「すみません、もう一度お伺いしても?」
S泊地にある鳳翔の居酒屋。
そこには、一日の業務を終えた艦娘たちが集う。
日頃の疲れを癒したり、他の艦娘との交流を深める場として、ここは大きな役割を果たしていた。
その片隅で、軽巡洋艦の艦娘・大淀は困惑顔を浮かべていた。
対面に座っているのは、同じく軽巡洋艦の神通である。
「……その、駆逐艦の子ともう少し仲良くするにはどうすれば良いのかと」
今日の午後、大淀は司令部室を訪れた神通に「相談があるので今夜付き合って欲しい」と誘われた。
そのときの神通は特に変わった様子もなかったし、大淀としても今日特に用事があるわけではなかったので、二つ返事で誘いを受けることにしたのである。
しかし、今目の前にいる神通はやけに暗い表情をしていた。
神通は大人しめの性格ではあるが、意外と暗い表情を見せることは少ない。
「――その。駆逐艦の子となにかトラブルでも?」
最近の泊地内における出来事を脳裏に列挙しながら、大淀はどうにか言葉を捻り出した。
神通は高い練度を誇る軽巡洋艦としてよく戦線や訓練に出てもらっている。
かなり厳しいと評判ではあるが、それが無意味なスパルタっぷりではないと皆に伝わっているからか、不平不満が噴出したことはなかった。
「いえ、トラブルはないんです。皆、とても良く言うことを聞いてくれます」
「なら良いじゃないですか」
「ええ、それはそうなんですけど……」
神通はどこか自信なさげに視線を落とす。
「……この前、那珂ちゃんや能代さんたちが駆逐艦の子と遊んでいるところに遭遇しまして」
「はあ」
「ちょうどそのときは休暇中だったので、私も交流を深めるため参加しようとしたんです」
「良いことじゃないですか」
「そしたら、どうも駆逐艦の子たちの挙動が鈍くなって」
「……」
ああ、と大淀は内心頷いた。
駆逐艦にとって軽巡洋艦は戦時体制時における直接の上官になる。
平時やプライベートでそういう垣根はないというのが本泊地の基本方針だが、戦時体制のときの関係性から切り替えられない子も少なくない。
要するに、その駆逐艦たちは神通を前にして部下のように接してしまったのだろう。
それで動きがぎこちなくなってしまったのだ。
「まあ、戦時や訓練時の印象が残ってしまってるだけでしょうし、そこまで気にしなくても――」
「ええ、姉さんにもそう言われました。でも、那珂ちゃんや能代さんには自然体だったのに、私が入った途端錆びついたブリキロボみたいな動きになったのを見てしまうと、どうにも……」
自分と同じような立ち位置のはずの那珂・能代とどうしても比較してしまう、ということらしい。
確かにそれは複雑な思いになるだろうな、と大淀は内心苦笑した。
「ですが、なぜ私に相談を?」
「大淀さんも駆逐艦の子たちと仲良くされているのを見かけるので……」
「ああ、まあ、そうですね」
実艦としてはかつての大戦後期に多くの駆逐艦と行動を共にした経歴がある。
また、艦娘としては提督補佐という立場上多くの艦娘と接する機会がある。
そのためか、大淀は軽巡の中でも特に幅広いコミュニケーション関係を築き上げていた。
「なにかコツとかってあるんでしょうか?」
「コツと言われても――うーん、なんでしょう」
結局のところ、コミュニケーションとは日々のやり取りの積み重ねである。
神通が今まで築き上げてきた「畏怖すべき上官」というのも、コミュニケーションが結実した形の一つと言える。
それをなかったことにして、急に駆逐艦と仲良くする方法というのは、容易に思い浮かばない。
とは言え、神通の「駆逐艦ともっと交流を深めたい」という想いを無碍にすることもできない。
大淀は悩んだ。
悩んだ末に、発想を変えることにした。
「――神通さん。こういうのはどうでしょう」
大淀の出したアイディアに、神通は真剣な面持ちで何度も頷く。
そうして、その日の夜は暮れていくのであった――。
神通が大淀に相談を持ち掛けてから約半年。
大淀は泊地の片隅にある部屋の扉を叩いた。
「大淀です。今よろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
扉を開けると、そこにはジャージ姿の神通がいた。
否、神通だけではない。同じような格好をした夕立・山風・夕雲・電・文月と、多くの駆逐艦娘が揃っていた。
「盛況みたいですね、書道部」
「おかげさまで」
神通は穏やかな笑みを返す。半年前、悩みを打ち明けたときの暗さは見えない。
駆逐艦たちは大淀に会釈すると、筆を手に紙へと視線を戻す。
明るく賑やかという風ではないが、皆真剣に取り組んでいる様子が伝わってきた。
「大淀さんにアドバイスいただいた通りでしたね」
「大したことは言っていませんよ」
神通の性格を考えると、那珂や能代のようなコミュニケーション方法を目指しても上手くいかないだろう。
そう考えた大淀は、神通の持ち味を生かせるようなコミュニケーションの場を作ってはどうかと提案したのだった。
そこで、神通は元々趣味として嗜んでいた書道の部を設立。
最初はなかなか人が集まらなかったが、怖いもの知らずの夕立が興味本位で入部したのをきっかけに、多くの人が部に出入りするようになった。
「部長としての評判も良いって噂ですよ」
「あら、そうなんですか?」
元々人にものを教えるのは神通の得意とするところである。
明確な目標に向かって進もうという人にとって、神通という指南役は頼りがいがあるのだろう。
「最近は、ときどき活動の後にお茶をすることも増えまして。前より少しだけ気軽に話せるようになった気がしているんです」
そう語る神通の表情は楽しげだった。
普段の「二水戦旗艦」というイメージからは程遠い。
これもまた、神通という艦娘の一面なのだろう。
「……あ、そういえば今日はどうしたんですか?」
「ああ、忘れるところでした」
そう言って大淀は手にしていたファイルを神通に渡す。
そこには、書道部の予算に関する資料が入っていた。
あちこちに、大淀がつけた×印がついている。
「……駄目ですか?」
「はい。ここに記載された予算に収まるよう、再考をお願いします」
「…………駄目ですか?」
「若干困った顔してもダメです」
自身の訴えを鉄の笑顔で退ける大淀に、神通はがっくりと肩を落とした。
幅広くコミュニケーションを取るということは、特定の誰かに肩入れしにくくなるということでもある。
そんな大淀の苦労を察しつつも、神通は内心(ケチんぼ……)と思わずにはいられないのだった。