きっかけは、夏の終わりに。
◇
清澄高校麻雀部は、今年度初頭の時点で、全国はおろか長野県内でも全くの無名校であった。長野には名門風越女子と天江衣擁する龍門渕、全国屈指の強豪二校が存在し、いずれかが全国出場を果たすのだろう、というのが大筋の見方だったのだ。
しかし長野予選決勝戦、その二校をまとめて屠ったのが清澄高校である。さらに清澄は、初出場ながら全国大会でも優勝を決め、全国でもその名を轟かせた。
白糸台を初めとする全国の強豪校すらも退けた原動力は、二人のルーキー――原村和と宮永咲と目されている。原村和は前年度インターミドルチャンピオンであり、長野予選の時点でもある程度有力視されていた選手である。一方で宮永咲は、当初はそれこそ清澄高校と同様無名の存在だった。しかしながら、長野予選決勝で天江衣を激破、全国でも数々の猛者と互角以上に渡り合い、最強の大将と評されるようになった。インターハイチャンピオン、宮永照の血縁が発覚してからはさらに注目を浴びることになる。
話題性に事欠かない二人の少女が清澄の顔として表に立つのは、自然な流れであった。
一方で、コアな高校麻雀ファンや対戦校の面々は、彼女たちとは違う選手を高く評価していた――宮永咲らとはまた異なる尺度で。
それが清澄高校の中堅にして部長――竹井久だった。
全国大会決勝において、清澄の評価は決して高いとは言えなかった。無名ということを差し引いても、清澄は他校と比較し不利な要素があったのだ。
それは、指導者の不在。
戦略を練り、選手を管理する監督も、技術的な指導を行うコーチも、対戦校の研究をする参謀役もいない。名目上の顧問は存在するが、麻雀に関しては素人だった。
それらの役割を一手に引き受けていたのが、竹井久という少女である。
選手兼監督としての奮闘振りは、競技麻雀をよく知る者であればあるほど高く評価するであろう。無論、選手としての実力も一定ラインを上回っていた。
――遅れてきた高校麻雀界の新星。
――後一学年下であれば、清澄の連覇は盤石だった。
そう囁かれることも珍しくない。
しかし残念ながら、彼女は今年で三年生。誰しもに等しく訪れる、引退の年だったのだ。
「いやー、なんだか悪いわね。やっぱり手伝ったほうが良い?」
少し照れ臭そうに頬をかくのは、清澄高校麻雀部部長、竹井久。――その肩書きも、今日までだ。
「大した手間じゃぁないわ。あんたは座っときんさい」
麻雀椅子から立ち上がろうとする久の肩を抑えたのは、彼女と最も付き合いの長い染谷まこだった。
「そうですよ。今日は部長が主役なんですから」
「ゆっくりしてて下さいね」
「私たちに任せるじぇ!」
咲、和、優希の一年生トリオがオードブルを運び込んでくる。閉店後のRoof-topに、かぐわしい香りが広がった。
「こうして部長って呼ばれるのも今日で最後かぁ。何だかもの寂しいわね」
言葉とは裏腹に、久の声色は明るい。「こんな日」でも、彼女はいつもの調子だった。
咲や和が出場するコクマが秋に開催されるが、インターハイが終わった時点で久は引退して引き継ぎを行う予定となっていた。そして八月も終わりに近づいてきた今日、Roof-topを利用して引退式を執り行う運びとなったのだ。
「はいどうぞ、部長」
「お。ありがと、須賀くん」
京太郎からジュースが注がれたグラスを受け取って、久は少し困り気味のはにかみを見せる。
「須賀くんもお疲れさま。今日も準備のため色々働いてくれたんでしょ?」
「そりゃあ俺も部員の一人ですから」
「ん、まぁそうなんだけど……」
「それより、始めましょうか」
久が立ち上がり、まこが一歩前に歩み出る。全員にグラスが行き渡ったのを確認してから、開始の音頭を取った。
「お疲れさまじゃ、部長!」
「お疲れさまでしたー!」
たった六人の部。全国を制した実績と比べ、あまりにも規模は小さい。それでも重なる声はどこの部よりも大きく、明るかった。
まだ卒業まで時間があるためか、はたまた久自身の気質のおかげか、引退式は湿っぽい空気にはならなかった。ささやかな料理とお菓子をつまみながら、六人は談笑する。
小一時間ほど経ったところで、立ち上がったのは優希だった。
「ここでスペシャルイベントだじぇ!」
「すぺしゃるいべんと?」
小首を傾げる久に、したり顔で優希は答える。
「今から部長と私たちで対局するんだじぇ。そこで部長に私たちが振り込むか、部長がツモ和了したら――咲ちゃん!」
「はい」
呼ばれた咲が部屋の隅から取ってきたのは、小さな紙箱だった。
「部長にはここから一枚クジを引いてもらいます。そして、ここに書かれている命令を部長相手にする――という流れです」
「なるほど。つまり麻雀で勝って咲たちに奉仕させるというわけね」
「何だか目付きが怖いんですが……」
和の突っ込みを、久はスルーする。
「どうせなら無条件でお願い聞いてくれてもいいのに」
「私たちはそんなに安い女じゃないじぇ!」
「まあレクリエーションみたいなもんじゃ。手は抜かんが」
いずれにせよ、これからは久と卓を囲む機会はぐっと減ってしまうだろう。それも考慮しての、「遊び」であった。
久以外の面子が入れ替わりながら、罰ゲーム付きの対局が行われる。こういうときだからこそか、久は無類の力を発揮した。
「あー、そこ、気持ち良い。もっと力入れてー」
「後輩使いが荒いじぇ……」
クジの結果により、優希からマッサージを受ける久。さらにうちわで扇がせたり、お菓子の献上を受けたりとさながら女王の様相を呈していた。
「まさかここまでとは……」
「部長の勢いが止まらない……」
感心半分、呆れ半分の視線が久に注がれる。しかし久自身は全く気にしていない様子だった。さらに勢いを増すばかりで、
「はい須賀くんそれローン!」
「あぐっ? う、嘘でしょっ?」
「残念ながら本当よ!」
卓に入ったばかりの京太郎も、あっさりと餌食にかかってしまった。
「さーて、須賀くんの罰ゲームは何かな?」
意気揚々と久は紙のクジを引いて――ぴたりと動きを止めた。それから、くすりと笑みを零す。
「……何書かれてたんですか。凄い嫌な予感がするんですけど」
「自分の目で確認してね、須賀くん」
「はぁ……って、何だよコレ!」
久からクジを受け取った京太郎は、素っ頓狂な悲鳴を上げる。隣にいた咲が、「わっ」と肩を震わせた。
「おいコラ優希! お前なんてもの書いてんだ!」
「お、もしかしてアレを引いたか?」
「京ちゃん、何だったの? ……って、これは……」
京太郎の手元を覗き見た咲もまた、戸惑いを隠せなかった。そこに書かれていたのは――
「『愛の告白』ってなにするんだよっ」
「言葉通りだじぇ。部長に告白するんだじぇ!」
優希の言葉は力強く、有無を言わせない迫力があった。京太郎が縋るようにまこや和へ視線を送るも、「諦めろ」と言わんばかりに首を横に振る。最後に久と向き合うと、
「さあ須賀くん、どんと来なさい!」
ノリノリだった。京太郎に残された道は、観念することだけだった。
「ここでやるんですか」
「折角だしみんなに見て貰いましょう!」
何が折角なのか理解できなかったが、あくまでこの会は部長のためのもの。彼女が望んでいるのに、ここでゴネて空気を壊す訳にもいかなかった。
「部長」
「はいはい、何かな須賀くん」
頬が紅潮するのを自覚しながら、京太郎は意を決する。今は、咲たちの視線は無視するしかない。
「その……俺、ずっと前から部長のこと……」
最早、久の顔を直接見ることは叶わなかった。ぎゅっと握りしめた手が痛い。
「す……好きだったんです。付き合って、下さい」
Roof-topの中が、静寂に包まれる。京太郎の背中を、冷たい汗が流れた。これは罰ゲームであり、あくまで遊び――のはずが、いつの間にか空気が変わっている。大真面目なものに、変貌してしまっている。どうなってんだこれ、と京太郎は戸惑う。
「あははははっ」
沈黙の後、響き渡ったのは久の大きな笑い声だった。彼女は京太郎の背中をばんばんと叩き、
「ほんとに告白してくるなんてっ。部長への敬愛かと思ってたのにっ」
「あっ、えっ、いやいやっ」
「しかもずっと前からって、初めて会ったのついこの間じゃない」
「そ、それはっ」
「あー笑った笑った。続き打ちましょ」
京太郎をからかうだけからかって、久は卓に戻っていく。しばらく京太郎は顔を真っ赤にしていたが、楽しげな久を見ていると文句を言う気力も湧かなかった。小さく溜息を吐いて、彼女の後に続いた。
それからも、引退式の騒ぎは中々収まらなかった。普段物静かな咲や和も、今日ばかりははしゃいでいた。
もうそろそろでお開き、という時刻になってまずうとうとし出したのは、優希だった。彼女に続いて咲と和も、さらに珍しくまこも椅子に座ったまま眠りに落ちてしまう。
「あらあら。みんな寝ちゃったわね」
「インハイ終わってからも、色々忙しかったですからね。今日の準備もありましたし。ちょっと寝かせてあげましょう」
残ったのは、久と京太郎の二人だけ。静かに寝息を立てる咲たちから少し離れて、二人は声を潜めて言葉を交わす。
「部長、もうコーラしか残ってませんけど、飲みます?」
「それで良いわ、ちょうだい」
「はい」
先ほどの告白のせいで、京太郎はどうにも居心地は悪い。しかし久はまるで何もなかったかのようにいつも通りなので、京太郎もそれに倣うよう努めた。
「あー、このコーラ炭酸抜けちゃってる。しかもヌルい」
「優希が蓋開けっ放しにしてたみたいですね」
「それを勧めるとは、まさかさっきの仕返し?」
「そ、そんなわけないでしょう」
言いがかりだった。けれども納得しない久は、コーラの入ったグラスを京太郎に突き付ける。
「須賀くんも飲んで」
「えー、なんで」
「この微妙な味を共有したいと思って」
「微妙な味と言われて飲むと思います?」
「須賀くんは引退する部長のお願いも聞いてくれないのね」
「この人は、もう」
よよよ、とわざとらしく嘘泣きする久を前に、京太郎は折れた。久からひったくるようにグラスをひったくると、ぐい、と一気にそれを呷った。
「……甘。確かにこれは微妙ですね」
感想を述べるも、久からの反応はなかった。
「部長? どうしました?」
「あっ、いや、なんでもないわ。うん」
逃げるように久は椅子に座って、京太郎へと背中を向ける。何かマズいことをしたのか、と京太郎が疑問に思うも、深く考えるよりも早く久から声をかけられた。
「須賀くんにはさ」
「なんですか?」
「いやー、色々甘えちゃったなって」
「……どうしたんですか、急に」
急に真面目な語調になった久に、京太郎は眉を潜める。
「インハイで優勝してね、白糸台の部長――弘世さんとか、辻垣内さんとかからね、これでも結構褒められたのよ」
「そりゃ部長、決勝でも活躍しましたからね」
「そっちもだけど……そっちじゃなくて、部のマネジメントのほう。監督がいないって言ったらびっくりしてた」
「ああ……うちはそういうの、部長が一手に引き受けてくれてましたからね。でもあの人たちから褒められるなんて、凄いじゃないですか」
京太郎の素直な賞賛に、しかし久はいまいち納得していない風に口を尖らせる。
「でも、私が監督もどきに集中できたのも、須賀くんが裏方で働いてくれたからよ」
「俺だって部員だから働くのは当たり前じゃないですか」
「だけど、その須賀くんは評価されないじゃない」
――まさか、久がそこを気にしているとは思わなかった。京太郎は驚きと喜び両方入り混じった感情が生まれるのを自覚しながら、返す言葉を探す。
「……でも、裏方以外は応援してるだけでしたし。麻雀部員なら、麻雀で結果見せないとって俺は思います」
「須賀くんが納得できても私が納得してないって話よ」
不満というよりも、怒りに近い想いが久から湧き立つのを京太郎は感じ取る。けれども、だからといってどうして良いか分からない。彼女に対して、何と答えれば良いのか分からなかった。
「言わなくても仕事してくれるから、私も甘えてばかりだったしね。須賀くんも、一つくらい報われて良いと思うんだけどな」
「清澄が優勝したってだけで俺にとっては充分ですよ」
「そういう優等生的回答は嫌い」
そんなこと言われても、と京太郎は困り果てる。その隙を狙ってか――いつの間にか椅子から立ち上がっていた久が、ずい、と顔を近づけてくる。
「わっ、な、なんですかっ」
「ねぇ、須賀くん」
彼女の瞳に曇りはなく、京太郎は吸い込まれそうになる。彼女のぷっくりとした唇が、ゆっくりと開かれた。
「さっきの告白なんだけど」
「は? あ、あぁ、罰ゲームの」
ここで、先ほどの恥ずかしい記憶を掘り返されるとは思っていなかった。相変わらずこの人は読めない――しかし京太郎が真に驚くのは、ここからだった。
「まだ返事、してなかったわよね」
「へ、返事?」
「そ。付き合ってみない? 私たち」
まるで朝食のメニューを答えるような気軽さで、久はそう言った。一瞬、京太郎は彼女が何を言い出したか理解できなかった。言った久は、少しだけ早口になって、
「須賀くんにもご褒美があっても良いでしょ? だからさっきの告白に答えてあげようと思って、ね?」
「いや、さっきのは罰ゲームの告白でっ」
「酷い、私を弄んだのねっ」
「弄んでませんっ! 風評被害っ!」
力一杯否定するが、久には暖簾に腕押しだった。彼女は余裕たっぷりに笑って、
「私と付き合うのは嫌?」
「い、嫌では……ないですけど、その……」
今の気持ちを、京太郎は自分でも言葉にできなかった。からかわれているのか。冗談なのか。――本気、なのだろうか。久の意図が読めず、そして自分の気持ちも分からない。何と答えれば良いか、分からない。
そんな彼に助け船を出すように、久は一つの案を持ち出した。
「じゃあ、こういうのはどう?」
それは――二人の関係を運命付けるもの。
二人の間の、契約だった。
「ひとまず、お試しで」
「お試し……?」
「そ。お試しで、付き合ってみましょ」
先輩の屈託のない笑顔に――京太郎は、抗う術を持たなかった。