S泊地は、表向き民間企業ということになっている。
内実は日本やソロモン諸島、その他周辺諸国による影響下にある軍事組織だが、公務員というわけではない。
あまり経営状況に余裕はないが、毎年二回のボーナスはきっちり支払われていた。
そして、ボーナスに合わせて行われるのが――人事評価である。
「そろそろ今年も人事評価を進めなければいけないわね」
物憂げな顔で加賀が溜息をついた。
隣に座っている古鷹も気が重そうな顔をしている。
「人を評価するのって、何度やっても大変ですよね……」
「人事・給与にも影響が出るものね。評価する私たちにとっても他人事ではないわ」
一生懸命働いても正当に評価されなければ従業員のモチベーションは下がるし、不適切な人事をすればその人の真価が発揮できなくなることもある。組織をより良いものにするため、適切な人事は必須と言えた。
ただ、人の評価というものは難しい。
業務上、目に見える成果をあげる機会に恵まれない者もいる。
やる気があっても現在の業務と相性が悪い者もいる。
いくつもの視点で見ていかなければ、人を評価するということはできない。
「人事担当がもう少し増やせれば良いんだけどね」
瑞鳳が人事に関するデータを眺めながらぼやいた。
S泊地も、今はかなりの大所帯になっている。全員分の評価をするのは、並大抵の苦労ではない。
「人事課設立した方が良いんじゃないでしょうか」
「そうね。今度真面目に検討してみましょう」
択捉の提案に、加賀をはじめとする各員が頷いた。
元々彼女たち司令部は、外部組織との交渉や島民との親善、泊地内の諸々の統括をしなければならない等、かなり忙しい。
それに加えてこの時期は人事評価もせねばならず、全員が憂鬱そうな表情を浮かべていた。
「データは結構集まってるし、少しずつ手を付けていった方が良いかもね」
「どれくらい着てるものなんですか?」
「んー、general チャンネルに送っておいたよ」
司令部が使用しているコミュニケーションツールの共通チャンネルに、瑞鳳が URL を貼り付けていた。
それをクリックすると、泊地の各艦隊から届けられた人事評価に関する報告書やアンケートが開かれる。
択捉は興味深そうに海防艦の報告書をクリックしようとした。
しかし、いざ開こうとすると「権限がありません」というメッセージが表示される。
「あのう」
「あ、自分と同じ艦種・艦隊のデータは見られないようになってるのよぅ。ほら、評価に私情が入らないようにって」
「そういうところは徹底してるんですね」
「身近な人にあまりそういうの見られたくないって意見も出てたからねー」
「そういうものですか」
「各メンバーがつけている他己評価なら見られるよ」
古鷹に教えられて、択捉は恐る恐る「択捉の評価」というファイルを開こうとした。
顔を強張らせ、かすかに腕を震わせながらマウスをクリックする。
意欲的に勤務に取り組んでいる:平均4.5
積極的に新しいスキルの獲得に励んでいる:平均4
泊地以外の人(顧客等)とのコミュニケーションが取れている:平均3
泊地内のメンバーとのコミュニケーションが取れている:平均4
周囲に気を配り、他のメンバーのモチベーション向上に一役買っている:平均3
艦娘としての訓練を十分に行っている:平均4.5
備品を適切に取り扱っている:平均4.5
泊地の経営状況等を考慮する等、広い視野を持って活動している:平均3.5
……
項目ごとの他己評価(5点満点)を眺めながら、択捉は少しずつスクロールバーを下げていく。
評価点というのは、割とそこまで衝撃は受けない。点数という規格に収められた評価だからかもしれない。
問題は、最下部にある「一言コメント」である。
ゴクリと喉を鳴らして、択捉は最下部までバーを下げた。
一言コメント:
特になし
特になし
特になし
特にありません
「……これはどう受け取れば良いんでしょう」
「んー?」
がっかりした様子の択捉のところに古鷹と瑞鳳が集まる。
択捉のディスプレイを覗き込んだ二人は、「ああ」とさして気にした様子も見せず「ここはこんなものだよ」と告げた。
「皆もこの報告書を書くの、結構面倒に思ってるみたいで……。加古とか、まともにコメントしたことなかったような」
「そもそも毎回書くようなことってそんなにないものね。しっかりとコメントつけてくれる人もいるけど」
「嘆かわしいことね。身近なところからの証言がなければ評価も難しいというのに」
カタカタとキーボードを打ちながら、加賀は人事評価の現状を愚痴った。
一言コメントは、普段接する機会の多い人から見た被評価者の姿を司令部が掴むための重要な証言なのである。
これがあるのとないのとでは、評価のしやすさがかなり違ってくる。
「加賀さんはちゃんとコメントしてそうですよね」
「ええ、もちろん。司令部のメンバーは基本的にそうしていると思っているけれど」
「まあ、そこで手を抜くとあとあと困るの自分たちだもんねえ」
瑞鳳が大きく背を伸ばす。
「ちょっと休憩にしようか」
その様子を見て古鷹が提案する。
反対する者はいなかった。
「それじゃ、私向こうでお菓子取ってくるね。提督がこの前お土産を持ってきてくれたから――」
「あ、それなら私も手伝います」
古鷹と択捉が連れ立って出ていく。
残された加賀と瑞鳳は、キーボードをひとしきり打ち終えて――ディスプレイをまじまじと見つめる。
「……」
「……」
両者は互いに無言で視線を交わし合う。
沈黙に耐え切れず、先に口を開いたのは加賀だった。
「あなたも、お節介をするのね」
「身近なところからのコメントがあった方が評価しやすいもんね。……でも加賀さん、随分と長文だけど、もしかしてさっき択捉ちゃんががっかりしてたときからずっと……」
「余計な詮索はしないことね。私の烈風隊をあなたのプラモデルの棚に向かわせるわよ」
加賀の目は本気だった。
こいつは黙っておいた方が良さそうだと、瑞鳳は口のチャックを閉じるジェスチャーをする。
戻ってきた択捉が匿名の一言コメント2件に気づくのは、それからしばらく経ってからのことだったという。