対空特化は予想してたんですが、まさか大発内蔵とは……。今後の更なる活躍に期待したいところです。
ゆらゆらと波に揺られながら、ある船団が海を渡っていく。
その中心部にいるのは軽巡洋艦である鬼怒だ。船としての鬼怒の甲板上に、艦娘としての鬼怒の姿がある。
今の彼女は実艦モード中。甲板上にいる鬼怒の姿は投影されたものだ。
「いや~、今のところは平和だねえ」
「油断は駄目ですよ、鬼怒さん」
鬼怒を囲むように海上を走る艦娘たちの一人、浦波が釘を刺した。
「油断はしてないよ。深海棲艦は神出鬼没だし、そういう意味じゃ昔のあの戦争のときより厄介だよね、輸送任務も」
「実艦状態だと小回りも利かないですし、気を付けてください」
「はーい」
実艦状態だと艦娘状態のときより船体が大きくなる分砲撃の威力や射程距離が増したりするのだが、被弾しやすくなったり小回りが利かなくなるというデメリットがある。実艦モードだと自分一人では十分な操艦もできなくなるので、特に理由がなければ艦娘は実艦モードにならない。
今回は輸送任務で大量の物資を積む必要があったため、旗艦である鬼怒だけが実艦モードになっている。また、クルーとしてソロモンの船乗りたちが同乗していた。
「ウラナミといったか。あの子は心配性なようだな」
英語で声をかけてきたのはクルーたちの統括役であるウィリアムという老人だ。
「勿論用心することは重要だが、いつも気を張っていては疲れてしまわんかね」
「私もそうは思うんですけどね~。昔の私たち、輸送作戦従事中に沈んじゃったんで。気を張り詰め過ぎるなって言っても簡単にはできないと思うんですよ」
「成程。それはすまなかったな。日本海軍の歴史には疎くてね」
「いえいえ」
S泊地を始めとして、南方に位置する各拠点にとって輸送任務は日常風景の一つであり、同時にもっとも大切な任務の一つでもあった。
深海棲艦によって空路・海路が以前のような自由さを失ってから、島々で暮らす人々の生活はかなり厳しいものになった。そういった人々の生活を支えているのが艦娘たちによる輸送なのである。
「もうちょっと安全な海路を築くことができればいいんだがな」
「深海棲艦と和平協定でも結べればいいんですけどね。実際意思疎通できる個体もいますし」
「意志疎通できる個体とやらができない連中の手綱を完全に握れているならそれも考えたいところだ」
そこまで話したところで、遠くに島影が見えた。今回の輸送先である島だ。
上陸した後は積み荷を下ろして物資のやり取りを行う。
単純に支給するだけのときもあれば、物々交換を行うこともあるし、貨幣でのやり取りが発生することもある。浜辺が即席バザー会場のようになるのだ。
「皆楽しそうだね」
実艦の鬼怒の甲板上から浜辺の様子を眺めながら敷波が言った。
「なんだったら敷波ちゃんも行ってくれば? お金持ってるでしょ?」
「ちょっとだけね」
S泊地は表向き企業という体裁を取っており、スタッフや艦娘はそこの社員という扱いになっている。当然それぞれ給与も出ている。S泊地は常に資金難なので皆薄給なのだが。
「船なら鬼怒が見てるから皆で行ってきなよ。羽伸ばせるときに伸ばさないと疲れちゃうし」
「そうですね。磯波ちゃん、浦波ちゃんも行きませんか?」
「う、うん。行ってみよっか」
「鬼怒さんがいいなら……。あ、でもなるべく早く戻ってきます!」
「いやいいから。ゆっくりしてこないと羽伸ばせないでしょ」
どこか遠慮がちな駆逐艦の子たちを半ば押し出すようにしてバザー会場に送り込む。
護衛する側である彼女たちの方が精神的な疲労も大きいはずだ。休ませられるときに休ませてやらないと、却って帰りが心配になる。
「鬼怒は行かない?」
可愛らしい声がする。足元を見ると、物資を抱え込んだ大発動艇の妖精さんたちのグループがいた。
「鬼怒はいいよ。それより皆は?」
「物資目標分は確保済み」
「お菓子貰って来た」
「鬼怒もいる?」
「おっ、ありがと。……飴かな、これ。なんか不思議な色してるね」
舐めてみると甘味の中に僅かな苦味が混じっているような気がした。
鬼怒に飴らしきものを渡すと妖精さんたちはテケテケと駆け去ってしまった。大切なパートナーたちではあるが、ときどき何を考えてるのか分からなくなるフリーダムさを持っていた。
「私もリーナたちにお土産買っていった方がいいかなあ」
そんなことを考えているうちに、段々と眠気が増してきた。
「うーん……いい天気だし眠気マジパナイ……」
実艦モードだと、波に揺られる感じがちょうどハンモックで眠るときの感覚と似ている。実に気持ちいいのだ。だから睡魔に負けるのも仕方ない。そう言い聞かせて、鬼怒は意識を放り投げることにした。
「鬼怒さん、起きてください」
ぺしぺしと叩かれるような感覚とわずかな寒気で目が覚めた。
最初に見えたのは浦波たちの顔と満天の星空だ。
「あー、もう終わった?」
「とっくに終わってますよ。鬼怒さんが起きないから皆待ってたんです」
「いやー、ごめんごめん」
身を起して状況を確認する。既に護衛艦娘やクルーたちの準備は整っていた。鬼怒が起きるのを待つだけ、という状況だったらしい。
若干の気恥ずかしさを覚えながらも、鬼怒は船を発進させた。
「あ、そうだ鬼怒さん」
「ん?」
甲板から降りようとしていた浦波が、思い出したかのようにポケットから何かを取り出した。
「これ差し上げます。航海の安全祈願用に」
浦波が差しだしたのは木彫りの聖母像だった。
「え、嬉しいけどいいの?」
「はい。私の艤装を見つけてくれたのは鬼怒さんだって聞きました。そのお礼をしたかったのですが、なかなか機会がなくて」
そういえばそんなこともあった。大本営から浦波の艤装の発見報告が上がったときは夢中になって探したものだ。
「いいっていいって、私は浦波ちゃんにまた会いたかっただけだし。でも気持ちは嬉しいよ。これはありがたく貰っておくね!」
そういうと、浦波は少し顔を赤くして、
「恥ずかしいことさらっと言うのはやめてください!」
と言い、駆け足で海に降りて行ってしまった。
「あれ? どうしたんだろ」
「……わしがいうのもなんだが、今のが分からないならちょっと女心的なものを学び直した方がいいぞ」
側にいたウィリアム老人が呆れ顔で言った。
その意味が分からず、鬼怒の頭にはクエスチョンマークが浮かび続けるのだった。
「それで鬼怒お姉ちゃん、浦波ちゃんから贈り物貰ってそれっきり?」
「え、うん」
「お返しとかしないの?」
「い、いやー。なにかいるか聞いたら要らないって言うし……」
「聞いた? 由良お姉ちゃん」
「ええ。ちょっとこれは鍛え直さないと駄目ね……」
「え、なに。二人とも。ちょっと顔が、顔が怖いー!」
その数日後、泊地で上機嫌に手作りのミサンガを身につけて歩く浦波の姿があったという。