烈戦記   作:語部館

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第十一話 ~殿~

 

 

 

『…おかしい』

 

私は月明かりに照らされた丘の上でそう呟いた。

隣では私のこの呟きが聞こえていたであろう奴宮が敵陣内を鋭い眼光で睨みながら沈黙を貫いていた。

多分、彼もまたこの違和感を感じているのだろう。

 

いったい我々は兵に敵陣を攻めさせてからどれくらいが経つ?

既に丘の裏にいた兵士達は全員導入し、今や2000いた兵士は護衛を残して極わずかしか側にいない。

しかも、敵陣にいたであろう2500~3000の同数以上の兵に対して決死をもって当たらせたはいいが、思いの外弱兵ばかりで勝利は時間の問題だとばかりに思っていた。

 

…だが、未だに敵陣内では土煙や怒号が鳴り止んでいない。

 

『私が見て参ります』

 

隣にいた奴宮が私の気持ちを察して戦場視察を申し出た。

今は夜戦。

仮に私達が見晴らしのいい丘の上にいたてとしても、遠目から得られる情報は限られてくる。

 

『…うむ』

 

私は彼の提案を飲んだ。

 

『では暫しお待ちを』

 

彼はそう言うと手綱を握りしめて馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 

敵陣内に近付くにつれてまず見えたのは味方勢の兵達の後姿だった。

どうやら陣内に散らばっていた敵兵は粗方片付けたようで、皆が一方向を目指して剣を抜いているようだ。

その光景に味方の優勢を確認しひとまず安堵した。

 

続いて感じたのは違和感だった。

状況を見れば既に敵はこの陣の約七割を奪われ、残る兵士で抵抗しているのはわかった。

だが、こんな状況で残っている兵士なんぞは十中八九殿に残された兵士だろう。

その殿というのは退却する兵士を出来るだけ逃がす役目を負うわけだから、当然全体の兵士の一割二割といったところだ。

更にその全体の兵士なんぞはたかがしれている。

陣内の敵兵の死体を見れば想像はつく。

だが、陣内に着いてみると味方勢の数にはまだ余力はあれど、どうにも進みが悪いようだ。

 

では、何故そんな少数の相手にこうも味方勢の押し込みが緩いのか?

それが感じた違和感だった。

私は兵士達に馬を近づけた。

 

『おい、お前』

『え?はっ、奴宮様!?』

 

目の前の兵士は私の姿に驚いた様子を見せた。

だが、それを差し置いて私は話を進めた。

 

『残る敵の数はどれほどか?』

『はっ。多分500そこらかと…』

『何?』

 

500…も残したのか。

これだけの被害を出しておいて殿に500も割いているという事実に私は少し驚いていた。

だが、されど500。

それだけの兵士なら私達の兵力を持ってして轢き潰せない数ではない。

私は改めて兵士に聞いた。

 

『…して、その500相手にどうしてこうも味方勢は手を拱いておるか?何も敵が強兵揃いな訳ではあるまい』

『そ、それが…』

 

『いえ、残る兵士は皆強兵揃いにございます』

『ん?』

『あ!牌豹様!』

 

話しに割って入って来たのは私の変わりに部隊の指揮を任せていた我が副将牌豹だった。

彼は冷静さや慢心といった点ではまだ甘いが、その若さと武術の腕を買って私の片腕として使っていた武官だ。

 

だが、そんな彼が敵兵を見て"強兵"と言うのには少し違和感があった。

現に我々より兵を有していながら、敵は早々に崩れ、被害を出し、そして今この陣を放棄するに至っているのだ。

そんな状況で彼のいう言葉は鵜呑みにできるものではなかった。

私は彼に問うた。

 

『…強兵揃いとな?』

『はい。彼らはどうやら本隊とは別に戦力を有していたようで、少数ではありますがその練度は本隊とは比べられぬ程に良く成されているようです』

 

成る程。

もしそうであれば、全体に対しての殿の比率がおかしかった事には頷ける。

…だが。

 

『ふむ…敵が弱兵では無いのはわかった。だが、それでも高々500であろう?そんな少数相手に我が方が手をこまねく道理にはなるまい』

 

そうだ。

幾ら強兵とはいえ数は数だ。

それに我が方も練度が低い部隊では無い。

相手の練度が高かろうが、我々と余程の大差がついているとも考えられない。

私は再び牌豹に問うた。

 

『…これを』

『ん?』

 

だが、彼はその問いにまず出したのは言葉では無く槍であった。

 

『…これは』

 

だが、その槍は先端の刃を失った柄の部分だけだった。

一瞬その意味が良くわからなかった。

 

『…敵将との一騎打ちで負けました』

『…』

 

私はそこでやっと理解した。

これが彼の言う敵将との一騎打ちで刃を失った槍だとという事を。

そして、それを見せてきた彼が何を伝えたいのかを。

 

『…敵将の名は?』

『わかりません…』

『…ふむ』

 

彼は若干下を向きながら唇を噛み締めて悔しそうにしていた。

どうやら一騎打ちに負けた事、そしてそれを報告するのが悔しかったようだ。

 

私は彼の性格や槍の腕は良く知っている。

槍を国で競わせれば多分一位二位を争う腕は持っているだろう。

だが、それに若気が加わり、彼はどうにもそれを必要以上に誇る癖がある。

そんな彼が一騎打ちで負け、そして自分の得物さえも奪われてしまったのだ。

その悔しさは相当なものだろう。

だが、これはいい機会だ。

私の副将として、そして未来の蕃族を背負う若者としてこの経験を生かして慢心を捨て、更に精進してもらいたいところだ。

 

…だが、今はそんな事も言っていられる状況では無いらしい。

まだまだ若いとはいえ、槍の腕は確かな彼が純粋な武で大差をつけられたのだ。

きっと余程の敵がこの先にいるのだろう。

そしてそれ程の腕を持つ人間に私は心当たりがあった。

 

『…牌豹よ。行くぞ』

『はっ!』

 

私達は兵士達を掻き分けてその先頭を目指した。

 

 

 

 

 

 

『フンッ!』

 

ザシュッ

 

『でりゃぁぁ!』

 

ドガッ

 

『ひっ…!』

『どうした!蕃族に腕のある奴はおらんのか!』

 

最前線では敵味方の乱戦の中馬に跨りながらその巨身に違わぬ薙刀を振り回している凱雲の姿があった。

その刃に触れた物は得物ごと真っ二つに引き裂かれ、一振りで何人もの人間が宙に浮かぶのが見えた。

そして返り血を浴びながら雄叫びをあげ、兵士達を薙ぎ払うその姿は正しく"悪鬼"のようだ。

 

『…噂では聞いていたがこれ程とは』

 

そして私はその光景に一人の武人として畏敬とも呼べる感覚を覚え、言葉をもらしてしまっていた。

 

『え?奴宮様は奴を知っているのですか?』

 

隣について来ていた牌豹が私の言葉を聞いて聞いてきた。

 

『あぁ…噂でだがな。お前は奴と戦って負けたのだろう?』

『は、はい…』

『なに、落ち込む必要は無い。彼は別格だ。お前は北の鬼神についての噂は知っておるか?』

『え?確か三人の鬼神が北にはいるとか…』

『彼はその内の一人だ』

『え!?』

 

牌豹の予想通りの反応に心地良さを覚えた。

そうだとも。

まさかとは思ったが牌豹が彼と対峙していたとは。

だが、生きている事自体が運がよかったのかもしれない。

今目の前で薙刀を振るう彼を"鬼神"と呼んで違和感を覚える人間など何処にもいないだろう。

 

『…どうりで』

 

牌豹が隣でボソリと呟いた。

 

『ふっ…』

『なっ!』

 

そんな姿に私は笑みが零れてしまった。

普段はあれだけ慢心に慢心を重ねて、上司の私の言葉にすら耳を傾けないあの牌豹が、今素直に目の前の出来事に感心しているのだ。

彼の慢心に日時眉を寄せていた私としてはこれ程に透いた気分になれた時は無い。

隣ではそれに気付いた牌豹が顔をみるみる赤くしているのがわかった。

まったく…。

手が掛かる息子程可愛いいとは良く言ったものだ。

 

だが、それも最後になるかもしれない。

私は緩んだ口元を引き締めて牌豹を見返した。

 

『なぁ、牌豹よ』

『…なんですか』

 

牌豹は私の様子の変化に気付いたのか赤く染めた表情を引き締め直した。

 

『私はこれから奴に一騎打ちを仕掛ける』

『や、奴にですか…?』

『なんだ?私では役不足とでも言いたいのか?』

『い、いえ!そんなつもりじゃ…』

 

彼は直様顔を背けた。

 

武人としては敵の将よりも武で劣っていると言われるのは何より悔しい事だ。

だが、今回ばかりは牌豹の見立ては正しいだろう。

私では彼の足元にも及ばない。

それは奴の今尚続く戦働きや、牌豹を打ち破った実績によってわかる。

牌豹と私の腕の差は前までは私の方が上であったが、最近手合せは無くなっているものの、歳による腕の訛りと彼の武術の成長を見る限り、既に抜かれているだろう。

 

そんな事を私の一番目近で働いてきた牌豹がわからないわけがない。

牌豹は何とも言えない表情をしていた。

 

普段は人の話しを聞かない癖に一丁前に人の心配はしおって…。

 

だが、それでも私には奴に挑まなければいけない理由があった。

 

まず第一に、兵士達の士気だ。

私が到着するまで彼らはこんな化け物相手に勇気を振り絞って挑み続けていたのだ。

普段の訓練や将と兵との信頼の現れと言ってしまえばそれまでだが、それももう限界であろう。

現に、兵士達は私が来てからはそれまで苦悶と恐怖に歪ませた表情を期待と安堵の表情に変えているのだ。

これでは仮に兵の被害を顧みずに再びあの鬼神への突撃を命令しようものなら、彼らはきっと私への、また国への信頼を落としてしまうだろう。

更に、一度絶望から救ってしまった兵士達だ。

安堵に染まった彼らを再び決死の覚悟にさせるには並々ならぬ力が必要だ。

そしてそんな力を持つ者など、私はおろか、どこの国を探したっている訳が無い。

人の心とはそういうものだ。

しかし、だからと言ってこのまま何もせずに奴らを逃がせば、それはそれで我々蕃族の名誉に関わる。

だからこそこの一騎打ちには我々の、そして奴らの引き際になるという意味を持つ。

 

そして二つめの理由は私自身の問題だ。

既に私に限界が来ている事は少し前から知っている。

訓練時に馬に跨れば、馬を制御する為の手綱に力が入らない。

久々に訛った感覚を取り戻そうと薙刀を握ってみれば、それまでは小枝のように感じた得物にズッシリとした感覚を覚えるようになった。

そんな老いを感じる状態で北国との戦が始まってしまったのだ。

私はきっと昔程の成果を残す事は出来ないだろう。

そして、それは国の重鎮として、そして古参としてはプライドが許さない。

私はこの戦を戦い抜くには、余りにも歳をとりすぎてしまった。

だからこそこの戦。

武人として老害に成り果てるより、私は最後の数少ない戦場で華々しく散りたい。

それが出来なければ引き際を見極めて大人しく隠居しなければならない。

それだけは嫌だ。

そしてその散り際にこの戦は持ってこいだ。

死に際に意味を持たせるのは難しい。

だが、今回は偶然にもその意味ができていた。

 

『牌豹、もし私が負けた時はそのまま兵を引き上げ、形道晃様に有りのままの出来事を伝えろ。いいな?』

『…奴宮様、それはつまり』

『なに、もしもの時の為だ』

『…』

 

牌豹は私の意図を察したのか、何かを考えるように押し黙ってしまった。

多分牌豹の事だ。

私が一騎打ちで負けを見越した上で奴に挑むのは分かってはいるが、何故そんな一騎打ちにわざわざ挑むのかは分かってはいないだろう。

だが、これはもう経験の差だ。

こればっかりは牌豹自身が兵を束ねる一軍の将にならねば理解は出来ないだろう。

 

『そりゃぁ!』

『あっ!』

 

私は牌豹が次に発するであろう静止の言葉が出る前に馬を走らせた。

 

 

 

『凱雲!』

『む?』

 

私は薙刀を脇にしっかりと挟んで動かない凱雲の前に飛び出した。

 

『そなたは確か…』

『あぁ、そうとも。私は八年前のあの場にいた者よ』

『…そうか』

『よもや主らから同盟を裏切るとはな…』

『…』

 

凱雲はその言葉に表情を曇らせた。

別に本心で攻めているつもりはなかった。

多分凱雲達は否が応でも従わなければ行けはかったのは想像がつく。

だが、仮にそうだったとしても我々蕃族が一度でも彼ら北国と共に歩もうとした事。

その事実がどれだけ重く、そして大きかったのかだけは知っていて欲しかった。

そしてもし、今後北国と蕃族がもう一度共に歩もうとした時、二度とその誓いが崩れないようにしたかった。

そんな期待を込めての言葉だった。

 

『凱雲よ…。行くぞ』

『…』

 

凱雲は悲しそうな表情のまま馬上でその大薙刀を自らの頭上高くに振りかぶる体制をとった。

 

『あ!奴宮様!』

 

そして後ろからは牌豹の声が聞こえてきた。

それから察するにあの構えこそが彼の恐ろしさなのだろう。

だが、そんな事は改めて言われないでも私に慢心は無い。

私の生涯の全てを乗せてこの一瞬にかける。

 

私も自らの薙刀を後ろに構えた。

 

 

『我が名は奴宮!いざ!』

 

 

そして私は馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

奴宮という老将との一騎打ちは一瞬だった。

というのも、彼の腕が私に大差をつけられていたわけではない。

かの老将は正しく決死の、引くを顧みないその構えからの一撃を持って挑んできた。

そして、それは正しく彼が一流の"武人"であった証であった。

これは命のやり取りの場である戦場、また一騎打ちにすら今後の余生を根元に置いてしまう並の将ではできないものだ。

彼はきっと私との格付を既に見定め、そして尚挑んできた。

だからこそのあの一撃だったのだろう。

そして、格付を終えて尚挑んできたその理由もまた一流の"将"だった。

周りで見ているだけの敵味方の兵には到底わからないかもしれない。

だが、私は彼が最後に見せた"武人の散り際"を死ぬまで忘れないだろう。

 

『…見事なり』

 

私の口からは自然とその言葉がもれた。

そして馬を返し改めて振り返るその老将の亡骸に私は左手で畏敬の意を現した。

 

"武士とはかくありたいものだ"

 

私は閉じた瞳の奥でこの老将の様に先は余り長く無くとも、きっと武人の名に恥じぬ散り方をしようと自分に言い聞かせた。

 

 

そして、感慨に浸るもそこそこに私は彼がその命を持って残した意味仕上げの為に瞳を開いた。

 

 

 

『他に我に挑む者はあるか!』

 

私はいつの間にか敵味方共に静まり返っていた戦場で声を張り上げた。

そしてその声に皆一様に時間が動き出したかのようにざわめき始めた。

既に決着は着いていた。

だが、幕引きこそしっかりやらねば、きっと今この瞬間に起きた出来事に水を指しかねない。

私は敵側に戦意が無いことをしっかりと味方や敵自身に確認させた。

 

『引くぞ!』

 

そして私は終えた戦場からの撤退命令を味方へ出した。

しかし、味方方も味方方で敵味方わからない程に入り乱れた戦場の中、ついさっきまで目の前で命のやり取りをしていた相手を前に堂々と背を向けて引くことへの抵抗があるのか、とても困惑したような表情を皆がしていた。

 

しかし、それを見て私は直様馬を返し、ただ一人自国領側の村の出口へ馬を歩かせた。

すると、皆一様に慌てたようにゾロゾロと撤退を始めた。

それを確認して私は心の中で安堵した。

 

"今回の戦も生き残れたか"と。

 

 

 

『待て!』

 

だが、現実はそうあっさりとは終わらせてくれないようだ。

 

『…』

 

私は馬を返さずに後ろ目で声の主を見据えた。

 

そしてその声の主は、あの豪帯様を探している時に出くわした牌豹と名乗る敵の若武者だった。

しかし、その彼は俯いているのか顔に影がかかっていて、表情が見えない。

 

『…』

 

だが、彼と対峙した時の状況や味方の将を討ち取られて呼び止める辺り、怒りやそれに似た感情を私に抱いているのは安易に想像できた。

そして、今にも斬りかかってきそうな程のその殺気に今討ち取った将との関係も推測できる。

多分歳からして師弟の関係か。

 

"その歳で自分の師を討たれるのはさぞ辛かろうに"

 

同情。

だがそれも一瞬だ。

ここは戦場。

敵として出会えばたとえそれが友であっても斬るが習わし。

そして、師の仇討であるならば自らの力を持って仇を討つのもまた習わし。

 

"ではどうする?

今この場で私に挑むか?"

 

私は薙刀を握る右手に再び覚悟を籠めた。

 

 

『…次は…』

 

だが、彼の口から出たのは"次"という言葉だった。

そして俯いて影になっていたその顔から雫が地面に零れ落ちた。

 

 

 

『次は…負けない…ッ!今度…ッ!今度出会ったその時、貴様のその首貰い受ける!』

 

彼はそれを川切りにここが戦場であるにも関わらず赤児の様に目を真っ赤にしながら涙を流し始めた。

その姿に周りの敵味方の兵達は皆呆気にとられていた。

 

 

"戦場で男児が涙とは…"

 

私の初めの印象もそれだった。

その涙ながらの言葉すら状況が状況なだけに敗軍の将の負け惜しみにしか聞こえない。

本来ならば敵への侮蔑と嘲笑の意味を籠めて鼻で笑ってやるところだ。

 

…だが、私は彼にそれができなかった。

その理由は、彼が私情によって引き際を誤らなかった事だ。

どんなに歳を重ねた将であっても身近な者を殺されて、そしてその仇が目の前にいるのにそれを逃がすというのは難しい事だ。

それを彼は、涙を流しながらも必死に堪え、そして師が命を賭して残した引き際を受け入れたのだ。

 

勇将の元に弱兵無し。

 

そんな言葉が浮かんだ。

 

 

私は彼に背を向けたまま残りの兵を束ねて陣を後にした。

 

 

 

 

 

 

敵陣に奴宮を向かわせて幾分か経つ頃、それまで鳴り止まなかった謎の怒号と剣激の音は鳴り止んだ。

それも異様な程に突然。

 

"奴宮が何かをしたのか"

"または奴宮に何か起きたのか"

 

両者の対極的な結果に私は不安を覚えていた。

 

それというのも、彼は蕃族諸将の古参組の中でも特に歴を重ねている老将だ。

それも、本来ならば既に隠居をし、次世に家を託し余生を過ごす身であって、決して今回の様に軍を率いていいような人間では無いのだ。

しかし、今回の戦は平時の時に起きた完全な不意打ち的な戦ゆえ、それまで戦時の常識で隠居が決まっているはずの奴宮は偶然にもその隠居が有耶無耶にされていたのだ。

そんな彼が急な有事という事もあり同じ部隊の中で馬を並べるに至るのだが、当然私は彼を陣頭に立たせるつもりは毛頭なかった。

そしてそんな彼が敵情視察を申し出たから"視察"を目的として敵陣へ向かわせたのだ。

そして、その直後にこの異変なのだ。

奴宮がこれに関わっていないというのは考えにくい。

 

『…』

 

しかし、私は少数の護衛と共に敵陣から離れた丘の上にいる。

当然事実はわからない。

 

私は奴宮の身に何も無いことをただ祈った。

 

 

 

『奴宮様は…見事な散り方で戦死されました…ッ!』

 

だが、帰ってきた兵士達と共に伝えられた奴宮の安否は最悪の結果だった。

 

『…』

 

だが、私は涙を必死に堪えながら自分の師の死と散り際を伝えるこの若者を前に何も言う事ができなかった。

だが、別に悲しい訳ではなかった。

寧ろ私を含め、彼の死で悲しみを背負う者は少なく無いだろう。

彼はそれだけこの国の為に長く尽くしてきてくれた重鎮なのだ。

だが、かの若者牌豹が伝える彼の最後を聞いていると、何とも彼らしいというか、寧ろ彼にとっては平時の隠居という道よりも遥かに幸せな最後だったんじゃないかとさえ思えてしまうのだ。

私は周りが悲しみに暮れる中ただ一人密かに長きにわたる戦友奴宮の冥福を祈っていた。

 

『…以上が、奴宮様の最後でした…ッ』

 

牌豹が奴宮の見事な散り際の報告を終えた。

皆一様に沈んだ空気の中で涙を流していた。

 

『…そうか。惜しい人物を無くした』

 

私は皆とは少し冷めた位置にいたが、それでもとなけなしの言葉で彼の話をしめた。

 

『…刑道晃様は悔しくないのですか?』

『…何?』

 

だが、この言葉が気に入らなかったのか牌豹が喰ってかかってきた。

 

『は、牌豹様!』

『悔しく無いんですか!』

 

牌豹は周りの兵士の静止を聞かず、私の眼前へと迫り出てきた。

彼の目は真っ赤に腫れ上がっていた。

 

『あなたは確か奴宮様とは長い付き合いでしたよね!?なら、何故涙を流されないのか!』

『牌豹様!落ち着いて!』

 

牌豹は数人の必死な兵士達に引っ張られるように私から距離を離した。

牌豹を抑える兵士達の表情は真っ青だった。

それもそのはずだ。

私と牌豹とでは王子と一武官の副将という差がある。

本来ならこのような行為は打ち首にされてもおかしくない行為なのだ。

静まり返っていた辺りが一瞬で騒然となった。

 

『悔しく無いんですか!』

 

だが、それでも尚牌豹はその矛先を失った怒りや悲しみを私に怒鳴り散らしていた。

 

…まったく、奴宮の奴め。

話では聞いていたが、飛んだ置き土産を残していきおって。

 

私は兵士に抑えられても尚暴れる牌豹へ近寄った。

そして、先程牌豹が迫って来た時と同様に牌豹の眼前へと迫った。

すると牌豹は気押されたのか顔を引いた。

 

 

周りが一気に凍りつく。

これからいったいどんな罰が牌豹様へ加えられてしまうのか。

牌豹を含め皆一様に固唾を飲んだ。

 

 

『…そなたは私に悔しく無いか、と言ったな?』

『…』

 

牌豹の表情は血の気が引いたように真っ青になっていた。

多分自分の犯してしまった愚行に今更気付いたといった所か。

これが聖人君子なら全てを無しにしてやる所なのだろうが、私としてはそうはいかない。

それはただ単に私の逆鱗に触れたからとかではない。

今正に戦というものが始まってしまったからだ。

しかも、自分達よりも遥かに強い相手とのだ。

それはつまり、我々が生き残る為には十二分の力を持ってして当たらないといけない。

当然そこに甘えが入る余地は無い。

私は父上の跡取りとして、そして一軍の将として先頭に立って信賞必罰を成す為、上と下の線引きをしっかりする必要がある。

 

『悔しいに決まっておろうが』

『…ッ』

 

私は冷たく突き放すように言い放った。

 

『私は誰よりも奴宮と共に戦場を渡り歩き、また私事についても共に酒を酌み交わして来た。それを副将ごときにとやかく言われる云われなど毛頭無いわ…ッ!』

 

私はできる限りドスの聞いた声で、そして淡々と脅すように牌豹へと話した。

牌豹は話の途中で既に私の目を見る事ができなくなっていた。

 

場はこれ以上に無いくらいに静まり返っていた。

牌豹自身にもそうだが、既に周りにも十分に牌豹の立場を示せただろう。

そろそろ罰を言い渡す頃合いか。

 

『…なら』

『ん?』

『なら何故…』

 

だが、牌豹の口からは思わぬ言葉が飛び出した。

 

『何故貴方は、そんなにも飄々としていられるのですかッ!?』

『…』

 

辺りが更に凍りついた。

本人の顔色も真っ青だ。

だが、それでも尚真っ直ぐと私の目を見て訴えてくるこの若者。

 

そんな若者に対して私は素直に呆れていた。

こいつは本当にあの奴宮の下に居たのかと。

 

信賞必罰は絶対。

それをそこなえば軍紀が緩む。

軍紀が緩めば兵は弱くなる。

それは軍に関わる人間なら誰しもが理解し、そして守り通していくものだ。

当然その軍紀の根源には上下関係というのが存在する。

 

だが、彼はそんな軍の線引きすら飛び出して私に喰いついてくる。

しかも、既に自身にその罪が降りかかり、また私が周りにも十分に理解できるようにそれを罪だと示した後にだ。

さらに用兵にかけては軍中で秀でていたあの奴宮の副将がこれなのだ。

いったい彼はどうして彼を副将に選んだのか。

私は内心苦笑いをしていた。

 

だが、もう一つ私には彼に抱く感情があった。

 

『それはな…』

 

『奴がお前を残したからだ』

『…え?』

 

それは彼の肝玉の太さや若さへの素直な称賛と期待だった。

 

『確かに奴宮の後釜としては些か以上に足りないものは多いようだが、お前が奴宮の仇を取るのだろ?』

 

そうだ。

今は戦時に突入する重要な時期。

だが、そんな時だからこそ彼の様な若くて勇気のある人間が必要じゃないのか。

今この国の大事を扱う人間は13年前まで前線で戦っていた歴戦の勇将達。

されど13年もの年月によって歳をとった古参老将達ばかりだ。

彼らはいずれ自らの役を誰かに渡さなければいけない。

そんな状況で未来ある若者を失ってもよいのだろうか?

こいつの場合は些か深慮には劣るが、それは私達が導いてやらねばいけない。

それが、国の未来の為なのだ。

 

『どうなんだ?』

『…え?あっ、えっと』

 

そして何よりあの奴宮の奴が後事を託していった若者なのだ。

ならば、彼以外に奴宮の代わりは務まらないのだろう。

私は奴宮を信じて彼を使う事にした。

 

『も、勿論です!必ずや凱雲の首をとってきます!』

『では、戦の中でかならず凱雲の首をとってまいれ。それで今回の失態を無しとしてやる』

『は、はい!』

 

だが、落とし所はしっかりとせねばならない。

私は牌豹に罪の償いを約束させた。

 

辺りは今のやり取りで一気に緊張が緩んだのか安堵の空気に包まれた。

だが、本当はここからが大変なのだ。

 

我々蕃族は形はどうであれ、再び北の大国"零"と戦をしなければいけないのだ。

幸い13年の平和な月日の中で国の内需は整った。

軍備だってしっかりと有事に備えて蓄えてきた。

兵も屈強。

あとは、私達がどれだけ勇戦できるかにこの国の存亡がかかっている。

もう、豪統殿のような変わり者は今後数百年この国には現れないだろう。

だが、だからこそ彼が残してくれたこの機会を生かして私達は自らの血を誇り、蕃族の地位を盤石にしなければいけない。

もう他国には頼れない。

私達は私達の道を進まなければいけない。

 

 

『皆の者!良く聞け!』

 

私は緩みきった空気の中で一際喝を込めた声で辺りへ叫んだ。

それによって兵は皆異質な雰囲気を察して再び静まり返る。

 

『これより晏城へと戻り、これからの北国との大戦に備え、守りを固める!』

 

大戦。

そうだ。

これから再び北との長い戦の日々が始まるのだ。

 

『平和は終わった!もう一度言う!平和は終わったのだ!』

 

もう偶然の平和は訪れない。

だからこそ、今度は私達で万年の平和を作るのだ。

 

『皆、再び気を引き締めよ!』

『オーッ!』

 

 

屈強な男達の雄叫び。

しかし、その雄叫びはどこかさみし気に、そして悲し気に私には聞こえた。

 

そんな雄叫びに包まれた村跡地でただ一人夜空を眺めた。

だが、その空は既に夜空というには不十分な程に明るさを取り戻しつつあった。

 

 

夜が終わる。

平和と共に。

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