ちなみにこの泊地の艦隊構成は史実に忠実というわけではありません。
ちょうど泊地を出るところで、一人歩いている磯波ちゃんを見つけた。
「やっほー、磯波ちゃん。今暇?」
「あ、鬼怒さん。はい、特にやることなくて散歩してたところです」
「お互い非番みたいだね」
「はい。同じ駆逐隊の子たちはちょうど遠征に行ってて」
「今回は磯波ちゃんがお休み枠ってわけだ」
うちの泊地は駆逐隊が少し多めの人数で構成されている。全員同時に仕事をしに行くことは稀で、何人かは泊地に残って休みを貰うことができるのだ。
駆逐隊の上官に当たる軽巡も二人から三人体制でローテーションを組んでいる。休みなしに遠征に駆りだされたらたまったものではない。
「鬼怒さんはどこかに行かれるんですか?」
「少し前にリーナから遊びに来いって言われてたから、今日行こうかなって」
リーナというのはショートランド島のある村に住んでいる女の子だ。以前深海棲艦から助けたことがあって、それがきっかけで友達になった。
「暇なら磯波ちゃんも行かない? 遊ぶなら人数いた方が楽しいよ!」
「い、いいんでしょうか」
「リーナは人見知りするタイプじゃないし、磯波ちゃんだって何回か会ってるでしょ。大丈夫だーいじょーぶ!」
少し遠慮がちな磯波ちゃんの腕を引っ張って、泊地の外に歩き出す。
ショートランド島は今日も深い緑に包まれていた。
村に着いたは良いが、人の姿が見当たらない。
「ありゃ。もしかして教会かな」
ショートランド島を含むソロモン諸島は、植民地支配をしていたイギリスの影響でキリスト教が浸透している。お祈りの時間になると村の人たちは皆教会に集まって祈りを捧げる。
「タイミング間違えたかなあ。教会に行ってもいいけど、リーナの家に行って待ってようか。入れ違いになっても困るし」
「そうですね。……わ、あそこの豚大きくなりましたね」
磯波ちゃんが指差した先には、豚というには凶悪過ぎる面構えをした何かがいた。
「あー、ブルね」
「ブル?」
「猛牛猛牛。だってあれもう豚じゃないよ! どう考えても猛牛だよ! って意味で鬼怒が名付けたんだー」
勝手に名付けただけで、持ち主が誰かも確認してないけど。
そんなやり取りをしているうちにリーナの家の前まで着いた。
『ごめんくださーい』
声をかけてみる。しかし反応はなかった。皆で教会に行ってしまったのだろう。
「コケーッ!」
応じてくれたのはリーナの家で飼っている鶏だけだった。
「わあ、可愛いですね、この子」
明らかに威嚇していると思しき鶏をすくっと抱き上げる磯波ちゃん。普段おどおどしてるけど時折妙にたくましい。
この子の上官は球磨ちゃんだけど「磯波はやるときはやる女だクマー、怒らせたらいけないクマ」とか言ってたなあ。
『あれ、鬼怒じゃない』
鶏をしばし戯れていると声をかけられた。振り返るとそこにはリーナと弟君たちがずらっと並んでいる。どうやらお祈りの時間は終わったらしい。
『遊びに来たよ!』
『あら、今日休みだったんだ。そっちの子は磯波だっけ。いらっしゃい』
『いらっしゃーい!』
『こ、こんにちは……』
弟君たちが一斉に声をかけると、途端に磯波ちゃんはどぎまぎし始めた。動物相手なら問題ないけど人間相手だと駄目なのか。
『で、鬼怒。遊びに来たってことは当然アレ持って来たんでしょう?』
『この間言ってたアレ? うん、持ってきたよ』
前に遊びに来たとき偶々話題に上がって、リーナが妙に食い付いてきた代物。本土から取り寄せて、今日ちゃんと持ってきている。
『これよこれ! ジャパニーズ浮世絵!』
それは江戸時代に描かれた浮世絵の画集だった。
『何が面白いの、これ』
『鬼怒。あなた本当に日本の艦娘なの? この良さが分からないの?』
『えー、だって私江戸時代生まれじゃないし』
『そういう問題じゃないのよ! ああ、素晴らしい、素晴らしいわ』
リーナはときどきこういう変なスイッチが入るのが困りものだ。
別に日本びいきというわけではなく、世界各国の様々な絵が好きなのだという。将来は画家になるのが夢だと言っていた。たまに泊地に来ては秋雲ちゃんにいろいろ教わっているようだが、リーナが描いた絵はまだ見せてもらったことがない。
『まあこんなところで立ち話もなんだし、二人ともあがっていきなさいな。これからチビたちにおやつ作ってあげるところだったけど、食べていくでしょ?』
『んじゃお言葉に甘えて』
磯波ちゃんの様子を見ると、弟君たちに取り囲まれてすっかり遊ばれているようだった。今は弟君たちが優勢のようだけど、何かの拍子に逆転しそうな気がする。
『しかし鬼怒がうちに遊びに来るようになってから、もう結構経つわよね。二年くらいだっけ』
おやつを御馳走になった後、村のあちこちを散策をすることになった。
リーナがそんなことを言い始めたのは、もう陽が暮れかかって帰ろうかという話になった後だ。
ちなみに磯波ちゃんは弟君たちに大分慣れたのか、小さい子を肩車してあげている。
『正直なところ、最初に日本の軍が駐留することになるって話が出たとき、最初はいろいろ不安もあったのよね。村長なんかも最初は渋い顔だったのよ』
『それは仕方ないよ。昔はいろいろあったし』
『あ、いや。そういうのもあるけど、艦娘っていうのがどんな感じなのか分からなかったから。今も正直その辺りはあんまり理解はできてない気はするけど』
カラカラと笑いながらリーナは言った。こういうことを言っても嫌な感じにならないのはこの子の人徳かもしれない。
『でも、少なくとも泊地の人たちには――日本人にも艦娘にも、いろいろ助けてもらってるからね。今はもう文句言う奴ほとんどいないよ』
『そっか。それは嬉しいね! うん、嬉しいよ』
自分としては、泊地とこの島の人たちを守るために戦っているつもりだった。守ろうとしている人たちに嫌われてしまっては遣る瀬ない。
『あ、それじゃ私と磯波ちゃんはここからこのまま泊地に帰るね』
『ええ。暗くなるといろいろ危ないから気をつけなさいね。艦娘だからって油断したら駄目よ』
『分かってる分かってる。じゃね、リーナ』
『あ、鬼怒』
手を振って別れようとしたところを、リーナに止められた。
『どしたの?』
『いえ。……また遊びに来なさいよ』
『うん、そのつもりだよ。じゃね、リーナ』
リーナは若干複雑そうな表情を浮かべながら手を振り返してくれた。
磯波ちゃんが、リーナたちに頭を下げてから追いかけてくる。
「鬼怒さん。今、多分リーナさん少し気を使ったんだと思いますけど」
「んー、分かってる分かってる。心配性なんだよ、リーナはいろいろと」
「え、分かってて無反応だったんですか?」
少し意外そうにこちらを見上げてくる磯波ちゃんの髪をわしわしと撫でくり回す。
「そういうときは普段通りが一番って決めてるのよ、この鬼怒さんは」
「は、はあ」
「磯波ちゃん」
「はい」
「また遊びに行こうか」
「……そうですね」
「それで、門限を破ったと」
目の前には、泊地の風紀をはじめとする様々な事柄を取り扱う管理部の一員、そして私の姉である軽巡洋艦由良が立っていた。
「い、いやあ。つい盛り上がりまして」
「友達と遊ぶのは大いに結構。でもルールは守らないと駄目よね?」
「ご、御尤も……」
「遠征三連続コースかな」
「い、嫌だー!」
遊び過ぎには注意しようと心に決めた夜でした。