「この命、誰のために振るうのか。――剣を置いた、そのあとで。」
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登場人物紹介
●曹仁(そうじん)/真名:華侖(かろん)
曹操の従妹にして、将軍職を担う少女。
戦に生き、剣を信じてきたが、初陣の日に初経を迎え、自身の身体の痛みと女としての在り方に直面する。
● 曹純(そうじゅん)/真名:柳琳(るぅりん)
曹仁の実妹。姉の変化にいち早く気づき、薬草や生理の処置、体調管理などあらゆる面から姉を支える。
● 荀彧(じゅんいく)/真名:桂花(けいふぁ)
潁川の名門・荀家の才女。曹操の参謀格として仕えるが、かつて才覚を試そうとして首を落とされる。
● 馬休(ばきゅう)/真名:鶸(るぉ)
曹仁の戦友にして最も信頼を寄せた将のひとり。
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官吏には二種類しかいない。凡庸な者と優秀な者。
そして真に有能な人事とは、能力の低い者にも職を与え、組織を円滑に回すことができる者を言う。
潁川郡の名門・荀家の長女、
金の髪を猫耳のような房でまとめ軽やかに印綬を捌く姿は、老練な官僚すら舌を巻く。けれどなまいきざかりの少女である。
荀彧は
「本初様、財政収支については……」
「文若さんにお任せしますわ。私、これから街に出かける予定でしてよ」
袁紹の気ままな答えに、荀彧は即座に判断を下した。
「王の器にあらず」
そして彼女は動いた。若さゆえの焦りもあった。
曹操の陣営では使えぬ者はすぐに切られる。
諭旨免職などといった甘い辞令はなく、命を賭す覚悟がいる。
兵糧監督の任を与えられた荀彧は、帳簿を操作して兵糧を少なめに記録し、曹操の注意を引こうとした。
「私を試したわね……」
その結果。
荀彧は首を刎ねられた。
曹仁のくしゃみによる刀の暴発で、冗談のように首が飛んだのだ。
「へっ……くしゅん!」
その瞬間、佩いた鎌が僅かに跳ね、荀彧の頸を裂いた。
「かにみそっ!」
首のない体が崩れ落ちる光景に、曹操はただ静かに目を閉じた。
「ワイは悪くないンゴ……」
呟いたのは
荀彧は死んだと思われたが、名医・
その後、政務に復帰した荀彧は、以前よりも硬い表情を見せるようになる。
特に曹仁に対しては、微笑みの奥に一線を引いた視線があり、背後には極力立たせないようにしていた。
だが曹仁はまるで気に留めないように、いつも通りの口調で話しかけ、政務の合間には食事に誘ったり、勝手に甘味を奢ったりと、荀彧に懐いている節すらあった。
「桂花ちゃん、今日も生きてて偉いっす!」
「……よく首を飛ばしておいて、その顔で言えるわね」
「でも、また繋がったっすから無問題!」
荀彧はため息をつきながらも、つい応じてしまう自分に気づいていた。
その日も曹仁は、荀彧と連れ立って市場へと出かけていた。
風に揺れる金髪、笑えば小動物のように柔らかな頬がゆるむ。
兵卒の間では曹家の宝石と囁かれるほど、その可愛らしさは密かに人気だった。
露店で果物を眺めたり、甘味処で白玉を食べたりしながら、荀彧と肩を並べて歩く。
「……華侖、袖に餅の粉が付いてるわよ」
「うへっ、ありがとっす」
そんな日常がいまの彼女にとって何より大切だった。
またある日は、政務の合間に中庭の木陰で並んで読書する姿もあった。
荀彧が文を声に出せば、曹仁はその膝に頭を乗せて横たわる。
「桂花ちゃん、声、綺麗っすね……寝そう」
「……寝たら頁が進まないわよ」
曹仁は少女としての時間を、戦とは無縁の静けさの中で過ごしていた。
朝、目が覚めた瞬間、どこか身体が重かった。
腰の奥がじんわりと痛くて、下腹に鈍い圧迫感がある。
「……ん、だるいっすね」
鏡の前で身なりを整えながら、曹仁はふと足の間の違和感に気づいた。
身を屈め下着の奥に指をやる。
「……血?」
息が止まった。けれどすぐに思い当たる。
母から聞いたことがあった。女には、ある日それが来る、と。
「これが……初潮っすか」
戦支度に追われる朝の時間。
下腹は重く、馬に跨がれば揺れが痛みに響く。
「ついてないっすね、今日」
けれど戦は待ってくれない。
官軍の一員として曹操軍は黄巾賊討伐に動員されていた。
曹仁もまた先陣の一翼を任されていた。
出陣の鐘が鳴る。
「行くっすよ。今日も元気に、正しく、ちゃんと殺すっす」
それは、彼女が女であることを隠すように、
戦場にすべてを預けるための呪文だった。
敵が視界に入った瞬間、痛みは霧散する。
血の匂い、刃の重み、敵の叫び。
生理の痛みも、苦しみも、全部殺せば消えていく気がした。
頑強な抵抗を破砕し戦いが終わり、軍が陣を張った夜。
曹仁は馬から降りた途端、膝をついた。
「ふっ……は、ふー……」
装備を解き下着を見れば、布は真っ赤に濡れていた。
「これは……普通っすか……?」
誰にも聞けない。誰にも言えない。
そこへ、小さな影が近づいてきた。
妹の曹純、
「姉さん、大丈夫ですか?」
「へへ、ちょっと、血が多いっすね」
柳琳はためらいなく腰を下ろすと、薬草の包みを解いた。
そのとき、もう一人、影が揺れた。
荀彧だった。
「華侖、顔色が悪いわ。無理をしないで」
その声音はいつになく柔らかく、目元にも心配の色が浮かんでいた。
「桂花ちゃんまで……大丈夫っすよ、ワイは強いんで」
「強い人ほど、自分の弱さを見せられないそうだけど」
言って、荀彧は曹仁の手をそっと握った。
「私も昔、初めてのときは動けなくなったわ。身体を冷やさないこと、無理をしないこと。……あと、血の量が多い日には詰め物を厚めにしておくといいのよ」
「えっ、桂花ちゃんもそういう時あったんすか」
「当然でしょう? 同じ女なのだから」
柳琳も頷いた。
「私は布を何枚か重ねて持ってます。あと、動きやすいように股紐をきつめに結んで……。あ、姉さんの腰当ても少し詰め物ができるようにしておきますね」
「そっか……そっすね……ありがと」
そのぬくもりが戦場の冷えた風よりも確かな救いだった。
「温めたら楽になりますよ。華琳姉に教わったんです」
「……ありがとっす、柳琳」
曹仁は少しだけ笑った。
それは戦場の顔ではない、少女の笑顔だった。
最初に馬休、
訓練場での一戦、鋭い槍捌きを見て自然と声をかけた。
「そっちの姉さん、やるじゃないっすか」
「そっちの金髪さんも、なかなか素早いじゃない」
互いの手応えをすぐに感じ取り、食事を共にし、水を分け合い、任務の合間に火を囲む。
山中の索敵、夜営の見張り、粗末な野営地でも笑い合える相手。
女でありながら同じ戦場で生きる覚悟を持つ者として、曹仁にとって鶸は、数少ない心の許せる戦友となっていった。
「華侖、戦が終わったら仮面を外して街に出よう。髪も下ろしてさ」
「それは……考えとくっす」
気恥ずかしそうに笑って交わした言葉は、やがて戦の中で深く心に刻まれることになる。
張魯征討の令が下った。曹操は夏侯淵を主将とし側面を曹仁の隊に任せた。
曹仁は二千の兵を率い戦地に向かう。
遠征の日々は身体に静かに蓄積する。 月が来なくなって二度目。
柳琳に言えば薬や茶を用意してくれるだろう。荀彧に聞けば官舎で休むよう助言してくれるだろう。
でも。
「……ワイは、戦うために生まれたんすよ」
その思いが彼女を馬の背へと押し出していた。
張魯軍は数に優れ、地形にも明るかったが、練度は低く、統率も乱れていた。
「舐めるなよ、小娘が!」
「舐めてるのはそっちっすよ」
戦いの最中、曹仁はほとんど無表情だった。
敵を斬るたび己の芯が冷えていくのを感じた。
そこに飛び込んできたのは、鶸の突撃だった。
「華侖! 背面は任せて!」
「遅いっすよ、鶸」
二人の連携は息が合い、背後からの奇襲が成功。
張魯軍は動揺し、士気が崩れた。
だが敵将の矢が鶸の胸を貫いた。鮮やかな一閃を残し、鶸の身体が崩れる。
「……うそ、だろ……?」
戦が終わったあと曹仁は一人、鶸の遺体の傍に膝をついていた。
戦で死ぬ。それは何度も見てきた。
でもそれが友であるというだけで、こんなにも痛むのか。
涙が落ちた。
その夜、月が戻った。
汚れた下着を手洗いしながら、曹仁は小さく呟いた。
「……帰ったら仮面を被ろう。泣く顔、もう見られたくないっす」
劉備討伐の命が下った。曹操の命により、主攻を担う夏侯惇隊の側面を支える助攻部隊として、曹仁は西の要地に進軍する。
仮面は既に曹仁の素顔を覆っていた。
それは戦場で涙を見せぬためのもの。悲しみを忘れるための覆い。
月は来ている。だが周期は乱れ、痛みは以前より強くなっていた。
曹仁は柳琳の煎じる薬草を口にしながら、兵の整列を見つめる。
「姉さん、最近つらそうですね」
「……少し疲れてるだけっす。気にすんな」
だが仮面の下、唇は乾き足取りも鈍っていた。
劉備配下の一部と称し地元の豪族や流民を扇動して立て籠もる賊軍との交戦は、想定以上に激しかった。
前衛が押され伏兵に囲まれかけたそのとき、曹仁は自ら陣頭に立った。
「今こそ見せるっす、ワイらの意地を!」
喉が焼けつく。だが声を張る。
刃を振るい敵を切り裂きながら、曹仁は腹の奥に走る痛みに耐えた。
視界がにじみ汗と血の中で身体が傾ぐ。
戦後。
曹仁は野営地に戻るなり倒れ込んだ。
「姉さん!」
柳琳が駆け寄る。
手足は冷え顔は土のように青かった。
「これ以上無理をしたら本当に倒れてしまう……」
その夜、曹仁は寝床の中で目を覚ました。
荀彧が椅子に腰掛け、文書を捲っていた。
「華侖。貴女がいなければ、戦は成り立たない。……でも倒れては元も子もないのよ」
「ワイは……戦うことでしか……」
「違うわ。守るためには生きて声を届けなければ」
友の言葉が胸に残った。
数日後。
曹仁は曹操に進言し、後方に下がることを願い出た。
「敵を斬るだけが将の務めじゃないっす。次は、兵を育てる場所に行かせて欲しいっす」
曹操は短く頷いた。
「それもまた、将のかたちね」
地上では今日も戦が続いている。
だが地下のこの空間では、ただ静かに灯りが揺れていた。
時折、荀彧も訪ねてくる。
玄関口で柳琳に丁寧に挨拶し、茶を一服すれば帳を挟んで華侖と並んで書を読む。
「相変わらず、変わった場所に住んでるわね」
「静かで落ち着くっすよ。……桂花ちゃんも、たまには仮面外したらどうっすか?」
そう言って笑えば荀彧も小さく肩をすくめる。
「貴女が素顔で笑っているのなら、それで十分」
帰り際、灯りの下で互いに視線を交わす。
言葉にしなくとも通じ合う信頼。それはきっと永遠の友情と呼べるものだった。
そして地下の生活は、静かで心地よい日々を送る時間だった