KanColle -GHOST CROSS- 作:有明WORKS
―広島県、呉線車内
広島駅から呉駅へ向かう線路。そこを走る4両編成の旧式列車は物静かな風情をたたえていた。新幹線ホームの喧噪から見れば、多少混んでいようと実に穏やかな世界である。
平日の通勤ラッシュを過ぎた時間に、キャリーカートを横に置いてクロスシートに座った少女は中学生ほどだろうか。手元には文庫本、題は『指輪物語 二つの塔 上2』。知っている人が表紙を見れば読破に相応の根気を要するとわかる代物で、彼女の眼前に座った女性はまさにそういう人種であった。
遅く入った大学で米英文学を専攻するその女性は「J・R・R・トールキン」の名前を見て心が踊るのを感じた。思春期女子の読書を邪魔してはいけないと自分の衝動を押さえ込むが、その機微を読み取られてしまったのか、少女は本に
「お好きですか? コレ」
少女は
女性は苦笑いして一言返した。
「バレちゃいましたか」
「視線が熱っぽかたったもので。あたしも同好の士には敏感なんですよー。中学だとコレ好きってコが少なくて」
「丁度それを読み終わったところなの。今日もここから呉まで妹を待ちながら下巻を読むつもりだったのだけど」
「あ、おねーさんも一緒なんですね。あたしも母へ会いに呉まで行くんです」
「あら、素敵な偶然ですね。でもあの子ったら電話に全然出なくて……きちんと待ち合わせの時間に来てくれるかしら」
「あーこっちも似たようなもんですねー。電話に出ないからメッセだけ送ってこっちに来まして……ひょっとしておねーさんの妹さんって、海上自衛隊の方ですか?」
突然核心を突かれて女性は内心
「な、な、な、なんのことでしょうかね?」
「図星かー。いや、ウチの母も海自なんですよ。そこそこ偉い人だから仕事忙しくて中々帰ってこられなかったりするんですよ。だから足を伸ばせそうなトコで仕事してるなら、こうして荷物片手に電車旅です」
「敵わないですね……待ち合わせ場所に千尋(ちひろ)がいなかったら、一緒に自衛隊の門まで行きましょうか」
「いいですねー。ご一緒させてください。あ、お母さんにもっかいメッセ送っとこ」
和やかに会話は弾む。少女―
第02話 帰郷者と旅人
―??
闇。
いつから私はこの中にいたのかわからない。
頭の中は眼が拾い集める暗闇に飽きて、ほつれた記憶をどうにか
思い起こされる視界は、広く、高く。それを眺めていた存在が、
しかし、そうであれば、今の自分の感覚は何なのか。
いや、そもそも、【自分】とは何だ。【感覚】とは何だ。
再び瞼を開ければ僅かに光が映り、辛うじて見える掌を眼前にかざした。これが自分の身体と言うことか。
これが、何かは知っている。
人間。自分とは違った存在。
異なっていた筈の生き物。
そうだ、私は、
水底にいた筈。
けれど、この闇は、見上げる光は違う。地上の者を押し潰す深みではなく。
そう、これは、夜空。
「おはようございます」
突然声をかけられ、その時はじめて自分が岩肌らしきモノの上、敷物越しで横になっていた事、誰かの膝を枕に眠っていた事、その主であろうフードを被った女性が座って自分を見下ろしている事に気付いた。何がどうなっているかわからない。だが視界に広がる星空だけは見覚えがあった。
ふと、女性の左手薬指に光るものが見え、なんとなく気恥ずかしくなって上体を起こす。
「……おはよう、ございます」
振り返り、取り敢えず挨拶を返した。相手はそっと微笑んでフードを下ろす。
尖った耳。それがまず目を引いた。それだけではない、ウェーブのかかった髪はうっすらと透ける空色、衣服は和装に見えるが、それを透かして見せるエメラルド色のローブや、いま自分たちを照らし出した明かりを灯す長杖は、自分の記憶や知識から外れたものだ。
自分は異界にでも訪れたのか? いや、そうであれば空に見覚えがある筈もない。少なくとも、自分にとって彼女が異邦人である事は確かだろう。先に彼女が口を開いた。
「私は旅の者で、
「はい、私は――」
名乗ろうとして、言葉が詰まった。自分の名前。それは確かに覚えている。しかし、その記憶が正しいのか。その確信が得られない。噛み合わない過去と現在。それでも、
「大井です」
名乗らなければ始まらなかった。
「……下の名前はありません。大井という名前は、かつて私であった筈の軽巡洋艦……船の名です」
「船、ですか?」
「記憶が確かであれば、私はヒトではありませんでした。最後の記憶は、戦争で自分が海の底へ沈んだ時。今、こうして人の体を持っている経緯も、自分がここにいる理由も、何一つわかることがないんです」
自分の事をありのまま語っている筈なのに、それを現実と感じるにはあまりにも空白が大きい話である。だがそれに反して、目の前の瑠璃と名乗った女性の目に疑いの色は見えない。寧ろそれは、そう、納得したという表情に思えた。
「海上で浮いていた貴女をここで横にする際、取り外したものがありまして」
そう言うと瑠璃は自分の後ろから軍艦の煙突を切り出したようなものを持ち上げ、大井の前に置き直す。
何故か、大井にはそれが、自分自身に思えた。
「貴女が眠っている間これを見ていました。これは一種の『発動器』ですね」
「……発動機……エンジンですか?」
「少し違いますね。これはとても大きな『結界』を発動するよう設定されています。それこそ……船と同じくらいの。私もまだ詳しくはわかりませんが、貴女が何者であるか、それをこれが知っているかもしれません」
確信した。自分と、目の前の婦人はそれぞれ違う意味で【普通ではない】。ただ一つ、自分の異常性でわかる事と言えば、自分が何者かを知り得る者と言えば、思い出す存在がいた。
「私と同じ存在に心当たりがあります。その方に会うためにも、まずは祖国の港を見つけて原隊復帰を目指そうと思います」
「それでは私たちもご一緒して良いですか? こちらの目的と重なるところもありますし、お互いの助けにもなると思いますよ」
「……宜しくお願いします。って、お連れがいると言っていましたけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。
発言の意味に大井は首をかしげたが、疑問を口に発するよりも、
「瑠璃さん、戻ったよー」
瑠璃の後ろから声が聞こえる方が早かった。声の主はすぐ瑠璃の隣まで歩み寄る。
若い男のようだ。中性的で日本人のような顔立ちに、黒髪と丸い耳。最初だけは普通の人間に見えたが、フードのついた紺色のマントを羽織る姿のために、
「
「気になるものが色々あった。どうも自然物に偽装した人工の遺跡っぽいけど、その前にこっちか」
彰と呼ばれた男はそう言うと瑠璃の隣に座って、大井に向き直る。
「初めまして、
「目的は一致して決定。その為の手段についてですね?」
彼の言っている事の意味は大井にはわかりかねたが、既知の外を尋ねるのは後回しだ。今の自分たちに必要なのは状況の進展である。
「話が早くて助かる。君は『船』って事だけど、星を見てここの座標とかわかるか? 俺たちは『こっち』に来たばかりで星が読めないんだ」
「そうですね、私の記憶は船そのものであって、そう言った技術を持つ船乗りの記憶や技術は……」
「ひょっとしてその『船乗り』さんとはこちらの方ですか?」
瑠璃がおもむろに艤装を大井の目線まで持ち上げる。大井が目を向けると、そこには彼女と目を合わせて敬礼する小人の姿があった。
「……『船』がこのサイズだから乗組員もこの大きさと?」
「瑠璃さんの同族? こんだけマナの薄い次元にもこういう種族っているんだなぁ」
自分自身である筈の物体がどう在るのかがますますわからなくなってきた。隣で意味深長な事をのたまう男はさて置き、小人は敬礼したまま話し出す。
「申し遅れました。航海科要員です。この状態だと観測機材がないので船を出していただければ」
「……船、を?」
この小人は何を言っているのか? 一瞬そう思ったが、先程の瑠璃の言葉が
「結界の事かな?」
彰の一言が、更に響いた。瑠璃が大井の右手をとり、大井の目を見つめる。
「大井さん、かつての自分を想像してみましょう。船で在った頃の、軽巡洋艦大井を」
彼女のその言葉で、大井の中に固まっていた何かが弾ける音がした。
自分が船であると言うならば。
「これを付け直したいので、手伝って頂いてもいいでしょうか」
大井は取り外されていた煙突を再び手に取った。「はい」と快諾した瑠璃に背中へとそれを回される。そこまで強固に固定する構造には見えないが、不思議とその装着は安定を保っていた。すぐに珊瑚と岩の足下を飛び出して、海上へと飛び込む。着水……しても沈まない。自分が水底にいた事が過去であると、ようやく確信を持てた気がする。
思い出せ。
己の内を。
そこを駆ける人々を。
海に立つ姿を。
その記憶を、
再び、形に。
……自分の体が海上から浮き出した事に気付いて目を開けば、自分の足下は海水から船の甲板に移っていた。振り返ればその視界一面に、過去の自分そのものが聳え立っているではないか。自分がこれを呼び起こしたという事実。大井は自分の存在に浮遊感を覚えた。
「各員、配置に」
半ば無意識にそう呟くと、先ほど名乗り出た他に何人もの小人が自分の煙突から飛び出る。その大きさが人間のそれに近づきながら、艦内を駆け出した。それぞれ所定の位置に向かっているのだろう。
甲板の軋むような音がした。振り向くと先程の2人が甲板へと足を移している。……梯子は下ろしていない筈だが。
「飛び乗れる高さでは無い筈ですけど……」
「そっちの普通ならそうっぽいな」
「私たち、普通とは言い難いので」
言いたいことはそれなりに浮かんだものの、けろりとした様子の彰と苦笑い気味の瑠璃を見て、今は他にするべき事があると大井は思い直す。彼女は艦内へと足を踏み入れ、東雲夫婦もそれに続いた。狭い艦内を大井、瑠璃、彰の順番で一直線に並び艦橋へと昇る。後ろ二人の視線が前後上下左右をせわしなく駆け回っている内に、夜の海が窓に広がる光景が見えた。艦橋の窓だ。大井はここから眺める海と空が、先程見たものとは違う世界に見えた。少し間を置いて、艦橋横から外へ出る。先程姿を見せた航海科要員もそこに居合わせ、六分儀で空を覗いていた。その側には数式の書かれたメモと分厚い航海年間が置かれている。ある程度の時間を経て、航海科要員は大井に告げた。
「時刻と座標が特定できました。グリニッジ標準時13時18分……えぇと、経度から考えてプラス9時間の地域だから22時18分。北緯31度57分19秒36、東経134度22分52秒18です」
「四国沖200kmほどね」
ここが何処かはわかった。次は、自分が何者かを知りに行こう。そう考えて大井の思う行き先は一つであった。
「江田島に向かいます。事前連絡も無しに軍港へ向かえば無用な混乱を起こしそうですから、通信手は無線で呼びかけを……あの二人は?」
外から戻った大井の目に映る狭い艦橋。一緒にここまで来た筈の夫婦は忽然と去っていた。
「あぁ、あのご夫婦でしたら視線の泳ぐまま艦内へ出ていましたよ」
「ちょっとォ!? 伝声管の使い方も知らないのに勝手に出ちゃ駄目じゃない!?」
《あースマンスマン、これで通話できるから大丈夫かなって》
「!?」
《私たちの使っている念話です。大井さんは普通に話して大丈夫ですよ~》
《この『結界』の構造は早い内に把握した方がいいし、手分けして散策中。あと軍艦の中ってそうそう入れないから中が気になってだな》
「せめて一言添えてから退室できませんか!?」
《その、とても集中している様子だったので水を差すのも憚られまして……》
「気遣いの方向音痴ですよそれ!」
《あぁ、方位座標確認中なだけに……》
「やかましい!」
《あら、ここは寝室ですね。日が出るまでここをお借りしても良いでしょうか》
《お、風呂みっけ。真水なさそーだけど精製すりゃどうにかなりそうだ。一番風呂は艦長殿、どうぞ》
「少しで良いから私のペースに合わせてください! 好奇心より優先するものがあるでしょう!?」
《学者から好奇心とって何が残るんだ!》
「私の精神的余裕を残してください!」
艦橋に漫才を響かせる大井と自称学者達をよそに、【大井】の
――東京駅
『そうか、お前の家でも?』
「はい。今から会いに向かいます。……何とお声をかけたら良いでしょうか?」
『……俺も丁度それを悩んでる』
「そう、ですか……そうですよね」
『こんな事、無いと思ってたからな』
「同感です。……そうですね、一目見て、思ったことをそのままお伝えしましょう」
『いいんじゃないか? 俺もお前に倣ってみるか』
「お互い、良い再会を祈りましょう。もうすぐ出ますので、それでは失礼します」
『あぁ、Good Luck』
東海道新幹線デッキ内、出発を前に“彼”は友人との電話を切った。
「ただいまの出発で、呉までは約5時間といったところです」
隣に立つ初老の男性が、“彼”に声をかける。この人物が持ち寄った話で、“彼”は己の心がざわつくままに呉へと足を運ぶこととなった。
「第二次大戦期の軍艦を名乗った少女が現れた」という、聞くだけであれば突拍子もない話。ただの噂話の類であれば、それほど深刻に思うところは無かったかもしれない。だがそれが自衛隊によって持ち込まれた情報である事と、自分自身が何者かである事を顧みれば、“彼”にとってそれは現実的な衝撃となって行動を起こさせるに充分であった。
「……考えと言葉が纏まりませんかな?」
「……はい」
「それなりの時間が用意されています。ごゆっくり、お考えください」
座席に座る2人。初老の男性は携帯電話と文庫本を取り出して、正面に向き直った。これ以上車内で干渉するつもりは無いという意思表示だろう。“彼”は言葉に甘えてゆっくり考える事とした。
考えるエネルギーが欲しいと思い車内販売のアイスクリームを買ったが、開けたばかりのそれはスプーンを刺す事もままならない。
――“彼”は、“彼女”達が船であった頃を思い出していた。懐かしい気持ちが、心の中に作った箪笥から過去を引き出す。70年近く前の記憶が、つい昨日の出来事のように思い出された。
そして、それ故に、あの時代に重ねた喪失の苦みが和らぐこと無く“彼”の心に滲み、口腔も物質的な苦味を――錯覚か現実か――覚えていた。
懐かしさを感じるのは、もう戻って来ないと解かっていたから。
これまで幾度も重ねた離別や喪失と同じように。
だが、彼女たちは戻ってきた。戻ってきてくれたのか。
何故だろう。彼女たちが望んだのか、はたまた別の意思があったのか。
いや、その疑問は後でいい。今はただ、また会いたいという気持ちだけが積もり続けている。
やっと溶けはじめたアイスクリームを今度こそスプーンを掬いとる。一口含んだ柔らかい甘さは、滲んでいた苦味を覆ってくれた。
―呉市内の銭湯
「……あの、赤羽さん」
「何だ?」
「どうしてあたしはまた抱えられながら連れて行かれているんでしょうか?」
「玉井さん以外全員ずぶ濡れで風呂直行。君たちの自己申告を顧みるに全身を温水につかった経験も無ければ女の身体が持つ感覚の知識も経験も無い。細かい説明より取り敢えず実践と経験の場に放り込む事が適切と判断した。つまり君たちの発言を事実と認識する。OK?」
「お、おーけー?」
「よろしい。ではとっとと洗い流すぞ。神田、そっちは任せる」
「承知しました」
SH-60Jに乗り込み、戦場から呉基地へと帰投した五月雨、そして赤羽班。
ヘリ機内で互いの素性を明かしていたが、“専門知識”を持たない千尋とその部下達には理解どころか把握も追いつかない話であった。もっとも、敵として相対した“アレ”を顧みれば、彼女たちの発言を否定する根拠が無い事も明らかであり、赤羽はひとまずこんごうの帰港までは彼女たちに関する詳細は保留、自分たちの戦闘記録報告を第一と判断した。
差し当たって、呉基地に帰投した赤羽班が少女達に対してするべき事は一つ。
風呂である。装備もそうだが、海水に浸かった身をそのまま放置して今後を過ごすわけにもいかないのだ。幸い赤羽班は班長含め女性が2人いるので、少女2人を手近の銭湯へ拉致する事に障害は無かった。適当に新聞紙が敷かれた乗用車の座席から銭湯の更衣室まで、電と五月雨が抱えて連れて来られたのは、帰投してから車に乗るまで五本の指では足りないほど
「五月雨、腕上げなさい両腕」
「は、はいぃ」
「電さん達、どうやって服着たんですか」
「着てないんですー!」
「なるほど、生まれた時から着ていたと」
「まるで意味がわからんぞ!」
しょうもないやり取りを経て浴場に入った四人だか、濡れた床に電は今にも滑って転びそうな様子で、神田にしがみついている。一方五月雨は赤羽に持ち上げられていた。
人間になりたての船はまだまだ昏迷を続ける。電は調節弁を上手く使いこなせずに熱湯と冷水に悲鳴をあげ、五月雨はシャンプーが目に入って悶絶した。わちゃわちゃ騒ぎは自衛隊基地で珍しい事でもないが、少なくとも赤羽と神田にはこれまで見覚えのない光景であっただろう。ついさっきまで軍艦を我が身としていた異能者には見えない有様だが、それはまた同時に“ヒトの身体に慣れていない”、かつてヒトではなかったと理解させるものでもあった。何にせよ見かねた赤羽と神田が手伝っていなければ、この二人が浴槽へ浸かるまで倍近くの時間をかけていた事だろう。
呉帰港を待つ吹雪と漣が似たような騒ぎをこんごう浴室で起こすのは、まだ彼女たちには知る由もない。
――数十分後、呉基地
銭湯から戻った赤羽班を呼び出したのは村田一佐だった。既に船内の映像は提出し、作戦も一先ず成功と聞いていたが、何か別件だろうか。赤羽は疑問に思いつつも村田の話を聞く。
「海保から連絡があった。新しい幽霊船が出たと」
「新しい? 作戦の結果はまだ何処にも報告されていませんよね」
「うむ。これまでの目撃例とは異なる艦影だ。江田島付近で球磨型軽巡洋艦が視認され、これまで同様に突然消失。我々の作戦との関連は不明。……ただ、今回は消失時に人影らしきものを見たとも」
「……彼女たちと特徴が一致しますね」
赤羽は、この場に居合わせている二人に視線を移した。自分が遭遇した【何か】ではなさそうだが、
「君たちの報告を顧みると脅威では無さそうだが、予定外の遭遇から万が一となる可能性がある。赤羽班はこんごう帰港後のデブリーフィングまで休憩となるが、一応緊急時に備えてくれ」
と村田。身体以上に精神的に疲れた今、すぐに休めるのはありがたい。
「承知しました」
一同は敬礼し、休息を求めて退出した。
「班長、この子達を一回預かります。大庭さんも家族に連絡終わったら救援を」
「助かる。大庭も頼んだ」
「あいよ。つっても、ウチの娘息子はここまでデカくないけど」
「と言うわけで電さんと五月雨さんはこちらに。間違ってもそこの目つき悪い上村おじさんには頼らないでくださいね」
「上官を何だと思ってるんだこの電波が。班長、俺は喫煙室で待機しています」
「おう、私も一回そっちに寄る」
上村と背中で会話したまま赤羽は更衣室に入り、携帯電話を引っ張り出した。姉と午前中にやり取りしたその後すぐ作戦に入った手前、おそらく何度か連絡が入っているだろう。案の定通知が入っており、それを開いた。が、
……一瞬、何のこっちゃと思いたかった。
しかし赤羽千尋には姉の発言の意味が理解できた。できてしまったのである。
どう伝えるか数分の逡巡を経て、千尋の指が画面を滑った。あの人に長い説明は不要だろう。
「……あぁ、球磨型ってそういう……?」
―呉
気の合う―それも初対面の―相手との談笑を楽しむのに、一時間はあまりにも短い。
いつの間にか呉駅に運ばれていた赤羽千春の心中は、妹と会うまでの間をどう過ごそうかという思案に占められていた。
家でゆっくり茶菓子と共に待つのも悪くは無いが、新たに出会った年下の友人は初めて踏み出した観光地にすっかり眼を輝かせている。この娘が母親を待つ間、呉を案内するだけでまず退屈はしないだろう。
「イオちゃん、呉のどこを見るか予定はありますか?」
「いえー全然。大和ミュージアムや駅の北側は時間かかりそうなので南側をテキトーに散策しようかなと」
「それでは丁度いいですね。私の家も駅の南側なので、帰りながら案内しちゃいますよ。結構歩きますけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫です! あたし健康優良児なので!」
そう自慢気に鼻息を鳴らすイオは、実際に重そうなキャリーカートを片手に海沿いの道を駆け回った。千春も体力に自信のある方であったが、若さと幼さが有り余っている少女についていくのは
一歩踏み出すたび、イオの視線は前後上下左右全てを見渡す。海自の呉地方総監部、巨大な船渠、ヘリが多く飛び交う物々しい空。全てが彼女の好奇心をかき立てた。海沿いの坂道を上り下りした先、二人は辿り着いた場所は赤
「おぉー……」
感嘆の息を漏らすイオ。その様子に千春も満足げである。
「ここがアレイからすこじまです。普通観光の人はバスで来るものですけど、イオちゃん本当に健脚ですねぇ」
「ふっふっふ。文武両道スーパー美少女とはあたしの事ですよ。それにしても船が並ぶ姿っていつ見ても壮観……んんー?」
「? どうかしましたか?」
「千春おねーさん、あそこなんですけど……」
イオがそう言って指さした海面には、細長く黒く尖った平板らしきものが陸地に向かって突き進んでいた。
「サメでしょうか? でもあんなに大きいのこの辺りに来るかしら」
「あのツヤとトンガリ具合……サメじゃなくてシャチっぽいですよ。陸に向かってるようですから、追いかけてみましょう!」
言い出して答えを聞く間もないままイオは駆け出す。千春は思春期の強引さに押されつつも、見慣れた地元より珍しい野生動物の影が気になっていた。
二人の足は舗装されたアスファルトから木の根が覗く土の上へと踏み出す。あまり良い行いとは言えないが、今は好奇心が勝った。
イオが草垣の挟んで立ち止まるのを見て、千春も歩を止めた。目の向かっていた先に右耳を向けると、話し声が聞こえる。女性2人に男性1人だろうか。
「よっし上陸、皆ここまでありがとな。……大井、大丈夫か?」
「未だに生きた心地がしません」
「流石に海中をあの速度で泳ぐのは厳しかったでしょうか……」
「そこじゃないです。いやそこもですけど」
「まぁ慣れてない事は何だって大変だからな。今回は急ぎって事で勘弁してくれ」
話し声と足音が次第に近づいている。忍び寄る二人は腰をそっと浮かせて機を
小人、そう形容する他ない小さな人型――多分、生き物だ――が自分を見上げていた。
目線がぱっちり合う。沈黙。
「あら? 魚雷の子何処に……」
向こうからの声が聞こえた瞬間、小人は脱兎の勢いで振り返った先を走った。対するイオも狼か熊か、未知の存在を追って草垣を飛び出す。小人を追った先には、何とも妙な格好をした3人組が飛び出したイオを前に立ち止まっていた。
「あ」
「いっ」
「う……」
「え?」
「おぉ」
イオ以外の全員が硬直する。それは一瞬の筈だが、体感的にはそれよりもずっと長かった事だろう。最初に時間が動いたのは男とローブ姿の女性、煙突を背負った少女の元へ踏み出そうと動いたが、もう遅い。逃げる素振りを見せた彼女の右腕を、いち早く動いたイオが掴み取っていた。
突然腕を捕まれて、湧き上がる衝動は驚きと怯え。少女はそれを態度に隠さなかったが、イオの目線は彼女の目ではなく、掴み取った左腕とその上に乗っている小人に向けられていた。
「千春さん見てみて! 妖精さんですよ妖精さん!」
硬直が解けないままでいた千春の肩と膝が、ようやく揺らいだ。彼女が見直したイオの瞳は、ここに至るまでと大差ない好奇の輝きに満ちている。その瞳が捉える小人を千春も認め、混濁する思考から一言だけをひねり出した。
「……日本で妖精ですか? 妖怪ではなく?」
「うーんそっちじゃないかなー! いやあたしの言葉選びも問題だったかも!?」
「……あの、そろそろ手を離してもらえませんか?」
「おっととごめんなさい。取り敢えずおねーさん達が何者か心当たりがあるのでちょっとご一緒しません? あたし達ならたぶん力になれますよ」
「……はい?」
少女――大井は、一体何を言っているのかという疑念に覆われた。今の僅かなやり取りで自分たちを理解出来るほど、日本の常識は変わってしまっているのか? 目の前の少女が変人である事を願う大井の後ろでは、残る変人2名が目配せをしてイオに向き直った。
「……そう、だな。俺達もワケありだ。助けは多い方が良い」
「そうですね。ここはお言葉に甘えましょう」
「あ、はい」
大井の困惑は未だに収まる事を知らなかった。この夫婦に出会って以降、絶え間なく繰り返される事態の流転。あまりにも物事が調子よく進む様は、狐狸にでも化かされているかのようだ。
内心、疑いの目を期待していたのかもしれない。少なくとも、今この場で自分が非常識な存在である事を自覚しているのは他ならぬ自分自身だろう。例え「異常」であるとされても、浮ついた自分の存在を定めたかった。その思いで千春と呼ばれた女性の返答を待つ。しかし、
「腰の物、かっこいいけど重そうですね。私の家でお茶にしませんか?」
「(この人も駄目だった!!)」
無残な現実を前に、大井は両手で顔を覆いたくなる衝動を必死にこらえるばかりであった。
続