泊地には艦娘以外にも人間のスタッフがいる。艦娘が日頃の任務を心置きなく遂行できるのは彼らのサポートがあってのものだ。
「そういえばもうすぐ節分だな」
間宮で食事している最中、ふと思い出したかのようにインフラ担当の藤堂政虎が言った。
「……俺、有休取ってホニアラに行ってこようかな」
システム担当の板部江雪がぽつりと呟く。
「なんじゃいだらしない。逃げるのか?」
と、泊地内の神社の神主である尼子老人が板部に言う。
「尼子の爺さんは巻き込まれる心配がないからそんなこと言えるんだ。一度あれ味わってみろよ」
「以前一度参戦してやろうかと思って申し出たんだが司令部の連中に止められたんだよ。あなたに何かあったら困るって」
「……あのう」
と、近くで男三人の会話を聞いていた神風が恐る恐る会話に入ってきた。その傍には姉妹艦である朝風や春風もいる。
「節分……の話ですよね?」
「節分の話だ」
「なんだか話を聞いているとかなり物騒な行事のように聞こえるんだけど」
「ああ……君たちはまだここに来て一年経っていないのだったな。ここでは節分の際にちょっとした催しがあってな」
朝風の疑問に藤堂が答える。
「催し……豆まきと、恵方巻以外に何かされるのですか?」
「豆まきの発展型だな。ここは艦隊別に寮が分かれてるだろ。で、寮ごとの豆まき対抗戦を行うんだ」
各寮では鬼役を三人ずつ決める。鬼役は時間いっぱい逃げ続ける。泊地から出ない、建物の中に入らないというルールさえ守れば後は自由に動いて良い。
鬼役以外のメンバーは自分たちの寮以外の鬼役を探し出して豆をぶつけるとポイントが獲得できる。また、鬼役以外のメンバーにも豆をぶつけて良い。当たり判定の場所(通常は胸当て)に豆が直撃したら行動不能になってしまう。
最終的にもっとも多くの鬼役を仕留めた寮が勝者となり、司令部からちょっとした報酬をもらえる――。
「なんだ、楽しそうじゃない」
話を聞いた神風たちは安心した様子で表情を柔らかくした。
ただ、男たちの表情は晴れない。
「泊地内で艦娘が全力で豆投げ合うんだぞ? 一般人からすれば物騒極まりないだろ」
「あー、それはまあ、その、頑張って?」
板部の言葉に対して適当な返事をする朝風。物騒と言われてもどうしようもない。
艦娘は基本的に通常の人間よりも数段高い身体能力を有している。比較的小柄な体躯の駆逐艦や潜水艦ですら筋骨隆々とした成人男性と腕相撲で良い勝負ができるくらいだ。板部や藤堂なんかはヒョロイので神風たちでも簡単に勝てそうだ。
「でも結局豆でしょ? 当たっても別に死にはしないと思うけど」
「まあ死にはしないさ。ただめっちゃ痛い。俺は一昨年鬼怒の投げた豆に被弾したがしばらく痣が残った。軽巡であれなら戦艦連中の喰らってたらどうなっていたことか……」
「全治一週間くらいでしょうか……大変です」
春風が憂いの表情を見せた。
「でも、それなら部屋なりなんなり引きこもってればいいんじゃないの?」
朝風が当然の疑問を口にする。
「いや、当然無用な出歩きはしないようにしてるんだけどな」
「我々の部屋にはトイレも風呂もないし食事もできない。それらの際はどうしても出かけねばならんのだ」
板部と藤堂が揃ってため息をつく。
「わしは神社の中に一通り揃ってるから安心だがな。食事もある程度はもの置いてあるから困らんし、あの辺は艦娘も戦場にしようとはせん」
「……なら尼子さんの神社のところに行けばいいんじゃない?」
「馬鹿言え。こいつら引き受けたら他のスタッフもこぞって来るだろう。あの神社そこまで広くないぞ」
ブンブンと手を振る尼子を恨めしそうに見る板部と藤堂。
「ま、そんなわけだ。お前さんたちも豆まきの際は周りに気を付けてやってくれるとありがたい。熱くなると周りが見えなくなるタイプの艦娘も結構おるからな」
「春風君は心配なさそうだな」
藤堂がぽつりと呟く。
「……藤堂さん?」
「私と神風姉は?」
神風と朝風の圧を受けても、藤堂は知らぬ顔の半兵衛で食事を続けていた。
そうして日にちが過ぎて節分当日。
あの日藤堂たちから聞いた通りの内容で今年も豆まき対抗戦が開かれることになった。
「豆まき中は予期せぬ事故が起きないよう気をつけてくださいね」
神風たちの寮のリーダーである祥鳳の注意喚起を聞きながら、神風は周囲の空気がいつもと違っていると感じていた。
……この泊地はたまにテンションおかしくなるときがあるけど、今回もそれなのかしら。
側にいた初霜の様子を窺ってみる。普段の初霜は誰にでも分け隔てなく優しい、頼れる仲間だった。
ただ、今の彼女からは若干の闘気が漂っている。なんとなく声をかけるのがためらわれる空気感だった。
「ね、ねえ初霜……?」
『それではこれより――豆まき対抗戦を開始する!』
そんな神風の声をかき消すかのように、豆まき対抗戦の開始を告げる声がスピーカーから響き渡った。
「うおおおぉぉっ――!」
その場にいたほとんどのメンバーが勢いよく寮の外に飛び出していく。
初霜も姉妹艦たちと一緒に飛び出ていってしまった。
そのノリに乗り切れなかった神風たちは取り残される格好になる。
「神風ちゃん」
と、同じく残っていた羽黒が声をかけてきた。
「な、なに羽黒?」
「この対抗戦の景品は結構豪華だから、みんなやる気なんだ。……だからその、やるなら徹底してやる、やらないなら徹底して身を隠すってしないと危ないよ?」
「……」
「あ、それじゃ私は行くね」
ひらひらと手を振りながら出ていく羽黒。そんな彼女の周囲に蒼白い炎が見えたのは気のせいだろうか。
既にあちこちから「ぎゃー!」とか「ぶほぁっ!」とか何かを砕くような音とかが聞こえ始めていた。
「……どうしますか、神風姉様」
春風の問いに神風はしばらく逡巡した。
が、すぐに思考を切り替える。
「やるなら徹底してやってやるわよ! 神風型の矜持、見せつけてあげるわ!」
「それでこそ神風姉!」
「では――私も本気で挑みましょう」
性能だけ見れば駆逐艦の中でも低めの神風型だが、彼女たちは他の駆逐艦にはない『経験』という武器がある。
やるなら徹底してやる。そういう状況になったときにこそ見せられる強さを存分に見せつけてやろう――。
不敵な笑みを浮かべながら、神風たちは寮の外に足を踏み出すのだった。
「……それで勝ち進んだのはまあいいけども」
節分の翌日――病院のベッドで横になりながら板部がぼやいた。
「勢いあまって豆を散弾銃みたくぶちかますのはどうかと思うんだ、おじさんは」
「わ、悪かったわよ……」
ベッドの横には見舞いに来た――怪我を負わせた張本人である神風たちがいた。
その手には優勝景品として贈られた超豪華菓子セットがある。
「全治一週間……すみませんでした」
「他人事みたいに言ってるけどお前も同罪だからな。あとそこまで重傷じゃない」
申し訳なさそうな顔をする三人に板部はため息をついた。
「まあ半ば事故みたいなもんだし、無茶したことについては反省してるようだし、俺からはもう言うことないよ。優勝したんだったら辛気臭い顔してないでもっと素直に喜んどけ。……ああ、美味いなこれ」
もらった菓子を摘みながら板部が言うと、ようやく神風たちの表情が少し明るくなった。
「どうせなら対抗戦の詳細聞かせてくれ。来年以降身を隠すときの参考にするから」
板部に言われて、神風たちは自分たちの武勇伝を語り始める。
天気の穏やかな午後のことだった。