「試合がやりたいのう」
ある日、谷風とキャッチボールをしながら、浦風が恨めしそうにぼやいた。
「相手がいないんじゃどうしようもなくない?」
ボールを返しながら谷風が応じる。
このS泊地には、浦風がキャプテンを務める野球部が存在している。一応メンバーは現時点で十二人いるのだが、いかんせん相手チームがいないので試合とは無縁なのだった。チームを二つに分けられるほどの人数がいれば良いのだが、十二人では全然足りない。
「それは分かっとる……。分かっとるんじゃけど……」
浦風が不満そうに口を尖らせながら返球する。
谷風には、彼女がこんな調子になっている理由が分かっていた。昨晩日本シリーズがあったからだ。
ペナントレース終了から日本シリーズまでのこの期間は、浦風の野球熱が高まる時期なのである。毎年そうなのだろう。
「お隣のブインでも野球チーム作ってくれれば対戦できるのになあ」
「あっちではバスケが流行ってるみたいだし仕方ない」
「バスケ……。羨ましいなあ、十人いれば試合になるんじゃもんなあ」
段々とやる気がなくなってきたらしい。とうとう浦風はキャッチボールを放棄して、その場でボールとグローブを使ったジャグリングを始めてしまった。
これはしばらく放っておくしかないか――谷風がそう思い始めたとき、横から「それなら」と声がした。
「それなら――グラウンドを使った野球盤試合を行うのはどう?」
磯風とキャッチボールをしていた浜風が、心なしか得意げに言った。
「野球盤試合?」
「そう。何度かテレビで見たけど……グラウンドを大きな野球盤に見立てて、チームごとに打ち合うの。で、ボールが行き着いた場所に書いてあった内容がそのまま打った結果になる。『2ヒット』のところに止まったら2ヒット、みたいな」
「そうなると守備はいらんね。ランナーは?」
「出てなかったと思う。ピッチャーもいなかった。実際の選手はバッティングマシーンが投げた球を打つだけ」
「うーん、ちょっと物足りんけど……でも試合にはなるな」
浦風は少し逡巡したが、うん、と頷いて表情を明るくした。
「それじゃ、浜風の提案に乗ってやってみようか!」
そんなこんなで翌日、野球部のメンバーで空いているメンバーが泊地裏手の大広場に集まったのだった。
大広場は既に野球盤仕様に改良されている。と言っても、四方を網で囲んだり、白線でヒットマスを描いたりしただけだが。
周囲には野球部メンバー以外にも非番の艦娘たちが何人か集まってきていた。
「今日は初めてということなので、試合は三回までの簡素なものにしますね」
審判姿でそう告げたのは、教会のシスターである珠子だった。彼女は野球部の顧問ということになっている。そこまで詳しいわけではないが、野球のルールは一通り把握していた。
珠子の前に並んだのは、浦風・谷風・浜風・磯風・瑞鶴・衣笠・サラトガ・アイオワの八名である。
「メジャーリーガーの力、見せてあげるわ!」
「いや、私たち別にメジャーリーガーではないけどね」
気合を入れてホームラン宣言っぽいポーズを取るアイオワに、サラトガが控え目なツッコミを入れる。
サラトガの言う通り二人は別にメジャーリーガーでも何でもないが、野球は好きらしく割と積極的に練習に参加しに来るメンバーだった。今回の試合でも気合十分なようである。
「チーム分けはバランス考えて『浜風・磯風・衣笠・サラトガ』と『浦風・谷風・アイオワ・瑞鶴』で良いですか?」
「ええよええよ、それより早う試合やろう!」
浦風もすっかり試合が出来るということに興奮しているようだった。普段と比べると少々子どもっぽくなっている。
「分かりました。浦風さんがすっかりお待ちかねみたいなので始めましょう。――瑞鶴さん、お願いします!」
「はいはーい」
珠子に呼びかけられて、マウンドに立っていた瑞鶴が応じた。彼女と衣笠はそれぞれ両チームのピッチャー役だ。昨日今日でバッティングマシーンが用意できなかったので、今回は普通にピッチャーを立たせることにしたのである。
「言っとくけど両チームとも、今日はどっちにも打たせるつもりはないからね。たっぷり泣かせてあげるわ!」
「ふっ、泣きを見るのはどちらかな」
そう言って打席に入ったのは磯風だった。
「今日は全打席ホームランを打つと予告しよう」
「ほほーう。いいわよ、それなら一度でもホームラン打てたら間宮券一個あげるわ」
ギラリと磯風の目が光る。一方、瑞鶴の背後にも青白い炎が浮かび上がったような気がした。
瑞鶴が大きく振りかぶり、背中が見えるくらい身体を大きくひねった。
「おおっ、トルネード投法だアレ」
「ノモ!? ノモなの!?」
「瑞鶴さん、練習のときたまにやってましたけど……できるんでしょうか」
谷風・アイオワ・浜風のコメントを吹き飛ばすかのような鋭い球が、瑞鶴の手から放たれた。
ズバンと綺麗な音を立てて、キャッチャー代わりの網に球が突き刺さる。
場の空気が――止まったような気がした。
「ボールですね」
無情な珠子の宣言。
それに、打席の磯風がニヤリと笑みを浮かべた。
「へいへーい、ピッチャービビってるー?」
「う、うるせー!」
顔を真っ赤にして、瑞鶴が地団駄を踏んだ。
「瑞鶴、落ち着いて! 普段通り投げれば大丈夫よ!」
「そ、そうよねサラトガ!」
「貴方がストライクゾーンに入れてくれないと話が進まないわ!」
「悪かったな――!?」
応援なのか微妙な声援を受けて、瑞鶴は再び絶叫する。
「普通に投げればいいんで――しょ!」
今度は普通のオーバースローで投げる。
放たれた球は、確かにストライクゾーンに入っていた。
「ホーム、ランッ!」
しかし、その軌道を磯風は読んでいた。迷いなく振られたバットが、容赦なく球を打ち返す。
ただ、芯には当たらなかったらしい。瑞鶴の頭上を越えて、センター付近に飛んでいく。
その先には、アウトのエリアと2ヒットのエリアが並んでいた。
「アウト、アウトに落ちろ……っ」
浦風が呪いを込めるかのような声音で念じる。
それが功を奏したのか――球はアウトエリアで止まった。
「へいへーい、ホームランじゃないのー?」
先ほどの意趣返しか、瑞鶴が磯風に挑発の言葉を返す。
「……瑞鶴」
「ん?」
「三回までに絶対お前のツインテールを刈り取ってやるからな……っ!」
「それはどう反応すればいいわけ――っ!?」
次いで打席に立つのはサラトガだった。
「フフフ、私は堅実に行かせてもらうわね。そう――S泊地のイチローとは私のことよ!」
「アメリカ出身なら他に挙げられる名前ないのけ……?」
浦風の指摘に動じることなく、サラトガはバッターボックスでゆらゆらとバットと身体を動かし続ける。
「くっ……微妙に投げにくいわね……何のせいとは言わないけど!」
微妙に苛立ちを見せながら、瑞鶴が大きく振りかぶった。
「同じ空母仲間だからって遠慮はしないわよ――喰らえ恵まれし者!」
「恵ま――えっ!?」
よく分からないままサラトガがバットを振る。
カーン、と良い音が響いた。
サラトガが打った打球が、大きく遠く飛んでいく。
その球は、広場を囲む網の中へと吸い込まれていった。
「――ホームランです!」
「おおっ……!」
「やりましたね、サラトガさん! 大きい一発です!」
珠子の宣言に、磯風や浜風が歓声を上げる。
一方、マウンド上の瑞鶴はやや呆然とした様子で打球の飛んで行った方を眺めていた。
「……大丈夫?」
隣に控えていた衣笠が心配して声をかけると、瑞鶴は「ふっ」と悟ったような表情を浮かべた。
「大きいものを持ってる艦娘は、やっぱりでかい一発を持っていくのね……」
「超解釈にも程があるでしょ、それ」
そう言って、衣笠は心底嫌そうな顔を浮かべるのだった。