七草の元ネタ調べたら初春型でも話できそうでしたが、それはまた次の機会があればということで。
寮の台所から楽しげな鼻歌が聞こえてくる。
萩風の声だ。なにをしているのかと顔を出すと、彼女はリズミカルに包丁で何かを刻んでいた。
「萩風、なにしてるの?」
「あ、野分」
こちらに気づいて手を止めた萩風は、少しだけ自慢げな表情を浮かべて刻んでいたものを見せてきた。
「これ、なんだと思う?」
「なにかの野菜に見えるけど……一種類じゃないわね」
微妙に色合いや形状が違っているように見えた。
と、そこで明日が何の日か思い出す。
「もしかして七草粥作ってた?」
「正解!」
話を聞いてみると、萩風はこの日のためにわざわざ七草を自分で育てていたらしい。本土に注文しておけば手に入れられるのだが、それだとなんだか負けた気がするとのこと。本土に頼りっぱなしになるのを嫌がるのはこの泊地の特色のようなものなので、これは萩風だけが珍しいというわけではない。
「この寮のみんなの分を用意してたの。もう少しで下準備は終わるから、楽しみにしててね」
「そっか、ありがと。ただご馳走になるだけだと悪いし、明日の朝は私も手伝うよ」
「そう? そうしてもらえると助かるかな。人数多いからお粥いっぱい炊かないといけないんだ」
萩風が刻んでいた七草の量を見る。確かに多い。この寮のメンバー全員が食べられるだけのボリューム感だ。
「……そういえば七草ってなにがあるのか、ちゃんとは知らないなあ」
「興味ある?」
萩風の目がきらりと光る。もしかすると入れえてはいけないスイッチを入れたのかもしれないが、興味があるのは本当だったので頷いておいた。
「セリ、ナズナ、ハハコグサ、コハコベ、コオニタビラコ、カブ、ダイコンの七つがベースだけど、実際は地域によって多少違うところもあるみたい。昔はこの七つを全部揃えるのが難しかった地域なんかもあるそうだから。食べ方もお粥に限らず、汁ものにするところもあるそうよ」
「そ、そう……」
突然早口になった萩風の言葉を頭の中で必死に咀嚼しながら相槌を打つ。七草の名前が覚えられない。なんだろうコオニタビラコって。呪文かなにかだろうか。
「由来は随分昔までさかのぼるみたい。なんでも平安時代に貴族たちが正月初めに若菜を摘んだりする野遊びをしてたみたいで、摘んだものを食べて邪気を払おうとしてたんじゃないかって」
「平安時代……」
確か千年くらい前だったような気がする。だとすると確かに随分と古い。
「ちなみにその野遊びは『子の日の遊び』って呼ばれてたんだって」
「確かに邪気とは無縁そうな感じはするわね」
黒い邪気っぽいものを遊びながら払い落としていく子日の姿を思い浮かべる。はまり過ぎてて逆に感想が出てこなかった。
「でも、萩風が七草粥のために一生懸命な理由はなんとなく分かった気がする」
「あ、健康オタクだからこういうの好きそうだなーって思ったんでしょ」
「バレた?」
「ひどいなあ。みんなのことを思って普段から気をつけてるだけなのに。嵐も舞風もからかってくるんだもの」
「悪かったって。いつも萩風にはいろいろ助けられてるし本当に感謝してる」
「本当?」
「本当本当。嵐と舞風だって同じ気持ちだと思うよ」
「……だといいんだけど」
そこで萩風は、少し不安そうな笑みを浮かべた。
自室に戻ってからも、萩風が見せた表情が気になった。
一人でうなっていると、「たっだいまー」と陽気な声で舞風が部屋に入ってくる。
「あれ、どうしたののわっち。難しい顔してる」
「うーん、ちょっとね……」
「なに? 話せることなら話してみてよ」
寝間着に着替えながら問う舞風に、先ほどの萩風のことを話してみた。
「なるほど、のわっちは萩風の様子がちょっとおかしかったのが気になってると」
「うん。あんな表情されたら気になるよ。でも心当たりもないし……」
「心当たりならないこともないけど……」
「そうなの?」
「うん。ほら、少し前の大規模作戦で嵐とのわっち一緒に出撃したでしょ?」
そのとき舞風と萩風は出発する二人を見送りに来ていた。
「二人の姿が見えなくなった後で、萩風ぽろっと呟いてたんだ。二人ともきちんと戻ってくるよね……って。多分、萩風はみんなのことがずっと心配なんじゃないかな。まだまだ深海棲艦との戦いは終わる気配もないし、段々敵も強くなってきてるし」
「……そんなに心配かけてたかな」
「のわっちたちが悪いってわけじゃないと思うよ。ただ萩風の気持ちも分かるんだ。昔のことを考えると、どうしてもね」
舞風はどこか遠くを見るような目で言った。
「けどその不安はすぐに消せるものじゃないし、どうこうできるものじゃないと思う」
「そうね。でも、なるべくあんな顔はさせたくないかな」
「そうだね。だったらその不安を忘れさせられるくらい楽しいことすればいいんじゃないかな」
「ダンスとか?」
「そのとーりっ」
「舞風は単純でいいなあ」
「のわっちひどい! のわっちはたまにストレート過ぎると思うよ言葉が!」
「そう?」
非難の声を向けてくる舞風をなだめながら、その日は眠りについた。
翌朝、野分が台所に行くとそこには萩風以外にもう一人先客がいた。
「おっ、のわっち。おはよう!」
「あ、野分。おはよう」
嵐だった。萩風とお揃いのエプロンをつけて準備に取り掛かろうとしている。
「おはよう。嵐も手伝い?」
「ああ。萩にだけさせるってのも良くないし、一緒にやれば楽しいだろうと思って」
屈託なく笑う嵐に、萩風は少し困ったような――少し嬉しそうな表情を浮かべた。
「私はいいって言ったんだけど……」
「そうやって一人でやろうとするのは萩の悪い癖だぞ。もっと人を頼れ人を」
「それは同感」
「もう、野分まで」
「――ねえ、そろそろ作らないの?」
と、いつの間にか台所に入り込んでいた舞風が声を上げた。
「お、舞風。いつの間に」
「のわっちの後ろに隠れて最初から」
「なにしてるの舞風……」
「それよりそろそろ作らないと、みんな起きてきちゃうんじゃない?」
舞風が時計を指し示す。確かにもうすぐ朝食時だ。
「おっし、それじゃ第四駆逐隊勢揃いしたし、ちゃっちゃとやりますか!」
嵐の掛け声に全員が「おー」と応じる。
萩風の表情に昨日のような不安の色はなかった。完全に消えたわけではないのだろうが――今はこれで良しとしておこう。