KanColle -GHOST CROSS- 作:有明WORKS
我々は何処から来たのか
Que sommes-nous ?
我々は何者か
Où allons-nous ?
我々は何処へ行くのか
―ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン、絵画題名より
――??
海の上に私は“立って”いた。
視界一面は青く染まり、水平線に至るまで平坦な光景。まるで世界に自分が独りだけのように。
いつからそこにいたのだろう。何故ここにいるのだろう。
――そう考える「私」は何者なのだろう?
ただ一つ、覚えていること。
「私」の名前。
「私」が「私」たる由縁。
「……
特型駆逐艦、吹雪。
それが、「私」に与えられた名。
第〇一話 底より来るモノ
――二〇一三年二月二八日
日本国海上自衛隊呉地方総監部。普段は人気のない会議室が物々しい雰囲気に包まれていた。
その中でただ一人、黒ずくめの戦闘服に身を包んでいる女性がいた。手には目出し帽が入ったヘルメット、右足には拳銃が入ったホルスター、弾倉でいっぱいのタクティカルベストをまとい、スリングで完全に保持されたサブマシンガン。この案件が戦場へ赴く内容である事は想像に難くない。左胸に煌めく
「
「イージス護衛艦こんごう艦長、
名乗った女性は、その穏やかな声色に反して実に
だが名乗られた人物もまた、数々の修羅場を潜り抜けたひとかどの兵士である。視線を重ねて堂々と自己紹介を返した。
「特警隊第一小隊第二班班長、赤羽一尉です」
第一印象はお互いに悪くない。自衛隊という男社会で女性のリーダーが二人も一堂に会している光景は人によって異質に見えるかもしれないが、本人達も責任者たる村田も、それを気にせずに本題へと移した。
「では、ブリーフィングを始める」村田一佐が手元の資料を開き、他の者たちもそれに続く。
「七一時間前、海保の巡視船くろせが瀬戸内海を海上警備中に不審船を発見した。この不審船はくろせの呼びかけに応じず、数分後、突然姿を消した。どのようにして消えたかは未だはっきりしていない。続けて四三時間前と一一時間前に、同様の特徴を持った不審船の目撃情報を漁船と岩国の哨戒機から得ている。そしてこの不審船の特筆すべき点だが、この姿を消す事という他にもう二つ。レーダーに一切映らない事、世界中のいかなる艦船にも該当する外見の船が無く、唯一酷似している特徴が、旧帝国海軍特型駆逐艦のそれである事だ」
不可解な話に、皆の視線が資料から外れる。赤羽も思わず顔を上げた。
「さしずめ現代の幽霊船、といったところですか」
そう口にしたのは三枝航海長。尾形副長に横目で頷くのを赤羽は見たが、その意図を今は計りかねた。
村田一佐が頷きながら言葉を返す。
「然り。だが幽霊だろうが何であろうが、海上安全を脅かす可能性は等しく我々が対処する。
こんごうが当該の不審船を発見次第警告、それに応じればその都度対応し、応じなければ特警による臨検を行う。不審船内部の状況は不明だが、資料を見ての通り武装している。不審船および乗組員からの攻撃があった際には現場判断での発砲を許可する。以上、質問は?」
話を終えた村田一佐に対し、白神艦長が手を上げた。村田一佐も目で頷く。
「不審船が消えた理由がはっきりしていないと仰いましたが、推測や仮説も立っていない、という事でよろしいでしょうか?」
「うむ」村田一佐の声にはもどかしい気持ちが
「“軍艦が消えた“という現象自体、前例がなく不可解だが……目撃者の証言が微妙に一致していない。発光していたという者もいれば唐突に消えたという者もいる。船が消えた直後に何かしらの落下物を見たという目撃例もある。こう曖昧であると単なる虚偽とも疑いたくなるが、自衛官を含めた複数の目撃情報を軽んじる事は海の安全保障に対する背信だ。
仮想敵国の新兵器という考えも出ているが、それはそれで瀬戸内海での出現に対する疑問が残る。現時点、この不審船に対する多くの疑問は概ね『わからない』が返答だ。それを調べる上では、君たち上の適任はいないだろう」
その返答に赤羽はふと引っかかった。船内への突入を考慮する以上、自分たち特別警備隊は確かに適任だ。他の班が出払っている今、自分たちが呼ばれたのも納得できる。しかし村田一佐は自分一人ではなくここにいる全員に向けて「適任」という言葉を送っている。彼は何をもってイージス艦こんごうを適任と評したのか?
そして先ほど三枝航海長が尾形副長に目配せした事に思い至った。あれはその事であったのだろうか?
「……ん、あぁ。赤羽君は知らなかったか。こんごうの名物副長“仏の尾形”を」
赤羽の視線と疑問に気付いた村田一佐が答えた。当の尾形は、大層な二つ名を呼ばれて少し恥ずかしそうな様子で目を逸らした。色白に加えて清潔感のある育ちの良さそうな風体からするに、人から評価される事には慣れていそうなものだが。そんな彼に代わって白神艦長が言葉を続ける。
「彼については現場でわかるよ。実際に見なければ信じ難いものであろうから」
―??
当てもなく
海の上に立つ人なんて、自分以外にいたのかと、まず驚いた。
……いや、そもそも自分は、そして目の前の誰かは「人」なのか? と疑問が続いた。
背中に小さな船を背負って、大砲には見えない小さな砲塔が腰から伸び、左手には魚雷発射管。自分は人の形をした船なのか、船を持った人なのか。
まぁ、今はとりあえず彼女に声をかけてみよう。横顔から察するに、日本語は通じる相手と考えていいはずだ。……と、思ったところで口と手が止まった。どう声をかけたものだろう。
ためらっている最中、向こうが振り向き、目が合った。笑顔で手を振っている向こうを見て無性に情けない気持ちに駆られたが、初対面の相手から貰う行為を無下にするのは良い物ではない。呼びかけに応える。
彼女は自分を吹雪と名乗った。特型駆逐艦、吹雪。自分も名乗り返そうとして、ふと空を見上げる。まだら状の雲――
――同日、瀬戸内海
こんごう艦内機関室。機関長の結城は立ち寄ってきた尾形副長相手に愚痴をこぼしている。
「機関と
「重武装の艦船を相手取るともなれば相応の駒を要しますから。その中ですぐに動ける艦が我々だけであった……率直に申せば、運が悪かったというだけの話です」
「その通りですけど、それにしても海自の人手不足は直る気配がありませんね。特に船乗りは」
「歴史を辿っても、万人に好まれる職とは呼びがたい仕事ですね」
「あー、もっと船が増えるか少人数で動かせるようになるかしませんかねー……」
「今は無いものねだりよりも自分の出来る事を致しましょう。私は今から甲板へ向かいます」
「『いつもの』ですね。特に今回はレーダー効かないそうですし、頼りにしていますよ」
軽く愚痴を吐いてすっきりした様子の結城に微笑みつつ、尾形は機関室を後にした。
片や食堂、赤羽は三人の部下と共に不審船発見の報を待っている。昼食の時間を終えて人気のいなくなったここで新聞紙を敷き、自分たちの装備を点検していた。申し訳ない事をしている自覚はあるが、何せ多少自由に使える机がここしかない。
「現れたり消えたりする不審船、ですか」
赤羽の話にそう答えたのは副班長の上村。サブマシンガンに加えてスナイパーライフルも点検をしている神経質そうな男の表情は、偏屈な職人といった風情だ。
「何某かの実験船が放り出されでもしたんですかねぇ。ほらアメリカの方であったでしょ、そんなヨタ話」
軽口を挟んだのは筋骨隆々な大男の大庭。手に握っているサブマシンガンが拳銃に見える程である。
「フィラデルフィア実験の事か? とっくに否定されているし、特型の姿をしている説明も足りんな」
「似たような事を帝国海軍もやったとかですかね。それで場所どころか時間まで飛び越えてしまったとか」
上村の現実的な返しに対する女性は神田。筋肉の目立たない細身が体躯はこの空間に目立っている。
「都市伝説を元にした憶測を並べる前に現場で現物を見ろ。点検も終わったし甲板に出るぞ」
そしてそんな三人を纏める赤羽がサブマシンガンを装備し、四人は食堂を離れた。
向かうはヘリコプター「
尾形は目をつむり、ただじっとしている。だが彼が呆けているわけではない事が赤羽にはすぐわかった。戦場に身を置く者であれば理解できる感覚。尾形を覆う、研ぎ澄まされた殺気にも近い気配。彼が尋常ならざる手練れであり、またその実力が赤羽の既知から外れたモノである事を雄弁に語っていた。
白神は赤羽の存在に気付くと、自分の元へ手招きする。応じて歩み寄った赤羽に対して、白神は少し抑えた声で赤羽に耳打ちした。
「ちょうど良かった。出港前に話した事を直に見られる。と言っても可視化された力ではないがね」
「? はい」
なんのこっちゃと赤羽は内心思ったが、尾形の様子で何かを真面目に執り行っている事はわかったので、軽い返事をしてすぐに尾形へ視線を戻す。部下三人も尾形に注目していた。
「艦長」
数分過ぎて、尾形が目を見開いた。そのまま隣の白神へと告げる。
「八時の方向、一〇海里先に“見”えました」
「よし、向かおう。航海長、八時の方向、一〇海里先だ」
「了解しました。進路、八時の方向、一〇海里先」
傍目から見れば得体の知れない尾形の言葉を疑う素振りも無く、こんごうは尾形の示すままに舵をきった。
―?
走る。滑る。波を切り裂き、風を押し退ける感触が心地良い。
『目覚めた』時は何もかもさっぱりだったが、そんな困惑もどこ吹く風。
これが「楽しい」という事かな。これが「心」ってモノなのかな?
全ての感覚が新鮮で、いや、「感覚」というものさえ自分には真新しい。
「楽しい」と思う事そのものが楽しい。この湧き上がる思いを言葉に変えたい。
かつて自分は船だった。それが今や、自分が乗せてきた「人」の体を持っている。
この人の体と、身に着けている小さな船、どちらが本当の自分なのか。少し気になったが今はどうでも良い。今この瞬間を存分に感じていたい。
今度は試しに走るのを止めてみた。先ほどまで裂かれていた波が、自分を揺らし始める。
こんな小さな波を、確か人は
そう、漣。自分の名前。
―瀬戸内海、こんごう後部甲板
「……マジかい」
大庭が呆然と呟いた。尾形の指した方角、距離。その先に件の不審船が目視で認められたのだ。
「……貴官はエスパーの類ですか?」
赤羽も驚きを隠し切れず、尾形に訊いた。
「学生時代は霊能者と呼ばれる事もあれば、そう名乗る事もありました。この『目』は
不審船を真っ直ぐ見据えて答える尾形。その目線を除けば何食わぬ顔で、驚かされている赤羽たちがおかしいのかと錯覚してしまいそうだ。
不審船の外観は事前の情報通り、戦前に革命的と称された旧帝国海軍特型駆逐艦のそれである。そしてブリーフィングで三枝が幽霊船と称した事も納得の様子であった。
戦時中の軍艦であれば存在した艦名の表記も、乗組員の影も見当たらず、あまりにも生気が薄い。しかもここは沖合でありながら煙突から煙がたっておらず、いつ、どのようにしてここに流れ着いてきたかも不可解だ。
極めつけに、その真新しさ。錆、ふじつぼ、塗装の剥がれ……過去の船であればあるべき、ましてや人が乗っている様子の無いそれにはまるで見合わない様。まさに現代の幽霊船と呼ぶに相応しいものであった。
尾形は内心で『霊能者』をやっていた時代を思い出していたが、このような存在に遭遇した事は無い。
彼は張り詰めた表情を崩さないまま赤羽に視線を変えて、
「それでは、私は艦橋へ戻ります。相手の対応次第ですが、宜しくお願いしますね」
そう告げ、艦内への扉を開いた。仕事の近づく赤羽班は、ヘリに乗り込む。操縦士は見知った顔であった。
「ご苦労様です、赤羽班の皆さん」
「宜しく頼みます機長。と言っても今は待機ですが」
一方の艦橋、戻ってきた尾形を、白神と三枝航海長が隣へ呼び寄せた。
「甲板で既に見たとは思うが……停止勧告をする以前に、もう動いていない」
「機関止まってますからね」
「単なる機関不調もあり得る話だが、他の可能性を拭い切れん。副長の所見を聞きたい」
「……今我々の手に持つ事実を差し引いても異常な話ですが」
白神の問いに対する尾形の返答は、少し歯切れが悪かった。この男がこのような態度の時、大抵ろくでもない事態であることを上官の白神と幼馴染みの三枝は把握しきっている。
「艦内を“覗いて”も人の気配が異常に少ないのです。そして感じ取れる意思のありようもちぐはぐで……そう、まるで迷子のように」
「ふむ……」
「無人の幽霊船に迷い込んだ漂流者とかなら、機関の始動方法なんて解からなくてもおかしくはないですが……うーん、判断材料が足りませんね」
「ここから先は踏み込むしか無さそうだな。副長、警告を頼む」
「はい」尾形はスピーカーのマイクを手に取った。
「当艦は日本国海上自衛隊、護衛艦こんごうである。即刻武装を解除して乗組員は甲板に整列されたし。警告に応じない場合、武力によって対応する。繰り返す……」
反応は無い。続けて英語、中国語、韓国語、ロシア語で同様の内容を告げるも、同様。
「何も無し、と」三枝が一言。続けて白神の指示が飛ぶ。
「臨検に入る。ロクマルを出せ。未知数な点が多い。現場で危険と判断した場合は即時撤退せよ。特警の動向に備えてロクマルは上空待機」
「了解しました。砲雷長、主砲の照準は?」
「バッチリです。少なくとも二発目で当ててやりますよ」
「頼りにしています。艦橋よりロクマル。臨検に入る。繰り返す、臨検に入る」
「ロクマルより艦橋、了解。発進します」
特警四人を乗せたSH-60Jが、けたたましい音を鳴らして後部甲板から飛び立った。
ヘリコプターはみるみる内に幽霊船へと近付き、その姿が刻一刻と視界の内を大きく占める。
「煙の上がる様子が未だありませんね……機関が壊れているのでしょうか」
「いよいよもって幽霊船じみてきたな。だがすぐに動けないというのは良い情報だ」
「対空砲火も今のところなし……砲身をこちらに向けてすらいませんね」
「こっちに関心が無い……あるいは存在に気付いていないとかか?」
「考え
「何にせよ飛び込むにはいい様子だ。第二砲塔と煙突の間、あの魚雷発射管まで詰められませんか?」
「了解。ご武運を」
「何、いつも通りですよ」
赤羽は自分が言う通り「いつも通り」の調子で、開けたドアから降下用ロープを放り投げた。それは玉井へ伝えたポイントへ落ち、それを伝って彼女も幽霊船へ降り立つ。
部下三人も続き、玉井は幽霊船の上で四人の乗船を見守っていた。
特警が動くのは早い。班長の赤羽が先頭を務め、大庭がそのバックアップ。副長の上村がそれに続き、そのバックアップは神田の担当。人員が欠けている状態でも動きそのものに支障は無く、人のいない船となればこの四人にとってランニングコースのようなものだ。電灯のついていない暗闇の艦内がフラッシュライトで照らし出され、「クリア!」の言葉だけが断続的に艦内を響かせる。
順調に感じさせた。だが違うと誰もが思った。人の気配をさせない船など、不気味でしかない。寝室や食堂もクリアリングするが、使われた様子がまるで無かった。
「(五感が教えてくれる感覚は間違いなく現実。なのに、何だこの現実味の無さは……)」
死線を潜った身であればわかる。これは恐怖。自分はビビっている。生存本能が全力で警鐘を鳴らしている。だが逃げる選択は今ではないと理性も本能も告げていた。四人は艦橋へと繋がった廊下へと歩を進める。
途端、
何かガ
落ちル
音ガ、しタ。
「(まて)」
曲がり角で赤羽のハンドサイン。彼女の驚異的な聴覚はどこから聞こえたかを正確に聞き取り、そして同時に何かが囁いた。「明かりを灯すな」と。
フラッシュライトを落とした班長に続いて、班員達も明かりを消す。目が暗闇に慣れるまでの沈黙が、死角の先から聞こえる物音に支配されていた。
赤羽は自分の目が慣れた事を確認すると、赤羽は曲がり角の向こうへ顔を出す。銃口と共に、静かに、ゆっくりと。今までにない胸騒ぎが鳴りやまない中、彼女は物音の主を見る。
赤羽の視界には、異様な『モノ』が映っていた。
艦橋に繋がった扉から落ちてきたと思しき一つの影が
暗がりでありながら、『それ』ははっきり見えていた。目にあたる部分が緑色に発光し、それが照らしているのは生物とは思えない金属質の外殻。そこから灰色の二本足が生え、艦内の廊下を懸命に這い回っている。
それはソウ、
まルで人間のようニ。
ソレはコチラを見テ、
ジット見つめて、
口ヲ開イタ。
瞬間、赤羽がライトを再点灯させる。発砲音、艦橋扉、赤羽の真上が砕けた。『それ』は口腔から硝煙を吐き出しながらも、突然の強い光によろめいている。
「
間髪入れず赤羽が叫び、発砲。外殻が銃弾をはじき返すように見えた赤羽は、部下に続いて来た道を逆走する。『それ』が赤羽班を追いかける足音が聞こえる。再び発砲音が艦内に響き、赤羽のすぐそばがえぐれ飛んだ。
相手は見た限り、人間より速く走ることができる体ではない。一つ目の曲がり角を過ぎて射線から逃れられれば安全と赤羽は判断する。だが逃げるだけでは安全を確保しきれるとも思えなかった。次の曲がり角を遮蔽物にしてサブマシンガンを構える。『それ』が飛び出すのをじっと待った。ほんの数秒が異様に長い。これまで数多の海賊を撃ち抜いてきた経験と勘が影に覆われるようであった。
『それ』が飛び出す。間髪入れず引き金を引いた。外殻への有効打は見込めずとも足を撃ち抜ければ良い。そう判断しての三点バースト。9㎜パラベラム弾が『それ』の足へと吸い寄せられるのがやけにゆっくりに感じられた。そう、届くはずであった。
―?
最初に広がる光景は、海原。そこに立つ二人、飛び跳ねる一人。自分が彼女達と同じ存在であると気付くのにそう時間はかからなかった。
なんとなく、集まらないと、と思って近づいてみる。けど波の上を滑ると体が揺れて、中々上手く進めない。
黒髪を
すぐに手を握れる距離まで近づいて、彼女は私の手をとってくれた。
黒髪の子は、吹雪、銀髪の子は、叢雲、桃色の髪の子は、漣。そう名前を教えてくれた。
漣さんに、私の名前を問われる。名前……私の名前? 思い出せそうで、思い出せない。
黒髪の子がふと、いなづまと言った。私の名前を、彼女は“覚えている”。
稲妻、いなづま。うん、私は、駆逐艦、
―幽霊船内部
『それ』は歩みを止めなかった。銃弾がそれに届く事が無かった。赤羽の目は、『それ』の足を撃ち抜くはずであった弾丸が、着弾前に『消滅』する様を捉えていた。何が起こったのかはわからない。それでも赤羽の思考は、「こちらの攻撃が通じない」という事実だけを冷静に理解する。
撤退以外の選択肢がなくなったと判断した刹那、『アレ』は艦橋の方へ振り返った。再び歩き出すと共に、何かが燃える音が聞こえた。機関室からだ。ボイラーに火を入れたらしい。そして同時に油圧ポンプの駆動音も聞こえる。
船から聞こえる駆動音。今、この不審船が立たされている状況。
「(こんごうに砲を向けている!?)」赤羽の経験と勘がそう告げた。
「甲板に出る! 全速力だ!!」思考も挟まず、そう叫んだ。
「こんごうを撃つ気だ! 我々がいると反撃できない!」
全速力で赤羽班が艦内を駆ける。『それ』の足音は次第に遠ざかり、甲板へ、外へと出た。
間髪入れず海上へ飛び出す。四人が着水すると共に、轟音が響いた。信号弾を撃ち上げた赤羽が船を見上げると、幽霊船の12・7cm 連装砲が火を噴いていた。
―???
気がつくと海の上。あたしは波に揺られていた。
確か……南の海で擱座したあと、沈んでしまったはず。
手を握ったり開いたりしてみる、強く握ると手のひらに爪が食い込んで痛む。あぁ、たぶんこれは人間の体。
あたしに乗っていた人たちと同じ身体。
その人が持つ耳が、声を聞いた。同じように海に立つ女の子が、遠くから呼びかけている。
同じような子がいた事が少し嬉しくて、声の元へ向かった。
あたしを呼んでいた子は四人。みんな特型駆逐艦みたい。あたしは、五月雨と呼ばれた。白露型駆逐艦、五月雨。
そう思ったのも束の間、砲音が聞こえる。聞こえた方へ向かうと、そこには私達が知っている特型駆逐艦と、見た事の無い船。巨大な艦上構造物が高雄型重巡洋艦によく似ている。そしてもう一つ、いや、四人。特型のすぐそばで誰かが泳いでいるのが見えた。
あたしの身体は、勝手に動いていた。後ろから呼びかけられる声が聞こえて、電ちゃんの声があたしを追いかけている。勝手だけど、彼女が着いてきてくれると信じる。今振り返ると、あの人達を助けられない気がしたから。
頭の中が色んなものでいっぱいになった時、海から何かが出てきた。
気付けば、足下に広がっていたのは海原ではなく甲板。そう、駆逐艦の甲板。
何故か、『これ』が何かあたしにはわかった。
『これ』は白露型駆逐艦、五月雨。
そう、他でもない、自分自身。
―こんごう艦内
不審船の砲塔が動き出したのを見た三枝と結城の動きは速かった。即座に押し込まれた「前進一杯」の速度制御スイッチは機関室にブザーを鳴り響かせ、結城は反射的に横目で捉えたランプの点灯に従って機関の回転数を限界まで引き上げた。連装砲が火を噴いた約一秒後、射線から辛うじて逃れたこんごうのすぐ傍で水柱があがる。
「舵代われ! 機銃も来るぞ!」
三枝が叫ぶと同時に航海士が操舵席を譲り、航海長が舵を握る。普段は後進教育も兼ねて自分が舵を取るのは控えているが、この状況では一番手練れの自分が動く他ない。
艦橋の窓ガラスが砕けた。三枝が叫んだ通り機銃弾が飛んできたのだ。
ガラス片が乗組員へ降り注ぎ、小さい悲鳴も聞こえる。そんな中、艦橋の真ん中に立つ白神は無線機を片手に眉一つ動かさず、微動だにせず、その視線はただ真っ直ぐに不審船を射抜いていた。
「結城機関長、機関一杯で何分持つ?」
「この子の状態ではもっても二〇分です!」
「把握した。玉井二尉、救難信号は見たな? 救援に向かえ」
「はっ!」
「権藤砲雷長。正当防衛射撃を開始」
「了解!」
待ってましたと言わんばかりにこんごうの一二七ミリ砲がを火を噴いた。動きの止まっている船など、権藤率いるこんごう砲雷科からすれば的でしかない。
間違いなく命中する。双眼鏡を構えた白神は確信していた。
しかしそれは叶わない。砲弾が当たったはずの周辺の船体が緑色に光り、弾頭が「消えた」のを白神は見た。彼女の目が正しければ、着弾さえしていない。途端、隣の尾形がわずかによろけるのも横目で見えた。
「……半徹甲弾が効いていない、か。副長、何か感じた様子だが」
「……着弾時に何か歪んだような不快感が」
「ふむ。砲雷長、砲弾を榴弾に切り替えて砲撃を継続。目標の寸前で起爆するように設定。狙いは艦橋。必要とあらば君が直接撃て」
「了解。ちょいと代わるぞ!」
「特警の撤退を確認した後は、そちらの判断で破片弾の使用も許可する。最悪の場合は
砲撃は続く。煙突から煙が上がるのを認めたが、特型駆逐艦がボイラーに火を入れて動きだすまで約四時間。今見せている隙を埋める事は無く、放たれた榴弾は幽霊船の艦橋近くまで届き、起爆。爆炎が艦橋を囲んだ。
その間も相手のでたらめな砲撃は続く。12・7cm砲弾が海面に水柱を立て、7.7mm機銃弾が装甲の薄い近代艦船に容赦なく突き刺さっていた。
次第に、爆炎が海風で晴らされる。
「見たまえ」
白神が双眼鏡を手渡す。受け取った尾形の視界は幽霊船の艦橋を捉えた。
榴弾は確かに艦橋近くで起爆していたはず。だが船体はおろか、艦橋のガラスも割れていない。防弾ガラスでも傷つくであろう一撃をものともしていない。明らかに異常であった。
「駆逐艦にしてはおかしいと思ったが、やはり装甲で防いでいるわけでは無いらしい。何かしらの能動的防御手段を持っている」
「どうしますか? こちらが切れる手札の残りは対艦ミサイルと対潜魚雷だけですが」
「撤退する。玉井曹長には特警を回収次第呉へ向かうように伝えろ。目標が追跡を仕掛けてくる場合、ハープーンを撃つ。砲雷長は手動照準の用意を……副長、どうした?」
「……海上に、人の気配?」
「! 何人だ?」
「今感知しているだけでも五人……一人はこちらに向かっています」
「甲板に出る。向かっている一人は何処からだ?」
「五時の方向から向かっています。後部甲板に出ましょう」
「航海長。艦橋は預ける!」
「はいよ。流れ弾と落下にゃ気をつけてくださいね!」
三枝の忠告に見送られながら、艦長と副長が艦橋を飛び出た。
艦内は激しい機動に振り回され、あちこちに備品が散らばっている。海図用の鉛筆が床に転がり、尾形も一瞬躓きそうになった。だがやはり船乗りは慣れたもので瞬く間に二人は後部甲板へ辿り着き、甲板への扉が、勢いよく開かれる。
二人の眼前に見えたものは、幽霊船だけではなかった。海中から海上へと飛び出る
「……特型がもう一隻、吹雪に、今度は
「……私たち、知らない内に過去へ飛んだわけではありませんよね?」
「君がこの事態に冷静でなくてどうする。戦中でも海中から駆逐艦が飛び出るなど聞いた事が無いぞ」
「失礼しました。……見つけました、彼女です」
少し頬を赤らめた尾形が指を指す先、海上を滑り走る人影が見えていた。
―海上、幽霊船近く
打ち上げられた信号弾の真下に向けて、こんごう上空から再びSH-60Jが前進する。幽霊船を挟んで反対側に飛び降りた赤羽班にそれは見えていないが、赤羽の聴力はヘリのローター音を聞き取っていた。後は玉井が対空砲火を掻い潜って、こちらに辿り着くまで耐えるのみだ。
幽霊船が動こうものなら波で揉まれるところであったが、幸い動きを止めている中で泳ぎ、浮き続ける事はこういった事態を想定して訓練を積んでいる特警隊員にとっては、重い武装を身につけていてもさして難しい事ではない。
謎の不明生物との遭遇には驚かされたが、おおむね自分たちの日常と大差ない仕事に、相応の警戒と危機意識はあっても浮き足立つような事態とは感じていなかった。
故に、突然船が海中から飛び出し、煙幕をまき散らしながら自分達の方へ突っ込んでくるなど、彼女達にとっては完全に想定外の出来事であっただろう。
「まてまてまてまてまてェッ!!!」
奇怪な生物を見ても動揺しなかった赤羽班でさえ、この状況には仰天する他なかった。と言うのも、今軍艦に突っ込まれて四人に対処する方法が何一つ無いのだ。流石に轢き殺される進路にはいなかったが、たちまち煙幕に巻き込まれる。煙幕に含まれる塩化水素は赤羽班を咽せさせたどころか、呼吸困難を引き起こす。
事態に思考と息が追いつかない中。大声が聞こえた。戦場に似つかわしくない少女のものだ。
「五月雨さん! 煙幕! 煙幕が泳いでいる人を巻き込んじゃっているのです!」
「うぁぁぁぁ~ごめんなさい! え、えーっとどうやって晴らせば……」
少女二人が困惑する声をあげるも束の間、近付いていたローター音が赤羽班の真上まで到達し、暴風が煙幕を切り裂いた。煙幕に乗じて対空砲火をかいくぐったSH-60Jが辿り着いたのだ。
すでにロープは降りている。視界と酸素を取り戻した赤羽班は即座にそれをつかんだ。突っ込んできた軍艦がいつの間にか姿を消していたが今はどうでもいい。
まずは上村、続いて大庭、次に神田、最後に赤羽。そして神田はその姿を認めた茶髪の少女を、赤羽は青髪の少女を小脇に抱え込んでいた。
「はわ?」「えっ、ぇっ?」少女達の困惑をよそに、四人と二人はヘリに飛び込む。
「一尉、無事で……ってその子ら何!?」
「知らん! 取り敢えず連れてきました!」
「アッハイ。ってそうじゃない! 艦長の命令で呉へ直接戻りますよ!」
「承知! ……君たちが何者かは、まぁ、今はいいか」
「帰ってからにしましょう。もうわけがわからん……」
「っとと、その前に機長、無線貸してください。……赤羽班よりこんごう。船内の乗員は単独! 艦橋からの目視で敵を補足している可能性が高い!」
「こんごうより赤羽班、了解! 艦橋より艦長、船内の乗員は単独! 艦橋からの目視で敵を補足している可能性が高い!」
「把握した。今は回避と退避に集中せよ」
甲板、艦橋からの報告を受けている二人の遠目に見える人物も、背丈と体格からするに少女と見受けられた。青みがかった銀髪は日本人離れしているが、甲板に出た二人に気付いた様子で、両腕を頭の上で大きく左右に振っている。
「敵意無し。と解釈して良さそうだな」
「それにしても、何者でしょうか。水上を滑り走る人間というのは、自分も初めて見聞きします」
「今の報告も含めてそれも奇怪だが、まずはこの状況について聞く事が先決だ。わざわざこちらに来るのであれば、今ここで何が起こっているかを多少は理解しているだろう」
「そうですね……それにしても波に揺られている様子ですが、大丈夫なのでしょうか」
「……大丈夫ではないか? あ、転んだ」
「……タラップを降ろしておきます」
―数分後
「……タラップ、ありがとう」
「どういたしまして。まず艦内に入りましょう」
こんごう甲板に昇りきった少女は、ずぶ濡れで息も絶え絶えに礼を告げて艦内に案内された。水上をスケートしている姿は白神と尾形にとってずいぶん
「互いに色々と訊かねばならない事があるだろうが、まず互いに名乗るとしよう。
当艦は日本国海上自衛隊イージス護衛艦こんごう、私は艦長の白神未希一等海佐、そちらは副長の尾形友幸二等海佐だ。君達は何者か?」
「……!?」
白神の名乗りに、少女は動揺と困惑の色を見せていた。だがすぐに乱れを抑え、背筋を伸ばして名乗り返す。
「……叢雲。私は大日本帝国海軍特型駆逐艦五番艦、叢雲。今『アレ』と戦っているのは同じ一番艦の、仲間の吹雪」
沈黙が走る。白神は彼女の言葉から得られる意味を読み分けていた。
人間が駆逐艦を名乗る事に対する真偽は彼女にとって思考に値しない。重要なのはそう名乗った意味。何を伝え、そして訊けばこの状況を打破し得るか、その一点の追及に彼女の思考は数秒を割き、口を開いた。
「叢雲……昭和四年就役の駆逐艦。で間違っていないかね?」
「ええ」
「ではまず前提を伝えよう。今は昭和八九年”相当”だ。君と我々の知識には
「! ……わかったわ」
「まずこちらの現状を伝えよう。我々はあの不審船から攻撃を受け反撃を試みた。しかし現時点では有効打が無く、撤退の準備を進めていたところだ」
「私達は……うん、たまたま居合わせていただけ。
「いかにも。我々の存在も、君達から見れば名前を変えた帝国海軍と呼んで今は差し支えない。……そして君達も同じ旗を掲げているという事は、同胞と呼んで良いかな?」
白神の言葉と瞳は冷静で、かつ真っ直ぐであった。叢雲は無言で、そして強く頷く。
「よし、早速だが君には共犯になってもらおう」
「え?」
返事を聞くや即座、白神は艦内放送用無線機を手に握っていた。一瞬キョトンとした叢雲をよそに、白神は淡々と、そして突拍子も無い事を言いだした。
「艦長からCIC、正当防衛射撃を再開する。榴弾を時限信管。残り二一発全て艦橋を狙え」
「はん!!?」権藤の大声が無線機越しに甲板にも響いた。
「???」
「少し派手にやるので、後で言い訳の必要がある。仲間共々口裏を合わせてくれないか?」
何が何だか分からないという顔をしている叢雲に対し、悪戯っぽく、人差し指を唇に当てながらも、白神は続けざまに命令を出す。
「艦長より艦橋、退路と射線を確保しつつ全速。速度を一定に保て。CICの照準を乱すなよ」
「しれっと何言ってんですかねぇ!? 艦橋より艦長、イエスマム!!」
「艦長より機関室。あと何分持つ?」
「機関室より艦長、五分が限度です! それまでにケリをつけてください!」
「把握した。尾形副長、その少女を預ける。私は艦橋へ戻る」
「了解!」
―「吹雪」艦橋
目の前で船を「出した」五月雨に習い、無我夢中のまま自分も続いた時はどうなるかと吹雪自身も困惑したが、艦橋に出て広がった視界は、彼女の覚悟を改めて固めさせた。五月雨の方を見ていたが、どうにもこの船は仕舞う事も出来るらしい。ぶっつけ本番で未知の力を使いこなした五月雨に吹雪は敬意を覚えていた。
隣の漣が双眼鏡を覗きながら、吹雪に告げる。
「砲と魚雷、半分はこっちに向けてきたね」
「こっちに注意が逸れてくれたかな?」
「だね。で、これからどうするの?」
「それはもう、ここまで来たら戦わなきゃ?」
「……どうやって?」
「……あっ」
今になって吹雪は痛恨の過ちに気付いた。船を出した。だが乗組員はおらず、船は動かない。念じて出せたのだから念じて動かせないかと試した。動かない、ダメだ。
「考えなしかい!」
「え、えーっと、大丈夫! こうやって船出せたんだから動かす方法もあるよ!」
「今それ見つけなきゃ意味ないんですけどぉ!?」
「まってまってまってえーっと何か何か何か……!?」
吹雪が困惑して腕を振り回していると、右手に握っていた連装砲から人影らしきモノがぴょこんと現れていた。それは丁度、その艤装のサイズに合わせた人間のような大きさで、自分たちと同じセーラー服を身に纏っている。赤い短髪をふわふわと揺らし床へ降り立つ。途端白く光り、自分たちと同じほどの背丈へ変貌した。
低い等身と白目の無い目つきは人間のそれではないが、彼女は明朗に吹雪へと口を開く。
「12・7cm連装砲砲手、ただいま着任致しました! 艦長吹雪、ご指示をお願いします!」
唐突な出来事に困惑する吹雪を余所に、彼女が身につける艤装から次々と同じような小人が飛び出した。
「(自分は船だ)」吹雪は理解する。しかし船乗りがいないのであれば、誰が船を動かすのか。それは今ここにいる彼女達と、自分自身。率いるのは私。
「総員、配置についてください!」理解したと同時に、口が動いた。
自分は船であると同時に、艦長。小人達は「了解!」と返し艦橋と飛び出た。
「……そーゆー事かぁ」
事の
「ここからだと配置が終わるのは……五分くらいかな?」
「そうだね……こっちが助けられる方になっちゃったかな」
「かも。今はとにかく、全力で逃げよう」
「うん」
「機関室、配置につきました!」いち早く配置についた小人の声が、伝声管を通して艦橋に響く。
「よしっ、吹雪、いきます!」
言葉に気合いを乗せ、吹雪は自らの操舵輪を握る。「停止」を示していたエンジンテレグラフを、漣が「前進強速」まで押し鳴らした。
―こんごう艦内
「艦長よりCIC、命令は聞こえたか? 早急に実行せよ」
「あんたいっつも真顔で無茶振りしますねぇ!!」
「出来る事しか命令はしない。故にこれは無茶ではない。君が恋愛関係以外で失敗した事を見た事が無いのでな」
「一言余計だ一児のママめ!」
「主旨は弾幕と爆煙で敵の目を塞ぐ事だ。何もダーツで全てブルに投げろと言うわけではない。それを含めて信管を調整しろ」
「わかりましたよやりますよ!やってやりますよ! 三枝ァ! もーちょい優しく舵とれ! 当てらんねぇ!」
「バカ言ってんじゃねェ! 今でさえ機銃弾でベッコベコなのにこれ以上緩められるか! この距離の停止目標一つ当ててみやがれ独り身!」
「テンメ勝ち組だからって偉そうにしやがってやってやろうじゃねぇかこの野郎!!」
頭に血が昇っているように振る舞っていても権藤は冷静に狙いを定める。放たれた榴弾は狂いなく、幽霊船の艦橋近くで起爆した。爆炎が艦橋を覆う最中、砲弾と銃弾は明らかに狙いが散っている。船体後部の魚雷発射管はこんごうに向けようとしていたが、それは目隠しされたように右往左往していた。
海風のせいで、爆炎が晴れるのにそう時間はかからない。しかし権藤は間髪入れずに次の榴弾を叩き込んだ。三枝も操舵輪を握りながら矢継ぎ早に指示を飛ばし、こんごうの速度を速めも緩めもしない。そんな踏ん張りを支える機関があげる発熱の悲鳴を、結城は冷や汗混じりで冷却装置から宥めていた。
効き目を見せているわけではない。このままではジリ貧になるのはこちらの方だ。だがあの艦長が不毛な指示を飛ばすわけがない。権藤と結城がそう信じて踏ん張る中、三枝は艦橋からもう
「向こうに託すか」
あの特型は幽霊船と同類かもしれない。同類であれば攻撃が通じるかもしれない。
そして撤退の選択肢を艦長が放り投げたと言う事は、そこに勝算があると判断したと言う事だ。
「頼んだぜ、吹雪!」
晒された船体の横に書かれた「フブキ」の三文字を、航海長の目は捉えていた。
攻防が次第に熾烈になる中、甲板に留まっていた尾形と叢雲は、吹雪と幽霊船の様子を見つめている。
「叢雲君に一つ質問があります」
「なに?」
「友軍艦がこちらの機関停止までに目標を沈黙させる見込みは、君から見てどれ程でしょうか」
「厳しいわね……私が吹雪の立場で、初めて単独で船を動かして主砲か魚雷を直撃させるというのは見込みが薄いわ。せめて敵の砲撃を気にしなければ狙いを絞る余裕もあるんだけど」
「わかりました。ではもう一つ。貴女の持っているその小人を携えた魚雷。使用は可能ですか?」
尾形の問いで、初めて叢雲は左手に持つ魚雷発射管に小人のような存在がいる事に気付いた。小人は叢雲が気付いた事に気付くと、彼女に敬礼を向けている。
「……わからない。でもやる価値はありそうね。主砲一基黙らせるくらいなら」
尾形と叢雲の視線と、思考が重なる。互いに頷き合い、叢雲は再び海上へと飛び込んだ。
直後、こんごうの動きが弱る。恐れていた事態が来たのだろう。
機関室では、タービンが火を吹きかけていた。機関長含めて機関室の面々は消化器を持ち出している。
結城機関長の宣言した五分間を過ぎ、冷却装置は保たせたものの他が限界を超えてしまったのだ。
今こんごうは慣性で海上を流れている状態。目隠しの榴弾も尽き、視界の晴れた幽霊船は主砲と魚雷発射管を一基ずつ、こんごうへ向けようとしていた。
こんごうも、そして吹雪も焦りに支配される。一刻を争う状況で、残された希望が伝声管から聞こえた。
「12・7cm連装砲、配置につきました!」
「至急砲撃開始! とにかく相手の動きを乱して、味方を狙わせないで!」
「三連装魚雷、配置終わりました!」
「目標不明駆逐艦! 主砲の妨害が間に合う内に、急いでください!」
吹雪の魚雷発射管が旋回を始める。幽霊船の周囲に次々と吹雪の主砲弾が降り注ぐ、着水の衝撃で船体が揺れ、まだ決定打を放たれるに至ってはいない。だが吹雪も同様、敵の砲撃を避けてこちらも主砲を打ち続ける。揺れる船体で魚雷斉射のタイミングを見出せない。
仲間が砕け、
このままでは。そう思った矢先、幽霊船の一部がはじけ飛んだ。
何が起こったか、吹雪には一瞬では判断がつかなかった。だが漣の一言で事を察する。
「叢雲ちゃんだ!」
漣が双眼鏡から覗いた先には、砲撃戦の真下を突っ切り、小さな魚雷を幽霊船に叩き込んだ叢雲の姿があった。それは敵艦を沈める程ではない。だがひしゃげた船体が、こんごうに向けられた主砲と魚雷の旋回を止め、そして吹雪への砲撃も、僅かの間、止んだ。
「撃ち方止め! 魚雷、一斉射!」
間髪入れず吹雪が叫ぶ。揺れを落ち着けた船体が、幽霊船への狙いを絞り込んだ。
発射管から放たれた魚雷は海中を突き進み、まっすぐ幽霊船へと向かっていく。幽霊船は吹雪へと再び反撃しようと主砲を撃ち返す。刹那、
巨大な水柱が幽霊船を貫いた。
魚雷が直撃。幽霊船は艦橋を吹き飛ばして真っ二つに引き裂かれ、次第に船体を傾け……沈黙した。
魚雷を一当てしてすぐにこんごう甲板へ戻っていた叢雲は、残骸と化したそれが次第に沈んでいくのを、半ば呆然とした様子で眺めている。
「……沈んだ、のね」
「……そのようです。一先ずは安全が確保出来た……と思いましょう」
大きく息を吐いた尾形と叢雲は、駆逐艦吹雪が白く光る姿を見た。その光が収まるにつれて、特型駆逐艦は海中へと消えていく。
発光が収まった跡には、二人の少女が海上に残っていた。
叢雲が呼びかけて手を振る。それに気付いた二人はこんごうへと向かいだした。
「一度艦橋へ行きましょう。貴女達の事をお伝えしなくては」
「えぇ、宜しくお願いね」
―こんごう艦橋
「さて、事は収まったものの海上に立ち往生だ、タグボートを呼ばねばな」
「機関室より艦長。機関長がマジベコミしていますのでどうにかしてください」
「わかった。艦長より機関室。冷却装置は保たせたのか?」
「はい……タービンが火を吹きかけました」
「であれば君一人の責任では無いし、君は宣言通りの時間まで保たせた。気に負うな。ここまで無茶な機動を強いた状況を作ったのは私だよ」
「そうですよ、こんな無茶な状況で無茶言わないでくだせぇや艦長」
「
「クソァ!」
「危機一髪の状況明けでどいつもこいつも暢気だなぁ……」
「おう三枝、危機一髪の状況で俺煽ったのどこのどいつだ」
「はい皆さん、船乗りの喧嘩は節度を守りましょうね」
ぱんぱんと手を叩き鳴らしながら、尾形が艦橋へ戻ってきた。後ろには銀髪の少女が続いている。
「ん、副長。その子ってこっちに近づいていたって言う?」
「えぇ、特型駆逐艦の叢雲君です。この靴で水上を走っていました」
尾形は右手で指し示した叢雲の足は高いヒールを履き、足首に舵をあしらったような物を取り付けていた。
「なるほど、わからん」
「事を理解するのは今すぐである必要も無くなった。彼女からゆっくり話を聞けば良いだろう。仲間も来ると考えてよろしいかな?」
「えぇ、今こっちに来ているわ。そう言えば電と五月雨はどこに行ったのかしら」
「まだ仲間いたのね。その子らは最初どこに?」
「『アレ』から飛び降りた人たちを助けに向かっていったけど、大丈夫かしら」
「あ、それロクマルが呉に連れてってるわ」
「……そう。まぁ無事なら良いわ」
「さて、仲間達もそろそろここに着くようだ」
艦橋の窓から外を眺めていた白神は、こんごうへ辿り着こうとしている二人の姿を認める。彼女は視線を尾形へ向け直した。
「副長。彼女達を収容したら食堂に通して、そこで話を聞いてくれ。私は少し外す」
「承知しました。それでは叢雲君、お手数をおかけしますが宜しくお願いします」
「まぁここまで来たからには付き合ってあげるわ。感謝してよね」
「えぇ、ありがとうございます」
「さて、と……」
艦橋から外に出た白神は携帯電話を手に取った。私物の携帯電話だ。
「白神です。えぇ、プライベートの回線ですので、簡潔に。
少し面倒な事態になりまして、市ヶ谷が動く事になるかと。事前の用意をお願いします。
……可能であれば、『祖国』にご足労頂く必要もあるやもしれません」
続く