姫路城城主の間。秀吉はつぶやいた。
「こんなに早くあの世に行って…ワシに『再起を』と願って死んだ虎(清正)と市松(正則)には合わせる顔がないのォ」
「合戦で大将首を取られては武士の恥であり…そして我が子同然に育ててくれた殿にみじめな最期を遂げて欲しくないと思い、逃がしたのでしょう。再起が叶わぬ事も分かっていたと存じます。柴田がそんな時間を与えるはずがございませぬ」
「ふむ…」
「“どうせ果てるなら城と共に”再起をと叫びながら二人はそう言っていたかもしれません」
黒田官兵衛の考えは当たっているかもしれない。再起を果たせるほどに羽柴が受けた打撃は浅いものではなかった。長篠の戦いにおける武田家以上の修復不能な大打撃である。
また秀吉は播州人ではない。織田家からの侵略者である。川に落ちて溺れかけている犬も同然の羽柴に誰が味方に付くであろうか。秀吉の財はまだ十分な蓄えがあったが兵力の補充はほとんど成されていない。あまりに時間がなかった。秀吉に必要なのは財ではなく、何事も起きない時間だった。しかし柴田勝家はそれを与えなかった。
黒田官兵衛が言った清正や正則に“どうせ果てるなら城と共に”と云う意図があったのかは分からない。しかし賤ヶ岳の戦いにおいて、一度は羽柴軍に敗れた柴田勝家が毛受勝照から同様な言葉を受けて北ノ庄城に引き返したのも何か不思議な巡り会わせであった。主君を思う心に柴田も羽柴もないと云う事か。
「子供と思っていたが…見事なもののふになっていたな」
「あの世で会われたら、お褒めあそばすよう願いまする」
「そうしよう、ふははは」
そこへ大谷吉継が呼ばれてやってきた。
「お呼びでしょうか」
「ふむ、そこへ座れ」
「はっ」
「さて、官兵衛と平馬が揃ったところで申し渡す事がある」
「「はっ」」
「その方ら、城を出て美濃に仕えよ。美濃には書状でその旨を伝えてある」
「な…!」
「親父様!」
「まあ聞け、そなたらは『命惜しければ城を出て柴田に降れ』と云うワシの下命も聞かず、城に留まった。筑前嬉しく思う。ワシのような至らぬ主人に今まで仕えてくれたばかりか、最期も共にしてくれると云う気持ち、涙が出るほどに嬉しい。じゃがの、そなたらの才はこの城と共に燃やすのは惜しい。そう思ったから佐吉には暇を取らせ城から出した。
賤ヶ岳で柴田は多くの人材を失った。権六は無論、美濃も頭を抱えていよう。兵は揃えられても将はそう揃えられるものではない。柴田の次代当主は美濃。美濃とワシは敵同士になったとはいえ因縁浅からぬ間柄。ワシはそなたらを美濃に預けたいのじゃ」
「殿、美濃殿の智謀知略はこの官兵衛を凌駕しております。それがしなど役には立ちますまい…」
「それは違うぞ官兵衛」
「は?」
「才の優劣ではない。美濃は合戦では大将と参謀、政治では君主と宰相の才能を兼備しておるが当主が優秀すぎるのも考えものなのじゃ。合戦も政事も美濃が陣頭指揮を取れば良い成果は出よう。しかしそれでは家臣たちは当主に頼りきりとなろう。三国志の英雄、諸葛孔明がよい例よ。かの者は優れ過ぎたゆえ、いつしか周りには孔明の命令なくば動けない者ばかりとなってしまった。優秀すぎる美濃は遠からず指示待ち家臣ばかり増やすことになろう。そして美濃亡き後、この国は蜀と同じ運命を辿る。それでは天下を取る意味がないわ。美濃はこれからナマケモノにならなければならぬのじゃ」
「ナマケモノ…」
と、吉継。
「そうじゃ、ボケる事を覚えなくてはならぬ。家臣たちに任せ、その家臣たちを使いこなし、最終的責任だけは取る。家臣の失敗も自分の責任として、自分で功を取ってはならぬ」
「殿…」
「じゃが武ならともかく、智においては美濃が安心してボケられる家臣が今の柴田におらん。だから佐吉やそなたらを美濃にくれてやるのじゃ」
「一つ聞いて宜しいですか」
「なんじゃ平馬」
「どうして…敵将の美濃守にそこまで…」
「…官兵衛にはいつか話したな。岐阜の城下での酒場の話を」
「はっ、やはりお話に出てきた小坊主殿は美濃殿にございましたか」
「そうじゃ」
秀吉は再び語った。幼き日の柴田明家との出会いを。
織田家で頭角を出してきた木下藤吉郎。しかしその働きは古参の不快を招き、ついには信長秘蔵の脇差が紛失した時、それを盗んだのは藤吉郎と讒言された。
墨俣の築城などで信長の評価高く、階段を駆け上がるが如く出世していた彼には周囲の妬みが渦巻き、藤吉郎はいいかげん嫌気が差していた。そんな時に盗人呼ばわりである。藤吉郎はヤケになり岐阜城の城下町で酒をあおった。そして酔って発した言葉が
『くそったれ! 今に一国一城の主になってやる!』
酒場はドッと笑いに包まれた。藤吉郎はうだつの上がらぬ小男の風体。サルかネズミのような変な顔。酌婦に至るまで腹抱えて爆笑していた。さらにみじめになった藤吉郎。
(ちくしょう、今に見ておれ!)
と、大杯で酒をあおる藤吉郎。だが一つの視線に気付いた。父親の酒を買いにきたのだろうか、四歳か五歳くらいの坊主頭の小さな僧侶が目を輝かせて自分を見ていた。
『…?』
その小坊主は藤吉郎に駆けてきて、目をランランと輝かせて言った。
『すごいや、おじちゃん! その時は家来にしてよ!』
本気で言っている顔だった。逆に面食らった藤吉郎。そして嬉しくなった。
『おお! 家来にしてやるぞ!』
『やったあーッ!』
小坊主が気に入った藤吉郎は自分の卓に座らせた。腹が空いていたのか小坊主は藤吉郎のフトコロ具合など無視してメシをバクバク食べる。
(いい食いっぷりだ…。賢そうだし、オレにこんな息子がおればなあ…)
しばらくして藤吉郎はその小坊主にグチを垂れだした。我ながら少し情けない。酔ってグチ言える相手が初対面の小坊主とは。だが小坊主はイヤがらずに聞いた。
『というワケでな、オレは周りの無能者たちに妬まれて、信長様秘蔵の脇差を盗んだ犯人にされてしまったんだ! ああ悔しい…!』
『おじちゃん、その脇差ってお金になるの?』
頬に麦飯の粒一杯につけながら小坊主が訊ねた。
『ん? そうだな、売れば五十貫にはなるかもしれんな』
『だったらさ! この町の武器屋さんにその脇差を売りに来たヤツがいたらオレに教えてくれと頼んでみればいいじゃないか! それでおじちゃんに悪い事を押し付けたヤツが捕まえられるよ!』
藤吉郎は持っていたお猪口をカランと落とした。
『お、お前天才か?』
『やったあ褒められた! 岩魚注文していい?』
『ああ、どんどん食え! あっはははは! おっとまだ名前を聞いてなかったな。オレは木下藤吉郎だ』
『オレは竜之介!』
『ほう、勇ましい名前だな! あっははは!』
秀吉の話が終わった。聞き入っていた吉継は無念に目を閉じた。
「よもやその小坊主が…家来どころか親父様最大の敵となるとは…!」
「ワシも想像もしていなかったわ。ふっははは」
「殿…」
「官兵衛、ワシはあの幼い家来に主人として何もしてやる事ができなかった。何より山陽道で我らを討てながら見逃してくれた。権六にはずいぶんと叱られたであろう。羽柴家当主としてあの義には報いねばならぬ。佐吉と共に竜之介を助けてやってくれぬか。あやつはそなたの命の恩人でもある。頼まれてくれぬか」
黒田官兵衛は姿勢を正し、そしてゆっくりと頭を垂れ
「承知いたしました」
そう短く答えた。
「平馬はどうか?」
「親父様を討った男が三流の君主にならぬよう…しかと目を光らせます」
「うん! ようワシのワガママを聞いてくれた! 礼を申すぞ!」
「「ハハッ」」
「ふむ、では官兵衛、平馬」
「「ハハッ」」
「これまでの働き、大義であった」
「「ハハッ!」」
平伏しながら黒田官兵衛と大谷吉継の目には涙がこぼれていた。
簡素であるが佐久間盛政の葬儀をしていた柴田陣。羽柴家から暇を出された石田三成はしばらく放心状態であったが、柴田明家に仕える事が主君秀吉の下命であり、そして明家も自分を必要としてくれるならと気を取り戻し、再び『歩の一文字』の旗の元に参ずる事を明家に約束した。佐久間盛政の御霊に手を合わせ、三成は明家に訊ねた。
「殿」
「なんだ?」
「佐久間様のご謀反の理由は何と思われますか」
「分からん…。怨恨、野望、そんな事で片付けたくはない。オレが一生を賭けて考えなければならぬ事なのだ」
「親父様が信孝様を討った事も…そのように考えていただければ嬉しゅうございます」
「そうだな」
「申し上げます」
使い番が来た。
「どうした」
「姫路城より、黒田官兵衛殿と大谷吉継殿が投降してまいりました」
「分かった、会おう」
柴田明家が黒田官兵衛、大谷吉継の待つ陣所に来た。官兵衛と吉継は深々と頭を垂れた。ゆっくりと明家は二人の前に腰を下した。石田三成も訪れ、官兵衛と吉継の後に腰を下した。
「体調はもう良いようですな官兵衛殿」
「はっ」
「それと…貴殿が大谷平馬殿か」
「はい」
山陽道では背中越しにすれちがっただけ。初対面と云えるだろう。柴田明家はしばらく吉継を見つめていた。
「なるほど、以前に佐吉がそなたを自分の自慢のように話していたが…間違いなかったようだ」
「恐縮にござる」
「我ら両名、羽柴筑前守の遺命により美濃守殿にお仕え申す」
と、黒田官兵衛。
「ありがたい、まだ修行中の身で筑前殿に比べれば頼りないところもあろうが、長い目で見ていただきたいと思う。官兵衛殿、平馬殿」
「「はっ」」
「そして佐吉」
「はっ」
「最初は羽柴様の遺命だから仕える、と云う理由でいい。もっと自己の研鑽に励み、柴田家の当主として相応しい男になり、そなたらより本当の誠忠を得られる君主となろうと思う。しかしその過程段階でもそなたらの協力は必要だ。頼りにしているぞ」
「「ハハッ」」
この頃、柴田の陣では仙石秀久の妻の蝶が出産の時にあった。出産が近づきつつある最近、蝶は体調を崩していた。夫の秀久が戻らない寂しさも手伝っているのだろう。だから蝶の周りの女たちは彼女にウソをついた。
仙石秀久は重傷を負ったが柴田軍に保護されて安土にいると。秀久個人には当主柴田勝家をはじめ、若殿柴田明家、重臣可児才蔵と云う柴田軍幹部に友誼のある知己もいるため、敵将とはいえ手厚く保護され治療を受けていると。蝶はそれを信じていた。蝶はこの時三十二歳、当時としては遅い初産である。夫秀久の喜ぶ顔を頭に浮かべ、地獄の苦痛の中で夫が死んでいると知らぬまま、新しい生命を生むために戦っていた。ただ夫の『よくやった』が聞きたくて。喜ぶ顔が見たくて。
夜になった。秀吉が城に火を放つと明言した刻限も近い。後詰の柴田勝家は先陣の明家の陣に訪れ床几場を構えた。共に羽柴の滅亡を見届けるためだ。
「オギャア、オギャア」
「ん…?」
「殿、どうやら仙石権兵衛殿の子が生まれたようです」
「ほう、そうか権兵衛の! 『丈夫に育てよ』と言い残した権兵衛の言葉を伝えなければならぬ」
生まれたばかりの子を抱き、竹中半兵衛の妻、月瑛院が勝家と明家の元に来た。
「義姉上、お疲れ様でございました。赤子は…」
「姫にございます」
「おうそうか! 権兵衛のダンゴっ鼻が似なければ良いがの! どれどれ」
月瑛院から赤子を渡され、丁寧に抱く勝家。
「おう、めんこい姫じゃ。お父上のような強き子となられい」
よほど勝家は仙石秀久を買っていたらしく、まるで孫娘を抱くようだった。
「蝶殿は大丈夫でございますか?」
と明家が訊ねると月瑛院は涙を落とした。
「亡くなりました…! 遅い初産でありましたし出産前から体調も悪く…!」
「なんじゃと!?」
「夫の権兵衛殿の死を知らぬままに…!」
「なんて事じゃ…」
「恐れながら」
「なんじゃ才蔵」
「その姫、可児家にて育てたいと思います」
可児才蔵と仙石秀久は柴田と羽柴に別れていても、敵味方を越えた友である。友の子が孤児となったのなら、自分が父親となろうと思っても彼の性格なら不思議ではない。彼と妻の間にはまだ子がいなかったのでちょうどいい。
「あい分かった、ただワシを名付け親にしてくれ」
「はっ」
赤子を月瑛院に渡す。
「明家、筆と半紙を」
「はっ」
勝家は半紙にスラスラと姫の名を書いた。
「これじゃ、命名『姫蝶』とする。『姫路』と母親の『蝶』の名を合わせた」
「よき名前にございます。可児才蔵、本日より姫蝶の父となりその名に恥じない姫に育てる所存」
月瑛院から赤子を渡される才蔵。
「姫蝶、父の可児才蔵だ」
戦場の猛将、可児才蔵が娘を得て破顔した。
「そんな顔もするんだ…新発見だ…」
「何か申されたかな若殿」
「い、いえ! あははは!」
この赤子こそが、後に柴田明家の嫡男、柴田勝明の正室となる姫蝶姫である。仙石秀久の血を引き、可児才蔵の養育を受けただけあって気が強い娘に育つが、それが勝明に愛され父母の明家とさえの夫婦と同じくらい仲睦まじい夫婦となる。
羽柴秀吉は姫路城の天守に上がった。妻のおねが死に装束で待っていた。
「さて、おね我らも行こう」
「はい…」
秀吉は天守に置いてあるものに気付いた。
「ん? これは…」
「私が作らせました。殿の最期に相応しいと思いまして」
「はっはははは、礼を申すぞ、おね」
羽柴の兵は涙を流して姫路城に火を放った。火の手が上がったのを見て柴田勝家と柴田明家の親子は羽柴家の滅亡を見届けるため、並んで着座し整然と炎を見つめた。
逆の立場なら同じように降伏を潔しとせず、北ノ庄の城と共に滅ぶだろうと勝家は思った。織田の家中でその間柄が有名なほどに不仲であった柴田勝家と羽柴秀吉。だがここに至っては勝家も秀吉に親しみを感じていた。
秀吉は姫路城天守閣から眼下の柴田陣を見た。特に先陣の明家の備え。
「見事なものじゃ。一分の隙もない」
そして先頭に勝家と座る黒一色の甲冑に赤い陣羽織、昇竜の前立てと炎の後立ての兜、凛々しい若武者を見た。
「…想像だにしていなかったのォ。あの小坊主と戦う事になろうなど…そして滅ぼされる事など…」
秀吉はフッと笑い、天守閣の戸を開け柴田軍に言った。
「寄せ手の柴田軍よ! 遠路ご苦労であった! 武運つたなく敗れるがこれも天命! あの世で信長様にお会いし、再び仕えん!」
「筑前…」
炎上する姫路城の頂上に立ち、堂々と死出への口上を叫ぶ秀吉。
「あの世でも一国一城の主になってやるわ!」
「……!!」
勝家の隣に座る明家がにわかに立ち上がった。
「どうした?」
「そうか…。そうだったのか…!」
まだ柴田明家が水沢隆広と云う名で柴田の下っ端武将だったころ、何かと隆広に親切にしてくれた秀吉。秘蔵の石田佐吉も預けてくれた秀吉。その優しい笑顔についつい甘えてきた。
そして今、ようやく柴田明家は思い出した。そして分かった。なぜ秀吉が自分に親身になってくれたか。それは秀吉自身があの時の『家来にしてやる』の約束を忘れていなかったからである。明家は当時五歳の事だったゆえ、忘れてしまったのである。だが秀吉の魂の叫びがその記憶を蘇らせた。
「何て事だ…!」
地に膝をついて手をつく明家。
「いかがした…明家?」
明家は勝家に、幼き頃の自分と秀吉との出会いを話した。
「そうであったか…」
ようやく落ち着いた明家は再び床机に座った。
「秀吉殿がどうして不仲の柴田家の下っ端武将であったそれがしにあれだけ親切にしてくれたか…今分かり申した。知らぬ事とはいえ、幼き頃の記憶の彼方とはいえ…」
「…お前はその筑前に応えたではないか」
「え…?」
「もはや戦うチカラをなくした羽柴勢をお前は見逃した。この武士の情け…お前は十分に筑前に応えた」
「父上…」
初めて勝家を父と呼んだ明家。その言葉にフッと笑い勝家は言った。
「おじちゃんの最期、しかと見届けてやれ!」
「はっ!」
秀吉とおねは最後の時を待っていた。
「おね、苦労をかけたのォ」
「苦労などと思っておりませぬ」
「楽しい日々であった。そなたのおかげじゃ、愛しておるぞ」
「おねも、殿を愛しております」
秀吉は刀を抜いて、おねを抱き寄せた。
「今度生まれ来るときも、おねを妻に…!」
「当たり前じゃ、そなた以外の妻など考えられぬ!」
秀吉は愛妻おねを自ら突き殺し、そして腹を切った。姫路城内に残っていた将兵は自決した。そして天守が炎に包まれると同時に
ドーン! ドーン! ドドーンッ!
火薬玉が何発も爆発した。花のように美しい。秀吉の妻おねが、もはや城に火薬はいらぬと云う事で事前に鉄砲職人に作らせていた。夫の死に花を添えるために。それを見た明家が言った。
「花火…」
これが日本の歴史において『花火』と云う言葉が生まれた瞬間だった。暗い夜空を華やかに彩る花火が突如打ち上げられた。何発も何発も。
「羽柴様…いや…」
万感の思い、そして親しみを込めて明家は言った。
「おじちゃん…」
戦国の英雄、羽柴秀吉の最期だった。柴田勝家が感慨深くつぶやいた。
「あの男らしい…。華やかな最期ではないか…」
そして姫路城が音を立てて倒壊していく。
「同情はすまい秀吉…。ワシがその運命を辿っていたのかもしれぬのだから」
織田の家中で修復できないほどの不仲であった柴田勝家と羽柴秀吉。だが勝家の目には涙が浮かんでいた。どんなに仲が悪かろうと織田信長の旗の下、共に戦場を駆けた者同士。そして勝家にとって最大の敵でもあったのだから。
「おじちゃん…。オレ、絶対におじちゃんの事…忘れないよ」
柴田明家は静かに合掌した。
「明家」
「はい」
「ワシはこの戦の後始末を終えたら隠居する」
「え…!」
「もうワシの出番は終わりじゃ。あとはお前に譲る。ワシはもう顔も出さぬしクチも出さん。あとはお前の好きなようにやるがいい」
「父上…」
「はっはははは! トンビがタカを生んだわ。だが息子よ、これから忙しいぞ。大大名となった当家。だからこそ、その舵取りは慎重になさねばならぬ。民のため一日も早く戦のない世を作らなければならぬ。二代目にしっかりしてもらわねば困るぞ」
「はっ!」
「おじちゃんのためにもな!」
「はい!」
こうして柴田明家はこの後に父の柴田勝家から家督を継ぎ、日本最大勢力の武家棟梁となり、天下人へ一歩抜き出た存在となるのである。
姫路城の戦いから数ヶ月経った。安土の城下町はどんどん作られ、行き届いた内政により民心もあがり安土は日本最大都市となっていった。後に柴田明家は大坂の地に根拠地を移すが、それはまた別の話。安土城下の桜並木の下に一組の夫婦がいた。手を繋いで歩いている。
「さえ」
「はい」
「何だかまだ信じられないが…オレが日の本一の大名になってしまった」
「はい」
「でもオレは変わらないよ。さえと北ノ庄城下の小さな屋敷で二人で暮らしていた頃と」
「お前さま…」
「オレの最大の快挙は日の本一の大名になった事じゃない。日の本一の女を妻にした事だ。さえもこれから御台として忙しくなるだろうが…よろしく頼む。さえはオレよりも長生きしてくれよ。そなたが側にいない人生など考えられない」
「殿こそ私より長生きしてください。殿のいない人生なんて…さえは毎日泣いて暮らす事になります」
「あっはははは。さ、着いたぞ」
それは二つの墓だった。
「これが父上の…」
「ああ、義父殿の新しいお墓だ。約束しただろう、もっと立派なお墓を立てると」
「殿…」
「オレの養父、隆家の墓も同じく北ノ庄から移して隣に作った。あの世で二人して碁でも打っているかな」
「うふ、だったら父の景鏡は一度も義父上様に勝てていないかも。碁はヘタの横好きでしたから」
「あははは、そりゃ義父殿が気の毒だな」
一通り墓を清掃すると夫婦は二つの墓に合掌した。
「さえ、ちょうどいい具合に桜が満開だ。義父殿も養父も武将ゆえ辛気臭い事は好まないだろう。実は今日ここで花見の宴を催す事を助右衛門たちに言っておいた。かまわないよな?」
「はい!」
しばらくすると明家の家臣や家族、側室すず、同胞の前田利家、可児才蔵、そして父の勝家、母のお市、妹となった茶々、初、江与もやってきた。御用商人の源吾郎や、夫婦となった舞と六郎、白と葉桜ら明家の忍びも町人姿で訪れた。
前田慶次が幸若を舞い、勝家が能を披露し、茶々、初、江与の三姉妹が美しい舞を踊る。それは楽しい宴だった。ふと酔った明家が空を見ると、明智光秀、羽柴秀吉、織田信長、友であっても戦わざるをえなくなった山内一豊、仙石秀久、明智秀満、斉藤利三の笑顔が浮かんで見えた。不仲でも最後は心を通わせる事ができた柴田勝豊、佐久間盛政、そして師の竹中半兵衛、諏訪勝右衛門、快川和尚、養父水沢隆家の姿が空に見えた。明家の目に一筋の涙が落ち、彼もまた、その英霊たちに微笑んだ。
「殿!」
「ん? なんだ辰五郎」
「いつぞや北ノ庄東の城壁を直した時に朝倉宗滴公の活躍を立派な講談で語ったでしょう! また聞きたいですのお!」
「「おおお~」」
「明家、面白そうだな、やってみろ!」
「はい! でも以前と同じ宗滴公を語るのは芸がないから…そうだ! 亡き上様の桶狭間の合戦を講談させていただきます!」
「「オオオオ~」」
一斗樽を自分の前に置いて
「コホン…」
そして扇子で蓋の板を叩いて調子を取る。
タンタンタン!
「時は永禄三年五月一日! 駿遠三の覇者今川義元! 精鋭三万の大軍を率いて駿府城を出発! 対する尾張の大うつけ殿様織田信長の手勢わずか三千!」
「はっはははは!」
自分が参戦した合戦ゆえか、柴田勝家と前田利家は楽しそうに聞いた。そして全員いつのまにか明家の名調子に惹きこまれ夢中で『桶狭間合戦』を聞いていた。美酒に面白い講談。宴は盛り上がり、桜吹雪がそれに添えた。まるで柴田明家の門出を祝うがごとく…。
しかし柴田明家にまだ安息な日々は到来しない。甲信駿遠三と云う広大な地と、三河三万騎と云う戦国一の精鋭を従える徳川家康と尾張の地で激突するのは、これよりわずか二年後の事であった。
『智慧美濃か…。大層な通り名だが、その智謀がワシに通じるかな…』
『家康殿と戦い、勝つのは難しい。オレは無理をしない。だが負けない』
ねこきゅうでは、このお話を本編最終回としました。何故なら、原作ゲームがここで終わっているからです。原作も秀吉を姫路で討って終わりなのですが、やはりここで終わりと云うわけにも行かず、完結編を書きました。
完結編、新小説投稿にしようかとも考えましたがハーメルン版では完結編も本編としてこのまま投稿を続けるつもりです。