S泊地の日常風景   作:夕月 日暮

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お久しぶりです。イベントが間近に迫ってきていて怖いような不安なような。
今回も無事新艦全員お迎えできるよう頑張ります!


顔は見えずとも(北上・大井・間宮・伊良湖・旗風)

 世界中で感染症が大流行している。

 その影響は、南方の地にあるS泊地にも及んでいた。

 

 艦娘とて病気にはなるし、万一本人が無事でも周囲に伝染させてしまう可能性がある。

 それに、艦娘は依頼があれば世界の海を駆け回るのだ。感染症を運んでしまうリスクは常に抱えている。

 それ故に、かなりの規模で広がりつつある感染症対策は徹底して行う必要があった。

 

 S泊地の上層部はこういうことにおいてかなり細かい。

 

 艦娘・人間問わず、泊地で勤務する者はマスク着用必須。

 泊地外の人間との接触は司令部が許可しない限り原則禁止。

 オンラインで実施できることは基本オンラインで済ませる。

 工廠勤務や食事処といった施設は衛生管理を徹底する。

 必要なものは申請すれば司令部で一通り用意する。

 そんな方針を早々に打ち立てて、泊地内に布告したのであった――。

 

 

 

「暑い……」

 

 マスクを着用した北上が、げんなりした顔で間宮食堂までやって来た。

 

 この南方の地の夏、マスク着用の義務付けは罰ゲームに近いものがある。

 体力面への影響を考慮してか、出撃中はマスク着脱自由になるので、出撃した方がましだという声もちらほらと出てきていた。

 最近は深海棲艦の動きも落ち着いているので、接敵の危険性も低い。息苦しい泊地から出たいということなのだろう。

 

「って、まだ営業再開してないんだ」

 

 間宮食堂は、衛生対策が十分な状態になるまで休みになっていた。

 そろそろ再開しているのではと淡い期待を抱いて来たのだが、無駄足になってしまったらしい。

 

「ん?」

 

 去り際に未練がましく窓の中をちらりと見ると、そこには何人かの艦娘の姿があった。

 その中には、北上の相方である大井の姿もある。

 

「大井っち、なにしてんだろ」

「開店準備を手伝ってもらってるんですよ」

 

 少し離れたところで荷物を運んでいた間宮が声をかけてきた。

 どうも独り言を聞かれてしまったらしい。

 

「お店の中に仕切りを設けたり、ウイルス対策のためのコーティングをしたり。私と伊良湖ちゃんだけだと大変だろうからって、何人かの方が手伝いを名乗り出てくれて」

「へー、それで大井っちも名乗り出たんだ。さすがだねえ」

 

 大井は厳しい言動でコワイ人だと思われがちだし、実際にコワイところもあるのだが、一方で面倒見の良い部分もある。

 困っている人がいれば「仕方ないわね」と文句を言いながらも、助力を惜しまない。それが大井という艦娘だった。

 

「それじゃ、私も手伝うかなー」

 

 大井が手伝っているのを知りながらこのまま帰るのはさすがに気まずい。

 北上はやる気があるのかないのかよく分からないテンションで腕まくりをすると、早速間宮食堂に入っていった。

 

 

 

「前が見えない」

 

 食堂の席に仕切りを設け、試しに座ってみた大井は、開口一番不満げにそう漏らした。

 正面の席には北上が座っている――はずである。しかし、見えるのは北上の頭頂部くらいで、顔は全然見えない。

 

「まあ、安全性を考えたら仕方ないんじゃないかなー」

「それは分かっています。分かっていますけど……!」

 

 口惜しそうに頭を振る大井。

 そこに、一緒に開店準備を手伝っていた旗風がそっと鉛筆と紙を差し出してきた。

 

「……えっと、旗風。これでなにをすればいいの?」

「昔の貴人は、顔が見えない相手とは主に文でやり取りしていたと言います」

「つまり、これで正面の北上さんとやり取りしろと……?」

「普段やらないことでしょうし、どきどきすると思いません?」

「いや、それはどうかしら」

 

 確かに自分たちは少し前の時代にルーツを持つ存在だが、旗風が言っているのはもっと遠い古代の文化だろう。

 そういえば、先日仕事で一緒になった春風が「最近妹が平安時代に凝っておりまして」と言っていた。

 

「まあまあ、試しにやってみたらいいんじゃないかな」

「うーん……」

 

 どこか気乗りしない様子で、大井は「今日は手伝ってくれてありがとうございます」と書いた手紙を仕切りの隙間から北上に差し出した。

 それから一分も経たないうちに、今度は北上から文が差し出された。

 

『今度一緒に食べに来ようねー』

 

 特になんてことのない文言である。

 しかし、それが文として顔の見えない相手から差し出されたことで、大井の中に妙な高揚感が生まれていた。

 

『またパフェが食べたいです』

『美味しかったよね』

『北上さんはなにが一番好きですか?』

『ここのは全部美味しいからなあ、決められないよ』

『私も全部好きです』

『大井っち、筆が乗ってきたねー』

 

 気づけば、何往復も文のやり取りを繰り返していた。文を書くスピードも、徐々に上がってきている。

 ハッと横を見ると、微笑ましげにそのやり取りを見守る旗風や伊良湖の姿がある。

 

 なにか言い訳をしようかと思ったが、言えば言うほどドツボにハマる予感しかしない。

 大井は、大人しく観念することにした。

 

「大井さん、文とペン常設するようにしましょうか?」

 

 笑顔の伊良湖に尋ねられて、大井は視線を逸らしながら「い、いいんじゃない?」と声を震わせるのだった。


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