ソロモン諸島の気候はヨーロッパの艦娘にはきついんじゃないかなという気がしますが、どんなもんなんでしょう。
「暑いわ……」
間宮のテーブルに突っ伏しながら、リシュリューが呻いた。
本来は凛とした佇まいの彼女だが、着任して日が浅いということもあってか、ソロモン諸島の気候には馴染めずにいた。
「コマ、ここは秋冬になってもずっとこんな感じなのかしら」
「ええ、私が知る限りではそうね。厚着を身に着けるのは北方に行くときだけよ」
「くっ……なぜリシュリューは南方拠点に着任することになってしまったのかしら……」
ぐったりとしているリシュリューを見て、コマンダン・テストは昨年のことを思い返した。
自分や、それより少し先に着任していたウォースパイトも大分ここの暑さには参っていた。たまに熱中症で倒れる艦娘もいる。
季節はとっくに秋になっているのだが、ここでは夏とほとんど変わらない。日本では秋にも残る夏の暑さを指して「残暑」というらしいが、ここは年中暑さと隣り合わせだ。この隣人を愛することは難しい。
「あの、もし良かったらこれ要りますか?」
そんなリシュリューに、スポーツドリンクを差し出した艦娘がいた。補給艦・速吸だ。
補給作業と主要任務とする艦娘で、泊地内にいるときは常に大きなカバンを背負っている。困っている人を見かけると、そのカバンの中から役立つものを取り出して分けてくれるのだ。
「ありがとう、速吸……だったわね」
「はい。こうしてきちんと言葉を交わすのは初めてですね、リシュリューさん」
泊地も大分大所帯になってきたので、普段あまり接点のない艦娘同士だと数ヵ月まともに言葉を交わさない――ということも珍しくはない。仲の良し悪しではなく、単純に顔を合わせる機会がないのである。
「海外艦の皆さんは、ここの暑さに慣れるまで時間がかかってしまうことが多いみたいですね。元々の生活圏の違いによるものでしょうか」
「そうね。艦娘としてフランスで過ごしたことはほとんどないけれど――どうしても『母国』が基準になってしまっているところはあると思うわ」
「うーん、でも慣れるまで我慢し続けるというのも大変ですよね。……そうだ、泊地内の涼しめのスポットをご案内しましょうか」
「そういうところがあるの?」
「ええ。リシュリューさんにとって快適かどうかは分かりませんが、暑さに弱い人たちが良く集まってるところがあるんですよ」
にこやかに告げる速吸。後日、リシュリューはその姿がまるで女神のように見えた、と語ったという。
「それで真っ先にここに来たんですか」
ゴウン、ゴウンと機械の動く音が響き渡る中で、明石が若干呆れたように言った。
速吸がリシュリューとコマンダン・テストに案内したのは、泊地の一角にある工廠だった。
外と比べると格段に涼しい。理由は単純で、ここは冷房が良く効いていた。
「なるほど。ここは、クーラーをつけないと機械がオーバーヒートしてしまうものね」
「それもありますし、作業員が熱中症で倒れますよ。以前クーラーが故障したことがありましたけど、そのときは地獄でしたね」
思い出すのも嫌なのか、明石はしかめっ面を浮かべた。
「作業の邪魔にならないところでなら涼んでも別にいいですけど、ご覧の通りここはうるさいですよ」
ちなみに、さっきから一同は全員声を張りながら会話をしている。そうでもしないと良く聞こえないからだ。
常に機械がガションガションとうるさく音を立てる。場所柄仕方ないと言えば仕方ないのだが、静かに涼みたいという場合はあまり向いてなさそうだった。
とは言え、速吸がお勧めするだけあって、実例はあるようだった。何人かぐだーっとしている艦娘の姿が見受けられる。
その中には、海外艦筆頭のような扱いのビスマルクの姿もあった。
「……あら、意外ね。ビスマルク、こんなところでぐだっとするタイプではなさそうに見えたけど」
「ああ――あれは、実験に付き合わされて力尽きてるんですよ。涼みに来たのとはちょっと事情が違います」
「実験?」
そのとき、首を傾げるリシュリューの肩を叩く者がいた。
「おぬし、確かフランスの戦艦リシュリューじゃったな」
小柄な艦娘だった。おそらく駆逐艦だろう。どことなく佇まいに高貴さを感じさせる。
「わらわは初春という。工廠に興味があるなら、いろいろと案内してやろうか」
言葉だけなら親切そうなのだが、どことなくその提案に乗るのは危険そうな気がした。直前に倒れているビスマルクの姿を見てしまったからかもしれない。
「い、いえ。今日は遠慮しておくわ。……速吸、他の場所も案内してちょうだい!」
半ば逃げるようにその場を後にする三人。
「なぜかしら。あそこであの子の誘いに乗っていたらビスマルクのようになっていた――まったく理屈では説明できないけど、不思議とそんな確信があるわ」
ある意味、少しヒヤッとすることはできた。
続いて案内されたのは図書館だった。
工廠ほどはっきりと涼しさを感じるわけではないが、十分過ごしやすい温度・湿度である。
おまけに中はとても静かだった。何人かいるものの、皆大人しく本を読んでいる。
「あ、リシュリューだ」
そんな中、無遠慮にリシュリューを指差してくる子がいた。イタリアの潜水艦娘・ルイージだ。
リシュリューとは同時期に着任したので、泊地においては同期ということになる。基礎訓練は同期皆で受けるのがこの泊地の暗黙のルールになっているため、艦種や国の違いがあっても、親交は深まりやすい。
「ルイージ、珍しいわね。貴方が読書なんて」
「読書なんてしないよ、涼みに来ただけ。リシュリューも同じでしょ」
「……そ、そんなことないわよ。このリシュリューがそんな理由で図書館に足を運ぶわけないじゃない」
と、図星を突かれたリシュリューは、なぜか見栄を張ってそんなことを言ってしまった。
それは誰の目にも分かる見栄っ張りだったようで、速吸やコマンダン・テストだけでなく、ルイージすら「えー」と疑惑の眼差しを向けていた。
「じゃ、何読むのさ」
「……そ、そうねえ」
適当にぶらつく素振りを見せながらも、リシュリューは意識を集中させて本棚に目を走らせた。
そして、そのとき致命的な問題点に気づいてしまう。
……ここの本――全部日本語ッ……!
日本の艦隊に属することになる以上、リシュリューとて日本語はある程度使える。ただ、あくまである程度だ。本格的に書籍を読み込むほど得意なわけではない。
タイトルを見てもサッパリ意味が分からないものが多い。どんな本か見当もつかない。その中から何を選べというのか。
こちらをじーっと見てくるルイージ。迂闊な行動を取れば、その顛末は同期の中であっという間に広まってしまうだろう。醜態をさらすわけにはいかない。
「そ・う・ね……ど・う・し・よ・う・か・し・ら」
いかにも本を選んでいますという雰囲気を演出しつつ、必死に頭を働かせるリシュリュー。
そのとき、そんな彼女の肩を叩く者がいた。
「何を読むのか悩んでいるなら、これお勧めですよ!」
そこにいたのは、日本の潜水空母――伊401だった。
彼女が差し出してきた書籍の表紙には、水上機らしい機体がプリントされている。
「えっと、これは……?」
「晴嵐さんです」
「……えっと」
「お勧めですよ」
「……そ、そう」
なぜか気圧されるものを感じて、リシュリューは頷くことしかできなかった。
「読んだら是非感想聞かせてくださいね! もし良かったら積んでみるのもお勧めですよ!」
そう言い残して、伊401は去ってしまった。
「……リシュリュー、これ積めたかしら?」
初めて聞いた機体名に、リシュリューは首を捻ることしかできなかった。
以下、今回の後日談。
その後も速吸にいろいろなスポットを案内してもらったリシュリューだったが、行く先々で個性的な面々に振り回され、落ち着ける場所を発見することはできなかったという。ただ、それがきっかけで様々な面子に絡まれることが増えて、暑さを感じるような暇はなくなったのだとか。
「速吸。もしかして最初からそれが――リシュリューと皆を引き合わせるのが狙いだったのでは?」
後日、コマンダン・テストにそう聞かれた速吸は、ただ困ったような笑みを浮かべたという。