戦艦レ級。
それは、鬼・姫クラスではない深海棲艦の中でも破格の力を誇る存在だった。
一隻で戦艦・空母・重雷装巡洋艦の特徴を併せ持っており、耐久性を除けば最悪の深海棲艦の一種とうたわれている。
そんな戦艦レ級が――なぜかS泊地の間宮で、美味しそうにご飯を食べていた。
「いやー、美味しいねえ。やっぱり食事というのは良いものだ!」
「そうか。随分と腹が減っていたんだな……」
半ば呆れ顔でその様子を見ていたのは長門だった。
話は一日前に遡る。
S泊地の司令部に、戦艦レ級の姿を見たという報告が入った。
報告を受けて、急遽捜索隊が編成された。放置しておけば大損害が生じる可能性があったからだ。
しかし捜索隊が発見したのは、筏の上で横になって力なく手を振ってくる、ちょっと変なレ級だった。
敵意はまったくない。どちらかというと弱り切っている様子だったレ級を見て、捜索隊はとりあえず泊地に連れ帰ることにした。
最近は人類と協調路線を取ろうとする深海棲艦も現れつつある。このレ級もそういう類かもしれない――という思いがあった。
「いやあ、助かったよ。一人でずっと旅してたんだけどねえ。しばらく陸地につけなかったし、魚も全然獲れないしでお腹減ってて。君たちが良い隣人で良かった」
「良い隣人――変わった言い回しだな」
「人間と艦娘、それに深海棲艦の総称だよ。仲間は身内、それ以外は隣人って呼んでる」
ご馳走様でした、とレ級は手を合わせる。
深海棲艦の食事を初めて見た長門は、存外行儀のよい振る舞いに少し感心した。
戦艦レ級と言えば深海棲艦の中でも、特に危険で粗暴なイメージがあった。
長門自身、何度か対峙したことがあるが、何度も痛い目を見た。
しかし、今目の前にいるレ級からは、過去に対峙してきたレ級たちのような危険な雰囲気を感じない。
「そういえばここってどこだい?」
「言ってなかったか。ここはショートランド島にある泊地だ」
「――へえ。ここが」
レ級は興味深そうに辺りを睥睨した。
「なんだ、ここのことを知っているのか?」
「ああ、いや、うん。ここって最前線の一つだからねえ。深海棲艦の間でときどき話題に出るのさ」
レ級は背中を大きく伸ばし、少し寂しそうな顔を浮かべた。
「ここにいると泊地の人たちが落ち着けないみたいだね。お暇しようかな」
周囲には、レ級たちを注意深く観察する艦娘やスタッフたちの姿があった。
敵意はないらしい――ということは伝えてあるが、やはり皆容易には受け入れ難いのだろう。
「……すまんな。気を悪くしたか」
「いやいや。行き倒れてたところを助けてもらっただけでも感謝しなくちゃね」
そう言ってレ級が席を立ったとき、ちょうど食堂の扉が勢いよく開いた。
「おお、おったか!」
飛び込んできたのは、S泊地の技術部――兵装や装備の開発・改修を行う部門の面々だった。
その先頭に立っているのは初春型のネームシップ・初春である。
「そこのレ級殿、もし時間があるならわらわたちの研究に付き合ってくれぬか!」
「え、研究……?」
「うむ。深海棲艦の艤装がどんな感じか、当人の協力のもとで確かめてみたくての」
突然の申し出に、レ級は明らかに困惑していた。
どうすれば、という顔を長門に向けてくる。
「差し支えなければ付き合ってくれないか」
「まあ、僕としては別に良いけど」
頭をポリポリと掻きながらレ級は頷いた。
「おお、助かる。報酬はきちんと用意するぞ」
「なら美味しいのが良いな。長持ちして持ち運べそうなの」
「分かった分かった。わらわのちょいすに期待するが良いぞ」
扇を広げて初春は機嫌良さそうに笑う。
今まで出来なかった研究が出来る、というのが嬉しいのだろう。
「――ふむ。そういえばそなた、名前はあるのか? レ級というのは人類側が勝手につけた名称じゃからな。協力してくれる相手にそういう呼び方をするのも気が引ける」
初春の言葉に、レ級は笑って応えた。
「僕の名前は『
レ級――もとい蝦夷は、技術部の研究に協力するためS泊地に逗留することになった。
最初のうちはその存在に警戒していた泊地の面々も、技術部に振り回されたり、美味しそうに食事を取る蝦夷の姿を見て、少しずつ警戒心を解いていった。
「へえ、蝦夷は旅をして回っているのか」
「どんなところを旅してきたのです?」
技術部から解放されて休憩中の蝦夷のところには、少しずつ艦娘がやって来るようになった。
皆、少なからず深海棲艦というものに興味があったのだ。
最初はただ敵としてしか見ていなかったが、何度も砲火を交えるうちに、何か自分たちに通じるものを感じるようになった、という子も多い。
「ロシアやヨーロッパには行ったっけな。アメリカはまだ行ったことないや」
「おお、ロシア。その辺の話、詳しく」
興奮気味に食いついて来たのは響である。
彼女はロシア(正確にはソ連)に縁がある艦娘だったから、その辺りは気になるのだろう。
「と言っても、僕ら深海棲艦は人のいる場所でのんびりとできないしねえ。とにかく寒かった。あと熊に何度か襲われたな」
「熊……野生の熊は怖いのです」
「うちの球磨もなかなかのものだよ」
「え、ここ熊いるの?」
――こんな風に、各地を放浪してきた蝦夷の体験談を聞きたがる子もいれば、戦艦レ級としての実力を見ようという者もいた。
「ということでまた勝負をしよう、蝦夷さん!」
「いや、もう勘弁してくれないか夕立……。僕は技術部のせいでくたくたなんだけど」
「気にしなくていいっぽい! 夕立も今泊地に戻ってきたばかりで疲れてるし、条件的にはイーブンっぽい!」
「えぇぇー……」
――と、心底嫌そうな顔を浮かべながら、対戦を希望する者に演習場へ担ぎ出されることもあった。
完全に打ち解けたとは言い切れないまでも、長期逗留することになったことで、少しずつ泊地の面々と蝦夷の距離は縮まりつつあった。
このまま蝦夷が泊地にずっと滞在するのではないか――そんな風に思う者も少なくない程だった。
夏の終わり頃。
ソロモン海東部で、戦艦レ級が民間船を襲ったという報告が入った。
蝦夷ではない。蝦夷はその日もずっと泊地で技術部や他の面々に囲まれていた。
ただ、蝦夷ではないと分かっていても、同じ戦艦レ級がその危険性を知らしめる行動を示したことで、少し空気が変わった。
「――思ったより、長逗留になっちゃったねえ」
その日、長門は蝦夷によって呼びだされて昼食を共にしていた。
蝦夷はどことなく神妙な面持ちである。この後彼女が何を言ってくるか、長門はなんとなく予想がついていた。
「別に気にせずここにいても良いんだぞ」
「そういうわけにもいかないさ。皆が気にしなくても、ここの外の人とかは気にするだろう。あそこの泊地は戦艦レ級を匿っているぞって」
ご馳走様、と蝦夷は手を合わせた。間宮さんのところに食器を運んで、頭を下げる。
「……それで、どこに行くんだ?」
「南下して地元に帰るよ。そろそろ兄者が心配してる頃だろうし」
「そうか。やれやれ、結局お前からは肝心な情報が聞き出せなかったな」
長門は苦笑した。
蝦夷から深海棲艦の情報をいろいろと引き出そうとしたのだが、出てきたのは既に分かっているようなことばかりだった。
あとは、蝦夷のパーソナルな情報くらいである。
「願わくば、お前とは戦場で会いたくないものだな。全力を出せそうにない」
「別に出してきてもいーよ。それでも僕が勝つだろうからねえ」
蝦夷は少し挑発じみた笑みを浮かべた。
実際、蝦夷は滞在中一度も本気の実力を見せてはいなかった。演習でもどこか力を抑えていた節がある、と長門は見ている。
「かもしれんな。……だが勝ち負けの問題ではないよ。私は友人相手に殺し合いはしたくない、と言いたいんだ」
「友人か。僕にはよく分からない概念だな。身内・隣人――それしか知らなかったし」
「だったら覚えておくとよい。良き隣人は友人になり得る。分からなくなったときは、この泊地のことを思い出してくれ」
「……そうか。――うん、そうすることにしよう」
蝦夷は、どこか神妙な面持ちで頷いた。
蝦夷が泊地を発つとき、見送りは長門一人だった。
出発するタイミングを触れ回ったわけではないし、こんなものだろう――と、蝦夷は幾ばくかの寂しさを覚えながら海に出た。
しかし、ある程度進んだところで、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。
振り返る。
そこには、技術部の面々や、蝦夷が言葉を交わした艦娘たちが大勢並んでいた。
皆、大きく手を振っている。
こういう形で見送られたことがない蝦夷は、どうすべきか分からなかったが――見様見真似で手を振り返した。
互いに姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
これは、敵対関係にあった艦娘と深海棲艦が交流を持った、ある一夏の、ただそれだけの話である。