「初霜がどんなお菓子を好むのか、ですか?」
ここは泊地の片隅にあるベンチ。
珍しく工廠から出てきた初春に突然聞かれて、雪風はオウム返しをしてしまった。
「どうしたんですか、突然」
「いや、なに。バレンタインが近いじゃろう? 昨年までわらわは工廠にこもりきりで、気づいたらバレンタインが終わっていたという感じだったのじゃが……いい加減今年はわらわからも何か贈ろうと思ったのじゃ」
初春は泊地に何人かいる技術部というものに所属している。
艦娘の艤装の改良を主な目的とする部だ。初春はその中でも特に研究熱心で、明石や夕張並に工廠へこもっていることが多い。
研究に没頭するあまり年中行事をスルーしてしまうことがある、というのはよくあることだった。その辺りは雪風も初霜から聞いたことがある。
「それで妹たちに話を聞いたのじゃが……初霜だけはどうしても何が欲しいのか教えてくれなんだ。ずっと『私はいいから、気にしないで』の一点張りでのう」
「なるほど。それで贈り物に困って、私のところに話を聞きに来たというわけですね」
「うむ。雪風は初霜とかなり親しい間柄じゃろう。……ずっと工廠にこもってばかりのわらわなんかより、詳しいと思っての」
初春は自嘲気味に笑った。
妹が何を好むのかということすら分からなかったのは、少々こたえたらしい。
「考えてみればわらわは普段ほとんど姉らしいことなどしておらぬ気がする……。ふふ、本当に駄目な姉よ。なんだか今から気が重くなってきたぞ。初霜にどういう顔して会おうかのう」
「珍しくネガティブ思考になってますね。……これ食べて元気出してください」
雪風はポケットに入れていた塩飴を差し出した。
初春は噛み締めるように飴をゴリゴリと頬張る。
「初霜は物欲がないので、多分何を贈っても喜んでくれると思いますよ。贈る側の気持ちを重視する子なので」
「……何でも、と言われてものう。その中でも好きとか嫌いとかあるであろう?」
「ないはずはないんですけど、そういうところをなかなか見せてくれないんですよね」
雪風はこれまでの初霜とのやり取りを思い返してみた。しかし、彼女がそういう好悪の感情を見せたことはほとんどない。
あるとしたら、冤罪に対する嫌悪感と、思うような結果を出せなかった自分への怒りくらいだ。今回の参考にはなりそうもない。
……というか、姉妹からのプレゼントなんて問答無用で喜色満面だと思いますけどね。
隣で頭を捻り続ける初春を見ながら、雪風はそんな風に思うのだった。
「それであたしのところに相談に来たってわけね」
若干呆れたような声をあげたのは霞だった。
彼女も雪風と同様、初霜が姉妹艦以外で特に親しくしている相手の一人である。
「あたし、今忙しいんだけど……」
霞はフリフリの可愛らしいエプロンに三角巾を装着していた。
完全に調理スタイルである。それもそのはず、ここは霞が所属している艦隊の寮の台所だった。
そんな彼女の周囲には、カカオの香りが漂っている。
「チョコ作りかえ?」
「そうよ。たくさん作らなきゃいけないから大変なの」
「霞は泊地の皆に配る分用意してるんですよね」
「ほう……。それは素直に感心してしまうのう」
初春と雪風から尊敬の眼差しを向けられて、霞は顔を赤くしながらそっぽを向いた。恥ずかしいらしい。
「でも、これだと確かに今は手が離せなさそうですね。朝霜や潮に聞きに行きましょうか」
「そうじゃのう。邪魔をしても悪い」
それじゃ、と立ち去ろうとする二人の背中に、霞は思わず「ちょっと」と声をかけてしまった。
「ん、どうした霞よ」
「……え、いや、えーと。……そう。初春は、そもそも今から贈り物の準備とかして間に合うの?」
「む?」
霞の口から咄嗟に出た問いかけに、初春は首を傾げた。
「お菓子なら間宮で買えば良いのでは?」
「間宮はこの時期争奪戦激しくなるから、事前予約制にしてるのよ。予約してないならその分はないわね」
「……なんと!?」
初春は衝撃で仰け反りそうになりながら叫んだ。
工廠にこもることが多いからか、彼女は意外と泊地の暗黙のルールに疎い。
「そういえば最初のバレンタイン凄かったですもんね。提督にチョコあげようとする子が思いの外多くて、間宮がパンクして、争奪戦が実際起きて……。提督本人は一切それに気づいてなかったっていうのも凄いですけど」
「そんなことがあったのか……。わらわ全然知らなかったぞ……」
「ま、そういうことだからバレンタインに贈り物するなら一ヵ月くらい前から準備しないと駄目なのよ」
ちなみに泊地の近くだと、間宮以外にお菓子を扱うような店はない。
探せば持っている人はいるだろうが、それを貰ってバレンタインに贈るのはいろいろと間違っている。さすがにそれは初春も理解していた。
「……仕方ないわねえ。あたしのチョコの材料、少し分けてあげるわ」
「おお、良いのか!?」
「この状況見て放っておけるほど薄情じゃないわよ。……ちなみに作り方は分かるの?」
「自慢ではないが調理はサッパリなのじゃ……」
人差し指を突き合わせながら、初春は気恥ずかしそうに言った。
「はあ……分かったわよ。作り方教えてあげる。その代わり、ちゃんと作りなさいよ?」
「うむ。作るくらいは自分でやらねば、胸を張って妹たちの前に出られぬわ」
気合を入れる初春に、霞はやや不安そうな表情を浮かべる。
一方で雪風は、どこか微笑ましそうにそんな二人の様子を眺めていた。
……そういえば、前も似たようなことがありましたっけ。
以前、バレンタインの時期に初霜が『相談に乗って欲しい』と言ってきたことがあった。
『今時は異性として好きな人以外にもチョコあげたりするらしいけど、姉さんたちにあげるのって変じゃないかな』
『日頃いつも助けてもらってるから、お礼がしたくて』
『一人だと不安なのよ……。ね、ねえ雪風。一緒に作らない?』
どこか自信なさそうな初霜に、雪風は長時間付き合わされた。
傍から見ている分には心配する要素など全然なさそうなのだが――どうもこの姉妹、割と自分に自信がないらしい。
あまり似ているところの見当たらない姉妹だが、意外な共通点があるものだ。
「どうした雪風。さっきからニヤニヤして」
初春から怪訝そうに尋ねられて、雪風は「なんでもないですよー」と笑ってごまかした。
「作るなら初霜の好みに合わせて輪形陣チョコにしましょう。雪風もお手伝いします」
「輪形陣チョコ……?」
「変な感じにして材料無駄にしないでよ」
「分かってますってー」
霞の牽制を笑って流す雪風。
二人に挟まれながら悪戦苦闘する初春。
三人の奮闘は、その日の夜近くまで続いたという――。
その年の二月十四日、珍しいことに、初春は一日工廠に顔を出さなかった。
翌日顔を見せたときの表情からすると――良い一日を過ごしたものと思われる。