空を見上げても視界に入り込むビル群。
道路のあちこちを駆けていく車。
迷路のような駅、そして路線図。
「これが……東京……!」
それは誰が発した言葉だろう。
誰が言ってもおかしくない。それだけS泊地の面々にとって東京という都市は遠い存在だった。
北方での大規模作戦が無事完了し拠点に戻る途中、日頃の慰労も兼ねてS泊地の面々は東京に数日間滞在する許可をもらった。
ただし迷子になってもまずいので、東京に来たことのあるメンバーを班長にして、班単位で行動するよう厳命されている。
「なんか漫画で見たことのある修学旅行みたいだね」
にこやかに笑いながら歩く鬼怒の後ろには、北方作戦で合流したばかりの神威がいた。
「着任早々こんな感じで良いんでしょうか」
「いいんじゃない? 滅多にこっち来れる機会なんかないし、今はエンジョイすることだけ考えようよ」
班長に任命された鬼怒も、東京に来たのはほんの数回程度である。正直迷子にならないか些か不安があった。
ちなみに鬼怒班の面々は既に渋谷・新宿を回って衣類を大量に買い込んでいた。作戦行動中の制服や普段泊地で着ているものとはまた違うファッションで身を包んでいる。それは神威も例外ではない。普段彼女はアイヌの民族衣装らしきものを身にまとっているが、今は周囲の女子と同じような恰好になっている。
「それに泊地に残ってる皆へのお土産も買い込めたしね。いやー、神威のバッグがあって助かったよ」
そういって鬼怒は神威からもらったバッグを掲げてみせた。
「これはサラニプと言って、木の皮を使って作るんですよ。良ければ今度作り方お教えしましょうか」
「おっ、いいねえ。最近新しい工芸品何かないかなって思ってたんだ」
「でも鬼怒。これどう見ても編み物の類だけど……こういうのあんた苦手じゃなかった?」
横合いから鋭い指摘をしたのは足柄だった。
「に、苦手なだけで嫌いじゃないですー! そういう足柄さんはどうなのさー!」
「残念だが鬼怒よ、こいつは意外とまめな作業が得意だ」
「知ってるよう那智さん! 負け惜しみだってのは分かってるんだー!」
うわーん、と大袈裟に泣くジェスチャーをする鬼怒。
その様子を見てオロオロとする神威の肩を、磯風がポンと叩いた。
「気にする必要はない。いつものことだ」
「そこっ、その説明じゃ鬼怒が情緒不安定みたいに思われるよっ!」
「……?」
違うのか、と言わんばかりに首を傾げる磯風に、鬼怒がスリーパーホールドを仕掛ける。
なんとも賑々しい光景だった。
「しかし、神威はなんというかそういう格好も様になってるな」
喫茶店に腰を落ち着けて注文を終えた那智が、改めて神威の姿を見ながら言った。
神威はアメリカンカジュアルなファッションで身を包んでいた。アイヌ民族の衣装とは印象が全然違うのだが、不思議と違和感がない。
「私、一応アメリカ出身なので……その影響かもしれませんね」
「あら、そうなんだ。それじゃ金剛とかと同じ帰国子女なのね」
「意外だね。金剛さんと違って喋り方普通だし」
「イギリスだからなのか金剛だからなのか……」
鬼怒と磯風が「ううむ」と揃って唸る。
「金剛のキャラについては深く考えるだけ無駄だ。しかしアメリカ出身ということは、実は米よりもパン派だったりするのか」
「どちらも大好きですよ。特に好き嫌いはありません」
「うむ、いいことだ。泊地はいろいろと自給自足しなければならないからな。好き嫌いが多いと苦労する。好きなものだけ買って食べるということは出来ん」
「自給自足なら得意です。川での漁とか狩りならお任せください!」
「あ、あはは。内陸部は島の人たちの生活圏だから、私たちはあんまり立ち入らないかなー」
「そうですか……」
あからさまにがっかりとした様子を見せる神威。大人しそうに見えるが、意外とハンタータイプなのかもしれない。
「ただ、泊地は娯楽が少ないから皆趣味に飢えている。神威のアイヌに関する知識は皆に喜ばれるだろうさ」
那智の励ましを受けながらも、神威はコーヒーやケーキを食べ続ける。
「……結構食べるんだね、神威」
「アメリカ出身だからだろうか」
「アイオワやサラに偏見と怒られるぞ」
鬼怒と那智の言葉に、思わずツッコミを入れる那智なのだった。
「……あれ?」
スカイツリーや浅草を見て回り、後は集合場所に戻るだけ――というタイミングで、鬼怒が異変に気付いた。
「磯風ちゃんがいない」
鬼怒の表情が一気に真っ青になる。
周囲は相変わらずの人だかりだ。この中から磯風を探し出すのは至難の業のように思われた。
「ど、どうしよう。こういうときは……ええと、迷子センターだっけ。交番だっけ」
「落ち着け鬼怒。携帯で連絡取ればいいだろう」
「はっ、そうだった!」
那智に指摘されて携帯を鳴らそうとする鬼怒。しかし携帯は何度鳴らしても繋がらなかった。どうも向こうの携帯が電波の届かないところにあるか電源が入っていないという状況らしい。
「どどど、どうしよう~!」
「おお落ち着きなちゃい鬼怒!」
「どっちも落ち着け」
慌てふためく鬼怒と足柄を宥めながら、足柄も険しい表情を浮かべていた。
磯風は見た目こそ子どもだが艦娘だ。何かあっても大概のことはどうにかできるだろう。
それでも心配なものは心配だった。
「探しにいきましょう」
神威の言葉に全員が頷く。
ミイラ取りがミイラになっても問題なので、那智と足柄、鬼怒と神威に分かれて探し出す。
と言っても、全員土地勘はほとんどないので今まで来た道の近辺を探し回るくらいしかできなかった。
最初は不安になっていた鬼怒だったが、神威が思いの外落ち着いていたからか、少しずつ冷静になってきた。
「もしかして神威って、捜索とかのエキスパートだったりする?」
「いえ……経験はありますが、前は上手く見つけることができませんでした」
神威の表情が曇る。本当は彼女も不安に思っているのかもしれない。
「だからこそ、今度こそ諦めません。絶対見つけます」
「……うん。そうだね。絶対見つけよう!」
磯風はあっさりと見つかった。
なぜか人力車に乗って浅草の町を走り回っていたのである。こちらが探し出すまでもなく、向こうが見つけて声をかけてきたのだ。
「ははは。風を受けて町並みを駆け回るというのもなかなかに爽快だったぞ」
「へえへえそうかいそうかい」
いつもと変わらぬ調子の磯風に、思わず鬼怒は冗談とも言えない冗談を返してしまった。
なお、携帯は電源が切れていたらしい。
「あ、あはは。見つかって良かったじゃないですか」
神威の笑みも若干引きつっている。
「……そういえば」
と、そこで神威の表情が再び硬くなる。
「那智さんたちとの待ち合わせ場所って、決めてましたっけ……」
「あっ」
慌てて携帯を取り出す。しかし無情にも画面は真っ暗なままだった。どうやら鬼怒の携帯も電源切れらしい。神威に至っては着任間もないということもあって携帯自体持っていない。
「……」
「Oh, No!」
都会の真っ只中で、鬼怒の絶叫が響き渡った。