残りの開発資材は2桁です。
「海上に未確認巨大生物が現れたというのは本当か」
薄暗い室内で、低い声が聞こえた。
「先ほど海上護衛任務に出ていた部隊から報告があった。嘘をつくような連中ではない。……本当のことと見て良いだろう」
「深海棲艦ではないのだな?」
「いつぞやの霧の艦隊ではないのか?」
「違う。これまで見たことのない個体だ。深海棲艦特有の気配もない。ただ――でかい」
「でかい? どれくらいだ」
「……ええと、おそらく1kmくらいはある」
「デカ過ぎるだろ……」
「どうすんだ、そんなでかいの」
「生き物である以上始末する手はある」
「貴重な生体サンプルになるかもしれん。無力化して確保することはできんのか」
「そんなことを言っている場合か。民間人に被害が出たらどうする」
「……提督」
一番奥に座っている人影に、誰かが声をかけた。
「方針を決めねばなりません。後手に回れば被害は拡大するばかり。ご決断を」
「うむ……そうだな」
提督と呼ばれた影はゆっくりと頷いた。
そして――。
「……お前ら、何してんだ」
シャーッとカーテンが開き、室内に光が入り込んでくる。
「うおっ、眩しっ」
「そりゃこんな薄暗い部屋にいたらそうだろうよ」
呆れたように言ったのは、この泊地の司令部のメンバー・重雷装巡洋艦の木曾だ。
「また司令部ごっこか?」
「うむ。苦しゅうない」
木曾に向かって腕を組んで応対したのは深雪だった。
「何が苦しゅうないだ阿呆。勝手に作戦室使うな。これから大事な作戦会議があるんだ」
「ん? なんか重要な案件でもあるのか?」
「ああ、まあな――」
木曾は若干言葉を濁した。こういうときは迂闊なことが言えない事情があるケースが多い。それを察して、深雪は他の駆逐艦仲間に「仕方ない、裏司令部解散だ!」と手を叩いた。
各々が残念そうに作戦室から出ていく。
「おい深雪。お前この後暇か」
深雪が作戦室から出ようとしたところで、木曾が声をかけてきた。
「特に予定はないけど」
「だったら悪いが一つ頼まれてくれないか、裏司令部代表さん」
「えー」
木曾に限ったことではないが、司令部のメンバーからの依頼は面倒ごとを相場が決まっている。この泊地ではもはや常識だ。
「間宮券三回分」
「用件を聞こうか」
「……お前のそういうところ、俺は嫌いじゃないぞ」
そうして、木曾は深雪に依頼内容を話し始めた。
「だけど、これを運んでどうするのです?」
木曾から依頼を受けて一時間後。
大量の開発資材を載せた荷車を押す深雪に、並んで歩く電が問いを投げかけた。
彼女も深雪がいうところの裏司令部の一員で、深雪に付き合う形で荷物を運んでいる。
「多分少し前に開発方法が判明した新型米艦載機が絡んでるんじゃないかな」
「米艦載機……。ああ、開発に大量の資材と装備が必要になるっていう」
「それそれ。空母が夜間攻撃できるようになる……って触れ込みで大盛り上がり。特に空母組や技術部なんかはその艦載機を是非欲しいってんで開発しようと意気込んでる。一方で水雷屋とか戦艦組は資材に見合う効果が得られるか分からないってんで慎重になってるらしい」
「どちらの言い分も分かる気はするのです。……司令部は方針を明確にしてないのですか?」
「司令部内でも意見が真っ二つに割れてるって叢雲がぼやいてたな。だから宙に浮いてる形になる」
「……そうなると、開発賛成派が強硬手段に出る可能性もありそうなのです」
この泊地では、司令部が決定したことに逆らわない限り、各艦娘の自主性を尊重するという方針がある。つまり今回の場合、件の艦載機を強引に開発しても別段咎められることはないのだ。
「以前も開発強硬派が32号電探やら46cm三連装砲を大量生産したケースがあるからな、うちは。開発否定派はそれを防ぐため、必要な資材を一時的にどこか安全な場所に隠しておきたいんだろ」
「泊地内で仁義なき抗争が起きつつあるのです……」
依頼してきた木曾や、資材を快く提供してくれた明石は開発否定派なのだろう。空母組や夕張・初春たち技術部メンバーはおそらく開発肯定派だから、今頃この資材を探し回っているかもしれない。
「――ふっ、ようやく見つけたわよ」
「その資材、お譲りいただきます」
と、深雪たちの前後から突如人影が飛び出してきた。
天城と葛城だ。前方を天城が、後方を葛城がそれぞれ塞ぐ形になっている。
「ちっ、もう来たか!」
「流石に動きが速いのです……!」
荷物を運びながらこの二人を撒くのは不可能だ。と言って、駆逐艦二名で空母二名を相手にしても勝ち目はない。夜間なら話は別だが、今はまだお天道様が空に出ている。
「……考え直すつもりはないか、天城・葛城。夜間戦闘機なんかなくても空母は十分強い。半端に夜戦に手を出そうとすると、却って昼戦で活躍できなくなってしまうかもしれないぜ?」
「では尋ねますが深雪ちゃん。もし駆逐艦でも積める偵察機があったら、深雪ちゃんは開発したいと思いますか?」
「電はどう? 軽巡・重巡並の射程距離を持つ駆逐艦用の主砲が開発できるなら」
「ぐっ……」
「い、痛いところを突いてくるのです……!」
そんなものがあるなら当然欲しい。実を結ばない・割に合わないと言われても、やってみなくちゃ分からないと反論するだろう。
深雪と電の表情が苦悩に歪む。
「今の二人なら私たちの気持ちが分かるはずです」
「夜間戦闘でただの案山子になるのはもう御免なのよ……。この機会は譲れないわ!」
「さあ、開発資材を譲ってください。そして一緒に新型を開発しましょう!」
「……駄目なのです!」
手を差し伸べてくる天城たちに向かって、電は躊躇いながらも頭を振った。
「頼まれたことを途中で投げ出すのは駆逐艦魂に反するのです。お二人の気持ちも痛いほど分かりますが……電たちはそれに賛同できる立場ではなくなっているのです」
「……そうだ、よく言ったぜ電!」
深雪が前方の天城に一歩踏み込む。
「悪いな、私たちはもう開発資材を守れという依頼を受けた。それがすべてだ。……もし私たちに依頼したのが木曾じゃなくて天城たちだったら、喜んで協力していたかもしれないけどな」
「――そうですか。残念です」
心底残念そうに、天城は手を引っ込めた。
「では、少々強引に事を進めさせていただきます」
「いいぜ、どっちが勝っても恨みっこなしだ……!」
その場にいた全員が、臨戦態勢に入る。
ここに、開発資材をかけた熾烈な戦いが始まろうとしていた――。
「まあ、普通に考えて駆逐艦二人で空母二人に勝てるわけはないよな」
それから数時間後。深雪と電は、二人揃って工廠に戻って来ていた。
視線の先には、新型の艦載機を完成させて喜ぶ天城たち開発賛成派と、がっくりうなだれる明石たち開発否定派がいる。
「ごめんね、大丈夫だった?」
葛城が若干申し訳なさそうに声をかけてきた。
「平気平気。多少の怪我ならすぐ直るし。そっちこそ大丈夫だったのか?」
「あ、あはは……」
葛城は電の渾身の一発をもらって敗北寸前まで追い詰められていた。
ただ、その怪我もあっさり直ったようで、今はピンピンしている。
「ま、作っちまったもんは仕方ないし、今後はどう有効活用するかを考えないとな」
「開発資材ほとんどなくなって、明石さんが死んだ魚の目をしてるのです……」
「尊い犠牲だった。無駄にしてはいけない」
倒れ伏す明石に合掌する深雪。
こうして、裏司令部の任務は失敗に終わったが――S泊地はまた一つ強力な武器を手にしたのだった。