近頃S泊地ではMastodonと呼ばれるものが流行っていた。
これは短い文章を投稿するためのソーシャルネットワークサービスの一種で、気軽に自分でサーバーを立てられるのが特徴だ。
S泊地もネットワークは通っているが、外部へのアクセス速度はかなり遅く、ストレスフリーというには程遠い有り様だった。そのせいで、世に数多あるソーシャルネットワークサービスも、このS泊地では早々に廃れてしまっていた。
しかし、Mastodonは泊地内にサーバーがあるのでアクセス速度の問題はなかった。あくまでローカルネットワーク限定のサービスとして管理しているが、S泊地の艦娘にとってそれはさほど問題ではないらしい。それ以上に「これがSNSか」と気を引かれているようだった。
無論、この手のサービスに慣れていない子たちばかりなので、いろいろとハプニングが起こることもある。
これは、そんなハプニングの記録の一つである。
その日、夕雲型十四番艦・沖波は珍妙なものを目撃していた。少なくとも、これまでの彼女の知識にはないものである。
それは、最上型三番艦の鈴谷が、そこそこ長い棒の先に携帯電話をくっつけて、ああでもないこうでもないと苦戦している様であった。
……何してるんだろう。
沖波には、わざわざ携帯電話を棒の先にくっつけている意味がまったく理解できない。
「あの、鈴谷……さん?」
「おっ、沖波じゃーん。ちーっす」
沖波が恐る恐る声をかけると、鈴谷は普段通り快活に挨拶を返した。
「それ、何してるんです?」
「ん、自撮りだよ自撮り」
「地鶏……? あの、それスマートフォンですよね」
「そうだけど」
「……?」
沖波の中で混乱が激しくなった。鶏のモノマネでもしてるのか、いやいやそれにしたって似てなさ過ぎるような、ああでも地鶏は美味しそうだし食べたいな、などと思考が空回りしていく。
「こうやって棒の先にスマートフォンを置いて、良い感じに自分を撮るんだよ」
「え? あ、自分で撮るんですね。そっか、それで自撮りなんですね……!」
「うん?」
「いえ、なんでもないです。また変な勘違いを……」
慌てて取り繕う沖波に、今度は鈴谷が首を傾げた。沖波の勘違いにまったく気づいていなかったのである。
「けど、大変じゃないですか? そうやって棒持ち歩くの」
「艤装に比べれば全然軽いし気にならないけどなー。それに誰かと一緒にいるときとか、自分も一緒になった写真を良い感じに撮れると結構嬉しいもんだよ」
ほれほれ見てごらん、と鈴谷がスマートフォンを沖波に見せる。
スマートフォンには、様々な艦娘と一緒に写っている鈴谷の自撮り写真がたくさん保存されていた。
姉妹艦とは仲睦まじそうに写っているが、利根や龍驤なんかはあからさまに面倒臭そうな顔をして写っている。
鈴谷自身はどの写真でも楽しそうな表情を浮かべていた。
「自撮りに限らないけど、最近はスマホで撮ったいろんな写真をMastodonにアップすんのがマイブームなんだよね。何でもないものでもつい撮っちゃうんだ。どうよ、沖波も一枚」
「そ、それでは是非……」
今までされたことのない誘いだったので、沖波はやや緊張しながら鈴谷の前に立った。
「そうそう、その辺に立ってて。ちょっち準備するから」
鈴谷はそう言ってスマートフォンを自撮り棒に取り付けて、位置を調整し始めた。
「ほらほら、沖波もうちょっとリラックスリラックス」
「そう言われましても……」
「……むむ。その緊張しつつも赤らんだ顔、これはこれでありな気がしてきたな」
真面目な顔をしてスマホの状況を確認しつつ、鈴谷はシャッターを切った。
保存された写真データを二人で覗き込む。
「な、なんだか恥ずかしいですね……」
「どうする、もし納得いかないなら撮り直す?」
「いえ、納得いかないなんてそんなことは……! このままで、このままでお願いします!」
何度トライしてもおそらく大して変わらない――むしろ余計緊張して酷い顔になるだろう、ということを沖波は自覚していた。
「鈴谷ー。どこにいるんですのー?」
そのとき、遠方から熊野の声が聞こえてきた。どうやら鈴谷を探しているらしい。
「ありゃ、どうしたんだろ熊野。悪いね沖波、私ちょっと行ってくるわ。さっきの写真アップしといていい?」
「はい、私ので良ければ……」
「私の写真結構皆からコメントもらえるんだよねー。どんな感想来てるか後でちょっとチェックしてみなよ」
んじゃね、と鈴谷は駆けていく。
残された沖波は、その場で駆け去っていく鈴谷の背中を眺めていた。
「……あれ?」
鈴谷の姿が見えなくなった頃、ふと側の壁に例の棒――自撮り棒が立てかけられているのを見つけた。
「鈴谷さん、忘れていったのね……」
沖波は自撮り棒を手に取ってまじまじと眺める。どうやって使うのか、分かるようで今一つ分からなかった。
……さっき鈴谷さんはどうやってたかな。
楽しそうな鈴谷に触発されたのか、沖波はポケットから自分のスマートフォンを取り出して、自撮り棒に取り付けてみた。
「ええと、これをこうして……こんな感じかしら」
構えだけは先程の鈴谷と同じような形になった。ただ、ここからどうやってシャッターを切るのかがよく分からない。
「……沖波、何をしているんだ?」
自撮りの構えを取ったまま沖波が途方に暮れていると、そこにランニング中の初月が通りかかった。
二人は同時期に泊地へ着任した同期ということもあり、普段から親しくしている。
ただ、この状況での遭遇は沖波にとって不意打ちである。普段初月の前では割と優等生のように振る舞っていたから、こういう姿を見られるのは非常に気恥ずかしいものがあった。
「は、初月……。いえ、これは違うのよ」
「違うと言われても、何と違うんだ?」
「と、とにかく違うのよー!」
妙な気恥ずかしさに耐えかねて、沖波はスマートフォンを付けた自撮り棒を手にしたまま駆け出した。
「あっ、おい沖波! そんな長い棒抱えたまま走ると危ないぞ!」
心配になって初月が沖波の後を追いかけ始める。
「なんで追いかけてくるのー!?」
「いや、それを言うならそっちこそなんで逃げるんだ!?」
「いいから放っておいてってばー!」
自分の真面目な子というイメージを崩したくない一心で駆け続ける沖波。
彼女自身が思っているほど初月は沖波を真面目一辺倒な子だとは見ていなかったのだが、それは沖波の知るところではなく――結局二人の不毛な追いかけっこは、それから三十分ほど続いたという。
なお、鈴谷と沖波の写真には後日いくつかの反応があった。
その中に初月のコメントもあったのだが、それに沖波が気づいたかどうかは定かではない。