「退屈だあァ~!」
ソロモン諸島海域を巡回するS泊地の艦艇――アルス・パウリナの甲板上で、大きく背中を伸ばしながら涼風が耐えかねたように叫んだ。
このアルス・パウリナはソロモン諸島全域を数日かけて巡回する船だ。元々はショートランド島付近を中心に活動していたS泊地の面々だったが、人数が増えてきたこともあり、範囲を広げて活動することにした。この巡回もその一環である。
しかし、不定期ではあるが元々ソロモン諸島全体の巡回は行っており、当該海域における深海棲艦の活動はほぼ鎮静化している。なのでこの巡回は割と暇なのだった。
「ハーイ、涼風。どうかしたの?」
涼風の叫びに対し、アルス・パウリナの外から声が返って来た。
船の外で警戒にあたっていたスカイママことイントレピッドだ。
米国の正規空母の艦娘で、先のレイテ大戦時に着任したばかりだ。しかし、米国出身の艦娘も大分増えてきたこと、まったく物怖じせず積極的にコミュニケーションを取ってくることから、まるで十年来の知己のように泊地へ馴染んでいた。
「いや、暇でさ。姉貴たちとのトランプとかも飽きてきたし、釣りも飽きてきたし、なんというか、もっと没頭できるようなことないかなって」
「涼風は趣味とかないの?」
「いやー。大抵はいろんな奴と一緒に馬鹿やってることが多いかな。けど巡回船だと面子が代わり映えしないから単調でさ」
「なるほど。なら一人で延々と没頭できるような趣味を探してみるのも良いかもしれないわね」
「うーん、どうだろう。あんまり性に合わないような気もするんだよな。釣りとかは釣れないと段々イライラしてくるし」
涼風にとって釣りで楽しい瞬間というのは、誰かと競い合いながらやっているときだ。
一人で太公望よろしく釣り糸を垂らしているだけでは、どうにも張り合いがない。
「ママさんはなんかそういう趣味持ってるのかい?」
「私は宇宙に関する話題を調べるのが好きね。宇宙については今も新しい発見が日々生まれているし、人類が再び宇宙に羽ばたくための努力をしているニュースなんかを見ると、早く現状をどうにかしなきゃなって思えるわ」
「宇宙か。あたいにゃ難しいことは分かんないけど、そのうち行ってみたいなーとは思うな」
「大事なのはそういう気持ちよ」
イントレピッドはそう言ってウインクした。
わざとらしさがなく自然体で愛嬌を振りまくので、イントレピッドのそういうしぐさには嫌味がない。
涼風はなんとなく照れ臭くなって頬をかいた。
「そういえばシオンが最近読書にハマってるって言ってたわね。話を聞いてみるのも良いんじゃない?」
「読書かー。あたい活字苦手なんだよな」
「シオンがハマってるの、コミックスかもしれないわよ?」
「なるほど。とりあえず行ってみるかな。サンキュー、ママさん!」
涼風は手を振って船内へと入っていく。
その姿を見送りながら、イントレピッドはポツリと呟いた。
「私の愛称って、ママさんで決まりなのかしら……」
「面白い本?」
突然部屋を訪れた涼風の質問に、シオンこと伊400は首を傾げた。
「そうそう。ママさんから聞いたぜ、最近読書にハマってるんだろ?」
と言いながら涼風はシオンの私室を見たが、本らしきものは見当たらない。
「本ならこの中だよ」
と、シオンは手にしていたタブレットを涼風に見せた。
電子書籍専用の端末だ。この中にデータを落とし込んでおけば、いつでもその書籍が読める。
「おー、なんか最新技術って感じするな」
「紙の本も捨て難いんだけど、こうやって外に出るときは手軽に持ち運べる電子書籍の方が便利だね」
「確かに、これ一個あれば何百冊でも持てるってんなら、無茶苦茶便利だな!」
「あー、マンガとかだと何百冊は無理かも……」
「なんだ、そうなのか」
ぶー、と不満そうな涼風をなだめながら、シオンは端末を操作しつつ見せてみた。
「私が最近読んでるのは往年の名作系かな。明治から昭和前期にかけての小説とか、昭和中期頃までに出た漫画とか」
「あたいたちが言うのもなんだけど、ちょっと古くないか?」
「古いものだからってつまらないわけじゃないよ。むしろ一周回って斬新に感じるのもいっぱいあるし」
「そうなのか」
「そうそう。そもそも今ある作品だってそういう往年の名作の延長線上にあるわけで、時代を経るにつれていろいろ付けられたものがあるけど、大本の源流にある作品にそういうのはないから、ある意味とても純粋な部分が前面に出てるとも言えるんだよね。ごちゃごちゃしてなくて読みやすい分とっつきやすいとも言えるし。時代の違いから考え方の違いを感じることもあるけど、人間の本質はそこまで極端に変わらないから、そこはあんまり心配しなくていいかな。それからね――」
「ちょっと待った! 待ってくれ! 情報多過ぎてついていけねえ!」
本格的に語り始めたシオンに対し、涼風は悲鳴を上げた。
どうもシオンはスイッチが入ってしまったらしい。こうなると話が長くなるというのは、涼風も何人かの知人のおかげで理解している。
「と、とりあえずシオンおススメのやつ教えてくれよ。そしたらあたいも今度電子書籍でそれ買ってみるからよ」
「あ、いいよ。そろそろ私警戒担当の時間だし、端末貸してあげる」
「いいのか?」
「うん。こういうのは自分で選んでみないと分からないしね。あ、でも新規購入は駄目だよ」
「おう。人様の金勝手に使うような行儀の悪い真似はしねえさ」
合点承知のポーズで応える涼風に安心したのか、シオンは「じゃ、よろしくね」と端末を渡して部屋から出て行った。
残された涼風は、端末にダウンロードされている作品に目を通し始める。
「……へー、ふーん、ほー」
いろいろ並ぶコンテンツを前に、涼風の意識は徐々に端末の中へと引きずり込まれていくのだった――。
以下、今回の後日談。
涼風はその後も何度かシオンに端末を借りて、周囲が心配になるくらい大人しくなった。
更に、泊地に戻ると本土から電子書籍端末を取り寄せ、以後度々大人買いをするようになり、白露たちから心配されたという。
なお、涼風がそのとき何にハマっているかは彼女の言動からなんとなく察することが可能だったらしい。
「最近演習で涼風が妙な技名叫びながら攻撃してくるんだけど……」
いろいろと影響を受けやすいお年頃――その宿命であった。