! 美濃殿は殺すに惜しい男にございます」

「ふむ、どうじゃ佐吉、口説き落とせるか」

「ご母堂のお市様と妹御三人の身の安全、無論美濃殿の妻子の安全、これをお許し願えれば佐吉身命賭して美濃殿を口説きまする」

「ふーむ…。お市様には一度あんな事こんな事をしたいのじゃが…」

「親父様、己が母を陵辱した者に美濃殿が頭を下げるとお思いですか!」

「分かった分かった、むう…まあそのくらいは仕方ないかの。半兵衛が帰って来てくれると思えば」

「御意」

「よし、八千石をどこかの地に与えたうえ、母親と妹たちの安全、妻子の安全の条件許す」

「ハハッ!」

 

 話は少し遡る。越前府中城の帰途についていた前田利家に驚くべき報が入った。

「殿―ッ!」

 先頭の利家に使い番が来た。

「どうした?」

「わ、わ、若殿がご自分の兵を連れて賤ヶ岳に返しました!」

「なんじゃとォ!そなたら何故止めなかった!」

「も、申し訳ございませぬ。利長は『孝』より『忠』を取ると!」

「……」

「殿…」

 側近の村井長頼に利家は言った。

「…捨て置け」

「殿!」

「父の儂への孝より柴田への忠を取るなら、それも良かろう。捨て置け」

「若殿を見捨てる所存にございますか!」

「利長一人の命と!ここにいる前田家の者すべての命とどちらが大事か!」

 村井長頼は黙った。そして死地に向かう息子を悲しまない父親がどこにいる。だが利家は内心嬉しかったのではないか。息子の成長が誇らしかったのではないだろうか。一瞬だが静かな微笑を浮かべた利家の顔を村井長頼は見逃さなかった。

(見事な振舞いぞ利長…。父の誇りぞ)

 

 その利長は前田勢が布陣していた別所山へと戻った。

「見ろ光重、大殿様(勝家)自らが最後の突撃に出ているぞ」

 利長の横には水沢隆広と義兄弟の契りを交わしている不破光重がいた。寝小便の悪癖が治らず臆病な少年だった光重は父親の不破助之丞にもサジを投げられていたほどの頼りない少年だったが隆広に内政の才ありと見込まれ、その才を開花し、いつしか寝小便も治り凛とした若武者と成長し、不破光治と助之丞立会いの元で隆広と義兄弟の契りを交わしたのだった。

 この戦いで不破勢は総崩れとなり、光重の父の助之丞は討ち死に。光治も深手を負った。光重が光治を背負い戦場を離脱して主君光治を前田陣まで連れて行った。不破勢はもう軍勢として形を成していないので光重はそのまま前田勢と行動を共にしていたのだ。また大岩山を占拠した佐久間勢の中でただ一人光重だけは羽柴の大返しを予言し、主君光治に元にいた陣に帰るべきと進言していたと云う。

「いや孫四郎(利長)殿、馬の乗り方が大殿様と違います。おそらく影と存じます」

「ほほう、さすが美濃殿の義弟、慧眼も義兄ゆずりよな」

「ははは、ならば参りましょう」

「おう!」

 双方、父親に認めてもらえなかったと云うツラい少年期を持つが、隆広に見出され才を開花させた。それゆえ、二人は敗北必至の戦場に戻り隆広に全力で答えたと云える。利長は槍を高々と掲げた。

「良いか! この一戦、府中勢の恐ろしさを羽柴に示す戦いぞ! 続けえッ!」

「「オオオオッッ!!」」

 前田利長と不破光重は別所山から逆落としで羽柴勢に突撃を開始した!

 

 羽柴本陣にもそれが伝わった。

「申し上げます! 別所山より前田利長の軍勢千二百が逆落としで突撃してまいりました!」

「なにぃ?チッさすがは又佐(利家)のセガレと云うところか。かまわん容赦なく討ち果たせ!」

 さらにこの時、羽柴軍本陣に驚愕的な報が伝わった。

「申し上げます!」

「なんだ」

「安土城包囲軍、全滅!」

「な、なんじゃとォ!」

 秀吉は驚きのあまり床几から立ち上がった。黒田官兵衛と石田三成も愕然とした。

「安土勢に蒲生、九鬼、筒井が加勢し秀長様の軍勢は援軍と城兵の挟撃に遭い壊滅! 総大将秀長様、そして浅野長政様、中村一氏様、羽柴秀次様は筒井勢の追撃振り切れず、近江山城の国境で討ち死になさいました!」

「こ、こ、小一郎が討ち死にじゃと!?」

「はっ…!」

「小一郎が…」

 農民出の秀吉にとって最初の家臣であった木下小一郎こと羽柴秀長。弟でありもっとも頼りにしていた家臣。

 多くの家臣を召し抱え、グチも悩みも言えなくなった秀吉だが秀長には腹蔵なく話せた。兄弟だから話せた。そして何よりその才能に秀吉は惚れこんでいた。羽柴の君臣の間に立ち、羽柴家臣の人望も厚かった弟の小一郎。秀長であればこそ、智慧美濃を御しえると思った。しかし結果は全滅。そして秀長自身は討ち死にした。この事実は秀吉を打ちのめした。

「み、美濃は…水沢隆広は…神か魔か…!?」

 秀吉はガクリと膝をついた。分かっていたはずだった。あの若僧がどれだけ恐ろしい男かを。勝家よりも何倍も恐ろしい男と分かっていたはずだった。しかし秀長を総大将に、浅野長政、中村一氏もいた安土城包囲軍。軍勢の数は六倍強の二万。隆広とてどうにもならないと秀吉が思うのも無理はない。

「殿!」

 呆然とする秀吉を叱咤する官兵衛。

「官兵衛…。どうすれば良い…。蒲生らが美濃についたとならば軍勢は二万近い。これを知れば武田攻めで美濃と陣場を共にした滝川と森も付こう! すぐにあやつが木之本街道を北上するは明白じゃ。退路が断たれる…!」

「殿、ここで我らが南に進路を取れば柴田勢は息を吹き返し反撃に出るのは必定にございまする。何とか美濃殿が賤ヶ岳に来る前に北ノ庄で修理亮殿が首をあげ、そして…下策でござるがお市様、姫三人の命をもって停戦に持ち込むしか術がござらん!」

「儂に人質をとり停戦を請えと!? 美濃は小一郎を討った仇ぞ!」

「無念でございますが、美濃殿に蒲生、九鬼、筒井、滝川、森がついたら我らに勝機はございませぬ! 我らは半数以上がこの戦のために集めた寄集め、しかし敵勢は全軍が正規兵にございますぞ! それが美濃殿の采配で動けばどうなるかお考えあれ! たとえ五万の我らより半数以下でも戦闘状態に入ってはなりませぬ。たとえ美濃殿に卑怯者と謗られようと敵勢に嘲笑を受けようとも母御と妹御三人を人質に取り、無事に領内に帰還する事が肝要と存ずる!」

 忌々しそうに秀吉は地を蹴った。

「…あい分かった。急ぎ権六を追い、そして屠る。城内に密偵を放ち、お市様と姫三人を何としてでも連れ出さねば!」

 朝が明けた。周りには柴田兵の倒れ、もはやこの合戦の秀吉の勝利は揺るがないかと思える。

「柴田勝家、わずかな兵と戦場を離脱しました!」

 使い番から知らせが来た。

「あい分かった、特攻してきた隊を適当にあしらった後、全軍越前に侵攻する準備をいたすよう指示を出せ」

「はっ!」

「ふう…」

「親父様…」

「佐吉、小六に『三法師君を輿に乗せて進軍せよ』と伝えよ。もはや敗北明らかの柴田、織田の遺児を擁する我らに味方する越前の者も出てこよう」

「承知しました」

「儂は急ぎ又佐の居城に赴き、味方に引き入れてくる」

「はっ!」

「…佐吉」

「はい」

「やはり親父より息子の方が恐ろしいの柴田は…。美濃を召抱えるなど…取らぬ狸の何とやらであったわ」

 琵琶湖の濃い霧が賤ヶ岳を包む。寒風に流れる霧風が秀吉に心地よい。

「さて…。一刻を争う。北ノ庄へ…どうした佐吉?」

 石田三成は南を見て呆然としていた。振り向く秀吉。そして我が目を疑った。濃霧の隙間に見える軍勢の影。軍旗『歩』を靡かせて怒涛の如く迫り来る水沢軍の姿だった。


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