その後、1回裏、2回、3回と試合は進んでいく。
両チームはそれぞれ多くのヒットを叩き出し、3回裏開始時点で10対7という点数を出していた。
この大量失点に、瑞鶴・衣笠のピッチャー二名はすっかりブルーになっている。
「な、なぜだ……。衣笠さんの秘密兵器、大魔神並に落ちるフォークボールがあっさり打たれるなど……」
「いやそこまでは落ちてないし。っていうか三振ゼロってのがへこむわ」
「まあまあ、艦娘の皆さんは日頃の戦いで動体視力が優れてる子が多いですし……これは仕方ないのでは」
地面に「の」の字を書き始めかねない二人を見かねて、審判役の珠子がフォローを入れた。
一方、バッター陣はバカスカ打ててご満悦のようだった。
「芯に当たってパッカーンと飛んでいく様は気持ちいいわね!」
「そうじゃねえ。守備や走者も悪くないけど、やっぱうちは打つのが一番好きじゃ」
「谷風さんはズバーっと盗塁するの好きだから今回は物足りないねえ」
「そこ、ピッチャー陣の傷口に塩塗り付けないでください!」
ピピーッとホイッスルを鳴らしながらイエローカードを掲げる珠子に、浦風たちは「お口にチャック」のジェスチャーをした。
「楽しんでいるのは結構だが、あと3点取らなければ我々の勝利だぞ、浦風」
と、そこに「ふふん」と勝ち誇った顔の磯風がやって来た。
「3点くらい余裕じゃ余裕」
「そう上手くいくかな……?」
と、そこで磯風の裾を引っ張りながら浜風が深刻そうな面持ちを浮かべた。
「磯風、その発言はフラグです。逆転されてしまいますよ!」
「そ、そういうものなのか?」
「そういうものです。迂闊な発言は慎んでください。貴方はナチュラルに地雷原を突っ走ろうとするところがあるのですから」
「う、うん……分かった、気を付けよう」
浜風に引きずられるようにして、磯風はベンチに戻っていった。
「相変わらず磯風は浜風に弱いねえ」
浦風が微笑ましげに言う。磯風は日常生活において浜風の世話になっていることが多く、彼女相手には頭が上がらないところがあるようだった。
「とは言え、正直ちょっとピンチなのは確かだね」
珠子のフォローで立ち直った衣笠が投球練習をする様を見て、谷風が難しい顔をした。
「衣笠は尻上がりタイプのピッチャーじゃけえ、そろそろ暖まってきた頃合いかね」
「ノリに乗った衣笠はちょっと怖いわね」
浦風とアイオワも谷風に同意した。調子のよいときの衣笠相手だと、安定してヒットを取るのが非常に難しい。
衣笠は複数の変化球を駆使する技巧派タイプのピッチャーなのだが、変化球のキレは後半になればなるほど良くなっていく。おまけに変化球の種類も豊富なため、特定の球種に絞って打つのが困難だった。
「ま、ここは谷風さんがいっちょ景気の良いところを見せてやろうじゃないか」
「おっ、谷風! 何か秘策があるんじゃね?」
浦風の期待に満ちた眼差しに、谷風はグッと親指を立てて応えた。
「――ストライク、バッターアウトっ!」
それから一分後、無情な結果が出された。
「いやー、駄目だった!」
「あの自信満々な態度はなんだったんじゃ!」
「いや、自信のなさそうな顔してたらチャンスは転がってこないという谷風さんなりのポジティブシンキングというか」
「残念ながら勝利の女神はそれに応えてくれなかったようね……」
「なら、うちが勝利の女神になるしかないね!」
バッターボックスに入り、浦風は闘志を燃やしながらマウンド上の衣笠を見据えた。
先程までのブルーな雰囲気はどこへ行ったのか、今の衣笠は夜間突入作戦で指揮を執るときのような顔つきになっている。具体的には集中力が段違いの状態になっていた。
「いかん、衣笠完全にゾーン入ってる……!」
「気後れしたらその時点で負けよ、浦風!」
尻込みしそうになったところで、アイオワからの声援が届いた。
「そ、そうじゃ……。強敵との戦いならワクワクするところ。こういう緊張感が欲しくて試合をやりたかったんじゃ!」
浦風が奮起したところで、衣笠がスリークォーターで第一球を放った。
瑞鶴に比べると速度は劣るが、変化球のキレと高い制球力でギリギリのところを突いてくる――バッターにとっては嫌なスタイルである。
球が間近に迫ったところで、浦風は振ろうとしていたバットをギリギリのところで止めた。
「……ボール!」
衣笠の放った球は、浦風の近くで大きく弧を描き、ストライクゾーンから僅かに逸れたところに入った。
チームとしては追い詰められつつあるが、この打席での勝負は始まったばかりである。まだ慌てるような時間ではない。
「やる気満々でありつつ冷静さを失ってない……。やるね、浦風」
「衣笠も大したもんじゃ。さっきまであんなへこんでたのに、切り替えの良さは流石じゃね」
両者の視線がバチバチとぶつかり合う。
やがて、衣笠が第二球を投げた。先程の球よりもかなり速い。
速球につられて浦風がバットを振る。しかし、その球は浦風のバットに当たる直前のところで大きく下に逸れた。
「ストライク!」
「しまったぁ~!」
珠子の判定と浦風の悲鳴が重なった。
「浦風のペースになるかと思ったけど、そうはさせまいと衣笠が仕掛けた……というところかしら」
サラトガの分析にアイオワが頷いた。
「あの二人は試合の流れを作ることを重視するプレイスタイルだから、型にはまれば強い。ちょうど今の衣笠みたいにね」
「そんな衣笠のペースを崩そうと浦風が仕掛けたけど、攻めきれずに反撃を喰らったということね」
「衣笠の変化球は嫌なところで曲がるからやり難いのよね」
などと米艦二人が解説役に徹する中、衣笠が第三球を放つ。
これに対し、浦風は目を大きく見開いた。一歩引いて、ギリギリまで球を見極めるための体勢を取る。
「ヒットを打つことだけに集中したってわけだ!」
谷風が叫ぶのと同時に、衣笠の放った球が大きくカーブを描き始める。
それを見てから、浦風がバットを振るう。
間に合うか――。
誰もが息を呑んだ瞬間、コン、という音が響いた。
衣笠が投げた球が、浦風のバットによって宙に舞う。
球はふんわりとした軌道に乗って内野を越えていく。向かう先にあるのはアウトエリア、そしてその先にある2塁打エリアだ。
球が落ちる。アウトエリアだ。しかし落ちただけで、まだ止まってはいない。
「いけっ、いけっ……!」
「いくな、いくなっ……!」
浦風と衣笠の言葉が聞こえているのか、球はまるで戸惑うようにうねうねと進んでいく。
やがて、球の勢いが完全に止まるかどうかというところで――風が吹いた。
「いやー、良い汗かいたね」
夕刻。寮の台所で夕食を作りながら、浦風がさっぱりした表情を浮かべて言った。
「随分と元気になったようで安心したわ」
その様子を見て浜風がクスクスと笑う。
「あれ、うちそんなに元気なかった?」
「相当悶々としているように見えた」
「悶々って……」
「浦風は普段わがまま言わないんだから、たまにはわがまま言ってストレス発散した方が良いと思う」
「んー、そうかねえ」
浦風はそう言って火を止めた。煮込み料理の出来上がりである。
「んじゃ、これから毎週今回みたいな形式で試合する?」
「それは勘弁。……月一回くらいなら付き合うけど」
静かに微笑む浜風に対して、浦風は満面の笑みで応じるのだった。