大海原の中、島の影すら見えない場所で、日が暮れようとしていた。
自分たちの泊地に戻るまで、まだ結構な時間がかかる。
「このまま夜間航行しても良いけど……」
高雄は後方を振り返る。
艦隊の面々の表情には疲労が見え隠れしていた。
既にかなりの時間航行を続けている。艦娘は人間よりも優れた身体能力を持っているが、それでも疲れるのは疲れるのだ。
「良し、ここをキャンプ地とするクマ!」
「って、勝手に決めないでよ球磨」
高らかに宣言する球磨にツッコミを入れる高雄。
二人は泊地に着任したのがほぼ同時期ということもあって、艦型や艦隊の垣根を越えて親しくしていた。
「無駄だクマ。もう他の皆は万歳三唱してるクマ」
球磨が指し示した通り、他の四名は皆「よっしゃー」だの「やったー」だのと歓喜の声を上げている。
こうなっては、もう休む以外に手はない。
「あー、もう。仕方ないわね」
「安心しろ、実艦モードは球磨がやるクマ」
言うや否や、球磨は少し距離を取った。
球磨が意識を集中すると、彼女の周囲が蜃気楼のようにぼやけていく。
やがて、そこに艦艇としての軽巡洋艦・球磨が現れた。
「ほら、早く乗るクマ」
艦娘としての球磨の姿も甲板上にある。ただ、先ほどまで身に着けていた艤装はどこにもなかった。
実艦モードというのは、艦娘としての艤装の形態を実際の艦艇に変化させたものだ。
大量の荷物を搭載できたりするので輸送作戦では便利だが、図体が大きくなる分敵の攻撃が当たりやすくなるし、自分一人では操艦もままならないためスタッフが必須になるという厄介なデメリットもある。そのため普段使うことはまずない。
ただ、海上で休むときはこうして誰かが実艦になる。そうでないとゆっくりと身体を休ませられないからだ。
「大丈夫?」
「全然平気だクマ。球磨の鍛え方舐めちゃいけないクマ」
ふふんと球磨は鼻を鳴らす。
この実艦モードへの形態変更はなかなか疲れる。そのため、あまり好んでやりたがる艦娘はいない。
もっとも、球磨は疲労している素振りを見せなかった。彼女自身が言う通り、鍛え方が違うのかもしれなかった。
球磨の甲板上に集まった一同は、揃って食卓を囲んでいた。
こういうときのために、一人はカセットコンロなんかを持ち込むようにしている。
艦娘としての任務は時間のかかるものが多い。いつでもどこでも自炊できるようにする準備は必要不可欠なものだ。
こういう道具一式を実艦の中に予め入れておければ良いのだが、そういう器用な真似はできない。実艦モードは、あくまでかつて艦艇だった頃の自分を再現するものだ。自由自在にコンバートできるものではない。装備として艤装に直結させたものだけが実艦モードに反映できる。
「インスタントも良いものだねえ」
「持ち運びやすいし味も良いしな」
子日と長波がごくりと喉を鳴らしながら、眼前のインスタント麺に手を伸ばす。
蓋を開けると、それまで中に詰め込まれていた熱気と香りが一斉に飛び出してきた。
「んー、たまらねえな!」
「今日はラーメン記念日だねえ」
「お前何でも記念日にしようとするよな」
そのとき、子日に向かって笑いかける長波のお腹が鳴った。
長波は少しばつの悪そうな表情を浮かべて頭を掻く。
「ふふ、それじゃ伸びないうちにいただきましょうか」
「疲れちゃいないけど球磨も腹減ったクマー」
全員で「いただきます」と声を揃える。
ずるずると、ラーメンをすする音が波の音をかき消した。
「あったかいねー」
「ずっと海上で風に当たり続けてたからな」
艦娘は艤装を身に着けて海上に直接接していれば気温の影響を抑えられるが、寒い・暑いという感覚はある。
その感覚は、船上に上ったことで一層強まっていた。
ここは普段いる南方海域よりもずっと北に位置する。そのせいで余計に寒く感じるのだった。
「お二人さん、こんなのあるよー」
ラーメンを堪能する二人にカップを差し出したのは秋津洲だった。
今回は二式大艇を活用する任務だったので、その使い手である彼女も外洋まで出ていたのである。
子日と長波がカップを覗き込むと、そこからは馴染みのある匂いが漂ってきた。
「おー、暖かいお茶!」
「ありがとな、秋津洲さん! こういう夜、ラーメンにお茶の組み合わせはたまらねえな」
「お安い御用かも。戦闘以外のことなら大抵できるからね!」
他のメンバーにも手早くカップを渡すと、秋津洲は流れるように寝袋を用意し始めた。
艦艇内部に入り込めば部屋にベッドもあるのだが、あまり中に入ると敵の奇襲があったときに咄嗟の対応ができないので、今回のように少人数の場合はまず利用しない。
「寒さに耐え忍びながらの寝袋……」
「泊地にある寝袋薄いからあんまり意味ない……」
「何もないよりマシだクマ」
この後待ち受ける現実に想いを巡らせ、渋い顔を浮かべる三人。
寝袋は泊地の艦娘全員に支給されているが、数を揃えるためかために低価格のものが選ばれており、お世辞にも品質が良いとは言い難かった。
「灯油ストーブや焚火台でも持ち込めたら良いのにね。艤装に詰め込めるようにできないか明石に相談してみようかしら」
「焚火台は薪がないからほとんど意味ないんじゃないかなあ」
溜息交じりに言う高雄に、子日が首を傾げながら応じた。
「寒さに慣れるのも訓練の一つと思えばいい」
涼し気な顔で言ったのは、残りの一人である若葉だった。
もっとも、彼女も寒さのせいでほんのりと顔を赤くしている。
「若葉は北方に縁が深いからそんなこと言えるんだろ。あたしは南方メインだったから寒さにゃ弱いんだよ」
「なんだ長波、キスカ組として情けないぞ」
「苦手なものは苦手なんだよ」
ずずー、とお茶を飲み干しながら長波が立ち上がった。
「さて。食い終わったし、ただ待ってるだけじゃすぐに身体が冷えちまう。軽く甲板ランニングしてくるわ」
そう言って、長波は駆け出して行った。
それに触発されたのか、子日と若葉もそそくさと食べて「子日もー」「訓練なら付き合うぞ」などと言いながら、長波の後に続いていった。
「若い子たちは元気ねえ」
「高雄。それ完全にロートルの発言クマ」
「……聞かなかったことにしてくれる?」
「良かろうだクマ」
そこに、就寝の準備を終えた秋津洲が戻って来た。
腰を下ろして、一息つきながらお茶をすする。
「一仕事終えた後の一杯は格別かも!」
「お疲れ様。夜間の見張りは私がやっておくから、秋津洲はあの子たちが落ち着いたら一緒に休んでて」
「分かったかもー」
息を吐いて、秋津洲は夜空を見上げた。
「おー、今日は綺麗に星が見えるかも」
「あら」
「クマー?」
秋津洲の言葉につられて、高雄と球磨が視線を空に向ける。
そこには、満天の星空が広がっていた。
「と言ってもあたし全然星のこと詳しくないから、何が何の星かは全然分からないかも」
「球磨も全然分からんクマ」
「……任せなさいと言いたいところだけど、残念ながら私もサッパリだわ」
揃ってため息をつく三人だったが、秋津洲はすぐに破顔一笑した。
「でも、名前分からなくても綺麗なものは綺麗かも!」
「良いこと言うクマー」
球磨の気の抜けた返答に、高雄が思わず笑みをこぼす。
見知らぬ星々の下、彼女たちの夜は更けていくのだった――。