S泊地の日常風景   作:夕月 日暮

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何気に当泊地の重巡最古参な摩耶様。
対空がきついマップではいつもお世話になっております。


摩耶様流離譚―ぼんやり編―(摩耶・伊8・鳥海)

 ゆらゆらと、艦娘が海を漂っている。

 

「――はぁ。たまには海水浴も悪くないな」

 

 浮き輪でプカプカ。海に背をつけて空を見上げながら、摩耶が気持ちよさそうに言った。

 S泊地では割と古参の重巡である。剛毅な性格だが、平時は姉妹の鳥海と並んで泊地内の図書館の管理を担当していた。

 出撃するとき以外の大半の時間を図書館の中で過ごしているので、摩耶にとってこういう海水浴は良いリフレッシュの機会になるのだ。

 

「……って、反応なしかよ鳥海」

 

 摩耶は姿勢を変えて鳥海を探した。

 だが、一緒に海水浴をしていたはずの鳥海の姿がない。

 摩耶がしばらくぼーっとしている間に、忽然と姿を消してしまった。

 

「どこ行ったんだ鳥海のやつ。潜ったのか……?」

「どうかしたんですか摩耶さん」

「おわっ!?」

 

 突然近くから予期せぬ声がしたので、摩耶は驚いて姿勢を崩しそうになった。

 だが、一瞬視界に入った姿を見て落ち着きを取り戻す。よく知っている相手だったからだ。

 

「な、なんだハチか……驚かすなよ」

「すみません。摩耶さんが困惑してそうな動きをしてたので」

 

 潜水艦の伊8だった。彼女も今は非番らしい。普段任務のときに着用しているものとは別の水着だった。

 摩耶とはかなり性格の違う彼女だが、意外なところで読書好きという共通項があり、ときどき図書館で語り合うこともあった。

 

「鳥海がいなくなっちまったんだよ。さっきまでいたと思ったんだが」

「鳥海さんは見かけませんでしたね。……というか、いなくなるの全然気づかなかったんですか」

「し、仕方ないだろ。ぼーっとしてたんだよ。今日はなんつーか陽当たり良好で気持ちよかったし」

「摩耶さんオンオフ極端ですからねえ。オフになると無防備というか見てて心配になるというか」

「うるせーほっとけ!」

 

 割とずけずけ言ってくる伊8に、摩耶は嫌そうな顔をしながら手を振った。

 もっとも、本気で嫌なわけではない。これくらいの応酬はいつものことである。

 

「まいったな。完全にプライベートで来てるから艤装も通信機も何もねーし、連絡取れないぞ」

「はっちゃんも何も持ってきてないですね」

「仕方ねーな。拠点まで戻るか……」

「それしかないですね。結構時間かかりそうですが……」

「ん?」

 

 伊8の発言に違和感を覚えた摩耶は、周囲をよく見渡した。

 鳥海と二人で来たのは、拠点から少しだけ離れたところにあるポイントだ。戻るのはそこまで手間ではない。

 しかし、今改めて見てみると、あるはずの島影がない。すぐそこに、拠点がある島が見えるはずなのに。

 

「……」

「どうかしたんですか。そんな『迷子になったのは鳥海じゃなくアタシの方だったー!』みたいな顔をして」

「図星だよ悪かったな!」

 

 やたら的確に心情を言い当ててくる伊8に、摩耶は半ば開き直って叫んだ。

 どうやらぼーっとしている間、波に流され続けてかなり沖合の方に来ていたらしい。

 

「っていうかお前はこんなところまで何しに来たんだよ」

「最近読書ばかりで運動不足だったので、たまには遠泳をと思い」

「そ、そうか。真面目だな……」

「ふっ、それほどでも」

 

 褒められて嬉しかったのか、伊8は少しだけ得意げな表情になって眼鏡をくいっと持ち上げた。

 

「ちなみに、戻るのにどれくらいかかりそうだ?」

「ここまでゆったりペースで1時間くらいでしたね」

「マジか。どんだけぼーっとしてたんだアタシ……」

「寝てたんじゃないですか?」

「言われてみれば前後の意識が若干曖昧な気もする」

 

 バツの悪さを感じながらも、摩耶は伊8に先導してもらいながら拠点に戻ることにした。

 今頃鳥海が摩耶の不在に気づいて大騒ぎになっているかもしれない。そのことを思うとやや気が重かった。

 

 もっとも、そういった気の重さは伊8と雑談していくうちになくなっていった。

 最近読んだ本の話から始まり、その本のテーマに関する話題や作者、出版社の近況に移っていく。二人の会話はだいたいそういう流れだった。

 

「どこの出版社も最近は冒険しなくなりました。はっちゃんとしてはそこが大いに不服です」

「まあなあ。読者が不快に思うようなことは避けるって言っても、それで自粛自粛ってやってたら何もできなくなっちまうもんな」

「それもそうですし、人の興味を引くような題材ばかりなんですよ、最近。既に皆が関心持ってるものしかテーマになりません。新しい気づきを読者に提供する、それが書籍を供給する側の使命だと思うんです」

 

 そんなことを話しているうちに、二人は島影が確認できるところまで到着した。

 

「やっと着いた。どんだけ流されてたんだよアタシ……」

「というか、改めて考えると艤装なしで眠りこけて溺れなかったって凄いですよね。浮き輪あったとは言え」

「――」

 

 今更ながら、自分が相当危ない状態だったことに気づいたのか、摩耶の表情がにわかに青くなった。

 

「……ちょっと待ってください、摩耶さん。何かいます」

「何か?」

 

 摩耶は注意深く近くに視線をはわせる。

 確かに、何かが摩耶と伊8のまわりをグルグルと回っている気配があった。

 

「鮫とかじゃないだろうな。アタシら艦娘は人間よか頑丈だけど、さすがに艤装なしで鮫の相手なんかしたくないぞ」

「鮫映画は嫌いじゃないです」

「アタシはゾンビ映画派だなあ」

 

 緊張感があるのかないのか微妙なやり取りだったが、二人は油断せず機を窺っていた。

 艤装がない以上、できることと言えば全力で逃げることくらいである。

 相手がこちらに対する動きを見せたら、全力で島まで泳ぎ抜く。それしか道はない。

 

 そのとき、相手が動いた。

 ひょっこりと、海面に顔を出したのだ。

 

「……亀?」

 

 それは、どう見てもウミガメだった。

 なにやら哲学者のような、奥深い眼差しをしている。

 

 ……娘たちよ。こんなところで何をしている。

 

 とでも問いかけて来そうな、賢者の風情があるウミガメだった。

 

「とりあえず、害意はないようですね」

「そうみたいだが……なんかじっとこっち見てるぞ」

 

 そのままじっと見つめ合う摩耶たちとウミガメ。

 やがて、そうしていることに飽きたのか、ウミガメはため息のようなものをついて海中に引っ込んでいった。

 

「……なんだったんでしょうね。あれ」

「分からん。分からんが……気になるな」

 

 摩耶と伊8は僅かに視線を交わして頷き合う。

 

「追ってみますか」

「竜宮城に着くかもしれないしな」

「摩耶さんはロマンチストですねえ」

「ロマンは誰だって持ってるもんだろ。表に出すか出さないかの違いだけで」

「表に出す人のことをロマンチストって言うんですよ」

 

 軽口を叩き合うと、二人は大きく息を吸って海中に潜り込んだ。

 

 

 

「なるほど。二人して深夜に戻って来たのはそういう理由なのね」

 

 鳥海はゆっくりと頷いた。

 ただ、そのこめかみには青筋が浮かび上がっている。

 

 鳥海だけではない。周囲には、摩耶捜索に駆り出された何人かの艦娘やスタッフが勢揃いしていた。

 

「……い、いやー。なんというか、つい出来心でな。あの亀見たら誰だって気になると思うんだよ」

「そうかもしれないわね」

「……悪かったと思ってるんだぜ。本当にさ」

「そうかもしれないわね」

 

 摩耶が口を開く度に鳥海の青筋が増えていく。

 もう何も言わない方が良いのでは、と伊8が摩耶の脇腹を突いた。

 

「で、楽しいものは見れた?」

「お、おう。……あっ、いや、この件はまた今度、落ち着いてから話した方が良いんじゃないかなって思うんだけどよ」

「……そう。じゃあ、もう言い残すことはないわね?」

 

 ボキ、と鳥海が拳を鳴らした。

 

 後日、摩耶と伊8はそのときのことを「前後の記憶がはっきりしない」と振り返ったという。


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