次回辺りからは多分泊地に戻ってると思います。
その日も弥生はドーバー市の海沿いを歩いていた。
最近の日課である。
というより、他にやることがない。
欧州大遠征を終えた艦娘たちは思い思いにヨーロッパ観光を楽しんでいた。
弥生も他の子たちと同様フランスを回っていたのだが、帰国に遅れてはいけないと少し早めに集合場所――ここドーバー市に戻って来ていた。しかし思ったより早く着いてしまい、帰国の日まで退屈を持て余している。
ドーバー市内の観光名所と呼ばれる場所はすべて制覇してしまったので、最近はもっぱら散歩が趣味になっていた。
「今日も相変わらず寂れてるぴょん」
「仕方ないさ、ここは港町として栄えてたんだからな」
一緒に歩いていた卯月と朝霜が、町の様子を眺めながら面白くなさそうにぼやいていた。
このドーバー市は深海棲艦たちの一大根拠地にされていたので、港町としての機能は長期間失われていた。人々は少しずつ戻って来ているが、本格的に復旧するにはまだ時間がかかりそうなのが実情である。
「……ん」
海沿いの道を歩いていると、ベンチに一人の女の子が座っているのが見えた。
年の頃は弥生たちとそう変わらなさそうに見える。肩口で切り揃えられたブロンドの髪が綺麗な子だった。
「……あの子」
弥生の視線に卯月たちも気づいたらしい。二人もベンチの少女に目を向けた。
「一人っきりみたいだな」
「……道にでも迷ったぴょん?」
「かもな。……あ、弥生」
いつの間にか弥生は卯月たちから離れ、少女の側に寄っていた。
驚かせないよう慎重に近づいていき、静かに「こんにちは」と声をかける。
「……?」
しかし、少女は突然声をかけてきた弥生に首を傾げるばかりだった。
「弥生。日本語で話しかけても伝わらないだろ」
「あっ」
朝霜の指摘に弥生は顔を赤くしてあたふたした。
こほん、と咳払いをして英語で改めて挨拶をする。
『こんにちは。私は弥生。ここには観光で来たの』
『……こんにちは。私はヘレネ』
『あなたは一人なの?』
『うん』
ヘレネは弥生の後ろにいる卯月と朝霜に視線を向けた。
『お友達?』
『うん。でも、英語話せないの』
『そうなんだ。日本から来たのかしら』
『……分かるの?』
『なんとなく』
何が面白いのか、ヘレネはクスクスと笑いながら静かに立ち上がった。
『遠いところからようこそ。良かったらこの町を案内しましょうか』
『いいの?』
『ええ。ここは私の町だもの』
ヘレネは町を見上げながら――どこか寂しそうに言った。
ヘレネに連れられて、弥生たちは都市部を回った。
玩具屋で人形やぬいぐるみを見て回ったり、洋服屋で可愛らしい服を試着してみたり、少し大人っぽい雰囲気のカフェで昼食を取ったり。普段と比べると町は賑わいに欠けている、本当はこんなものじゃない、とヘレネは市民を代表するかのように言った。
「サンドイッチは美味かったが……なあ、あたしまだこれ着てなきゃ駄目なのか」
洋服屋でフリフリの服に着せ替えられた朝霜が、居心地悪そうに尋ねてきた。
『朝霜は何て言ってるの?』
『可愛い服を着るのが恥ずかしいんだって』
『そうなの? 似合ってるのに』
「似合ってるんだから文句を言うなって」
「本当にヘレネはそう言ってんだろうな? 弥生、お前誤訳してないだろうな」
「概ね間違ってない……はず」
弥生が視線をヘレネに向けると、彼女は分かっているのかいないのか、力強く頷いてみせた。
「仕方ねえな……。夕雲姉たちには見つからないことを祈りたいところだぜ」
「どっちみち後でMastodonに上げておくぴょん」
「卯月――お前と友達でいんのも今日までだ」
そんな軽口を叩き合いながら、四人は都市部の西へと向かっていた。
ドーバー市の西には高地がある。そこから見る海の景色がおススメなのだとヘレネは言った。
『私はパパに教えてもらったの。ママと喧嘩して家出したときは、いつもこの道を走って登って行ったわ。結局、パパかママが見つけに来るんだけど』
『ヘレネは腕白だったの?』
『そんなことないわよ。……でも、よく人からはそう言われてたかも』
そのときのことを思い出したのか、ヘレネはどことなく不服そうな表情を浮かべていた。
高地への道は舗装されていたが、周囲は木が多く今自分がどの辺りにいるのかが意外と分かり難い。ただ、緑が多い風景は弥生たちにとって居心地の良さを感じさせた。
やがて、開けた場所に出た。
駐車場のようだが、車は一台も止まっていない。その先へとヘレネは駆けていく。
弥生たちも後を追いかけて――それを目にした。
「おお、これは絶景ぴょん!」
「確かに、こいつは良い眺めだぜ」
卯月と朝霜が感嘆の声を上げる。弥生も同意するように頷いた。
この高地からは港の様子が一望できる。少しずつ戻って来た民間船、往来を行く人の姿、そういったドーバー市の姿がよく見える場所だった。
『――弥生』
ヘレネが弥生の側に寄って声をかけた。
『ありがとう。貴方たちのおかげで私たちの町は――また生き返ることができた』
『……私たちのこと、気づいてたの?』
その質問に対し、ヘレネは微笑むことで回答した。
弥生たちが艦娘であり、このドーバー市を救うために日本から来ていたことを、この少女はいつから気づいていたのだろう。もしかすると最初から気づいていたのかもしれない。
『……ごめん。全部を、皆を助けることができたわけじゃない』
『いいのよ。そういうこともあるもの。好きだったものが無事だっただけでも、私は十分だって思ってるから』
そう言ってヘレネは弥生の手を取った。
『ありがとう。この場所に来て、この景色を見れて、本当に良かった』
『ううん。……こっちこそ、いろいろ案内してくれて、ありがとう』
弥生がぎこちなく笑うと、ヘレネはおかしそうにクスクスと笑った。
『弥生は笑うのが下手ね。もっと上手に笑う練習しないと。そんなんじゃ友達作れないわよ?』
『……大丈夫。今のままでも。今日も、一人……友達、できたから』
『――そっか。大丈夫か』
若干照れくさそうな表情を浮かべながら、ヘレネは自分の頬をかいた。
そのとき、海から一際強い潮風が吹いた。
弥生が閉じていた目を開けると――そこには、もう誰の姿もなかった。
ただ、風の音と一緒に、ありがとう、という声が聞こえたような気がした。
「……行ったか」
朝霜と卯月も気づいたらしく、弥生の元へ駆け寄って来た。
「ヘレネはきちんと行けたぴょん?」
「行けたと思う。迷ってたとしても……お父さんかお母さんが、見つけに来てくれるはず」
「そっか」
弥生の肩に手を置きながら、朝霜が明るく言った。
「それじゃ、そろそろ帰ろうぜ。あたしらまで迷子になってちゃ仕方ないしな」
「もうすぐ暗くなるぴょん。迷子になったらやばいぴょん!」
「……うん。けど、朝霜はその恰好のままでいいの?」
「あっ、そうだ……。悪い、どっかで着替えて行っていいか?」
「どっちみち後でアップロードして皆に見せるぴょん……。あ、データはもうクラウド上に保存してるからうーちゃんの携帯壊しても無駄ぴょん、やめるぴょん!」
いつものようなやり取りを再開する卯月と朝霜を見て、弥生は自然な笑みを浮かべた。
守れたものも守れなかったものもあるが――彼女たちの日常は、相変わらずの調子で続いていきそうである。