天地燃ゆ   作:越路遼介

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毛利従属

 四国攻めの論功行賞が実施された。高崎家が一時的に預かっていた淡路島は柴田家の天領となり、柴田家の新たな領地となった讃岐と阿波には功臣たちに武功に応じて分配された。四国上陸の際、大いに働いた高崎吉兼と星野重鉄も領地を与えられた。特に二人は重要な地を与えられた。その拝領の時だ。

「高崎主計頭吉兼」

「はっ」

「阿波徳島の地五万石を与える。また築城も許可する」

「は!」

 感涙咽ぶ吉兼。一時は農民にまでなった家が城持ち大名となった。淡路島は四国攻めのための布石であり、彼は城代として預かっていたに過ぎない。しかし重要な前線拠点。そこを守り、かつ柴田本隊を無事に讃岐に上陸させた手柄は大きい。続いて阿波で前田勢を無事に上陸させた星野重鉄も加増の沙汰が伝えられた。

「星野匠之頭重鉄」

「ははっ」

「讃岐亀山砦の地五万石を与える。砦は破却し、新たな平城(後の丸亀城)を築城せよ」

「は、ははーッ!」

「四国攻めで当家に味方についた讃岐と阿波の者たちを優遇するようにな。五万石ずつ与えたのはそのためだ」

「「ははっ!」」

 ちなみにこの頃、彼らの父親も明家の相談役として召抱えられていた。養父隆家の両腕だった高崎太郎と星野大介。老境であるが、そのシワとシワの間には養父と苦楽を共にしただけの智慧と経験があった。それを明家に伝えるために相談役となったが…。

「なお、そなたらの父だが相談役の任を解いた」

「「え、ええ!」」

 高崎吉兼は明家に詰め寄る。

「父に何か落ち度でも!?」

「違う違う、太郎と大介双方の要望だ。これからは息子に仕えたいと言うのだ」

「父上が…」

「そうだ匠之頭、しかし父親顔する気はないらしいぞ。あくまで息子の補佐をしたいと言っておられた」

「そうですか…」

「主計頭、匠之頭」

「「ははっ」」

「そなたらの父は我が師でもある。孝行してくれ」

「「承知しました」」

 

 長宗我部氏を完全に制圧した柴田軍。いよいよ次は毛利だと士気が高まる。しかし明家は動かなかった。すでに毛利家の外交僧である安国寺恵瓊が柴田明家と家臣団と接触しており、毛利は敵対するつもりはないと言ってきている。織田信長や羽柴秀吉とも毛利の外交僧として弁舌を振るっただけあり、恵瓊の知識の豊富さ、弁舌の冴えは明家も恐縮するほどで、そして羽柴時代から恵瓊と繋がりのあった黒田官兵衛が柴田側の代表として従属についての折り合いなどを話していた。

「実は殿の叔父御の吉川元春殿が柴田との和睦を拒絶しておりましてな…」

「あの御仁か…」

 元の主家、播磨小寺家を織田に付かせるか毛利につかせるかで、当時小寺姓を名乗っていた黒田官兵衛は織田家の内実は無論、毛利家の内実も詳しく調べていた。吉川元春の勇猛さは知っている。智勇備えた一級の将帥である。

「しかし輝元殿や隆景殿は…」

 官兵衛の言葉に頷く恵瓊。

「いかにも、柴田と和を結びたいとお考えでございます」

「待ちますゆえ、安国寺殿に引き続き尽力していただきとうございます。毛利従属のあかつきには主君大納言に申し上げ、安国寺殿に手厚き褒賞を要望いたしますゆえ」

「任されたし出羽守(官兵衛)殿」

 

 このように、毛利より従属を申し出る使者は来ているが騙まし討ちが当然の乱世。明家は毛利両川の吉川元春と小早川隆景の内偵をさせている。いつでも毛利と戦える準備は進めていた。すでに毛利氏領国の地形図などもだいぶ出来てきた。

 長宗我部と違い、領国に長く君臨している毛利氏。戦闘状態に入った場合、支城や砦の調略は無理だろう。四国では統一したての脆さを突いて調略が進み、地侍などの協力も得られたが今度はそれがない。何より地理の把握は大切である。この時点で明家は重臣たちに交渉決裂に備え、すでに進軍経路や各将の配置なども指示済みであったと言われている。時間が経てば経つほどに柴田家には毛利を討つ準備が整う。決裂であろうが従属であろうが、答えは早く出さなければならない。

 

 毛利氏は現当主輝元の祖父、元就の時代に勢力を拡大し、宿敵の大内氏と尼子氏を破り中国地方の覇者となった。元就は『人智を超えた謀将』と名高く、厳島の合戦では三万の陶晴賢の軍勢をわずか四千で討ち破った。

 その元就の子が『三本の矢』の故事で有名な長男隆元、次男元春、三男隆景である。現当主輝元は、すでに亡くなっている長男隆元の子である。

 その毛利家。当主輝元の前で毛利両川の吉川元春と小早川隆景が激しく意見をぶつける。

「隆景、そなた羽柴だけでなく柴田にまで尻尾をふると云うのか!」

「では兄者は我ら毛利が柴田に勝てる妙案でもおありか?」

 あの羽柴秀吉の備中高松城の水攻め。毛利軍は当主輝元をはじめ、元春も隆景も高松城主の清水宗治を助けるべく援軍に向かった。しかし秀吉の水攻めによって積極的な援軍行動に出る事ができず、また秀吉も毛利援軍と戦う事で被害が拡大する事を恐れたために戦線は双方動けない睨み合いとなる。

 そんな状態が続いている中、織田信長が明智光秀の謀反で死んだ。その知らせを聞いた秀吉は毛利の外交僧である安国寺恵瓊を通じて毛利家と和睦し、本能寺の変を毛利側に知らせずに備中から撤退を開始。中国大返しである。羽柴勢の撤退後に信長の死を知った毛利軍は『筑前に騙された』と激怒。吉川元春とその息子元長は“大至急に羽柴軍を追撃して討ち破るべきだ”と主張。しかし弟の小早川隆景が“盟約を交わした誓紙の血が乾かぬうちに追撃するのは不義であり、信長の死に乗ずるのは不祥である”と反対し、毛利が秀吉を追撃する事はなかった。

 ここで秀吉が明智光秀を討ち、織田の版図の継承者になれば毛利氏、そして小早川家も秀吉に丁重に遇されただろう。しかしそうはならなかった。北陸にとんでもない男がいた。水沢隆広である。彼は主君勝家を説得し、せっかく上杉との戦いで得た越中と能登二ヶ国を放棄して大返しをし、瀬田の地で明智勢を撃破。そしてその後の賤ヶ岳の戦いでは羽柴勢を木っ端微塵にした。あれほど自分たちが手を焼いた羽柴秀吉を完膚なきに討ち破った男。その男がいよいよ毛利に目を向けてきた。

 兵力差、軍事物資の豊富さは比較にならない。しかも総大将は上杉謙信すら寡兵で退け、明智光秀、羽柴秀吉を倒した男。柴田明家は日本最大勢力の大名となり天下に手が差し掛かっている今も、自分を厳しく律し、ぜいたくはせず酒色にも溺れない。武技の修行も欠かさず、学問の研鑽に余念がないと云う。王者の驕りがある者なら手の打ちようがあるが、柴田当主はそんな三流の男ではなかった。これに羽柴秀吉の軍師の黒田官兵衛がついている。宇喜多も長宗我部も柴田に従属した以上は敵として来襲する。もうこの戦局では毛利はどうしようもないと思う隆景。それに真っ向から反対する吉川元春。

「父の元就は、四面を大内や尼子と云った巨大勢力に囲まれながら、それを倒して中国を統一した! その子の我らが柴田と一戦も交えずに軍門に降れば、我らは父の元就にどのツラ下げてあの世でまみえると言うのか!」

「さにあらず。父の元就は東を望まずに守成に務めよと我らに言い残された。もはや畿内全土を掌握し、宇喜多も長宗我部も臣従させ、朝廷さえも味方につけている大納言。当家は朝廷より朝臣の称号も得ている家。このうえは大納言に組して毛利の安泰を図る事こそ父の遺言に叶う事にございます」

「組するだと! それでは父の元就が堪忍に堪忍を重ねて勝ち取った地をあんな若僧にくれてやれと云うのか!」

「領地を渡すなど申しておりませぬ。毛利は現状のままで柴田に組するのでございます」

「腑抜けが! たとえ一反の領地が減らずとも膝を屈し頭を下げる事に変わりは無いわ。この吉川元春が戦わずして頭を下げるか!」

「ならば勝手になされよ。それがしは三原(隆景居城)にいて、兄者が敗れた後、和に奔走いたします」

 もはや何を言ってもムダ。そう思った隆景は席を立った。

「叔父上!」

「捨て置け輝元!」

「し、しかし叔父上…。隆景叔父は毛利の軍師に…」

「何が軍師じゃ! 毛利を滅ぼすための軍師じゃあやつは!」

「……」

 

 その夜、輝元は安国寺恵瓊を呼んだ。

「困りましたな…元春様と隆景様の不仲は…」

 頭を抱えながら輝元は答える。

「…柴田と戦うどころではない。毛利が割れる」

「断じてそれは避けなければ…お二人は毛利家の両川…」

「大納言は若いが…あの智謀は祖父の元就に匹敵する。それに黒田官兵衛がついているのでは手におえぬ。今ごろ毛利両川をますます分断させる調略を水面下で進めているやもしれぬ。毛利同士で潰しあいをさせて、弱ったところを食う算段でもしているかと思うと夜も眠れぬのじゃ恵瓊…」

「吉川元春様は瞬敏かつ剛毅にて果断、武人になるために生まれてきた方、一方、小早川隆景様は温和で思慮分別に富み、軽々しく兵を動かさない智将でございますれば…反りが合わぬ事も…」

「ふむ…」

「それに瀬戸内の海に面した領国の小早川は商人などの人の出入りが頻繁で天下の情勢も細かく知りえる事も多いでしょうが、吉川の領国は安芸の山の中…。よって天下の情勢はあまり入っては来ますまい。やはりそんなところからも…お二人の意見に違いが出るのでございましょう」

「その通りじゃ。叔父二人が毛利を思う心に深浅はないのだが、どうもいかん。そこで恵瓊、そちに頼みがある」

「はっ」

「祖父元就、三本の矢の戒め、それを束ねる事のできぬ我が身の不徳じゃ。恵瓊頼む。両叔父の仲を何とか取り持ってくれ」

「承知しました。その前に殿…」

「ん?」

「柴田と戦うつもりにございますか?」

「いや…。その気はない。儂が願うのはお家と領地の安泰、大納言は敵対するに強大すぎる。残念じゃが毛利は大納言に勝てぬ。いかに隆景叔父の智、元春叔父の武があろうとも…毛利は勝てん」

「では…従属と?」

「そうじゃ。領地一反も渡さずにそれを成したい。柴田は四国への渡海のおり、村上水軍に正規の通行料を支払っている。大納言としても毛利と死力を尽くして戦うのは得策ではないと考えているのやもしれん。祖父元就は守成を尊べと申した。柴田明家が天下人となり、この世から戦をなくし、そしてこの毛利の領地が安泰ならば、それでいいのじゃ」

 毛利家は元就の遺言の意向により、天下統一を目指さない方針になっていたのである。

「承知いたしました。それがしもそのつもりで動きましょう」

「頼むぞ恵瓊」

 当主輝元には外敵の柴田家より、叔父二人の不仲の方が頭痛の種だった。父の元就の存命中は仲の良い兄弟であったのに、今では柴田勝家と羽柴秀吉のごとくの不仲である。輝元が元春を立てれば隆景が立たず、逆も然り。輝元には祖父元就の遺訓『三本の矢』を果たせず頭を抱える日々である。智将の隆景も兄との不和は毛利家にとって災いにしかならぬと知っていても、こればかりは人の感情の業ゆえどうしようもない。

 今回、叔父二人と自分だけで用談をしたのも、輝元が『叔父御たちの不仲を知れば、柴田は必ずそれにつけ込みますぞ』と、どうにか私情を捨てて昔のように手を取り合って毛利を支えてほしいと要望するためであった。しかし結果は決裂。柴田とどう対するかと用談を始め、元春と隆景の意見が衝突し元の木阿弥となった。

“東を望むな、守成に努めよ”

 毛利元就が子と孫に残した言葉だった。以来輝元はそれを守り、叔父二人の補佐を得て今日にある。しかしその方針は勇猛である吉川元春には不服であったのかもしれない。父の元就と共に小国から身を興し近隣諸国に攻め入った元春。領国でただ政務だけしているのは彼の体に流れる武の血潮が耐えられなかったのかもしれない。徐々に甥と弟と意見の食い違いが生じ、羽柴勢の侵攻に伴い弟の隆景と決裂し今に至る。安国寺恵瓊は

“これでは柴田と戦うどころではない…。毛利は内乱となってしまう…”

 と危惧した。兄弟だからこそ始末に終えない不仲。輝元の頭痛もよく分かる。恵瓊は何とかその懸念を払拭したく吉川元春と小早川隆景の居城に訪れた。

 

 安国寺恵瓊、大内義隆に滅ぼされた安芸守護の武田光広の遺児と伝えられる。安芸武田氏滅亡により同国安国寺に逃れ、竺雲恵心の弟子となり後に安芸安国寺の住職となった。師事した恵心が外交僧であった事から毛利輝元と深い交わりを結び、毛利氏に属する外交僧となったのだった。

 将軍の足利義昭の命令で、毛利輝元が足利義昭と織田信長との和睦を斡旋した時に恵瓊は上京して織田信長と羽柴秀吉と対面したが、この後に彼は信長と秀吉両名のその後の運命を予言したと云う。

『織田信長の勢力は五年か三年は続きましょう。来年あたりは朝廷の要職にも就くのではないでしょうか。そしてその後、高転びに仰向けにひっくり返ってしまうように見えます。羽柴筑前殿は中々の人物であります』

 このように織田信長の最期を予言していた。羽柴秀吉への評価もさすがの眼力と云うところであるが羽柴秀吉はすでに死に、予想だにしていなかった男、柴田明家が畿内の覇者となった。

 

 主君輝元は柴田家と戦うつもりはない。そして何より家中の融和を求めている。たとえ柴田と交戦に至らずとも毛利両川が不仲のままでは毛利は外敵と戦うより内側から滅ぶ。その輝元の意思を述べに恵瓊は吉川元春居城の日野山城を訪れた。元春は恵瓊と会った。しかし元春は頑なだった。

「兄の隆元に合わせる顔がないわ。戦わずして従属など」

「しかし戦い、厳島の陶、賎ヶ岳の羽柴のような立ち直れぬほどの大敗をすれば中国すべて柴田に取られてしまいますぞ。ここは従属して毛利家の安泰を図る事こそが肝要と存じます」

「ただ家の安泰のみを考え、弓矢に出ぬのは武士にあらず。こんな事を申してもそなたには無駄であろうがの」

「元春殿…」

「儂は戦う。長宗我部は柴田と戦った。毛利は長宗我部以上の勢力を持つ大名と云うに何の抵抗もせずに降伏してみよ。柴田は毛利を軽く見る。勝ち負けではなく、戦うしかないのだ。長宗我部は結果敗れたが二ヶ国は安堵され、家は存続した。柴田でなく羽柴であったなら秀吉は毛利と何度も戦っているゆえ従属しても毛利を重く見ようし、厚遇もしただろう。

 しかし柴田と我らは戦っておらん。それであっさり従属したらどうなる? 大納言は逆に毛利の腰抜けぶりに驚くのではないか? 大納言が毛利を侮るのは必定だ。まず力を見せてもらう。こちらも見せる。毛利武士道を見せねばならぬのだ。従属うんぬんはその後でも遅くない」

「さりとて秀吉のように木っ端微塵にされれば元も子も…。元春殿が引き合いに出した長宗我部元親とて百戦錬磨の猛将。それが讃岐と阿波を一月も持たずに奪われたのですぞ。徐々に領地が侵食されていく事は明白にございます」

「そんな大敗をしないために毛利両川がいる。儂と隆景の不仲を輝元が危惧するのは分かる。公私は分けるゆえ心配するなと伝えよ」

 吉川元春はそれ以上を語らなかった。次に恵瓊は小早川隆景の居城三原城を訪れた。隆景は恵瓊と会った。元々恵瓊と隆景は親密であるからだ。そして元春の言葉を伝えた。

「…まあ中座した儂も大人気なかったと反省はしている。兄者の言うように公私の筋目は通すつもりではいる」

「はっ」

「しかしそうか…。兄者はかような事を」

「はっ、従属するとしても一度は戦って毛利武士道を見せねばならぬと。柴田明家は毛利と戦った事がない。それで従属すれば柴田は毛利を侮るは必定と」

「一理ある。だが毛利がどれほどの艱難辛苦と戦を経て今にあるのか。そんな事は大納言ほどの者なら承知のはず」

「そのとおり、柴田の武威に恐れをなしての従属ではなく、あくまでこの世から戦を無くすための仕儀。大納言と戦ったとしても長宗我部と同じく、どんどん領地は削り取られ、果ては一国か二国を安堵されるがせいぜいでござろう」

「孫子いわく、最上の策は戦わぬ事、味方につける事。兄者の道理も分からぬでもないが毛利は大納言と戦わぬ」

「御意」

「恵瓊殿」

「はっ」

「輝元に伝えよ。近日中に儂と大坂へ向かうようにと」

「承知しました。元春様は…」

「当主が柴田に従属を申し出るのに出陣太鼓もあるまい。おそらくは輝元や儂、そして大納言とも会おうとせず隠居しよう。気の毒じゃが毛利のためじゃ」

「仰せのままに」

 

 恵瓊は輝元に隆景の意思を伝えた。輝元は了承。ついに毛利の柴田従属がここに決まった。吉川元春はこの決定に甚だ不満であったが

“それが毛利当主の決定なら仕方あるまい。儂は隠居する”

 と述べて、嫡男の元長に家督を継がせて隠居してしまった。新たな吉川家当主となった元長は輝元と隆景の決定に不満を覚えつつも、父の元春が述べたように、これは毛利当主の決定。従わなくてはならない。輝元の大坂行きには小早川隆景、吉川元長、その弟の吉川広家、そして安国寺恵瓊が随伴。

 輝元一行は大坂に到着して、まず大坂城の壮大さに驚き、そして城下町の繁栄に息を飲んだ。

「これはすごい…。叔父上あれは…」

「あれが噂に聞く辰匠館であろう。柴田の子弟を一流の指導者の元に教育していると聞いている」

「ううむ…。毛利も導入したい仕組みにござる。人材の育成は国家百年の大計じゃ」

 唸る毛利輝元。吉川元長が違う建物に気付いた。

「源蔵館…これが診療所? 平城のような大きさではないか」

 隆景が答える。

「おそらく医療制度が一番進んでいるのは、この大坂と安土であろうな。南蛮の宣教師さえも世界一の医術と褒め称えたと言うぞ」

「南蛮の宣教師さえもが…」

 安国寺恵瓊が添えた。

「そして隣の建物が『心療館』。柴田の家臣や家族、そして領民の心の病を受け付ける相談所にございます」

「そんな施設聞いた事がないぞ」

 驚く吉川広家。

「愚僧もございませぬ。戦続きだと人の心は病んで行きまする。生還しても戦場の悲惨さが忘れられず心身に支障をきたし、やがては自害する者は毛利の将兵にも多々おりました。毛利も含め今までどこの大名もそんな者は腰抜けと決めて救いの手を差し伸ばしませなんだが、大納言は救おうとしております。心の病に陥った家臣と家族、そして領民も蘇らせ、かつ一層の誠忠を得られる。見事な政策にございます」

 良いものは良い。安国寺恵瓊は明家の政策を認めて讃えた。隆景も頷き、

「輝元、元長、そして広家、柴田のしている事とは云え、良いところを真似るのは恥ではない。学ぶべきところは学ぶべきだ。覚えておくのだぞ」

 と、若い者たちに諭した。

「「ははっ!」」

「見よ、診療所にいる者たち。百姓や町人もいる。柴田家は貧しい者にも平等に診療を受けられる仕組みを作った。診療代の八割は柴田家が負担するらしいからな」

「そ、そんな事をして国が破綻しないのですか?」

 と、吉川元長。

「しないのであろうな…。そしてそんな仕組みを作れば民の支持は計りしれん。いざとなれば民も殿様のためにと立ち上がろうと思うだろう。やはり柴田明家は恐ろしい」

(これが…柴田明家の力。港にあるあの軍船の多さはどうか。当家の水軍と村上水軍の軍船を足してもかなわぬ)

 城下町は活気にあふれ、老若男女が笑顔で歩いている。

(乞食も見当たらず…城下町は清潔そのもの。それにしてもこの人の多さと活気はどうじゃ。かよわい女たちが笑って歩いているのは治安の良い証し。吉田郡山城(毛利輝元居城)など比較にならん)

「そこのお侍さん!」

 商家の店頭にいる娘に呼び止められた。

「儂らの事か?」

 吉川広家が自分に指差し娘に聞いた。

「はい、旅の方でしょ?」

「いや、我らは…」

 広家の肩を掴んで隆景が娘に答えた。

「そのとおり、いやあ大きな町なので驚いておりました。それで我らに何か」

「はい、さっき焼きあがったばかりのカステーラです。お一つどうですか?」

「それがカステーラか…」

 隆景は一つ口に入れた。供の者が『毒見も無しで!』と云うより早かった。

「これは美味い!」

「でしょ? 故郷の奥方やお子さんにどうですか? 物持ちも良いですから痛みませんよ!」

「もらおう。おう、そこの箱ごといただこう!」

「毎度ありぃ!」

 たくさんのカステーラを満足げに持つ隆景。

「殿、軽率ですぞ大納言の膝元で毒見もなしに食べ物をクチに入れるなど!」

 家臣に諌められた隆景。

「あっははは、まあ良いではないか。あんまり美味かったからな」

 このカステーラ一つ見ても、柴田明家が日本一の商業都市を掌握している事が分かる。

(この文化、商業の発展、それはそのまま大納言の財、そして力。城下町一つ見ても圧倒される。大したものじゃ…)

「では殿(輝元)、そろそろ大坂城に参りましょう」

「よし、では参るぞ」

「「ははっ」」

 

 明家は大坂城の天守閣で海を見ていた。奏者番の大野治長が駆けて来た。

「殿、毛利一行が参られた由」

「うむ、丁重にお通し申せ」

「いよいよですな殿」

「そうですな出羽守(官兵衛)。毛利が味方につく」

 ゆっくりと明家は城主の座に腰を下ろした。毛利輝元一行が本日来る事はすでに柴田重臣知っている。その場には奥村助右衛門、石田三成、大谷吉継、前田利家、佐々成政、可児才蔵らが列席し、義弟の真田幸村、京極高次、不破光重、友好大名から大坂に出向していた島左近、蒲生郷成が同席していた。

「こんな日が来るとは…。子供の頃に養父隆家に聞いた『毛利元就、三本の矢』の話。胸をときめかせて聞いたものだ」

「御意」

「そういえば出羽守の息子長政の幼名は松寿丸、かの元就公の幼名と同じ。あやかったのですか?」

「仰せの通りです。元就公は幼少のみぎり、家臣と共に厳島神社に参拝し、帰る時に家臣に『そなたはどんな願い事をしたか』と訊ね、家臣が『若殿が安芸の立派な殿様になれるようにお祈りしました』と答えました。元就公はそれを聞き『なぜ天下の殿様になれと願わぬ。人の一生は短い。棒ほど願って針ほどしか叶わぬものを、安芸の殿様だけを願っていて叶うと思うのか』と家臣を怒鳴りちらしたそうにございます」

「それは…初めて聞きましたな。それで?」

「はい、家臣は慌てて『願いなおしてきます』と境内に戻ったとか。当時の元就公の所領は安芸の猿掛城一つで毛利の分家。安芸の殿様だけでも家臣の願い事は壮大と言えるものでした。しかし元就公は幼少のうちすでに大身になる事を目指していたようにございます。それをあやかるために長政に元就公と同じ幼名をつけましてございます」

「なるほど…。俺も生まれる子は『松寿丸』にしようかなあ。あっははは」

 と、真田幸村。妻の茶々が先日に懐妊していた。

「しかしさすがは播磨の出の黒田殿、元就公の幼少の話などよく存じてますな」

 島左近が顎鬚を撫でながら言った。

「色々と元就公から勉強いたしましたゆえ、おのずと」

 そうこう話しているうちに…。

 

「毛利輝元殿、お越しにございます!」

「お通しせよ!」

 毛利輝元、小早川隆景、吉川元長、吉川広家、安国寺恵瓊が大坂城城主の間にやってきた。

「毛利輝元にございます」

「柴田明家にございます」

 輝元は明家を見た。なるほど聞いたとおり美男。虫も殺さぬ男に見える。背はここにいる毛利の者すべてより小さく細い。とても上杉謙信を寡兵で退け、羽柴秀吉を木っ端微塵にした男とは思えない。だがそこにこそ柴田明家の恐ろしさがあるのだろうと輝元は感じた。

 一通り、従属についての条件を評議していく。事前に安国寺恵瓊を経て取り決められていたので、円滑に進んだ。小早川隆景と安国寺恵瓊のたくみな外交手腕によって、毛利は一反の譲渡もなく柴田への従属が決まった。

「輝元殿、もう耳に入っていましょうが肥前の竜造寺、豊後の大友家が柴田への従属を条件に、島津との戦いに援軍を当家に要請しております」

「伺っております」

「当家はそれを九州遠征の大義名分とします。毛利にも参戦を要請したいのですが」

「承知しました」

「大納言殿」

「はい」

「吉川広家にございます」

「柴田明家にございます」

「後学のため、お伺いしてよろしいか?」

「これ広家!」

 輝元が叱責するが、

「かまいません輝元殿、広家殿なんでござろう」

 と、明家が制したので広家は続けた。

「大納言殿の兵は精強、その強さの秘訣は何でございましょう?」

「それは当家の兵を統括する奥村弾正と前田中務、そして軍師の黒田出羽にお聞き下さい」

「大納言殿が畿内を統治してから一揆が一度も起きていないとか。その民心掌握の秘訣は何でございましょう?」

「それは当家の政務を担当している石田治部や大野修理にお聞き下さい」

「城下町の繁栄は見事につきます。あそこまでの繁栄、そして治安維持の秘訣は?」

「それは当家の商人司の吉村備中、そして治安奉行の前田民部にお聞き下さい」

「朝廷の繋がりが密接な柴田家、どうしてそこまでの信頼関係を築けたのでしょうか?」

「それはそれがしの相談役の細川幽斎か京都奉行の高橋右衛門少にお聞き下さい」

 広家はだんだん腹が立ってきた。馬鹿にされているのかと思ったからだ。

「では大納言殿は何をしていなさるのですか?」

 不快そうに広家を見た柴田家臣たち。だが明家は笑ってこう答えた。

「その彼らを使っております。それがしは彼らの才を見て場所を与え、存分に力を発揮できるように取り計らっています」

 この答えに吉川広家も一言もなかった。小早川隆景は苦笑した。そしてこの広家との問答から悟った。柴田大納言明家は『将の将たる器』と。そして毛利から一人の童子が人質に出された。輝元の養嗣子である宮松丸(後の毛利秀元)である。

 

 こんな話が残っている。他家からの人質は大切に遇し、一流の教育を受けさせるのが柴田の方針。宮松丸は毛利家中でも神童と云われていたが、柴田の学問所の辰匠館でも飛び級するほどの天才だった。明家嫡子の竜之介は遠く及ばない。知識だけではなく武士としての物腰態度、そして武芸の腕前も大人顔負けである。何もかも竜之介は宮松丸に及ばない。宮松丸についている家臣が小早川隆景に危惧を相談した。

『かつて織田信長は同盟相手の徳川家康嫡子信康の器量を恐れ、父の家康に武田との密約の疑いありと疑いをかけて、ついには死に至らしめました。宮松丸様と柴田の若君は同年。信康と同じ運命が宮松丸様に振りかかっては毛利の一大事。人質を変えるべきと存ずる』

 すると隆景は笑い出し、

『そんな事をするヤツならば大した事はないわ。我ら毛利の敵ではない。即座に滅ぼしてくれる』

 と、退けた。事実、明家は宮松丸の才能を褒め、さらに昇華させるべく一流の師をつけた。やがて秀元は立派な毛利の大将と成長し、後に明家の娘を妻に娶る事となる。

 

 毛利が恭順した事から、その庇護を受けていた室町幕府最後の将軍、足利義昭が大坂城で柴田明家と謁見した。初対面である。最初明家は下座に位置したが、義昭は上座に座りなされと促す。固辞する明家に

「もはや私は一人の民に過ぎませぬ」

 と上座を譲った。巧みな書状作戦で信長包囲網を築いて織田信長に立ち向かった義昭だが齢を重ねて虚栄の心が失せたか。柴田明家は信長と義昭の戦い以後に柴田家に仕えた者。義昭個人に明家への怨みもなかったのだろう。

「歴史の可能性かくのごとし…。よもや織田の陪臣であった大納言殿が天下人になろうとはの」

「まだ天下人ではございませぬ」

「いやいや、毛利と長宗我部が降った今、あの魔王信長よりも版図をお持ちになられた貴公。もはや時間の問題にございましょう」

「義昭様に会ったら一度お訊ねしたかったのですが…」

「何ですかな?」

「信長公を討った日向(光秀)殿を影で糸引いていたのは…」

 微笑を浮かべ義昭は首を振った。

「あの頃の光秀は私の言う事を聞いてくれる男ではなくなっておりました。聞けば朝廷が黒幕などと云う説が跋扈しているようですが、それも違いまする。光秀は自分で考え決断し、信長を討ったのでございましょう」

「そうですか…」

「大納言殿は今まで倒した武田、羽柴、明智の遺臣や家族を大切にし、そしてお味方にしたと伺っています」

「はい」

「僭越ながら、そのお気持ち、たとえ天下の覇者となってもお持ち続けられるが良いと存ずる。私は信長が怖かった。恐ろしい鬼と思った。だから殺そうと思った。叛旗を翻した荒木、松永、そして光秀も同じでござろう。だから敵を作りすぎた挙句味方に殺された。信長の良いところは真似、悪いところは教訓とし、大納言殿がよき君主となりこの国から戦を無くしてくれる事だけが、せめて先の時代の武家棟梁が望み」

「上様…」

 明家の横にいた細川幽斎。かつての主君の言葉を感慨深く聞いた。そして明家も。

「藤孝、いや今は幽斎であったな。今後も大納言殿を支えてやれ。旧足利家臣のそなたに私が望むのはそれだけだ」

「お言葉、しかと!」

「うむ…。では私はこれで」

「はい、お体にお気をつけて」

 義昭は明家に頭を垂れて城主の間から出て行った。

「元々…あのように温和な方だったのです。しかし信長公を恐れるあまり義昭様は狡猾な謀をせざるを得なかった…。ご自分の代で足利幕府が潰れる事にがまんならなかった。だから信長公と戦うしかなかった。人は相手の出方でどうとでも変わるものにございますな…」

 と、細川幽斎。

「幽斎殿」

「はっ」

「義昭様へ良いお屋敷を用意してあげて下され。侍女も家臣もつけて、生活に不自由なきよう取り計らってほしい」

「承知いたしました」

 足利義昭はしばらくして柴田明家の相談役ともなっている。かつて信長は『阿呆公方』と義昭を評したが、それは誤りである事を明家は感じた。出家して道休と名乗り、かつての家臣の細川幽斎と共に明家の良き相談相手となったと云う。

 息子の義在に足利家を継がせて再興しては、と明家は提案したが道休は拒否している。もう過去の栄華はいらないと丁重に断った。息子の義在は足利姓を捨てて永山姓を名乗り、柴田勝明に仕える事となる。

 道休もまた、相談役と云う務めで明家を支え天寿をまっとうした。前半生は信長に翻弄された、まさに『阿呆公方』と語られる彼であるが、後半生は柴田明家を支えた一人の名僧として語られていくのである。


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