「これが新しい曲か」
プロデューサーより渡されたデモ音源。仮タイトル“夏の思い出”
「夏の思い出……」
そのタイトルを見て、ふと、懐かしい記憶が浮かんだ。
∞
――白南風の吹く海辺。憂い顔で佇む麗人。その姿を見て、私はきっと、一種の熱病のようなものにかかってしまったのだろう。生憎、その時には気づけなかったが。
その姿が、あまりにも美しく、儚くて。だからだろうか、その時の私はどうかしていたのだ。普段の私では絶対にしないだろう。声を、かけてみたのだ。
「失礼」
慣れない事はするものではない。そう思ったのは声をかけてからだった。
普通、声をかけた後に気の利いた一言でも言うものなのだろうが、私は二の句を告げる事ができなかったのである。
私の声に、彼女は振り向いた。すると、吸い込まれそうなヘテロクロミアが、私を射抜いた。
「……あら? どちら様でしょう?」
彼女は怪訝な顔をして言った。当然だ、突然見知らぬ男に声をかけられれば、誰だってこう反応するだろう。
「……よろしければ、私に一つ、奢らせてはもらえないだろうか」
苦し紛れに出た言葉は、そんな言葉だけだった。言ってから、気づく。ああ、今の私は、おそらく俗に言うところのナンパ野郎なのだろう、と。いや、むしろ声をかけた時点でそうなのではなかろうか。
「……ふふっ、慣れていらっしゃらないのね」
そんな私を見て、彼女はそんなふうに言って、笑った。どうやら見抜かれているようだった。
「ああ、私は生まれてこの方、見知らぬ女性に声をかけるなどということをしたことがない」
「ええ、わかります。誠実で真面目な人に見えますから」
そこで彼女は言葉をきって、微笑みを消し、
「だからこそ、どうして声をかけてきたのか、私、気になりまして」
色の違う瞳が、力強く私を見ている。下手なことは言えない、そう思った。
「……私にもよくわからない。だが、声をかけなければならないと思ったからだ」
私がそういうと、彼女は一瞬驚いたような顔をして、
「ふふっ、不器用な人ですね……――思い出してしまいます」
「……? 思い出す――?」
「いいえ、なんでもありません。そうですね……」
彼女はそういうと、すっと指をさして、
「よろしければ、私と一杯、どうですか?」
猫のような、あるいは悪戯娘のような、ああ、子供のような笑顔でそういった。
∞
「……」
懐かしい思い出だ。私がちょうど前職をやめて、アイドルになるまでの、そう長くはない“夏休み”の。
「たった一度の出会い、か」
なんのことはない、一人の男が一人の女に恋をして、そして愛へとはならなかった。それだけの話なのだ。たったそれだけの、ありふれた、話。
∞
彼女に招かれて訪れたのは、よくあるバーのようだった。とはいえ、私は普段あまり酒を嗜まない。なので、マナー等はよくわからないので、少し困惑してしまったのだが。
「マスター、テキーラ・サンセットを一つ。貴方は?」
「む、申し訳ない。私はあまりこういう所に縁がなく……」
「今更堅苦しい言葉なんて、やめましょう? ここはお酒を楽しむ場所ですよ?」
そういうものなのだろうか。女性と二人で出かけるような経験はあれど、酒を飲むような経験は生憎なく、私にはよくわからなかった。しかし、どうやら彼女は慣れているらしかったので、私はその言葉に従うことにした。
「……承知した。ああ、たしかに貴女の言う通りだ。今、この瞬間、この場所は、そういう場なのだろう。マスター、カシスソーダを一つ頼む」
「ふふっ、そうこなくちゃ! それにしても……カシスソーダ、美味しいですよね」
「ん、私はあまり強いものは不慣れでな」
正直に白状すると、私はカシスソーダというものがどういうものなのかよくわかっていなかった。たまたま目についたものをそれらしく言葉にしてみただけだったのだ。要は、見栄をはっただけ。ただ、頭の中の、どこかでひっかかった。その情熱の色に隠された意味を、頭のどこかで意識して。
「ふふっ、私も、同じものを頼めばよかったかもしれません」
「なに、私のを飲めばいい。夜は長いのだから」
もう一度言うが、その時の私はどうかしていたのである。まるでハリウッドか、はたまたブロードウェイの俳優がごとく、できる男を演じていたのである。幸い、彼女は大人であったから、付き合ってくれたのだろう。
その時、バーテンダーが、すっと二つの酒を差し出した。
「テキーラ・サンセット、カシスソーダ」
バリトンボイスの紳士然とした立ち居振る舞いであった。まったく男はかくありたいものの手本のようであった。
「ありがとう、マスター」
先手を打つように、私はバーテンダーに一言投げて、
「いい夜を」
バーテンダーは、そんな風に、粋な一言を返してくれたのだった。
∞
「まぁ、本当に?」
「ああ、こう見えて少し前まで――」
会話ははずむ。とりとめのない、なんら中身のない。答えの出ない、そんな会話。この時にはもう、私は気づいていた。私の胸にある熱の、その正体を。
だからこそ、意識の奥底にあったのだろう。こんな――
「よかったら、私から貴女に一杯送らせてほしいのだが」
「まぁ、嬉しいです。どんなものですか?」
アルコールも入ってか、彼女はすこし赤らんだ顔を綻ばせて、そういった。
私はそんな彼女を見て、また熱に浮かされるような心を自覚した。頭の片隅に、そのカクテルの名前と意味を浮かべ。心のどこかが、締め付けられるような感覚を覚えて。体のどこかが、ひきつるような痛みを触って。
「マスター、彼女に、シェリー酒を」
――
「かしこまりました」
「……マスター、私からも、彼に一つ、送りたいのですけど」
それはほんの一瞬だった。彼女を見つめていなければ、気づけない顔。
「ギムレットを彼に」
∞
「ああ、懐かしい。そして、きっと――」
大切な思い出だ。忘れることなどできないし、することもない。
だけれど、一つ、一つだけ、気がかりがある。なぜあの一瞬、その一瞬に、彼女は泣きそうな顔をしていたのだろうか?
はい、ということで、sideMのとあるアイドルと、これまたとあるアイドルのお話です。なんでこんなの書いたの? と聞かれればある曲が素晴らしすぎてです。「サ・ヨ・ナ・ラSummer Holiday」名曲なので、皆さんもぜひ聞いてみてください。
作中登場したカクテルには、それぞれカクテル言葉という、花言葉のようなものがあります。
テキーラ・サンセット「慰めて」
カシスソーダ「貴方は魅力的」
シェリー酒「今夜はあなたにすべて捧げる」
ギムレット「遠い人を想う」