天地燃ゆ   作:越路遼介

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決戦、賤ヶ岳(中編)

 琵琶湖を北上する水沢軍。朝が近づくにつれ濃霧が著しかった。しかし琵琶湖を知り尽くす堅田衆の先導により迷う事なく目的の琵琶湖の北岸に向かう。柴舟の寄こした布陣図ではこの位置に丹羽勢が布陣していたが、すでに戦局は柴田本陣近くまで羽柴の攻勢が至っていて空陣である事は隆広に報告されていた。しかし一つの軍勢が琵琶湖の湖畔に見えた。霧で中々旗が見えない。

「まだ旗は確認できないか!」

 堅田十郎が遠メガネでようやく確認した。

「殿、『折敷に三文字』の旗にございます!」

「『折敷に三文字』…稲葉勢!?」

「稲葉…稲葉良通(一鉄)殿でございますか!?」

 と、奥村助右衛門。

「稲葉は本能寺の変の後に独立を宣言したと聞くが…厄介な事になった。養父隆家と道三公の武の両輪であった稲葉殿とは…」

「味方として参じたのでは…」

 松山矩久が言った。

「そうは思えん、水沢家は良通殿の娘、安殿の仇だぞ」

「そうだ助右衛門…。オレは坂本攻めで良通殿の娘を死に追いやっている。だが上陸を妨害するならやむを得ない。投石部隊、稲葉勢の鉄砲隊を…」

「殿! 稲葉勢より小船が来ます」

「え?」

 十郎の報告に驚く隆広。しかも小船に乗っていたのは稲葉良通当人である。

「どうなさいますか殿…」

「よし助右衛門、迎えよ」

 小船が水沢隆広の乗っている船に到着し、稲葉良通は船に上がった。

「稲葉様…」

「久しぶりじゃな美濃。武田攻め以来か」

「はい」

「時間がないので簡単に述べさせていただく。羽柴攻めに稲葉は加勢いたす」

「え…!?」

「なんじゃ、そんなに意外か?」

「し、しかしそれがしは稲葉様のご息女の安殿を…」

「ああ、それか。美濃よ、娘と申せ、もはや一人前の女。安は自分の意志で夫(斉藤利三)に殉ずる事を決めたのじゃ。それでワシが寄せ手のお前を恨むのは娘の死を辱める事になろう」

「稲葉様…」

「孫のお福を養女としたのは聞いた。ようやってくれたな、織田の支配から脱して独立した当家であるが柴田と羽柴の天下分け目のいくさに参じたくもなった。加勢するのはそれが理由よ。それに…」

「それに?」

「隆家仕込みの用兵、もう一度見たくてな」

「そ、それでは…!」

「うむ、稲葉勢もそなたの采配で動く。時間がない。ある程度作戦は決めてあろう。聞かせよ」

「はい!」

 

 稲葉良通、または稲葉一鉄と云い、かつて隆広の養父である水沢隆家と共に美濃四人衆(水沢隆家・安藤守就・氏家ト全、稲葉良通)の一人と呼ばれた猛将である。当年六十代の坂を越した歳であるが意気盛んで老黄忠(老いてますます盛んの老人の事)を地で行く武将である。

 彼は本能寺の変の後に美濃の国で独立を画策するが、かつて織田信長に追放されていた安藤守就が、稲葉領である本田城や北方城を攻撃したため守就と戦い、これを討ち果たした。その間に清洲会議は終わっており、信孝が当主になった織田家とは講和をしていても独立した大名として美濃の北を支配したのである。

 羽柴秀吉の挙兵でも秀吉から加勢を要望されていたが、一鉄は西保城を攻めるなど勢力拡大に乗り出していた。秀吉の使者が西保城を攻める一鉄の陣に向かい、是非加勢を、との要請に

『それどころではないわ!』

 と、一喝して追い返した。とはいえ、この時点では柴田からの接触も一切ない。その時点の一鉄は領土拡大のみを考えていたと見るのが正解だろう。

 ならばなぜ一鉄は隆広に加勢を決めたか。それは彼の年齢かもしれない。独立を宣言したのはいいが、羽柴と柴田どちらが勝つとしても戦後に北美濃と云う肥沃な地を持つ稲葉をそのままにしておくはずがない。

 一鉄は隆広が援軍と共に秀長二万を蹴散らしたと聞き、勝つのは柴田と見た。そして自分の息子の貞通では柴田の若殿と云える水沢隆広にとうてい敵わないと見た。ならば今のうちに柴田に恩を売り従属大名となった方が利口と考えたのだ。

 後年の歴史小説では、婿の斉藤利三が遺児お福を託し、朋友隆家の養子である隆広に対して娘の仇と云う私怨を捨て、損得抜きで加勢したと書かれる事も多いが、事実は一鉄に利害の計算があったのである。

 名将水沢隆家と斉藤家の武の両輪と云われた彼にはこんな逸話がある。姉川合戦の時、織田信長は援軍に来た徳川家康に『我が軍の中から好きな者を連れて行きなされ』と言ったのだが、そこで家康は兵を一千しか持たない『稲葉良通殿を』と迷いもなく信長に要望したと言われている。

 そして一鉄は徳川軍への加勢を命じられた。戦況は浅井・朝倉連合軍の攻勢すさまじく、緒田軍は大劣勢ともなったが徳川軍の奮戦によって織田軍は危ないところを救われた。そしてその徳川軍を助けていたのが一鉄の軍勢だった。合戦後に信長から勲功第一と賞されたが、一鉄はあの織田信長に臆する事無くこう言い放ったのだ。

『大殿は事の道理が分からぬ御大将にござるか。このたびの勝利はひとえに三河殿(家康)の助力によるものである事は全軍が知っている事。その三河殿をさしおき、それがしごときの武功が第一とは笑止千万なり』

 ガンとして褒賞を受けない一鉄に、信長も苦笑するほかなかったと云う。それから彼の通称である一鉄が『ガンコ者』の代名詞になったと今日に伝わる。つまりそれほどの老黄忠が水沢軍に加わったのである。地理的にも恵まれていた。彼の居城の曽根城から北近江の戦場まで、西に数里である。水沢勢が水軍を用いて琵琶湖を北上すると聞いてからも間に合うほどの距離だった。

 

 隆広は簡潔であるが、戦場の絵図を一鉄に見せながら決めていた作戦を説明した。

「あい分かった。おっとそろそろ上陸じゃな」

「はい」

「天の時も味方しておるわ。この濃霧は我らにとってこのうえない援軍に…」

「どうされた?」

 一鉄は一人の男を見て唖然とした。松浪庄三である。

「た、た、龍興さ…」

 人差し指を口の前に立てフッと笑う松浪庄三こと斉藤龍興。小声で一鉄に話す隆広。

「稲葉様、龍興様は今、松浪庄三と名乗っており柴田を支持する若狭水軍を率いています」

「そうでござったか…。いや庄三殿、何ともご立派になられて」

(よう生きておられた…。ホンに立派になられて…良通は嬉しゅうございますぞ龍興様)

「あっははは、良通殿もますます壮健のようで何よりだ」

(涙もろいのは相変わらずだな…。一鉄よ)

 斉藤家の主従が再会した。一鉄にはさらにこの戦いに賭ける気概が加わったと言っていいだろう。頼りなく酒色に溺れ見限った主君龍興が戦国の風雪にもまれ、たくましい海の男となっていた。

 斉藤龍興が助勢と云う事は斉藤家が隆広に助勢すると云う事。一鉄の血がたぎる。織田家ではない。斉藤家の猛将に戻れたのだ。

 

 水沢勢は上陸を果たした。

「美濃、いや総大将、贈り物がある」

「何でしょう」

 船を下りながら一鉄が指差したところ、そこには大量の軍馬が待機していたのである。

「軍馬!」

「船ではさすがに馬は乗せられんと思ってな」

 その通りである。歩兵部隊の突撃しかないと思っていた隆広。

「軍馬が加わっても、さきの作戦には支障あるまい。使ってくれ」

「ありがとうございまする!」

「礼は勝ってからにせよ。あっははは!」

 新たに稲葉勢が加わり、水沢軍は二万以上の軍勢となった。まだ羽柴の半分以下である。この時の隆広に勝算があったかは分からない。しかし避けられない戦いである。

 濃霧の中、水沢隆広を先頭に蒲生、九鬼、筒井、稲葉、そして水軍衆の軍勢が整然と進軍する。無音進軍、馬のクチにはいななきを防止するため紐がくくられた。走っていないので甲冑の音は響かない。隆広の前方では柴田と羽柴の戦いが繰り広げられている。激しい鬨の声が聞こえる。馬のいななく声、柴田と羽柴将兵の雄たけび、甲冑の音に鉄砲の音、無音進軍を心がけなくても柴田と羽柴両軍は水沢勢が迫るのを気付かなかったのではないだろうか。

 斥候に出た白が隆広の馬前に来た。

「申し上げます」

「うん」

「柴田勢、壊滅」

「殿は?」

「すでに北ノ庄に敗走中との事」

「そうか、ご無事なら良い。まだ挽回は出来る。柴舟は?」

「父もどうやら大殿様(勝家)に従い、北ノ庄へ向かったと思えます」

「そうか柴舟も無事か」

 もう一人の斥候、六郎が来た。

「前田利家隊、金森長近隊は戦場離脱。佐々、不破の軍勢は敗走、柴田勝政様、徳山則秀様、原彦次郎様、討ち死に」

「想像以上に戦局は悪いな…」

「現在、毛受勝照様と山崎俊永様が殿軍を務め、また前田利長様と不破光重様が別所山より逆落としで羽柴軍に突撃し奮戦中にございます」

「利長と光重が…!」

 親友利長と義弟光重が最後まで残って戦っている。隆広の闘志が高まる。最後の斥候の舞が来た。

「佐久間盛政殿、孤立しながらも奮戦中、また羽柴秀吉、つい先刻まで自ら走り兵を鼓舞し、すでに柴田本陣のございました狐塚まで前進に至りました。その場で床几場を作り戦局を見ております!」

「よし…」

 水沢隆広の采配が振り下ろされ、馬のクチを結ぶ紐が一斉に千切られた。

「行くぞおおッッ!!」

「「オオオオオッッ!!」」

 天正十一年四月二十一日午前六時、水沢隆広が琵琶湖を大返し、羽柴秀吉軍に襲い掛かった。世に云う『賤ヶ岳の合戦』の第二幕が開いたのだった!

 

 ドドドド…。

 

 後方で聞こえる軍勢の音、秀吉は振り向いた。そして共にいた石田三成、黒田官兵衛は絶句した。歩の一文字の軍旗を靡かせる大軍が背後から襲いかかってきたのである!

「なんじゃと…!」

 呆然と立ち尽くす秀吉。

「どうやってこの場に! 美濃は空でも飛んできたのか!」

「殿! 大急ぎで味方を取って返さねば!」

「分かっておる官兵衛! 大急ぎで全軍を南に返せ!」

「ハハッ!」

「親父様! この床几場は放棄し急ぎ後方へ!」

「分かっておる!」

 秀吉はチカラ任せに床几を蹴った。

「なんと云う恐ろしい男よ美濃は…!」

 

「後方より敵襲―ッ!!」

「後方より敵襲―ッ!!」

「後方より敵襲! 旗は『歩の一文字』! 水沢軍の攻撃じゃあーッ!!」

 羽柴全軍が、いや残る柴田軍さえ耳を疑った言葉である。

「美濃殿が!?」

 山内一豊も確かに見た。後方より物凄い勢いで迫る『歩』の軍旗を。

「ここに来たと云う事は…秀長様を…孫平次(中村一氏)も討ったと云う事か…!?」

「殿!」

「吉兵衛! 大急ぎで返すぞ!」

「ハハッ!」

 愛馬の太田黒をくるりと返す一豊。

「もはや娘の命の恩人とは思わぬ! 美濃は山内最大の敵じゃ!!」

 

 急ぎ秀吉は後方に下がった。つい昨日まで柴田勝家が陣取っていた狐塚の地。勝家が構築しただけあり、なるほど堅固な陣だった。しかし陣を囲む防柵は羽柴勢そのものが破壊してしまっていた。しかし選択の余地はもうない。秀吉はここで返してきた将兵に迎撃体勢を執らせた。知らせを聞いた堀秀政と蜂須賀正勝も大急ぎで山を降りはじめた。

 

「隆広…」

 囲まれ討ち死に寸前だった佐久間盛政。彼を囲んでいた羽柴兵たちは盛政から離れ南に向かった。馬から崩れるように落ち、槍を杖に何とか立ち上がる。

「最後に来て…良いとこ持って行きやがって…。だからオレはお前が嫌いなんだ!」

 ペッと血の混じったツバを忌々しそうに吐き出す盛政。

「ちくしょう…! 敵ももうオレの相手なんかしちゃくれぬわ…!」

 

「勝照殿…! 美濃殿じゃ! 援軍ですぞ!」

 息も絶え絶えの山崎俊永。勝家の甲冑と旗を身に付けていた毛受勝照も手傷を負っていたがまだ無事だった。

「ああ…。何とか助かりましたな俊永殿、これで挟撃ができる」

 しかし勝照と俊永の元にすぐ隆広の忍び白がやってきて合流するよう指示を出した。

“挟撃としても一方が寡兵に過ぎる。我に考えがございますゆえ合流を”

 と隆広の言葉を伝えた。

「勝照殿、美濃殿は我ら柴田の軍師、作戦に従いましょう」

 俊永の意見に頷き、勝照は勝家の旗を掲げた。

「全軍、水沢勢と合流する!」

「「オオオッ!」」

 不破光重も水沢軍の来援に気付いた。

「義兄上(隆広)…! 孫四郎(利長)殿! 義兄上が来た! 援軍にございますぞ!」

「見えてござる…! 見ろやあの羽柴勢の慌てぶりを! わっははは!」

 利長の軍は獅子奮迅の戦いぶりを見せていたが、所詮は多勢に無勢で劣勢に陥っていた。しかしそこへ駆け付けて来たのが水沢軍である。

「まったく義兄上はいつも美味しいところを持っていく!」

「まったくだ。さあグチは後、羽柴を挟み撃ちにしてくれようぞ」

 しかし利長と光重の元にも隆広の忍びの六郎が来て合流する事を下命した。利長と光重に異論は無い。利長は槍を掲げた。

「府中勢、水沢軍に合流だ!」

「「オオオッ!!」」

 羽柴勢もさるもの、急ぎ南に向けて布陣した。そして鉄砲隊が構える。

 

「放てーッ!!」

 隆広の号令と同時、一斉に石礫が羽柴鉄砲隊に叩きつけられ、弓矢が放たれる。水沢軍には幸運にも追い風でもあったのだ。弓の達者でもある奥村助右衛門が隆広の横で弓を射る。前田慶次の強弓が射られる。その間、水沢隆広はずっと羽柴陣の中を凝視していた。そして見つけた。千成瓢箪の馬印を。しっかと指を差す隆広。

「慶次、かの方角に放て!」

「承知!」

 慶次は背から鏑矢を取り、その方角の空に射放った。

 

 ピュウウウウッ!

 

 鏑矢から『秀吉はあそこにいる!』を示す音が響く。羽柴勢は凍りつく。“秀吉様が見つかった!”

「真北! 子の方角に羽柴本陣ありィ! 続けえ!!」

「「オオオオッッ!!」」

 そして水沢軍に向かってくる二つの軍勢、毛受勝照・山崎俊永の軍勢と前田利長・不破光重の軍勢だった。

「生きていたか…! よし! 進軍しつつ合流だ! 両隊はこの美濃の本隊とする。他隊は手はずどおり参るぞ!」

「「オオオオオッッッ!!」」」

 

「落ち着け! 我が軍の方が多勢ぞ! 丹羽隊に衝かせよ!」

「ハハッ!」

 秀吉の下命で丹羽勢が突出した。その時、黒田官兵衛は水沢軍が徐々に陣形を整えながら突き進んで来るのが分かった。

「信じられん…! 水沢軍とて援軍を組み入れた急ごしらえの軍勢のはず…! なぜあんなマネが出来る!?」

 先ほどの鏑矢が同時に陣形構築の合図だった。隆広は采配を振り後方に続く部隊に指図を送っていた。そして羽柴勢眼前で陣形の構築が完了した。軍師の黒田官兵衛は水沢勢が執った陣形を見て驚愕した。

「く、車懸りの陣!」

「あれが!」

 石田三成はかつての主君の執った陣形を見た。そんな陣形を隆広が体得していると知らなかった。

 間髪いれず、車懸りの陣は回転した。総七陣、車懸りの陣は特殊な備え名称がある。先陣蒲生氏郷、左陣九鬼嘉隆、前陣筒井順慶、後陣島左近、右陣稲葉良通、弐陣若狭水軍、堅田連合軍、本陣水沢隆広である。

 丹羽勢が先陣の蒲生勢との激突に備えた瞬間だった。大声では人後に落ちない島左近が隆広愛用の巨大ジョウゴを使い丹羽勢に言い放った。

「何故我らがここに来られたと思う! そなたらの佐和山を落としたゆえ来られたのだ! あーっははははッ!!」

 ハッタリである。この時点で佐和山は落ちていないどころか攻撃さえ受けていない。しかし効果は抜群であった。丹羽勢は左近の言葉を聞いて動きが止まった。本拠地が取られた。妻子は? 父母は? みんな殺されたのか? と動揺著しく呆然とする。敵勢との衝突間近に許されないスキである。

「それ行けやあ!」

「「オオオッッ!!」」

 蒲生氏郷はそれを見逃さない。一気に丹羽勢は総崩れとなった。丹羽勢が蹴散らされると同時に左陣の九鬼勢が突出してきた。そして九鬼勢から筒井順慶に、そして島左近に、まさに上杉謙信さながらの車懸りの陣であった。羽柴勢は午前0時から戦い続けている。睡眠は無論、ロクに食事をとっていない。体力的にも疲れが出てきた。しかも勝ち戦の直後の大奇襲攻撃、士気はどんどん下がっていく。さすがの黒田官兵衛も良策が出ない。

「いかん…我らは疲れすぎている! 付け入るスキがござらぬ…!」

「…佐吉、あやつが上杉謙信と戦った時、謙信はあの陣形を用いていたのか?」

「いえ親父様、あの時は謙信公も狭隘かつ山間の北陸街道に陣取ったので、ただの横陣でした。謙信公からあの陣形を盗みようがないはずなのです」

「ではなぜじゃ…」

「…半兵衛殿でしょう、半兵衛殿が教えていたと!」

 と、黒田官兵衛。

「なんたる皮肉じゃ…! 半兵衛の技が羽柴を追い詰めるとは!」

 

 しかし隆広は竹中半兵衛からも、養父隆家からも『車懸りの陣』を学んでいない。正真正銘、上杉謙信から盗んだのである。しかし実際対峙した時に謙信は車懸りを用いていない。では誰から会得したのか。それはかつて隆広の命を救った上杉の忍者『飛び加藤』つまり源蔵こと加藤段蔵である。

 あの日、源蔵と語り合った時、隆広は彼から上杉謙信とその軍師とも言える宇佐美定行(定満とも)の用兵を教えられた。車懸りの陣においては図上に表して学んだ。上杉の忍び軒猿衆上忍である加藤段蔵は謙信が長尾景虎と名乗っていた時から戦場に共に出ている。隆広は加藤段蔵を経て謙信から『車懸りの陣』を盗んだ。まさに実戦に裏づけされた兵法を教えてもらい、かつそれを理論だけでなく、実戦に用いられるほどに昇華させたのだった。

 そして船上で、各将兵にわかりやすく、かつ升目を埋めるがごとく要所要所を押さえて説明した。そして将兵たちに『これなら寡兵でも勝てる』と云う絶対の自信を持たせるにまで至った。そして何より不敗の上杉謙信に唯一土をつけた男、それが自分たちの大将であり、その男が謙信の『車懸りの陣』を使うのである。

 

 水沢勢は戦場を離れた琵琶湖北岸に上陸し、稲葉勢と合流。濃霧を利用し巧妙に羽柴の背後に迫り、羽柴勢の眼前に至るまで何の妨害も受けずに布陣する事に成功した。

「勝機は我らにあり! 水沢車懸り! 回転し羽柴勢をなぎ倒せ! かかれーッ!」

「「「オオオオオオオーッッ!!」」」

 陣の中心で将兵を鼓舞する隆広。丹羽勢の次は織田信雄、隆広はもう容赦しない。一気になぎ倒された。備えと云うものは大将の統率がモノを云う。この時に隆広の元に集まった将は百戦錬磨の猛将揃い。信雄はなすすべもなく敗走。

 そして寄集めである羽柴のモロさが浮き彫りになってきた。戦場を逃走する兵が続出してきた。羽柴本隊を助けに向かっている蜂須賀と堀の兵も本隊の劣勢を見て逃亡者が出始めた。

 

 この車懸りの陣と呼ばれる戦法は、大将のいる本隊は直接戦闘に参加せず、幾組かに分かれた配下の兵が本陣の周囲を旋回して戦う戦法で、前面の敵には次々と新手が現れるかのように見えるのが妙法。これを繰り返す事によって敵は常に応戦しないといけないが、自軍は休憩を挟む部隊が出来る分有利になる。

 ところが上杉謙信の車懸りは周囲の兵を整然と六軍団『先陣』『左陣』『前陣』『後陣』『右陣』『弐陣』に組織したうえ、『本陣』もまた戦闘に加わる隊形となっているのだ。

 この陣形を考案した謙信は軍神とまで言われた戦国の雄である。配下の軍勢は統率が取れている事にかけては天下一と言っていいであろう。この時の水沢軍はそれに一歩も引けを取っていない。単に模倣で謙信の強さを再現できるはずがない。この陣形の利点を深く理解し、それを具現化できる将帥が隆広の味方に付いたから、こういう戦法が可能であったのである。

 さらに謙信は、常に敵の数を下回る軍勢で戦いながら不敗であった。しかも敵は武田信玄や北条氏康といった名将相手にである。それだけ上杉謙信は強かった。そして、その軍神謙信に唯一土をつけた男。それが水沢隆広である。

 隆広の養父水沢隆家は『戦神』と言われる名将であったが、隆広もその異名を世襲して遜色ない。戦神が軍神の作戦を使ったのである。この車懸りを後の歴史家は『連携が困難極まり、かなり危険な大ばくちだったのでは』と評することもあるが、隆広には車懸りを使った根拠がある。余呉湖に面した盆地平野と云う車懸りを使うに適した地形で、羽柴軍将兵の疲労、氏郷を始めとする用兵に通じた熟練の将たち。兵数は羽柴勢の半分であるが戦局を逆転させたうえ、羽柴勢に大きな痛手を負わせる好機である。隆広は迷わず、己の知る陣形の中で、もっとも攻撃力のある車懸りで一気に羽柴勢を打ち破ることを決めた。

  影の立役者もいる。隆広三百騎である。連携は至難の技の車懸りの陣であるが隆広の誇る、彼ら精鋭たちが大小の各備えに就いて連携の役を担っていた。隆広の初陣から付き従う三百騎は己が大将の戦の呼吸を分かっていた。ぶっつけ本番で車懸りの陣が最大の攻撃力を発揮できたのは、かつて『北ノ庄のぐれん隊』と呼ばれていた不良少年たちが一級の武人となった証と言えよう。

 

  羽柴勢はなすすべなく、次々と突破された。軍勢は羽柴の方が多い。しかし疲労と空腹がたたり、そして寄集めである事が致命的となった。勝っている間は寄集めの兵も精鋭と化す。しかし敗色が濃くなれば逃走し、最悪敵に回る。

 

「退け、退けーッ!!」

「逃げろーッ!」

 回転しながらも、その進軍は速い。この謙信流の車懸りの陣は総大将にも順番が回ってくると言う他の陣形にはない点がある。だから川中島の合戦で上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが実現されたと言うべきだろう。総大将が前線に出ると出ないでは士気がまるで違う。そして水沢軍本隊手前の弐陣を務める水軍衆が戦っている部隊は山内一豊の部隊だった。斉藤龍興の軍才が昇華する。海と陸の合戦の技をうまく使いこなし山内軍を翻弄する。そして山内勢から風のように去っていく。だがその後には水沢勢が山内勢に突撃を開始する。

「次が敵の本隊ぞ! 水沢美濃守が首を上げ、功名を立てよーッ!」

 山内一豊、兵を鼓舞するも、もはや兵たちの疲労や空腹は極限だった。水分すらロクに補給していない。それに対して本日初めて戦闘に入る水沢本隊が突撃するのである。もはや勝敗は明らかだった。

 水沢軍本隊が前面に出ると同時に、投石部隊の石礫と藤林忍軍の苦無が山内勢を襲った。すさまじい破壊力に肝を冷やす山内勢。敵の士気が落ちた。投石部隊の面々は投石だけが武技ではない。各々が元武田武者である。甲州流の槍術や介者剣法も体得している。そして鍛え抜かれた槍襖隊が突進する。水沢勢は安土の留守部隊もいるため、ここには二千しかいないが、柴田家最強と言われたのは伊達ではなく、まさに少数精鋭である。それに加えて敗戦必至の戦場で死を覚悟して戦っていた毛受勝照、山崎俊永、前田利長、不破光重の隊が本隊に組み込まれている。『戦国後期最強の軍団』と呼ばれた水沢勢の強さはこの賤ヶ岳の戦いで発揮された。

 

 水沢軍と山内軍が激突した。山内勢は疲労困憊しているうえに水沢勢と遭遇と同時に強烈な石礫と苦無をくらって士気は激減している。

「丸に三つ葉柏…一豊殿!」

「歩の旗…美濃殿…!」

 隆広にとって、羽柴の大将で一番戦いたくない人物だった。それは一豊も同じだろう。

「「戦いたくない…! だが是非に及ばず!」」

 圧倒的に山内勢は不利な展開。しかし一豊には退けない戦いである。

「一豊殿―ッ!」

「美濃殿―ッ!」

 

 ギィィンッ

 

 隆広の槍と一豊の槍がぶつかった。馬上で槍を交える両雄。槍の名手と言われる一豊であるが、隆広も甲州流の槍術を会得している。負けていない。二合、三合打ち合い、そして一豊の槍の一閃を隆広は掴み取り叫んだ。

「…お退きを!」

「聞けぬ!」

「一豊殿!」

「問答無用! 今の美濃殿は娘の命の恩人ではない! 敵じゃ!」

「どうあっても…!」

「未練ぞ美濃殿! これも戦場のならい、戦場で槍を交えた以上、決着は死以外にない!」

「一豊殿!」

「もはや言葉は不要でござる!」

 槍を隆広の手から取る一豊。しかし、もう息は絶え絶えである。本調子ならば隆広に後れを取るような一豊ではない。しかし六時間以上も戦い続けているのである。しかもその前は岐阜からの大返しのため眠っておらず食事も取っていない。反して隆広は安土でたっぷり眠っており、船のうえで仮眠と食事も取っている。この戦いも瀬田の合戦同様に疲れが勝敗を決めたと云える。

 倒せる、討てる…! 隆広は思った。だが隆広の脳裏には一豊の妻千代と娘の与禰姫の笑顔が浮かぶ。友ならばこそ遠慮してはならない。普段は分かっている隆広だが千代と与禰姫が泣く顔を見たくなかった。しかし握る愛槍『諏訪頼清』を自分にくれた槍術の師である諏訪勝右衛門は言った。

“そんなマネは武士の情けではない。相手を余計にみじめにするだけなのだ”

 愛槍から再びそれを教えられた思いの隆広、もう彼は迷わなかった。山内一豊は敵なのだ。千代と与禰姫の憎悪を受けて生き続けようと。

「うおおおッ!!」

 愛槍『諏訪頼清』は山内一豊を貫いた。

「み…見事なり…!」

「…一豊殿…!」

「与禰を…頼む…」

「…承知いたしました」

 崩れるように落馬した一豊。隆広は一豊に一礼し、そして走り去った。

 愛妻千代の秘蔵していた黄金十枚で買った愛馬太田黒。一豊の元を離れない。寂しそうな声で鳴き、顔を主人一豊に近づける。その愛馬の顔に触れる一豊。

「今まで…ようワシを乗せて駆けてくれた…。礼を申す…」

 そして薄れて行く意識の中で思った事、それは愛しい妻と娘だった。

(一豊様♪)

(父上~)

 妻と娘も一緒に抱きしめるのが大好きだった一豊。

(与禰…千代…)

“お命の持ち帰りこそ、功名の種にございます!”

  無事に凱旋すると、いつも愛妻が満面の笑みで言ってくれた言葉。

(持ち帰れなんだな…許せ…千代…)

 山内一豊、壮絶な討ち死にであった。


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