賤ヶ岳の合戦、柴田軍は勝利した。総大将の柴田勝家が勝どきをあげる。
「エイエイ、オー!」
「「エイエイ、オーッ!」」
一度は完全に敗北した柴田軍。それをひっくり返した隆広の武勲は大きい。柴田陣ではすぐに首実検の場が作られた。各々の武功が軍忠帳に記されていく。
柴田勝家は隆広と共に援軍に来てくれた将たちに丁重に礼を述べた。援軍諸将は後日に安土で行われる論功行賞を楽しみにしながら帰途へと着く準備を始めた。船で安土まで送ると述べられたが、少し船は窮屈だったようで、時間的制限のない帰途については拒否されてしまった。自分の軍勢をまとめ、負傷兵の治療と休息を取っていた隆広。そこに時間差を置いて援軍諸将が訪ねてきた。
「美濃殿、『鉄砲車輪』の伝授、かたじけのうございました」
と、蒲生氏郷。
「いえ、ですが野戦で使うには中々難しいと存じますが」
「確かに」
苦笑する氏郷。
「ですが篭城戦では無敵の破壊力を持つ事はこの目で見ておりますゆえ」
「はい」
「それゆえ、蒲生が『鉄砲車輪』を使う時がなきよう祈るだけですな。あっははは!」
隆広と握手を交わし、蒲生氏郷は居城の日野城へと帰っていった。
「美濃、安土に行った時には是非お福に会わせてもらいたいのじゃが…」
軍勢をまとめ、同じく居城の曽根城に帰る準備をしている稲葉勢、その準備の中、稲葉良通が隆広を訪ね要望してきた。
「無論です一鉄様、貴殿の孫娘にございませんか」
「左様か、お福は美濃になついておるか?」
「はい、最初は中々心を開いてくれませんでしたが今は」
「そうかそうか、お福の母の安もそりゃあ幼い頃は美少女であった。会うのが楽しみじゃ」
そう笑って、隆広の肩をポンと叩き良通は帰途へとついた。
「今度は海の戦で当家に援軍を請うてもらいたいですな美濃殿」
「とはいえ…そう海戦があるとは…」
九鬼嘉隆の要望に困る隆広。
「はっははは、冗談にござる。ところで美濃殿は商売にも長けてらっしゃるそうな」
「浅学ですが」
「今後、柴田は日本海と琵琶湖だけでなく太平洋の方にも交易の手を伸ばす事もできましょう。是非当家を用いていただきたい」
「本当ですか!」
「本当ですとも、柴田の交易船に指一本触れさせない事をお約束いたしまする」
「ありがたい!」
嘉隆の手を握る隆広。
「いやいや、この世は持ちつ持たれつにござる。あっははは!」
最後、筒井順慶主従と会った隆広。
「順慶殿、安土城といい賤ヶ岳といい、助かり申した」
床几に座りながら深々と頭を下げる隆広。
「いや、以前に飛騨(氏郷)殿の申したとおり、勝つ方に味方しただけにござる。のォ左近」
「御意に。ところで美濃殿…」
「はい」
「筒井に人はいましたかな?」
以前に隆広が『筒井に人は無き』と言った事をチクリと刺す左近。隆広は笑みを浮かべ首を振り
「手前の失言にございました。筒井殿には左近殿、柳生厳勝殿と良き人材、いえ良き人物がついております。また左近殿の働きは安土でも賤ヶ岳でも目覚しいもの。先の言は取り消させていただきまする」
そう素直に謝った。
「美濃殿、我らへの使者に立っていた六郎でござるが」
と、順慶。
「六郎が何か?」
「あれは良き男でございますな。腕も立ち、思慮深い」
「これは…六郎が聞けば喜びましょう」
「今度また、筒井に使者立つ時は彼にして下され。手前も左近も実に気に入り申した」
「承知しました」
そして筒井勢も賤ヶ岳を後にした。同じ頃、柴田本陣も少し落ち着いてきたので隆広は勝家に呼ばれた。そしてこの時に隆広は改めて安土の築城が完了した事と、安土城の攻防戦について報告した。
「ふむ、分かった。ワシは一度北ノ庄に戻り妻子を連れて安土に入城する。今、安土は誰が預かっている?」
「当家の兵一千ちょいと、援軍諸兵から五百づつ出してもらい、おおよそ二千五百弱の兵、大将はみんな連れてきたので工兵隊の辰五郎とそれがしの家内が…」
「そりゃ急がないといかんな」
苦笑する勝家。
「分かった、可児才蔵と山崎俊永は北ノ庄に戻らせず、このまま安土に向かわせる。ワシもなるべく早く安土入りしよう。美濃そちは…」
「申し上げます!」
白が来た。
「おお、美濃が忍びであったな。なんじゃ?」
「三法師様、発見いたしました!」
勝家と隆広は顔を見合った。
「そうか! 見つけたか!」
「はい、多少擦り傷はあるものの無事との事でした」
「良かった…」
ホッとする二人。
「ただいま、六郎が連れてこちらに向かっております」
「よし美濃、岐阜城にいるご生母の徳寿院様に知らせよ」
「ははっ」
「信雄様には弓引きし柴田だが…三法師様には何の罪も無い。織田の嫡流は守れて本当に良かった。もう我らの事情で振り回さず、健やかにお育てしなければならぬ」
「御意、ところで殿…」
「ん?」
「前田様と金森様の離脱ですが…」
「…お前ならどうする?」
「え?」
「お前がワシの立場ならどうするかと聞いておる」
「前田様は息子利長の活躍をもって…と出来ますが、金森様は…」
「そうじゃの、又佐(利家)は元々秀吉と親友であるし戦いたくなかったと云うのも分かる。加えて利長の活躍で何とか庇いようはある。しかし長近は筑前と事前に絵図が出来ていた。許すわけにはいかんな」
「はい…」
「長近は本能寺の変で息子の長則を失い…表には出さぬが少し精神的に参っていたやも知れぬ。大切な一人息子じゃからのォ。冷静な判断も出来なかった…と云う事もありうる。しかし敵に通じていた者を許すわけにもいかん。断固処罰する」
「はい」
「おお、さきの話の途中じゃ。美濃、そなた筑前が逃げる道を見込んでいると申したな」
「はい」
「時を置いて追った方が良いと申していたが…追いつける根拠があって申したのだろうな」
「追いつけると云うより先回りにございます。羽柴は敦賀街道に抜けて、若狭、丹波、摂津と入り播磨に入るかと。我らは琵琶湖の水路を用いて湖西に降り、山陽道を目指し摂津と播磨の国境で待ち伏せまする」
「よし、中村文荷斎の倅の武利を目付けにつけるゆえ、すぐに向かえ」
「承知しました」
隆広は柴田本陣から立ち去り、追撃の準備にかかり、そして出発した。
賤ヶ岳の戦場。柴田勝家は北ノ庄に帰る前、可児才蔵を伴い改めて戦場を見て回っていた。
「両軍ずいぶん死んだな。いずれ廟でも作るとするか…」
「羽柴兵の鎮魂も含めてでござるか?」
「無論だ。仏になれば敵も味方もないわ」
「確かに…」
その勝家と才蔵がまだ息のある羽柴兵を見つけた。その兵は羽柴本陣のあった方に向かい、腹ばいで進んでいた。もう合戦の勝敗がついたのも分かってはいなかった。
「才蔵」
「はっ」
介錯をしようと才蔵がその羽柴兵に近づくと
「ん?」
才蔵には知っている顔だった。
「権兵衛?」
「なに?」
勝家も歩み寄った。
「おお、仙石権兵衛ではないか」
「お、おお、閻魔様か…アンタは?」
「ワシじゃ権六勝家じゃ」
美濃稲葉山城落城の時も、仙石秀久はこうして倒れていたところを柴田勝家に拾われた。たった一騎で織田軍に突撃してきた当時十五歳の仙石権兵衛を勝家は気に入り、助けたのだった。
「また同じ場面で会ったのォ権兵衛…」
可児才蔵もまた織田家の兵士教練で秀久とは何度か木槍を交えている。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退、そして小谷城攻城戦の時、何故か可児才蔵は羽柴勢に加勢して、仙石秀久とは生死を分かち合った。羽柴と柴田の敵味方に別れても才蔵と権兵衛は朋友であった。
「こんな形で再会したくはなかったな、権兵衛」
「可児か…。それはお互い様だ」
秀久の姿を見ると、もう助かる負傷ではない。勝家は秀久を抱き上げた。
「権兵衛、何か言い残す事はないか…?」
「つ、妻の蝶に…」
「奥方に?」
「『丈夫に育てよ』と…」
「分かった。必ず伝えよう」
仙石秀久はそのまま息を引き取った。才蔵は手を合わせた。
「見事なり権兵衛、そなた負傷した体を引きずってでも、羽柴の本陣に向かっておった。何とか主君秀吉を守ろうとしたのだな。柴田の将兵も手本とせねばならぬ…誠の武士よ…」
「真じゃ才蔵、筑前にはもったいない男よ」
丁重に弔おうと思い、勝家は秀久の亡骸を腕に抱いて持ち上げ、本陣へと歩いていった。木陰にもたれ身を休めていた佐久間盛政、仙石秀久を看取る伯父の勝家を見ていた。
「…ゴンベエ、お前も逝ったか…」
佐久間盛政と仙石秀久は三方ヶ原の合戦で共に戦った事があった。二人で鬼美濃と呼ばれる武田の馬場信房の軍勢に佐久間信盛勢の先駆けとして突撃した。
「鬼美濃は何とか凌げたが…智慧美濃にはお互いやられたな…。フッ我らにゃ『美濃』と云う名は鬼門だな。ふっははは」
よいしょ、と盛政は槍を杖に立ち上がった。
「ゴンベエ…。楽しかったよなあ…三方ヶ原。負け戦だったが、あれほど命が燃えた戦は無かったわ…。オレたちのような武辺だけの者が働けるのは場所は、もう無いのかもしれん。これからは美濃のような小賢しい男が台頭する世になるやもな…。お前がうらやましい。オレは死に損ねた…」
このころ安土では
「お味方! 大勝利にございます!」
母衣衆が使いに訪れ、隆広の妻さえの元に勝利の知らせが届いた。
「殿は? 殿はご無事ですか!?」
「は!」
「良かった…」
安堵の涙を流すさえ。相手より兵が少ない状態で戦うのである。さえの不安は大きかった。
「おめでとうございます奥方様!」
「「おめでとうございます!」」
「ありがとうみんな!」
侍女が言うと、他の女衆も声を揃えた。
「母上、父上ってスゴい!」
と、お福。
「うん! 帰ってきたら一緒に抱っこしてもらいましょうね!」
「うん!」
「なお、殿は羽柴の追撃を大殿様(勝家)に下命され西に向かいました。ただいま安土には可児才蔵様と山崎俊永様が向かっている由。大殿様もその後にご家族を連れて入城なさいます」
「分かりました。みんな、可児様と山崎様の部隊の方たちもお腹を空かせてくるでしょう。出迎えの準備とお食事の準備を進めて下さい。大殿様入城に備えて清掃を怠ってはなりませんよ」
「「ハハッ」」
(殿、おめでとう! 早く帰って来てさえに無事な姿を見せて下さい!)
また城外では近隣の領民を大量に雇い、戦死した羽柴将兵を埋葬し、また負傷兵は手当てを受けていた。残っていた羽柴秀長軍の陣屋、それが野戦病院と化していた。明智光秀四女の英は一人の少年兵の手当てをしていた。
「敵の我らを…」
「『抵抗できなくなった者は敵ではない』我らが将の言葉です。礼には及びません」
「ありがとう…」
包帯を巻いている英の手を握り、その少年兵は
「おっかぁ…」
そう最期に言い逝った。
「……」
英は静かに合掌した。もう何人こうして送っただろう。
「英殿、少し休まれてはいかがかな。ロクに休息をとらず手当てに当たっているではないか」
工兵隊の辰五郎が気遣った。
「いえ、このままやらせて下さい。助からない方を看取り、最期に人の手の温もりを差し上げたいのです」
「左様か、ああそれと…」
「はい」
「賤ヶ岳、柴田の勝利だそうじゃ」
「ま、まことに!」
「うむ、今しがた城に知らせが来た。奥方様も大喜びじゃ。じゃがここでは伏せた方が良かろう」
「そうですね…」
しかし、治療を受け終え、陣屋の壁にもたれていた男に辰五郎が静かに話した言葉が聞こえた。だがその男は騒がず黙っていた。
(負けたか…。次の主人を探さねばならんな…)
柴田勝家は北ノ庄城へと帰っていった。その道中の事だ。一人の武人が柴田勝家の前に平伏して待っていた。
「…よう、ツラが出せたものよな」
「…手前の生きるところは柴田家しかございませぬゆえ」
佐久間盛政だった。勝家は馬から降りず、そのまま馬上から甥を睨んだ。
「なぜ、ワシの後退命令を聞かなかった」
「…恐れながら、勝てると思ったからにござる」
「…秀吉は我ら柴田に一歩後れたとは申せ、光秀を討つ時に備中高松から姫路へ信じられんほどの神速で戻っている。この事実、そなたは忘れていたか。なぜ秀吉が岐阜から大返しをしてくると読めなかった」
「忘れてはおりませぬ。しかしながら岐阜で滝川と森と戦うために戻ったと云う情報も入っていたあの時…」
「もうよい。結果がすべてだ」
「……」
「死に逃げず、出奔もせず、ワシの前に現れた事に免じ、本来は打ち首ものの失態であるが戦勝の今、味方の将の首を取るのは士気を落とす。金沢の城に戻り、謹慎しておれ。沙汰はおってする」
「伯父上…!」
「そこを退け、通れぬであろう」
「はっ…」
佐久間盛政は道脇に下がり、勝家が通るのを見送り、そして後に続いた。しかし負傷している彼なのに、誰も馬を貸そうとはしなかった。全滅の端となりえた彼の独断専横を同僚たちは許していなかった。
「よくもヌケヌケとツラが出せたものよ。恥を知れ!」
毛受勝照が盛政に聞こえるように言葉を発す。
「……」
佐久間盛政は何も言い返さず、勝照の罵倒を受けた。賤ヶ岳の合戦、彼にとってはまぎれもなく『大惨敗』であった。
そして水沢隆広は中村武利(中村文荷斎次男)を追撃隊の見届け役として同行させて羽柴追撃に出た。水沢軍二千とそれに伴う軍馬も乗せて湖西に向かう。隆広は甲板で壁にもたれ、うたた寝をしていた。松浪庄三は気の毒と思いつつも起こした。
「美濃殿、そろそろ湖西に到着ですぞ」
「え、ああそうですか…」
立ち上がり体を伸ばす隆広。
「しかし、見事な車懸りでしたな」
「モノマネは得意なんです。あははは」
「あれをモノマネで済ませますか。あはははは」
「若狭水軍も堅田衆も見事な戦ぶりでした。やはり船の戦に慣れているだけ、足腰が違うのかな」
「左様、戦もナニも腰ですぞ」
笑いあう隆広と庄三。
「殿―ッ、そろそろ到着です」
先導していた堅田の船から十郎が報告してきた。
「分かった」
置いてあった兜を拾い、アゴ紐を結う隆広。
「助右衛門」
「はっ」
「もう夕暮れ時だ。本日は近江と丹波の国境まで進軍して夜営する。将兵に左様伝達せよ」
「ははっ」
「しばし、お別れですな美濃殿」
若狭水軍と堅田衆は、この追撃隊を搬送するのが今回の合戦で最後の仕事である。彼らも各々の本拠地に帰り、後の勝家の論功行賞を待つ。
「はい、色々とありがとうございました」
「久しぶりに胸が躍った。あの采配、隆家を見るようだったわ」
松浪庄三から斉藤龍興となった。
「ありがたき仰せに」
「はっははは、では後日、安土で会おう」
「はい!」
船は琵琶湖の湖西に到着し、そこから西進を開始した水沢軍。賤ヶ岳で戦った疲れも取れていなかったので、隆広は無理をせず一刻(二時間)ほど進軍してすぐに夜営をした。たっぷり睡眠と食事を取り翌日に西進を始めた。
清洲会議の論功行賞で、柴田は越前、加賀、若狭、近江を拝領していた。近江の一部が丹羽氏であったが、すでに丹羽は賤ヶ岳で敗北し柴田に降伏していた。完全に四ヶ国は柴田の物となった。
かつ織田信孝は丹波、山城、摂津を領地としていたが、山城と摂津は今度の合戦で一度羽柴の領地となってしまった。しかしすでに秀吉の敗戦は畿内に広まっており、山城と摂津の豪族や豪農たちは柴田に恭順を表明していた。摂津の将である高山右近、中川清秀、池田恒興も討ち死にしていたのであるから無理もないだろう。
丹波はかつて隆広が坂本攻めの時に女子供を逃がした事が幸いし、同じく豪族や豪農たちは柴田に恭順を表明していた。それが証拠に水沢隆広率いる追撃隊は何の妨害も受けないどころか、街道筋で兵糧も提供されたのである。
反して秀吉の隊は追撃と落ち武者狩りに怯えながらの敗走。勝者と敗者、天と地の身の上であった。謀反人である明智光秀を討ち取り、同じく主殺しをした羽柴秀吉を倒した柴田軍。名声はうなぎ上りであった。
特にこの時点で山城の地、つまり京都を手中にしていたのは大きい。すでに抵抗する勢力もない。
しばらくすると、水沢勢は同じ方向を敗走する羽柴勢を追い抜いた。負傷者多く、疲労困憊な羽柴軍。水と食糧の補給もままならない状態である。水路を使った水沢勢に先回りされても仕方ないだろう。
「つらいな、もはや相手は戦うチカラをなくしているのに…」
「同感ですが、こればかりは秀吉殿も覚悟の上の事。いらざる情けは捨てて下さりませ」
厳しく隆広を諭す奥村助右衛門。
「ああ、分かっている」
水沢勢は秀吉の進む道と、現在自分たちが進む道が合流する摂津と播磨国境の山陽道に向かった。まだ羽柴が播磨に入ったと云う報告はない。先回りできる見込みは大である。
「ん、雨だ」
「これは降りそうだ。殿、急ぎましょう!」
「よし!」
この雨は敗走し、落ち武者狩りと追撃に怯える秀吉軍には堪えた。体力がなくなりバタバタと倒れていく者も多く、いつの間にか秀吉の周りには五十人しかいなかった。石田三成は杖を持ちやっとの思いで歩いていた。
「親父様、大丈夫ですか…」
「ああ、何とかな…」
秀吉は聞いた。加藤清正と福島正則は討ち死にし、若き日の自分を支えてくれた蜂須賀正勝、前野将右衛門、稲田大炊も壮絶な討ち死にをしたと。
「このままでは終わらぬ…。再起を果たして今度こそ…」
「その意気です、親父様…」
と、大谷吉継。彼もフラフラの状態である。
雨が上がった。雲間から太陽の光が差した。
「播磨までもう少しだ、みんながんばれ…」
意識もうろうな黒田官兵衛が隊を叱咤したその時だった。一本の弓矢が放物線を描き、羽柴勢の前に突き刺さった。
「う…?」
それは水沢隆広の部隊であった。先回りして待っていたのだった。
「美濃…!」
「殿…」
石田三成はヘナヘナと座り込んでしまった。もはやこれまで。馬上の水沢隆広は弓を奥村助右衛門に渡して羽柴秀吉に歩み寄った。
「羽柴様、もはやこれまでにございます。抵抗をやめて首を差し出されたもう」
「みな、こうなれば一合戦じゃ!」
「無理にございます殿、もはや我らに抵抗するチカラはございません…」
黒田官兵衛が息も絶え絶えに云い、大谷吉継も疲労の極みにあり、満足に戦う事もできない。増田長盛がフラフラと歩み、馬上の秀吉に言った。
「と、殿。美濃殿は唐土の関雲長のごとき、義を重んじる情け深い武将でございます…」
「知っておる…」
「これと同じ場面で関雲長は敵将曹操を見逃しました。我らの命、後日の戦いに預けてもらうべく頼んでみては…ここで抵抗できないまま殺されてはあまりに無念…!」
「…よし、話してみよう」
秀吉は馬を進めた。
「美濃…」
「羽柴様…」
「できれば違う形で会いたかったのォ…」
「はい…」
「…見苦しいと思うだろうが…佐吉を貸した恩と、今までの友誼にすがりたい…」
「……」
「そなたと敵味方になり、まことに無念であるが、これも人の縁で戦国の世の皮肉じゃろう。だがせめてもう一度ワシがそなたと堂々と戦えるまでこの命預けてくれぬか…!」
「卑怯未練な言い草! とても筑前殿の言葉とは思えん! 潔くされよ!」
奥村助右衛門が一喝する。
「その通りじゃ、じゃが恥をしのんで頼む…」
秀吉一行は隆広に平伏した。秀吉も馬を降りて平伏する。みじめな秀吉の姿、三成も平伏し地に顔をつけて懇願している。
安土の城下で酒を酌み交わした秀吉と隆広、秀吉と飲む酒は美味だった。寵愛の石田佐吉を快く自分に預けた秀吉。竜之介が生まれた時、立派な松も贈ってくれた秀吉。
そして小さな背を震わせて隆広に許しを乞う石田三成。自分の命を惜しんでではない。秀吉だけは我が身に変えても見逃して欲しい、そう全身で訴えていた。三成の姿がそのまま自分に見える隆広。立場が逆なら、オレもああして土下座して主人勝家を見逃してもらう事を懇願しただろう…そう思った。ここに来る前、たとえ抵抗できない羽柴勢でも討ち果たすと決めていた隆広だが、実際に見る羽柴勢はあまりにも哀れだった。隆広は目をつぶり、一つ大きな息を吐いた。
(申し訳ございません殿…。美濃はかの者たちを討てません)
「…ここは足場が悪い。退け」
隆広は馬を返し、秀吉の前から退いた。慶次はフッと笑った。
「殿!」
奥村助右衛門も隆広の気持ちは痛いほどに分かる。だが立場上止めなくてはならない。羽柴秀吉を今こそ討たなければならない。
「さっさと退かないか!」
水沢勢は秀吉一行に道を開けた。隆広は背を向けている。
「今のうちに行けと言う事か…」
秀吉は馬に乗り、進み出した。秀吉と隆広がすれちがう。小さく秀吉が言った。
「…すまぬ」
三成もフラフラと歩く。そして背を向けている隆広に一礼して去ろうとした時。
「佐吉」
「はっ」
「孝行を尽くせ」
「…はっ!」
元々歩行が不自由な黒田官兵衛はついに倒れこんでしまった。雨上がりの道の泥水へ官兵衛は倒れ、立ち上がろうとするが立てない。何度も泥水の中に倒れた。見て入られなくなった松山矩久が手を貸そうとすると
「手を貸すな!」
隆広が怒鳴った。
「殿…」
「自分で立って歩かせろ!」
その言葉に官兵衛の胸が熱くなった。
「かたじけない…。美濃殿こそ、まことに武士の情けを知る方よ…!」
黒田官兵衛は自分の体を叱咤して立ち上がり歩いた。大谷吉継も隆広の後を通る。隆広の背を見る吉継。悔しくてたまらない。敵に見逃してもらうなど。拳を握り悔し涙と鼻水が止まらない吉継だった。
(この悔しさ…生涯忘れぬ…!)
背を敵勢に向けている隆広の馬のくつわを取っていたのは大野貫一郎であるが、彼は後にこう言っている。
“おそらくあの時、我ら全員が援軍の大功取り消しを悟っただろう。殿に恩賞も加増も無い事を皆が悟っただろう。つまり我らが得られる褒美もなくなると云う事だ。他はどうか知らんが私は不思議と不服を覚えなかった。それどころか不思議な高揚感が湧き出て止まらなかった。この方に仕えられて本当に良かったと思ったのだ”
後年の大野治長、この時は十五歳。名将水沢隆広への憧憬を強めた日であった。
秀吉一行は姫路城へ向かっていった。助右衛門も内心ではホッとしていたが
「殿、大殿様になんと申すのです」
と問うた。
「オレが全責任を取る。武利殿」
「はっ」
「見たままを殿に報告してください」
「し、しばらく! 見つからなかったと言えば御身に咎めはございますまい。敵の総大将の首をあえて見逃したなど、先の援軍の功さえ帳消しになられてしまいますぞ! それがし役目とはいえ木石にあらず、見なかった事にいたす所存に…」
この追撃隊の目付けとして同行していた中村武利、奉行筋の彼も隆広の行為に胸を打たれていた。見なかった事にしようと決めていた。
「中村殿、主君を気遣う気持ちは嬉しいが、その必要はない。見たまま報告されよ」
「前田殿…」
「負けて知る、人の情けか…」
秀吉はそうつぶやいた。後年において水沢隆広が題目となった芝居は多いが、この秀吉を見逃す場面は屈指の名場面とされている。抵抗する力を無くした敵将をどうしても討つ事ができなかった隆広の武人の情けは、後世にも美談として語られている。