無理やり完結させる恋姫†無双   作:キューブケーキ

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転生者をぶっ殺すだけの簡単なお仕事です

あらすじ

 

目が覚めたら、白い空間で神様に「世界を救え」と頼まれていた。

しかもその神様、ちょっとちいさくて、わりと強引で、異様に目が綺麗だった。

 

 

 

 

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登場人物紹介

 

■ 嗄怜 莱簾(かれい・らいす)

  本作の主人公。元・借金まみれのアラサー。

幼女を助けて轢かれた結果、神様から転生を命じられ、「恋姫†無双」的な三国世界に生まれ変わる。

 

■ 神様

  白い空間で出会った、小柄な神様。

 少し気まぐれで、人間くさくて、なぜか妙に俺の好みに刺さる存在。

 

■ 嗄怜 烏貪(かれい・うどん)

  主人公の兄。洛陽で官吏を務める優等生で、弟想いの常識人。

 

■ 孫乾 (そんけん)/真名・美花(みーふぁ)

  主人公の武術指南役。元は傭兵、のちに侍女ポジに落ち着く。

 

■ 桃香(とうか)

 元・浮浪少女。正体は性別逆転された劉備。

 

 

 

 

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 たぶん俺は間違ったんだと思う。

 後悔はない。けど選択としてはたぶん最悪の部類に入る。

 だって、せっかく新卒で決まった会社の初出勤日だったのに、俺は幼女を庇ってトラックに轢かれた。

 世間はそれを「美談」と言うのかもしれない。

 で、目が覚めたら、そこは──白かった。

 言葉通りの意味で、真っ白な空間。病室でも教会でもない。

 ただ果てしなく白い。ちょっとだけ甘い匂いがした。気のせいかもしれない。

 そして俺はその白い中に立っていた。

 つまりこれはたぶん死後の世界か、あるいは頭がスパークして見てる幻想。

 

「ふむ、それに近いが映画ではないぞ」

 

 声がした。しかも、声の主は──金髪の少女。

 十代前半、いや、もっと幼く見える。清楚で、どこか異国的な顔立ち。

 だけど何よりも目を引くのは、彼女の背後に広がる輪のような光。

 

──神様、なのか?

 

「そうじゃ。我は神と呼ばれておる」

 

 当然のように俺の思考を先読みして答えてきた。そういうチート能力はRPGのラスボスでしか見たことがない。

 

「すまんが今のはやり直しできないか?」

「できぬ」

 

 即答だった。もうちょっと悩んでくれてもいいのに。

 

「お主は幼子を庇って死んだ。その行いを我は尊ぶ。ゆえに第二の生を与えよう」

 

 聞こえはいいけど、転生ってつまり死んだことが前提だ。俺は言い返す気力もなくただ聞いた。

 

「その、第二の生って……何?」

「お主には、『外史』の秩序を守る役目を与える。乱れた歴史を正し過剰に干渉する転生者どもを粛清するのじゃ」

 

 思わず鼻をすする。なんで転生モノっていつもこう、他人の尻拭いから始まるんだろう。

 

「特別な能力とか、ステータス画面とか──ある?」

「うむ。我の手で知識のアップデートはしておこう」

 

 神様の手が俺の額にふれた瞬間、頭の中に一気に情報が流れ込んできた。地図、文字、言語、戦術、地政、宗教、文化。そして──『恋姫†無双』というゲームに酷似した世界観。

 

 ああ、なるほど。あれか。

 

「女ばかりの三国志。……マジかよ」

「お主の役目は、そやつらを守るために他の転生者を討つことじゃ」

 

 目の前が少し揺れた気がした。

 英雄たちがみんな女体化した世界。そこに転生して歴史を守る。

 俺が、か? 冗談じゃない。けれど──俺は頷いていた。

 誰かに「必要だ」と言われたのは、あの日、幼女を庇って轢かれる前に、借金を肩代わりしてくれた同期以来だった。

 

 

 

 

 朝が来るのは早すぎた。

 どれだけ眠っても体が目覚めを拒否している。なのに空の方はまるで待ち構えていたように青く澄み渡っている。

それがまた腹立たしい。

 

莱簾(らいす)様、起きなさい」

 

 その声に、俺は布団の中で反射的に背を丸めた。

 けれど、次の瞬間──。

 

「起きなさい」

「……はい」

 

 見事な直撃だった。布団の上から肘で軽く押されただけなのに、体がふわっと浮き上がる。

 神業である。……というよりこれはもはや暴力だ。

 それでも俺が文句を言えないのは、目の前の人物が俺の守役であり、師であり、侍女。ある意味では──家族よりも近しい相手だからだ。

 

「おはよう、美花(みーふぁ)……」

「ええ、おはようございます。今日は初陣ですから、少し早めに朝食を」

 

 にこりと笑う。

 そう、この人はいつも微笑んでいる。淡く、静かに、けれどどこか突き放すように。

 孫乾(そんけん)。字は公祐(こうゆう)、真名は美花。

 かつては他国に潜り込んで情報を持ち帰る隠密だったらしいが、今は俺の教育係と侍女をしている。

 穏やかでよく気がつくが、自分のことにはまるで無頓着。まったく扱いづらいったらない。

 俺の初陣は、母──幽州の太守である羽笥多(ぱすた)の指示による匪賊掃討だ。

 正確には黄巾の残党と思われる勢力が、廃城を拠点にして周囲の村々を襲っている。

 ここに俺を含む新兵部隊と、もう一人の指揮官林 禮洲(はやし・らいす)校尉が派遣されることになった。

 

「緊張しているのですか?」

「まあ、少しだけ」

「大丈夫。莱簾様なら、きっと皆を無事に帰してあげられます」

 

 その言葉には根拠も論理もなかったけれど、どこか不思議と背中を押された。

 俺に与えられた兵は六十。

 五人一組で伍を組ませ、統制の基本を叩き込んだ。それだけで、「さすがは若様」と持ち上げられるのだから、この国の軍政がいかにザルなのかが分かる。

 敵は三百。俺は兵の配置と矢の使用数、退路と患者の集積地をあらかじめ指示し、「撃て」と命じた。

 ──矢の音が空を裂く。

 百人単位の命を持っていくほどの数ではないが、混乱と恐怖を撒き散らすには十分だった。

 相手の動きが乱れた瞬間、左右に分かれた部隊で突撃する。

 俺は左翼を率いた。

 一太刀で敵の肩口から胸元までを斬り下ろす兵士。その横で、泣きながら倒れる敵を槍で貫く若者。そのすべてに俺は何も言わなかった。

 命を奪う。それが戦だ。

 だけどそれを正義と呼ぶには、何かが足りない。

 

「誰一人逃すな。奴らが逃げれば、次に殺されるのは、お前らの家族かもしれないぞ」

 

 その一言が兵たちの目の色を変えた。

 まったく煽動ってのは簡単だ。

 理想を掲げる暇があれば、現実に刀を振るった方が手っ取り早い。……それがこの国の常識なのだから。

 戦いは半日で終わった。賊は全滅。

 俺は一人の兵も欠くことなく帰還した。

 

「莱簾様、お見事でした」

 

 そう言って頭を下げた林校尉の瞳の奥に、わずかな警戒心が残っていたのは、たぶん気のせいじゃない。

 俺が命じたのは皆殺しだった。情けを捨てて、秩序を守るために人を斬らせたのだ。

 これが俺の初陣だった。

 勝利とは、正しいことをした証じゃない。

 ただ正しく動いたという記録に過ぎない。

 そして俺は、その記録を積み上げていくことでしか天命を全うできないと知っていた。

 勝った、という実感はなかった。ただ、「負けなかった」。それだけだ。

 帰路の馬上で、俺はひたすらに風景を見ていた。血の匂いが消えるにはまだ時間がかかる。

 

「お疲れ様でした、莱簾様」

 

 声をかけてきたのは美花だった。

 陽が傾きかけた夕暮れの道。馬を並べて歩く距離が、思いのほか落ち着いた沈黙に包まれていた。

 

「……ありがとう」

 

 それだけを絞り出すのに、少しだけ時間がかかった。

 

「初めての戦は誰だって混乱します。あの冷静な指示と配分、見事でしたよ」

「そう見えたなら演技成功ってやつだな」

 

 苦笑いのつもりが、たぶん顔は引きつっていた。

 実際のところ足の指先はさっきからずっと震えている。馬に蹴られたわけでも、寒さのせいでもない。

 

「ふふ……莱簾様は、優しすぎますから」

「は?」

「本当に冷たい人なら、家族のために殺せなんて言葉を使わない。そんな言葉で兵を動かしたのは──優しさですよ」

 

 さらりと、美花はそう言った。

 それが慰めか皮肉かは分からなかった。でもそれを聞いた瞬間、喉の奥がきゅっと詰まる感覚があった。

 

「……なあ、美花」

「はい?」

「俺は正義のために人を殺したのかな」

「それは……ご自分で、ゆっくり考えれば良いことです。誰も答えを急かしたりはしません」

 

 自分のこととなると無頓着なこの人が、なぜか、俺の傷だけはきちんと見抜いてくる。それが妙に腹立たしくて、嬉しかった。

 沈黙のまま歩く。

 風が涼しくなって、遠くで誰かが鐘を鳴らす音がした。

 

「……ねえ、美花」

「はい?」

「帰ったらさ、茶でも淹れてくれないか。今日は少し甘いやつがいい」

「かしこまりました。蜂蜜も入れておきましょうか?」

「……うん。たっぷりな」

 

 俺の声はひどく情けなかったけれど、美花は笑って頷いた。

 ──勝っても、救われるわけじゃない。

 でも救われようとすることを誰かが赦してくれるなら少しずつ歩いていける気がした。

 初陣が終わったあと、俺は少しだけまともな人間じゃなくなった気がしていた。

 

「……人を殺してまで守るものに、俺はなにかを賭けていいのか?」

 

 そんなことを考えるくらいには、弱っていた。だから母は何も言わずに一言だけ言った。

 

「──しばらく美花と屋敷の離れに移ってなさい」

 

 それは優しさというよりも、きっと俺を保管しておくような措置だった。

 離れの部屋は、屋敷の中心からわずかに外れたところにあって風通しがよく、光がよく入り、生活音だけが耳に届く。

 

「莱簾様、お茶が入りましたよ」

 

 朝になると美花はそれを言って障子をすっと開ける。いつもよりやわらかな笑みだった。

 

「……ありがとな」

 

 湯気の向こう側で、俺の顔がやっと少しだけほぐれた。

 

「今日は少しだけ風が涼しいようです。お庭に出てみますか?」

「……じゃあ、少しだけ」

 

 俺が頷くと美花は何も言わず、ただ静かに立ち上がる。

 俺の隣を歩くとき、彼女は絶対に半歩下がらない。

 主従ではない位置──誰かとして隣にいてくれる。

 そんな日々が、十日ほど続いた。

 朝食を並べて食べ、昼は庭の掃除や読み物をした。

 夜になると、俺が眠るのを見届けるようにして美花は廊下をすうっと去っていった。

 けれど、ある夜だけは違った。

 

「莱簾様、今夜は──少しだけ、眠れそうにありません」

「……俺もだ」

 

 そのまま、美花は俺の隣に座った。灯りを落とした室内で沈黙は長く続いた。

 

「莱簾様」

「ん」

「私のこと家族とは思っていない、と以前おっしゃいましたね」

「……ああ」

「それでも私を信じていると言ってくれました」

「それは、今も変わらない」

「……ありがとうございます。私はそれが嬉しくて……少し、泣きそうです」

 

 暗がりの中で美花の肩がわずかに震えていた。

 俺はただ一つ、確かな言葉を選んだ。

 

「──俺の帰る場所は、もうここしかないんだ。お前がいなかったら、たぶん俺はただの殺し屋に戻る」

「……では、私がずっとここに居れば、莱簾様も──人でいられるのですね」

 

 その問いに頷く代わりに、俺は彼女の手を取った。

 掌のぬくもりが血の感触を消していくようだった。

 

「ありがとう、美花」

 

 彼女は何も言わず、俺の肩に額を預けた。

 その夜から美花は時々、俺の部屋で眠るようになった。

 すぐ隣に彼女の寝息があることが──生きていることの実感だった。

 これは恋じゃない。でも愛という言葉は、たぶんこういう時に使うのだと思った。

 戦がまた始まるとき俺は彼女の横顔を見て、ひとつ深く息を吐いた。

 この人のいる場所に戻ってくること。

 それを、俺の天命の終わりにしようと決めた。

 

 

 

 

「君たち、ずいぶん面白い夢を見てるんだな」

 

 そう言いながら、俺は火の海になった集落を背にして立っていた。

 風が焦げた茅の匂いを運んでくる。瓦礫の隙間に、まだ赤子の泣き声が混じっていた。

 これは、粛清と呼ぶにはあまりにも感傷的すぎる光景だった。

 ──転生者。現代日本からこの世界に流れ着き、「神様に選ばれた」と自称しながら歴史を私物化する連中。

 世界を救う勇者になった気でいるが、実際には、ハーレムを築き都合のいい戦争ごっこに没入しているただの中二病患者だった。

 

「俺は……選ばれたんだぞ! お前みたいなモブと違って、神に使命を──」

「神? 誰の?」

 

 目を伏せて問うと、男は言葉を失った。

 

「俺が来た理由は一つだけだよ。お前ら漢の安寧を乱す異物を全員、殺すためさ」

 

 そう告げると兵士の一人が槍で男の腹を貫いた。

 ぬる、と血が地面を濡らす。すでに三つ目の集落だった。

 俺は正しいを疑うのをやめた。それをしてると立っていられなくなる。

 ──そんなときだった。

 

「にゃーにゃー……ご飯、くれる?」

 

 声がした。

 振り返ると、木箱の中に少女がいた。

 桃色の髪、ぽやっとした顔、見るからに育ちが悪い。

 そして──胸が妙にでかい。表情は抜けてる。うん、ダメな方のピンクだ。

 

「なにしてんだ、お前」

「お母さんがいなくなって、ご飯食べられなくなっちゃって……だから、猫のマネしてたら誰か助けてくれるかなって」

 

 ものすごく深刻な状況を、まるでファンタジーの導入みたいなノリで言う。

 頭のどこかが確実にバグっている。

 

「……名前は?」

「桃香、っていうの。……君は?」

「それ真名だよな。まぁ良い、俺は莱簾。嗄怜 莱簾。幽州の──まあ、そこそこえらい家の次男坊だ」

「じゃあ、拾ってくれる?」

 

 当たり前みたいに言われた。

 助けてじゃない。拾って。この少女は、自分が誰かの庇護下に入ることを、当然のことのように思ってる。

 

「……しゃあねえな。腹は減ってんだろ。うち来るか?」

「えへへっ、やったぁ。あ、桃饅頭が食べたい!」

「……ねだるな。あるものを食え」

 

 拾うという言葉の軽さが、俺を妙に楽にさせた。

 桃香は俺にとっての誰かの代用品でもなければ、未来の英雄でもない。

 ただ、ここで出会ってしまった責任だった。

 家に帰るなり、門番が露骨にざわついた。

 

「莱簾様が……女を連れて……」

 

 その視線の先で桃香は俺の袖をぎゅっと掴んで、にへらと笑っていた。

「ご主人さま」なんて、地雷ワードを平気な顔で連呼する。

 ──地味に、社会的信用を削る女だった。

 

「これは……どういうことですか、莱簾様?」

 

 その声が思ったよりも近かった。

 廊下の奥、物音もなく現れたのは美花。

 いつもと変わらぬ笑顔。けれど視線だけは、冗談抜きで刃物だった。

 

「……途中で拾った。飢えてたからうちで少し預かる」

「つまり、また保護者になったのですね?」

「また、ってなんだ。俺は人助けが趣味なんだよ」

「……ふふ。そうでしたね」

 

 笑った。けど目が笑ってなかった。

 桃香は気づかず、「お姉ちゃん、胸大きいねー」とか言っていた。

 それがこの後、どれだけ波紋を広げたかは……まあ、説明するまでもない。

 その日の夜。

 食堂で湯気の立つ汁物を前に、桃香はしあわせそうに目を細めていた。

 

「んー、しあわせー。おかわりって、してもいい?」

「一回はな。二杯目は相談だ」

「じゃあ、三杯目は恋人になってから?」

 

 箸が止まった。隣で静かにお茶を淹れていた美花が、「とろみ加減、ちょうどいいですね」と言っていた。

 何の話かは不明。きっとそれで正解だった。

 桃香には、空いている侍女部屋を与えることにした。

 本来は使用人の控室だが文句は言わせない。

というか言うタイプじゃない。

 

「お姉ちゃんの部屋の隣がいいなー」

「お前のお姉ちゃんは誰なんだよ」

「えー、だって、美花さん?」

 

 ぴたり。

 廊下の先で立ち止まった美花が、くるりとこちらを振り向いた。

 やわらかく笑ってはいたけれど、あれは笑顔ではない。

 忍び時代から使い続けてきた「対・尋問用微笑」だ。

 

「私は、莱簾様のお姉さんではありませんよ?」

「えー、じゃあ、お母さん?」

「侍女です」

 

 言い切った。強い。美花、強い。

 だがそれでも、桃香の天真爛漫は止まらない。

 

「でも、美花さんって優しいし綺麗だし、なんか家族って感じ!」

「そう言って侍女に言い寄った人、昔いましたけど──」

「──殺しました、か?」

「いえ、折檻だけで済ませました」

 

 それはそれで怖い。

 その夜。

 自室に戻るとやけに空気が静かだった。

 窓の外では風が鳴っていた。

 俺はそっと布団に入り天井を見上げた。

 桃香の笑顔と美花の沈黙が交互に脳裏をよぎる。

 誰かを守るためにこの世界に来たはずだった。それはたぶん間違ってはいない。

 でも、誰かに懐かれて、誰かに気を遣われて  

 ──そんな中で俺は、少しずつ守られる側にもなりつつあった。

 そして、それが、少しだけ怖かった。

 ──これは、世界を救う物語じゃない。

 誰かの心を踏みにじらずに、生き抜こうとする物語だ。

 俺はまだ守りきれてなんかいない。

 

 

 

 

 戦の終わりは、静かだった。

 銅鑼の音も号令も、血の匂いも──もう、何一つなかった。

 俺たちは山中の詰所にいた。

 本来は軍の連絡拠点。けれど、今はただの仮の宿。

 雨が降っていた。夜更けにしては強く、けれど騒がしくない。

 滴る音が屋根を叩き、俺と美花の間にやさしく流れていた。

 

「莱簾様、もう少し、眠っていても構いませんよ?」

「ん……いや、こうしてる方が落ち着く」

 

 彼女の膝の上。

 そこに頭を乗せたまま、俺はまどろむように言葉を返す。

 

「……美花」

「はい」

「お前の膝、落ち着くな」

「……ふふ。少しだけ、むず痒いです」

 

 彼女は俺の額にそっと手を置いた。

 いつもと同じ穏やかさ。けれど、その手のひらには確かな熱があった。

 

「戦が終わって、次に命をかけるのが誰でもないとしたら──俺はたぶん、お前の手を離したくなくなるな」

「……では離さなければ良いのでは?」

 

 それは反則だと思う。それくらい、やさしい声だった。

 

「……俺が、唯一信じた相手が美花だったのは、たぶん偶然じゃない」

「偶然ではなく──?」

「お前がちゃんと俺の痛みを見てくれたからだよ。俺が泣きたい時、黙って隣にいてくれるのは、いつだってお前だった」

「……それは、私も同じです。莱簾様の隣にいれば、私も何かになれる気がしたのです」

「何かって?」

「……誰かの居場所」

 

 俺は上体を起こし美花と目を合わせた。薄暗い灯りの中で彼女の睫毛が揺れた。

 言葉はいらなかった。

 そのかわり、俺は指先を伸ばし彼女の手を握った。

 細くて、あたたかくて──けれど剣よりも確かに俺を守ってくれる、その手を。

 数日間、俺たちはそこに滞在した。

 天命を一時忘れて、ただの俺と彼女として。

 食事を共にし洗濯を手伝い、座って雨音を聞いた。

 夜になると、彼女は少しだけ近くに寄って、俺の肩に頭を乗せた。

 その時間がどれほど貴重だったか、

 出立の日が近づくたびに、痛いほど分かってしまった。

 

 

「莱簾様」

「ん?」

「またいつか、こういう時間を過ごせますか?」

「過ごす。俺が無理やりにでも作る」

「……なら、待っております。次のただの夜を」

 

 美花はそう言って、俺の胸にそっと額を預けた。

 ──そのぬくもりが、帰る場所の記憶になった。

 俺が人として戻ってくることを許されるのなら。戦が終わり、命のやりとりが終わったあとでも、おかえりを言ってくれる誰かがいる。

 それだけで、もう十分だった。

 

 

 

 決着は、一瞬だった。

 ──なんてことは、当然ない。

 エースと呼ばれた転生者は、徹底して準備をしていた。

 この世界の兵制、物資、地形、天候。すべてをゲームとして最適化し、可能な限り勝利条件を積み上げていた。

 

「君も、元の世界の人間だろう。分かるはずだ。──この世界は、甘すぎる」

 

 戦場の中心で、彼はそう言った。

 美花は俺の背後に控え、いつでも介入できるよう構えていたが──この戦いだけは、俺が決着をつけなければならなかった。

 

「分かるさ。……でも、お前は勝てる理屈ばかり並べて、救える答えを持ってない」

「……!」

 

 剣と剣がぶつかる。足元がずるりと滑る。

 顔をしかめる暇もなく、相手の動きが襲いかかってくる。

 技術では五分五分。体格では完全に劣勢。

 だから──俺は、心で殴るしかなかった。

 

「俺はな、お前らみたいに誰かの物語を壊すためにここに来たんじゃねえんだ」

「じゃあ何だ。君の使命はなんだ!」

「……誰かの物語を守るためだよ。俺みたいなモブが、歯を食いしばって泥をすすることで、誰かが救われる世界があってもいいじゃねぇか」

 

 その一瞬の隙を突いた。刃が走り血が飛ぶ。

 相手は言葉を失ったまま、膝をついて──崩れ落ちた。

 勝った。それだけだった。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 終わった世界は思ったより静かだった。

 夜の帳が降りて風の音すら止んだとき、

 ふいに空間が揺れた。

 ──そして彼女が、来た。

 

「やれやれ。最後までよく頑張ったの」

 

 あの日と同じ白い服。あの日と同じ光を帯びた髪。

 でも──今の彼女は、ずっと近くて、ずっとやわらかかった。

 

「……なんだよ。来るの、遅ぇよ」

「すまぬすまぬ。現界するには、少々手間がかかっての」

 

 彼女は何も聞かずに俺の手を取った。

 温かかった。

 もうそれだけで心の奥がじわりと滲んだ。

 

「……なあ、神様」

「なんじゃ」

「俺……ちゃんと、天命ってやつ、果たせたのかな」

「果たせておる。十分すぎるほどにな」

 

 それを聞いた瞬間、何かが壊れた。涙が出た。

 俺は、情けないくらいに、しゃくりあげながら、神様の小さな胸元に顔を埋めた。

 小さな体。やわらかな手。全部が赦しに満ちていた。

 

「──っ……ぁ、っ、くそ……」

「よしよし。よう泣いた。おぬしはよく生きた。──よく人間として生き抜いた」

 

 夜が明ける頃、神様は俺に問いかけた。

 

「これからどうしたい?」

「……甘やかされたい」

「ほう」

「ずっと。できればずっと。命令も戦も天命もなしで、ただ生きたい」

 

 その言葉に彼女は──神様は、満足そうに微笑んだ。

 

「よいぞ。……たまには報われるべきじゃろう」

 

 夜の風が止む。

 世界はまだ続いている。

 けれど俺の戦いはここで終わった。

 次に始まるのは、俺だけの物語だ。

 その中心にあるのは、たぶん──

いま、俺の隣で静かに笑っている、このちいさな神様と、心配そうに控えている美花だけだ。

 

 

 

 

 俺は縁側にいた。

いつから座っていたのかも、正直わからない。

 隣には、彼女がいる。

 ──ちいさな、あの神様。ただの一人の女の子だ。

 

「お茶、いるか?」

「うむ。砂糖は……二匙で頼む」

「甘いの好きだったっけ?」

「疲れた者には糖が必要じゃ」

「……誰が疲れさせたと思ってんだよ」

「ふふ。おぬしじゃよ?」

 

 返す言葉もなかった。

 ここは誰にも知られていない家だ。

 小さな離れ。庭には花が咲いて、風が通る。

 台所も、風呂も、寝床もある。

 そして──戦だけが、ない。

 

「……退屈じゃないか?」

 

 俺がそう訊くと、神様は少し考えて首を横に振った。

 

「戦がないということは、心が静かということじゃ。心が静かであることは、そばに誰かがおる証じゃ」

「……詩人かよ」

「うむ。我は神じゃからな」

 

 やわらかく笑った。

 あの日、白い空間で出会ったときとはまるで違う、人間くさい微笑みだった。

 生活は、のんびりしていた。

 朝起きて、神様が寝ぼけながら俺の布団に転がってくる。

 台所で湯を沸かし、二人分の飯を作る。

 午後は本を読んだり、庭の掃除をしたり──ときどき昼寝。そんな日々。

 特別なことは何もない。

 だけど神様が肩にもたれかかってくるとき、俺は何度でも思った。

 ──これが欲しかった。

 戦功でも、天命でも、正義でもなくて。

 ただこんな時間だけが、ずっと欲しかったんだって。

 ある夜。神様はぽつりと言った。

 

「我は、こうしておぬしと生きることが、夢だったのじゃ」

「……そっか」

「最初はな、使徒としてお主を選んだのも、誰かに必要とされたかっただけだったのじゃ。けれど今は──おぬしに、必要とされていたい」

 

 その言葉が、やけに深く染みた。

 俺は彼女の手を取って、そっと握った。その手が、あたたかいと思えたことが、たぶん人生で一番の奇跡だった。

 神様はその後、俺の肩に寄りかかって何も言わずに眠った。

 

 

 

 

 

 俺と神様の過ごす時間は、どこかで忘れてきた心の部品を、少しずつ拾い集めるような日々だった。

 朝、二人分の茶を淹れて。昼、庭に落ちた葉を拾って。夜は、彼女が髪を梳かしてくれる音を聞きながら眠った。

 それは戦場では決して得られなかった赦しの時間だった。

 

「もう、よいのか?」

 

 神様は、俺の肩にそっと額を預けて聞いてきた。

 

「──ああ、もう大丈夫だ」

「ならば、行くがよい。

 おぬしの帰るべき場所へ。……我は、ここで待っておる。どれだけでも」

 

 言葉を返す代わりに、俺は彼女の手を握った。

 温かかった。それだけで、ちゃんとさよならになった。

 幽州は変わっていなかった。

 人の目も、空の青さも。──ただ一つだけ違っていたのは、俺自身だった。

 俺は莱簾として、人として、生きて帰ってきた。

 屋敷の門をくぐると、古い侍女が目を見張って走っていった。

 何も言わずに中庭を歩き、あの離れの廊下に立つ。

 障子の向こうには誰かの気配があった。

 俺はそっと戸を開けた。

 ──そして彼女は、そこにいた。

 陽の当たる縁側で本を閉じたまま、まっすぐに俺を見ていた。

 

「……莱簾様」

「ただいま、美花」

 

 一拍の間。

 それから彼女はわずかに目を潤ませて、けれど泣かずにそっと立ち上がった。

 

「おかえりなさいませ」

 

 その声が何よりも強く、何よりもやさしく、俺の心を迎えにきた。

 ──戦は終わった。天命も終わった。

 それでも、生きている限り、命をかけるものはある。

 今の俺にとってそれは、この屋敷と庭の風と──そして美花という名前の、たった一人の他人だった。

 

「おかえりなさいませ」

 

 その声が胸に落ち着く前に、彼女の体が、こちらに飛び込んできた。

 ──美花が抱きついてきた。

 力強くもなく、弱々しくもなく。ただ確かに「帰ってきた」という事実を、体温で伝えるように。

 少しだけ戸惑ってから、俺は彼女の背に腕を回す。

 

「……ごめんな。待たせた」

「いいえ。待つことは私の意思ですから」

 

 俺の胸元に顔をうずめたままそう呟く声が、ほんのすこしだけ震えていた。

 こうして抱き合っても、彼女の方がまだわずかに背が高い。

 頬を寄せたとき額が彼女の肩に触れる。

 ──いつか、きっと追いつく。

 そんな約束も、口にしなくていいと思った。

 

「……莱簾様。お顔、見せてください」

「今?」

「はい。夢じゃないことを確認したいので」

 

 言われるままに顔を上げると、美花の瞳と目が合った。やわらかくて、澄んでいて、それでいてどこか決意めいた光をたたえていた。

 

「おかえりなさい。──本当に」

 

 その言葉に、ようやくここが俺の帰る場所なんだと、胸の奥で確信できた。

 再び寄り添ったとき俺は小さく呟いた。

 

「……次に出るときは、俺が守る側で行くよ」

「……楽しみにしています。でもそれまでに、私が少しだけ縮むかもしれません」

「いや、それは困る。……いまの高さがちょうどいい」

「ふふ……では、わたくしもこのまま待ちます」

 

 その言葉は、これからの時間をくれる約束だった。

 そしてふたたび寄り添った彼女の肩に俺はそっと額を預けた。

 ──彼女より少し小さいこの瞬間すら、いつかきっと懐かしくなるのだろう。

 終わった物語のあとに、新しく始まる物語がたしかに芽吹いていた。

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