――約束したんだ。必ず、お母さんの所へ連れて行くって。


帝都アガスティアの動乱終結後、グラン達はシェロカルテ主導の復興業務に
駆けまわっていた。
天真爛漫なアーミラに振り回されながらも共に歩むグラン達。
久々の休暇で訪れたアウギュステ列島で、新たな物語が動き出す。






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本編第一部~第二部の空白期を埋める形のお話になります。

もともと渋で連載してたのですが、このたび月末のオンリーで文庫にする事と
なりまして、こちらにも投稿する事に致しました。

文庫版は加筆と挿絵が入るので、これとは若干異なりますが。


それでは、グラン達の新たな1ページをどうぞ――


アウギュステの迷い猫

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 風が渡る。

 

 あの日少年の心に灯った果てない冒険への夢は、数奇な出会いを経て大空へと伸び、強く風を掴んだ。

 

 幾多の出会い。

 幾多の別れ。

それらは少年の瞳に様々な物を見せる。

 

 喜びも怒りも涙も全て巻き込んで、ファータグランデを行く風のように。

 

 騎空艇は少年の夢を乗せ、今日も駆ける。

 

 

 

 

 

 

[chapter1:陽だまりの休日]

 

 計器の数値に目をやりながら込み上げてきた欠伸を何とか抑え込み、眼前に広がる雲海に目をやると、それがうっすらと光を帯び始めて行くのが見てとれる。

 夜明けが近いのだ。

 数日前に少し大きな依頼を片付けた僕たちは休暇と補給、それと船の整備の為にアウギュステ列島に向けて進路を取っている。

 航海は概ね順調で、予定では今日の昼頃には港に着く算段だ。

「まとまった休暇が取れるのも久しぶりだなぁ」

 三か月ほど前に、アガスティアを中心に在ったエルステの帝政が崩壊した。

 動乱のさなか、元凶たる皇帝は行方不明。

 その下で秘密裏に暗躍していた宰相も失脚し、空域全土を巻き込んだ一連の衝突は一応の決着を見た。

 けれど、戦争は軍事行動が止まればそれで終わりと言うわけではない。

 旧王都であるメフォラシュにおいて新政権が動き出した事により、ファータグランデ空域では政治・外交のみならず通商事情にも大きな変動が起こっている。

 動乱後の混乱を抑え復興が出来るだけ円滑に進むようにと、シェロカルテ商会を中心に新しい通商ルートの確保、復興に必要な建築資材や食料品に関する価格帯の調整交渉等が整備され始めており、僕らは暫くの間シェロの手伝いで各地を回っていたのだった。

 ガコンとドアが開き、大きく伸びをしながら無精髭の操舵士兼騎空艇オーナーのラカムが艦橋に入ってくる。

 どうやら交替の時間のようだ。

「おはようラカム」

「おう、おはようさん。特に異常は無えか?」

「うん、計器も問題無いし天候もいいし進路方向にも異常無しだ」

 一通りの報告をして僕は席を立ち、替わりにラカムが操舵席に座る。

「順当に行けば昼にはミザレアの港に着くだろう。近くなったら起こしてやるからお前さんは寝ていていいぞ」

 そう言ってラカムは煙草に火をつける。

「ありがとう。それにしてもアウギュステも久々だね。カッタクリさん達、元気かな」

「ハッ、あの島の漁業関係者は殺しても死なねえタフなオッサンばっかりじゃねえか。心配するだけ損だ。損」

「はは……そうだね」

 アウギュステはこの旅を始めて以来何かと縁のある島で、水の星晶獣の加護を受けた美しい島だ。

 僕らは仕事や観光問わず何度も訪れたことがあり、顔見知りも多い。

 特に漁業関係者には世話になった人が多く、休暇中に彼らと再会できるかもしれない事は僕が楽しみにしている事の一つだった。

 

「さて、と」

 ラカムに後をお願いして艦橋を離れた僕は、自室に戻る前に甲板に出た。

 アウギュステ周辺空域は比較的温暖な気流とは言え、早朝のひんやりとした風に思わず身震いする。

 朝日に染まる雲海の絶景を独り占めと思ったのだ。

 しかし、甲板にはどうやら先客が既に一人。

 朝日に照らされ、彼の振るう長剣と白金色の髪が燃えるような金色に見える。

「おはようアルベール、随分と早起きだね」

 僕が声を掛けると、

「……む、グランか」

 こちらに向き直った剣士は流れるような所作で剣を鞘に収めた。

 こんな時間から素振りでもしていたらしい。

 剣士の名をアルベールと言う。

 彼は余り自分の過去の多くを語らないのだが、某国の騎士団出身であると話してくれた事がある。

 故有って国を出て旅をしていた折に僕らと知り合い、何やら思うところあったのか以後こちらの旅に同行してくれている。

 神業の様な剣の腕前で、ウチの騎空団では正直一対一の剣術試合でこの人に勝てる人なんて居ないし、帝国との決戦の最中にも何度か彼が本気で剣を振るっているのを目の当たりにしたけれど、正直速過ぎて剣の軌道を目で捉えきれる気になれなかった。

 時々稽古を着けて貰ったりもしているけれど、彼から一本取れる様になるにはどれ程修練を積まなきゃいけないやら、気の遠くなる話だ。

「昨夜は寝ずの番だったんだろう?眠らんでいいのか?」

「さっきラカムと交替してもらったから、これから一眠りさせてもらうよ。お昼くらいには多分アウギュステのミザレアに着くから、それまでね」

「そうか。ならばゆっくり休むといい。俺はもう少しここで稽古をして行く。どうも年々起きるのが早くなってきて二度寝もできそうにないからな」

 ……見た目色男の割に言う事がたまにおじさんぽいんだよな。

 そんなツッコミを入れると決まって『誰がおじさんだ!』なんてムキになって否定するので言わないのだけれど。

 僕はアルベールに手を振って船内に戻った。

「ふう、流石に徹夜は堪えるな」

 自室のドアを開けると途端に睡魔が襲ってくる。

 ベッドに腰掛けた僕はそのまま仰向けに倒れこんだ。

 ええと、街に着いたらとりあえず船の修繕を手配して。

 水と食料と雑貨を買い付けに行って。

 ああ、先に商業組合の方に顔出してシェロからの手紙を届けなきゃ……それから……。

 天井を見上げながら上陸後の予定を考えていたものの、眠気には勝てずに僕の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 夢を見ている、と言う認識を持って夢を見る事は珍しい。

 幼い頃の自分が、ザンクティンゼルの生家で竜の子供ビィと遊んでいるのが見える。

 一緒に絵本か何か読んでいるみたいだった。

 ビィは竜族だけれど、人と同じ言葉を操り、文字も読める不思議な竜だ。

 長い時を生きた高位の竜族には人と同じ言葉を理解する者もいるけれど、子供のうちから人語を話す竜と言うのは非常に稀だ。

 物心ついた時から彼は僕の一番の友達であり、兄弟でもあった。

 どちらがお兄さんかって言ったら多分先に生まれたのはビィの方だろうからビィの方がお兄さんなんだろうけど、ビィは昔と姿が全く変わらないし性格もやんちゃなままなので村の皆に聞いたら、今じゃ逆に見えるって言うかもしれない。

 ともあれウチは父さんが頻繁に旅に出て家を空ける事が多かったし、最後に会ったのさえもう年何も前だ。

 近所の人達も何かと手助けしてくれたけれど、父さんが長旅に出てから僕が家族と呼べる存在はビィだけだった。

 僕は、母さんの顔を知らない。

 父さんからは、何も聞かされていない。

 母さんがどこの国の何と言う人で、どんな人だったのか。

 今も生きているのか。

 既に死んでいるのか。

 その辺りはビィも知らないみたいだし、村の人達も知っているのか知らないのか、終ぞ僕が旅に出るまで誰も教えてくれる事は無かった。

 こうなるともういよいよ空の最果てに行ってしまった父さんをとっ捕まえて本格的に尋問しないとわからないので、正直なところこの先もわからないままかもしれないと思うようになった。

 やがて夢は次々と場面を変えて流れていく。

 全てが動き出した旅立ちの日。

 超常の存在、大星晶獣との戦い。

 そして空域を巻き込む帝国の動乱。

 ファータグランデでの旅を続けるうちに色んな人達の生き方をこの目で見てきた。

 平和な都市で穏やかに暮らす、絵に描いたような幸せな家族も居た。

 戦乱で傷付いても、魔物に国を荒らされても、強い絆で結び付いて歩み続けた人達も居た。

 僕は王様でもなければ政治家でもないので、国全体の平和を守るとか言う話は正直よくわからないし出来るとも思わない。

 けれど、少なくとも僕が見てきた人達は互いを絆みたいなもので守りあっていた様に思う。

 帝国に囚われていたルリアにとって世界の景色を一変させたのは、国を捨ててまで彼女の自由を守り抜いたカタリナさんだ。

 どこか達観して本音を見せなかったロゼッタさんの心を溶かしたのはどこまでも本音でぶつかっていくイオだった。

 オイゲンも黒騎士さんとの長年のわだかまりを少しずつ解消していってる様に見えるし、リーシャもモニカさんの信に応えるため偉大な父と言う目標を追って頑張っている。

 僕は人が人と支えあう、目には見えない不思議な力を信じたいと思うし、そう言う人達には微力であれ出来得る限りの力を貸していきたい。

 あの日、空より高い空から降ってきた彼女も、きっとまだ見ぬ母親との絆を信じているのだから。

 

 

 

 目を開けると、目の前に人の寝顔が在った。

「…………」

 起き抜けで状況がよく掴めない。

 何だか、ほんのり甘い香りがする。

 淡い桃色がかった長い髪の……少女。

「――うわあぁっ、アーミラっ⁉」

 予想外の状況に思わず跳ね起きる。

 自分の顔が一瞬で真っ赤になっていくのがわかる。

 何しろ相手は年頃の女の子だ。

 知らない顔ではなかったが、知ってる顔なら良いと言うものではない。

「……んん……」

 心臓をバクバクさせている僕をよそに、心地よさそうに寝返りをうって、おまけに涎まで垂らしている。

「……お肉……お魚……えへへ」

 食い意地の張った寝言に思わず脱力してしまった。

 彼女は、アーミラと言う。

 今から一年ほど前、ある空域を飛行中のグランサイファーに、突然彼女は上から『落ちて』きた。

 一体どこから落ちたのか、落下の衝撃か何かでそれ以前の事をよく覚えていないらしく、彼女の素性を知る手掛かりはまるで掴めなかった。

 ただ、どこにあるのかもわからない『ヘルヘイム』と言う地に居る母親を探していると彼女は言い、空の最果て星の島イスタルシアを目指して各地を旅する僕らの旅に同行する事になったのである。

 彼女は天真爛漫でよく笑い、よく怒り、よく食べ、よく眠る。

 眉目秀麗な顔立ちからはちょっと想像できないほど表情豊かで、奔放な立ち振る舞いは時に子供の様に危なっかしくもあった。

 親探しと言うどことなく自分の境遇と通じる物を感じた僕は、以後彼女の力となる事を決めたのだ、が。

「アーミラ、ねえ起きてよ、アーミラ」

 未だ夢の中で食事中らしいアーミラを起こすべく、肩をゆすって声を掛ける。

 この状況を誰かに目撃されるのはマズい。

 誓ってやましい事はしていなくとも、上手く言えないが大変マズい気がする。

「う……ん……ふあ……あれ?……グラン……?」

 目を擦りながら欠伸をしている。

 もう……『グラン……?』じゃないよまったく……。

 どうにもこう、やや世間ズレしている部分は否めない。

「どうしてアーミラが僕の部屋で寝てるんだ……」

「んー……朝御飯の時グラン居ないなーって思ってラカムに聞いたら部屋で寝てるって聞いたから、持ってきた」

 見るとテーブルの上に食事が乗っている。

「最初はね、起きるの待ってたけどグラン中々起きなくて」

「……うん」

「何か気持ちよさそうに寝てるなあ……って思ったから」

「……うん」

「寝た」

「……うん……うん?」

 いや……最後の部分おかしいだろう。

 置いといてくれたら後で食べたのに、と言いかけてテーブルの上の食事に目をやる。

 そこで、パンもスープも僕一人分にしては量が多い事に気が付く。

「あれ?……もしかしてアーミラも朝御飯まだ食べてないの?」

「うん、まだだよ」

「どうして?お腹減ってたんでしょ?」

「お腹は減ってたけど……」

「……けど?」

「グラン、一人で御飯になっちゃうよ?」

 そして、ぱっと笑顔になり、

「御飯は誰かと一緒の方が、美味しいが沢山になるんだよ」

 アーミラの発した台詞にちょっと面食らってしまい少しの間の後、僕は思わず吹き出してしまった。

 今の言葉はアーミラと旅をする様になって間もなく、団に馴染めておらず一人甲板でパンをかじっていた頃の彼女に僕が言ったものだ。

「はは、参ったな」

「……?」

 小首を傾げるアーミラに、

「いや、何でもないよ。ありがとう。じゃぁ、一緒に食べようか」

「やった!いただきます!」

 言うが早いか飛び起きて彼女はパンにかぶりつく。

 僕も彼女の向かいに座り、朝食を摂ることにした。

 スープは冷めてしまっていたけれど、満面の笑顔で頬張るアーミラと食べる食事はとても美味しいと感じた。

 

 

 

 以前訪れた時とは違いアウギュステの観光シーズンは少し前に終わっていて、ミザレアの街の賑わいも幾分落ち着いているように見えた。

 船のメンテナンスをラカム達に任せた僕は、ミザレア中心部にあるアウギュステ商工協会にシェロからの書状を届けた後、雑貨の買い出しと食料の買い出しに班を分けて市内を廻っていた。

「ねえグラン!これも美味しいよ、ほらほら!」

 買い込んだ荷物で両手が塞がっている僕の口に、アーミラが露店で買った串焼きを次々に突っ込んでくる。

「ひょんひゃにひゅへないっひぇふぁ(そんなに食えないってば)」

 アーミラは加減を知らないのでうっかりすると串が喉に刺さりかねないからこちらとしたらヒヤヒヤ物だ。

「ふむ。香辛料関係がもう少し必要だな」

 串焼きの強制お替りを必死で回避しつつもごもごやっている僕の横で買い出し品のリストにチェックを入れているアルベール。

 こう広い商店街だと個別の店を探すのも一苦労するところだけど、こちらのグループには強力な戦力が付いている。

「香辛料と調味料のお店は……見つけた、こっちよ」

 ソーンさんが先頭に立って人混みを縫っていく。

 千里を見通す神眼と、千里を射貫く神弓の使い手だ。

 とある事情から偶然手にした古代の武器『二王弓』をめぐる騒動をきっかけに出会った全空に名高い最強無敵のお姉さんが僕達一行に付いてきてくれているのにはどんな気紛れがあったのか。

 その辺りには未だもって謎が多いのだけれど、

「ねえねえグラン君、この後バターも買い足しておきたいのだけれど。さっきお肉も玉葱もマッシュルームも買ったし、船の調理場で仕込んであるサワークリームも今朝見たらいい感じだったし、今夜は頑張ってビーフストロガノフ作っちゃうんだから」

 ……どうも人々の噂に上る『十天衆のソーン』の姿とは大分かけ離れているらしい事は一緒に旅をしていて実感している。

 何だか美男子揃いで有名な楽団のレコード盤やら公演の時のパンフレットとかいくつも持っていたし流行りものに敏感な様で、もしかしたら仲間内では一番俗っぽいのかもしれない。

 ラカムやオイゲンに言わせると、ああいう感じの性格を『ミーハー』って言うらしいけれど。

 

 そんなこんなで。

 当面必要な物資を一通り買い付けた僕らが港に戻る途中。

 アーミラがいきなり足を止めたので危うくぶつかりそうになる。

「っとと、……どうしたの?」

 アーミラは一点を見つめて動かない。

 視線の先を辿っていくと、旧市街へ向かう川に架かる橋の脇、ゴンドラ船の船着き場近くに小さめの箱が置いてあるのが見える。

「……何か、居る」

 そう言い終える前に橋の方に駆け出した。

「……居る?」

「ああー、あれは確かに居るわね」

 アーミラとソーンさんにはあそこに在る(この場合『居る』と言うべきか)物が何か見えている様だが、僕とアルベールには流石に箱状のような物しか見えていないので慌ててアーミラの後を追いかける。

「グラン!これ!」

 僕らが追い付くと、置いてあった木箱を持ち上げたアーミラがこちらに向き直る。

 ……ああ、これは確かに『居る』だな。

「ワン!」

 仔犬である。

「……仔犬か」

「仔犬ね」

 おそらくまだ一歳に満たない茶色のぶち模様のある仔犬が、木箱に敷き詰められた毛布から顔だけ出している。

「ねえキミ、何でこんな所に居るの?」

「クーン?」

 アーミラは何やら仔犬に話しかけている。

「ねえねえグラン、この子は何でこんな箱に入ってるの?ここに住んでるの?」

 余程特殊な環境の土地で育ったのか、アーミラは俗世と言うか、人間社会の仕組みそのものに疎い。

 世の仕組み等に疎い彼女にどう説明したものだろうか。

「……いや、その、この仔犬は多分……捨て犬なんだ」

「捨て犬?」

「何て言ったらいいかな……。人と一緒に暮らしていたんだけど、一緒に住んでいた人間が何かの事情でそれが出来なくなって、それで……ここに置かれたんだと思う」

「……キミ、お家無いのか」

「……キュウン」

 奇妙な会話が成立し始めているのか同じタイミングで意気消沈している。

「うーん、手紙でも入ってればと思ったけど、捨てた飼い主の手掛かりになりそうなものは特に無さそうねえ」

 箱の中を覗き込みながらソーンさんが言う。

 しかしこれは困ったな。

 生まれ持っての野良犬と違い、人の家で飼われていた仔犬が捨てられた場合、その先無事に生きて行ける可能性は著しく低下する。

「全く無責任な飼い主も居たものだな。こんな仔犬が放り出されたらどうなるのか想像もできんのか」

 アルベールはやれやれと言った風に肩をすくめた。

 ミザレアのような都市圏では愛玩動物として飼われる犬は大半を宅内で過ごす場合が増えているらしいので、正直こんな場所に野生のかけらもない仔犬の身で捨てられてはたまったものではないだろう。

 僕らの会話を聞いて暫く何事かを考えていたアーミラはやがて僕の方に仔犬の入った箱をずいっと近付けてくる。

 ああー……、まあやっぱりそうなるよね。

「グラン、この犬――」

「……連れて帰りたい、って言うんだろう?」

「だめ?」

 ……犬と一緒に見上げて来るんじゃない。

 どの道言い出したら聞きそうにないし、孤独な身の上故にそう言った事に心を動かされやすいのは充分過ぎる程理解できた。

「僕も一緒にお願いしてあげるから、まずラカムに話を通す事。それからこの子の世話をちゃんとする事」

「やった!良かったね!」

「ワン!」

 仔犬の箱を持ったまま飛び跳ねている。

 騒々しい休暇になりそうだなと、日の暮れ始めた空を見上げてアルベールが苦笑いした。

 

 正直僕はラカムが難色を示すんじゃないかと思っていたのだけれど。

「やれやれだな、全く。ウチのお嬢さん方は怖いねえ」

 どうやら小動物に心を奪われた女性陣の有無を言わせぬ圧力に気圧されたらしい。

 餌やりや掃除をきちんとする事と航海の安全上機関室のある区域には近付けない様に廊下に柵を設置する事を条件に、仔犬の乗船は許可される事になった。

 とりわけルリアとイオなんかはもうすっかり気に入ってしまったらしく、代わる代わる延々撫でまわす始末だった。

 軍出身のカタリナさんは「上手く躾ければ、狩猟等で活躍できるのではないか」みたいな事を大真面目にリーシャと話していたけれど、あの野生のカケラも無い、撫でまわされる能力特化みたいな小型犬に何を期待しているんだろうか。

 ああ、ビィなんかは逆に舐め回されて涎でベトベトになってしまって辟易していたからビィにだけは効果覿面かもしれない。

 まぁそんな感じで船の同居人(?)が増えたまでは良かったが、僕個人的には非常に由々しき懸念事項が発生している。

 一つは、機関室エリアから最も遠く、何やかんや空きスペース等の観点からあの犬の居室が当面僕の部屋になった事。もう一つは――

「こら!ダメだろ!」

 ……廊下をバタバタと騒がしいのが近付いてくる。

 『彼』が出入りするため半開きにしてあるドアから全身ずぶぬれの仔犬が駆け込み、僕の膝の上に飛び乗ってくる。

「うわっと」

 ああ……冷たいよ。

 もう僕のズボンまで……。

 その後からブラシを持った髪も服も泡まみれのアーミラが突入してきた。

「グラン!『だんちょー』捕まえてて!私は『だんちょー』をお風呂に入れなければいけないんだ!」

 ……。

 まぁ、お察しの通り。

 『だんちょー』とは団長の意味ではあるが僕の事ではない。

 今僕の膝上に鎮座しているお犬様に付けられた名前だ。

 ルリアが「何かグランに目つきが似てると思うんです」とか言い出したせいで女性陣を中心に謎の盛り上がりを見せ、「ムスッとした時の顔が似ている」だの何だのと散々な言われようだった。

 あまりに皆のツボにハマったのか危うくそのまま僕の名前を奪われそうだった所をどうにか役職の方を献上する事で事なきを得たのだ。

 ……自分で言ってて悲しくなってきた。

 しかし捕まえててとは言われたものの、捕まえようにもヘタに動けばすぐ逃げそうだぞ。

「あー……アーミラ、その……ほら、そこら中水浸しだし、アーミラもずぶ濡れだし」

「……だんちょー、大人しくして。キミは、私が洗うんだ」

 うーん、目が血走ってるなぁ……。

 船旅に於いて衛生面に気を遣う事は必要な事とは言え、事情を知らない団長(仔犬)は風呂で洗われるのが余程嫌なのだろう、アーミラの方に身構えて警戒している。

「…………」

 にじり寄るアーミラ。

 身構える団長。

「…………」

 両者の睨みあう事しばし。

「お風呂に……入れ!」

「ワン!」

 団長を捕獲しようと飛び掛かるアーミラ。

「うわっ」

 一瞬速く団長(犬)が僕の膝の上から頭の上に飛び移る。

「させない!」

 アーミラはそのまま返す刀で捕まえようと上に向かって手を伸ばし――

 結果、団長を無理矢理空中キャッチした体制のままのアーミラが飛び込んでくる事になり、僕はアーミラを受け止めたまま勢いで後方に倒れ込む格好になった。

「む、ぐ」

 丁度様子を見に来たラカムが部屋を覗き込んで来たが、

「まぁ……その、何だ。若ぇのはいいが……程々にな」

 はたはたと手を振って出て行ってしまう。

「待ってくれ、誤解だ!」

 アーミラに圧し掛かられた状況で誤解も何もないと言われればそれまでだが、その時の僕が絞り出せる言葉はそれだけだった。

 ああ、でも、しかし。

 確かにそれは何というか、とても柔らかいものなのだなと思った。

 

 

 

 ソーンさんの郷土料理と言う夕食は皆に好評で、ソーンさん自身会心の出来だと終始自慢げだった。

 何でも、彼女の故郷周辺を昔治めていた領主ストロガノフ候とか言う人に由来する料理なのだとか。

 肉と玉葱とサワークリームの取り合わせは絶妙でアーミラとルリアが高速でお替りを繰り出していたが、オイゲンなどは『このシチュー美味えな』等と言っていたから細かい区別がつかなかったようだ。

 食後にカタリナさんが『今度是非ご教授願いたい』とか指南を頼んでいたので、こればかりは命に代えても阻止しなければならないと何人かと目配せしたのは秘密である。

 ソーンさんの気遣いで有難かったのは団長(犬)用に、薄い味付けの鶏肉のスープを別に作って冷ましておいてくれた事だ。

 人間と同じ食べ物の残飯を与えたりする印象があったのだが、あれはどうも犬の胃袋的にはあまり宜しくないらしい。

 幾つかお犬様レシピを教えてくれたので、今後は僕でも作る事は可能だろう。

 団長は用意された食事を一心不乱に平らげて、今は僕の部屋に戻ってアーミラとまた取っ組み合いでじゃれあっていた。

 僕はと言うと机でこうして航海日誌を書きつつ、僕のベッドの枕が犬の爪で引っ掛かれたり、シーツが引き裂かれたりしていく様を只々哀しみと共に横目で見届ける事しかできない状態である。

「ねえ、グラン」

「何?」

「だんちょーのお母さんて、どんな犬なんだろうね」

 団長を『高い高い』しながらアーミラがポツリと呟く。

 仔犬が捨てられていたくらいだ、母犬が元気で幸せに暮らしているとは想像しにくい。

 けれど、それをアーミラに伝える事は酷な気がした。

「うーん、その子が茶色のぶち模様だから、同じ模様かもしれないな」

 だから、僕はそんな当たり障りのない返事しか返せない。

「あはは、そっか」

 団長は仔犬の体力ではしゃぎ疲れたためか、アーミラに頭を撫でられて大人しく目を細め始めている。

「ねえ、グラン」

「うん?」

「ならさ、私のお母さんも、私に似てるのかな?」

「……アーミラ」

 思わず日記を書く手を止めてしまう。

 そうか。

 船に落ちてきたショックか何かで記憶があやふやだって言ってたけど、それはつまり母親の顔も思い出せないって事なんだな。

 それでも会いたいと言う思いと、何処とも知れない地『ヘルヘイム』に行けば会えると言う謂わば根拠のない確信だけを支えに、諦める事無く生きているのだ。

「そうだね。アーミラに似て、元気いっぱいのお母さんかもしれないなあ。よく笑って、よく怒って、よく食べて、よく――」

「……ねえ……グラ……ン」

「……」

「会える……かな、お母さん……に」

 アーミラの方を見ると既に半分夢の中の様で、抱え込んだ団長と共に小さな寝息を立て始めていた。

「……きっと……」

 僕は、只の騎空士だ。

 よくある冒険小説の主人公の様な、世界を滅ぼす悪い魔王を退治する一騎当千の勇者様でもなければ、国を治める立派な王様でもない。

 僕がどんなに頑張っても、両の手で掴める人しか助けられない。

 けれども――

 だからこそ――

 目の前に映る人一人の力になる事だけは、絶対に投げ出さないって、決めたんだ。

 何よりエルステとの戦いで絶望的な状況にあっても、持ち前の明るさで隣に立って戦ってくれたアーミラが笑っている姿を、例えイスタルシアを目指すこの旅が終わった後でも見ていたいと言う思いが、僕の中に芽生え始めていた。

「連れて行くよ、アーミラ。君のお母さんの所へ。だから、一緒にヘルヘイムへ行こう」

 眠りに着いた彼女に毛布を掛けた所で、自分の独り言に急に気恥ずかしくなってきた僕は、慌てて椅子に座り直して航海日誌の続きを書き始めたのだった。

「……寝る場所……どうしよう」

 秋の初め、アウギュステの夜は更けていく。

 

                                                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水のにおい

 

      砂のぬくもり

 

             貝殻のこえ

 

 風のおと

 

     星のひかり

 

          お母さんのて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[chapter2:宿り木]

 

 ――まずい。

 身動きが取れない。

 思考も上手く働かない。

 息苦しさに目を覚ました僕は、視界が開けない事に違和感を覚えた。

 これは、一体何だろうか。

 顔に何か、ふかふかした柔らかいものが覆いかぶさっている。

 確か僕は……そう、遊び疲れて僕のベッドで眠ってしまったアーミラに毛布をかけて航海日誌を書き終えた後、自分の寝床をどうするか頭を悩ませることになったんだ。

 アーミラが僕のベッドで眠ってしまったからと言って、僕がアーミラのベッドで眠るわけにもいかない。

 とは言え表で寝るのも間違いなく風邪をひく。

 そう言う経緯もあって結局、予備の毛布だけ取り出して床で寝る事にしたんだった。

 ……つまり、その。

 この部屋には僕とアーミラが居て。

 僕の顔に覆いかぶさってるとても柔らかい、けれど程よく弾力のある、もふもふとした…………もふもふ?

「…………」

 僕はその存在の事を思い出し、顔に圧し掛かった『それ』を引き剝がした。

「……お前か」

 そこに居たのは茶色いぶち模様の仔犬。

 ミザレアの街に捨てられていた所を買い出しで街に出ていた僕らが拾い、この騎空艇で飼うことになったのだ。

 名前は『団長』と言う。

 ……団長である。

 目つきが似ているとか言う理由で危うく『グラン』と名付けられそうだった所を苦肉の策で回避した結果なのだが……。

「それにしても寝相の悪い犬だなあお前」

 引き剥がされて宙ぶらりんの状態でもまるで起きる気配がない。

 元の所に戻そうと団長を抱え上げて立ち上がると、アーミラはアーミラで僕が掛けておいた毛布をものの見事に蹴っ飛ばし、あまつさえベッドから上半身だけがずり落ちている有様だった。

 何と言うか、これはこれでもう曲芸の域ではないだろうか。

「ああもう……!」

 流石にこれも放置すれば体調を崩しかねないし、この状態に毛布だけ掛けるのもそれはそれで可哀そうと言うものだ。

「アーミラ、風邪をひくよ、アーミラってば」

「……うー……ん……」

 ゆすっても小さく呻くだけだ。

 ……こちらも動かざること山の如しか。

 それならそれで、そもそもこんな体勢にならないで欲しいものだが。

 とりあえず団長を枕の上に寝かせ、今度は爆睡しているアーミラを抱え上げる。

 幸せそうな寝顔だが口の端からはしっかり涎を垂らしていた。

 また食事の夢でも見ているのだろう。

 僕は思わず苦笑して、

「魚は美味しいかい、アーミラ」

 眠っているアーミラにそんな言葉を投げかけて、ベッドに下ろそうとしたその時だった。

「……もどりかつをぬす!待てー!」

 夢の中であの巨大魚でも捕まえようとしたのか、いきなり前方を抱え込もうとその腕が動き、僕はそのままアーミラにしがみつかれる様な形で倒れ込む。

(ちょっと、アーミラ!苦しい苦しい死ぬ死ぬ死ぬ!)

 夜中で騒ぐわけにもいかなかったので小声で何とかアーミラを起こそうとするが彼女は依然夢の中。

 余談だが、アーミラはその細腕に反して団内最強の怪力を持っている。

 その力には彼女が持つ特別な魔力が起因しているのではあるが……今はそんな悠長な事を言っているうちに僕が天に召されかねない。

 どうにか自分の首とアーミラの腕の間に自分の腕を差し入れて空間を確保し、絞め殺されるだけは回避したが、それ以上は最早どうにも逃げられそうになかった。

「ふへへー……かつおぬすー……あるばこあー……」

 この上なく呑気な寝言が至近距離の蠱惑的な唇から漏れ出てくると言う状況と、寝ぼけたアーミラに締め殺されるかもしれないと言う極限状態が同居する中、彼女が起きるまでの間、色んな意味で命の危険と戦う事となったのである。

 

 翌朝甲板で項垂れていた僕の肩をポンポンとラカムが叩き、諭す様に言った。

「まぁ……その……ナンだ。若気の至りも程々に、な」

「断じて違う!」

 僕の弁解は、虚しくアウギュステの空に吸い込まれて行く。

 

 

 

 

 ミザレアからやや北西、地理的な意味でのアウギュステ本島中心部にバルハと言う地域がある。

 元々は郊外の漁村だったが、その砂浜の美しさと波風の削り出した雄大な景観を売りにこの十年程でアウギュステ観光業の主軸となった。

 夏場は休養地としてファータグランデ中から観光客が訪れるが、海水浴のシーズンも終わり秋になると人影もややまばらになりつつあった。

「よお、騎空士の兄ちゃん達……よぉく生きて帰って来やったなぁ……!心配しちょったきに……!」

 宿に着くと、懐かしい顔が出迎えてくれた。

「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

「馬鹿を言うなぁ、坊主が一丁前の口利くようくじゅうて……十年早いぜよ」

 そう言って笑いながら僕の肩をバンバンと叩く。

 年月を重ねた眼尻には小さく涙が見える。

 そうか、最期に会ったのアガスティアに乗り込む前だったもんな。

 カッタクリさんはこのバルハ近郊の漁村で最高齢の漁師だ。

 これまでに釣り上げた大物は数知れず、地元はおろか、アウギュステ中の漁業関係者で知らない人は居ない。

 シェロから聞いた話では、僕らが去年漁の手伝いをした時期から間もなく遠出の漁からは退いたらしい。

「お魚釣るの止めちゃったって聞いて心配してたんですよ!」

 以前から懐いていたルリアは再会の嬉しさで飛び付いたりしている。

 孫でも可愛がる様にルリアの頭をポンポンとやりながら、

「まぁカツウォヌスみたいな遠出の大物釣りはなぁ。去年腰痛めてからは控えちょった」

 漁協の若手が育ってきた事もあって、ぼちぼち後進に道を譲ると言うことらしい。

「けんどシェロの嬢ちゃんから宿の方でおらの包丁の方を振るってくれって話になってなぁ。最近はここの板前の方が本業になっちゅうが」

 慰労も兼ねて宿を手配してくれたのはシェロだったけれど、ここもシェロの経営する宿だったのか……。

「なんつーか、もうどこで何を買ってもアイツの掌の上って気がしてくるな」

 ラカムと僕は顔を見合わせて苦笑するしかなかった。

 

 カツウォヌスを始めとした地元の魚介を使った料理は素晴らしいの一言だ。

 タタキに煮魚焼き魚、吸い物揚げ物より取り見取りである。

 カッタクリさんの料理は、優れた料理人だった今は亡き奥さんから継承したと言う知識と技術に裏打ちされた確かな物だ。

 特に彼が出す料理に使われる『味噌』『醤油』と言った調味料はファータグランデには元々無かった他空域由来の『東方文化』の産物らしく、このあたりの文化圏の僕らはこれまで殆ど触れる事のなかった味付けだ。

 そのお陰もあって宿の人気は上々とのことだった。

 僕などはどれから手を付けていいか逆に迷ってしまったほどである。

「いくらでも食べられますね!」

 地酒を旨そうに味わっているロゼッタさんとカタリナさんの横で、ルリアが猛烈な勢いで海鮮丼をお替りしていた。

 さっきから時折イオがルリアの口元を拭いてやり、インターバルを挟んだ食の獣が再度動き出すと言った光景が繰り返されている。

 いつも感心するのだけれど、あの量の食べ物があの細身の一体どこに吸い込まれているんだろうか……。

 かと思えば僕の隣ではアーミラがカツウォヌスの塩焼きに頭からかぶりついている。

「アーミラ、カツウォヌスは骨が大きいから丸かじりはしなくていいんだよ……」

「もご?」

 一方我らが団長(犬)はと言うと、煮魚を薄味で作って貰ったものをソーンさんが冷まして食べさせてくれていた。

 この人は本当に細かい気遣いができる人だなぁ。

「でも、貸し切りだなんて豪勢な話よねえ。私もシェロとは長い付き合いだけれど、あの子本当に底が知れないわ」

 ハーヴィン族は一見しただけでは年齢がわからないので実際シェロカルテが何歳なのか僕は知らないし、女性にそれを聞くのははばかられる。

 各国の政治経済の中核に対するあの人脈の広さと、それを相手取りながら着実に影響力を拡大する卓越した商才は一朝一夕でものにできるとは思えないし、実のところ身内で一番謎が多いのは彼女かもしれない。

 何にせよ、アガスティアの動乱が決着してから戦後処理の手伝いで走りっぱなしだった僕らにとっては願ってもない労いと言えた。

「ほらほらグラン!これも美味しいよ!」

「ふぉーふをいひふぁひふっふぉふふぉひゃひぇひゃやい(フォークをいきなり突っ込むのやめなさい)

 ……アーミラからの労いは少しばかり力押しが過ぎるとは思うのだけれど。

 

 

 

 明来る日、僕らはそのまま海岸で思い思いに羽根を休める事となった。

 泳ぐには少々涼しくなっているとは言え、普通にしている分にはまだまだ薄着で問題ない陽気だ。

 逆にシーズンが過ぎて海水浴客がいないのをいいことにオイゲンとラカムは昨年もやっていたサーフィンとか言う波乗り遊びに興じている。

 曰く、多少海水が冷たくても関係ないらしい。

 ルリアとイオはカッタクリさんに釣りを教えて貰うと言う話になって、保護者のリーシャ、ロゼッタさん、それとカタリナさんもそれに付き添って、堤防の方でワイワイやっているらしい。

 ルリアの頭の上にパタパタ羽ばたく小さい影が見えるからビィもそっちに行っているようだ。

 そして僕とアーミラ、ソーンさんとアルベールの四人及び団長はどうしているかと言うと。

「ほら、アーミラちゃん。あの岩の間の水溜まりに蟹が沢山いるわよ」

「おおー……変な動き」

「ワン!」

 家事炊事からお子様の引率まで何でもござれのソーンお姉さんが岩場の水棲生物やらの課外授業中なのであった。

 僕はてっきり彼女は船虫とかがダメだったりするのかと思ったのだけれど、

「私、山育ちで多足系見慣れてるから」

 ……との事である。

 それと、普段あの十天衆の正装(?)らしき仰々しい格好をしているので、こうして非常にラフな格好をして磯遊びしているソーンさんと言うのも中々珍しく新鮮な感じがした。

 アーミラと団長は蟹を捕まえようと先ほどから何度か狙いを定めて手を伸ばしているが、意外と素早い蟹を中々捕まえる事ができないようだった。

「ここは俺に任せて貰おう」

 いつの間に用意したのか、釣り糸の先に干したイカの切り身を結び付けたものを垂らしたアルベールが器用に蟹を釣り上げて見せる。

「昔取った何とやら、というやつだ」

 あれ子供の頃村の池でザリガニ釣るのに似たような方法を父さんに教わったことがあるなあ。

 アルベールがあの生真面目な顔つきで案外わんぱくな子供だったのかもしれないと想像すると面白くてちょっと吹き出しそうになる。

「グラン!見てみて!凄いでしょ!」

「ワン!ワン!」

 アルベールに釣って貰った蟹をバケツに入れて自慢気に見せてくるアーミラと団長。

 『何で君らが誇らしげなの』と内心苦笑しつつ、アーミラ達の頭を撫でてやる。

 屈託のない笑顔を見ているだけでこちらまで元気が湧いてしてしまうのだから僕も現金なものだ。

 只一点、やりとりを眺めていたソーンさんがニヤニヤしながら『グラン君、お父さんの目になってるから気を付けた方がいいわよ』とこっそり耳打ちしてきた事には遺憾の意を表明したいと思った。

 散々遊んだ後、浜の方へ戻る途中で仲良く手をつないだ母子連れとすれ違う。

 アーミラは何度か振り返った後、

「私もお母さんと手を繋いでみたかったな」

 などと言い出した。

「…………」

「…………」

「……わ、わかったわよ」

 僕とアルベールによる無言の圧力を受けて、

「アーミラちゃん、ほら」

 と、アーミラの手を取るソーンさん。

「おお……えへへ」

 余程嬉しいのか、繋いだ手をぶんぶん振っている。

「うーん、何なんでしょうね、この感じ」

「ああ……何なんだろうな」

 僕とアルベールはそんな二人のやりとりに思わずほっこりしながら後を追う。

 ソーンさんも隣であの無邪気オーラにあてられてすっかり癒されている様だったが『お母さんの顔になってますよ』と言う言葉は言い終える前に顔面を撃ち抜かれそうな気がするので流石に止めておこうと思った。

 

「凄いなルリア達、大漁じゃないか」

 僕達が砂浜に戻ったのとそう変わらないうちに、釣り組もサーフィン組も上がって来た。

 ルリアとイオは小さめのバケツ、カッタクリさんは大きめのバケツに目いっぱいの釣果が入っている。

「嬢ちゃん達はげにまっこと筋がいいちゃ。こいつぁおらもざんじ追い越されちまうかぁらん」

「やりましたね、イオちゃん」

「ま、このくらいはね」

 釣り名人のカッタクリさんに褒められて、二人は嬉しそうに顔を見合わせている。

 後ろでカタリナさんが微妙な顔つきをしていたので、

「……ビィ、カタリナさん具合でも悪いの?」

「あー……姐さんホラ、釣り餌のイソメがダメみたいでよ……察してやってくれ」

 そう言えばこの人虫とかウニョウニョ系全般ダメだもんな……。

 約一名が精神的負傷を負った事を除けば各々海を満喫出来たようだ。

「こりゃあ今日も旨い魚にありつけそうだぜオイ」

 オイゲンもラカムも酒の肴に期待出来ると上機嫌だった。

 このおじさん達は二日続けて宴会するつもりなのだろうか……。

 

 陽も傾き始めた宿への帰り道。

 疲れて寝てしまった団長(犬)を抱え、アーミラがポツリと呟く。

「毎日こんな楽しかったらいいのにね」

「……そうだね」

 段々と赤く染まっていく空を見ながら僕も頷く。

 現実がそう都合よく行かないのはわかっている。

帝国の動乱はひとまずの終結を見たけれど、ファータグランデ空域だけで考えても外交的に揉めている国家なんて沢山あるし、強力な魔物との戦いが終わらない地域もある。

 種族も文化も異なる勢力が混在した世界で、それぞれが各々の側の幸福を最大限取るために動けばどうしたって歪は出る。

 一枚の布を引っ張り合えば、掴めない者や掴んだ部分が破けてしまう者もいるのだ。

 アーミラ自身も僕らと一緒に旅をしていて、自分の呟いた言葉が現実と乖離している事は直感的に理解しているのだと思う。

 だからこそ、それは世界の在りようと関係なく真っ直ぐな彼女の口から出た混じりっ気のない『願い』であるように思えた。

 

 

 

 

 夕食の後僕達がロビーを通ると、宿の支配人さんが困ったような顔で誰かと話をしているのが目に入った。

 支配人さんが話している相手は旅行者風の二人で若い母親と七、八歳くらいの娘さんの様で――

「……あれ?」

 あの親子、昼間海ですれ違った親子連れではないだろうか。

「……何とか、お願いできませんでしょうか」

「うーん……そうは言いましても……」

 母親の方が何か頼んでいるみたいだけれど。

 アルベールが支配人さんに何かあったのかと聞くと、親子連れが宿泊希望で来たのだが、貸し切りと言う事になっているのでお断りしていたらしい。

 だが他の宿屋は観光シーズンにしか営業していない所が大半で最後に辿り着いたのがここらしく、母親は客室でない空き部屋でもいいから何とか……みたいな話をしているようだった。

 娘さんの方なんてもう眠そうでウトウトしているようにも見える。

 僕が皆の方を見ると一同意図を理解してくれた様で、すぐに頷いてくれた。

 僕は支配人さんに、

「僕達でしたら構いませんよ。貸し切りと言っても元々シェロが取ってくれたものですし」

「いや……そうはおっしゃいましても……」

「シェロの方には後で僕らから事情を伝えますから、どうか、お願いします」

「……畏まりました。ではそのように」

 言って支配人は従業員に部屋の手配を命じ、親子連れに状況を説明する。

「ありがとうございます……何とお礼を言ったらいいか」

 母親の方がこちらに向き直って恭しくお辞儀をしたが、

「あ、いや全然気になさらないで下さい。それよりお子さん、眠たそうですしゆっくり休ませてあげた方が」

 何だか照れ臭くなってしまい、僕はその場を後にしたのだった。

 

「……あのご婦人、おそらくワケ有りだな」

 僕とアルベールの部屋に酔っぱらったラカムとオイゲンが押しかけてきて、例の親子連れについてあれやこれやと勝手な妄想を垂れ流している。

 最初はおじさん二人組だけで盛り上がっていたのだけれど、酒を飲まされたアルベールまでこんな事を言い始める始末で、僕はすっかり辟易してしまった。

「もう三人とも好き勝手な事言って、あの人達に失礼だよ」

「かーっつ、お子様にはまだワカランかねぇ。ああ言うちょっと陰のある美人がよう、年端も行かねえ子供と二人で旅してるってんだぜ?」

「ズバリ、未亡人しかねえやな?」

 酔っ払いの下世話な妄言とは言え、素面の僕はこれ以上付き合いきれないと思ったので三人が寝てしまうまで部屋を出ることにした。

 とは言えどうしたものか。

 色々考えたが女性陣の部屋にお邪魔するわけにもいかないので、食堂に降りてお茶を貰いしばらく呆けて過ごす……事にしたのだが、

「少し、よろしいですか?」

 ドキリとして顔を上げると、先程の母親が立っていた。

「えっ、あ……はい、どうぞ」

 僕が慌てて姿勢を正して座り直すと彼女は少し柔らかく笑って向かいに座る。

 癖のない、艶やかな黒髪の美人で落ち着いた雰囲気を全身くまなく纏っている。

 何て言うか、大人な人だな……いや、実際大人なんだけれども。

 仲間内ではロゼッタさんあたりも大人の女性然としてはいるのだけど、ロゼッタさんは何というか、非常にアグレッシブなアピールがある。

 一方この人はそれとはまた少し違う感じがする。

 形容するのが難しいのだけれど、敢えて評するならオイゲンが言っていた『少し陰のある美人』と言う言葉がまぁ、一番妥当なのかもしれない。

「本当に、助かりました。どこも夏場だけの営業か、やっている宿は満室ばかりでどうしようかと思っていたんです」

「ああ、いや全然、構わないんですよ!貸し切りって言ったって、知り合いの商人に仕事の慰労で取って貰った宿でしたし……」

 ううむ、何か緊張して上手く言葉が出てこない。

「まぁ、まだお若いのにそんな大きなお仕事しているんですか?」

「あ、ええその、僕ら一応騎空団で……その知り合いの商人が沢山仕事振ってくれていて」

「騎空団……では色んな島を旅してらっしゃるの?」

「ええ、あの、はい」

 何て気の利かない返答をしているんだ、僕は。

「…………そう」

「あ、そのスミマセン、その……」

 僕はもしかしてこの人に、顔も知らない、生きているかもわからない母さんを重ねて見ようとしているのだろうか。

 いやいや流石にそれは年齢的に失礼過ぎるだろう僕。

 ああどうにも調子が狂う。

「ふふ、面白い人」

「…………」

「娘に旅疲れが出ていたので、本当に助かりました」

「あ、グラン君!こんな所に居たのね」

 少し慌てた様子でソーンさんが食堂へ降りて来た。

「どうかしたんですか?」

「それが昼間はしゃぎすぎた疲れが出たみたいでイオちゃんがちょっと熱出しちゃって。今廊下で支配人さんに聞いたんだけどお医者さん、夏場以外は街まで行かないといないみたいでどうしようかと思って探してたのよ……」

 ……ミザレアまで馬を飛ばしても移動だけで往復2時間はかかるけれど、この際仕方ないな。

「ソーンさん、僕今から街へ行って――」

「あの」

「ああ……すいません、僕ちょっと出なきゃいけなくなっちゃって……」

「いえ、その……お連れの方、風邪をひいてしまったんですか?」

「ええ、どうもそうみたいで……」

「でしたら少し、ここで待っていて下さい」

 母親がそう言って足早に部屋の方へ戻って行く。

「何グラン君、あの人ともう仲良くなったの?」

「仲良くなったって言うか、今さっき偶然ここで会って少し話してただけですよ」

 僕がそう言うとソーンさんは少し意地の悪い笑みを浮かべる。

「あんまり八方美人だと大人になって苦労するわよ?」

「べ、別に八方美人なんてつもりは……」

「将来やきもち妬かれたら……グラン君の場合、相手が相手だけに死んじゃうかもしれないし」

「い⁉いや、僕は誓ってそんな事するつもりは――」

「んー?その言い方は何だかんだやきもち妬かれたい相手に思い当たる節があるって事よねえ?」

 ……この人絶対わかっててからかってるな。

「あの、お待たせしました」

 そうこうしていると一旦部屋へ戻った母親が戻って来て僕に小さな瓶を二つ手渡す。

「娘も体が強い方ではないので……常備している解熱剤です。少し冷ましたお湯で飲ませてあげて下さい。もし症状が重くなる様ならもう一方も」

「薬……」

「泊めて頂いたせめてものお礼です。遠慮なさらずに」

「あ、ありがとうございます!」

「いえ……このくらいでお礼になれば幸いです。では、おやすみなさい」

 そう言って彼女は再び部屋へ戻って行く。

「あ、あの!」

「……?」

「僕……グランと言います。ほんと、ありがとうございました」

 僕が礼を言うと女性はふわりと微笑んで、

「サウラと言います。お休みなさい、グランさん」

 軽くお辞儀をして部屋へ戻っていく。

 僕はしばらくの間、彼女が去っていった方をぼうっと眺めていた。

 

 

 

 昨夜のうちにイオの熱は下がった様で、朝食の時にはすっかり元気になっているようだった。

 間もなく昼に差し掛かろうと言う頃にサウラさんが娘さんを連れて食堂に降りてきた。

「おはようございます、グランさん」

「お、おはようございます、サウラさん。昨晩は薬、ありがとうございました。ほら、イオ」

「あ、ありがとうございました」

 イオがサウラさんに丁寧にお辞儀をする。

「ふふ、元気になったのなら何よりです」

 サウラさんが穏やかに目を細める。

 丁度イオが顔を上げると、サウラさんの後ろに隠れるように立っていた娘さんと目が合う形になった。

「この子はララと言います。生まれつきその……言葉が話せませんが、よかったら仲良くしてあげて下さいね」

 サウラさんがスカートにしがみついているララちゃんの頭をポンポンとやっている。

 ルリアとイオは早速ララちゃんの手を取って、

「わぁ、私、ルリアって言います!」

「イオよ。よろしくね」

 などと言って握手した手をぶんぶん振り回している。

 このあたり、ルリア達の適応力の高さは流石と言うほかない。

 状況がよくわかっていないラカムとオイゲンが目を丸くしてこっちを見ている。

 これは後で何か言われそうだな……まあおじさん達は泥酔して朝までぐっすりだったから致し方ない。

 ルリア達の方に目を戻すと、団長(犬)も混じって三人と一匹でワイワイやりはじめている。

 ララちゃんは感情表現が苦手なようだったが団長に興味が沸いたのか、しゃがみ込んで手を伸ばしていた。

 間違って噛んでしまったりしないだろうかとヒヤリとしたけれど、団長(犬)は差し出された彼女の手を受け入れて大人しく頭を撫でられている。

 ララちゃんの表情が心なしか柔らかくなったように見え、団長(犬)もその手が気に入ったのか、そのうち彼女の手を舐め始めていた。

 ……ちなみに。

 注釈を連発しているのは僕自身の名誉のためであるのだが。

 閑話休題。

「それで、サウラさん達はどうして季節外れのこんな所に二人でおっごぅふ……!」

 いきなり無粋な質問を始めたオイゲンの脇腹にカタリナさんの拳がめり込んでいる。

 オイゲン……デリカシーが無いのは素面でも一緒なのか。

「サウラ殿、うちの者が大変失礼な事を……申し訳ない」

「いえ……お気遣いなく。戦争で夫が他界してから二人気ままに各地を旅しているので」

 予想はしていたものの、だいぶ重たい答えが返ってきて沈黙が広がってしまう。

「あー……昼食の後、サウラさん達も一緒に浜で遊びませんか。ウチのチビ達もお嬢さんと仲良くしたいみたいですし……」

 気まずい空気を解消しようとラカムが投げた提案にサウラさんはしばし考える様な仕草の後、

「そうですね。ご一緒させて貰いましょうか。ルリアちゃんもイオちゃんも、それにそのワンちゃんも、ララの事気に入ってくれた様ですし」

 サウラさんの微笑みに、ラカムやオイゲンの顔が少し赤くなるのがわかった。

「仕方ないおじさん達ね全く」

 ソーンさんはやれやれと言った風に苦笑している。

「グラン」

 小声のアーミラが僕の袖をくいくいと引っ張ってくる。

「どうしたの?」

「んっと……んー……何かね、何だろ。やっぱり、いい」

「……?」

 言いたいことがよくわからない。

 ただ、こんな時いつもルリア達と一緒にはしゃいでいそうなアーミラが珍しく大人しかったので、僕はそれが少し引っ掛かった。

 

 

 

 団長が引き波を追いかけ、次の波が来ると波に追いかけられて戻ってくるのを繰り返している。

 ルリア・イオ・そしてララちゃんは団長が波に追われて戻ってくる度に団長の頭を撫でている。

「こんなに穏やかな時間は久しぶり……ララもお友達が出来て何だか嬉しそうです」

 ベンチに腰掛けたサウラさんが、はしゃぐ子供達を眺めながら言う。

 やはり旦那さんを亡くしての二人旅と言うからにはそれなりの苦労はあるのだろう。

「それでその、サウラさん達は……この後どちらへ行くんです?」

 二人分の飲み物を持ってきたラカムが、サウラさんに片方を手渡しながら尋ねている。

 話し掛けている割に彼女の方を見れていない。

「……あれ、多分惚れてるわね」

「まぁ順当に落ちた感じよねえ」

 隣に来たロゼッタさんとソーンさんはニヤリとしながらそんなことを言う。

「ほんとですか?」

「あら、女の勘はこう言うの外さないものよ?」

 まあ確かにいつものラカムよりテンション高い気がするし、声もちょっと上ずっている。

 出会った頃からそう言った気配が全く見える事もなかったラカムが旅先で出会った未亡人に一目惚れとは。

「何だかちょっと微笑ましいから、このままちょっと眺めていましょうか」

 女性陣はこの手の話がやっぱり好きなんだなあ。

 ラカムとサウラさんの会話を聞いているとそのうちラカムの方から

「その、行先決めていないんでしたら、ウチの船に……暫く乗りませんかい?」

 おお……これはもしかしなくても急展開ではないだろうか。

 僕もロゼッタさん達と一緒につい聞き耳を立ててしまう。

「皆さんの船に……?」

「なーに、部屋はまだ空いてますし、チビどもも仲良くなってるみたいですし、それに何より、二人旅じゃ危ない事だってあるでしょう」

「よろしいんですか?……ご迷惑じゃないかしら」

「いやあ全然そんな事ありませんぜ!」

 何だか必死なラカムを見ているのが自分の事の様に恥ずかしくなってしまい、ずっと聞いているのも野暮な気がしたので僕はその場を離れた。

 

 アーミラはちょっと離れたベンチの上で膝を抱えてジュースを飲みながら、波打ち際で遊んでいるルリア達の方を見つめていた。

「アーミラ、お昼の時から何か大人しいけれど、何かあったの?」

「グラン……」

 体調が悪いとかではなさそうに見えるのだけれど。

「ララを見てると、何か変な感じがするんだ」

「変な感じ……って」

「よく……わからない」

「確かに感情表現に乏しい様な印象は受けたけれど、喋れないって話だし……」

「違う」

 僕の言葉を途中で遮って言う。

「……そう言うのじゃない」

 何か違和感の様な物を感じている様だったけれど、結局アーミラもそれが何なのか掴めないらしく、それ以上言葉を発しなかった。

 

 やがて先程の話がまとまったらしくラカム達からサウラさんとララちゃんが暫く同行すると言う話があると、案の定ルリアとイオは大層喜んで、ララちゃんの周りで飛び跳ねる。

 歳の近い友達が旅に加わると言う話は嬉しいのだろう。

「旅に出る前は薬屋を営んでいたらしいからな、頼れる薬剤師先生だ。喜べお前ら」

「あらラカム、一番喜んでいるのは貴方でしょう」

 などとロゼッタさんが茶化す。

 照れ臭いのか頭を掻くラカムに吹き出す一同。

 薬剤師……どうりで。

 怪我はともかく病気に対応できる人が団に居てくれる事は助かる話だ。

 それに母子二人であてもなく旅を続けるよりは、僕らの船に乗っていた方がきっと安全だろうから反対する理由もない。

 サウラさんは改まってお辞儀を一つし、

「暫く御厄介になります。娘共々宜しくお願いーー」

「ヨロシク……しねー方が身のためだぜ、オメーら」

 その声は不意に僕らの上から聞こえてきた。

 そこには。

 巨大な浮遊する岩石の蛇に乗り、不敵な笑みを浮かべる金髪の少女。

 稀代の錬金術士は、サウラさんを指差して言うのであった。

「そいつらには気を付けねえと……オメーらみんな……死んじまうゾ?」

 

 

 

                                                

 

 掬い上げた綺麗な光

 

 さらさら

 

 さらさら

 

 こぼれて落ちて

 

 

 気が付けば

 

 

 私の手には

 

 

 何も残らない

 

 

 

 

[chapter3:覆水]

 

「そいつらには気を付けねえと……オメーらみんな……死んじまうゾ?」

 

 巨大な岩塊の蛇に乗り、突如現れた金髪の少女は不敵な笑みで言い放つ。

 僕らは彼女の事を知っている。

「カリオストロ……⁉」

「……ようグラン、アガスティア以来だなァ」

 流れるような美しい金髪に華奢な身体つき、まるで人形細工の様な顔立ちの少女。

 秘術を以て悠久の時を生きる稀代の錬金術師だ。

「カリオストロ、一体どう言う事なんだ、サウラさんが何をしたって言うんだ!」

 僕が問い質すとカリオストロは口の端を二ィっと吊り上げ、

「まあ事情説明は後でゆっくりしてやるさ。だがその前に……その女とガキは……拘束する!」

 パチン、と彼女が指を鳴らすとサウラさんの足元の地面から無数の槍の様に岩が突出し、瞬時に檻の様な形を成した。

 ララちゃんも岩の腕に掴まれて身動きが取れない状態にされてしまった。

「カリオストロてめえ!冗談にしてはタチが悪過ぎんぞ!」

「いくら貴公でも見過ごせん!」

 ラカムとカタリナさんが進み出たが、生憎武器は宿に置いてきている。

「だぁから、説明は後でするって言ってんだろうが。そこで大人しくして――」

「私達の邪魔をしないで!不死身の化け物のくせに!」

 カリオストロの声を遮ったのはサウラさんだった。

 次の瞬間彼女を囲んでいた岩の檻と、ララちゃんを絡めとっていた岩の腕が粉々に砕け散る。

 そしてララちゃんを抱えたサウラさんが地面に右手をついて何事かを短く呟くと今度は足元の砂が急激に盛り上がり始めた。

「サウラさん!」

 叫んだ僕の方を見た彼女は一瞬躊躇う様な表情を見せる。

「ごめんなさい」

 言い終えた直後、膨張した砂の山が巨大な塊になった時、空中で爆ぜた。

「うわっ」

 辺り一面が砂嵐の様になり、視界が閉ざされる。

 しばらくして砂埃が収まった時には、サウラさんとララちゃんの姿は消えてしまっていた。

「……逃げられたか。まあいい、追跡は……」

 周囲を見回しながら吐き捨てるカリオストロ。

 ラカムを始めその場に居たカリオストロ以外の全員が、状況を全く理解できずにいた。

 高位の術者であるカリオストロの攻撃から小さな子を連れて脱出するなんて芸当が、ただの旅行者に出来るわけがない。

 一体何がどうなっているんだ……。

「事情を……説明してくれ、カリオストロ」

「いいぜグラン。宿に案内しな。アップルティーとショートケーキで特別授業を開いてやるよ」

 言って彼女は、また底意地の悪い笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 カリオストロは千年以上前の時代に生きた天才錬金術師だ。

 飽くなき探求心はその研究過程で現在に伝わる錬金術体系の大半を産んだと言う。

けれども当の本人が求めたのは死へ抗う力。即ち禁忌とされた不死の法だったらしい。

 しかし『完全なる永遠の命』を作る事は叶わず、替わりに持てる知識を総動員し『究極の造形美』たる器を作成・複製し、それに魂を移し替える事で『死に抗い続ける』と言う答えを導き出したのが千年前。

 異端とされた稀代の天才は一族の策謀で永らく封印されていたのだけれど、偶然僕らが封印を解除した事で現代に蘇ったのだ。

 何の気紛れか星晶獣を巡る帝国との戦いに力を貸してくれていたが、アガスティアでの戦いの後、突然船を降りると言って姿を消していたのだが。

「――あの女は錬金術師だ」

 カリオストロの口から静かに語られる事実。

「サウラさんが、錬金術師……」

 そういえばさっきカリオストロの事『不死身の化け物』とか言っていた。

 それはつまりカリオストロを知っていて、錬金術の開祖である事も認識していたと言う事だろうか。

「……だが彼女が錬金術師だからって別に敵対する理由なんざ無えだろうが」

 複雑な感情が入り混じった顔のラカムはどことなく棘のある言い方になっている。

 無理もない。

 しかしカリオストロはさして気に留める様子もなく、

「まあ聞けよ、最後まで。短気は損気だぜ?」

「……ッ」

「現存する錬金術は元々俺様が残した研究の残骸を掻き集めたモンから派生した出来損ないばかりだが、方針や思想の違いから多くの派閥に分かれている」

「それって前にカリオストロを付け狙ってた……」

「そうだ。あの時俺様に仕掛けて来た連中はヘルメス学派だな。生命研究に熱心な連中でそのための人体実験や人攫いもガンガンやってる過激派だ」

 そう言えばその連中が以前襲ってきたのもカリオストロからそっち方面の過去の研究知識を聞き出そうとしていた。

「主流派には他にも分子工学に比重を置いたアトラス学派なんてのもあって、宗教的に禁忌扱いになりやすいヘルメス学派よりも、軍事兵器開発で重宝されやすかったアトラス学派の方が研究資金も潤沢で名声も得られるから人気なんだとさ。くだらねえが、金が無けりゃ研究もお飯もままならねえって話だな」

 そう言って給仕さんに持ってきてもらったアップルティーを一口やる。

「で、だ」

 ショートケーキの苺だけ取って口に放り込むカリオストロ。

「グラン、帝国と戦ってる最中に幹部クラスが使ってた魔晶、覚えてるか?」

「……ああ。星晶獣の持つ力の結晶……みたいな物だろう?」

「五十点」

「…………」

「正確に言えば模造品。紛い物だ。放出されるエネルギーの波長は酷似しているが同一じゃねえ。だからすぐに暴走する」

「暴走……」

 以前魔晶の力によって暴走させられた大星晶獣と戦った事や、暴走した魔晶に自我を吞まれた帝国幹部の姿が脳裏を過ぎる。

「アーカーシャを潰した後、オメーらと別れた俺様はアガスティア内に残された連中の研究施設を見付け出し、その資料と残った成果物を全て廃棄する事にした」

 居なくなったと思ったら残ってそんな事していたのか……。

「だが……それとサウラ殿と何の関係があると?」

 カタリナさんが質問を投げかけると、カリオストロはフォークをくるくると器用に回しながら、

「魔晶の研究を実質仕切っていたのはヘルメス学派出身の錬金術学会の連中だ。奴らに取っちゃ願ったり叶ったりだったろうよ。そして、あの女もヘルメス学派の研究員の一人だった」

 言葉がない。

 あの穏やかな女性が、あんな忌まわしい物の研究に携わっていたなんて。

 ルリアの方を見ると、案の定青ざめた顔をしている。

 無理もない。

 あれは……魔晶は色んな悲劇を生みすぎた代物だ。

「けど、魔晶に関連する物を虱潰しにしていたのって何でなんだ?まあカリオストロの事だから正義感とかじゃないんだろうなとは思うけれど、やっぱりヘルメス学派と仲が悪いからなのか?」

 僕は素朴な疑問を彼女ににぶつけてみる。

 そこそこ長く一緒に旅をしたからわかる事だけれど、彼女は俗世の動きには基本的に興味を示さない。

 善悪の概念自体は持っているが、そう言ったもので行動する物差しを持たない。

 そうなると以前邪魔してきたヘルメス学派への報復か何かだと考えるのが妥当なのだが……。

「……五十点」

 …………。

「魔晶に使われた『生命力を結晶化する』って研究はな、俺様が未完成で投げ出して封印してた研究成果を盗んだ理論だ」

「な……」

 絶句する一同。

「生命力の結晶化……特に星晶獣クラスなんかの生命力を固形物として定着させるには確かにお誂え向きだったろうぜ。俺様が封印していたその研究は、人間の命を個体として物理的に定着させるためのものだ。星晶獣ほど精神世界と深く繋がれない人間の命じゃ長期間存在を固定できずに自壊するんで結局失敗だったんだがな」

 話のスケールが大きくて把握しきれなくなってきている。

「ま、そもそもがそんな不安定な代物だ。頭の悪い連中は更にその原理をよく理解しないまま無理矢理実用化したんだ。暴走して然りだろ」

「それで……結局カリオストロはサウラさんを捕まえてどうしたいんだ?」

「……グラン、オメーはもうちっと俺様の性格わかってると思ったんだけどな」

 フォークを僕の目の前に突きつけられ、思わず息をのむ。

「研究者はな、自分の研究の『未完成品』が勝手に出回るのが一番我慢ならねえんだよ。だからあの研究の成果物を使ったモノは全て消す」

「消すって……サウラさんは何か魔晶に関する物を持ち逃げしてるって事なのか?」

「……零点だな」

 僕の額を小突いた彼女は、いつも通り淡々とその先を告げた。

「俺様が消すのはあのガキだ」

 

 

 

「どう言う事だカリオストロ!あんな年端も行かぬ子供を……手にかけるつもりか⁉子供に何の罪がある⁉」

 滅多に取り乱さないカタリナさんが激昂してカリオストロに詰め寄った。

 他の皆もやはり納得できないようで鋭い眼差しをカリオストロへ向けていた。

 けれどもカリオストロは動じる様子もなくケーキの残りを食べきってから話し出す。

「罪は無えだろうさ。が、少なくとも、あのガキはもう人間じゃねえ」

「な……」

「あの女はエルステで魔晶実用化の研究をしていたが、元になった俺様の未完成の理論を未完成のまま理解し転用しちまった。あのガキの体はな、体内の『そいつ』を核に動いてんのさ」

「どうして、そんな……」

 ルリアが涙声になっていてイオが肩を抱き寄せている。

 友達が増えたと思って喜んでいたのだから無理もない。

「研究所で見つけた記録じゃ丁度アガスティアが戦場になる少し前、あのガキは病気か何かで死んじまったらしい。そのガキの死体に出来損ないの燃料積んで無理矢理動かしてんだ。そっちの方がよっぽど残酷だと思うがね」

 そこまで聞いて昼間のアーミラの様子がおかしかったのを思い出す。

「アーミラ、もしかしてララちゃんに感じてた違和感って」

「ずっと、変な感じしてた。……生きてるけど、生きてない感じ」

 アーミラは何というか、人の生死を知覚する勘みたいなものが鋭い。

 普段見せない力を行使する際には特に顕著になるが、平時に於いても多少は機能しているらしい。

 僕らの中で彼女だけが、違和感を覚えていたのだ。

「だがよカリオストロ、お前さんも体の方は何回も交換して千年以上生きてるんだろう。あの子やサウラさんを否定するのはお前さん自身を否定する事になるんじゃねえのか」

 ラカムが反論すると、

「全く違うね。俺様の魂魄は一度も死んじゃいねえ。複製した体に移し替える時も死んでるわけじゃねえ。あのガキはなラカム、完全に死んでるんだよ。弁解できねえ程完璧にな。あの体に魂は残ってねえんだ。体組織に残った記憶の残滓を石が感知して、そいつをフィードバックして『それっぽく動いてるだけ』だ。だから俺様はアレを消す事に迷う余地は無え」

 カリオストロが告げたあまりに重たい内容とその量に皆考えの整理が付かず、その日はそれで解散になった。

 

 皆が部屋に戻った後、食堂には僕とアーミラ、それとずっと静かに話を聞いていたアルベールとソーンさんが残っていた。

「はい、グラン君、これ」

 ソーンさんが人数分のお茶を運んできてくれる。

「ああ、どうもありがとうございます……」

「……何だかやりきれないわね」

 お茶を啜りながらソーンさんが呟く。

 カリオストロは最後にこう言っていた。

『出来損ないの核はそう遠くなく出力が不安定になり、暴走する。宿主に魂が無いんだから帝国の将軍どもみたいに意思で制御する事も出来ないし、核を取り出せば肉体は崩壊する。俺様は明日にでもケリをつけるつもりだが、お前らはどうするんだ?』

「結局どれを選んでも救いは無いと言う事か……」

 悔しそうに吐き捨てるアルベール。

 アーミラは疲れて眠っている団長を抱えたまましばらく考えていた様だったけれど、

「……みんな」

 僕らが彼女の方を見ると少し間をおいてから口を開いた。

「私は、お母さんに会いたくて。お母さんに会いたいから、グランと一緒にヘルヘイムを探してる。私が今までの旅で見てきた沢山のお母さん達は、みんな子供の事、大好きだったから……きっと私のお母さんも私の事好きだと思うから……だから」

 彼女なりに、一生懸命言葉を探して紡いでいく。

「だからサウラは、ララの事が好きだけど、死んじゃったけど。きっとそれでも、ずっとお母さんで居たかったんだ」

「……お母さんで……居たかった、か」

「でも、ララがもう、あそこには居ないなら」

「…………」

「ほんとのララの事、思い出させてあげなきゃ」

「……どうやら俺達の中で一番真実に近い物を見ていたのは案外アーミラかもしれん」

 アルベールは苦笑して残ったお茶を飲み干して席を立つ。

「あの二人を見つけて真相を問い質す。そしてカリオストロの見立てが正しければ……ララが暴走する前に、止める」

「そうね。捜索なら私の出番だし、頑張るわ」

 二人はそう言って部屋へ戻って行った。

 僕もお茶のカップを片付けた後、アーミラに声を掛ける。

「サウラさんの心、助けよう」

「うん」

 アーミラの顔が、やっと少し、笑顔になった気がした。

 

 

 

 誤算だった、と私は歯噛みする。

 因縁浅からぬあの半不死の錬金術師に追われていただけでなく、偶然出会い、当面の宿り木にできると思った騎空団がよりによってそのカリオストロの既知の仲だったとは。

「ララ……」

 横で眠る娘の髪を撫で、何とか落ち着いて逃げ延びる方法を考えようとする。

 研究を私的に流用して協会の後ろ盾も無くし、帝国の庇護も既にない。

 あの忌まわしい錬金術師の開祖はきっと娘を追って来るだろう。

 捕まればきっとララはカリオストロによって殺されてしまう。

「他に方法が無かったのよ……」

 誰にともなく呟く。

 生命科学の研究にのめり込み、幼い我が子に寂しい思いをさせていたが、全て将来の娘の幸福を願っての事だった。

 しかし突如として病魔は娘を襲い、あっけなく命は失われてしまった。

 縋れた唯一の希望は、魔晶の研究の基礎理論として使った、あのカリオストロの研究そのものだ。

 生命力を結晶化して固着させる技法。

 そのお陰でララはこうして私の横で寝息を立てている。

 言葉は話さなくなってしまったけれど、話しかければ反応してくれる。

 私の隣に居てくれる。

 私のために、存在してくれる。

 私が母親である事を許してくれる。

 でも、結晶化した一つの核は、長くはもたない。長くて一年、短ければもういつ不安定になり始めてもおかしくない。

 何としても安全な場所に逃げおおせて、新たな核を作り出さねばならない。

 それが、穴の開いた器で砂を掬い続ける様な滑稽な足掻きだとしても、私はそれを止める事はできないのだ。

 

 

 

                                              

 

 

 

 

 

 かわいい かわいい 迷い猫

 

 あなたの 涙を 拭いましょう

 

 血肉は土に

 

 思いは風に

 

 そして御霊は星の海

 

 この送り火で 照らしましょう

 

 

 

 

 

 

 

 [chapter4:君を連れて]

 バルハからミザレアへは馬を使えば小一時間で到着する距離だ。

 僕とアーミラ、アルベール、ソーンさん、それとカリオストロの五名は、一路ミザレアを目指している。

「あのチビ達を残してきたのは、お前にしちゃ上出来だぜ」

 ウロボロスに乗ったカリオストロが呑気に欠伸をしながら言う。

「……別に好きで置いてきたわけじゃない。ルリアやイオにはわざわざ辛い思いをさせる事はないと思っただけだ」

 騎士団出身のアルベールは乗馬はお手の物だし、ソーンさんは仕組みのよくわからない魔道具の様な足の装備を起動させて飛行している。

 アーミラは乗馬経験が無いとの事なので僕の後ろに乗って貰っていた。

 

 サウラさんとララちゃんを止めるのをこの五人でやると決めたのは僕だ。

「少数でやる。四、五人の範囲で決めろ」

 今朝がた早くに僕の部屋に来たカリオストロは開口一番そう言った。

 それは暗に『割り切れる奴だけ連れて来い』と言う事だった。

 そうして僕がこの編成を決めた後、皆を食堂に集めて言った。

「ウロボロスの探知に反応があった場所がいくつか在る。部隊を分けて探す」

 僕はカリオストロの、その嘘に乗ったんだ。

 

「けっ、相変わらず発想がアマちゃんだな。

まあどの道ぞろぞろまとまって動けば察知されやすいのは事実だし、いざって時に迷いが出る奴はこういう任務にゃ向かねえのさ」

「……それにしたってもう少し言い方って物があるだろう」

 会話に割って入るアルベール。

「どう言ったって変わらねえよ。何せお前らときたら世界有数、とびきりのお人好しどもだ、俺様がどんだけ説明してやったって、いざ対面した途端にあのガキを説得しようとするに決まってる。説得する魂が無えのに、人の形をしてるってだけで、どうしても目に見える優しい幻想の方を信じちまう。そんな状況で奴が暴走して犠牲者が出て見ろ。それこそ一生モンのトラウマの出来上がりだ」

 こう言うとひどく怒られそうなので口には出せないが、カリオストロの言う言葉にはやはりと言うか、年長者の含蓄を感じる時がある。

 見た目はこんなだし口は悪いけれど、誰より長い時を生きてきただけあって、色々な苦い経験もしてきているんだろう。

「世の中な、たった一個の『愛と勇気の御伽噺』が生まれる裏で、何千何万て数の『ままならねえ理不尽な話』が転がってんだよ」

 それだけ言うと、カリオストロはウロボロスの高度を少し上げてしまったので、その表情を窺い知る事はできない。

「アーミラ、大丈夫?足、痛くなったりしてない?」

 僕が後ろのアーミラに声をかけると、

「だ、大丈……夫」

 と、あまり大丈夫ではなさそうな返事が返ってくる。

 これ、もしかして酔ったりしてないだろうな……。

 自分の背中に差し迫った危機感を覚えながら、僕は手綱を握り直した。

 

 

 

 

 ララの手を引いて商店通りを歩く。

 港へ向かうためだ。

 思えば研究に没頭していった頃、ただの一度も娘の手を引いてこんな賑やかな通りを歩いた記憶がない。

 成程私は母親失格のお手本なのかもしれないなと苦笑する。

 錬金術が発展し、生命研究が進めば、ララの未来は今より怪我や病に苦しまなくて済む時代になるかもしれないと思い全てを費やして研究に没頭した。

 莫大な研究の資金繰りのためにエルステの軍事部門にも取り入った。

 研究の発展のために、不死身の錬金術師のラボから資料まで暴き出した。

 そうして走り続けた私の目に映ったものは。

 帝国による戦乱と破壊、そして病に倒れた娘の死。

 けれど、私にはそれを受け入れる事は到底できなかった。

 ララの死を否定しなければ。

 私は私の歩んできた道全てを失ってしまう。

 ララを生き返らせなければ。

 私は私であるための支えを失ってしまう。

 体に在った命の火が失われたなら、作ればいい。

 人間の生命力を結晶化する技法は、手元にあった。

 そうすれば、冷たくなったララの体にまた火が灯るはずだ。

 そう信じて私は。

 私は――。

 

 

 

「核の波長を追うウロボロスでの探知じゃ細かい場所まではわからんが、奴らが向かってるのはおそらく港湾地区方面だ」

 ミザレアに着いた僕らは、馬を預けてそのまま港の方へ向かっていた。

 ある程度の距離まで来れば、ソーンさんの神眼で探す事もできるはずだ。

「港湾地区……島の外に出ようとしているって事か?まずいじゃないか」

 アルベールが少し焦りの色を見せたがカリオストロは至って平静で、

「今日いっぱいは、貨物船連絡船含めて島を出入りする船は無いぜ。昨日から島の外周の気流が荒れてやがるんだ。そうでなきゃ、昨日無理矢理にでも追撃してる」

 何というか、こういう所は抜け目ないの一言に尽きる。

「だが、カリオストロ」

「ん?」

「その、ララの体を動かしてる核は、魔晶とは違うんだろう?暴走すると具体的にどうなると言うんだ?」

「大星晶獣に匹敵する力を発揮する魔晶とは確かに違うけどな、人間一人分を一生涯活動させるだけのエネルギーが結晶化してるモンの出力調整ができなくなって短時間で溢れ出すんだ、ヘタすりゃ人の形すら保てねえはずだ」

 あまりの話に気分が悪くなってくる。

「そもそもカリオストロ自身は研究段階でどうしてそんな物を作ろうと思ったんだ……」

「不死に対するアプローチはいくつも在った。

 体は劣化してくると代謝……まあ、古い要素を廃して新しい血肉を作る力が弱る。これが『老い』だ。老いが加速する前に人の一生分の生命力が結晶化されたものを取り込む事で老いを遠ざけようと試みたのさ」

 横目でソーンさんの方を見ると、難しい顔で何か考えている。

「けれど失敗した?」

「最初は成功と思われたが、時間とともに拒否反応が出る様になった。核の持つ生命力の波長と肉体の波長が完全に一致しなければ、徐々にバランスが崩れて来る事がわかったのさ。それが暴走の原因にもなっていく。肉体に魂が残ってりゃ本人の根性で多少は抑え込めるようだったが、死体で実験した時はやはり半年足らずで暴走した」

 僕らの会話を黙って聞きながら何か腑に落ちない表情をしていたソーンさんが、やがてカリオストロに一つの疑問を投げかけた。

「さっきから引っ掛かっていた事なのだけれど……その『人間一人分に相当する生命力』って言うのは、どこから持って来ていたの?」

 その言葉を聞いて愕然とした。

 言われて見ればあまりに簡単で。

「……よく気が付いたな」

「あなた……!」

 あまりに考えたくない回答だ。

 そう、つまり、それは。

「人の命に相当する生命力は、人から持ってきたに決まってる」

 

「……全く悍ましい話だな」

 アルベールが吐き捨てる様に言う。

 今にも抜刀しそうな眼光だ。

「まあ、今の社会通念に準えればな。ただ俺様がその研究をしていた千年以上昔はな、人口は今の十倍以上も存在し、資源は不足し、犯罪者を持て余しって世界情勢で、罪人共の命なんざゴミ同然の扱いだった。医学の発展のためと称して国主導で無数の罪人を実験台にして殺してった様な時代だ。今の倫理観で括られるのは遺憾だぜ」

 やや自虐的に笑いながらカリオストロが弁明しているのを眺めていた僕は、その話を踏まえて考えるともう一つの事実が浮かんでくる事に気が付いた。

「じゃあ、カリストロ……今ララちゃんの体を動かしている核って言うのは……」

 強張った僕の顔を見たカリオストロは真っ直ぐ僕の目を見据えて静かに言った。

「満点だグラン。あれが動いてるって事は、あの女は既に、死んだ娘のための核を生成する目的で人を殺してる」

 

 

 

 

 

 もう、後戻りはできないと覚悟を決めていた。

 この先ずっと、ララに生き続けてもらうために。

 ララの新しい核のために。

 他の命を奪い続ける事になってでも。

 立ち止まらないと決めたのだから。

 立ち止まらない。

 立ち止まれない。

 立ち止まっている。

 立ち止まっている?

 誰が?

「…………ララ?」

 手を繋いで歩いていたララが、足を止めている。

「ララ?……どうしたの?どこか痛いの?」

 話しかけても反応が無い。

 わずかな表情も無く、ずっと虚空を見つめている。

「ララ、ねえ、歩いて?ママと一緒に行きましょう?これから色んな国を二人で――」

 ズブ、と言う鈍い音が聞こえた気がした。

 少しの間、何が起きたのかわからなかったが、やがてララの体から硬質の何かが細く伸びて、自らの腹部を貫通した事をようやく理解した。

 

 

 

 

 

 

 遠くから悲鳴が聞こえた様な気がしたのは丁度カリオストロの話を聞き終えて歩き始めた直後だった。

 ソーンさんがすぐに神眼を凝らす。

「……港近くの……市場のあたり!」

 あの辺りは人通りも多いはずだ。

 対処が遅れると被害が大きくなるかもしれない。

 駆け出して少しすると、向こう側から大勢の人達が走ってきた。

「化け物だ!」

「助けてくれ!」

 カリオストロは舌打ちすると、ウロボロスを呼び出して飛び乗った。

「先行する!」

 空中を移動できる二人が先行し、僕とアーミラ、アルベールの三人が後を追う形になった。

「グラン!」

 アーミラが走りながら僕に叫ぶ。

「サウラ、弱ってる!感じるの!」

「急ごう!」

 押し寄せる人の波を搔き分けて、僕らは市場を目指した。

 

 異形、としか形容しようがない。

「ララちゃん……なのか」

 人間の、幼子の形をしたものから、無数の棘が伸び、周囲の壁や物を刺し貫き、容易く切り裂いてい行く。

 近くではサウラさんが膝をついていて、足元には大きな血だまりができていた。

「周りの物を無差別に攻撃している様だ」

 アルベールが剣を引き抜き、静かに構えを取る。

「核が暴走しているのか……」

 ルリアやイオを連れてこなくて良かったと思った。

「ありゃマジでやらねえと周りを巻き込まずに止めるのは難儀だぜ、グラン!」

 ソーンさんやカリオストロが相手の間合いを測るために遠距離から攻撃を仕掛けてみるが無数の棘のうち何本かを折っただけで、大半は迎撃されてしまう。

 折れた棘も、替わりの棘がすぐに再生してなしのつぶてだった。

「オオオォッ!」

 アルベールは一振りで四本五本の棘を一遍に斬り飛ばして行くが、やはり瞬時に再生されてしまっていた。

「チィッ……ちまちまやっていては埒が明かんぞ」

「けど街中であまり火力の高い攻撃を使うわけにもいかないわよ」

 ソーンさんは間合いの長そうな棘を優先して撃ち抜いて行っている。

 とにかく怪我の酷いサウラさんを助けないと……。

「カリオストロ、サウラさんを僕とアーミラで保護する。援護をお願い」

「ああ?死にぞこないを助けんのか?あの様子じゃどうせ助からねえぜ?」

「……頼む」

「あーァはいはいわかったよ、面倒くせえな」

 カリオストロの詠唱と共に二つに分かれたウロボロスが回転し、無数の棘を次々と粉砕していく。

 異形の方も再生を繰り返して状況が膠着する。

「行こう!」

 僕の声にアーミラが頷き、二人同時に走り出した。

 僕は蹲ったサウラさんを抱きかかえて、アーミラにガードを任せて異形から一定の距離を取る。

「術が切れる!お前ら一旦替われ!」

 カリオストロはソーンさんとアルベールにその場を預けると、僕らの方へ飛んでくる。

「……全くめんどくせえモン暴れさせやがって」

 荒い息をしているサウラさんを見下ろすカリオストロ。

 大量に出血しているサウラさんはカリオストロを睨みつけている。

「ラボの研究資料を暴いて転用したとは言え、そんだけの理解力があればコイツが不完全な代物なのはわかっただろうが」

「ララを……どうする気……」

 その瞳には、様々な感情がごちゃごちゃに混ざり合って見える。

 ララちゃんが人ならざる異形へ変貌してしまった後悔と悲しみ。

 それを抹消しようとしているカリオストロへの憎悪。

「テメーの不始末の尻拭いってのは気に喰わねえが、俺様の研究を転用した欠陥品が暴れまわるのはいい迷惑だ。……アイツは俺様が消してやる。グラン、大技使うからアレの動き止めてくれ」

 そう言い放って向き直り、再び詠唱を始めたその直後だった、

「……殺させない……!」

 サウラさんのかざした手から何本もの光の矢が放たれ、カリオストロの体を背後から刺し貫く。

「っぎィ!……このヤロウ……とっくに致命傷のクセしやがって……!」

 ウロボロスに受け止められたが、あれではまともに戦える状態ではない。

「サウラさん!」

 僕は咄嗟にカリオストロに向けて追撃を放とうとするサウラさんの腕を掴む。

「離して!アイツを殺して、ララを助けるのよ!」

「何言ってるんです!止めなきゃみんな死んじゃいますよ!」

「関係ない!ララさえ生きてればそれでいい!」

 背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 その瞳は僕の方を見てはいるけれど、僕の事は捉えていない。

 愛などと言うものでは既になく、そこにあるのは妄執や狂気の様に思えた。

 母親と言うのは、我が子の事になればここまで我を忘れ、理性を忘れ、倫理を忘れる事ができるのだろうか。

「どいて!」

 逆の手で僕の方へも術を放ってくる。

 伸ばしてくる植物状の何本もの細い槍を間一髪で切り落とした。

「ララ、今助けるからね!」

 サウラさんが走り出そうとした時、今度はアーミラがその腕を掴む。

「……行っちゃだめだよ」

「離しなさい!」

「離さない」

「離して!あの子が死んじゃう!」

「もう、生きてないよ」

 アーミラが静かに告げる。

「…………何を言ってるの」

 サウラさんの表情が硬くなった。

 自分を誤魔化して見ないようにしていた事実をつきつけられる事は辛いことだ。

「あの体は、生きてるんじゃないよ」

「……黙りなさい」

「ララの体だけが、ララのフリをさせられてただけ」

「黙りなさいと言っている!」

 サウラさんが至近距離から光の矢を放つ。

 矢はアーミラの腕を貫いたが、アーミラは掴んでいる方の手を緩めなかった。

「サウラは……、ララを大好きだったから、ちゃんとお母さんを、したかったんだよね」

「……それ……は」

 彼女の腕から力が抜けていく。

 両膝をついて、もう今にも倒れ伏しそうだった。

「私は、お母さんの顔、覚えてないけど……お母さんに会いたいって、ずっと思ってる」

「…………」

「だからね、本当のララの心は、あそこじゃない、別の所でお母さんに会えるの、待ってると思うよ。なのに体だけあんなに痛そうにしてる」

「……ああ……そうね……そうだわ」

「だからもう、休ませて、あげなくちゃ」

「…………ごめんね……私がやるべきなんだけれど……もう……」

 サウラさんの目から、涙が溢れていた。

「大丈夫。私が……やるから」

 サウラさんを地面に横たえると、アーミラが僕の方へ向き直る。

「グラン、まだ、行ける?」

「勿論」

 僕も立ち上がり、カリオストロに向かって叫ぶ。

「カリオストロ、大技ってのは行けるの⁉」

 腕の修復だけはどうにか済ませたらしいカリオストロはウロボロスの上から、

「誰に物言ってんだテメー、キメてやるからしっかり奴を止めやがれ!」

 頼もしいほど不遜な物言いを返してくる。

 僕とアーミラは異形へ向けて突進する。

「このぉっ!」

 無数の棘をアルベールと僕で斬り落とし、打ち漏らしをソーンさんの魔力の矢が打ち砕いて行く。

「アーミラ!」

 棘の半分近くを一時的に無力化した所でアーミラが本体に向かって踏み込んだ。

「大人しく……しろ!」

 叫びと共に光に包まれたアーミラの背中から一枚の翼が姿を見せ、頭からは角が姿を現す。

 あの状態の彼女はパワーも魔力ももう反則と言っていい程だが自由に扱える力ではないらしく滅多に見る事は無い。

「終わりに……する!」

 異形の体を完全に捕らえ、渾身の一撃を叩き込む。

 吹き飛んで壁に叩きつけられた異形の前に、ウロボロスに乗ったカリオストロが瞬時に詰め寄っていた。

 

 

 

「血肉は土に

       思いは風に

             命は星に」

 

 

 普段のカリオストロからは想像できない、柔らかな言霊だった。

 謡うように詠唱を終えたカリオストロが手を触れた点に輝く陣が発現し、青白い炎が遥か上空まで燃え上がった。

 

 

 サウラさんはもう、視力も失っている様な状態だった。

「ガキの体は野辺送りの火で空に還した」

 カリオストロはサウラさんにそう告げた。

 あの青白い炎が消えた後に残ったのは、白い白い、塩の柱だった。

 それは程なく、風に散って霧散してしまった。

「……そう……」

 アーミラが彼女の手を握る。

「ほんとのララは、きっと空で待ってる」

「……そう……ね……」

 ふうっと、サウラさんはゆっくり息を吐いた後、

「ありがとう」

 小さく呟き、その旅を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想はしていたけれど、事の顛末を聞いたルリアやイオはひどく落ち込み、多くの者にとって後味の良くない幕引きであった様だった。

 これでも異形と化したララちゃんの体の事なんかの具体的な描写は避けて伝えたつもりなので、それ以上ソフトに表現するとなるとほぼ何も語らないに等しい言うのが実情なのだけれど。

 ラカムは正直もっと落ち込むかと思っていたのだけれど、何だかんだで頭の中で整理を付け始めている様だ。

 空に溶ける煙草の煙に、何かを見ているように思えた。

 

 それと、カリオストロ。

 事件後二日ほどで早々に旅立っていった。

 別れ際に杖で僕の額を散々小突いてこんな事を言っていた。

『お前ら全員もれなくそうだが……特にグラン。リーダーやるならもう少し大局的に考えやがれ。何でも受け入れて何でも許してじゃあ、運よく回ってるうちはいいが、そうじゃない時は必ず来る。俺様が戻れば問題ねえが、魔晶研究の後始末にはもうしばらく時間がかかる。それまで誰も死なせるんじゃねえぞ』.

 カリオストロとはまた近いうちに旅をする事になるのかもしれない。

 再会した時にまたどやされないよう、それまで精進するほかないと思った。

 

 あと一つ。

 カリオストロが島を離れた後にソーンさんが見つけたのだけれど、バルハの岬にいつの間にか小さな墓標が立てられていた。

 下の岩場から直接生えていた様な作りだった事からも、駄賃替わりのつもりなのか、僕は彼女が気を利かせてくれたのではないかと思った。

 

 

 

 

 

 

 バルハの浜が夕陽に染まっていく。

 堤防に腰掛けた僕らは、徐々に暮れ行く海をぼうっと眺めていた。

 サウラさんの魂は、空でララちゃんに再会できただろうか。

 狂気に呑まれてしまった事は悲劇だったけれど、それほどまでに我が子を愛した母親の魂にはそのくらいの救いがあっても良いのではないだろうかと思った。

 橙色に暮れて行く空に目を向けると、二羽のカモメが連れ立って高い所を飛んでいるのが見えた。

「アーミラ」

「んー?」

 団長(犬)をくすぐってからかっているアーミラがのんびりとした返事をする。

「約束するよ。必ず、君をお母さんの所に連れていく」

「……うん」

 するとしばらくの間の後、

「私も約束、するよ。グランのお父さんの所に、グランを連れ行く」

 僕は思いがけない言葉に彼女の方に向き直る。

「……それでね、みんなで御飯を食べるんだ。そしたらね、美味しいが4人分だから……きっと、すっごく美味しいよ」

 そう言ったアーミラの顔が一瞬近付いて。

 僕の頬に、そっと触れた。

「ふへへ」と悪戯っぽく笑うアーミラに釣られて僕も笑った。

 笑いながら、胸につかえていたものが外れた様に、僕は泣いた。

 とめどなく、涙が溢れた。

 

 

 

 

 紅く暮れた砂浜を、僕らは歩く。

 アーミラと手を繋いで。

 団長を頭に乗せて。

 並んだ足跡は、きっとこの先も続いていく。

 遠くで、ビィの僕らを呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 

                                           了




最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

アウギュステでのお話はこれで幕ですが、このメンバーでのお話は
まだ続いております。

機会があれば、またそれらも投稿する事があるかと思いますので、
その時は宜しくお願い致します。

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