天地燃ゆ   作:越路遼介

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土佐のいごっそう

 長宗我部氏の事を少し語ろう。長宗我部元親が治めた土佐と云う国は元々流刑地でもあった。平氏の落人やら政争で敗れた公家などが流れてきた。四国と云う本州から離れた島で、土佐の目の前はもう外海、北は四国山脈。古代から中世にかけて土佐は隔離されていた別世界とも言えた。南北朝の時代に細川氏が土佐を治め、中央政権との繋がりもできるが、応仁の乱により細川氏は失脚。土佐も戦国時代に突入した。

 一度は本山氏に領地を奪われた長宗我部氏であるが、元親の父である国親が臥薪嘗胆の時を経て本山氏から旧領を奪取した。その後も長宗我部氏と本山氏の終わりなき戦いは続くが、齢が五十の坂を越えた国親は隠居できなかった。二十にもなっていた長男の元親が家臣たちから『姫若子』と呼ばれるほどの頼りない長男であったからである。しかし二十二の歳にようやく初陣となる。本山氏と対する土佐長浜城の戦いである。その進軍中に元親は家老の秦泉寺豊後守に『で、槍はどう使えばいいのだ?』と訊ねたと云う。

 しかし、これが素であったのか、振りであったのか分からない。この直後、元親は味方の陣から進み出て、『我が初陣に一騎打ちの勝負を挑む猛者はありや』と名乗りを上げた。これに応えたのは本山氏にその人ありと言われた武人の国見五郎太であるが、元親は彼を槍一閃で討ち取ってしまったのである。元親の想像もしていなかった武勇に長宗我部氏の士気はうなぎのぼりに上がり、合戦は勝利。家臣たちから『姫若子』から『鬼若子』と称され、また武勇だけでなく知略にも長け、土佐の出来人とも讃えられた。

 父の国親は隠居し家督を継いだ元親は土佐を統一し、そして四国を統一したのである。

 

 しかし、ここで柴田明家の登場である。元親は降伏勧告とも云える『柴田の作る統一政権に組されよ』の申し出を完全に拒否。それどころか四国の基盤を固めたら畿内に攻め込むつもりでいた。それが柴田明家に渡海の大義名分を与えてしまった。統一政権の樹立は柴田家の願いではない。すでに天皇の意図である。

 柴田明家は一領具足の仕組みや、長宗我部氏が今まで行ってきた合戦の情報を調べた。元親とその家臣団、そして一領具足たちの精強さ、手強しと見た明家は合戦前から容赦ない調略を行っていたのである。武田信玄の言う『戦う前に勝利を決めよ。合戦は最後の詰めに過ぎぬ』を実行していたと言える。

 

 実際に柴田対長宗我部の合戦が始まると、調略が効き元親に服従したばかりである讃岐と阿波の諸豪族は我も我もと柴田軍に降り始めた。しかし讃岐植田城だけは元親が柴田軍に備えて新たに築城したものだったので戦う構えであった。

 明家はこの讃岐植田城の城攻めを黒田官兵衛に任せた。この植田城篭城は元親の策が仕込まれていた。柴田軍が攻撃を開始したら長宗我部の大軍で寄せ手の柴田軍を殲滅する手はずを整えていたのだ。しかし相手が悪かった。黒田官兵衛である。彼はその策をあっさり見抜き植田城を攻めずに、主君明家に阿波へ進軍する事を提言。官兵衛は

『こんな浅知恵で四国を切り取ったとは驚くばかり』

 と、辛らつに評した。この言葉を伝え聞いた元親は大変悔しがり、

『寄せ手の大将が宇喜多や佐々なら突撃してきたろうが、黒田官兵衛のような歴戦の智将に当たったが我が不運なり』

 と嘆いた。黙って通過させるわけにもいかない。植田城の城主である戸波親武は追撃に出たが、多勢に無勢で蹴散らされ、からくも敗走。城と云うより砦であった植田城は長宗我部敗走の直後、柴田によって焼却されて廃城となる。

 

 長宗我部家の家老の谷忠澄は主君元親を説得した。瀬戸内海で見た軍船の数と装備。とても勝ち目はないと判断し、柴田軍との戦いが無益な事と何度も主君元親に進言したが受け入れられず、やむなく最前線である阿波一宮城に立て篭もり籠城戦を展開した。相手は前田利家六万の大軍である。忠澄は善戦し、よく持ちこたえた。

 利家も焦れてきて『こんな小城に何を手間取っているか!』と将兵を叱咤する。側近の村井長頼が

「殿、責任を転嫁しちゃまずいですよ」

 と、小声でやんわり叱り付けた。大軍と過信し小城と侮った利家にも責任はある。

「すまん…」

 素直に落ち度を認めた利家を苦笑して見る上杉景勝。

「しかし、これ以上この城に時間は割けませんな。山城、何か妙案はないか?」

 知恵者の直江兼続に振る景勝。

「されば…」

 直江兼続が利家に進言した。

「中務(利家)殿、聞けば城主の谷忠澄は主君元親に柴田との開戦を止めたと伺っております。一度城攻めをやめて忠澄殿を味方に引き入れ、引き続き元親への降伏説得に動いてもらうが得策と存ずるが」

 共に軍机にいた真田昌幸は感心したように兼続を見た。そして同意。

「中務殿、山城守殿の意見、この安房(昌幸)も同感にございまする」

「よし、よかろう山城殿の意見を入れよう」

 利家は兼続の意見を入れ、一宮城に軍使を派遣し、忠澄に柴田軍と戦う事の無意味さを訴えた。彼もその事はよく理解していたので、主君元親のもとに再度説得に向かった。その知らせは明家の元に届いた。

「官兵衛殿、聞いての通りだ」

「はい」

「しばらく待ってみようかと思うが…」

「よろしいかと存ずる。土佐に攻め込めば、その谷某の説得も途中で断念せざるを得ませんし、長宗我部を窮鼠たらしめる事ともなりまする。敵にかような動きがあるのなら夜襲と奇襲に備え、休息を取るのも肝要と存じます」

「うん、よし今日はこの地で夜営だ。全軍に現地の領民への略奪を禁じさせよ。特に婦女子への暴行は問答無用で処刑いたすと」

「承知しました」

 

 しかし翌日、足軽の一人が土地の娘を陵辱した事が判明した。明家はこういう行いが大嫌いである。一昔の合戦ではどの大将も大目に見ていた事であるが、織田信長の登場によって次第に現地の民、特に婦女子への暴行は固く軍律で禁じられる事が多くなった。

「即刻、その足軽の首を刎ねよ! 直属の上司は監督不行き届きの罪で腹を切れ。またその婦女子と家族には多大な金銭と兵糧を与えよ」

 と厳しく処断。大野治長が

「殿、兵とその上司は宇喜多家の者、助命を願う書が来ており…」

 と伝えた。しかし

「破り捨てろ」

 書に見向きもしない。

「現地の民への略奪行為、特に婦女子への暴行は許さんと厳命したはずだ。宇喜多は聞いていなかったとでも言うのか!」

「は、ははっ!」

 兵は斬刑、その上司は監督不行き届きで切腹となった。助命書に見向きもしなかったと聞き、宇喜多の重臣戸川秀安は激怒した。

「大納言は宇喜多を軽んじている!」

 それを静かな目で見ている明石全登。

(バカが…。その軍律の厳しさの徹底を見て大納言の将器を読めぬか。これだから古い時代の猪武者は困る。ましてや助命を願う書を送るなど愚の骨頂、宇喜多の家名に恥の上塗りをするばかり。八郎様の晴れの初陣が台無しともなろうに、そんな事も分からんのか…)

 無論、宇喜多の重臣すべてが戸川と同じ判断をしたワケではない。宇喜多忠家がそうだ。

「そういきり立つな。十二万もの軍勢を率いているのだ。そのくらいの一罰百戒は必要だ」

「しかし…」

「先代直家もそのくらい軍律は厳しい方だった。知らぬそちたちではあるまい?」

「ま、まあ確かに…」

 大きな溜息をついて秀安は床几に腰掛けた。花房職秀は柴田家からの指示で陵辱された娘の家を訪れ、慰問金と兵糧を置いてきた。

「おお帰ったか」

 と、宇喜多忠家。

「何とか受け取ってくれましたわい。やれやれ武士の儂が百姓に頭を下げねばならぬとはのォ」

「ま、そう愚痴るな。兵のそんな行為を止める監督と教育が出来ていなかった我ら重臣たちも悪い。郷に入らば郷に従え、軍律は軍律よ、以後また同じ事があったら宇喜多の印象が悪くなる。各々敵は無論、味方の行いにも目を光らせよ」

「「御意」」

 

 この柴田明家の『現地の民に無体な仕打ちは許さない』の軍律の厳しさは現地の民にも伝わった。

『何だよ、柴田の若い殿様は長宗我部や十河の殿様より分別があるぞ。長宗我部や十河は滞陣中に村の娘たちを無理やり連れて行ったからな』

『そうだ、食い物が無くなれば平気で略奪した阿呆な大将よ。柴田の殿様の方がいい統治をしてくれるのじゃねえか』

 こんな具合で人から人へと噂が流れる。明家が遠征中当たり前に行っている事、これを柴田の密偵たちがさらに吹聴して回っているのだ。

 

 家老の谷忠澄は雲霞のごとく押し寄せてくる柴田の軍勢を見て、もうどうにもならないと痛感し、再度の説得を主君元親に試みた。

「殿、見ると聞くとでは大違いにございます! 鉄砲の数も比較にならず、我らは半農半士に引き換え、柴田勢はすべて武士にございます! 加えて柴田に寝返る豪族、土豪、野武士たちは数知れず、我らは内側からも崩れつつあります! 戦うどころではありませぬ! 限りある四国の兵数で、軍勢の終わりも見えぬ柴田大納言の大軍勢と合戦するなど我らに勝ち目があるはずがございません! 長宗我部の家を殿の代で潰すおつもりか!」

 実際に自分が柴田軍と戦った感想も伝え、今すぐ降伏するよう強く訴えた。しかし忠澄の言葉に激怒した元親は、

「西国にこの名を轟かすこの元親が降伏なぞできるものか! 今までの我らの戦があんな若僧に四国丸ごとくれてやるためだったと言うのか! 貴様がそこまでの腑抜けとは知らず、一宮を預けたのは我が不明! 貴様は一宮城にとっとと帰り、柴田の軍勢と刺し違えて死ぬか腹を切れ!」

 と、聞く耳持たない。

「殿! まだ間に合いまする! 大納言の養女は奥方様の姪! また奥方の兄上である斉藤利三殿に武人の節義を示した者! この縁を大切にし…」

「くどい! 斬るぞ!」

 長宗我部元親の妻の白樫は明智光秀の家老、斉藤利三の妹である。明家のもとで大切に育てられている養女お福は姪となる。その縁は元親も知っている。お福をかすがいに柴田と長宗我部は縁戚であったのだ。

 何より柴田明家は兄の利三が切腹した時に介錯をし、丁重に亡骸を坂本城に届けた事も白樫の耳には届いていた。そんな男が総大将の柴田と矛を交えるに至った事に白樫も悲しんだ。

『大納言殿は兄からお福を託されました。兄ほどの武人が遺児を託したと云う事は大納言殿が間違った仁ではない証にございます。そのお福は大名の建前の養女ではなく、大納言殿やその奥方に大切に育てられているとか。白樫はそんな方と殿が戦う事に耐えられません…』

 元親は『さきに吹っかけてきたのは大納言だ、大納言に文句を言え!』と怒鳴るしかなかった。確かにこの合戦は明家が長宗我部に明らかに喧嘩を売った形である。しかし喧嘩を売られて黙っていて戦国大名は務まらない。その喧嘩を買い、返り討ちにして敵の領地を併呑するのが戦国大名と云うものである。長宗我部とて今までそういう戦いを経て四国を統一したのである。だが現実、柴田と長宗我部では装備が大人と子供である。戦況はきわめて悪い。入ってくる報告は敗戦の知らせばかり。はては重臣の谷忠澄の降伏論。

「頭を下げられるものか…。あんな若僧に!」

「父上」

「おお、弥三郎(元親長男の信親)」

 元親嫡男の信親が城主の間に来た。元親が並々ならぬ愛情を注ぐ息子である。元親が『我が息子ながら』と常々自慢している息子。信親への溺愛振りが伺える。

「出陣のご命令を下さい」

「なに?」

「勝ちに驕る柴田に、土佐のいごっそうがチカラ、示したく存じます!」

「…ダメじゃ」

「父上、忠澄の説く降伏論を突っぱねる以上は戦うつもりなのでございましょう? 前線に嫡子のそれがしが行けば士気も上がります! もう讃岐と阿波は柴田に持っていかれました! 伊予も時間の問題でございましょう! 土佐の国境に留まるは忠澄の説得の結果を待っているからにすぎません! 父上が否と言ったと知れば柴田は岡豊城まで一直線にやってきます! 阿波との国境にいる今、夜襲をかけたいと存じます!」

「弥三郎、お前は勇気がありすぎる。勇猛果敢と無鉄砲は違うぞ。すでに柴田本隊と前田隊も合流していると聞く。途方もない大軍じゃ」

「大納言の陣は先の通り降伏説得の結果を待ち、戦闘にしばらく入らないと見込んでいましょう。単なる手柄欲しさで父上に夜襲を提言しているのではありません。油断している今が好機、二千の兵で十分です。出陣のお許しを!」

「…ふむ」

「父上、よしんば降伏をするとしても、かような無様な敗戦のあとでの降伏では大納言に長宗我部は腰抜けと思われ軽んじられます! せめて一矢だけでも報いなければ!」

「せめて一矢のみか…」

「はい!」

「よし、行ってまいれ!」

「はっ!」

 

 信親は勇んで出陣した。しかし敗戦への連鎖と云うものは敗者へ残酷である。信親の夜襲計画は密告者により柴田陣に報告されたのである。土佐と阿波の国境に陣取る柴田勢に信親率いる二千の精鋭が夜襲をかけた。しかし陣はカラだった。すぐに罠と悟った信親は大急ぎで退いたが、松山隊と小野田隊が退路を塞いだ。

 追撃には黒田長政隊が出た。包囲される信親の軍勢。しかしこの時、包囲されている側の方が強かった。信親は中富川の戦いの前哨戦で十河氏の城二つを落としている若き猛将で父親には無論、家臣たちにも信頼が厚い。二千の兵が一丸となって松山隊と小野田隊に突撃していった。松山矩久や小野田幸猛も柴田の赤と黒の母衣衆筆頭を務める勇猛な将であるが圧倒される。加えて信親の『信』の字はかつて元親が織田信長と誼を通じた時、信長がまだ少年の信親を見て自分の『信』の字と左文字と云う名刀を与え、かつあの織田信長をして『我が養子にしたいほどだ』と言わしめた若者。信親は織田信長が認めた男なのである。若者とは云え松山矩久と小野田幸猛では役者が違った。

「おいおい何だよ! 冷や汗かいて損したじゃねえか! やはり都で茶の湯などに興じている柴田の将は弱腰! 何が尚武の柴田よ、笑わせるな!」

「言わせておけば小僧!」

 激怒した松山矩久が槍を突く。ヒョイとよける信親。

「甘い甘い、お前のような端武者が母衣衆になれるほど柴田にゃ人材おらんのか! 大納言に同情したくなってきたわ!」

 槍を握り、引っ張ると矩久は落馬。

「くそっ!」

「あーははは! これでも食らえ!」

 去り際に信親は尻を二度ペンペンと叩いた。豪快な放屁つきである。追撃に出た黒田隊も信親の軍勢に逆襲され、小野田幸猛など負傷もしてしまった。信親は三倍近い兵力に包囲されても瞬く間に蹴散らしてしまった。信親の武勇と統率力もあるが、その部下たちと一領具足の兵も精強だった。その精鋭を縦横に使いこなす若武者信親。負傷した小野田幸猛に歩む矩久。

「大丈夫か美作(幸猛)」

「ああ、何とかな。しかしまるで殿と戦ったかのようだ…。何ちゅう用兵だよ…」

「それに兵も強い…。殺気の塊だ。一人一人が武将級の強さじゃないか…」

 猛省して柴田本陣にやってきた松山、小野田、そして黒田。戦目付けから明家に信親が豪快な放屁つきで柴田の攻撃を振り切ったと云う報告が届いていた。

「あっははは、冷や汗かいて損したか、言ってくれるな」

「も、申し訳ございません! 殿の常勝に泥を!」

 と、松山矩久。

「俺の事などどうでもよい。しかしこれで分かっただろう。長宗我部も必死なのだ。我らは数に頼り油断していた。そなたらもだが俺も戒めなければならん」

「「ははっ」」

「しかし長宗我部信親か…。さすがは亡き信長公が認めた若武者だな。矩久を討てただろうに討たなかったのは、夜襲が失敗した今、一人でも無事に帰還させる事を大事としたのだろう。勇猛だけでなく思慮深い。元親殿が息子自慢するのも分かるな」

「確かに…」

 と、黒田官兵衛。明家の前でシュンと小さくなっている息子の長政を見る。同年ほどの信親に散々な目に遭ったのが悔しいようだ。官兵衛は『かえって良き薬になったわ』と苦笑していた。

「もうよい、勝敗は兵家の常。手柄で挽回せよ」

「「ははっ!」」

 松山矩久、小野田幸猛、黒田長政は立ち去った。

「六郎」

 静かに明家は忍びの六郎を呼んだ。スッと姿を現す六郎。

「お呼びで」

「夜襲を密告してきた長宗我部の者がいたな」

「はっ」

「斬れ」

「承知しました」

 

 夜襲は失敗したが、信親は土佐のいごっそうのチカラを十分に柴田に見せ付けた。岡豊城に帰還した信親を城主の間で労う元親。

「よう戻った。夜襲は看破されたが、包囲した柴田を蹴散らした事は聞いた。よくやった弥三郎!」

「はい」

 長宗我部家臣たちは事実上勝利した若殿信親を讃えた。悪い知らせしか届いていなかった岡豊城が湧いた。元親は信親の働きも嬉しかったが居城の士気の上昇も嬉しい。

「しかしながら父上」

「なんじゃ?」

「それがしが蹴散らしたるは、松山、小野田、黒田のせがれ…。柴田では二線級の将でした。武勇の可児や奥村の軍勢と対決していたら、こうはいかなかったと思います」

「ふむ…」

「やはり柴田が本気で攻めかかってきたのなら当家は勝てませぬ…。それでも戦いますか」

「無論じゃ」

「分かりました。弥三郎も父上と最後まで戦いまする!」

「よう申した!」

 嬉しくてたまらない元親。たくましく成長し、そして鬼若子と呼ばれる自分も及ばない将器。何と頼もしい息子よと誇らしい。

「さあ今日はもう良い、疲れたであろう。風呂でも入り休むがいい」

「はっ」

 信親は城主の間を去っていった。時を同じして、元親の忍びが報告に来た。

「殿…」

「うむ、柴田陣はどうか?」

「夜襲の後にも動きはありません。あくまで谷様の報告を待つようにございます」

「そうか…」

「それと…こたびの夜襲が見破られしは密告によるものにございます」

「な、なんじゃと! 誰が密告した!」

「……」

「申さんか!」

「殿の使い番の七兵衛にございます」

「七兵衛じゃと!?」

 元親が信頼していた使い番の一人である。

「何たる事…!」

「…殿」

「…ではもう七兵衛は生きてはいまいの。大納言はそういう輩が大嫌いな性格をしていると聞く」

「仰せの通りです。七兵衛は斬られましてございます」

「愚かな七兵衛…。密告を喜ぶような者が畿内の王者になれるわけがなかろう! なぜそんな事も分からん!」

「……」

「もう良い、下がれ」

「はっ」

 

 元親は城主の間の縁台に出て、海を見つめた。

(夜襲に怒り、押し寄せてくるような猪武者ならどんなに楽か…)

 腕を組み、一つ溜息をついた。

「ふう…。日向殿(光秀)、内蔵助殿(利三)、まさかこのような仕儀に相成るとは思いもよらなんだ」

 長宗我部氏と明智氏は親密であった。元々信長に近づいたのは領土を保証してもらうためである。その折衝役となったのが明智光秀とその重臣の斉藤利三である。利三の妹を正室にしている事でも、どれだけ親密であったか分かる。信親が信長に『信』の字と名刀を与えられたのもこの時期である。

 しかし信長は一転して長宗我部氏から三好氏に庇護を転じる。三好氏を先鋒にして四国攻めを決定した。信長は長宗我部に阿波の国を返すよう勧告。当然長宗我部氏は拒否。信長はそれを待っていた。長宗我部氏は織田に叛意ありとして四国攻めの大義名分を得た。

 自分を頼ってきた長宗我部氏を討つ事は義理堅い光秀にとうてい受け入れられるものではなかった。これもまた本能寺の変の一つの要因と思われる。

 信長が本能寺の変で討たれると、長宗我部氏はすぐに畿内出征に乗り出す。一般にこれは長宗我部氏の領土拡大の意図とも言われているが、長宗我部氏は明智光秀に助勢しようとしていたのではないかと云う見方もある。だがその意図があったとしても時すでに遅く明智光秀と斉藤利三は瀬田の地で敗れ、その後に自害して果てた。

「儂は…天下人となられた日向殿に改めて領地の保障を願い、そして強固な軍事同盟を結びたいと思い、瀬戸内海を渡ろうとしたが時すでに遅かった。柴田によって全て水の泡じゃ…。明智と親密であった当家…。日向殿存命なら今ごろ四国はおろか、畿内にも領地を得る大大名となっていたかもしれぬ。しかしそうはならず、儂の展望すべて打ち砕いた柴田大納言が…今度は土佐にまで牙を剥いてきた。ここで退いたら、儂の人生は何なのか、まるで分からなくなる…」

「殿…」

「白樫…」

「潮風は冷えます。中に…」

「うむ…」

 城主の間に戻った元親。白樫は酒の膳を用意していた。酒を注ぐ白樫。

「のう白樫」

「はい」

「内蔵助殿は遺児を大納言に託した。内蔵助殿が立派な武人である事は知っている。彼が取るに足らない男に遺児を託すはずがない。その理屈は分かる」

「殿…」

「だが…戦わなくてはならない」

「……」

 だが翌日、そんな元親の決意が根底から覆される出来事があった。重臣の谷忠澄が他の長宗我部の重臣たちを説き伏せ、家臣の総意を降伏論に変えてしまったのだ。

 一度は突っぱねられた忠澄の降伏論。自分一人では駄目だと見た忠澄は長宗我部家の重臣一人一人を説得し、やがて意見を一致させた。そして重臣総意として岡豊城の主人元親に柴田への降伏を訴えたのだ。これにはさすがの元親も飲まざるをえず、重臣一人一人の顔を見て溜息をつき

「儂がいくら戦おうと思っても、重臣どもがこれほどに腰を抜かしている以上どうにもならん。もはや、そなたらの進言を聞き入れるより他に道はあるまい…」

 と、無念に言った。

「時の勢いとは…こうも恐ろしいものなのか…。姫若子と揶揄され、二十二の遅き初陣から戦い続けて二十数年…。息子ほどの歳の男に膝を屈せねばならぬとは…!」

 城主の座で肩を落とし、自嘲する様に笑った。

「天魔信長の侵攻に怯え…彼奴が四国攻め直前に本能寺の変で死んだとき、天は我を見放していないと思った…。だが、そんな都合の良い事は二度もあるものではないな…。ふっははは…」

 信親は憤然として立ち上がった。

「お前らそれでも、土佐のいごっそうか!」

「若殿…」

 信親の剣幕に押される谷忠澄。

「お家の安泰、我が身の命を惜しんで戦を避けるのは武士ではない!!」

 無念に拳を握る信親。悔し涙が溢れている。

「お前らの股についているものは飾りかよ…!」

「「……」」

 重臣たちは黙った。若い信親には耐えられない屈辱である事は分かる。

「弥三郎もうよい」

「父上!」

「重臣たちとて苦渋の決断なのじゃ。父の国親も領地を本山氏に奪われ、臥薪嘗胆の日々を送ったが、ついには旧領を取り返した。またそれをやれば良い事だ!」

 

 ついに土佐岡豊城の城門が柴田家に開かれた。開戦わずか二ヶ月、圧倒的な力を見せつけた柴田明家の四国攻めは終わりを告げた。

 長宗我部元親、息子信親、そして長宗我部重臣が城外に出て、柴田本陣にやってきた。

「長宗我部元親にござる」

「柴田明家にござる」

「降伏の誓書をお持ちしました」

「これへ」

「はっ」

 元親自らが明家に寄り、膝を屈し誓書を差し出した。渡した後、改めて平伏する。四国の覇者である長宗我部元親には初めて味わうであろう屈辱。息子信親も平伏しているが、悔しさに拳を握り落涙する。重臣たちも降伏を説得したとはいえ、やはり目の前にある光景は無念極まりなかった。床几に座る明家に主君元親が平伏しているのである。誓書を読む明家に元親が言った。

「城の明け渡しに備え、ただいま城中の者が清掃中にござれば、暫時お待ちを」

「それには及びませぬ」

「は?」

「土佐と伊予は今までどおり長宗我部氏が統治されよ。柴田は阿波と讃岐をいただきまする」

「な、なんと!?」

「柴田に長宗我部が従ってくれるのならばそれで良いのです」

「ふざけるな!」

 元親嫡男、信親が立ち上がって怒鳴った。

「弥三郎控えい!」

「父上、これが黙っておられますか! いずれの国も我らが命がけで手に入れた土地! 何が悲しゅうて柴田に裁量されねばならないのですか!」

 敵陣の真っ只中で何と云う事を。長宗我部重臣たちは真っ青になった。伊予と土佐が残るだけでありがたいと思わなければならないのに。しかし明家は怒らず、静かに信親を見る。

「ほう、ではいらぬと言うのですかな?」

「高いところから見下ろしやがって! さぞかし敵に情けをかける自分が気持ちいいだろう!」

 その言葉に激怒した柴田家臣たちが刀に手をかけた。明家はそれを静かに制した。

「あっははは、良い息子を持たれましたな元親殿」

「は、はは!」

「信親殿、勇ましい限りだが、いささか短慮であるな。その一言で長宗我部の一族郎党が路頭に迷えばいかように責任を取られる?」

「……」

「お父上、元親殿の方が何倍も悔しいと思っているのです。それを分からず、思うがままに言いたい事を言うのは主君への忠、父上への孝にも反するとは思われぬのかな?」

 信親は反論できず、への字口で再び座った。そして

「申し訳ございませんでした父上」

 と、素直に謝った。

「儂ではなく大納言殿にお詫びをせぬか」

「……」

「聞こえないのか弥三郎!」

「いやいや良いのです元親殿」

「は…。申し訳ございませぬ」

 しかし何が幸いするか分からないもので、信親は先の夜襲における武勇と今の豪胆さで明家に大変気に入られる事となる。柴田軍は大坂へと引き返した。長宗我部元親も重臣と共に大坂城に向かい、改めて城主の間で柴田明家に降伏する事を述べ、明家は讃岐、阿波を長宗我部家から召し上げた。伊予と土佐の領有は認められたのだ。四国を制覇した元親の快進撃は終わり、今後は柴田家配下の一大名としての生き方が始まるのである。

 

 大坂に逗留し数日、元親と信親は大坂の地に与えられた長宗我部屋敷の建築予定地へと向かった。広いがまだ何の手付かず。雑草地帯であった。

「こんな不毛地帯を!」

「不平を言うでない弥三郎。上杉も蒲生も似たり寄ったりの土地を拝領したと聞くが…」

 遠めに見える大坂上杉屋敷を指した。

「ほれ、あんな立派な屋敷を建てているではないか」

「はあ…」

「我ら長曾我部も四国の田舎者と侮られぬ屋敷にせねばならん」

「はっ!」

 そして数日後に、元親と信親は大坂城の明家に召された。

「大坂屋敷の建築状況はいかがですか」

「はい、順調にございます」

「ところで信親殿」

「はい」

「御身の歳はいくつか?」

「はあ…十七になります」

「ふむ、ちょうど良かろう」

「は?」

「入るがいい」

「はい」

 城主の間に一人の美少女が入ってきた。思わず信親は見惚れる。少女は明家の傍らに座った。

「元親殿、手前の養女のお福にございます」

「そなたが」

「はい、お初にお目にかかります。義叔父上様」

 お福の父の斉藤利三と長宗我部元親の妻の白樫は兄妹である。お福にとって元親は義理の叔父と云う事になる。

「何とも見目麗しい…。亡き内蔵助殿にお見せしたきものよ」

 隣の信親はクチをポカンとあけて見惚れている。

「どうでござろう。手前の養女のお福、信親殿の妻にしていただけまいか?」

「そ、そ、それはまことにございますか!」

 お福と信親は従兄妹同士となるが、当時は珍しい事ではなかった。

「はい、亡き信長公同様に、それがしも信親殿を大変気に入りまして、思わず婿惚れいたしました。ぜひ娘の婿としたい」

「望外の計らい! 嬉しゅうございます!」

 お福はただの名目の養女ではなく、明家とさえに実の娘のように大切に育てられた。明家にとって目に入れても痛くない愛娘。それを妻に迎え入れられるのならば柴田政権での確固たる居場所を得たと同じである。

「ほれ弥三郎、そなたも礼を言わんか!」

 それどころではない。一目惚れした美少女が妻になってくれるその喜びに震えていた信親。

「生きていて良かった…。う、うう…」

「大げさなヤツじゃな…」

 感涙している息子に苦笑する元親。

「信親様…」

「は、はい!」

「お福を妻にしていただけますか?」

「も、もちろんにござる! 一生大切にいたしますぞ!」

 ニコリと笑う明家。明家には政略的な意図はなかった。信親の器を見ての事だった。四国から帰り、すぐにさえとお福に信親を婿にしたいと相談した。およそ人物の目利きでは戦国時代屈指と言われた明家。さえとお福は明家の慧眼を信じて了承した。

 後日談となるが、信親は気性の荒いところはあったが、父の元親同様に将器を備える武将だった。家臣や領民を慈しむ心を持ち、柴田の頼もしき味方となる。お福を妻にした事で長宗我部はこの後に外様の扱いは受けず、譜代同様に遇された。信親はお福を大切にし、側室も持たなかったと云う。単にお福が怖かったからと云う説もあるが…。

 

 居城の岡豊城に戻った元親は谷忠澄を呼んだ。忠澄はずっと主君に遠ざけられていた。結果二ヶ国の大名として生き残れたが、やはり頑強に降伏を主張したのが気に入らなかったのか、禄は大幅に削減され、大坂に同行及ばずと云う厳罰を受けていた。忠澄の家臣は『殿こそお家存続の功臣であるのに!』と怒ったが、忠澄はそれをなだめ、元親の仕打ちに耐えた。

 だが、大坂から帰った元親は忠澄を召した。忠澄は半ば斬られる覚悟を持っていたと云う。城主の間に入り、いつも元親がいる座を見ると元親がいない。

「…?」

「ここだ」

 元親は部屋から出て縁側に立っていた。

「桂浜の夕陽は見事だ。共に見ぬか?」

「はっ」

 忠澄も縁側に来た。桂浜の夕陽は美しい。

「のう…忠澄」

「はい」

「結果を見れば、そなたに感謝せねばならんな…」

「殿…」

「土佐と伊予だけとなったが、長宗我部家は生き残れた。柴田に滅ぼされずに済んだのだからな…」

「は…」

「倅の嫁に大納言殿の養女をもらう事ができた。大坂屋敷でもう仲良く暮らしておるわ」

「それは上々に」

「ふむ…。のう忠澄」

「はっ」

「天下はすでに定まった…。このうえは柴田の『歩の一文字』のもとで働き、武功を立てて行こう。そのためには忠澄、そなたの力が必要だ」

「身命賭して、お仕えいたします」

「フッ…。大納言には優れた将が綺羅星のごとくだが、儂にもそなたがいる。息子の信親もいる。長宗我部はまだ終わらぬ。戦のない世を作るため、土佐のいごっそうが力を見せるのはこれからじゃ!」

「はっ!」


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