天地燃ゆ   作:越路遼介

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鬼玄蕃の挽歌

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり…か。ワシの命も露と落ちる。この世の事は夢のまた夢よな」

 秀吉はフッと笑った。すでに覚悟は出来ている。

「又佐、昔馴染みのそなたに最後の頼みがある」

「なんだ?」

 前田利家が姫路城から戻ってきた。

「若殿、羽柴秀吉は城と共に自害して果てるつもりとの事」

「分かりました」

 明家の使者、前田利家が去った後に秀吉は石田三成を呼んだ。

「親父様、柴田陣に当家の宝、女子供と共に向かう準備整っております」

「ふむ、佐吉近う」

「はっ」

 そして秀吉は三成に

「茶を点ててくれぬか」

 と要望した。

「承知しました」

 前田利家との要談の後で、季節はそろそろ初夏、そして死を覚悟している秀吉、少なからず喉が渇いていると思った三成は大き目の茶器にぬる目の茶を出した。かつて長浜城下で秀吉と初めて会った時にそうしたように。

「うむ、うまい。もう一杯じゃ」

 二度目の『石田三成、三杯の茶』だった。二杯目は先の茶器より少し小さく、そして少し熱めの茶、三杯目は小さな茶器に熱く濃い茶を点てた。それを美味しそうに飲む秀吉。

「馳走になった。そなたはワシにとって…最高の茶人じゃったわ」

「親父様…!」

「さ、行け」

「はっ」

 

 姫路城から『軍使』の旗を立てて石田三成が出てきた。羽柴家の女子供を連れてきており荷車も引いていた。そこには羽柴家の家宝が載せてあった。明家本陣に訪れた石田三成は柴田明家に平伏した。

「羽柴家奉行、石田三成にございます」

「佐吉…」

「…これなるは羽柴家の将兵らの妻子、そして当家の宝にございます。主君秀吉は当家の妻子たちを美濃殿に託し、そして秘蔵の宝を後々の世に残して欲しいと…」

 三成は秀吉が明家に宛てた手紙も渡した。秀吉からの手紙に一礼して明家は読み出した。そこには宝物の目録と、先に見逃してくれた礼の言葉、家臣たちの妻子を託す言葉が書かれていた。

 石田三成と共に連れられてきた羽柴家の女子供が柴田陣に整然と並んで座っており、彼女たちは敵将柴田明家に平伏。そして一番前で平伏した女が面を上げて明家を見つめる。

「お久しぶりですな、義姉上…」

「…はい」

 竹中半兵衛の妻、千歳だった。今は亡き夫の菩提を弔い剃髪し月瑛院と云う名前である。傍らには半兵衛の息子である八歳の吉助(後の重門)がいる。

「こんな形で再び会おうとは…」

「…お願いです。私はどうなろうとかまいません。息子の吉助には寛大な計らいを…」

「吉助殿は我が甥にございます。お任せ下さい」

 夫の半兵衛は亡くなり、実家の安藤家は滅ぼされ、そして今は主家の羽柴家も。今は息子だけが全ての彼女だった。明家は吉助の視線まで腰を下ろした。

「よく顔を見せてくれ」

「はい」

「…義兄上に似て賢そうな顔だ」

 ニコリと笑い、竹中吉助の肩を抱く明家。

「我が甥として大切にいたす」

「叔父上と呼んで良いのですか」

「もちろんだ。おりを見てオレがお父上から学んだ兵法も伝授いたそう。そのおりは父上の教えと同じく小便を漏らしても中座するでないぞ」

 

 腰をあげると荷車の上に蒲団が敷かれ横になっている女もいた。顔が見えない。

「佐吉、いや三成殿、あの方は病んでいるようだがどなたの細君か?」

「仙石秀久殿の細君、お蝶殿にございます。病んでおられるのではなく今日か明日にでもお子がお生まれに」

「なんと…しかしこちらの陣場に産婆はおらぬ。連れてきたか?」

「ご心配におよびませぬ。我々女衆が取り上げますれば」

 と、月瑛院。

「そうですか、良かった…」

 その時だった。

「父上を返せーッ!」

 平伏している女たちの中で、一人明家が近づいてくるのを待ち、懐に忍び込ませていた小刀を握り、そして襲い掛かった女童、山内一豊の娘与禰姫だった。あれほど明家を慕っていた与禰姫が復讐の刃を向けてきた。

 しかし、その殺気を明家は読み取っていた。襲い掛かってくる瞬間も分かったのか与禰姫の身長に合わせて腰を下ろし、腕で与禰姫の憎悪が込められた小刀を受け止めた。出来たのはかすり傷であるが、女童が渾身のチカラを込めて父の仇を取ろうとした一撃である。柴田本陣は騒然となった。

「母親は誰か!」

 与禰の行動に激怒した兵が女たちに怒鳴った。一人の女が小さな声で答えた。

「あ、あの荷車に寝ている女が…」

 憤然としてその荷車に詰め寄る兵。それを止めた明家。そして静かにその荷車に近づく。与禰は荷車の前で通せんぼし泣きながら

「母上に近寄るな!」

 と怒鳴った。しかし明家は見た。横になっていたのは千代だった。

「千代殿か…」

「……」

 千代は痩せ細っていた。夫、山内一豊の死から立ち直れず、ずっと伏せていた。ロクに食事も受け付けられず、骨と皮だった。

「なんてお姿に…」

「お怨みいたします…」

 痛々しいほど細くて小さな声だった。

「……」

 戦場で死ぬは武士の誉れ。しかも一豊は鉄砲の弾や弓矢ではなく、敵の総大将とも云える水沢隆広と堂々の一騎打ちで死んだのだ。千代とて武士の妻、戦場に夫を送り出す時に覚悟はしていたものだ。だが今まで自分の横で微笑んでいた最愛の夫が死んだのだ。武士の妻なのだから嘆き悲しんではいけない、などと云う美辞麗句で片付けられるものではない。悲しみに明け暮れ、ついに床に伏せる有様だった。

「人殺し…! 一豊様を返して…!」

 その言葉につられるように、羽柴の女たちからすすり泣く声が聞こえた。

「怨むなら…チカラを持ち我を討たれよ。山内家を再興し、我を討たれよ」

「……」

「夫の死に耐え切れずその有様、一豊殿が見たら嘆かれよう。それでもこの一豊の妻かと!」

「……」

 悔し涙を浮かべて明家を睨む千代。

「体を厭われよ。生きてさえいれば…夫の無念も返せまする」

 そして与禰を見る明家。悔し涙を小さい瞳いっぱいに浮かべる与禰姫。明家は与禰姫の視線に合わせて腰を下した。

「与禰姫殿、お父上は強いお方でした。だからそれがしも全力で戦いました。それがしが勝てたのはたまたま武運があっただけの事」

「……」

「与禰姫殿のお父上と堂々の一騎打ちをした事、それはそれがし一生の誇りにございます」

(美濃殿…)

 明家の言葉が心に突き刺さる千代。

「一豊殿は死の直前に『与禰を頼む』とそれがしに申された。そしてそれがしは承知してございます。これからはそれがしが与禰姫殿の父にござる。ですが父上を討った男が駄目な男と見た時には、いつでもそれがしをこの小刀で突き殺しなさい」

 小刀を与禰姫に返した明家。

「ホントにいいんだね。父上をいくさで討った男が駄目男と知ったら、姫は水沢様を刺し殺しちゃいます」

「いいとも」

 明家はニコリと笑った。この羽柴家子弟の中から、竹中重門、加藤貞泰、蜂須賀至鎮、浅野幸長と云った武将が育ち、明家の子、柴田勝明を支える事になるのである。

 

 羽柴家の女子供と、そして宝物が明家陣に無事に渡されたのを三成は見届けた。女たちの中には彼の妻である伊呂波もいる。『殿なら伊呂波を大事にしてくれる、きっと良い婿を見つけてくれる』と安堵した。伊呂波は三成と離れるのをイヤがり、涙を浮かべながら三成を見つめていたが他の女たちに松山矩久の案内する柴田陣の別陣に連れて行かれた。

「お前さま―ッ!」

 三成はそれを見ず答えず、黙って見送った。無事に戻ってきた娘を見て涙を浮かべる舅の山崎俊永。三成は舅に一礼し、明家に向いた。

「それでは美濃殿、それがしはこれにて」

「…? どこへ行く?」

「それがしは姫路に戻り、主君秀吉と最期を共にする所存」

 その言葉に明家と前田利家は顔を見合わせた。

「…三成、そなた藤吉郎から何も聞かされていないのか?」

「は…? どういう意味ですか前田様」

「そなた…羽柴家から暇を出されているのだぞ」

「な…!」

 明家は秀吉からの手紙に添えられていた三成宛の手紙を渡した。それを取り、急ぎ読む三成。

『佐吉よ、だました形で済まないがそなたは柴田家に再度帰参し美濃に仕えよ。ワシはここまでだが、若いそなたが付き合う事はない。美濃は天下人になれる資質を持っているが、あまりにも優しい性格をしている。人としてはそれでいいが武将として、それが時に大きな枷となることもあろう。山陽道でワシらを見逃した事でそなたもそれが分かる。あの性格では徳川家康に対するのは難しい。

  だから佐吉、そなたは生きて美濃に仕えよ。そして汚れ役と憎まれ役を買って出よ。たとえどんなに美濃に忌み嫌われようと、卑劣漢と罵られようと美濃を勝たせるために。天下を取らせるために。良いな佐吉』

 

「お、親父様…! 佐吉に卑怯者になれと! 一度離れた柴田家にどうして戻れましょう! 佐吉は親父様と共に死にまする!」

 手紙をにぎり、脱兎のごとく姫路城に駆け戻ろうとする三成。

「よせ三成! 藤吉郎は三成が帰って来ても城には入れぬと言っていた! 主人の最後の命令、いや願いを聞きわけよ!」

 前田利家の言葉に立ち尽くす三成。

「藤吉郎、犬千代と呼び合った仲のワシからも頼む…。あいつの最後の願いを聞いてやってくれ。藤吉郎は自分にできなかった夢をお前と若殿に託したのだ!」

 三成は膝を屈し、手をつき姫路城に平伏し泣いた。

「親父様…!」

 泣き伏せる三成に歩み寄る明家。明家は秀吉が書いた羽柴家家宝の目録、その最初の名を見せた。

「見ろ佐吉…」

「…?」

 羽柴家の宝物、その筆頭には『石田三成』と書かれてあったのである。

「親父様…! それがしごときを家中で一番の宝と申してくれるのですか…!」

 三成は目録を握り締めて泣いた。

 

 だが同時に、柴田の陣に驚愕的な報告が届けられた。早馬で来た使者は血相を変えて明家本陣に来た。すぐに会った明家。

「も、申し上げます!」

「どうした?」

 

「佐久間玄蕃允! 謀反にございます!」

 

「なんだと!」

 柴田陣に戦慄が走った。

「金沢城より挙兵! すでに越前、北近江を突破し、安土に向かっております!」

 北ノ庄城主、毛受勝照は使者の肩を掴んで問い詰めた。

「越前が突破されたと? 留守を任せた弟の家照は何しておった!」

(史実では毛受勝照と家照は同一人物。史実の勝照は毛受家の次男であり賤ヶ岳の合戦にて兄の茂左衛門と共に殿軍を務めて討ち死にする。だが本作では勝照を長男として、勝照の旧名家照を彼の弟として書く)

「ほぼ、素通りにございます! 玄蕃允は今回の羽柴攻めの後詰を受けたと偽りの大殿の文書を作り、それで越前は素通りに! ご舎弟の家照様はしばらくして偽の文書と気付き追撃し、府中の前田利長様、利政様ご兄弟、龍門寺城の不破光重様と挟撃作戦を立てましたが蹴散らされたとの事!」

「百戦錬磨の玄蕃! 倅たちには荷が重かったか…!」

「感心している場合か又佐殿! まったく何たる事だ! 北ノ庄は!」

「佐久間勢は城取りには目もくれず、安土に向かっています! 長浜、佐和山は城代あずかりの直轄城! ほぼ無人の野で安土に到達できてしまいます! おそらくは大殿と若殿の家族を人質に取るつもりかと!」

「バカな! そんな事をしても殿とオレの双方の首を取らない限り謀反の成功はおぼつかない! いかに安土を押さえたとて畿内中の勢力が一斉に襲ってくれば勝機は無い! そんな事佐久間様とて分かっているはず! なぜだ!」

「それを覚悟の上で、叛旗を翻したかと」

「どういう事か助右衛門」

「柴田家当主に殿がなれば、殿に色々と辛く当たった自分に未来はないと。賤ヶ岳でも失態を犯して大殿に見限られた自分に柴田家での居場所はないと、ならばいっその事と…」

「なんたる事だ…! 助右衛門…オレは佐久間様を厚遇するつもりだった! 確かに色々と言われなき仕打ちは受けたが、逆に『今に見ていろ』と感奮して仕事に当たり手柄も立てられた! 恨みになど持つものか!!」

「それは勝者の弁ですな殿」

「慶次…」

「勝って、玄蕃殿より上の立場になったからこそ、そんな気持ちにもなれる。だが玄蕃殿は敗者となった。ゆえに一か八かの勝負に出て天下を狙うのも男の生き様にございます。勝ち負けではなく立たざるを得なかったのです。今、柴田の主力は播磨にあり畿内は手薄。まさに絶妙の間合に叛旗を翻しましたな」

 直後、明家は勝家に呼ばれた。急ぎ駆ける明家。

「聞いたか玄蕃の謀反を!」

「はい!」

「ワシは反転して安土に向かい、玄蕃と対する。そなたはこのまま筑前と対していよ。良いな!」

「はっ!」

 柴田勝家は手勢を連れて大急ぎで安土へ返す準備を始めた。

  そしてこのころ佐久間盛政謀反の知らせは安土にも届いていた。しかし明家の屋敷には届いていなかった。さえは父の景鏡の位牌に夫が柴田勝家の実の息子であり、そして後継者に指名された事を報告していた。

「父上、あの人が次の柴田家の当主と選ばれました。何だかウソのようです」

「奥方様―ッ!」

 八重が血相変えてやってきた。

「どうしました伯母上」

「さ、佐久間様がご謀反!」

「え、ええ!?」

「真っ直ぐに安土に向かっているとの知らせです! 知らせに来たお城の兵の話によると御台様(お市)と奥方様を人質に取ろうと云う魂胆だと!」

「御台様と私を!?」

「大至急、城に入れと御台様が!」

「しょ、承知しました! 伯母上はすずを連れて出て下さい! 監物は竜之介と福、私は鏡と鈴之介を!」

「はい!」

 さえは夫明家のいる西方を見つめた。

「殿…。万が一にも私が佐久間様に捕らえられても言うとおりになどなってはなりません。私とて武士の妻…。虜囚の辱めは受けませぬ」

 さえは自決用の小刀を懐にしまい、安土城へと向かった。

 

 佐久間盛政謀反の原因は諸説色々とあるが、やはり明智光秀と同様に怨恨説が有力である。

 彼が加賀領主として国入りした時、内政と民心掌握の基盤を作ったのは柴田明家であった。盛政にはそういう能力が欠落していたため、その後の政務はとうてい明家に及ばず、領内の民百姓が『水沢様が領主なら』と話しているのを噂で幾度も聞いている。

 賤ヶ岳の戦いでは主家を滅亡寸前まで追いやった失策。それを逆転まで持っていったのも明家で、そしてその後の羽柴攻め出陣前に自分の参陣を勝家に懇願したのも明家。みじめだった。たまらなくみじめだった。

 柴田明家自身には悪意はないだろう。いやむしろ悪意がないからこそ始末に負えないのかもしれない。柴田明家の欠点はこういう優しさがどれだけ人をみじめにするか分からないと云う点がある。父の勝家が何度も戒めた事でもあるのに明家の持つ生来の温和な気質がまんまと裏目に出た。

 佐久間盛政が謀反に及ぶと家中に述べた時、反対意見がかなり出た。主君盛政に謀反後の展望があまりになかったからであるが、あの智将明智光秀でさえ謀反成功後の処理には政治的な根回しがなく穴が目立つ。

 とどのつまり怨恨による謀反はこういう事なのかもしれない。一時の感情に流されて自分に仇なすものを駆逐し、その後に滅亡の道を歩んだものは枚挙に暇がなく、逆に一時の感情を胸に留めて自分を仇なす者にも徳と礼を持ってあたり、それが幸いして栄光を掴んだ者もいる。盛政は前者で明家は後者かもしれない。だが、たかが一時の感情、されど一時の感情である。それが時に歴史も動かす。

 同じく柴田家中で『隆広嫌い』と目されていた佐々成政は佐久間盛政の蜂起を聞いてどう思っただろう。

「やりおったか玄蕃…」

 盛政居城の金沢城の方角を見る成政。佐々成政は長きにわたり水沢隆広と不仲であった。しかし隆広が柴田勝家の子と聞き、彼の中で何かが変わった。

 成政は織田信長の命令で柴田勝家に組したが、武辺の者同士、勝家と成政はウマが合った。このまま権六殿に付き従うのも悪くないと心より思っていた。

 また自分を黒母衣衆筆頭に取り立ててくれた信長への忠誠心はかなりのものであり、その妹である勝家の妻お市。成政は主人の妹姫として大切に敬った。隆広はそのお市の息子で、勝家の子でもある。まぎれもなく成政の主筋である。実子がおらず、そして勝家の高齢から柴田家の行く末はどうなるのかと案じていた成政だが、実は柴田家には優れた若殿がいたのだ。

 成政は思った。このままつまらん反目を続けていても始まらない。それ以前に隆広を頭から嫌う自分を苦々しく思っている水沢家臣団が許さない。佐々家は次代の柴田家に取り潰される危険もありうる。佐々家の安泰のため、やはり隆広に頭を下げる時が来るだろうと悟った。

 しかし臣従しているフリでは見抜かれる。何よりそんな心構えでは良い働きも出来ない。やはり誠忠をもって仕えなければダメだと思った。性格の甘さは気にかかるが才覚に文句は無い。伊丹城攻め、小松城攻めで隆広の軍才は見ている。不覚にも『こんな息子がオレにおったら…』と思った成政。

 そして賤ヶ岳での電撃的な援軍を見て、その誠忠は本当のものとなった。山陽道で羽柴秀吉を見逃したと聞いた時、成政は豪快に笑い

『何ともありがたい、あやつ賤ヶ岳でいいように筑前にやられたワシらに筑前の首を残しておいてくれたわ』

 と言った。武人肌の成政、勝家や利家と同じように、この秀吉をあえて見逃した行動に何かを感じたかもしれない。そしてこの日より数日後、安土城評定の間で成政と隆広の和解が成った。

 

 佐々成政はこのまま柴田家で重きを成すが、佐久間盛政にそれは能わなかった。

 しかし佐久間盛政の謀反は当の佐久間家にも反対意見が多かった。柴田勝家、明家親子が本拠地を留守にしている好機を逃したくなかった盛政は時間のかかる反対派の懐柔をあきらめて幽閉し挙兵した。

 柴田勝家と明家の親子は外見が全く似ていないが共通点が一つある。それは猛烈なまでの愛妻家と云う事である。双方の正室のお市とさえ、そして子供たちを人質に取れば攻める事はできない。その上で要塞の安土城をとれば、たいていの大軍は撃破できる。

 だが、安土へあともう一歩と云うところで、この計画は頓挫する事になる。この佐久間盛政謀反は意外な結末を迎えたのだった。

 安土に戻りかけた柴田勝家はその準備を取り止め柴田明家の本陣、姫路城包囲陣までやってきた。勝家を出迎える明家。

「殿…」

「参れ、始めるぞ」

「承知しました」

 

「大殿、若殿の、おなり!」

 柴田勝家、明家の主なる将兵がズラリと並び、陣幕をはらい入ってくる二人の主君に頭を垂れた。勝家と明家が並んで床机に座った。そして勝家、

「面を上げよ」

「「はっ」」

「もはや秀吉は抵抗せず姫路の城と共に炎と果てるとも言ったと云う。ワシと秀吉は仲が悪いが、この期に及んであやつの最期を邪魔する気はない。柴田軍一同、羽柴筑前の最期を見届けてやろうではないか」

「「ははーッ!」」

「だが、その前にする事がある。反逆者の佐久間盛政をこれに」

 

 佐久間盛政は体中をがんじがらめに縛られ、柴田本陣に連行されてきた。佐久間盛政は安土のある南近江に突入する寸前、部下の裏切りにあった。盛政の謀反は当然、畿内と濃尾に勢力を構える柴田の友好大名の耳にも入った。すぐに蒲生氏郷、筒井順慶、滝川一益が安土に向かう戦支度を始めた。

 これは盛政にも意外だった。柴田家はまだ賤ヶ岳の論功行賞を行っておらず、援軍大名に何の恩賞も与えていなかった。先の大戦の恩賞がなければ動くはずもないと考えていたが、ここで柴田の本拠地を謀反人に取らせて勝家と明家を陸(おか)の上の河童にしたら、その恩賞をくれる相手がいなくなる。

 佐久間盛政はこの三将と戦うつもりだった。しかし部下たちは反対した。安土に到着する前に無駄な野戦はせずに安土でお市とさえの身柄を確保すれば、蒲生、筒井、滝川の三将とて何もできない。まず安土に向かい、柴田親子の正室と子供たちを押さえる事が第一と言ったのだ。しかし盛政は戦う決断をした。

 この決断が部下の離反を呼び、盛政はスキを伺っていた部下たちに取り押さえられてしまった。自分たちで首を取ってはいらぬ誤解を招くので、柴田親子に降伏を告げ、その上で盛政に処断を受けさせようと思ったのだった。

 檻車に乗せられ、姫路本陣まで連れられて行く盛政のこの時の気持ちはどんなものだったのだろう。

 姫路本陣に到着し、がんじがらめに縛られた佐久間盛政。怒り心頭の柴田勝家が待つ場に静かに歩いた。そして勝家と明家の前に盛政は座らされた。両脇に並ぶ将兵も盛政を見る。盛政は静かに勝家と明家を見据える。

「殿の御前だぞ、平伏せんか!」

 毛受勝照が怒鳴る。

「なぜ頭を垂れる必要がある。その男はもう伯父でもなければ主君でもない」

「鬼玄蕃とも言われたあなたが、なぜこんな目に遭う前に自害しなかったのか」

 可児才蔵が訊ねた。

「源頼朝は大庭景親に敗れた時、木の洞に隠れて逃げ延び、後に大事を成したではないか。再起をあきらめなかっただけよ」

 才蔵は一言もなく、そして他の柴田諸将は心の中でうなった。そして勝家が静かに訊ねた。

「…理由を聞かせよ、盛政」

「今さら言う事は何もござらぬ。ただ一つ言うのならば…」

「言うのならば?」

「オレとてこの乱世に生を受けた武将、天下を狙って何が悪うござるか」

「愚かな…! 明智光秀がどんな最期を遂げたか見ていなかったとでも? 結局裏切り者は無残な末路を歩むと!」

「歴史は勝者のみが紡ぐ金糸、勝ちさえすれば裏切りも正当化される。隆広の論法で言えば『唐土の劉邦は和議直後に項羽を追撃したが、勝ったからそれは正当化された』とでも言いましょうか。だがオレや光秀には劉邦と同じ風が吹かなかった。ただ運がなかった。それだけでござる」

「…盛政!」

「さあ、もはやこの上の答弁は無意味にござろう。首を刎ねられるがよろしかろう」

 透き通った目だった。もはや覚悟を決めている盛政の目だった。勝家ももはや問答はいらぬと思ったか厳しく処断した。

「謀反人、佐久間盛政の首を刎ねい!」

 兵が盛政を立たせた。そして連行され刑場に歩いた。我慢しきれなくなった明家が

「佐久間様!」

 と叫んだ。静かに盛政は振り向いた。盛政は初めてこの時、明家に対して笑顔を見せた。

「なんだ隆広、嬉し泣きか? うっとうしい先輩が消えて」

「そんなんじゃありません! 上手く言えないけど、何か悲しくて…!」

「悲しむ事などない、こちらに運があったら、オレはお前の恋女房を人質に取っていた。あざ笑え、今のオレを」

「佐久間様…」

「だが不思議だな、オレはこの人質作戦が失敗して何故かホッとした。ふふ…」

「……」

「隆広、オレはお前が大嫌いだ。だが才は認めている。天下の才だ」

 初めて佐久間盛政は柴田明家を褒めた。汚れも何もない、澄んだ笑顔で心から褒めた。

「さ、佐久間様…」

「隆広、立派な柴田家当主になれ。そして天下を取れ」

「て、天下…!」

 フッと盛政は微笑み、刑場に向かった。佐久間盛政は刑場の露と消えた。盛政は死の直前、硯を乞い辞世を書いた。

『世の中の廻りも果てぬ小車は 火宅の門を出づるなりけり』

 そして最期、

「しょせん、夢である」

 と述べ、平然と首を打たれたのである。天下人になる事だったのか、それとも柴田明家のよき家臣になる事だったのか。盛政の言った“夢”とは佐久間盛政にしか分からない事であった。

 

「ワシは秀吉と、お前は盛政と…。味方でありながら敵も同然の間柄。それが分かり合えるのが一方の死ぬ時とは…因果な生き物よな武将とは…」

 佐久間盛政の首に手を合わせる柴田勝家と柴田明家、他の柴田将兵も合掌した。

「ワシが責任じゃ…。明家の申すとおり玄蕃をこの戦いに加えてさえいれば…かような仕儀には至らなかったろう。一つの過失で玄蕃のすべてを否定したワシ、君主失格じゃ…」

「殿…」

「ワシのような狭量な当主になるなよ明家…」

「……」

 無念の涙を落とす柴田勝家。

「殿…佐久間様は初めて…オレを褒めてくれました」

「嬉しかったか?」

「はい、とても」

「そうか」

 佐久間盛政には意外な話も残っている。盛政の機嫌を取ろうとした小賢しい家臣が水沢隆広を罵った。その家臣は盛政が喜ぶと思って話し出したが盛政は隆広の悪口を聞いて喜ぶどころか激怒したのだった。

「オレと隆広は不仲だが、オレはアイツの才は認めている。小賢しくも主人と不仲な者を罵り機嫌を取ろうなんて小者は鬼玄蕃の家臣にはいらぬ! 出て行け!」

 認めながらも素直になれない武骨な彼らしい話と云えるだろう。

 

 柴田勝家はこの後に、佐久間盛政を裏切った家臣に容赦しなかった。『主君を敵に売るなど恥を知れ』と問答無用で斬ったのである。主君の身柄を敵に売り渡しながら、恩賞を欲しがった姿勢に勝家は激怒したのである。

 断固たる厳しさをもって、家中の風紀を引き締めた勝家だった。当の相手である姫路城内の羽柴勢にも佐久間盛政の謀反の情報は入っていた。黒田官兵衛の密偵が柴田陣中に潜んでいたからである。しかし四百の兵数では柴田の大軍相手に佐久間勢と共謀して挟撃もできなかったろう。

「そうか、せめてあと五千の兵が…いや、それはもう言うまい、のう官兵衛」

「そうですな、しかし敵陣が妙に騒がしいと思えばそういう事でしたか。ですが解せぬ謀反にござりますな。とうてい成功などおぼつかぬ挙兵に」

「玄蕃は最初から自分の謀反が失敗する事は分かっておったろう。滅びたかったのかもしれぬ。権六には賤ヶ岳の失態で冷遇され、美濃に世代が変わっても過去の経緯から冷遇され…いや玄蕃は美濃が過去のしこりを忘れて自分を重用すると云う事は分かっていたのかもしれない。

 だがむしろそれが…自分には耐えられないと思ったのだろう。過去を忘れ、自分を重用せんとする、かつてひどい仕打ちをした小僧の笑顔。自分がその笑顔に対する資格なしと考えたかもしれぬ。そんな状況の中で生き続けるより戦って滅ぶと云う事。滅びの美学か、以前のワシなら分からん事でもあったが、今は何となくだが分かるわ」

「殿…」

「さ、権六の陣も降って湧いた騒動が落ち着いたころじゃろう。せっかくこの城を炎に包むのだから、ちゃんと注目してもらわないとな。あはははは!」

「はっ、さぞや美しく夜空を照らすにございましょう」




im@s天地燃ゆでは明家と盛政の和解が成るのですけどね。私も柴田明家の重臣として八面六臂の活躍をする鬼玄蕃殿を見たかったです。

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