羽柴本陣に凶報がもたらされた。
「も、申し上げます! 山内伊右衛門(一豊)様、討ち死に!!」
「か、一豊が討ち死にじゃと…!」
「水沢美濃守に討ち取られました!」
「何たる事じゃ…!」
山内勢を蹴散らした水沢軍に続いて蒲生勢が車懸りで突撃を開始した。稲田大炊助、前野将右衛門の軍勢も車懸りの連続した突撃になす術がなかった。岐阜からの大返しと長時間の戦いによる疲労、それに加えて食事も取っておらず、かつ車懸りの陣は次々と新手を繰り出してくるかのような戦術。兵の逃亡は相次ぎ、いよいよ兵の多寡は水沢勢の方が逆転してしまった。いや、今まで敵として戦った羽柴兵も戦局を見て水沢勢に組したのも多かったのである。
一方このころ、
「殿―ッ」
戦場を離れ、北ノ庄に向かっていた勝家一行に山崎俊永が追いついた。彼は隆広の指示を受けて戦場を離脱して北ノ庄城に向かう勝家を大急ぎで追ったのだ。そして追いついた。わずかな供しか連れてこずに自分を追いかけてきた俊永を見て勝家は馬をとめた。
「ハァハァ…」
「どうした俊永?」
「お、お、お喜びを!」
「なに?」
「美濃殿、援軍に駆けつけてございます!」
「なんじゃと!」
「蒲生氏郷軍、九鬼嘉隆軍、筒井順慶軍、稲葉良通軍、若狭水軍、堅田衆を引き連れ羽柴勢を急襲!! さらに車懸りの陣を布陣し羽柴勢に回転し突撃! 羽柴勢は敗走相次ぎ、総崩れも間近! 戦局一転にございます!」
「なんと…」
勝家と一緒にいた柴舟は嬉しさのあまり、手を打って喜んだ。俊永が続ける。
「殿! 急ぎお戻りを! 毛受殿も、前田の若殿も美濃殿と合流して奮戦中にございます!」
「なんと云う男じゃ…! 隆広、そなたを褒める言葉すら見当たらぬ!」
「殿! 急ぎ戦場に戻りましょう!」
「あい分かった才蔵! 戻るぞ!」
勝家はすぐに戦場に引き返した。柴舟も共に戻る。
(隆家様! もはやご養子殿は貴方様を越えましてございます!)
右翼と左翼の掘隊と蜂須賀隊も駆けつけた。しかしそれでも戦局を有利に持っていく事は出来なかった。
疲労は羽柴本隊に比べれば岐阜城からの大返しがないだけマシな状態ではあるが、子の刻(午前0時)から戦い続けていたのである。相手は倒したとは云え柴田勢。そう弱卒はいない。負傷者も多かった。しかも大勝利を味わい損ねた羽柴勢の士気は低い。
そして一隊二隊三隊と崩れれば、あと何段の備えがあってもムダである。士気は激減して軍勢は離散する。
「た、助けてくれーッ!」
「とても敵わねえーッ!」
「逃げるな! 智慧美濃とて人間ぞ! 智慧美濃さえ討てば敵勢は崩壊する! 踏みとどまって戦え!」
兵を叱咤する堀秀政。だが一旦こうなってしまってはどんな名将も軍を立て直す事はできない。蜂須賀勢を見るとどうやら似た状況らしい。歯軋りをして悔しがる堀秀政。かつて主君信長から聞いた事があった。
『久太郎(秀政)、大将たる者はのう。戦においては敵が出てくるだろう思うところには決して出ずに敵に骨を折らせ、敵がよもやそこには出ないだろうと云うところに出て勝利を得る。このように敵にも味方にも本意を見透かされぬようにして意表を突く事こそ真の大将の心掛けぞ』
「大殿…。羽柴は…久太郎は見事にそれをしてやられましたぞ…」
そして柴田勝家が再び戦場に戻ってきた。
「あれが隆広の車懸りか…。見事じゃ、もはやワシらの入り込む余地がないわい」
と、一分のスキもない息子の陣形を褒めた。
「ここは狐塚の前に布陣しました内中尾山。床几場を構えるがよろしかろうと。それがしは隆広と合流いたします」
「うむ、頼むぞ才蔵」
「はっ、俊永殿、殿とここに」
「承知いたした」
「才蔵、隆広にこれを渡せ」
「はっ」
可児才蔵は隆広の陣に向かった。無論、柴舟も。内中尾山に柴田勝家の『金の御幣の馬標』が高々と上がる。勝家帰陣で水沢勢は湧きたった。
「隆広!」
「可児様!」
可児才蔵が隆広本陣に来た。
「おおッ! 毛受様もご無事とは!」
「ははは、危機一髪のところを隆広に助けてもらったわ」
「それにしてもよく間に合ってくれた! そなたの援軍なくば柴田は負けていたぞ。殿も大喜びしとった!」
「はい!」
「それにしても車懸りか、武人として一度その陣で戦ってみたかったのだ。血が滾ってならぬ」
「それがしも初めて使いましたが、何とか謙信公に合格点はもらえるかなと」
「ははは、ああそれと…もはや合戦の指揮はそなたが執れとの事だ」
勝家の軍配を隆広に渡す才蔵。
「殿の軍配、それがしが殿をさしおいて…」
「何を恐縮しとる! 頼りにしておるぞ総大将!」
隆広の背をドンと叩いて才蔵は水沢本陣に組み入った。
「柴舟、今までの働き感謝している」
「お褒め恐縮、ですが続きはあと、殿いざ参りましょう!」
「オレに後れをとるなよ!」
「お任せあれ!」
そして車懸りは再び総大将の隆広が前面に立った。可児才蔵は今まで劣勢の鬱憤を晴らすかのように暴れまくった。戦場には才蔵が討ち取った目印となる笹の葉を加えた羽柴将兵の死体がいくつもあった。豪傑『笹の才蔵』さすがであろう。柴舟も息子の白と一緒に八面六臂の活躍を示す。隆広は柴舟が傍らについてから一度も槍を使う必要がなかったほどだ。
「権六めが内尾中山に戻ったと?」
勝家帰陣の知らせは秀吉にも届いた。しかしもう羽柴勢には後方の内尾中山を急襲するだけの余力がない。
「猪(勝家)の得意そうな顔が浮かぶわ! 智慧美濃なくば…隆広がおらずば権六ごときに!」
車懸りによって、すでに加藤清正、福島正則、加藤嘉明、脇坂安治の軍勢も事ごとく蹴散らされた。だが意地の一戦か、敢然と挑んだ武将がいた。一度は九鬼勢に蹴散らされたが残存兵を組織し、車懸りの前に回りこんだ。仙石秀久だった。胸には戦場に行く前に妻の蝶がくれたお守りがある。それを握る秀久。
「蝶…! オレを男にしてくれ!」
愛槍『諏訪頼清』を持ち駆けてくる馬上の水沢隆広。子供の頃の仙石秀久が憧れた水沢隆家を見る思いだった。
「皮肉だ…。隆家様に憧れて斉藤家の武士になったオレが…今その隆家様のご養子と戦おうとはな! だが退けない!」
弓矢を持った秀久、これで隆広を射ろうと矢を引いた途端に弦が切れた。今までの乱戦で弦が破損していたのだろう。
「ふはは、飛び道具は不粋と云う事か!」
弓を捨て槍を構え、水沢隆広に挑む秀久。だが主人隆広に弓矢を引こうとした武将を前田慶次が見逃さなかった。隆広の前に立ち塞がり、そして秀久に向かい鬼神を思わせる形相で迫る。それに気付いた秀久。羽柴軍の先駆けとして多くの戦場の修羅場を越えてきた秀久も本調子ならば慶次と五分に戦える男である。しかし彼はあまりに疲れすぎていた。負傷もしている。気合ではどうにもならない。だが自らを感奮興起させる秀久。
「我こそは仙石権兵衛秀久! 羽柴の先駆けなりい!」
かつて稲葉山城落城の時、柴田勝家の軍勢の中を一騎駆けした猛将である仙石秀久。柴田勝家も評価し認める武人である。“これは良き敵”と慶次は朱槍をしごいた。
「我は前田慶次郎利益! 相手にとって不足なし!」
双方巨漢で知られた豪傑、二合三合と槍でせめぎ合う。慶次の頬が秀久の槍がかすめた。だがそこまでだった。慶次の一閃が秀久の腹部を切り裂いた。
「ぐああッッ!!」
落馬し、秀久の身は敵の水沢勢に踏まれた。慶次も、そして隆広も振り向かなかった。
(蝶…。やっとお前がオレの子を生んでくれるのに…)
「大丈夫か平馬…」
「ああ、何とかな…」
羽柴本陣で大谷吉継は石田三成から手当てを受けていた。重傷ではないが痛みは著しい。
「強い…」
「え?」
「水沢本隊と戦った…。水沢本隊と柴田残存兵がまるで一つの巨大な生き物のように襲いかかってきた…。オレも清正も正則も…なす術がなかった」
「そうか…」
羽柴勢は逃走相次ぎ、かつ将兵の討ち死に相次ぎ、敗北は必至だった。さしもの名軍師黒田官兵衛とて一発逆転の作戦などありようがない。
「無秩序に後退するな! バラバラに戦って勝てる相手ではない! 陣列を組んで食い止めよ!」
しかし、そんな官兵衛の叱咤も届かない。無念のあまり采配を地に叩き付ける官兵衛。
「何が美濃を助けようだ官兵衛! とんだ思い上がりをしくさり恥を知れ!」
自らを怒鳴りつけた官兵衛だった。そして秀吉も無念のあまり足を何度も地に叩き付けた。
「何たる事じゃ…! 九分九厘勝っていた戦をひっくり返されるとは!」
「親父様! もう持ち堪えられませぬ! 姫路にお引きを!」
「どうやって退くと言うのじゃ佐吉! 後方には権六があるわ!」
「細川にも我らの敗戦が耳に届くはず、海での帰途は無理にございます。西に向かい敦賀街道に入って若狭に抜け丹波、摂津を経て播磨に入るしかございません。越前と若狭の道ならば佐吉存じております! ここは退いて再起を図るしかございませぬ!」
「いいや、ワシも戦う。この後におよんで逃げては再起など夢物語じゃ!」
「親父様! 佐吉の言うとおりにして下され!」
と、加藤清正。はじめて清正が三成の述べた事に同調した。
「清正殿…」
「か、勘違いするなよ! お前にしては名案だと思ったから賛同したんだ!」
「親父様、この市松も同感でございます。ここは一旦退かれませ! 我らがここに留まり撤退の時間稼ぎをいたしますゆえ!」
考えている余裕はない。もう秀吉本陣の目前に水沢勢は迫っている。
「官兵衛様、佐吉。親父様を頼む!」
「正則殿…!」
「佐吉、再起にはお前の能吏としての手腕が必要だ。オレや虎(清正)にはそういう才能はない。だから頼むんだ。さあ行け!」
「清正殿…正則殿…!」
「よし、虎と市松、オレも戦うぞ」
「平馬、お前も親父様と行け」
と、加藤清正。
「なに?」
「お前は兵站(後方支援)が佐吉同様に達者だし、戦もオレたちには劣るが中々のものだ。お前は羽柴の再起に必要な男だ」
「それを言うならお前らとて!」
「オレたちは今ここで戦い、親父様の撤退の時間を稼ぐのが務めだ。悪いがお前一人いたとしてもそう変わるものでもない」
「虎…」
「さあ時間がない! 行け!」
最後に清正は秀吉を見た。
「親父様、虎之助(清正)は…生まれ変わってもまた、親父様の下で働きとうございます」
「虎、市松!」
「これにて御免、さあ参るぞ市松!」
「おう!」
こうして秀吉は涙ぐみながら苦渋の撤退を開始した。石田三成、黒田官兵衛、大谷吉継が共に行った。その後、加藤清正と福島正則は懸命に戦った。しかし衆寡敵せず、討ち死にして果てた。蜂須賀正勝、稲田大炊、前野将右衛門も討ち死にして果てた。まさに羽柴勢は二度と立ち直れないほどに叩きのめされた。
一方、海上にいる細川の水軍。当主の忠興に報が入った。
「安土城にいた水沢軍が琵琶湖を返して羽柴軍に急襲! 水沢軍には蒲生、九鬼、筒井、稲葉が加勢し、ほぼ総崩れにございます!」
「なにぃ…!」
「さらに!」
「さらに何じゃ!」
「岐阜城の滝川一益、森長可が美濃守の要請に応じて大垣を攻め、落城も時間の問題との報告が入ってきております」
「…」
忠興は無念に目をつぶる。
「かような天下分け目の大合戦に、何の働きも出来なんだ事。悔やまれてならぬ」
しかし海にいて何もしなかったから、生き残れたと云えるだろう。
「…わずか一日で戦局がひっくり返ったか」
「忠興様!」
「丹後に引き上げじゃ」
「はっ!」
細川忠興は家臣に退却を命じた。
「宮津に帰る!」
「「ハハッ」」
蜂須賀の軍と共にいた織田信忠の子である三法師。すでに輿に乗せるゆとりもない羽柴兵は歩いて付いて来させた。しかし幼児には無理である。
「もう歩けない」
「じゃ勝手に野良犬にでも食われろ」
と、兵に見捨てられた。
「待て、待って~。三法師を城に帰して~ッ!」
泣きながら訴えるが、敗走する羽柴兵は耳を貸さない。日中だが山の間道を伝っての敗走。道も分からない三法師は迷い、やがて倒れた。
(母上…)
身勝手な大人に利用された挙句に捨てられた哀れな稚児三法師だった。
羽柴勢は壊滅、敗走した。柴田軍大勝利である。隆広は馬から降りて腰を伸ばした。
「何とか勝ったか…。ふう」
「殿、見事にございます」
「ありがとう助右衛門、そなたが前野将右衛門殿、慶次が蜂須賀正勝殿を討ったらしいな」
「御意に、手強い御仁でしたが何とか」
「隆広~ッ!」
勝家が来た。隆広はひざまずいた。それを立たせて手を握り肩を抱いた。九分九厘、いや完敗して死をも決断した勝家。それを救ってくれたのが息子である。父親としてこんなに嬉しい事はない。
「でかした! でかしたぞ! そなたのおかげじゃ。礼を申すぞ」
「もったいない仰せにございます」
「褒める言葉すら見あたらぬわ…。そなたは柴田の守護神よ!」
援軍諸将も集まってきた。
「おお…! 氏郷殿、嘉隆殿! それに順慶殿に一鉄殿までもが!」
四将も勝家にひざまずいた。氏郷が
「修理亮(勝家)殿、ご無事で何より」
と述べた。勝家は
「貴殿らのおかげじゃ。よう二千ちょいの手勢しか持たぬ美濃に加勢してくれたな」
「いや、ただ筑前がきらいなだけでござる」
と、筒井順慶。ドッと笑う援軍諸将たち。
「それにしても美濃、見事な采配であった。親父(隆家)も今ごろあの世で養子の自慢でもしていよう」
「ありがとうございます稲葉様、ですが勝てたのは皆さんが車懸りを使いこなして下されたゆえにございます。感謝しております」
「そうじゃな! 厚き褒賞をもって報いたい! 後日安土へと来ていただきたい!」
「「承知しました!」」
勝家の言葉に四将が答えた。大勝利である。五万の羽柴勢に半分以下の軍勢で奇襲をかけて見事に勝った。
「ところで隆広、その方、追撃を下命しておらんらしいな」
「はい、だいたい逃走経路は分かっております。追われる羽柴は必死にござれば、今逃げている道は山々の間道、追尾してくる者を待ち伏せして討つでありましょう。しばらく見送り、柴田の追撃がないと安心させ、それから行く方が思わぬ反撃も食らわずに済みます。しかし、三法師様を探させる事だけは下命してございます」
「左様か」
「申し上げます!」
使い番が来た。」
「この戦場から少し離れた砦に羽柴の一隊がございます」
隆広と勝家は顔を見合った。
「逃げ遅れたのか」
と、勝家。
「そのようにございます。今、敵勢を確認させておりますが…お、参りました」
「申し上げます。あれなる石焼山の砦、柴田勝豊様の軍勢にございます」
「なに?」
勝家の顔が険しくなった。
「勝豊か!」
「どうなさいましょう…。元は同じ柴田の…」
「どうもこうもないわ美濃、才蔵ワシと参れ。裏切り者は養子と云えど許しおかん!」
「はっ!」
「ワシ自ら討ち取ってくれるわ!」
だが勝家の出陣の前に勝豊から降伏の使者が来た。勝家は呆れ、そして激怒した。
「どこまで腑抜けじゃ! 裏切った家に降伏など武人のする事ではないわ!」
しかし、どうであり降伏を望んだ者は受け入れるのが当時としては暗黙の了解となっていた。時に見せしめのために受け入れず皆殺しにした事例もあるが、さすがに元養子にそれは出来ないか、勝家、そして隆広も降伏を受けた。石焼山から勝豊の軍勢は降りだし、そして一隊が勝家と隆広の元へと歩いてきた。
「ワシは会わんぞ勝豊に!」
「い、いや、そうも参らないでしょう」
「いーや会わん! だがどういう言い訳をお前にするか兵にまぎれて聞いてやる」
「はあ…」
「美濃殿」
「どうされた貞通殿」
稲葉一鉄の嫡男の貞通、隆広に訊ねた。
「伊介(勝豊の通称)殿の妻はワシの娘…。安否は分からぬか?」
「滝川と森勢が大垣に攻め込んだ事は報告で聞きましたが、長浜と佐和山にはまだ手付かず。しかし羽柴敗退を知れば二つの城も降伏しましょう」
「確かにのォ」
「ですが…婿の勝豊殿の助命は難しいかと存ずる。おそらく殿は腹を切らせるでしょうし…」
「…それも仕方あるまいの…。敵に寝返ったのは確かなのであるから。お、来たようにござるぞ」
隆広の床几場に近づく勝豊一行に一つの大きな輿があった。
「輿…?」
その輿の中に誰がいるかを見た隆広。勝豊である。しかしかつて見た勝豊と違う。痩せ細っていた。勝豊は病魔に侵されていたのだ。勝家もそれをこの時はじめて知ったのだ。
「それがし、柴田勝豊家臣、大鐘藤八郎と申す」
「水沢隆広にございます」
「主人は見ての通り…病に侵されております。手前が代わって降伏の口上を」
「そうでしたか…。病はいつから?」
「秀吉に降伏する前から咳き込みが激しく…。この戦場に陣を構えてから悪くなる一方で…」
「……」
「筑前は殿に将兵だけ置いて長浜に帰れと申しましたが…殿は入れず今までここに…」
「こ、降伏じゃと…」
輿からか細い声でそう聞こえた。
「だ、誰が降伏などするか…」
満足に動けない勝豊は蓑虫のように体をくねらせ輿から出た。地に這いつくばりながらも目は隆広を睨んでいた。
「殿、さきほど降伏すると仰せになられ…」
「うるさい!」
大鐘藤八郎に怒鳴る勝豊。そして刀を杖にやっとの思いで立ち上がった。
「ふ…隆広。見事な逆転勝利よな。だがまだオレがいるぞ…」
「……」
「なんだその目は、オレを哀れんでいるのか? ふざけるな! キサマに哀れみを受けるほど柴田勝豊落ちてはおらんぞ!」
「殿、もうおやめ下さい!」
「寄るな!」
肩で息をする勝豊。鎧も付けられないので肌着しか着ていない。しかし真っ白な肌着はそのまま勝豊の死に装束とも取れる。
「オレは病などで死なぬ…隆広…」
「はい」
「勝負だ」
「お相手つかまつる」
柴田勝豊は刀を抜き、鞘を捨てた。隆広の部下たちが止めようと動こうとした時、
「よせ」
勝家が小さな声でそれを制した。
(そうか…。お前はもう自力で自害もできぬほどに…)
息も絶え絶えに、やっとの思いで立ち刀を構える柴田勝豊。そんな姿を見て養父勝家は裏切られた気持ちなど飛んでしまった。
(お前は…隆広に斬られに来たのだな…)
水沢隆広も刀を抜いた。賤ヶ岳の合戦、その後に起きた果し合い。静かに将たちは見届けた。
「元柴田家家老、柴田勝豊」
「柴田家家老、水沢隆広」
「「いざ!」」
勝負は一瞬でついた。隆広の放つ胴薙ぎの横一閃が勝豊に入った。
「見事なウデよ…。痛みすら感じぬわ…」
勝豊はそのまま倒れた。隆広は勝豊を抱き上げた。
「ふ…。よりによって…お前の腕の中で死ぬとはな…」
たまらず隆広は言った。
「あ…兄上…!」
「ふふ…。オレを…兄と呼んでくれるのか…」
「我らは共に柴田勝家の息子ではないですか!」
「…許してくれ…。オレはお前に冷たく当たってばかりで…兄らしい事はおろか…先輩らしい事も何一つしてやれなかった…。オレはお前が怖かった恐ろしかった…。そして羨ましかった…」
「兄上…!」
「心残りは…父上をお助けするどころか秀吉に寝返った事…! 願わくばオレの手で…! 秀吉の首を取って父上に届けたかった…!」
涙ながらに心の慟哭を叫ぶ勝豊。隆広は勝家に向いた。勝家は勝豊に寄り
「勝豊…!」
隆広は勝家に勝豊を抱かせた。
「ち、父上…!?」
「許す…」
「あ、ありがたき…幸せに…!」
柴田勝豊は静かに息を引き取った。勝家も隆広も、そして居合わせた将兵たちも手を合わせた。不仲と言われた親子の勝家と勝豊。そして同じく不仲だった隆広と勝豊、お互いが分かり合えた時は勝豊の最期の時だった。
「愚かな父を許せ…」
後日談となるが、勝豊の妻の志摩、彼女は稲葉貞通の娘であるため、実家の稲葉家に戻り勝豊の菩提を弔い、余生を送った。また息子二人。当時長男伊介六歳、次男権介四歳、彼らは柴田家で大切に育てられ、後年に水沢隆広の嫡子竜之介に仕える事となる。年下の主君を兄弟で盛り立て、竜之介の父である水沢隆広にも信頼されたのだった。
勝豊の最期は我ながら好きなシーンなんですよ。